2009年05月31日

不思議な社会(音量注意)

 いかれた「外道」には今の朝鮮半島情勢は中国にとって「チャーンス」というところかなと考えておりましたが、ことはそれほど単純ではないようです。あまりに露骨ですが、朝鮮半島では協力するが、台湾では中国の自由を認めろとアメリカに迫ってきたら、どうするんだろうと思っておりましたが、そういう気配はあまりないようです。あまりに素人的な発想なので、単に元々ない線なのでしょう。正直なところは、北朝鮮の乱暴さに中国も立腹しているものの、崩壊されても困るという点では扱いに困っているのだろうかと。

 さすがに、いかれた「外道」でも書くのがためらわれますが、北朝鮮の振舞いは乱暴そのものですが、ああいう、ある種の「バカ」はもうこの国ではできないのだろうなあと。乱暴な話ですが、北朝鮮の体制は、私自身、嫌悪感を覚えますが、長い期間にわたって国としてまとまってきた地域が分断されて武力による統一を目指すとなれば、やはり全体主義的な色彩が強くなるのではと思うところもあります。全体主義という表現自体がやや強いので、社会における集権的な意思決定と考えた方がよいのでしょうか。分権的な意思決定が主流になるにはやはりそれなりの前提条件が必要であり、現代における難問は、全体主義という表現が象徴するように集権的な意思決定に対する嫌悪が強いものの、やはり分権的な意思決定メカニズムが集権的な意思決定メカニズムを完全に排除することはできないという古代以来の問題をなにか現代特有の問題として考えてしまうところにあるような気がします。あくまでそんな気がするだけで、気のせいにすぎないのかもしれませんが。

 例によってふらふらYouTubeを見ていたら、こんな動画が目に付きました。再生する方は音量にご注意を。



 最初は、なんじゃこりゃと思いましたが、結構、替え歌としては成立していて、へえという感じ。ただ、ニートの問題はどうも苦手で、この替え歌が象徴しているように、価値の問題が先にたちすぎているのが気になります。うまく表現できませんが、若年労働者の問題は、これだけ少子化対策が叫ばれながら、現実に社会に出ようとする若い人たちに機会があまりに少ないことなのではという程度の感覚で見ております。私が子どもの頃には、日本は天然資源には恵まれていないけれども、人的資源を活用して敗戦からここまで立ち直ったのだという感覚が残っていたように思います。若年労働者の問題というのは、今後、日本社会を担ってゆくであろう人たちが単に雇用機会に恵まれないだけではなく、社会自体が人的資源を活用するメカニズムが徐々に衰退してゆく過程を象徴しているように感じます。

 それにしても替え歌がよくできているので、原曲はどうだったかなと思ったら、ちゃんとあるのでびっくりしました。



 「ニート」つながりで『宇宙戦艦ニート』というのもありましたが、『残酷なニートのテーゼ』ほどではない感じでした。もともと、勧められてなんとなく見た『新世紀 エヴァンゲリオン』でしたが、絵がきれいなのと音楽がよくてちょっと感心しました。ただ、クラシックなどを除くと、オリジナルの曲は全体として退廃的な印象です。『宇宙戦艦ヤマト』にはそのような雰囲気はなく、30年でこうも変わるものかと不思議な感覚です。原曲の方を聴いて、ちょっと懐かしい気分になりました。



たぶん、再放送でしか見たことがないのですが、小学生のときに『ヤマト』を見終わった後、アニメはほとんど見なくなったような記憶があります。オープニングソング自体は、それほど凝っているわけではありませんが、時代の差を感じますね。ささきいさおさんが熱唱しているのも見つけたので、自分用に貼っておきます。



 ちょっと変わったところでは、陸上自衛隊音楽隊が松本零士氏を迎えての演奏があって、野外であるにもかかわらず、音がよく響いていて、感心しました。コメント欄を見ていたら、「陸自もののアニメが必要だな.ヤマトは海軍だろ」とあって、こんなところで旧軍のセクショナリズムみたいな話が出るとはねえと苦笑しました。マジレスするなら、『宇宙戦艦ヤマト』は地球防衛軍所属ですからね。カノン砲が途中で使われているあたりは自衛隊ならではでしょうか。



 あ、いくら「時の最果て」とはいえ、全く関係のない話になってしまいました。こうして見ると、1970年代というのは国内も国際情勢も大荒れでしたが、まだ日本人のエネルギーが残っていたんだなあと感じます。20年後には頽廃の兆しがあり、30年後は衰退というところでしょうか。老いは誰しもやってくるものですが、上手に老いを迎えることができるのか。ただ、若年労働者の問題は先進国に共通している部分もありますが、不思議な話だと、ちょっと間の抜けた感想ですが、そう思います。
posted by Hache at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2009年05月30日

朝鮮半島情勢への「寝言」的アプローチ

 そういえば、最近、プレゼンを見ながら、アニメーションが多いPowerPointを使った話がやたらと増えたなと感じておりました。業種・業界にもよりけりですが、昔は見た目と内容に負の相関があるだろうと考えておいて間違いなかったのが、相関があるように感じなくなって不思議でした。で、金曜日は「発注元」の強い要望にしたがって、アニメーションとイラスト、テキストには3Dと「お砂糖」たっぷりの資料作成で終わりました。散々、PowerPointに悪態をついておきながら、忸怩たる気分になりますね。おかげで6月の分はPowerPointも使わずに激辛の資料を作ってやろうと陰険な「野望」に燃えております。

 そんな気分ですと、精神衛生に悪いところに手がいってしまうものでして、うっかり「国家基本政策委員会合同審査会」、通称「党首討論」を読んでしまってげんなりしました。言いにくいのですが、自民党は野党準備政党になりつつあるのだろうかと不安になりました。まさか、西松建設の問題をまともにとりあげるとは……。同世代ですと、民主党には政権担当能力がないと感じているものの、自民党の能力低下を懸念している人が多いのですが、さすがにこれは。「小沢院政」という批判の手口はコテコテの自民党支持層を結束させる効果がありそうですが、そうじゃない層にはまだそんなことをやっているのかという反応になりかねないのでは。露骨な表現をすれば、どちらもう○こだなあと思いつつ、まだマシな方を選びたいという、いわゆる「無党派層」という存在を忘れているのでは。討論というよりも、意味もなくとげとげしく、外交や安全保障でコンセンサスを形成するという、私自身が最も高いプライオリティが高い分野はそっちのけで、これも党派的な意見ではありますが、きたる総選挙で自民党が負け渋ればよいものの、大敗したときには相応の覚悟が必要だなと思いました。

 くそみそに党首討論のことを書いておりますが、「参議院インターネット審議中継」で聞きますと、本当に気もちよく眠れますね。「夜戦」中に聞いていたら眠たくなって、目がさえてしまいました。これって、以前、同じ体験をしたのではと検索して見ると、やはりこんな「寝言」を書いておりました。聴くタイミングさえ間違えなければ、効能は抜群ですから、寝る前にはよいのかも。「寝言は寝てから言え」を地でゆくような話ですが、三鷹小学校の話なんていい話だなあと流せばよいのにね。

 中途半端な時間に聞いたせいで中途半端に目が覚めてしまいました。例によってAP電が読みたくて米国のヤフーにアクセスすると、ニュースのトップではありませんでしたが、やはり朝鮮半島情勢がヘッドラインにきていました。すべての記事を読んでいるわけではないのですが、これからは活字紙よりもネットでの配信の順番の方がどの程度、注目をされれているかを読みとれるのではという感覚で見ております。私が想像していたよりは朝鮮半島情勢がヘッドラインにくる頻度が高いので、意外感があります。ただし、やはり海の向こうのメインは経済であり、Sotomayorが最高裁入りするかどうかというあたりのようではありますが。

 
 目に付いたのは、APが配信した"North Korea slams Security Council as hypocrites"という記事ですが、これを読むと、核武装は米朝交渉を引き出すための手段と見るのはやはり一面的かもしれないと感じました。北朝鮮は相当の確率で、核武装を交渉の手段というよりも、それ自体を目的としているのかもしれないと感じます。もちろん、北朝鮮のレトリックと割り切ってしまうことも可能ですが、国連安保理に制裁を行う道義的理由がないという主張は、単に制裁を回避したいというだけではなく、核武装を認めよという開き直った態度のようにも映ります。

"There is a limit to our patience," the statement said.
"The nuclear test conducted in our nation this time is the Earth's 2,054th nuclear test. The five permanent members of the U.N. Security Council have conducted 99.99 percent of the total nuclear tests."

 APの記事は突っ込んだ分析がないのですが、通信社電の中でも事実を淡々と記しているので、余裕がないときには助かります。案の定と申しますか、安保理の動きは鈍いようで。現政権の最大の弱点は、これから実現しようとする政策の期待値を上手に操作する能力が欠如していることだと思いますが、相変わらずですなあ。要は、仮に強力な制裁措置を含む新しい国連安保理決議が採択されても、予想は現時点では北朝鮮が核武装した状態がいつまで続くのかを予想することは非常に難しいと思いますが、核武装をした北朝鮮という存在が北西にあるという状態に日本人は適応してゆく必要があります。日本の言い分が通った場合でさえ、そうなのですから、決議が採択されない、あるいは微温湯的な決議で終わった場合は、長期戦を覚悟する必要がでてくるのでしょう。

 現段階で、この代替的な問題に直接的に触れることは政治的には拙劣でしょうが、国民を説得するためには用心深く備えておく必要があると思います。この記事では表面的なことにしか触れておりませんが、2006年の核実験のときとは比較にならないほど、米韓同盟はよりを戻しつつあることをざっと読んだ他の新聞の電子版でも感じます。李明博大統領がすばらしい手腕を発揮しているというよりも、前政権があまりに無謀なことをしていたので単にまともなことをするだけでも効果が大きいのでしょうが、両国が軍事を中心にコミュニケーションがとれているのは、私には日本の安全にとっても大切だと感じております。

 遺憾なことに、直接的に日本の安全を確実にする日米安全保障体制はお寒い。露骨に言えば、日米安全保障体制が失われれば、仮に自衛「隊」が自衛「軍」になっても代替することは無理でしょう。アメリカも敵に回ることを考慮しなくてはなりませんから。ただちに日米安保体制が崩壊するという事態を想定しているわけではありませんが、日本側が与野党関係なくコンセンサスとしているということをより強い形で示すことが肝心だと思います。


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2009年05月28日

朝鮮半島情勢への陰謀論的アプローチ

 通勤電車でマスクをしている方が日に日に減る日々です。先週から読書というよりも、書類を読む量が半端ではなくなりました。仕事が増えているのは事実ですが、どうも私の要領が悪くて毎日100枚程度は、少なくとも目を通さなくてはならず、疲れてきます。おまけに、失礼ながら定量的な分析をしているとは思うのですが、定義がはっきりしないのでさっぱりわからないものまでつきあわなくてはならず、疲れてしまいました。日本語がほとんどですが、論点を整理するだけで面倒なので、仕事で手一杯です。恥ずかしながら、全国で都市ガス事業者(一般ガス事業者)が200を超えるという基本的なことも知らなかったので、不勉強さゆえの苦労が絶えませんが。というわけで今週は完全に手抜きです(要はいつものペースです)。疲れた、いかれた「外道」の頭で陰謀論的に朝鮮半島情勢を見てみましょうというわけで、「新型」の「寝言」といった風味でしょうか。

 盧武鉉前韓国大統領が自殺しましたが、率直なところ、まったく感慨がないです。2006年にこんな「寝言」を書いていますが、今でも基本的な見方は変わりません。図式的に表現すれば、韓国が反日でも無害だが反米となると有害だということです。李明博大統領が韓国でどのように評価されているのか、最近、韓国の人と話をする機会がないので残念ですが、日本にとって、対米関係という点では有害ではなく、米韓同盟の建て直しが首尾よく進んでいるのかは自信がありませんが、盧武鉉政権よりも好意的に見ております。

 次に北朝鮮の核実験ですが、不謹慎ですが、さすが将軍様、やると言ったら、やりましたねというのが率直な実感です。短距離ミサイルを発射するのも恒例行事といえばそうなのですが、妙にしつこいなという感覚がありました。タイミングをあれこれ憶測する向きも多いのですが、「時の最果て」ですから、そんな正常な感覚とはつきあいきれません。後継者争いも、まあいい。どうせ憶測の域をでないのですから。どうせだったら、もっといかれたことを書きたいというのが、「時の最果て」の流儀ですが、それどころじゃない。

 で、たまたまアメリカのヤフーのトップページ(GMがらみもあって日本のヤフーはスルー状態)を見たら、ロイターが配信した"North Korea threatens to attack South if ships searched"(参照)を読んでいて、PSI(Proliferation Security Initiative)に韓国が参加することに北朝鮮が猛烈に反発していることがよくわかります。記事自体は、マネロンがらみの金融「制裁」(これ自体は2006年の核実験との関連が薄いと思いますが)や北朝鮮内部の後継者争いなど、これまでの経緯を上品に、微妙に事実の背景の誤解を交えながら整理していると思いますが、韓国がPSIに参加するのがよほど北朝鮮を立腹させているのだなと思いました。

 ここから完全に陰謀論なのですが、長くなりましたので、「続き」でもどうぞ。なお、文中、敬称や肩書きを略したり、略称を用いておりますが、単に面倒なだけで他意はありません。前文は文字通り読んでください(自殺した人間に対して冷たいのは否定しませんが)。


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2009年05月25日

平成の「高野山の決戦」

 日曜日に第67期将棋名人戦第4局をまとめて見ました。戦型は相掛かりで序盤早々から定跡から離れて手将棋に。60年以上前の将棋を意識したのか、角筋を開けずに飛車先の歩を交換する将棋になりました。子どもの頃に好きだった戦型の一つですが、構想がいろいろ立てられるのが理由の一つです。局後の感想戦では、郷田九段が24手目△7四歩としたあたりで5五角から8二角という構想をもっていたというのは興味深いです。ただ、ちょっと軽いと感じたそうで、羽生名人が▲3六銀として、26手目の△7五歩では自信がなかったそうです。パッと見た感じでも、8五の飛車の横利きが消えるので指しにくいかなと。ひょっとしたら▲2五銀へ誘導しているのかなと深読みしましたが、素人浅知恵でした。封じ手は、ブログでの予想を外して、棋譜解説にあった松尾七段の▲5六歩。羽生名人は直線的な▲2五銀では成算がなく、曲線的な戦いを選んだようです。

 棋譜解説には、昭和の「高野山の決戦」(1948年)に関する大山十五世名人の著書からの引用が掲載されていました。升田幸三八段(当時)と大山七段(当時)が塚田正夫名人(当時)への挑戦権をかけての三番勝負が全局、高野山で行われたとのこと。2月の終わりから3月の初めという厳しい時期に高野山で三番勝負というのも厳しいです。小学生ぐらいのときでしょうか、升田幸三さんの自著、『名人に香車を引いた男』(書名が間違っているかも)を読んで、駅馬車定跡がひどく印象に残りました。

 それはともかく、「錯覚いけない、よく見るよろし」で有名になった第3局では、大山十五世名人の回顧によると、その前に大山十五世名人が勝ち筋を見落としていて、悪手を指していたと30年以上たってから振り返っていて、「将棋とは奥深いものだと改めて驚き、感動した」と語っています。手順が示されていないので、お手上げですが、棋譜を並べて見ると、どうも130手目あたりがにおいますが、はっきり勝ちとなる順というのは素人にはわかりません。139手目が読み落としというのは棋譜を見れば、さすがに素人でもわかるので、「終盤は悪手の海」という竜王戦の棋譜解説にあった表現を思い出しました。この三番勝負自体がいわくつきのようですが、素人にはわからないので、省きます。

 話を平成に戻して、こういうタイプの将棋は指し手の好みが大きいので、手の善悪よりも個性を楽しんだ方がよいのでしょうか。ただ、28手目の△3三桂はあまり見たことがありません。2日目のBS中継が国会のおかげで、夕食休憩の6時にずれ込んだおかげで、ちょうど山場の局面でした。羽生名人が1筋を突いて、2筋の歩を再度、交換したのはプロには意外だったようで、タイミングの感覚がやはり素人とは異なるのだなあと思いました。57手目、羽生名人が▲2四飛と走ったところで、夕食休憩を迎えて、解説者の福崎九段も大忙し。立会人の内藤九段が登場して、どこが笑うところなのか、わからないこともありましたが、面白かったです。

 内藤九段の「負けた将棋は並べたくもない」の一言を福崎九段が上手に受けていましたが、素人には勝っても、負けても、完全に並べることができないのが悲しいものです。冷静に考えれば、プロともなると、例外の方もいないわけではないのでしょうが、棋譜を完全に覚えてしまう。こういう心理面の話が最近は減っているので、興味深いです。あとは、昔の名人はいばっていたけれども、権威もあったとのこと。木村義雄十四世名人は「僕が負けた将棋が名局だ」とおっしゃっていたそうで、これは自分を負かしたぐらい相手がよく指したという自信の表れだそうで。大山十五世名人は、形勢を尋ねられると、どちらをもっても指せますねと答えていたそうで、こちらは自分だったらどちらでも勝てますよという自信とのこと。

 これが伏線で、しきりに郷田九段が盤側で見ていると、呻いたり、ため息をついたりして、将棋を知らない人が見たら投了するんじゃないかというぐらい、声がしたそうで、それを見ていると、どうも郷田よしではないかとしきりにおっしゃっていましたが、最後に福崎九段に形勢判断を尋ねられると、「こういうときはどちらをもちたいかと尋ねるもの」とのことで、立会人としてははっきりいいづらいのかなと福崎九段。注文どおり、福崎九段が尋ねたら、それまでしきりに郷田九段のしぐさから郷田有利と見ているのかなと思ったら、先手をもちたいとおっしゃるので、ありゃま。失礼ながら、大山名人気分で答えたいものの、あれだけ郷田九段もちのような発言の後で、しっかり落ちをつけてくださるあたりはただ者ではないなあと。ただ、単に受け狙いだけではなく、どちらをもっても難しいというあたりを上手に表現されるものだなと感心しました。

 再開後の△4五桂では、後手の角道がしっかり開いて、素人目には後手がよさそうにも見えますが、▲3四飛と寄られると、自信がありません。死んでも△3三歩とはしたくないものの、かわりの手が浮かばない。指されてみれば、なるほどですが、△3一歩。ちょっとつらい形ですが、角道を止めるよりははるかによいのでしょう。これに▲4五銀と歩の頭に跳ねてきた桂馬を外した手が難しいところ。私だったら、玉砕覚悟で2四桂とでも打って飛車を渡しても金銀を剥がして勝負でしょうか。

 それにしても、羽生名人がどこの歩をどのタイミングで突くのかが難しかったと感想で語っていたそうで、感覚や読みを考えると、比較すること自体、おこがましいのですが、プロでも難しいのだなあと。手将棋では珍しくはないのですが、名人戦で最終盤まで居玉のままというのはあまり見たことがないです。今期で最も短い手数の将棋になりましたが、対局者の個性がある程度ですが、出ていて、楽しくみました。これで第7局までもつれてくれないかなあと(以下略)。


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posted by Hache at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2009年05月21日

難しい局面

 帰宅して名人戦でもと思ったら、東京都で新型インフルエンザの感染が発生とあって、記事をよく読むと、帰国した女子高生でした。ついで川崎でも発見。近畿圏のように国内での人から人への感染とは異なるので、学校名まで公表する必要はないのではと思ったら、さすがは天下の『産経』ですね。取材側が押し切ったことを誇らしげに記事にしていて、口あんぐり。これには参りました。やはりといってはなんですが、水際では陰性だったのが、PCRで陽性となると、「水際対策」の縮小というより、これでも自由の点で微妙ではありますが、追跡調査が必要になるのでしょうか。ちょっと、わからないです。それにしても、検査結果が出るのが速いので、現時点では余力があるともいえる。

 ただ、神戸市はPCR検査の限界まで5日でしたから、首都圏で国内で人から人への感染が発生すると考えるとゾッとします。私が見せてもらったSARS対策用のマスクは「3M」のブランドでした。さすがに、ここまでのマスクは使用しないのでしょうが、医療機関の消費するマスクも尽きかねない。ちゃんとソースを確認していないのですが、ウィルスの塩基配列も刻々と変化しているそうで、「第二波」がいつ来るのか、あまり決め打ちもできないでしょう。ただし、20日時点では弱毒性であり、抗インフルエンザ剤に対して耐性のあるウィルスは発見されていないとのことでした。

 素人が悩んでもしょうがないのですが、単純に「水際対策」をやめるわけにもゆかず、他方で国内での人から人への感染が全国的な規模に広がる可能性も否定できないのが現状でしょうか。罹患した女子高生の方には申し訳ないのですが、局面が複雑化して、こうなってくると、トレードオフがいたるところで生じるため、意思決定が難しいと思います。最悪なことに、国会は民主党の新代表が選ばれたこともあって、再び党派間対立が強くなっているようです。本当に情けなのですが、首都圏で流行でもしないと、新型インフルエンザでも超党派でコンセンサスにもとづいて協調ができない人たちのようで、ため息が出ます。

 もっとため息が出るのは、昨日、リンクした内閣官房の「新型インフルエンザ対策」(参照)のページにある「新型インフルエンザ対策ガイドライン」を読み落としていたことでした。よく見るよろし。実に細かく「地域封じ込め」まで想定されていますが、検疫に関しては、「国内での感染が拡大し、対策を続けることの意味がなくなったと考えられる時点で、通常の検疫体制に戻す」とあり、今回の感染例で、検疫の不備(簡易検査では発症後、1日程度では陰性となることが少なくない)が露呈したものの、域内感染が進んでいない首都圏ではやはり検疫そのものを解除することは難しいでしょう。また、水曜日に耳に挟んだ話では、想定よりも強毒性のウィルスへの変異が速く生じるかもしれないという話もあり、国内では弱毒製の新型インフルエンザが近畿圏で広がりましたが、国内だけではなく、海外からより毒性の強いウィルスが運ばれるリスクも無視できない状態です。

 あと、「新型インフルエンザ対策ガイドライン」には「事業者・職場における新型インフルエンザ対策」(pdfファイル89−126頁)が独立した項目として立てられいていて、職場内における対策として次の項目が挙げられています。

・対人距離の保持
・手洗い
・咳エチケット
・職場の清掃・消毒
・定期的なインフルエンザワクチンの接種

「対人距離の保持」は現実には難しいでしょうから、私の職場でもマスク着用が当たり前になりました。さらに、「第2章 新型インフルエンザの基礎知識」の「感染防止策に有効な個人防護具と衛生用品」ではマスクが第1に挙げられており、次のように記述されています(102頁)。


・ 症状のある人がマスクを着用することによって、咳やくしゃみによる飛沫の拡散を防ぎ、感染拡大を防止できる。ただし、健康な人が日常生活においてマスクを着用することによる効果は現時点では十分な科学的根拠が得られていない。そのため、マスクによる防御効果を過信せず、お互いに距離をとるなど他の感染防止策を重視することが必要となる。やむを得ず、外出をして人混みに入る可能性がある場合には、マスクを着用することが一つの感染防止策と考えられる。
・ 一般的な企業の従事者においては、家庭用の不織布製のマスクを使用することが望まれる。マスクの装着に当たっては説明書をよく読み、正しく着用する。特に、顔の形に合っているかについて注意する。
・ マスクは表面に病原体が付着する可能性があるため、原則使い捨てとし(1日1枚程度)、捨てる場所や捨て方にも注意して、他の人が触れないようにする。
・ なお、家庭用の不織布製マスクは、新型インフルエンザ流行時の日常生活における使用においては、医療用の不織布製マスク(サージカルマスク)とほぼ同様の効果があると考えられる。
・ N95 マスク(防じんマスクDS2)のような密閉性の高いマスクは、日常生活での着用は想定されないが、新型インフルエンザの患者に接する可能性の高い医療従事者等に対して勧められている。事業者においても、新型インフルエンザの患者に接する可能性が高い者においては、使用が想定される。しかし、これらのマスクは、正しく着用できない場合は効果が十分に発揮されないため、あらかじめ着用の教育・訓練が必要となる。
・ マスクの使用の詳細については、別途、厚生労働省が定める。


 大企業を中心にマスクを大量に購入するのは、単純に過剰防衛とはいえないのでしょう。厚生労働省が実際に事業所などにどのような指示を出しているのかはわかりませんが、災害時と同じく、第3章で「事業継続計画策定の留意点」まで触れていますから、平板に表現すれば、ガイドラインにしたがって行動しているだけとも言えるでしょう。

 あまり整理できていませんが、難しい局面をあえて乱暴に整理すれば下記のような状態ではないかと。

(1)米国より帰国した首都圏での感染例は、「水際対策」の限界を示した。他方、その後、帰国した生徒が通学をせず、自宅待機のまま、治療に移行したため、18日深夜時点では首都圏での域内感染に至る事態は確認されていない。

(2)「水際対策」で実施されている簡易検査では「陰性」だったことは水際対策の限界を示している一方、首都圏で域内での感染が生じていない以上、ただちに停止または縮小をすることも難しい。

(3)理由の一つは米国などにおける新型インフルエンザのウィルスの塩基配列が刻々と変化しており、現在は弱毒性・抗ウィルス剤が有効ではあるものの、いつ、どの段階で強毒性あるいは抗ウィルス剤耐性をもつウィルスが出現するのかは予見が困難なことである。

(4)神戸市の事例を見ると、首都圏でのPCR検査は数日程度で能力の限界に達するリスクがある。18日現在では首都圏における域内感染は発生していないが、絶対的な物資不足が深刻になるリスクもあり、弱毒性かつ抗インフルエンザ剤への耐性をもたないウィルス感染を前提にしても、対応が困難になる可能性を無視できない。医療機関の対応が飽和する前に「行動計画」では想定されていない準備を行う必要がある。他方で、これは既に域内感染が進んでいる地域における物資不足などを加速させてしまう可能性もあり、短期間で他地域における流行が収束しない限り、慢性的に医療機関の対応に制約を課す事態が想定される。


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posted by Hache at 07:00| Comment(4) | TrackBack(1) | 不幸せな寝言

2009年05月20日

「新型インフルエンザ対策行動計画」に見る実務家の戦略倒れ

 念のために記しておきますが、私は医学的な知識は専門家ではない人たちの平均かそれ以下ですので、「寝言」とはいえ、かなり自分でも怪しい話が多いと感じながら、書いております。伊藤洋一さんが紹介されているD. G. Mcneil Jr. , "Debating the Wisdom of 'Swine Flu Parties'" (New York Times, May 6, 2009(参照))は興味深く読みました。また、私の語学力を暴露しておきますが、前半のキーワードの一つである"chicken pox"の意味がわからないので、辞書で引いて、ああ水疱瘡のことかという水準です。'chicken pox parties'が実際に行われていること自体、初めて知りましたので、驚きましたが、医師のコントロール下で行えば、強い免疫力がえられるというのはなるほどです。

 'Swine Flu Parties'が現実的な対策なのかは私では手に余るのですが、記事で指摘されている、(1)H5N1型や抗インフルエンザ剤に耐性をもつタイプが出現した場合、ワクチンの有効性に疑義があること、(2)ワクチンの生産能力が20億単位ほどで需要に追いつかない可能性があること、など議論がでてきている背景は重要な指摘だと思います。ワクチンを救世主扱いする社説が日本では平気で流れるので、'Swine Flu Parties'そのものは思考実験の域をでていない印象はありますが、このような背景自体は抑えておく必要があると思います。

 話が脱線しますが、大学生のときの記憶が曖昧ですが、少なくとも高校時代までは毎年、インフルエンザの予防接種を受けましたが、1年おきぐらいでかかりました。もちろん、予防接種で行われるタイプと実際に流行するタイプが異なることは避けられないので予防接種自体の有用性を否定するつもりはありませんが、大学卒業後、一度だけ予防接種を受けた年に最も厳しい症状のインフルエンザにかかったので、それ以降、自分から予防接種を受けたことはありません。今回の新型インフルエンザのワクチンの議論に直接、結びつけるのは無理がありますが、ワクチンが万能ではないという、おそらく素人的ではありますが、そのような感覚はもっていた方がよいだろうと。

 この話をもう少し掘り下げたいのですが、京阪神における新型インフルエンザの感染者数の増加を免疫をつけるという点で「攻めの姿勢」で見ることも可能だという伊藤さんのご指摘は興味深いと思います。ただ、報道で伝えられている医療機関への負担を考えると、当初、想定されていた強毒性の新型ではなく、弱毒性の新型だったという点を割り引いても、厚生労働省の「新型インフルエンザ対策における基本方針」はあまりに問題が多く、とくに、事実上、感染拡大期に入っている状態では物資の不足が目立ち、戦争じゃありませんが、兵站、あるいはロジスティックスの発想が欠如していることを痛感します。この点に関しては、医療用の機材や薬剤などの流通経路に関する理解が不十分なので、単にメディアが報じる現象面しか見ていないのですが、感染者数が増加したとはいえ、1000人を超える事態ですらないのに、この状態は「基本方針」の無様さを露呈しているように感じます。

 本題に入る前に、「時の最果て」らしく、とりとめのない話から。まず、最近、「いらない子」と感じてしょうがない国会ですが、やってくれますね。『読売』の「参院が見学者にマスク着用求める、衆院は兵庫・大阪に限定」という記事(参照)を読むと、衆議院は兵庫・大阪からの見学者はお断りとすればよいのにとすら思います(国会というところは、兵庫・大阪を温かく支援するのではなく、冷たく隔離したいのだという姿勢が明白になりますからね。「痛いニュース」あたりで盛り上がるネタを提供できるのでは)。この国で最も高い地位と権限をおもちのある方たちの集まる場で、兵庫・大阪だけ「VIP待遇」する効果を理解できないというのは、驚きです。

 『朝日』の「『国会封鎖を回避せよ』衆参両院でも新型インフル対策」という記事(参照)では「参院への来館者は、国会見学など1日約3千人。参院は1週間分のマスク2万1千枚を備蓄し、さらに1週間分を追加発注した。衆院はマスク8万枚を備蓄している」とあり、現地では新型・季節型を問わず、患者用のマスク(あとで見ますが予防用としてはマスクの効果は控えめに見ても限定的)を感染者数が拡大している地域では喉から手が出るほどほしいでしょう。いったい、この国の「選良」はなにをやっていらっしゃるのか、理解に苦しみます。ま、前から理解できることの方がごくわずかですが。

 笑ってはいけないのでしょうが、笑えるのが『朝日』の「学会にも影 渡航自粛で軒並み欠席『なぜ日本だけ…』」(参照)という記事です。見出しに関連する問題自体よりも、日本の異常な検疫体制に嫌気をした、記事を読むとアメリカの研究者が多いのでしょうが、渡航者が減少していることは笑うしかないですね。もう既に国内感染が進んで「水際対策」が失敗しているのにもかかわらず、厚生労働省はどうせ「大本営発表。神戸・大阪など特殊な地域において若干の感染者が生じたもの、わが軍の被害は軽微なり。水際作戦は概ね功を奏せり」と肯定的に評価してくれないかなあなんて期待してしまいます。こんなムダなことに資源を費やして、そうでなくても渡航者が減るであろう状態ですが、「観光立国」とかサービス業へのシフトとか笑っちゃいます。見出しに関する点は、旧文部教官も所詮はサラリーマンなので、勤務先の指示に逆らうことは難しいだけでしょう。

 というわけで、厚生労働省の「新型インフルエンザ対策における基本方針」をぼろかすに叩く話になりそうですが、実は月曜日から読んでみたところ、非常に味わい深いものがあります。なぜ、実務家の戦略倒れが生じるのかという点では興味深いのですが、あとは無味乾燥な話になりますので、お暇というか「好き者」の方だけどうぞ。


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2009年05月19日

新型インフルエンザに関する報道

 新型インフルエンザが騒がれる中、4月下旬でも季節性インフルエンザの感染者数が推計17万人を超えているようです(参照)。職場で話をしていると、年配の方はご存知で、30−40代の人は「季節性でしょ?」という反応。新型インフルエンザへの対策が必要なのは理解できるのですが、季節性インフルエンザの死亡率も0.1%程度ですが、やはり一年では万単位ですし、さらに他の疾病が疎かになっては話になりません。新型インフルエンザの感染者数がどんどん増えているので予断を許しませんが、なにせ、総理は相変わらず、あっちふらふら、こっちふらふらとバランス感覚が悪くて「国民の皆さんの冷静な行動をお願いする」とおっしゃっているそうですが、パニックになったという話は聞いたことがなく、まずは新型インフルエンザで死亡者が出てあんたの支持率が下がる恐怖感からまずは総理ご自身が冷静になっていただきたいものだなあと。

 それにしても、常に斜め右上をゆかれる『産経』には頭が下がります。休校になった高校の生徒がカラオケボックスで遊んでいるとか、「後手に回った行政や学校現場の対応」とありながら、学校側が保健所の指導に従っただけ(学校が医療機関なみに対応しろとでも言うのでしょうか)としかとれない記事を配信していて、宅配でとっていた頃から「デムパ」新聞(経済関係は『日経』以下的水準)と感じておりましたが、とうとう全開ですね(カラオケボックスの話などzakzakあたりがちょうどよいと思うのですが、『産経』で『夕刊フジ』みたいな記事を流した方が読まれるというソロバン勘定でしょうか)。「医療現場大混乱 発熱外来はパンク状態」(参照)という記事は前半まではそれなりにリアルな描写で唯一まともな感じがしたので最後まで読みましたが、「国は、発熱などの症状に加え、感染者発生国への海外渡航歴がある場合に限り、新型への感染の可能性があることから、直接医療機関に行かないように要請している。しかし、海外渡航歴などがない患者についても、病院側が診察を拒否してしまったという。誤解が原因だが、医療不信にもつながりかねない」というあたりで意味不明になって産経語がわからないと理解できないという素敵な記事です。「感染者発生国への海外渡航歴がある場合に限り、新型への感染の可能性がある」という前提が崩れている状態で、国内で初の発症例が生じてから、海外渡航歴の有無にかかわらず、呼吸器系の疾病の症状や発熱などで問い合わせが殺到している兵庫県や大阪府の医療機関が「パンク」しかねない状態のときに、こういう記事を書く論理的思考のあり方が不思議です。

 『朝日』の悪口を散々書いておりますが、イデオロギーが絡まない、あるいは希薄な記事ではやはり信用できる部分もあって、「『渡航歴』診断基準で新型見逃す 感染急拡大の原因」(参照)という記事は、最後の部分がちょっと微妙な感じですが(4月下旬はA型も増えている)、「医療体制のパンク寸前」という状態の背景を描いています。

 ただ、「国がつくった机上の想定が、『現実』に追い越された」という表現は物足りないものを感じます。「机上の想定」 と実際があわないのは珍しいことではなく、問題はあわなかったときの対処で、『朝日』の関西版では橋下徹知事が舛添大臣へ積極的に休校等の措置を働きかけて説得したように描く一方で、『読売』は舛添大臣が助け舟を出した形になっていて、自治体レベルでの新型インフルエンザの広がりへの対応のプロセスはまだよくわからない部分が大きいのでしょう。

 私が子どもの頃にもインフルエンザが猛威を振るったときには休校になったことがありましたが、都道府県単位で休校というのはやはり異例の措置でしょうし、難しい部分もあったと思いますが、現時点では兵庫県と大阪府に集中している状況では学校のように感染の機会が多い場を1週間程度、閉鎖するのはやむをないのでしょう。『産経』ではそのような面倒な問題をきちんと取材して分析する能力がないので、自治体レベルの努力を小馬鹿にするような記事が多いというだけのことでしょう。

 てなわけで『産経』を読んでいたら、斜め上か煽り記事しかないのが購読していた頃からよくわかるのですが、ここまでとは。この新聞は忘れて、『朝日』で指摘されている診断基準を厚生労働省のHPで探したのですが、どうもでてこない。疑っているわけではないのですが、厚生労働省が公表している診断基準には明示的には書かれていない印象です。

 ついでにといってはなんですが、厚生労働省の新型インフルエンザに関する基本方針を見つけて読んだのですが、さすが実務家らしくいろいろな可能性を検討された上で「戦略」を打ち出しているのですが、これが実に味わい深いです。学者の理屈倒れ、実務家の戦略倒れを実感する文章ですが、ちょっと時間がないので、また別の機会に。


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2009年05月18日

初夏の夜長?

 雨が上がってちょっとさわやかな夜です。秋風のようにも感じますが、ほどよい涼しさで、日曜の夜ですが、仕事をしてしまいました。極秘事項ではありますが、自分の好きなことをして飯を食べているので、それなりには世間様にうしろめたさはあります。「寝言」にするほど進んだわけでもないので、また折を見て、考えたい話を整理したという程度ですが。

 5月16日の民主党所属国会議員による投票の結果、代表に鳩山由紀夫氏が選ばれました。と書いてつまってしまうのですが、メディアでは岡田克也氏に好意的な報道が多かったのがちょっと不思議でした。私の印象は、能吏であって能臣ではないなという感じです。もっとも、2004年の参院選では消費税増税を掲げて善戦されているので、郵政選挙は相手が悪すぎた感もありますが、愚将ではないのでしょう。民主党にとくに思い入れがないからかもしれませんが、小沢氏が西松建設の献金問題で辞任されたわけですから、政党としての政策の転換を議論する場にはなりにくいので、こんなものかなと。

 民主党規約11条の7に「任期途中で代表が欠けた場合には、代表選挙規則にもとづく選挙によらず、両院議員総会において代表を選出することができる。この場合、新たに選出された代表の任期は、欠けた代表の残任期間とする」とあります。通常の代表選挙を行うこともできたのでしょうが、路線そのものを転換する話にはならないので、メディアとしてはコンテンツ不足で不満なのでしょうが、それなりに賢明な選択という気もします。

 麻生政権が「景気対策」という名目で民主党の政策をかなりの部分取り込んでしまったので、選挙の争点は経済政策がメインになりそうですが、大した差がない状態でしょう。お遊びで書き出したのですが、この「寝言」の肝は、元ネタでは答案用紙の名前を書き換えるところなのですが、民主党のバラマキでは財政が破綻しかねないので薄めてやればよかろうと(はてなあたりで前半で漢字が読めないから逆ギレして消費税増税を言い出したというあたりは違うんじゃないのと書かれていたようで、「はてな村」というのはなんとよい人たちが集まっているのだろうと感心しました)。

 後は「顔」の問題ですが、支持者ではない身としては大した差がないのではと。鳩山氏が幹事長を務めていただけに、「小沢院政」などと言われてしまいますが、岡田氏も副代表だったわけで、そんなに二人で差が出るのかなと。ただ、岡田氏が『報道ステーション』に出演していて、民主党が政党交付金に依存しすぎているので献金の集め方を検討しようというのは論点としては必要かなと。私自身も、こんな「寝言」を書きました。ただ、実際問題として個人献金が集まらない状態では具体策が難しいとは思いますが。幹事長あたりで処遇して金集めと人材探索(『信長の野望』とか『三國志』のノリですな)で頑張っていただくというのがよいのではと。民主党のご健闘とご活躍を心より願っております?


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posted by Hache at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2009年05月17日

幸運がやってくるとき 去るとき

 5月14日の「寝言」からよけいな話をすべて削除しました。正確には、投稿前に書いていたことに余計なことを書いたら、アダルトサイトからのトラックバックが10件近く来て、うんざりしたので、ちょっと話がかたいかなと思って付け加えたところをすべて削除しました。過疎地であるのにもかかわらず、「寝言」の内容とは無関係なトラックバックが毎日のように5−10件届くのでうんざりしています。アクセス数がはるかに多いサイトを運営されている方は大変だなあと思います。あまりに面倒なので、疲れているときにはなにも見ずに一括して削除していますので、ご容赦ください。再度、トラックバックを送信していただいて、コメント欄でお知らせしていただくと助かります。

 昨年から血栓性静脈炎の治療が続いているのですが、エコー検査では昨年9月の段階での血流の滞った状態がほとんど改善していないようです。来月、詳しい結果がわかるのですが、足のむくみがひどいときも少なくないので、いよいよ持久戦模様です。他方で、下の世代の方には申し訳ないのですが、本年度も相対的に仕事量が少ない状態ですが、それでも会議がやたらと多く、疲労が溜まる一方です。昨年度から業務改善を図っているのですが、じっくり考えて見直しをする余裕がなく、その場しのぎが続いてなかなか思ったようには進みません。また、外部の仕事も増えたのですが、不景気のせいか、事務処理が滞っている様子で、参ります。自分の仕事を他人に評価して欲しいぐらいなのですが、年齢的には他人の成果にコメントを要求されるようになっていて、ちゃらんぽらんですが、それなりには責任感もありますので、もう少し、責任をもって対処できるとよいのですが。てなわけで、今年も岡崎研究所のフォーラムに参加できない言い訳は以上です。外交・安全保障や経済危機についても書き散らしてはいるのですが、もっと小さなテーマが本業でははるかに重要なので、岡崎さんのお話を伺ってあとは地味な仕事に専念したいのですが、それすら厳しい状態です。

 最近、週に読む和文・英文の量が減っているのが気になりますが(和文は本2冊程度、英文はA4で30枚程度というのはあまりにひどい)、情けないことに、今週、一番、集中して読んだのが、『第62期将棋名人戦』(毎日新聞社 2004年)とは……。2004年といえば、最初に血栓性静脈炎に罹患した年であまり記憶に残っていなかったことに気がつきました。入院したのが第2局の約10日後で、将棋どころではなかったのでしょう。

 第2局の棋譜解説が目当てで買ったのですが、どの局も難しく、かなり熱中してしまいました。森内俊之九段が名人に復位した年ですが、やはり羽生―森内という対戦はど素人には手に負えないのですが、やはり第6局の森内王将(当時)の63手目▲5七角は手渡しとは異なった損得勘定が鋭くて驚きます。控え室でも当初は評判が悪かったそうですが、素人の感覚では、やむをないとはいえ、自分から矢倉の形を崩すこと自体、読まないですし、まして先手なら6七の金、後手なら4三の金が離れるのは非常に気持ちが悪いです。もっとも、鈴木大介八段「感心しました。守りの金を遠ざけるので常識的には指しづらい手なのですが、▲5七角に森内さんの強さを見た思いがします」(175頁)とありますので、やはりプロでも名人、それも永世名人になる方はやはり何かが違うのかもしれません。

 他方、羽生名人(「当時」とすると失冠後、復帰されているので難しいところですが、第62期でも挑戦を受ける立場)も第3局で37手目に▲8六銀として7筋からの攻めを見せて、森内王将に△6三金と守備陣から離れる上に6筋では事実上、飛車を使えない形を強いるなど決して派手ではありませんが、金を遊ばせて厳しい手が続くあたりはさすがです。このシリーズは、羽生名人が調子に乗り切れなかったようですが、中盤の駆け引きでは、私の棋力では参考にならない(「猫に小判」)ですが、すごいなあという手が多く、他のタイトル戦ももちろんレベルが高いと思いますが、名人戦はやはり見ていて飽きないものです。

 問題は第2局ですが、解説のタイトルは「羽生、7四歩に沈む」とあります。やはり焦点は森内王将の51手目▲7四歩で、解説の小見出しには「用意の一手」とありますが、消費時間は38分で、大長考の末、編み出した一手ではなさそうですが、研究段階ではっきりよしと確認して実践で着手したというわけではないのでしょう。「新名人が振り返る全6局」では次のように書かれています。

 横歩取りの流行型になりました。私はペースを落としたかったのですが、羽生さんがどんどん指してきたので、1日目で一気に終盤へ。図の▲7四歩は「研究の一手」と言われましたが、事前の認識は「こんな手もあるかな」という程度。対局中に考え直し、読み切れたわけではありませんが、結果的にはうまくゆきました。
 逆に一発で決められる恐れもあり、ギャンブル的要素が強い将棋だったかもしれません。でも、そこまで踏み込まないと、羽生さんには勝てないと思いました。1、2局とも苦しんで勝ちをつかみ取った感じはなく、これからが大変だと気を引き締めました。

 いわゆる「羽生世代」(奨励会へ1982年入会した世代)は、上の世代と比較してけれんみが少ない印象がありますが、プロ棋士が本音をすべて語るかといえば、疑問ですしょう。また、棋士は将棋盤で駒を動かして自己表現するのであって、言葉では表現しきれない部分も少なくないのでしょう。しかし、「一発で決められる」リスクも負わなくては、羽生名人を敗れないという森内九段(現在)の感想はさすがだなあと思います。年齢的にはほぼ同じですが、人生いろいろですね。私などはここまでリスクを負う気概がないので、一度はこのような勝負をしてみたいと憧れますが、何事もなくくたばるのでしょう。

 そんな話はどうでもよいので、森内九段による第1局の自戦記には「本譜は▲6七銀打だったので、後手に都合のいい手順が生じ、たまたま打開(千日手の打開:引用者)が生じ、たまたま打開が成功した形になりました。でも、無理をしたツケは、あとで払わないといけないかもしれない。そう思いました」とあります。後手の森内王将が72手目で千日手を打開した手を指していますが、この感覚は興味深いです。

 幸運は不公平ですし、場合によっては理不尽なほど偏ることもありますが、逃げ去るときは速い。幸運は努力している人に訪れることが多いのでしょうが、努力しても報われないことも少なくなく、恵まれてもあっという間に去ってしまう。自力ではつかみきれない幸運というものが訪れたときに、どう接するのか。森内さんの場合には、最善を尽くしながらも、去ったときには、それ相応の「対価」を覚悟するという消極的で突飛な感覚ではありませんが、実際に事に処するにあたってこのような態度を維持するのは難しいのでしょう。羽生さんがどんな感覚なのかも知りたいところです。凡人には縁がないのですが、勝負を避けるこの国の「選良」たちを見ていると、「吹けば飛ぶよな将棋の駒に」命とまではゆかないかもしれませんが、人生を賭けている人たちの感覚は、決して根本において凡人とは変わらないのでしょうが、やはり夢を掻き立てられます。

 さて、第2局の▲7四歩ですが、私の棋力ではお手上げです。解説を読めば、私でも羽生名人が桂馬を渡すと、詰めろがかかりますよという「手渡し」というのはわかるのですが。羽生名人が実践で指した△8八桂成(3時間46分!)以外の手も思わしくなく、森内王将の注文どおりですが、桂馬を渡さざるをえないようです。ちなみに、後手の羽生名人も持ち駒が桂馬に香車が2枚になると先手玉に詰みが生じるので、手渡しができればよいのですが、森内王将が先に主導権を握った格好になりました。このあたりの駆け引きはすさまじいのですが、明らかに森内王将が読み勝っている印象です。この後は後手が先手玉に迫りながら、詰めよを解消するしかないのでしょうが、その手順も浮かばないです。プロ棋戦の棋譜をすべて読むほどの熱心なファンではないので、これ以降、▲7四歩への対応策が生まれたのか、それともこの局面を後手が避けるようになったのかはわかりません。

 将棋の解説などすべて結果論といってもよいのかもしれませんが、結果論にも意味があるのでしょう。もちろん、結果の検討が次の将棋に生きてくるということが基本でしょうが、客観的な見方からの結果論はしばしば必然性を重視するのに対し、当事者、あるいは主観的な立場からは不確実性、あるいは賭けの要素が強くなるのでしょう。自信はなかったが、結果的に成功したというのはありふれた話のようですが、最近、社会に関する言説で客観性、あるいは神の視点からの話が多すぎてついてゆけない部分を感じている私には森内九段の感覚というのがむしろ素直に物事を捉えているように感じます。

 ただし、社会における客観主義の傾向を排斥しようという感覚ではありません。将棋ならば、一回一回の勝負こそ再現不可能ですが、棋譜という形で再現可能性が保証されていますが、社会においては再現可能性があるのかどうかすら非常に曖昧です。したがって、それをなんとか客観的に描写しようという営為は立派だと思います。ただし、それは「神の視点」という虚構の上に成り立っていることを忘れると、単に思い上がりという点で嫌悪感を覚えるだけではなく、主観的な営為を外側から結果から描写しているにすぎないというあくまで限られた範囲での営みにすぎないことを忘れてしまうと、やはりよくて無害、社会に影響をおよぼすとなると有害なのでしょう。


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posted by Hache at 09:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 気分しだいの寝言

2009年05月14日

うら寂しい光景

 駅の階段を登ったら、なにやら街頭演説をやっている様子でした。また、共産党かと思ったら、音量が小さく、虚勢すらなくて、かえって気になりました。ふと、演説している人に目をやると、郵政選挙で造反した人でした。ビラを配る風情でもなく、ちょっと初夏を思わせる陽気の時期に秋風が吹いてくるような風情があるので、かえって時折、私のようについ足を止める人もいるぐらい。景気対策が大切だということを訴えていたようですが、発声が悪いのか、声を出すだけで聴いて思ってもらえると考えているのか、中身がまるでわからないので、2、3分程度で帰途に着きました。まあ、あれじゃあ、衆院採決前から誰が見ても解散したくてしょうがなかった総理に造反もしますわなあと薄情な感想だけ残りました。おかげで選択肢がまた一つ減って、投票の材料にはなりましたが。

 心臓内科などに通うのは私のような「現役世代」では珍しいのでしょうが、エコー検査などが入ると、1回8,000円は軽くとびます。他方、まことに失礼ですが高齢者の方はせいぜい数百円を支払うぐらいで1,000円を超える金額を請求されているところを見たことがありません。これだけではあてにならないのですが、高齢者の方が差別されているというのは、優遇されているという点ではないかとすら感じたりします。

 カネのあるところにはあるもので、また投信で300万やられたとか聞くと、格差というのは確かにあるなあと。どうしましょと言われても、苦笑するしかないのですが。定期預金では長期金利を上回る利回りを期待する方が無理があると思いますが、自宅で現金で保有しておくコストとリスクを考えれば、金庫代どころかちょっとはおまけがつくのだから銀行に預けるのがベストではないかもしれないけれど、ベターなのではと。そりゃ、そうですなという話で終わり。余計なお世話ですが、今の時代、よほど忍耐力がない限り、無理に増やそうとすると、やけどをしますよと話したら、参ったなあという感じで頭をかかれていたので、ちょっと指しすぎかなと。帰宅してから、しげしげと通帳を見ると、しみじみ増えないものだとうら寂しい気分になりました。


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posted by Hache at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言