2008年10月13日

高坂正堯『宰相 吉田茂』再読

 なんとも平和な日々です。歩数計で連続で2000歩を超えると、むくみが悪化するので、あまり負担をかけないように、買い物ついでに外出する程度。蒟蒻畑のりんご味がおいてあったので記念で買いました。包装を見ると、たしかにこれはダメかもしれないと思いました。子供と老人の絵があってバツマークが赤で記されているのですが、その下に「お子様や高齢者の方はたべないでください」と書いてあるのですが、漢字が多すぎて少数とはいえ漢字も読めない消費者もいるでしょうから、全部ひらがなにしなくては。裏の赤字の警告もたぶん、バ○な消費者には理解されないでしょうから、凍らせちゃダメよと一言書き添えておけば、幼い命が救われたでしょうに。よだんになりますが、価格は需給で決まるという話すら、消費者団体には理解できないそうですから、中国が絡まない限り、売り手には受難の時代がくるのでしょう。値段は安ければ安いほどよいのだとその系列の学者さんの本には書いてあるそうなんで、小難しくいえば、価格が極端に低い場合には取引量が過大になり資源が浪費される、バ○でもわかるように表現すれば、タダでなんでも買えるのがベストということになるのですが、どのみちわからないでしょう。行政全体が高度成長期までは生産者重視で社会問題を引き起こしたと思いますが、逆もゆきすぎれば危険だというなんともわかりにくい話は世間様ではバカにされるだけでしょうし。

 上海馬券王先生曰く、「これ(世界同時株安)に比べれば13ゲームもつけてたゲーム差をわずか1ヶ月半でひっくり返された阪神タイガースの方がまだしも・・・、と、これは今のかんべえ先生には禁断の話題でしたな」。嗚呼、うるわしき友情。この話題はもともと興味がないせいか、どうでもよいのですが、さすがに傷口に痛いでしょと塩を塗る暴挙は私ごとき不出来な自称「弟子」かつ小人にはできず、さすがと感心します。かんべえ先生の返歌がまた奥ゆかしく、「阪神タイガースの負の連鎖が、21世紀に断ち切られるのですから。せっかく小泉首相が快挙を成し遂げたのに、その後の2代が続けて台無しにしてしまった自民党と比較すると、この点はまことに光るものがあるではありませんか」とあり、凋落の度合いからすると落ち目なりになんとかなっている度合いからすると、「阪神タイガース>>(越えられない壁)>>世界の株式市場>>(越えられない壁)>>自民党」というまことに世情を反映したすばらしさです(上海馬券王先生ウォッチャー(自称)としては2008年6月29日の渾身の自虐ギャグを読み落としていたのは不覚。「上海遠島の上、秋口まで馬券予想の禁止を申し付ける」って、もう、S・U・T・E・K・I(エス・ユー・ティー・イー・ケー・アイ)ステキ)。以前、おふざけで「保守の『衰退』 自民党の『凋落』」という「寝言」を書きましたが、当時は2007年3月でここまで短期で悪化するとは想定しておりませんでした。来年の9月までに自民党が政権の座にあろうが、政権交代しようがどうでもよいのですが、とりあえず、金融危機への対応としては受身にすぎる感もありますが、自民党と民主党でコンセンサスができそうな雰囲気は歓迎です。G7でイニシアティブをとれなんて無理なことを要求する気もありませんので。


 全集はちと辛いので、中公クラシックスで高坂正堯『宰相 吉田茂』を読み返していたら、夕方になっていました。学生時代に読んだ記憶がありますが、あまりに日本の戦後史に無知だったせいか、すごい本だと言われて読んだのですが、なにがすごいのかがピンときませんでした。失礼ながら『文明が衰亡するとき』の著者もあまり面白くない本を書くのかなというぐらいでしたが、年をとったのか、ちょっとびっくり。『中央公論』の1960年代というのは本当に知的水準が高かったのだなと驚きました(今が低いというわけではないのですが)。単なる人物評伝と読んでしまったのが失敗で、著者の関心が一貫して戦後政治における政治的リーダーシップのあり方にあり、これほど地に足の着いた議論は少ないような気がします。もう一つは、私が政治や経済にもちだした頃は、日本は単に経済発展を遂げただけでなく、G5(当時)のメンバーとなる経済大国として国際貢献をとかそういう時代だったので、「二流の国」のリーダーシップのあり方をこれほど学術的に一般向けに書かれた静かな情熱にうたれてしまいます。いかれた「外道」ですので、名高い「宰相吉田茂論」よりも、はるかに「吉田茂以後」と「妥協的提案」の分析が興味深く熱中してしまいました。

 「内での秩序の維持と外での安全保障などの責務を果たすことはすべての政府にとって不可欠であるが、こうした問題について世論の理解と支持を得ることは難しい。政治の責務を果たすことと、世論の支持を得ることは必ずしも一致せず、ときとして矛盾する。この二つの要請をいかにして調和させるかが、議会民主主義における政治家の最大の課題となるのである」(81頁)という指摘は一般的には簡単なのですが、実際に具体的な叙述となると怪しい場合が少なくないように思います。「吉田茂の負債」から始まって統治機構の整備とナショナリズムに形を与える(日米安保体制と独立が矛盾しない国際関係の確立)などの課題が提示され、鳩山一郎、岸信介、池田勇人の各政権を対象に分析が進んでゆくのは熱中してしまいます。とくに、岸政権の分析での「閉ざされた政治」の描写は鋭く、安保改定を積極的に評価しながらも、「しかし、最大の問題は彼(岸信介:引用者)が自民党を強力にするに当たって、社会党など反対勢力に対する対決姿勢をもってそうしたところにあった。なぜなら彼は、日本における国論の分裂の積極的な評価をまったく理解しえなかった。彼はその破壊的な側面しか見なかったのである」(131頁)という指摘は、その後の「妥協的な諸提案」で「岸の精神主義」としてさらに分析が重層的になっているように思いました。現代の民主主義のリーダーシップに最も要求される説得が放棄されているわけで、田中角栄の「宣伝」も似たようなもの。いかれた「外道」の目には時代背景があまりに異なるとはいえ、2006年9月から世論の歓迎を受けて成立した政権があっという間に瓦解したプロセスが重なって映ります。

 表現は悪いのですが、世界恐慌はなるようにしかならないし(まだまだ各国の努力が続くのでしょうが)なるようにはなる(まあ、世界が終わるわけでもなし)状況では、混乱の時代に日本の政治的リーダーシップの問題について思いを馳せるのも悪くないのでしょう。本書を読んで、やはり難しいと感じますが、金融危機をめぐる対応(それ自体は受動的であるとはいえ)で自民党と民主党で公開の討論で互いに説得し、妥協し、コンセンサスを形成することができれば、日本政治も決して再生不能ではないと楽観的に考えることにしました。


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posted by Hache at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言