2008年11月28日

究極の「睡眠導入剤」

 体も頭も鉛のように重く、動きが鈍いです。たいした作業をしているわけでもないのに、疲労だけがたまる。気がついたら、竜王戦第4局が終わっていました。てっきり木・金だと思い込んでいて、木曜の晩に帰ったら、羽生名人が投了していてとっくに終了。まさに、「あとの祭り」でした。羽生名人が53手目で▲7四角と打った時点で、7筋に7一の地点を除いて駒があって、すごい将棋だなあと。終盤は、渡辺竜王の方がよく見えていたようで、86手目の4三玉は強い手だなあと印象的でした。最後は一分将棋で第4局を渡辺竜王が制して、第5局を迎えます。とここまで眠い頭をひねりながら、書いたものの、ど素人には難しすぎる将棋の連続で、適当に見て楽しめばいいのかなと。

 計8,000億ドルの資金供給で少しは株価が戻したものの、CMBXが再び上昇に転じてスプレッドが再び600に迫る勢い。社債の方はまだ安定しているようですが、なかなか200bpsを切らない状態。不動産価格の下落を「自由落下」に任せるのは危険でしょうが、公的部門が打てる手はあまりないのでは。ひどいことを言ってしまえば、オバマには悪いことは全部ブッシュ政権のせいにすることができる権利があるので、無理な目標を立てなければよいのにと思ったりします。もし、オバマが7,000億ドルの雇用創出への支出を実施して、デフレの傾向が収まらないとすると、資産市場を抜きにした政策論は無意味なのでしょう。本気でどマクロで効果を予想しているのを見ると、なんとなく痛々しい。成熟した経済では理論も変わってゆかざるをえないのでしょう。

 眠い頭で読んだせいか、Michael O'Hanlon, "How to Win in Afghanistan"(Wall Street Jornal, November 14, 2008 こちらから)を読んでも、アフガニスタン増派の効果が実感できません。あまり適切な表現ではないかもしれませんが、アメリカによる個別的自衛権の発動という点で筋のよいアフガニスタン戦争がいまだに収束するどころか困難な状況であるのに対し、国際法上、戦争の違法化が徹底的に進んだ現代では批判がはるかに強いイラク戦争の方が、駐留協定を結んだ上で撤退が始まるという不思議な現象が生じています。「善」だの「悪」だの言っても、不完全な人間が断じることであって、「真相」は「藪の中」だと思いますが、イラクの占領統治が残した教訓は、多くの人が悪とみなす行為はさっさと大胆にやって終わらせることに限るということでしょう。Petraeusもイラクで終われば名将として名を残すかもしれませんが、アフガニスタンにまで手を伸ばすとどうなりますやら。O'Hanlonがアフガンへの増派を主張する際に、ボトルネックとして指摘しているアフガニスタンの地理や経済規模の違いはあまりに大きいでしょう。GDPが11億ドル、連邦予算が4億ドルの国でタリバンを掃討した上で暴れないように抑え込むだけの治安部隊を維持するのは無理がある。2006年の12月頃にはイラク情勢のあまりの悪さにほとんど絶望しかけておりましたが、現在に戻ると、あの状況からよく2年で駐留協定を結んで撤退まできたという感慨すら覚えます。ただ、「イラク戦争の『本当の理由』」という「寝言」を書いた時点ではイラク情勢というよりも、その他の条件が悪化することを考慮に入れておらず、読み返すと、ずいぶん楽観的な気分だったんだなあと思ったりします。

 『世界の論調批評』にある「オバマのアフガン政策」(参照 2008年11月17日(月))は簡潔すぎるぐらいですが、戦略論としてはこれで十分なのではと思うほどです。日本語で書かれている話を読んでいると、結局、軍事の世界も善悪の判断から自由ではないのでしょう。アフガニスタン増派に有利なデータばかりを並べて、実際の実現可能性は無視されている印象があります。確かにイラクの占領統治は筋が悪く、割ける資源という点でも、戦略的な位置づけという点でも、アフガニスタンが手抜きだった感はありますが、始まり自体は筋がよいはずだったアフガニスタンの現状を分析しているO'Haonlonのコラムを斜め読みした印象では、イラクよりも絶望的な感じ。さらにインドにおけるテロで印パ関係が再度、悪化すると、手に負えなくなるのかもしれません。イランの核開発は「最後の手段」を否定せずに、交渉のみで解決しようとすれば、危ういでしょう。イラクの占領統治を見すぎて疲れてしまったのかもしれませんが、無闇にいかがわしい、もつれた関係にアメリカが深入りすると、イラクとは別の意味で小国に振り回されるだけでしょう。冷たいことを言えば、アメリカの利益という点からアフガニスタンへの増派を説得する論理がでてこなければ、単にご無体なお話だとすら感じます。イラクでの「最後の逆転」をアフガンでも狙うというのは微妙でしょう。

 inawさんの「渡辺くん、あきらめたらそこで試合終了だよ」(参照)というのは将棋の世界ではぴったりでさすがに竜王の座を4期連続で保つ24歳の若者は嫁さん選びという男の蹉跌になりやすいところでミスをしないものだと感心します(負け犬の遠吠えですが、20代半ばで「なんで俺がいいんだろう」と妙に客観的になってバカになれなかったのは痛恨の極み)。他方、安全保障の場合には国がなくならない限り、「試合終了」ではないわけで、一つの戦役でどこまで粘るのかは悩ましい限りです。


続きを読む
posted by Hache at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2008年11月27日

TARP7,000億ドル+6,000億ドル+TALF2,000億ドル

 メンテナンスに乗じて更新をサボろうという魂胆でした。といっても、私の都合で気分しだいに更新しているだけなので、あまり意味がありませんが。メンテナンスは無事終了しました。こちらにさくらインターネット社からのお知らせがあります。なんだか風邪を引きなおしたようで、体調は最悪、寝不足でボロボロです。





続きを読む

2008年11月25日

"Yes We Can"は"Yes We Want"なのか?

 壮絶な光景ですね。オバマ次期大統領は、2011年までに250万人の雇用創出を掲げたそうで。米各紙が報道しているところでは、道路や橋の補修、学校の設備近代化、風力発電や太陽光発電などへの投資で雇用を創出するそうです。笑うところではないのでしょうが、この雇用「創出」への政府支出が終わったとたんに、失業者が最低でも250万人は発生しそうです。さらに、減税にヘルスケアプランも加えて「景気刺激策(stimulus package)」は、オバマ氏の経済ブレーンとされるデイリーによると7,000億ドルにのぼるそうです。"change"の割には、TARPとほぼ同じ金額というのも、オバマ氏一流のブラックジョークなのでしょうか。オバマ版「ニューディール」政策の金額がインフレ傾向を続ける中、期待値だけはどんどん上昇してゆくのでしょう。アメリカ経済が立ち直るのは民間部門の努力によるではなく、オバマが米国民に与える政策なのだという強烈なメッセージだと思います。率直に言えば、オバマ氏に共感もなければ反感もないのですが、オバマ流「ニューディール」はなんとなく箸が進まない印象です。「よこせ」と言われる前に盛大にばらまく方が利巧といえば利巧なのかもしれませんが。

 他方で、ブッシュ政権も大忙し。8%の配当を要求する優先株を買いとってシティグループに200億ドルの資本注入を行ったうえで、3,060億ドルの資産保証を行うとのことで、TARPを使わなくても、"bailout"を行ってしまおうというすさまじい事態。なんとなく、TARPをめぐる騒動はなんだったのよという気分になりますが。結果論にすぎませんが、資本注入と資産保証をした上で、どうやっても時間のかかる不良資産のオフバランス化を行うというのが手順としてはマシだったのでしょう。これで金融システム不安が収まるというほど楽観はできませんが、少なくとも一息はつけそうな感じ。もっとも、不良債権のオフバランス化には時間がかかるでしょうし、実体経済の悪化によって金融機関の資産が悪化する可能性が高いでしょうから、オバマ氏がおそらく穴を掘って埋めるよりもマシな建築物とムダなソーラーシステムが残る程度の効果であろう雇用創出に重点をおいて、金融システム安定化に失敗すれば、アメリカの民間部門と公的部門が共倒れになる可能性もあるのでしょう。どうも、"Wall Street"よりも"Main Street"を重視するという演出が空回りしているような印象を受けます。

 "Yes We Can"を実行に移すとなれば、"Yes We Want"となるのは必然なのかも。大量の米国債、膨張する一方のFRBのB/Sなどを考えると、ドルで決済するしかない諸国にとっては"No Thank You"と言いたいところですが、アメリカ経済が破綻してしまってはどうにもならないので、泣く泣くのまざるをえないのでしょう。貸借の規模があるレベルを超えてしまうと、貸し手よりも借り手の方が強いということをしみじみ実感しますね。ま、「変わる」よりも世界中のカネのあるところからむしりとってきて(十分な担税力に裏打ちされていない紙切れでカネを集めるわけでして)ばらまく方が手っ取り早いですからね。(遠い目)。


続きを読む

2008年11月24日

ボエティウスの「最後の努力」 宗教と科学の関係あるいは無関係

 いつも土日はヨレヨレの状態なのですが、この週末はひどいもので、本を読んでも頭に入らず、ボーっとゲームをやり始めたら、とんでもないミスを連発する始末。世の中は連休のようですが、業界では連休を認めない方向にありがたい指示が間接的に所轄からでているので、なんとか調整をしなくてはなりません。連休中だというのに、銀行のATMでさえお休みでいいご身分だなあと思ったりしますが、まあ、バカな規則ばかりつくってくださるので、ありがたい限り。文句ばかり言っていてもしょうがないので、お仕事、お仕事!


続きを読む

2008年11月23日

塔を建てる前には費用を計算しなければならない

 ふわあ。やっぱりバッハの『管弦楽組曲』はいいですね。土曜日はボーっとしながら、全曲を聴いていたら、とても気持ちよくうたた寝をして目が覚めて再び聴くという幸福のひととき。クラシックに関しては聴いていて気もちがよければよいという「フリーセ○クス派」(学生時代に恩師とスナックでおごって頂いたときに、ひいきのママさんと私が恋愛の話ですっかり意気投合してしまって、「○○君、やっぱり時代はフリーセックスかね?」と尋ねられて、一瞬ポカン後、ははんちょっと妬いているのねとかわいいなんて不謹慎なことを考えちゃいました。それにしても、酔っ払っていたとはいえ、フリーセックスってなんですかと素で聴いてしまった私は救いようがない。いまだにフリーセックスの意味がわからないのですが)なのですが、バッハはいいですね。しばらく、音楽を一切、意識的に聴かないようにしておりましたが、無音の世界というのは、私の居住環境では難しく、かといって後期ロマン派のような精神的に不安定な人向けではないのかと思える曲は聴く気にもなれず、安易にバッハに流れてしまいます。

 リチャード・E.ルーベルスタイン著/小沢千重子訳『中世の覚醒 アリストテレス再発見から知の革命へ』(紀伊国屋書店 2008年 原著:Aristotle's Children: How Christians, Muslims, and Jews Rediscovered Ancient Wisdom and Illuminated the Middle Ages. Harcourt. 2003)は、紀伊国屋BookWebからのメールで知りました。タイトルがよさげだったので、5月ぐらいに、いかれた「外道」らしくアマゾンで注文したのですが(だって、1冊でも肺送料無料だしぃ、プライム会員だしぃ)、読む暇がないまま、積読状態に。深い意味もなく、今週になってから読み始めたのですが、著者のバックグラウンドがわからなくて、アリストテレスをあまりに現代的な意味での「合理性」から評価しているので、ちょっと大丈夫なんだろうかと思いました。英語の『Wikipedia』を読むと、専門がはっきりしないのですが、訳書では国際紛争解決となっているものの、英語の著作のタイトルを見ていると、とても守備範囲の広い方のようです。まだ、読み終えていないので、本書の評価は控えますが、第1章「『知恵者たちの師』――アリストテレスの再発見」の60頁に次のような記述があります。

 アリストテレスは老師(プラトン:引用者)が生存しているときにも、自分は独自の思想をもった忠実なアカデメイアの門人であると――まことにもっともなことに――主張することができた。彼はいわば「左派のプラトン主義者」であり、師の思弁を現実に引き戻すことによって、師の思想の最も優れた要素に忠実たらんとしていたのだ(60頁)。

 「左派のプラトン主義者」という意味がわからないのですが、そういう無学な読者にもわかりやすいように注(第1章注27)がついています。これを読むと、著者のスタンスに疑問をもってしまうのですが、他の注と異なって参考文献が示されていないので、著者自身の独自の見解なのでしょうが。

 プラトンに対するアリストテレスのスタンスが,師のヘーゲルに対するカール・マルクスのそれに似ていることを、想起せずにはいられない。フリードリヒ・エンゲルスはその関係を,マルクスは「逆立ちしたヘーゲルをひっくり返した」と要約している(481頁)。

 著者がアリストテレスを「左派のプラトン主義者」と読んでいるのは、「師の思弁を現実に」引き戻したからだということはわかるのですが、それが「左派のプラトン主義者」となるのがわからないです。イデア説というのはプラトンの方便であって、一つは真善美という価値をそうではない現実から導くことが困難であるということから、あえて、浮世とは別世界におかざるをなかったという感覚でしょうか。さらに、プラトンが描くソクラテスはそういう言葉を使わなかったにせよ、普遍とか真理とはなにかというのを対話によって語ってゆく。正確には普遍とはなにか、真理とはなにかについて問いを発しながら、そのものについては語らずに、対話相手の言葉の使い方の矛盾をついて真理という言葉をあえて真空にしてゆくような感じでしょうか。教科書的には真理という言葉が使われているその場で真理という語の使い方を示してゆくような感じ。ただし、対話編でソクラテスが駆使する論理はソフィスト顔負けの屁理屈のような気もしないでもないですが。ただ、以前、真理という言葉に当たるギリシア語は忘れられることの否定形であるという話をどこかで読んだので、ソクラテスの弁証法はギリシア語の文法という気もしないでもないです。

 対するアリストテレスですが、こちらは手強い。学生時代に一通り読みましたが、含蓄があるものの、まるで砂を噛むようなわかりにくさ。質料と形相、可能態と現実態などまあ読む方としては疲れたことは間違いないです。それにしても、存在を存在たらしめている本質に迫ろうという真摯さには打たれたような気が。原典を読み返していないので適当な話ですが、プラトンの「思弁」が「現実」と離れていたかのような認識は甘いような気が。『ティマイオス』ですら現実を論じているのではと思うのですが。アリストテレスとプラトンの違いはといえば、存在の本質を思弁のなかで存在そのものからとりだしたというアリストテレスの力量であって、どちらも見ていたのは現実であろうと。まあ、原典にあたって確認していないので「寝言」そのものですが。

 で、ヘーゲルとマルクスの関係ですが、めんどうなんで、ヘーゲルにとっての現実はマルクスにとっての「現実」よりはるかに広く、アリストテレス以来の哲学の流れではとてつもないことだったという感じでしょうか。マルクスは、所詮、ヘーゲルが現実として捉えていたものを捉えるほどの力量はなく、哲学でやってゆけるほどの才能がなかったので経済学に流れたという感じ。さらに、ひどいことを言えば、クールノーの現代経済学の基礎となる1838年の考察を受容するほど経済学の水準は高くなかったので、マルクス程度も食えたんでしょうね。学生時代にクールノーの訳書を読んでびっくりしました。150年も前に現代的な発想があったのに、なんで三流の経済学がもてはやされたのだろうと。そんなわけで、ルーベンスタインの学識の方が確かなんでしょうが、ちと読みながら信用して大丈夫なのかなと思いながら読み勧める日々です。


続きを読む
posted by Hache at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2008年11月21日

金融危機は続く……

 New York Timesが配信した"Stocks Drop Sharply and Credit Markets Seize Up"(November 21(参照))にあったグラフを見てのけぞってしまいました。グラフなので、大雑把な傾向しか把握できないのが残念ですが、モーゲージのリスクプレミアムが800ポイントを超え、社債も300ポイント寸前。記事では、各国の株式市場の惨状やアメリカ国内のシティグループの危機などこの1週間の動きをまとめていますが、素人にはこの1枚の図がきつい。本文ではほとんどふれられていないのですが、Markit社のサイトを見ると、モーギッジのトリプルA格の指数で、他の格付けの指数は見ているだけで滅入りそうです(参照)。素人なので社債のスプレッド(参照)にしても格付けがわからないのですが、他の指数と比べると最も低い値をNew York Timesの記事では使っているようです。経済指標を見ても滅入るばかりですが、さすがにこの指数は。以前、「出口を失ったマネー」という「寝言」でジャパン・プレミアムに関する文献(近藤順茂「わが国金融システム不安時におけるクレジット・スプレッドの決定要因」)から次の部分をメモしました。

 「ジャパン・プレミアム」に関する推計期間は1997年3月から1998年6月までとなっております。興味深いのは、コマーシャルペーパーのLIBORスプレッドと普通社債のLIBORスプレッドが1997年11月以降、「ジャパン・プレミアム」の上昇ともに拡大したものの、「ジャパン・プレミアム」の沈静化後も高止まりしたという指摘です(271頁)。

 むしろ、注意すべきは、社債スプレッドがシングルAでも1998年3月から10月の期間で60bp(0.6%)から160bp(1.6%)まで上昇し、1998年11月から1999年5月の期間では60bpから370bp(3.7%)近くまで上昇しているという簡潔な事実でしょう(279頁)。著者は、「いかにシングルA格へのリスク・プレミアムが370ベーシス・ポイントとはデフォルト・スタディからは正当化できないであろう」(280頁)と述べています。叙述が前後しますが、その背景にあるのは、CLOやCBOなどの活用がBIS規制の変化によって邦銀の資産圧縮の手段として機能せず、デフォルト・スワップが「こうした他商品への退路を断たれた邦銀にとり、比較的大きい金額を一挙に扱える資産コントロール手段として導入された」(274頁)という事情です。

 金融に疎いので、今回の金融危機と1990年代後半に日本が経験した金融危機を単純に比較するのには抵抗がありますが、あえて日本の話にたとえるのなら、1992年のバブル崩壊と1998年の金融危機が同時に起きていると考えればよいのだろうと。住宅ローンなどを通じて家計に、社債のリスクプレミアムの上昇を通して企業にも金融危機の影響が既に波及してきているのでしょう。困ったことに、先ほどの記事の中でも触れられているように、TARPは不良資産の問題の解決には使われておらず、金融政策だけ既に事実上、量的緩和の段階にまできているという感じでしょうか。それにしても、社債のリスクプレミアムの高止まりが、1990年代後半に日本が経験したように長い期間にわたって続くと、危険でしょう。ややこしいモデルを抜きにして、財市場が突然、回復するとも思えず、おのおのの財市場で「所得の減少→需要の減退→企業の収益減少→所得の減少」という状態になってくると、現在、話題になっている自動車産業以外にもいっそう調整を迫られる企業、産業が増えるでしょう。この状況下では、金融政策の目標は物価の安定ではなく金融システムの安定が最優先になり、財政政策はなにもしないよりはちょっとだけマシという状態になるでしょう。この場合、財政政策の目標は景気の刺激ではなく、社会の不安を除く社会政策としての意味が増すでしょう。さらにいえば、拡張的な財政政策が続けば、アメリカの財政の持続可能性に疑問符がつく可能性もあるでしょう。露骨に言えば、公債の信用は最終的には担税力で担保されているので、危機から脱するのにどの程度の期間が必要なのかさえ現時点では見当もつきませんが、長期では増税を説得せざるをえないでしょう。それが実現できない場合、インフレーションによる実質的な増税が不可避になるでしょう。

 これでもかと悲観的な光景を並べましたが、まずは金融システムの安定が最優先という事態は変わっていないように思います。ブッシュ政権からオバマ政権に変わっても、FRB議長が交代しないので金融政策そのものが大きく変わることはないだろうと。「変化」を強調されると、変わらないことはなんだろうという方に目が向くひねくれ者なので、FRBのトップは変わらないわねという程度の感覚ですが。バーナンキがやっていること以上の手段がないとすると、アメリカ経済の回復には予想以上に時間がかかりそうです。少なくとも、金融政策に従来のような景気刺激の効果を求めるのはばかげていると思います。

 それにしても、"depression"とはよくできた単語だなと。景気の落ち込みの結果なのかはわかりませんが、最近、スーツをビシッと決めている方の足取りが重く、電車の乗り降りでぶつかってくる人が激減して助かりますね。足が萎えているときにぶつかられると本当にたまらないんですね。これが。社会的には景気が回復した方が良いでしょうし、私の懐にもそれなりに恩恵があるのでしょうが、こういう時期には慌てず騒がず、足元をしっかり固めた方がよかろうと。もちろん、今回の経済危機が社会をより不安定にすることは避けられないだろうと思いますが。

 1929年の大恐慌は第2次世界大戦がなければ克服できたのか否かという点に関してはアメリカでも議論が収束していないようですが、今回の場合、戦争による「特需」というのはほとんど影響がなさそうです。冷戦期を除くと、これだけ公的部門が既に肥大化しており、さらに拡張する時代に入れば、市場の否定を前提とする社会主義とは異なる、経済の面での自由は様々な制約を受けるでしょう。経済危機の下では経済政策が外交政策に優先するという懸念もありますが、むしろ、厄介なのは、政策の選好の問題よりも、外交や安全保障に割ける資源が減少することでしょう。単純な、いわゆる「有効需要」の不足から経済危機が生じている事態よりも、やっかいな状態です。しいて、1930年代と共通点を探すのなら、オバマ政権への移行が進んでも、フランス大統領あたりがアメリカをバカにしたような態度をあらためないと、アメリカがひょっとするとですが、怒った挙句に孤立主義へ回帰してしまうかもしれません。ブッシュ政権の下で孤立主義への回帰はなくなったと思っておりましたが、世論ではそのような心情が強くなるのもいたしかたないかもと思ったりします。

 話がぶっとびますが、ルーベンスタイン『中世の覚醒』(小沢千重子訳、紀伊国屋書店 2008)という本を月曜日から読んでいるのですが、中途半端に宗教史と哲学史が混じる素人っぽい本だなあと(プラトンとアリストテレスの関係について第1章の注27でプラトンとアリストテレスの関係をヘーゲルとマルクスの関係と同じと考えているあたりは哲学の素人でも噴きそうになりましたが。アリストテレスは学としての哲学の体系化を始めたというのが著者よりも無学であろう素人にはしっくりくるのですが)。ただ、おそらくこの分野の素人さんであろう著者が中世には天国の存在が人々を慰めていたという指摘は素人らしく鋭いなあと。宗教では救われない現代の「中世」は、その重みに耐えられない人々が続出するのかもしれません。


続きを読む

2008年11月20日

「不惑」という不幸せ

 某巨大掲示板群からの速報を携帯電話で受信できるそうです。私は携帯電話をもってはいるものの、仕事の関係上、ほとんど電源を切った状態にしているので、電源を入れておくのは待ち合わせのときぐらいなのですが。そんな某巨大掲示板群利用者と携帯電話のヘビーユーザーから旧厚生省の事務次官経験者である、17日に山口剛彦さん宅と吉原健二さん宅が相次いで襲われたことを教えてもらい、驚きました。山口さんご夫妻は、お二人とも亡くなり、18日、自宅で一人だった吉原靖子さんが重傷を負ったそうです。亡くなったお二人のご冥福と重傷を負った方の一日も早い回復を祈ります。

 で、例の巨大掲示板群では旧厚生省事務次官を襲った事件を賛美するスレッドが多く、教えてくれた人が「これは怖い」ともらしていました。言いにくいのですが、8年近く前から見ている私などはネタスレぐらいしか見ないので、段々、鈍感になって、犯人も逮捕されていない状態では、単に騒ぎたい人たちが騒いでいるだけではと気の利かないことを言ってしまいます。報道では、吉原健二さんが1988年から90年まで、山口剛彦さんが1996年から99年まで旧厚生省の事務次官を務められたそうです。また、二人とも、旧厚生省年金局長を務めるなど年金行政に精通された方々だったようです。私がさっさと消えてほしい新聞では「年金テロ」などと称していますが、お二人とも退官されており、いわゆる要人テロとは異なる事件だという印象をもっています。

 件に乗じて騒いでいるのは、某巨大掲示板群に書き込みをしている人たちだけでなく、メディアも同様のようです。さっさと看板を降ろさないかとひそかに感じている新聞では、ウィキペディアに犯行予告があったかのような事実無根の記述をネットでも流したそうです。『朝日』は、ウィキペディアの更新時の時刻が「協定世界時」(グリニッジ標準時が地球の自転をもとに決まるのに対し、協定世界時はセシウム時計で測定されるが、ほぼ一致するように定められている)であることに気がつかずにその新聞社があたかもネットで犯行予告があったかのような記事を流したと指摘しています(参照)。ちょっと、うんざりしますね。件の新聞社は別件ではサイトのトップでおわびを掲載していますが、この件に関しては当該記事の関連記事にすらでてこない状態のようです(2008年11月19日晩)。もちろん、今回の事件は重大だと思いますが、やたらと騒ぐばかりで事実すらまともに伝えられないことの方が大変だなあと。

 時事通信配信の記事では、麻生総理が医師には社会常識がないと発言された後で、さすがに「本音」を言ったのがまずいと思ったのか、「首相は同日夜、記者団に『医者は友達にもいっぱいいるが、おれと波長が合わねえのが多い』としながらも、『そういう(社会常識の欠落という)意味では全くない」と釈明した』」そうで。安倍・福田政権の混乱をふしゅう(なぜか変換できない)された上で、みぞうゆう(なぜか変換できない)の事態がはんざつ(頻繁という漢字に変換できない)に生じる大変な政権運営のご様子。「俺と波長が合わない」と言われてしまうお医者さんはまともではないですかね。不出来な政権が2年以上、交代を挟んで続くと、景気の悪化もあってなんとなく閉塞感を覚えるのが人情というもの。携帯で某巨大掲示板群を見ている人は「メシウマ」のAAを見て他人の不幸を喜ぶなんてと心を痛めている様子でした。竜王戦第3局で敗れた渡辺竜王のブログで朝食も食べる気がしなかったとの記載にリアルでメシマズ状態ってプロとはいえ、いたたまれないなという書き込みもあったよとまだ楽な話題に転換しました。将棋がわからない人でしたが、勝負の厳しさというのは伝わったようです。盤外で励まされようが、けなされようが、指し続ける以外ないプロというのは尊敬しますね。話を戻すと、総理に「波長が合わない」と言われてしまうお医者さんは、この上ない賛辞を総理からいただいたのかもとひどい感想が浮かんでしまいます。


続きを読む
posted by Hache at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言

2008年11月19日

「グランドデザイン」のない国際経済(2)

 2008年の11月3日付けの『世界の論調批評』では「中進国の経済危機」という記事が掲載されています。ハンガリーやウクライナ、ロシア、ブラジル、パキスタン、ウルグアイ、ベネズエラなどが中進国として挙げられています。この記事では、中進国の「構造改革努力の不足」が危機の原因であると指摘した上で、今回の金融危機でアメリカをはじめとする先進国よりも、中進国の方がダメージが大きく、先進国が協調して国ごとに優先順位をつけて救済するよりほかないと結論付けています。興味深いのは、独シュピーゲル紙がパキスタンをとりあげて、政治的に不安定になれば核が地方軍閥の手に渡れば、一大事だと指摘していることを紹介していることです。上記の「中進国」で核を保有しているのはロシアとパキスタンです。ぐらいであり、仮に政治的危機に陥っても、パキスタンのような事態になる可能性は低いでしょう。ただし、いずれの国もIMFの融資がなければ、経済的に立ち行かないのであれば、政治的に不安定になり、地域的な紛争の種になりかねないのでしょう。また、この記事が指摘しているように、ロシアやブラジルなどいわゆる「BRICs」にまで融資を行うとなると、IMFの資金が枯渇してしまう虞もあるのでしょう。日本は気前よくIMFへの出資金を倍増することを「金融サミット(G20)」で表明しましたが、外貨準備が豊富な国が出資しないと、融資をしても返済の見込みがどの程度あるのかわかりませんから、IMFや世銀が資金不足に陥ることもありうるという指摘は妥当でしょう。

 気になる点としては、「米国、日本、EUの大国、産油大国、中国が知恵をしぼり、かつ、国ごとに優先順位をつけて助けるほかないでしょう」という指摘は正論だと思うのですが、これらの諸国がいつまで協調体制を維持できるのかは疑問があります。サルコジ仏大統領は「ドル本位制」の是正を求める主張を事前に表明していました。現実的にはユーロがドルを代替することは考えにくく、ユーロがドルの役割を意識的に補完してゆくのが望ましいと思いますが。以前、「『グランドデザイン』のない国際経済」という「寝言」を書きましたが、国際協調が安定的であるのかは、今回のG20では国際協調そのものはなんとか維持されたものの、アメリカの影響力の低下によって、判断が難しいところです。経済の面では、日米が融合することでアメリカの影響力の低下を可能な限り、抑制することが大切なのかもしれません。中国の意図はわかりませんが、日本のように「お人好し」とは思えず、他の諸国と比較して相対的に高い成長率を保っていることから生じる印象をてこに、カネを出さずに口だけ出すという方向に進む可能性が高いでしょう(率直なところは本土の社会的安定と東南アジアなど周辺諸国への影響力を維持するのがやっとなのかもしれません)。

 「金融危機で先進国以上に打撃を受けるのは、9月半ばの米国『投資銀行』破綻以前に、既に経済運営に失敗していた中進国です」という指摘そのものは正しい情勢認識だと思うのですが、先進国も足元の金融危機と財市場への波及が既に進んでいる経済危機に対応しなければなりません。自国の金融危機への対応が十分にできないまま、中進国の救済を重視してしまうと、国内的な政治的な説得力を失ってしまうでしょう。最近のメディアの論調で気になるのは、G20もとうとう「財政出動」にお墨付きをだしたかのような報道が目立つのですが、G20の声明(参照)では"Use fiscal measures to stimulate domestic demand to rapid effect, as appropriate, while maintaining a policy framework conducive to fiscal sustainability. "となっており、財政の維持可能性が保てる範囲内での財政政策を行うというだけの話です。むしろ、今後、各国が財政政策を行うにあたって、財政政策の維持可能性を保つ範囲にしなさいよと釘を刺したとさえ読めるでしょう。古典的な有効需要管理政策は理論的に無効という経済学の知見抜きでも、効果があっても、それはごく短期であり、実際にはとりわけ財政政策の場合、借り入れに見合うだけの効果が期待できない状況では、政府が国民の所得減少に無関心ではないという姿勢を示す程度の効果しかないと覚悟しておいた方が良いでしょう。また、金融政策では金融システムの安定が最優先であって、マネタリーベースを積み上げたところでマネーストックが増えるという状況ではありませんから(市中銀行が信用創造に積極的になり、かつ財市場に影響しなければ意味がない)、こちらも過度の期待は無駄だと思います。財政政策・金融政策ともに、政府や中央銀行が不況時になにもしていないという批判をかわすのが精一杯でしょう。

 それでいて、金融危機の克服にはアメリカでさえTARPで7,000億ドルを積んでは見たものの、ノンバンクまで対象を広げるとなれば、それで足りるのかさえ見通しが不確実な状態です。もはや、"bailout"というよりも、金融システム不安と信用収縮をある水準になんとか抑えるのがやっとだという印象すらもちます。危機以前の所得水準や危機によって生じている所得の減少や物価水準の動きに関しては中進国の方が深刻だというのは事実認識として誤ってはいないと思いますが、だから先進国が中進国を助けるべきだという正論は実現可能性(feasibility)という点で大きく制約されていることを忘れてはならないと思います。

 今後、先進国の政府は経済政策に関して国民の信認をうるのが困難な状況になることと思います。中進国への支援には限度がある。もちろん、先ほどの記事がそのことを理解した上での話しだということは承知の上ですが、先進国の制約条件が非常に厳しいということを強調した方が良いと思います。また、単に苦しいから助けるのではなくて、不況によって社会が不安定になり政治的危機が生じることを避けるという点から援助を考えた方がよいのでしょう。とくに、東欧諸国の政治情勢が不安定化すれば、地域紛争の種となりかねず、安全保障に割かなくてはならない資源が増大するリスクがあるのでしょう。

 また、IMFのデータ(参照)では世界的にはデフレーションの傾向が強まっていることに留意する必要があるでしょう。先進国ではデフレ、途上国ではインフレという分断された状態での国際通貨制度の運用はこれという「グランドデザイン」はなく、生じた事態に対処療法的に対応せざるをえないと覚悟した方がよいと思います。それが一時的な現象なのか、新しい体制への過渡期なのかさえ不明だというのが現状でしょう。

(補遺)あまりにひどい間違いがありましたので、訂正いたしました(2008年11月20日)。


続きを読む

2008年11月17日

続・「先手の利」か「後の先」か

 てなわけで、経済とか政治とかあまりまともに見ていてもしょうがないなという感じですので、日曜日はなんと第21期竜王戦第3局の検討という、ど素人には無謀なことで時間を潰していたら、あっという間に時間がすぎてしまいました。小難しい話は経済評論家の方たちがなんとかしなさるのでしょう。市井の人は、どうでもいいことで時間を潰していると、考え込んでしまいます。検討といっても、手順がぱっと浮かぶ棋力は皆無なので、「後の先」がどこまで通用するのかという、いかにもアバウトな感覚なのですが。ただ、本局では、羽生名人が結果的に渡辺竜王を圧倒した形でした。内容的にも羽生名人の言い分が一方的に通ってしまった感がありますが、ちょっと不思議な感じです。子どもの頃は、角換わりの将棋というと、先手から角を交換して、棒銀で攻め倒すとか、ちょっとかっこをつけて腰掛銀というあたりで、やはり後手から角を交換するという感覚は不思議です(木村定跡を並べたときには意味がわかっていなかったと思いますが、びっくりしました)。第1局の様なタイプもあるので、現段階ではなんともいえないのですが、先手に有効な対策がない限り、本局のようなタイプの一手損角換わりの局面を先手が避ける形になるのかもしれません。

 『竜王戦中継plus』(こちら)では、11月15日にさらに詳しい検討が加えられていて、他棋戦でも、これまでの竜王戦の中継でも珍しいです。中継サイトではA図に至る手順が不明瞭ですが、43手目から▲5三歩成、△4九と、▲2六角、△5九と、▲7七銀、△8六歩、▲同銀、△6九銀、▲5ニ歩という感じでしょうか。△8六歩をいれるタイミングが示されていないので自信がありませんが、上記のタイミングで△8六歩に▲同歩ですと、△8七歩が入って非常に危険な感じ。△8六歩を入れるタイミングはこのあたりでしょうか。△8六歩を入れない場合は、素人目には後手がやはりさせる感じですが。

 『第21期竜王戦中継』HP(こちら)の「棋譜plus」では34手目羽生名人が3三桂とはねたときに、次のような解説があります。

「羽生さんはこの将棋にするつもりだったんですね、午前中でここまで進めるということは」(真田七段)
11時半頃、消費時間は渡辺1時間2分、羽生1時間4分。
この将棋は過去に5局(先手1勝、後手2勝、1持将棋、1千日手)。最新の将棋は9月に行われた王位戦第7局▲羽生−△深浦戦の▲7七銀(羽生負け)。その将棋以外は▲7七角と指している。
控え室にNHK解説の行方八段が登場。「この戦型に過去の歴史を考えていました。王位戦は▲7七銀だったんですよね。でも、それ以降は指されていない。懸案の局面なんでしょう。▲7七角は△4四角と、佐藤流であまり自信ない。あ、▲7九玉と引く手はありますね。この一ヶ月間で、この将棋に対する全体の見方というか流れがずいぶん変わったと思います。」
森下−熊倉戦の第2局は、熊倉女流1級が勝ったようだ。「いやいや、お強いですねー。びっくりしました」(森下九段)
ここで昼食休憩に入った。消費時間は渡辺2時間29分、羽生1時間4分。


「▲7九玉は初めて見ました」(羽生)
「▲7七銀は自信持てなくて、▲7七角も冴えないので本譜を選びました」(渡辺)

 上記引用にもあるように、第49期王位戦第7局(棋譜などはこちら)では、まったく同じ手順で35手目に羽生名人が▲7七銀と指し、深浦王位は△3六歩と進めて、羽生名人は▲5四角と角頭を攻めています。ここまでは竜王戦と異なるのは▲7七銀と▲7九玉の違いだけですが、38手目には王位戦の検討陣が激しい順として挙げた、△3七角成という手がでています。以下、▲3七同桂、△同歩成、▲2六飛、△4七とと進んでいます。このあと、7七の地点で銀桂交換をして△8六歩、▲同歩、△8七歩と進んで、深浦王位が左右両翼から羽生名人の玉を囲む形になりました。ここでの形勢は正直なところわかりませんが、羽生名人の攻めを、深浦王位が飛車先を止めたりして和らげて勝っています。竜王戦第4局の解説で△8六歩を入れるかどうかが検討されているのはこのあたりのこともあるのでしょうか。私の棋力ではとても読み切れませんが。それにしても、壁銀を解消する手がかならずしもよくないとなると、先手の手が相当、制約されている印象です。

 翻って、この進行では35手目で先手が自信をもって戦える手が少ないのかもしれません。この進行自体、一手損角換わりの進行手順の一つに過ぎませんが、「先手の7九銀が0手で8八に移動した。すなわち後手一手損。将棋はたくさん指したほうが必ずしも有利というわけではないというのが、この作戦の骨子になっている」という後手の主張が通りやすい進行なのかもしれません。私の棋力では「寝言」そのものですが、先手が8八銀とするタイミングを後手が選択できるという効果が、この進行手順では如実にでてくるのでしょう。ただ、42手目では次のような解説があり、悩ましいです。

羽生はたいして時間を使わずに踏み込んだ。早い流れ。止まらない。
「止まったら死ぬって感じですね」(行方八段)
「もしかして終局の新記録を作ろうとしてるのかも…」(真田七段)
渡辺はしきりに首を振っている。胸の内は「羽生さんは何を勘違いしているのか」なのか「おいおい、これで負け?勘弁してくださいよ」なのか。
「断言しがいのある局面になりましたね。羽生勝ちです」(行方八段)
16時14分、モニターから渡辺竜王の大きなため息が聞こえてきた。羽生は席を立っている。
しばらくして、今度は「いやー…」。羽生はまだ戻ってこない。


「本譜を思えば▲5三歩成でしたね」(渡辺)


 王位戦第7局と比較すると、後手をもって羽生名人は38手目に△37歩成と深浦王位よりもさらに激しい手順を選びました。王位戦での深浦王位、竜王戦での羽生名人はともに大きな駒損ですが、竜王戦の方が居玉の玉頭に歩が進んでくるだけに、リスクが高いように素人目には映ります。「自宅警備飛車」の横利きが強いとはいえ、ここまで踏み込むのはさすがに相当、怖いです。さらに研究が進んでゆくのでしょうが、一手損角換わりの将棋で、この進行は後手の主張が通りやすい手順なのかもしれません。この将棋のみをとりあげて、「先手の利」か「後の先」かという問題に一般的なことはなにも言えませんが、フォロワーがリーダーにさらに先に進まざるをえない状況をつくることができる場合、「後の先」が生きるのかもしれないと感じました。

 私の場合、わけのわからない記号を使っていますが、将棋の世界はうらやましいものです。考えることと実際に指すことが一致して、それを試して結果を出すというのはちょっと憧れてしまいます。もちろん、間違っても、将棋棋士になろうとは思いませんでした。棋力があまりに低いがゆえに、中学時代には超えられない壁を感じて、「読み」からバッサリ捨てていましたから。それにしても、やはり勝負の世界は厳しい。渡辺竜王のブログで、「1日目の夜に48手目△5四歩の局面が思っていたよりも悪いことに気が付いて、自分にしては珍しく3〜4時間しか眠れませんでした。朝食も食べる気分ではなく、足取り重く対局室へ向かいました」とあって、淡々と事実と心境だけを語られていますが、ふだん健康であるがゆえに、このような肉体的な疲労に精神的な厳しさが重なるのは、私のように(頭がいかれているのは別として)年がら年中、病気ばかりしている者とは異なる、むしろ、はるかにつらい状態でしょう。渡辺竜王も王位戦第7局の将棋を知らなかったわけではないでしょうから、先手番で難解な手順を受けて立った(この時点で「後の先」なのかもしれませんが)ことはなかなかできることではないと思いました。


続きを読む
posted by Hache at 08:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2008年11月16日

経済危機ラプソディ

 土曜日にNHKのBS1の番組、『地球特派員』の「悪夢はいつまで続くのか 世界金融危機 アメリカからの報告」を見ました。録画もしたので、あとはDVDに落とすだけと思っておりましたが、微妙な感じ。ノーベル賞受賞決定直後にクルーグマン先生にインタビューというのはタイミング的にはすごいなあと思いましたが、インタビューで彼が答えていることはあまりおもしろくなかったです。

 番組全体でも、最近の議論でも言えることですが、規制強化が必要なことはみんなわかっているのだけれども、具体的にどうするのかというアイディアとなると、乏しい。露骨に言えば、規制など非効率の塊のようなものですが、政府が市場の代わりをすることはできず、補完するのがやっとという事実自体は変わらないわけで、あまり政府に期待をもたせるのはどうかなと。もっとも、伊藤洋一さんの感想はおもしろくて、番組の最初の方でふだんのようにジョークや明るさがあるけれど、どこかでみんな不安を抱えているように見えるというあたりでしょうか。まだ始まったばかりですが、このような状況とどれぐらい付き合えばよいのかすら見当がつかないというところでしょう。あくまでニューヨークというアメリカでも特殊な都市の話でしょうが、アメリカ人の気分の一端を伝えているあたりがよかったと思います。

 不謹慎ですが、番組ででてきた4億円(記憶違いかも)の豪邸は、一度でいいから住んでみたいなと思ったものの、部屋の間取りや数を考えると、使用人を雇えるぐらいの収入と資産がなくてはダメなんだろうなと。いずれにしても、あのような家が飛ぶように売れるという時代は、二度と戻ってこないのだろうと感じました。

 クルーグマンあたりが実体経済への影響をどのように見ているのかが聞きたかったのですが、番組内では責任者はグリーンスパンだとか、コラムみたいな話でちと興ざめでした。正直なところ、ひいてしまいましたが、森永卓郎氏がGMの救済に環境保護技術の開発を目的にカネを入れるべきだと主張されていて、正直に企業救済と言わないと、政治的に説得するのがかえって大変だろうなと。いまさら、環境技術の開発のためにお金を入れると政府が表明すれば、その程度の危機感しかないのかという反応や「本音」と「建前」の違いが露骨すぎて反発も予想されます。最悪の場合、変なアナウンスをしてしまうと、政府の足元を市場が見て、かえって破綻を早めてしまうでしょう。

 もっとも、政策的に守るべき対象が企業なのか、アメリカの自動車メーカーが支えてきた雇用なのか、年金・医療などの社会保障なのか、面倒なようでも整理してゆかないと大変だろうなと思います。ひどいことを言ってしまえば、アメリカのメーカーが潰れても、政府が労働市場対策を行い、公的な社会保障制度を整える方が「社会的費用」が少なくて済むのなら、その方がよいのでしょう。現実問題としてGMが破綻するという社会的なショックがアメリカ人にとってどの程度なのかがつかめないと、政策がどの方向に向くのかすら、予想ができません。

 日本のポジションがよくなるという議論も私の頭では理解不能でした。空幕長のわけのわからん作文は別にしても(おかげでもっときつい経済危機への感覚を麻痺させてくれる程度の効能はあったのかもしれませんが)、日本政治は混迷し、金融危機の影響とは関係なく、景気は悪化しています。いわゆる「財政出動」にせよ、「金融緩和」にせよ、政府が危機へ無関心ではないというアナウンス以上の効果を期待できない状態を先進国ではまず日本が経験し、欧米が追随しているだけのような気もします。こんなものは「痛み止め」にすぎないのだが、それもしないとなるとさすがに政治的にまずい。日本のポジションがよくなったのではなくて、欧米も日本に近づいてきただけなのではというのが率直な実感です。まあ、この状況下でも消費意欲がもてるだけの所得と資産をもっている人たちが集まっているところにゆけば、景気が悪いと実感できないのは当たり前で、無闇に経済統計が整備されたおかげで集計量から導かれる平均からかけ離れたところにいると、この程度で済むはずがないという意見も出てくれば、本当に景気が悪いのかという意見も出てくるというだけの話でしょう。

 レバレッジを抑えた投資銀行なども紹介されていましたが、2000年代のような「バターも大砲も」という時代は去って、地味な時代に入る象徴でしかないのでしょう。金融工学が悪いというのは笑うしかない。かなり乱暴なたとえですが、核兵器が出現したら、核物理学が悪い(唯一の被爆国では物性が物理学でも圧倒的で、よく素粒子論とかでノーベル賞受賞者がでるというのはある意味、驚異ではありますが)というような感じ。技術をどう活用するのかというのは、結局、人間だということが忘れられていて、むしろ、経済評論家(いわゆる「エコノミスト」)の世界はしみじみ「脳死」状態なんだなあと実感しました。

 規制や救済にはアメリカ連邦政府の説得力がどの程度なのかということが肝要です。こちらではオバマが政権への期待値を上手に下げてゆくことが大切だが難しいということを書きました。番組内でも、大統領選挙直前のアメリカを取材した伊藤洋一さんがオバマ政権への期待感は、思ったほどでなければ、急速に失望に変わると指摘されていました。このあたりも番組では十分に議論されずに、終わりました。2009年に新政権が発足すれば、しばらくは悪かったことはブッシュ政権に押し付けることができるでしょうが、「ハネムーン」が短ければ、非常に困難でしょう。余計なお世話ですが、オバマは自分の理解や説得力が弱いと思っているところではついやりすぎる気がします。もちろん、気のせいでしょうけれども。

 既に、欧米も金融危機を金融セクターの問題に封じ込めることには失敗して実体経済に波及している以上、実体経済の悪化が金融セクターの悪化につながるというスパイラルに入ってくるでしょう。この連鎖をとめる方法はいまだに原理的にすらわかっていないので(原理的にわかっても政策手段として実現可能な話にできないと難しいのですが)、番組で揶揄されていた「絆創膏」で政策が後追いする事態が続くことを覚悟した方がよいのでしょう。


続きを読む