2008年08月31日

血栓性静脈炎の「逆襲」

 土曜日に循環器の先生に診察してもらったところ、やはり血栓性静脈炎が再発したという結果になりました。前回が2004年の5月だったので、4年ぶりの再発というところでしょうか。基本的には自分用のメモなので(ブログを始めてから気がつきましたが、自分用のメモをネットに残しておくと、意外と便利ですね。読者無視というスタンスが基本なのであしからず)、適当な部分があるのはご容赦ください。

 違和感があったのは2008年8月24日(日)でした。帰宅してから足がつるような感覚があったので、ストレッチをしてみましたが、どうも筋肉がこわばっているのとは異なる感覚。嫌な感じがしましたが、ついつい火曜日まで放置してしまいました。火曜の夕方の段階で、若干、足をひきずるような感覚が生じて、帰宅後、左右のふくらはぎを測ると、右が約40cmであるのに対し、左が約45cmでした。これはまずいと思い、以前、RI検査などを行った病院に連絡をとろうとしましたが、前ほど症状が劇的ではないので、迷ったのが失敗でした。正直なところ、入院とかは勘弁してほしいので、面倒だったというところですが。で、面倒なことになる前に、当座いなくなっても大丈夫なように、ちゃっちゃと書類カキコをして、最悪、入院となったときのためにノートPCのメモリーの増設などの作業を水曜日と木曜日に終わらせると、ありゃまあ、むくみと腫れがとれてしまいました。水曜に歩いていた際に左脚の大腿部で「ドクン(DQNではありません。擬音です)」という感じがして、2005年に回復したときと同じような感覚だったので、ひょっとして静脈から血液が戻ってくるようになったのかなと思ったのが、2番目の失敗でした。最近の季節のように症状もコロコロ変わって、金曜日の晩には再び、左下肢の腫れがひどく、歩くのがやっとの状態でした。微妙なのが、自分で触った感じでは、左の方が若干、体温が高く、2004年とは対照的な状態で迷いました。困ったのが、病院の診察予約でこちらが参りました。

 迷いながら電話したせいなのか、病院側が外来の予約受付が終わっていて、再度、連絡をもらえるとのことで、晩に待機しておりました。病院側も金曜日は外来を受け付けておらず、手術で心臓外科の先生がつかまらないとのことで、予約がとれるかどうかも微妙だという状態でした。時間外診察に回しますとのことで、担当者が変わると、今度は専門の先生がいないのですがよろしいですかと尋ねられるので、了解すると答えると、そもそも受け付けること自体が嫌なのか、単に手続きの問題なのか、再び心臓外科の担当者に代わられて、既に1時間近く経過していました。帰り際だったので、携帯で歩きながらでしたが、途中で疲れて立った状態。メディアの病院報道も問題がありますが、ああいう報道が受け入れられる素地というのはあるわけでして、病院も規模が大きくなると、全体を見て対応ができなくなってしまうのでしょう。「たらい回し」というのはやむをえないことも多いのでしょうが、同じ病院内で「たらい回し」を食らうと、医療の供給側への同情も薄れますね。で、実はこの病気(実際にはその段階で血栓性静脈炎であるかどうかもわからないのですが)は心臓血管外科から心臓内科で診察されることになったとのことで、もうわかったから、もっと小回りの利きそうなところをという言葉を抑えて、土曜日に診てもらえそうな病院はないですかと尋ねたら、それはお答えできませんとのこと。想定どおりの回答だったので、ある病院を挙げると、態度が一変して、ご存知でしたら、まずそちらへとなりました。先回りしすぎて検査などを考えて大きいところに電話した私がバカだったというところでしょうか。

 既に夜で診療時間をとっくに過ぎていたので、先に電話を入れて、開業医の先生のところへ。この先生、実はさきほどの病院を退職されてから、開業されたそうで、先の病院の先生などは完全に小僧扱いされていて、医者の世界というのは怖いなあと思ったりします。ただ、経験と勘のよさというのはバカにできなくて、ご本人が他人と接するときは楽天的で患者の不安を取り除くあたりはさすが。今回も、簡単に病状の進行を確認したら、まず、「ズボンを脱いで」。既往歴を全部伝えているせいもあるのでしょうが、診察のペースが実に速いです。驚いたのは触診で、これほど丁寧とはびっくりしました。左右を比較しながら、足の付け根から足の指先まで、足の間までチェックされて、足の裏にきたときにはツボを押されるような感覚で、一瞬、痛いのでびっくり。パンツ一枚の中年を見たところでなんのご利益もなく、医師と淡々と仕事をされているだけなのでしょうが、触診が終わると、いつものように愛嬌のある口調で、血栓性静脈炎について説明をして頂いて、非常にわかりやすかったです。後で考えると、飄々としているようで、実に用心深い説明でした。単に血栓で血流が止まっているだけでなく、左足の外傷が炎症をひどくしている可能性があることなどを説明されて、納得。当面は、できるだけ安静にするようにとのことで、不謹慎ですが、しばらく休めるのおとホッとしました。投薬について説明されたときに、抗生物質と外傷の塗り薬だけでワーファリンなどの血栓に関する薬がでないようなので、ちょっと不思議でしたが、続いて検査があるからとのことで、診察室をでました。

 まずは、超音波エコーですが、装置を操作する方が看護士になるのか、技師なのかわかりませんが、女性で、例によって下半身はパンツ一枚。しまった、普通のトランクスにしておけばよかったと、後悔先に立たず。もっとも、向こうはお仕事ですから、こちらの下着などには興味もなく、事務的な対応ですが、かえって恥ずかしい部分もあります。パンツから陰嚢がはみ出ないようにガーゼのようなものをあてがわれて、かなり恥ずかしいシチュエーション。どこを検査するのだろうと思っていたら、しつこいまでに足の付け根の辺りに器具をあてていて、無表情だった技師の表情が非常に厳しい表情に変化してなんだろうと。数分後に先生が現れて、会話の内容は忘れましたが、ワーファリン3mg追加とのこと。機器のモニターの角度がベッドに横になっている私にも見えるようになったので、それまで無言でしたが、モニターを見せてくださいとお願いすると、表情が優しくなって「不安ですか?」と尋ねられました。実は、病気より機器のほうがおもしろくてと正直に話すと、変わった人と思われたのか、クスッと笑ってから、説明してくれました。まず、右足の付け根に身体と接触する器具を普通に当てたときと、圧迫しながらあてたときで、モニターの色が変化していました。これは正常に血が流れている場合とのことで、左足は変化がなく、大腿の静脈の血流がほとんどないことを示しているんですよと説明して頂いて、これまた納得。2004年に最初に入院した病院では、触診だけで1時間以上、紹介してくれた病院の血栓性静脈炎の疑いありとの診断を否定したり、悩んだりしていて、あんた医者でしょと内心で思いつつ、うんざりしました。造影も本当に下手くそで、足の指先に造影剤を流すための点滴が難しいとはいえ、親指を血だらけにしてくれたのを考えると、雲泥の差でした。こちらは、既往歴があることが大きいとは思いますが、ピンポイントで痛みを伴わず(ある程度の規模がないと造影用の装置などを設けるのは無理だからでしょうが)、ワーファリンの投薬を留保されていた理由も素人にもわかる話で、さっさとこちらにかかっておけばよかったと後悔しました。この後、採血をして次回の診察の予約をして病院を後にしました。

 運が悪いけれども、致命的なほど運が悪くはないのか、今回も現段階では肺梗塞などくたばりそうな症状はなく、困ることといえば、トイレに行くまでに時間がかかるので尿意がしたらすぐにいかないと大変だとか、具合が悪いのが左足だけで(頭は別のトラブルを抱えていますが)あとは元気なので、よけいなことをしたくなる衝動を抑えるのが大変だとか、「平和ボケ」みたいなものです。時間がありあまっているので、デルのC521の再インストール用DVDから「SP+メーカー」でSP3を適用したDVDを作ったら、一発で正常に動作して、自分でもびっくりしました(デルの一部のバージョンは統合ができないらしいです。お暇な方はこちらをどうぞ)。動画エンコードとか時間がかかる作業もかなり進んでありがたや、ありがたや。無茶苦茶していますが、できあがったSP3適用済みパックでOSの再設定をしたら、「Radish Network Speed Test」でほぼ上限値がでるようになって、静脈は流れが悪いのですが、情報の流れの速度(あくまで速度だけであって、受け手の感度は別の問題ですが)は最高の状態になりました。


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2008年08月27日

キッシンジャー「新世界秩序再考」を読む(3)

 グルジア情勢がロシア軍の駐留からロシアによる南オセチア・アブハジアの独立承認の動きにまで進展しました。今回の「キッシンジャー『新世界秩序再考』を読む」はグルジア情勢をきっかけとして、冷戦後のソ連解体後の情勢の複雑さを理解することが目的なので、時事に密着した話はでてきません。(2)ではロシアの「近い外国」に関するキッシンジャーの分析を紹介しておりますが、キッシンジャーが今回のロシアの対応を予測していたなどとは思いません。

 あくまで抽象的なレベルですが、時代の制約があるとはいえ、キッシンジャーの描写から私が受けた印象にすぎませんが、「ロシアは『地政学上の心臓地帯』にまたがっているが故に、イデオロギーや政体にかかわりなく帝国として振舞うのであって、ロシアへの経済援助はその好戦性を和らげるものであって、好戦性そのものをなくすことは困難であろう。ウィルソン主義は各国の利益が調和している世界を想定しているので、対ロシア政策を立案する上であまりにナイーブすぎる。もちろん、ロシアの地政学的な性格が変化する可能性を全く無視するものではないのだが」と考えておけば、ロシアの対応にうろたえる(もちろん、あまりに強権的であるという印象をもってはおりますが)必要はないと思います。当たり前かもしれませんが、「問題は、ロシアと新共和国との関係を、一般的な外交政策のルールがあてはまる国際問題と見なすか、ロシアの一方的な意思決定に任されているものの延長と見なすかである」というキッシンジャーの指摘の後者、すなわち、「ロシアと新共和国との関係を(中略)ロシアの一方的な意思決定に任されているものの延長と見なす」という立場はロシアの行動の基本だという点も抑えておけば、ロシアの意図をあれこれ詮索するのも野暮な話だと思います。

 ここで私事で恐縮ですが、7月末に受けた健康診断では心電図診断の結果、左心室肥大の疑いがあるという結果でした。直接の相関はないのでしょうが、日曜日から以前、血栓性静脈炎を患った左下肢のむくみと痛みが本日になってかなり苦痛になっております。膝下5cmのところではかりますと、左足が直径で約1cmほど上回っています(平常時は両足とも39cm程度ですが、今朝の段階で右足が40cmであるのに対し左足が44cm)。また、左下肢が右と比較して若干ですが、体温が低下しております。診察の予約やRI検査の予約などが必要になるかもしれませんので、この「寝言」をもって、しばらくお休みするかもしれません。たいしたことがなければ、1週間程度で再開するでしょう。

 再び左下肢静脈に血栓ができているとなると、肺シンチなどで血栓が拡散していないかどうか確かめなくてはならないので、ちと面倒ではあるのですが。そんなわけでお越しいただいているご奇特な方には、更新がない場合には他のことで手一杯なのだとご理解頂ければ、幸いです。ちょっと大袈裟ですが、万が一のときに、キッシンジャーの知的であるだけでなく、誠実な文章をダメな人間なりに理解しようとあくせくしていたのは幸せなことだとも思います。グルジア情勢がどうなるのかということにご関心をお持ちの方には、まるで物足らない、まさに「寝言」でしょうから、無視して頂ければと存じます。例によって長くなりますので、お暇な方は「続き」をクリックして頂ければ、幸いです。


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2008年08月26日

キッシンジャー「新世界秩序再考」を読む(2)

 冒頭から細かい話ですが、手元にある原著の出版年が1994年、出版社がSimon & Schusterです。訳書にある著作権者の項目では1994年となっているので、1994年が初版が出版された年で大丈夫でしょう。今回は、キッシンジャーによる冷戦後のロシアの描写を見てゆきたいのですが、その前に、十年以上も前の文献ですので、キッシンジャーが描写している現状は今日では古くなっています。最初に監訳者による注釈を紹介して、以下では個々の問題には深入りしないことといたします。もっとも、ソ連崩壊後、生じた事象を時系列で追ってゆくのも、今日の事態を理解する上で欠かせないと思いますが、手に余りますので、岡崎先生の簡潔な指摘で省略いたします。

【監訳者による解説の抜粋】

 当時、アメリカはロシアの民主改革に酔い、ゴルバチョフ、そしてエリツィンの指導するロシアの民主化に世界の命運がかかっているかのごとくロシア支援に力を入れていた。北方領土問題を一時的に抑えてまで日本がロシア援助に加わらされたのもこの時期である。他面、天安門事件以後、アメリカの対中態度は冷え切って、人権問題ばかりが大きく取り上げられていた。キッシンジャーはこうした傾向に警告を発しているのである(498頁)。


 いきなり脱線ですが、1992年でしたか、皇室までもちだして対中関係の改善を行ったときには唖然としました。「時の最果て」はチベット問題に冷淡なように見えるかもしれませんが、この国の政治的指導者の「人権感覚」なんてこの程度ですから、元々期待していないということが大きいのです。もちろん、個人の「抗議」としてチベット問題をとりあげることも考えましたが、外交政策に期待できない状態では寒いだけですし。外交政策が人権一辺倒に偏ることに、キッシンジャーが警告を発する国とはずいぶんな差でして、この国の政治的指導者にチベット問題などで真っ当な感覚を要求すること自体が、選手村に入らず、ふだんドームという快適な環境でプレーし、「本番」でもいつものように高級ホテルに泊まって野外でばてちゃうどこかのチームにメダルを期待するようなものだと感じてしまいます。お約束のように「本題」がとりとめがない上に、やたらと長いので、五輪がなくなって暇をもてあましている方(失礼しちゃう話ですが、こんな鄙びたところに来てくださる方は、よほど慈悲深い方か、はたまたよほどの物好きか(「読者撲滅キャンペーン」の開始です。ご理解を賜りすよう、お願い申し上げます)、(職場で)お暇な方のいずれかではないかと勝手に思い込んでおります)は「続き」をどうぞ。


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2008年08月25日

キッシンジャー「新世界秩序再考」を読む(1)

 こちらでは、「この問題、日本は関心が低過ぎますよ」(「かんべえのマスメディア日誌)2008年8月24日)とのことですが、正確には主語が「日本のマスメディア」でしょうね。もっとも、北京五輪がなくても、アフガニスタン侵攻のような時代も背景もあまりに異なるので、多少、扱いが大きくなったという程度かもしれませんが。いつものごとく、『世界の論調批評』安達正興さんカワセミさんから良質の情報を後追いしている状態です。

 それにしても、ソ連崩壊後、あまりに旧ソ連、東欧の変化が激しく、地図を慌てて確かめないとピンと来ないのは情けないのですが。グルジアに関しては、こちらでGUAMについて表面的ですが触れておりますが、この問題を論じるのなら、GUAMが果たして自由と民主主義のための国家連合なのかを調べておく必要があります。ただ、「なまもの」は「時の最果て」の苦手中の苦手ですので、もっとどうでもよいことを考えたくなります。

 「時の最果て」で国際情勢にしぼった話をするときには、中東、それもイラクに偏っている感があります。イラクが安定化すると、パキスタンが流動化すると、なかなか大変なのですが、今回は大雑把に冷戦以降の「世界秩序」について考えます。というと、大上段に構えたようですが、グルジアの問題が生じたときに、キッシンジャー『外交』(日本経済新聞社 1996年)の第31章「新世界秩序再考」(下巻収録)を読み返しているうちに、興味深い指摘が多かったです。現状については日本語で読める記事(マスメディアではなく個人のウォチャー)が少なくないので、いかれた「外道」はどうでもいいことをやりましょう。

【引用1】

 今世紀になって三度、アメリカは自国の価値観を広く世界に適用することによって新しい世界秩序を建設する意思を表明した。そしてやはり三度にわたって、アメリカはいっそうぬきんでた大国として国際社会に現れた。一九一八年のパリ講和会議の際は、同盟国はアメリカに依存し過ぎていたのでアメリカに懸念を表明出来ず、結局ウィルソンの一人舞台だった。第二次世界大戦の終わりには、フランクリン・デラノ・ルーズベルトとトルーマンは、まるで世界全体をアメリカ型に再鋳造する役割を担うかのように見えた。
 冷戦の終結により、国際環境をアメリカのイメージ通りにつくりかえようという誘惑はますます大きくなった。ウィルソンは自国の孤立主義に縛られ、トルーマンはスターリンの拡張主義に直面したが、冷戦後の世界では、アメリカは世界のあらゆる地域に介入する力を持った唯一の超大国として残った。しかし、力は多極化し、軍事力を行使するような問題も減った。冷戦で勝利を収めたことにより、かえってアメリカは、一八−一九世紀のヨーロッパの国際システムや、アメリカの政治家や思想家が疑念を呈し続けたやり方と共通点の多い世界へと突入してしまった。各国家は、イデオロギー上、戦略上の最大の脅威の存在から解放されて、ますます自国の直接的な利益に基づいた外交政策を追求するようになった。おそらく主要な大国が五、六ヶ国存在し、より小さな国々がたくさん存在するような国際システムにおいては、国際秩序はかつてのように、対立する利益の間の均衡と妥協によって生まれるものなのだろう(下巻、500−501頁)。

 この引用の前に1990年のブッシュ大統領(現大統領の父)と1993年のクリントン大統領の演説が引用されています。キッシンジャーはとりわけブッシュ演説を「新しい世界秩序への希望を、古典的なウィルソン主義の言葉」で述べたと描写しています。

 ふと思ったのですが、いわゆる「ネオコン」はウィルソン主義の理念を国家間のパートナーシップや協力ではなく、アメリカの卓越した軍事力で実現しようとした思想潮流なのでしょう。『外交』の原著が出版されたのが1994年ですから、以下で引用する叙述も、当時の時代背景を反映しておりますが、あとで引用する叙述にあるように、冷戦後のアメリカの外交政策は、勢力均衡を十分に考慮せずに、よりもウィルソン主義を様々な手段で実現しようとする試行錯誤のプロセスなのかもしれません。また、そのような政策には救いがたい部分があっても、今後も大きな変化がないのではと思います。

【引用2】

 国際秩序は不安定なものである。「世界秩序」という場合、いつもその永続性への期待が表明されている。その言葉自体が永遠を思わせる響きを持っている。ところが、世界秩序を構成している要素は常に変転している。実際、一つの国際秩序の存続期間は時代を経るごとに短くなってきている。ウエストファリア条約によって生まれた秩序は一五〇年間続いた。ウィーン会議によって出来た秩序は一〇〇年間続いた。冷戦を特徴とする国際秩序は四〇年で崩壊した(ベルサイユ体制は大国が支持したシステムとしては作用せず、二回の世界大戦の休戦にすぎなかった)。そして、世界秩序の構成要素、その相互作用の範囲、その目的が現代ほど速く、深く、全世界的に変化したことはこれまでなかった(501頁)。

  
 やや長くなるので省略しましたが、キッシンジャーは【引用2】で挙げている世界秩序のなかで構成要素を重視しているようです。三〇年戦争を「伝統と普遍主義に基づく封建社会から、国家理性に基づく近代国家システムへの移行をめぐる戦争」として、フランス革命に関しては「共通の言語と文化に規定される国民国家への移行」として位置づけています。また、国際秩序の過渡期には「当然だったことが突然時代遅れになった」と指摘して、具体的には19世紀の多民族国家、20世紀の植民地主義を挙げています。冷戦は三十年戦争やフランス革命、二度にわたる世界大戦に匹敵する世界秩序の主要な構成要素の間で大規模な戦争が生じて次の秩序への移行とはなりませんでした。他方で、共産主義が時代遅れというよりも、現代の民主主義体制にとってかわる社会体制ではないことが明白なったという点である種の不可避の傾向があるのでしょう。ただし、そのことがただちに民主主義の拡大と結びつくのかは留保すべき点もあり、【引用1】にあるように国際秩序の基礎となるのはウィルソン主義的な発想ではなく、古典的な「対立する利益の間と妥協」なのでしょう。

【引用3】

 新しい世界秩序の出現によって動乱が生じているのは、一つには、国民国家としての歴史的背景がほとんどないのに、「国家」と称している国が少なくとも三タイプはあり、それらが相互に作用しているからだ。その一つは、解体した帝国から分離した民族的分派であり、ユーゴスラビアやソ連邦から分離した国々がこれにあたる。歴史的な怨恨の虜となり、長年アイデンティティを求めてきた彼らは、古来からの民族対立の中で優位を得ようとする。したがって、国際秩序という目標は彼らの関心外であり、多くの場合全く頭の中にない。彼らは、三十年戦争にまき込まれた国々がそうであったように、まず自国の独立を維持しようとし、国際政治秩序というコスモポリタン的な視野を持たないまま自国の勢力を伸ばそうとする(502頁)。


 本題の前に三つの類型以外に、(1)旧植民地で国境が帝国主義時代の負の遺産であるがゆえに内戦が絶えない国家群、(2)大陸タイプの国家があり、キッシンジャーは大陸タイプの国家が新世界秩序を構成する基本単位となる見通しを示しています。このような抽象度の高い理論をグルジア問題を直接、結びつけることは危険ですが、グルジアは【引用3】で示した最初のタイプに属するのでしょう。GUAM諸国が自由や民主主義などを旧西側諸国と共有し国内体制の改革を図ってきたこと自体を否定するものではありませんが、グルジアに限定すれば、海外の報道を見る限り、キッシンジャーが述べているように国内における民族対立、そしてそれと結びついたロシアへの対抗という点は見逃すべきではないのでしょう。「国民国家としての歴史的背景」を欠いたまま、世界秩序を構成する意思からではなく、自国の利益を最大化する意図から秩序を利用する側面があることは抑えておきたいです。これは、次回以降で述べてゆきますが、ロシアの行動を正当化するためではなく、旧ソ連圏から離脱した国家をどのように扱うのかという問題を考える際には「弱者への同情」を排除するための「補助線」のようなものです。

 この種の抽象化は、過度であればあまりに図式的な描写に陥ってしまいますが、「現実」なるものを突き放して見る程度の効用があるだろうと。抽象化からただちに「なにをなすべきか」はでてこないのでしょうが、「なにが起きているのか」ということを整理する程度の意味はあると思います。もっとも、私のような素人がやっても、単なる好事家のお遊びで政策的インプリケーションがでてくるわけもなく、本人もそのような高い志ではなく、単に理解したいというだけですが。


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2008年08月23日

いかれた「外道」の北京五輪観戦記

 そういえば8月15日をスルーしておりました。このままゆくと、マケインが大統領になっても日本はスルーしそうな雰囲気。死に急ぐのもどうかと思いますが、現在を見ておりますと、しょうもない川柳の一つが浮かんで、時期が時期だけに避けました。まあ、主要紙なるものがスポーツ新聞化(内容的にはスポーツ新聞に失礼か)しているのを見ると、この時期かなと。あと二日の辛抱ですし。「バカじゃねえの」、「下手くそだねえ」というツッコミを覚悟して父上に似てしまって諧謔の精神が今ひとつの一句を晒しましょう。

 自衛隊 運用しだいで 自閉隊

 事故ぐらいでしか一面にこないのが平和の象徴ともいえますが、戦った経験のない「軍隊」が本来の軍隊と呼べるのか。確かに憲法に違反はしていないのかなと思ったりしますが。残念ながら、軍隊を運用できる才覚のある人材がこの国から生まれるのは稀有のことのような気がいたします。その意味では「平和憲法」なるものの存在意義もあるのかもしれないと8月15日に感じ入ってしまいました。

 ところで、オリンピックをなにか信念があってスルーしているわけではなく、ケーブルテレビですら、あまり配信されない競技などは見ております。定番はカヌーとか、クレー射撃あたりですが。あまりこのネタを書かないのは「非国民」ぶりが丸出しになってしまうので、書かないだけですが(もっと煽ると、日本の野球がどうたらこうたらとか書いておられる方々は戦前だったら真っ先に戦争を煽りそうな感じ。ぶっちゃけ、「愛国心」という名の島国根性そのものだと思いますね)。不思議なめぐりあわせで、ボルトの100mでの走りをライブではなかったのかもしれませんが見て、興奮してしまいました。あのストライドはびっくりで、既に見方が長距離走の発想ですが、見ていて惚れ惚れするぐらい美しかったです。願わくはドーピング反応がでないことぐらいですね。全身が躍動している感じで、あれはよかった。

 決勝戦の野球を見出したのですが、なにせ女子ハンドボールを見た後だけに、今ひとつ、スピード感がなくて飽きてしまいました。女子のハンドボールは興奮してしまいました。最初は、ノルウェー対ロシアで、なんだ原油高で潤っている国どうしか(一方はおとなしくなってほしいのですが、「帝国」の伝統というのはなかなかなくらならのでしょう)というぐらいでしたが、試合が始まると、思わず釘付けに。その前にサッカーの決勝も見てパスが通らなかったり、シュートするところでパスする、どっかの島国とは違ってスピード感があってすごいなあと思いましたが、どちらもディフェンスが堅くて、びっくり。

 素人にはバンバン点を取り合うほうが面白いのですが、ディフェンスといいながらほとんど格闘に近い感覚で防御というのは受身じゃないよなあと思ったりします。解説の人も試合を見ること自体が楽しいのか、余計な話がなくて実に快適。野球中継は話が細かい割りに、まるでスピード感がないので飽きるわけだなあと。後半の給水中にアルゼンチンのチームが単に水分を補給するだけでなく、水を首筋にかけたり、タオルで冷やしたりしている光景が映っていました。こうやって動脈を冷やしておくと、冷静に判断が出来るようになるんですよと解説者が感心していたので、なるほどという感じ。後半20分ぐらいでナイジェリアのフォワードの選手(たぶん私が知らないだけですごい選手のような気がしましたが)が入ってきたときに、普通に歩いている姿を見て左右のバランスが不自然に崩れているので、ケガでもしているのかな、でもケガをしている選手を緊迫している状態で入れるのかなあと思っていたら、やや遅れて左膝を痛めているという解説が入って、こういう解説はありがたいです。後半の30分過ぎぐらいにこの選手がシュートに絡んだはずなのですが、なにしろプレーが早すぎてリプレイを入れて欲しかったなあと。アルゼンチンのディフェンスを割ってここまで入り込んだ瞬間をじっくり見たかったです。それにしても芝が荒れているし、気温も30℃を超えていて、アナウンサーも「過酷な環境」としきりに言っていましたが、湿度が30%を切っていたのがよいのか悪いのか微妙な感じです。

 そのまま流れで見始めた女子のハンドボールですが、ハンドボールってこんなにおもしろかったのと思いました。というよりも、7mスローも忘れていて、単なるど素人の感想ですが。なんといっても前半10分でノルウェーの速攻がおもしろいぐらい決まって、すっかりノルウェーもちに。10分ぐらいすると目が慣れてきて、速攻でゴールを決めているようにしか見えなかったのですが、投げる球が相手のキーパーの運動能力を見極めたように緩めたり、ときに速かったりして実に自由自在。「師匠」と仰ぎながら、「極悪」などとひどいことを書いておりますが、スポーツでは完全に強い側が楽しいです。決勝しか見ていないので、ノルウェーもロシアも韓国に苦戦したというのがわからないのですが、この試合のノルウェーの速攻は異常にきれいでこれまた見入ってしまいました。ディフェンスも先ほどのサッカーと同じく、どちらのチームも攻撃的なぐらいでしたが、ノルウェーのディフェンスはびっくりするぐらい隙がなくて主導権を完全に握ったまま試合が進んでいました。前半の20分ぐらいから速攻がなくなってあれれと思ったら、選手が入れ替わっているとのことで、選手交代が自由だというのも始めて知ったというレベルです。まあ、女性には失礼ですが、どちらの選手もでかいなあと思いながら、ロシアの攻撃がどうも単調な気がしました。解説のとおり、ノルウェーのディフェンスが巧みだということも大きいのでしょうが、マークすべき選手がはっきりしすぎていて、それでも得点できるだけの能力があるのでしょうが、攻めるときのパターンが読めてしまうというのはかなり厳しいような。それにしても、ノルウェーの選手の敏捷さは異常で、ロシアが速攻で決めることができたのが後半の2得点ぐらいだったような。文章で表現しようとしても、あのスピード感は再現できませんね。まあ、要は、ノルウェーもちで楽しんじゃいました。

 素人にはノルウェーに速攻でバンバン決めて欲しいのですが、ボールをキープしてじっくり攻めるときも、主力メンバーの時には巧みというより、憎いまでに主導権を握った攻撃でした。最初は緩いペースでボールを回して相手の守備陣の「形」をはっきりさせてから、固まったところで一気にパスが速い上に選手の動きも激しくなって相手の隙(虚)をつくって、ノルウェーの攻撃陣が隙を突く体制をつくって(実)、着実に得点するという感じで、前半の最初の10分で速攻で差をつけたことも大きいのでしょうが、まさに相手の虚を実をもってうつという感じで、点差以上にロシアが苦しい感じ。前半が終わったところで、5点差ぐらいでしたが、アナウンサーはまだまだ後半でわからないですよと語っていましたが、これはノルウェーもちでしょうと思っておりました。それにしても、ハーフが30分で一試合が一時間ちょいで見ることができるというのは観戦するだけの人にはありがたいです。野球でカリカリする人が巡回先では多いのですが、やたらと時間がかかるし、精神衛生にはよくないものをよく見るなあと思っちゃいますね。おもしろうそうな競技だけ見たほうが(要はつまみ食いですが)、楽しめるのに。おっと、これは余計なお世話。

 さて後半を見ていると、ノルウェーが攻撃パターンを一変させたのか、ロシアの防御がよくなったのか速攻がなくなってつまらないなあと思いましたが、試合の主導権はやはりノルウェーが握っていて、パスを回して自由自在に動いて相手の隙をつくというパターンで得点差が開いてゆきました。7mスローも3回に1回ぐらいはノルウェーのキーパーが阻止してしまうので、もうロシアがかわいそうなぐらい。それでも、後半はさすがにノルウェーの守備陣にも隙ができる機会が増えた気がするのですが、勢いというのは怖いもので、ゴールに嫌われたり、キーパーが絶妙に弾いたりと、主導権を握った側の強みを感じました。素人なので6−0ディフェンスとかパターンがあるようですがピンと来ず、攻守ともにパターンがあるようで自由自在に相手に「形」をつくらせて、崩してゆくという後半の試合運びが、前半のような爽快感はないのですが、文句なく強いと感じました。調子の悪いときには調子のよいチームなり個人のプレーを見るのはなかなか楽しいです。

 どこかの島国では監督の采配がどうたらこうたらで世界的にはマイナーな競技で大騒ぎのようですが、ハンドボールのように試合時間が合計で1時間で、試合の流れが速く、選手の交代も自由という競技で強いチームの采配を楽しんだ方がいいんじゃないのかなと。失礼しちゃう話ですが、ハンドボールでは監督の顔で決まったような気が。ロシアの監督がブルドッグのように始終、不機嫌な表情で、ノルウェーの監督が始終、笑顔で楽しそうに試合を運んでいて、この時点で勝負が決まっていたのかも。ノルウェーとロシアでは旧ソ連時代を考えればロシアの方が強いのかもしれませんが、この試合では明らかに試合の最初から主導権をノルウェーが握って終始、形を決めずに、速攻あり、パスを回してシュートありと自由自在に相手に「形」を決めさせては崩し、相手の「虚」を「実」でもってうつというありがちな感想ですが、なかなかできないものです。スポーツにおける「マネジメント」が他の分野で普遍性をもつのかは私にはわかりませんが、ぐだぐだな采配を見るよりは(実際には一試合も見ていないのですが)、少なくともよい気分になれますね。オリンピックなんて見なくても困らないわけですし、どうせ見るなら楽しい競技を見た方がよいという、いかれた「外道」の感想にすぎませんが。
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2008年08月22日

PowerPointが使えないホワイトカラーが日本を救う?

 この数ヶ月というもの、勤務先のPCがどうも重いです。たちの悪いことにメモリーがRDRAMの512MBで増設が難しく、担当部署と相談したら、512MBで4万円弱ですねと冷静に対応されて、かえってこちらがひいてしまいました。最近のVISTA搭載マシーンを購入してもらう気もしないので、さすがに半分冗談ですが、自作機を持ち込みましょうかともちかけたら、保証がないものが壊れたらどうするんですかとマジレスされてしまって、落ち込んだのが2週間前。

 そういえば電源が入らなくなった自宅のマシーンがRDRAMを搭載していたなあと、無茶苦茶ですが、処分する前にメモリーからグラボまで全部取り外して改造したら、あらまというぐらいのスピードになりました。さらに無茶苦茶ですが、事後承認で作業報告をして見てもらったら、「ちゃんと動作してますね」と不思議そうな表情をされてしまって、まったく信用されていないんだなと落ち込みました。自宅のマシーンが快調なせいか、調子に乗って、いっそクアッドコアのマシーンを10万円もあれば作れちゃいますけれどと漏らしたら、本当はその方がいいかもしれませんねとなって、グラボの「換装」とメモリーの増設程度ぐらいはできるんだなというぐらいには信用されたようです。

 それにしても、すっかり「Core 2 Duo」信者になってしまいました。勤務先のパソコンでは無理ではないのですが、とてもじゃない、重くてしょうがないアプリケーションがさくさく動くので、ほとんど犯罪のようなものですが自宅で動かしております。それでも、CPUの温度が45℃まであがるのでアプリケーションのバージョンアップを微妙にためらってしまうのですが。

 話がうってかわりますが、ネットでも活字媒体でも経済関係のものは最近ほとんど読まなくなりました。なぜかといえば精神衛生に悪いからでして、うっかり読んだりすると、ケーキの価格が1200円でシュークリームの価格が200円としてシュークリームの価格でケーキの価格を除した(割った)値(1200/200=6)はシュークリームに対するケーキの相対価格となるところを自分の論旨に都合のよいようにシュークリームの相対価格などと平気で書いてあるので、かんべえさんの「(極悪風)ルサンチマン仮説」(日銀バカだ説をネットで書いているのは食いそびれた超高学歴者仮説)は正しいのかもと思ったりします。

 本当に調子が悪いと、メールに来ていた『日経ビジネスOnline』の記事を本当についうっかり読んでしまって、げんなりしたりします。この記事を読んでヘッドラインにある内閣府による時間当たりの労働生産性の試算なるものからひっかかったので、検索してみると、資料編以外は読まなくなった『世界経済の潮流』(2007年春版 PDFファイルがいきなり開くと面倒ですから、お暇な方は目次をこちらからご覧ください)の第2章のデータのようです。他にもこのデータをつかみの部分で引用している記事が多いのですが、全体に目を通していらっしゃるのやら。ひどいことを書きますると、『経済白書』と『世界経済白書』の頃には出版物を毎年買っておりましたが、『経済財政白書』と『世界経済の潮流』になってからは碌に目も通さなくなってしまいました。改革の後退を懸念される方も少なくないようですが、『世界経済の潮流』に関しては「守旧派」に戻ってからの方が昔の『世界経済白書』に近い感覚で無理に政策的含意をひきだそうという感覚が希薄になってよかった印象があります。

 それにしても、2007年春版の第2章は解せないことが多いです。全体として規制改革によって労働生産性を高めることが日本経済復活の道筋だという主張なのでしょうが、PDFファイルの27頁(困ったことに『世界経済の潮流』本文にページ番号が挿入されていないのですが)にある表を見ると、1992年から2005年の低成長下の時期でさえ、アメリカ(年率平均1.9%)を上回る労働生産性の向上を記録しているわけでして(日本は年率平均2.2%)、こちらの方がむしろ説明が要るのではといかれた「外道」の目には映ります。迂闊に深入りすると論旨が破綻するのでヨーロッパ(アメリカを含んでいるので単に主要国とすればいいのにと思ったりしますが)と比べて時間当たり労働生産性が低いことを強調するグラフが説明なしにでてきて苦笑せざるをえません。『NBOnline』で引用されている数字は5頁の第2−1−1図にでてきますが、これもひどいグラフで、スペース上の問題にすぎないのかもしれませんが、「人口一人当たりGDP」や「労働時間当たりGDP」のグラフだけ、それも比較したい国だけ実数値がでていて、あとのグラフではまったくわからないという使い物にならないしろもの。14頁の第2−1−6図も縦積みにされた要素がなにをあらわしているのかがさっぱりわからないというすばらしい出来栄えです。

 しかしながら、本来の意味の逆ですが、この章の白眉は、「規制改革+労働市場の柔軟性向上→IT投資の活発化→生産性向上」という論旨を計量的に「検証」した18頁からの第2−1−7図ですね。5枚のグラフが一気に並んで本文では解説抜きにどうだといわんばかりです。これは実に素晴らしい。で、図のRスクエア(式ではどう見ても単回帰ですが)を見ると、(1)生産物市場の規制指標とIT投資比率(総固定資本形成比)が0.220、(2)労働市場の柔軟性とIT投資比率(総固定資本形成比)が0.0567、(3)生産物市場の規制指標と時間当たり労働生産性上昇率が0.2468、(4)が労働市場の柔軟性と時間当たり労働生産性上昇率が0.1617、(5)IT投資比率(総固定資本形成比)と時間当たり労働生産性上昇率が0.3521です。たとえば、生産物市場の規制指標で時間当たり労働生産性がだいたい4分の1、あるいは25%(正確には約24.68%ですが)程度は説明できるよというところです。ただし、あくまで相関に過ぎませんから、論旨のような因果関係を検証するものではありませんが。お茶目なことにIT投資比率と時間当たり労働生産性上昇率のRスクエア(ひょっとしたらt値にも影響が出るかな)を上げるために、(1)から(4)まではアイルランドを含めていたのに、(5)では外すという実に細やかな配慮です。(2)の結果は当然でしょう。労働市場の柔軟性と時間当たりの労働生産性IT投資比率に相関がある方が気もち悪いです。(2)や(4)のグラフを見ると、OECD諸国のなかで日本が予想以上に労働市場が柔軟的だという方が目に付くぐらいで、試算にけちをつけるつもりは毛頭ありませんが、相関よりも第2−1−8図にいたってはt値もあまりに低く、Rスクエアは0.1232で「IT利用産業の規制と時間当たり生産性」の相関はまったくないとはいえないが、考慮に値するほどではないというところでしょうか。この程度だとデュアルコアCPUでなくてもエクセルで計算できますし、まず散布図を作った段階で「終了」という感じですので、練習用に所得と消費の関係を計算する方がよいのでしょう。

 あれこれ書いておりますが、古典的な問題として電話と経済成長の因果関係という問題が古くは議論されました。決定的な結論はありませんが、電話の普及が経済成長を促進したという仮説よりも経済成長の結果として電話を普及したという仮説のほうが実証的には有力です。『世界経済の潮流』2007年春版では経済成長とIT利用産業を結び付けているわけではありませんので、「斜め上視線」になりますが、1990年代にかけて安定成長をしたアメリカがIT投資を行う余力が大きかったというのが、ひねりもなにもありませんが、実情ではと思います。労働市場のデータに関しては労働政策研究・研修機構の『データブック労働国際比較2008』(目次はこちら)が詳しいのですが、購買力平価で評価した労働生産性水準はかならずしも低くなく、笑うところではありませんが、これまでも改革の主たる対象であり、今後も改革の対象となりそうなとなりそうな電気・ガス・水道業や金融・不動産業などで労働生産性水準が各国と比較して意外と高いというあたりは要注意でしょうか。これらの産業の規制改革の必要性を説得するために労働生産性を持ち出すのはお門違いだと思います。

 冒頭の「使うのはオフィスソフトとメールだけ?」に戻りますると、言い古されたとはいえ、私だったら「パワーポイントをオフィスから追放せよ」となりそうです。15分の紙芝居をつくるのに10時間もかけるのはバカげているような。私などは、パワーポイントが準備された会場でわざとOHPを使うこともあります。みんなカラフルなプレゼンをやっているところでモノクロの、しかも、ところどころ手書きで書いてあったりすると、かんべえさんぐらいの年配の方からあとで質問が殺到したりして、目立つためのちょっとしたテクニックです。「パワーポイント撲滅委員会」を立ち上げたら、名誉会長はかんべえさんで決まりでしょうか。

私自身はどうでもいいんですが(無責任)。

(追記)痛いミスがありましたので、痕跡が残るように修正いたしました(2008年8月9日)。
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2008年08月19日

「しくみ」がわからない!

 富山でおいしいものを頂きながら、やはり五輪三昧の方がいらっしゃるようで。当方は、自作機をいじりながら「お皿洗い」に追われて、お盆休みという実感がないまま、日常に戻った感じです。ポリシーとして五輪を見ないわけではありませんが、今回は開会式は「ボイコット」しました。日本が非力とはいえ、チベットでの弾圧は腹に据えかねるので、素人目にも政治ショーとなるであろう開会式は見ないでおきました。アテネオリンピックの際には恥ずかしながら開会式の日時を知らずに適当にテレビをつけていたら、たまたま映っていてなかなかだなと思いました。自作機をいろいろいじっていたら、デジタル放送がモニターで見ることができるようになりまして、録画は小さい画面でしかできませんが、画質はそこそこです。

 これも偶然ですが、日曜の朝にかんべえさんがサボっているんだろうなと思いながら、『サンプロ』を見ようと思ったら、女子マラソンの中継があるとのことで、即効で予定変更。競技もさることながら、屋内の競技とは異なって、北京の風景を見てみたいという、われながら実にいい加減な理由でした。見た印象では妙に整然としていて、沿道での声援が少なく、微妙に違和感がありました。天壇公園の風景は悪くなかったのですが、道が狭い感じでした。解説が日本人選手とヌデレバ、ラドクリフに集中していて、やむをえないのでしょうが、コースの感覚がつかめない感じ。見た感じでは思ったほど道が悪くないようですねというあたりは、中継は北京で走ったことのない人がやっているのでしょうか。マラソン経験者なら見ただけでわかるのかもしれませんが、素人的には本当かいなという感じ。それにしても日本選手がでる競技ではそちらの話題ばかりで解説が鬱陶しいので、途中でよしました。どうも、愛国心というより島国根性を感じてしまうひねくれ者ですので。私が見落としていただけかもしれませんが、コースの勾配等のデータや気温、湿度、風速・風向など基本データがまるでなくて、単に走っているだけという感じで退屈なだけでした。

 お盆に自宅から離れられないという悲惨な生活をしておりましたが、浜松の同窓生にお断りの電話を入れると、残念がっていて、少しだけホッとしました。ついでにといっては申し訳ない部分もありますが、実家にお墓参りにゆけない旨を連絡しました。あんまり期待されていないのか、暑い上に朝食をとりたがらなかったり、風呂に入りたがらない(実は苦手なにおいがするのが理由です)ので、嫌がっていると思われているのか、あっさりと「そう」。そういえば父上が今年で65歳を迎えるのでまだ働くつもりなのかしらと思って尋ねると、「80歳までは働くぞ。ガハハハ」というありさまでして、すばらしいざますというところでしょうか。

 気になったのは母上との会話で、どうも年金の問題はくすぶっていて、賞与の支給があるために年金の減額に関する通知が6月頃にあったそうですが、実際に8月に支給された金額が以前よりも多かったそうで、「わけがわからないわ」とこぼしていました。まあ、増えているんだからいいような気もするのですが、働くと年金が減額されるというのは年金受給年齢に達した人たちの勤労意欲をそぐのではないかという指摘はごもっともで、しかも金額の変動の根拠がわかりやすく通知されないようです。勤労収入があるから年金を減額するというのは出発点は「善意」なのでしょうが、働くインセンティブを殺ぐという点だけでなく、建前とはいえ、国民皆年金と社会保険方式という趣旨から離れてしまうような。世代間扶養は問題があまりに多いという気がしますが。出発点の制度を精査したわけではないので、まさに「寝言」ですが、あれこれ「善意」で「改革」を積み重ねきた結果が、受給側から見てしくみのわからない制度という気もします。年金制度改革もけっこうですが、よけいなインセンティブを与える「善意」を捨てて簡素化した方がよいだろうにと思ったりします。

 しかし、年金以外の収入があるせいか、むしろ、だからこそまだ穏やかなのかもしれませんが物価の上昇の方で愚痴が多かったです。プリウスなのでまだマシなようですが、それでも40リットルも給油すると7,000円を超えるようで、以前よりも乗用車を利用する機会が増えているために1ヶ月で9,000円程度かかるようです。光熱費の上昇にも敏感で、「物価が上昇すれば景気がよくなるとおっしゃる方が今でもいらっしゃいますけどね」とつい漏らすと、経済の専門家などこの世から消えてしまえという勢いになってしまったので、慌てて「鎮火」しました。

 「埋蔵金」がからんで日本経済がデフレとなると、門外漢にはついてゆけないです。以前も、特別会計や地方財政も含めて公的部門の支出が250兆円を越えるという試算をだした官僚出身の方がいて、その方の本を読んだ別の人が「GDPの5割以上が公的部門ということは実質社会主義ではないか!」と大騒ぎしていたので、付加価値ベースではなく、粗生産と比較しないと意味がありませんよと指摘したら、これまた「鎮火」しました。「埋蔵金」を吐き出したところで、市中銀行が企業や家計への融資ではなく、再び安全資産である国債を保有し続ければ、物価が上昇するとも思えず、摩訶不思議な議論もあるようです。無責任ですが、どうせ主張するような効果はないでしょうが、財政再建のためにやりくりをする原資にする方がまっとうな感じです。その場合にも、「埋蔵金」をすべて吐き出すよりも、長期金利の動向を見ながら、手元に資金を残すという方が普通の感覚ではと思いますが。消費者物価指数が総合で前年同月比2.0%、日本の定義によるコアCPIが同1.9%と高いものの、アメリカのコアCPIの定義である食料・エネルギーを除いた値では0.1%ではインフレ環境とは程遠く、外人が心配しなくても利上げの余地は低いでしょう。また、以前ほど金融政策が物価の安定にどの程度資するのかは疑問な点も多いですし。やや「寝言」がすぎましたが、CPIの動向とGDPデフレータの動向はかならずしも一致しておりませんし、GDPデフレータが四半期ベースでみた成長率鈍化とともに拡大していることなど、まずは「しくみ」を手探りでもよいですから、地道に明らかにすることが先で、やれデフレだやれインフレだと騒いで政策パッケージだけもってくると、失礼ながら実行可能性はゼロでしょうが、無様なことになるでしょう。

 そんなマクロの話を離れると、今でも自分で組み立てたパソコンが動いているのが不思議です。カワセミさんのおかげで想定よりもスムーズに作業が進みましたが、しくみがわからなくても動くというのは冷静に考えると不思議でもあり、どこか居心地の悪い気分もあります。様々なデバイスやアプリケーションの相性問題などは私よりもはるかに知識のある人でも「勘」の要素が大きいようです。これだけ分権化が進み、他方で相互依存も進化してくると、社会の「しくみ」はわからないことが多く、わかる以前にアクションを起こさざるをえないことも多いのでしょう。

ひどい「寝言」ですが、「しくみ」がわからないことが多い社会では知識以上に、個人の「世界像」が実際とどれだけ合致しているのかが問われてくると思います。「世界像」というのはある程度までは書籍などで鍛えることもできますが、なかなか個人の枠を超えることは難しい。「暗黙知」とも異なって個人の運命が自分自身ではコントロール可能な範囲が限定されている中で、知識という静的な範囲を超えて行動という動的な範囲で競争という点では軋轢もますます増えてゆくのでしょう。他方で、個人の「世界像」が「集合知」として体系化されず、常に流転する状況がこれからも続いてゆくのでしょう。現代に限らないのでしょうが、分権的社会が広がってく現代では個人の知識は限られてしまいます。「しくみ」がわからないなりに「なんとかする」というのはなかなか大変でもあり、可能性にも満ちた世界だとも感じます。


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2008年08月15日

デブのPC自作チャレンジ 基本確立編

 当面の最後の「換装」が終了しました。いつも情報提供ばかりしていただいて恐縮ですが、カワセミさんお勧めのGIGABATE「G-Power II Pro」を装備して、当面は様子を見るつもりです。おそろしいまでの冷却性能です。マザーはやはり32℃前後になりますが、CPUはこれでもかと負荷をかけても40℃ぐらいで、信じられないという感じです。それにしても、この製品を店頭で置いてある店が少ないので意外でした。まずは、Sで商品名と型番を見せると、店員が「うーん、ギガさんのCPUクーラーを置いていたかなあ」との返事。Zalman「CNPS9700 LED」は店頭にもあったので尋ねる前に見ましたが、あまりの巨大さにびっくり。CPUやメモリー、HDD、光学ディスクなどは見てもわからないものですが、こういう物理的にわかりやすいものは見ればなんとなくはイメージがつきます。おそろしく冷えそうではありますが、こんなものを取り付けられるのだろうかと心配になります。丁寧に型番で在庫を確かめてもらって、残念な結果に。Zalmanでもいいのかなと思いましたが、店員さんに尋ねてマザーの見本と組み合わせてもらって、「たぶんNine Handredだったら大丈夫だとは思いますが、保証はできないですねえ」とのことで、なんとなく「空気」を読んで退散しました。まあ、カードをもっていなかったときの加算の作業が終わったので、こちらがメインに。2軒目はイニシャルも出しませんが、「オタク」の店員さんが不在で、もともと在庫が少ない店なので早々に退散。3軒目がツクモで、自作を考え始めたときにパーツの品揃えに圧倒されてメインにしようかなと思ったこともありましたが、10年以上、買った経験がなかったので結局、メインは別の店にしてしまいました。そんなわけで、店内はもちろん綺麗なのですが、大手としてはジャンク屋の雰囲気(失礼!)を残している、素人にはちょっと敷居の高い店が本命でした。

 午後7時すぎという微妙な時間帯のせいか、スーツを着た人もけっこう多くて店の中の人も大変そうでした。パーツを見ながら、お目当てのクーラーを発見。正直なところ、Zalman以上の衝撃でした。ネットで写真は見ていましたが、これほどまでに巨大だとは。所詮、素人さんは大丈夫といわれても、外見に弱いものでして、こんな大きいのが入るのかしらと微妙に恐怖心をもちました。カウンターにいた人が手が空いた瞬間をねらって型番の入ったメモを出して見てもらうと、店頭にあった製品の型番が「GH-PSU-PB23」、メモが「GH-PSU22-LB」で微妙に異なるので困惑しましたが、ケースとマザー、CPUを話すと、「大丈夫です」とのこと。「G-Power II GH-PSU22-PC」も店頭にあったので並べてもらいましたが、結局、冷却性能を優先してPROを選びました。本体価格が6,647円でしたが、パーツ交換保証をつけてもらって消費税込みで7,505円で買いました。若干、高くなりましたが、ここが動作しないと本当に困るので、惜しまずにカネを出しました。店をでてから、気がついたのですが、ネジやドライバー(ネジを締める方です)などを買い忘れていて、戻ると、選ぶのに迷うほどの品揃えでびっくり。グリスは付属しているのを確認したので買いませんでした。このとき、グリスだけではなくヘラが付属しているのかを確認しなかったところがあとあと響いたのですが。

 さて帰宅すると、これは最初から組み立てるのと変わらない作業になるので、例によって空調と空気清浄機をガンガンの作業場に。当然、ここでは禁煙です。作業台(といっても昔の机ですが)に黒いケースを乗せて、まずグラボを外して、次に丁寧に電源ケーブルや接続ケーブルを外して、マザーボードを「裸」にしました。いよいよマザーボードの取り外しですが、前はネジをきつく閉めすぎたかなと思ったら、意外と軽く外れてマザーが入っていた袋の上に「安置」しました。それにしてもリテールクーラーを外そうとすると、あまりにあっけなく外れて作業が楽でしたが、やっぱり頼りない感じ。しかも、クーラーの接点が円形で底の部分だけで冷却していたようで、これは回転数がいくら上がっても冷えないわけだなあと納得しました。あとはマニュアルに沿って「G-Power II Pro」を装着するだけですが、ここでグリスを塗るのが大変で、ヘラがないので均等どころかところどころに塊ができてしまって必死にグリスの先端部分で広げるのですが、どうみてもムラだらけ。慌てて別室に戻ってネットでグリスの塗り方を確認すると、ヘラ必須とのことであわわわ。しかも、ネットで見ると、わずか200円足らずです。後悔先に立たず。仕方がないので、失敗するよなあと思いつつ、新品のプラスチックのドキュメントケースからヘラみたいなものを「自作」してなんとか均等に広がりましたが、こんないい加減な感じでいいんだろうかと嫌な感じでした。ダメだったら、そのときはそのときと開き直って固定して各種ケーブルを装着。ちょっと気になったのですが、SeagateのHDDにジャンパーピンがなくて、新品で使っていないほうを確認しましたが、やはりついていないようです。私が見間違えただけかもしれませんが。

 さて、ケースファンはすべてマニュアルでLOWで動作していますが、組み立てた感じでは前面から入ってくる空気をCPUクーラーがやや斜めの角度で受けとって背面のファンに流すような感じです。上部の排気ファンも元気でエアフローはよさげです。カワセミさんが注意して下さった干渉もなく、すちゃらかグリス塗りでも動作してしまうのだから、便利な世の中よのお。早速、電源を入れると、ファンが1800RPM近くまで回ってけっこううるさいのでびっくりしました。しかも、ASUS「PC Probe II」ではCPUの温度が45℃前後で推移するので、おかしいなあと。慌てて再起動してBIOS設定画面で調整しようとしてもよくわからず、XPが再起動してから、ASUSの「Six Engine」で「Auto」に設定したら、CPUが35℃前後、マザーも32℃前後でCPUファンの回転数は300RPM前後と安定しました。これで「長時間耐久レース」にも「出場」できそうですので、RAIDやその他の課題はありますが、とりあえず、「船出」です。

 それにしても、デルのC521の復旧でお盆前がほとんど潰れてしまいました。残っている「お皿」は400枚弱なのでお盆を返上してすべて終わらせる予定です。問題はデルのDimension8250が電源関係で動かなくなってから、C521で作業していたデータが消えてしまったことです。自作に熱中している間にこちらのバックアップが疎かになっていたので、2週間ばかり自宅で「夜鍋」をしてつくったデータが飛んでしまいました。キーボードもマウスもロックするという救いがたいエラーだったのでどうにもなりませんでした。お皿洗いが終わったら、即効でこちらの復旧をしなければならず、まずはお盆の間にお皿洗い、お盆が過ぎたら、データの復旧とぐったりするような状態です。ちなみに、浜松は今年はなし。沼津も来年に延期しました。

 ただ、自作機がほぼ一通り完成したので、まずは電源回りの故障で動作しなくなったデルのDimensionのハードディスクを外付けで試すという軽作業からですね。主要なデータは保存してあるのですが、微妙な時期に電源が故障したので、バックアップが完全にはとれていない状態なので、まずはこちらからです。元々、内蔵タイプですから、自作機に組み込むことも考えたのですが、パラレルなので無理ですし、OSが入っている状態なのでちょっと怖いです。データを取り終わったら、デュアルブート用になると助かるのですが。


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posted by Hache at 02:05| Comment(3) | TrackBack(0) | 情報通信技術関連

2008年08月12日

ハードボイルド?

 PC自作にもう一台のマシーンをいじっていたところに、刺激臭のする薬くさい中華料理(一口で食べられる程度でしたが)がとどめを刺したようで、食欲もなくなってしまいました。こういうときは早く寝るに限るわけでして、昨晩は12時で「店じまい」。珍しく朝7時前に起きるという健康的な生活をしてしまいました。エアコンを止めて微妙に風を入れていたのですが、思ったより涼しいです。珍しく女性がでてくる夢を見ました。というより、最近は夢を見ても、まるで覚えていないので珍しいです。なんともいえない懐かしさがあって、不思議でした。「時の最果て」というのは『クロノ・トリガー』というゲームに由来しますが、無理やり知り合いにやらされまして、その顛末はこちらに書きました。この知り合いは邪悪でして、私に興味のない「ギャルゲー」なるものにはまらせようとした極悪人ですが、プリンセスなんとかはまるでおもしろくなくて意味がわかりませんでした。しかし、『ときめきメモリアル』なるゲームは基本的に単調ですが、まあまあ面白くて、幼なじみというのはホッとするなあと。自分には欠けていることに人はあこがれるものだと思いました。今朝、見た夢も、「時の最果て」とは異なる、もっと素朴な懐かしさがあって、幼なじみの夢だったのでしょうか。詳細は覚えていないのですが、夕焼けの海を眺めて美しさにボーっとしていたら、隣で女の子がクスッと笑ったところで目が覚めてしまいました。他愛のない夢ですが、高校時代にこの景色は幾度となく見ていて、隣にいた女の子も懐かしい感じでした。インテリが大の苦手な私は、お勉強ができますというタイプが苦手で、昔から一緒にいて気楽な人がいいですね。目が覚めたら、コードがあまりに見苦しいので整理して、掃除機で片付けてしまいました。現実は実に泥臭い。

 頭までいかれてしまったわけではないので(もともといかれているという問題は別として)、さっさと仕事を済ませて、余った時間で『世界の論調批評』で紹介されていたH. A. Kissinger"New Premsies in Iraq"を読みながら、この話はどこかで読んだなあと思って外付けHDDのデータを検索したら、"Lessons for Exit Strategy"がでてきて、昨晩はこちらを読みながら、寝てしまいました。キッシンジャーの文章を読むとホッとしますね。実は、PC内のファイルをプリントアウトするのが一苦労でして、ここ数年、プリンターのドライバのインストールをする必要が全くなかったので、手順を忘れてしまいました。自宅で使っているが、EpsonのLP800Sというモノクロレーザーですが、確かWindows 98の時代のプリンターで、XPのドライバはなかったはず。エプソンのHPで見ても見当たらず、困ったなあと。恐ろしいことに、Googleで検索すると、一発でドライバが見つかるので、もう検索エンジンなしでは生活できないなあと思いました。どちらのPCにもパラレル接続のポートがないのでUSBで接続して印刷できる状態になるまで1時間ぐらいかかってしまいました。ワードに落としてあったので、早速プリントアウトして読み始めると、3年前とあまり大筋が変わらないので、なんと申しますか、ホッとします。微妙なニュアンスが読みとれておりませんが、気が向いたら、「寝言」にしてしまおうと思います。

 どこのサイトを見ても、オリンピックの話題ばかりでついてゆけないなあと。アテネも後半ぐらいから見た覚えがなく、印象に残っているのがトライアスロンだったような。正直、メダルの数とかどうでもよくて、エーゲ海の風景がとてもよくて見入ってしまいました。室内競技が多いようなので当分はスルーですね。なんとなく映画が見たくなってつたやにでも行こうかと思ったら、会員の期限が切れていました。最近の映画はまるで見てませんし。ふと、『マルタの鷹』を20年ぶりぐらいに見たいなあと思ったら、なんとアマゾンでDVDが500円で売っているのでびっくり。クラシックといい、映画といい、古いものを好んでいると、カネがかからんのですよ。著作権関係の団体がいつまでもごねていると、残念、残念てな感じになるかもですね。たいしたコンテンツを提供しているわけでもないのに。それはともかく、原作のある映画はたいていの場合、原作を読んでから映画を見る場合が多いのですが、高校時代に唯一、映画を見てから原作を読んだという珍しいタイプです。スペードがあまりに渋くて、はまってしまいました。あらすじを忘れてしまいましたが、友人を殺した女を突き離すあたりが妙に印象に残って、こればかりは『ルパン三世』の初期も「お子様ランチ」という感じ。いわゆる「ハードボイルド」物というところでしょうが、なんとなく「武士は食わねど高楊枝」みたいな感じで、失った過去を追う夢みたいなものでしょうか。

ハードボイル度診断結果 ふと、検索していて気がついたのが、「ハンフリー・ボガートへの道」という、失礼ながら、意味不明ではありますが、けっこう笑える診断でした。私の結果はこちらの通りです。うーむ、自覚はありましたが、相当、世間様からずれているような。「問3」あたりは「そもそも持っていない」という選択肢がほしかったですね。こんなもの自体、この世から消えてしまえばいいのにと思うことがあります。着うたとか他人が使うのは勝手ですが、実にバカバカしい。着信音は当然、黒電話で電車内でなくてもマナーモードがほとんどなので当然、バイブレーターがデフォルト。「問5」は微妙で、うまいコーヒーは当然ブラックですが、まずいときが難しい(会議のときにはこちらがほとんどですが)。フレッシュだったら我慢してブラック。衛生状態のよさそうなお店だったら、出されたクリームでしょうか。「問7」は考える必要もない。

 「問14」、「問15」で思わず受けてしまいしたが、ハードボイルドというわけではなく、単にずぼらなだけですが、昨日のことは夢、明日のことは誰も知らないという感じでしょうか。今だってかげろうのようなもの。かんべえさんがこんなことを書くときにはメールの催促(不特定ではあるがメアドを知っている人向けかな。あるいは私以外の誰か)でしょうが、"present"は「現在」と「プレゼント」をかけてありそうですから、そんなものを訳そうとするなというところでしょうか。生きているなんて勝手に思い込んでいるだけで実は死んでいるのかもしれない。こんなことをうっかり口走ると、危ない人となりそうなので、生きているということにして素知らぬ顔で生活していますが、なんとなく嘘の世界を生きているように感じます。間違いないのは、一週間ぐらい禁煙して最初に吸うタバコが一番うまい。これだけはリアリティがある。あとは惰性のようなもの(禁煙がうまくゆかない言い訳か)。


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posted by Hache at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 幸せな?寝言

2008年08月10日

一つ、二つ……な、七百番目の「寝言」!

 塵も積もれば山となる。「寝言」を重ねるたびに恥を増す。なんと今、ご覧頂いているのが、700番目の「寝言」です。700も「寝言」を書いたおかげで、もともと厚顔無恥だったのが、いっそうひどくなりました。おまけに土曜日はあれこれ重なって、日曜は事実上ダウンしてしまいました。

 それはさておき、PCで頭がいっぱいになっているうちに、オリンピックは始まっているし、お盆休み前に楽勝で終わるはずだった仕事も山積み状態で参ります。とどめは、自作機で手一杯のところで頼みのデルのDimensionシリーズC521までがBIOSアップデートのミスのおかげでキーボードとマウスが反応しない状態に。悪戦苦闘してもうダメだと思って、ダメ押しにデルのサポートセンターに電話を入れました。デルのサポセンはだんだんと悪くなる一方ですが、土曜日はひどかったなあ。

 マニュアルにない話だったせいか、グラボを変えたのが原因ですよねとか、BIOSを元に戻せとはご無体な話でございます(それはそうなんですが)とか、責任逃れの対応ばかりでまるでソリューションをだそうという誠意がまったくありませんでした。BIOSアップデートのときにキーボードとマウスがPS/2-USB変換ケーブルで接続されていたのが原因ですねという話にたどり着くまでに1時間もかかってうんざりしました。しかし、ダメなサポートというのは意外とありがたくて、だったらキーボードとマウスをUSBで接続した状態で再度アップデートすればどうでしょうともちかけると、それはお答えしかねますとのこと。技術的にはナンセンスなんでしょうが、ダメな人がダメなんじゃないといえば、たいていうまくゆくので試してみると、作業は再びイメージリカバリを使って工場出荷時状態への復元という面倒なことをやりましたが、あっさり成功。女性の担当者だったので、この手を使いたくなかったのですが、サポート後にくるご意見頂戴メールで難色を示した「ソリューション」のおかげで今は万全ですと返信しました。これでデル側が提案したソリューションということになるので、トラブルの際には免責の部分でいちゃもんをつけるという嫌らしいことをしました。全部録音していれば別ですが、口頭よりも文書が強いですからね。下手の勝って読みにすぎませんが。ただ、このサポートが2年間とはいえ、1万円を支払うに値するのかは疑問に感じます。

 他方で、保守期間が過ぎていたので、念のため封書で着ていた修理サービス延長のお知らせに記載されていた番号へ先に電話を入れましたが、こちらは中国人女性が対応していて(助詞でつまるところでの憶測ですが)、かなり丁寧でした。マニュアルにあるのかもしれませんが、ちょっとトラブルで参ってましてねと話すと、慌てた様子で8月25日で無料電話サポートは保守期間と連動して、保守期間が切れてしまうとサポートもできませんと教えてくれました。その後、サポセンで1時間以上、「拷問」にあってから電話をもらって、FAXを送ってくれました。部署ごとの差があるのでしょうが、ダメな日本人よりサービスの基本を抑えている中国人の方がいいねと思います。

 もちろん、個人差があるので、一般化はできませんが、日本人は日本語という壁があるからヒトのグローバル化から遮断されているように見えますが、「人口減少社会」では人材不足が深刻化しそうですから、国籍に関係なく、能力のあるヒトが活躍できる場を提供できるかがこの国の活力を維持するポイントではないかと思ったりします。これは理想論であって、現実には日本語の読み書きという点で、英国のように人種と階層が一致する社会になるかもしれませんが。カネ・モノ・ヒトのグローバル化に関して現状では、カネのグローバル化の「副作用」が最大の問題であるとは思いますが、ヒトのグローバル化は実に厄介でして、個人に、社会に、国家に恩恵を与えるのか否かを評価するのは難しいとも思います。ヒトのグローバル化は新しい文化や技術を生む一方で、差異に関する感度をむしろ強めて普遍的な人権概念の妥当性を疑わせるような事態も起きるでしょう。欧州ははっきりとこの問題で苦しんでいて、日本も他人事ではないのかもしれません。

 モノのグローバル化が比較的、摩擦が少ないように思いますが、これも厄介な面が多いなあと。ギョーザのこともあるのですが、土曜は丸一日PCのトラブル処理でつぶれてしまって、晩御飯も近くの惣菜屋さんで売っていたお弁当で済ませました。いつもは和惣菜がメインですが、お弁当の中に中華料理がほんの少しだけ入っていました。ふだんはまったく見向きもしませんが、弁当ですので、ちょっとだけ口に入れた瞬間に臭いと味で吐き気を催して、即座に手洗いに直行したら、その分だけ戻して(こういうところは私の胃もがめつくて、大丈夫なところはほとんど戻しませんでした)慌ててうがいをしました。どうも、以前から見た感じからきれいすぎて中華風の惣菜は一切買わないようにしていたのですが、やはり加工済みの冷凍食品を使っているのでは。

 私の鼻は「犬なみの嗅覚」だそうで、以前もランチを食べようと店に入った瞬間に都市ガスの臭いが充満していて、「ガスが漏れてますよ」と店主さんに大声で叫びました。「おかしいな。臭いがしないけれど」と厨房で確かめると、とろ火にしていたコンロから漏れていたようです。「お客さんのおかげで大事に至りませんでした」と感謝されてタダにしてもらいましたが、なんでこんなに強烈な臭いがするのに気がつかないのかが不思議でした。それにしても、なんともいえない薬のにおいのする中華風の惣菜一品(幕の内弁当の一種類程度の分量です)で、私の嗅覚・味覚が過敏だけなのかもしれませんが、2000年頃にすき焼きに入れた中国産シイタケと同じく、気分が悪くなってダウンしてしまいました。もうすぐお盆ですので、静養しつつ「リハビリ」に励む日々になりそうです。


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posted by Hache at 22:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言