2008年11月03日

敗戦でえた資産を守るには

 田母神氏の作文の内容についてはいろいろツッコミをされている方もいらっしゃるようです。通常の国であれば、空軍のトップの方が披露された歴史認識としては、あまりに悲しい感じもいたします。読みようによっては、「日本は(コミンテルンに操られた愚鈍な)ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行」し、結局、首都をはじめ大都市が焼け野原になり、広島・長崎に新型爆弾を投下されてボロボロになり、ソ連の参戦で心が折れて滅亡したというひどい歴史観になってしまいますからね。まさに「当時の我が国の指導者は(ミエミエの罠をまるで見抜けなかった)みんな馬鹿だったと言わんばかりである」という、これほどひどい自虐的な歴史観を読んだのははじめてです。コミンテルンの「暗躍」があったことは漸く史料で確認できる状態になったところで、こんな作文がでては、まともに研究しようという人にとってはかわいそうな気もします。

 クリントン政権の時代には日米関係がこじれたときに、自衛隊と米軍の連携が最後の砦となってきました。冷戦後も日米安全保障体制は、日本にとってだけでなくアメリカにとっても必要な枠組みでした。日本の地理的な位置が大きいのでしょうが、自衛隊の練度の高さや規律のレベルの高さなどがアメリカから見ても、侮れないという現実があったのでしょう。他方で、現在では海自におけるイージス艦の情報漏洩や「しらね」のCIC(戦闘指揮所)への中国製冷温蔵庫の持込による火災など、海自が主ですが、自衛隊の規律自体に疑問をもたざるをえない問題であり、また、「友軍」である米軍の信頼感を損なわせる不祥事が生じています。マスメディアが「あたご」の事故に集中してくれているおかげで、危機感が薄くなっている印象があります。MDの配備・運用では情報の共有が必要となりますが、大丈夫だろうかと感じてしまいます。

 さらに、沖縄をめぐる米軍基地の問題は解決をみたとはいえない状態です。私も威勢のよいことばかり書いておりましたが、日米間の安全保障をめぐっては解決しなければならない問題が多く、なおかつマスメディアが長期的に取材して問題を追跡するという状態ではありません。

 六カ国協議の枠組みを極東の地域協議機関に格上げしようという動きがアメリカ国内で強まっています(こちらこちら)。「現実主義者の平和論」で高坂正堯先生が「極東ロカルノ方式」を提唱した頃とは時代背景が異なる部分が多く、とりわけアメリカが中国抜きでは極東の政策をマネージできない状態だということを象徴しているのでしょう。冷静に見て、アメリカは日本よりも選択肢が広く、地域集団安全保障体制を目指す方向に動く可能性は否定できないでしょう。その際、日米安全保障体制を代替するのではなく、補完するように用心深い日米関係の強化が不可欠な条件です。アメリカも中国の言い分を完全に通してしまっては利益が相反することも多いでしょうから、日本というパートナーが不要となる可能性は低いでしょう。過度に悲観する必要はないのでしょう。しかし、基地問題やMDの配備、情報の共有体制などを考慮すれば、これまでの日本側の対応のスピードを考えると、日米安全保障条約を廃棄までゆかなくても、形骸化するインセンティブをアメリカ側に与えかねません。

 今日の安全保障問題をめぐる混乱は、戦争に負けたこと自体というよりは、占領期のアメリカの再三の再軍備要請にあまりに消極的だった吉田茂の「負の遺産」とその後も、再軍備に関する合意形成を怠ってきた結果でしょう。以前、「統治の不在」という表現をしましたが、今後の合意形成は戦後世代が多数を占める中、「憲法改正」や「東京裁判史観の克服」といった問題の本質を曇らせかねないスローガンによるのではなく、この国の安全を守るための死活的利益はなにか、それを実現する手段はなにか、その手段の費用対効果はいかほどかなどを議論する土俵を作る地味な作業になるでしょう。ただ、そのような作業に入るには日米安保が存続できるのかというところまで追い込まれなければ、党派的対立が克服できないのではという一抹の不安がありますが。


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