2008年12月15日

ブッシュ大統領のイラク訪問

 経済危機の苛烈さにイラク戦争・占領統治をめぐるブッシュ政権の対応には十分に注意を払うことができていませんでした。Wall Street Journal紙は、AP電としてブッシュ大統領が2008年12月14日にバグダードを訪問したと報じました(参照)。Yahoo!で配信されている記事とは内容が若干異なるようで、今回は両者の読み比べというより、まだ私自身、整理できていない雑記です。

 金融危機がなければ、ブッシュ政権からオバマ政権への移行で最大の焦点となったのは、イラクの占領統治の後始末だったのかもしれません。オバマ次期大統領は、イラクからの全面撤退を進めると発言しましたが、現在でも、この発言が生きているのかは、私の情報収集不足でよくわからない点があります。いずれにせよ、2007年から今年の春にかけて増派によってイラクの治安情勢は大幅に改善し、米軍の段階的撤退がアメリカとイラクの間で合意できるところまで回復しことは2006年頃の情勢を考えると、感慨深いものがあります。もちろん、戦争後の占領統治の不首尾やアブグレイブの屈辱など、何度も絶望感を感じる時期がありました。

 それでも、しきりに言われた「ベトナム化」とは異なる困難がありました。通常、ベトナム戦争と対比する場合には、ナイーブに「泥沼化」を意味していたように思います。松尾文夫さんは、「ベトナム化」に関して、2006年12月16日の「ベトナムとは違う『一人勝ち』の悲劇」(参照)でベトナム戦争の「出口」として共通する点として、「私が重要だと思うのは、超党派のISG報告書の底流に流れる内向きのエゴイズムである」という鋭い指摘をされています。私自身は、ISG報告書では結局、イラクを混乱に陥れるだけであろうというナイーブな見方をしていましたが、松尾さんは鋭く、「ベトナム化」の本質を見極め、なおかつベトナム戦争よりもイラクの占領統治の方がはるかに困難であることを明快に指摘しています。

 後知恵ですが、ベトナム戦争とイラク戦争の相違は、前者がベトナムによる民族独立、あるいは人民解放戦線(背景には冷戦下における米ソの対立がありますが)というアメリカといえども抗しがたい潮流に向き合わなくてはならなかったのに対し、後者は民主化という目標が加わったために、フセインの独裁体制を倒した後のイラクの国家建設にまでアメリカが関与せざるをえなかったということなのでしょう。イラク戦争は、「アメリカ一人勝ち」という力関係の下で複雑な側面をもちました。少なくとも、(1)対テロ戦争の延長として中東の心臓部に米軍を送り込む、(2)「バグダードからエルサレムへの道」という中東の安定、(3)イラクを改造することによって、アラブ諸国において民主主義が定着した国家を創出するといった様々な思惑があったと考えております。

 12月1日のABCにおけるブッシュ大統領の発言を英文で確認しておりませんが、大量破壊兵器の問題は、紛れ筋であったと思います。「イラク戦争の『本当の理由』」という「寝言」で、やや露悪的に「口実」、「因縁」と表現しておりますが、ブッシュ大統領が大量破壊兵器の問題をどの程度、重視していたのかはわかりませんが、政策決定者の認識にもかかわらず、先に挙げた問題がイラク戦争の「必然性」ではなく、誘因となったと思います。イラク開戦当時は、アメリカの選択肢が広いように見えたからです。少なくとも、イラク戦争は「戦わなければならない戦」ではなかったのでしょう。

 結果的には5年近い歳月と、4千人を超える米兵の犠牲、6,000億ドル弱の戦費、そしてなによりも、フセイン体制の下で抑圧を受けていたとはいえ、イラクの市民はあまりに多くの犠牲と負担を負わなくてはなりませんでした。それは、彼らが望んだことではなく、アメリカの強制と不手際によるところが大でした。私自身は、イラク戦争の是非そのものに関して断定するほど強い根拠を示すことができませんが、なんとか駐留協定にまで達したとはいえ、やはり払った犠牲は大きいと感じずにはいられません。

 他方で、ブッシュ大統領は、"The work hasn't been easy, but it has been necessary for American security, Iraqi hope and world peace" と語ったそうです。また、タラバニ大統領はブッシュ大統領をイラクの自由化を助けた友と呼んだとのことです。果たして、段階的撤退後、イラクが自ら安定を保てるのかは疑問がありますが、イラクが反米国家ではなく、アメリカの軍事的関与を受け入れ、民主国家として自ら意思決定できる状態になれば、イラク戦争の必然性を示すものではありませんが、結果的に戦争は単なるアメリカの「暴走」ではなかったといってよいのでしょう。