2009年03月22日

とてつもない国をつくるわよ(実践編) 国際経済の危機と『三國志VIII』?

 いろいろ慌しいようですが、原因不明の発熱に花粉症の潜在的症状などで集中力がまとまらない状態です。A.I.Gのボーナス問題では、だいたい米紙はポピュリズム批判と金融安定化への支障となりかねないことを主張している状態で、ごもっとも。対象となる範囲は経営者だけではなく、トレーダーにも及ぶようで、邦字紙の報道よりもかなり広いようです。主たる問題は、(1)法的問題(法の不遡及に反する)、(2)金融安定化のために必要な資金を受け入れるインセンティブを殺いでしまうこと、(3)公的資金を受け入れている金融機関から人材が流出したり、努力を行うインセンティブを損なうリスクなどでしょうか。下院で成立した法案があまりに筋が悪いことは明白でしょうが、それ以上にこのような法案がでてくる素地が気になります。"populist anger"(House Approves 90% Tax on Bonuses After Bailouts(参照))というのはあまりに抽象的で(たぶんアメリカ人には自明だからでしょうが)、どのあたりで感覚的につかめるのだろうかと。もちろん、損失を垂れ流して公的資金を受け入れている金融機関が多額のボーナスを手に入れるというのはあまり不条理だという感情はわかりますが、どのあたりでそういう雰囲気が表出しているのかがわかりにくいです。

 ただし、経営責任の問題を先送りしてきたこと自体は事実でして、The Market Tickerでも、"AIG Derivatives Guys: Just Do It (Seppuku)"(参照)を見たときに、やっぱりこれですかという感じ。昨年の9月から急激にバタバタと対策がとられて、ことが急を要する自体だっただけに経営責任の問題を先送りしたこと自体は賢明だったと思いますが、この問題がすっきりしないのは事実でしょう。以前、金融機関に対して過度に懲罰的になることを懸念した「寝言」も書きましたが、先週の半ばぐらいまでMadoffが話題にならない日がないぐらいのおかげで、金融業界以外の人々がどのように業界を見ているのかは容易に想像がつく上に、Madoffの話題が大きすぎて、端緒となったサブプライムモーゲージに象徴される腐敗の問題などはあまりに先送りされてきた感もあります。ガイトナー財務長官までが腐敗した一部ととられ、オバマ大統領の説得力が低下するのは非常に危険な状態です。あれこれ書こうかなと思いましたが、既にまとめている方も少なくないので、メモ程度で終了です。これはうっかりしておりましたが、この問題で身動きがとれなくなることは容易に予想できることですが、その場合には経済合理性の問題の範囲外だから、ブッシュ政権がすべて悪いという形で処理するしかないのではと思いましたが、人事を考えると、継続性を重視したために、それ自体はまともな判断だと思いますが、政治的な解がないまま推移するリスクが高いでしょう。さらに、アフガニスタン問題でチェイニー前副大統領がオバマ政権の政策批判をして、オバマ大統領がちょっと感情的ではないかという反論を行うなど、オバマ政権が一気に乱気流に巻き込まれてコントロールが難しくなりつつある印象です。

 「日本経済の将来構造はいかにあるべきか」という話が少ないというご意見もあるようですが、アメリカ経済自体が見通しが立たず、EU圏はさらに深刻な信用リスクを抱えている現状でそのような動向から切り離して日本経済について論じるのは限界があまりに大きいでしょう。外交問題でアメリカやその他の国の情勢を考慮せずに外交政策を論じるのと同じ程度にナンセンスな話です。相互依存が深化した世界で日本だけがアメリカがどう転んでも保険をかけるというのは無意味な議論でしょう。

 嫌らしく名指ししませんが、「経済のサービス化」は先進国共通の現象で、特定の政策によってもたらされているわけではなく、就業者別でみれば、1970年代初頭がが第2次産業に従事する就業者の割合がピークに達した時期です。この30年間でも1980年に第2次産業の就業者数は全産業の約34.8%でしたが、2005年には約27.0%に低下しています。そもそも経済の場合、政策的な誘導が所期の目的とは反したり、思わぬ結果を招くことが少なくありません。戦後復興期ならばともかく、高度経済成長期でも政府が日本経済の「あるべき姿」を描いてそれに民間がついてゆくという時代ではなく、池田内閣の「所得倍増計画」が象徴的ですが、経済政策から独立して経済の進むであろう方向性を敏感にかぎとってそれに政府が追従してゆく方向へと転換してきました。

 今後、必要になってくるのは、市場では解決できない問題に政府がどのように関与してゆくのかという消極的な問題であり、そのような消極的な姿勢ですら、経済を撹乱する効果をもつことに十分な配慮をどのように行うのかという技術的な問題です。技術的な問題であって、イデオロギーや「べき論」などは捨ててかかるべきというのが私のイデオロギーです。今回の金融危機ですら、市場が機能不全に陥っても、金融市場で過剰な介入を行えば、市場はそれに応じて反応しているのが現状です。「かくあるべし」という壮大な構想にもとづく議論ではなく、より事実を重んじ、後追い的と批判されながらも市場を用心深く損なわないように政府が補完してゆく政策が必要でしょう。

 一例を挙げれば、医療などで「市場原理」なるものをさらに導入するべきという議論もありますが、あまり同意しかねます。医療の特性や既存の制度があえて乱暴に表現すれば、供給側である医療機関、需要側である患者あるいは予防医療を含めた利用者にどのようなインセンティブを与えているのかを無視して、一方で単にカネを増やし(これは政府の権限を強める方向に作用するでしょう)、他方で「市場原理」の導入というのはわかりづらいでしょう。個々の市場(医療分野がそこまで金銭的なインセンティブで動いているのかは用心深く評価する必要がありますが)の特性を無視した「グランドデザイン」など無意味な時代です。ただし、国際通貨体制は究極的には市場のように自発的に形成されえない部分が大きく、今後も金融危機への対応からどのような変化が生じるのかを冷静に観察するのが最もプライオリティの高い分野でしょう。もっとも、これとて事前の「グランドデザイン」にもとづいて今後、再構築されるのかすら先入観をもたないほうがよいだろうと考えます。


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posted by Hache at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言