2009年09月30日

世界の最先端を進むニッポン

以下は実話(?)に基づく「寝言」です(要はネタ)。
21世紀の社会主義建設に邁進するニッポン万歳!!

(1)
アジアの人民よ、立ち上がれ!
米帝を排除し、中華人民共和国を盟主とする大東亜共栄圏東アジア共同体建設に邁進せよ!

(2)
米帝の走狗、日資の尖兵たる自由民主党のダム建設はすべて悪であるから、すべて中止すべし!
フフフ、JR西はやるじゃないか。
よろしい ならば可部線の非電化区間の復活から手をつけてもらおう。
拒否するなら再国営化だ。
大事なことだから二度言おう。
再国営化だ!
永田メールで披露した私の危機管理能力をとくと味わうがいい。

(3)
亀にマシンガン亀がマシンガンをぶっ放す)
やっちまえ!
いいぞ、ベイビー!
貸し渋る銀行は皆白軍だ!
貸し剥がす銀行はよくマネージされた白軍だ!
おれの記事 書けば受けるぜ!
メチャウマだからよォ
うそじゃねえよ
おれ一人で地銀豚12匹を始末したぜ!
都銀牛3頭も
国有化確認戦果だ!

(地元企業もハケに落としたのか?)
しょっちゅうな!
(よく地元を落とせるな)
簡単さ
献金が少ないからな ハハハハハ!
ホント 市場は地獄だぜ!!

BGMはこちらでどうぞ。



鐘が鳴れば(赤軍に勝る者なし)


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2009年09月28日

白洲正子と青山二郎:参りました

 円高・株安でメディアは騒いでいるようですが、気の利かない連中だなあと。この半年ぐらいは東証一部の時価総額は300兆円を行ったり来たりしていますし、円高ももちろん痛いのですが、問題はドル安でしょう。やはり半年ぐらい、ユーロ、円、ポンドなどの主要通貨に対してドルがあまりに弱い。今のところ、直ちにドルへの信認の問題にはならないのでしょうが、これから10年ぐらいかけて戦後の国際経済体制の土台が揺らぐことも考えておいた方がよいでしょう。要は、予測不能な事態がくることも覚悟しておいた方がよいということです。そんなもの起きなきゃいいのよ。起きたらしゃれにならないから。

 カネの話は政治よりもはるかにムカムカすることが多く、そうでなくても面倒なので避けておりましたが、イライラするのは「デカップリング」論とかいう話ですね。『産経』のこの記事が典型ですが、なぜ「リーマン・ショック」を起点とするべきか、まるで根拠がない。SSECは2007年10月をピークに現状では半値程度です。時価総額自体は増加していますから、日本とは事情が異なりますが、ほぼ日本を除く先進国の株式市場と同じような動きをしている。切り離したくても切り離せないのが相互依存の本質であって、「デカップリング」というだけで、経済を見る目がないとすら思う。今日のように文字通り地球規模で相互依存が進んだ世界にブレトンウッズ体制が適応できるのかが問われているのでしょう。エコノミストという人たちは頭がよすぎて問題を複雑にしすぎる。

 自分で手口を明かす必要もないので黙っているつもりでしたが、いわゆる「G-2」論というのはアメリカが中国に抱きついているようなもの。最初は抱きつかれて中国も嫌な感じはしなかったのでしょうが、これは大変だと気がつきつつあるのが現状でしょう。おまけに間抜けな国が東アジア共同体と称して、大東亜共栄圏構想(なんで「東アジア共同体」ではなく「大東亜共栄圏」と報道しないのかが不思議といいますか、批判している連中の肝の小ささを象徴している印象がありますが)を迫ってきて、言い出した側ではあるものの、知らぬ顔で通すのが当然というもの。中国としては米国とつかず離れずの距離感を維持したいものの、実に難しいということぐらい理解してあげたらと思うのですが。実に気が利かない国ですなあ。

 Bob Woodwardがワシントンポストですっぱ抜き記事を書いたおかげで日本の新聞も騒ぐだけ騒いだようですが(参照)、問題は増派してどのような成果が見込めるかでしょう(リーダーからアクセスしてああやっぱり報告書の内容が漏れちゃってたんだなという感じ。以前、書いた「寝言」でとりあげた記事でカンダハールの現状とマクリスタルの発言の評価がずいぶん食い違っていたので面食らったのだ)。アフガニスタン南部がひどい状況なのはISAFのサイトを見れば、一目瞭然です(参照)。2008年と比較すれば、米軍が増派してから南部がいかに悲惨か。この論評は正論だとは思いますが、間違っても2008年のイラク安定化のような事態は期待しない方がよいでしょう。イラクと異なってNATOも公式に関与している。露骨に言えば、「出口政策」というのはアメリカの「内向きのエゴイズム」をオブラートに包んで、撤退の口実を探ること。なまじ正統性のある戦争の方が「出口」を見つけるのが厄介です。人間の性として「覆水盆に帰らず」と割り切るのが難しいだけに、増派するほど事態が悪化することを覚悟した方がよいでしょう。

 朝はとってもテンションが低いのですが(血圧が90を超えるのがやっと)、ご覧の通り、夕刻をすぎると、ハイテンションになり、腹が膨れるばかりで精神衛生にとっても悪いので、日曜日の朝の続きです。小林秀雄が好きというと、まずは現代文で相性が悪かった人には「論理性がない」と言われて、肚の中で「だったら、『あなたがある』ということを論理的に説明してみなさいよ」とせせら笑いながら、「そうかもしれませんなあ」と苦笑いするしかない。戦争に協力したという悪口には、「戦争について」のどこが悪いと「御本尊」以上に居直る。しかるに、ジィちゃんには参りましたとしか申しようがなく、朝だったので省略しましたが、こんな具合です。私がぐだぐだ書くより引用した方が早いので、まるごと引用です。長くなりますが、雰囲気がよく伝わりますので。以下、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』より。

 戦後まもなく秦秀雄さんが代々木に「梅茶屋」という割烹旅館をひらいた。忽ちそこは「青山学院」のたまり場となり、小林・青山をはじめとする多くの文士が集まって来た。三好達治さんのように長い間居つづけする人もおり、青山さんのようにそこを仕事場にしている人もいた。例によって秦さんの「悪癖」が災いして、わずか数年で潰れたが、私にとっては見るもの聞くものすべてが珍しく、一生のうちであんなに楽しかったことはない。
 夜になるとみんな広間に集まって酒宴がはじまる。多い時はニ、三十人もいて、真中に小林さんと青山さんが並んで座る。「高級漫才」がはじまるのはそういう時で、先にからむのは青山さんの方であった。
 「オイ、小林、お前の文章はダメだぞ。いつもこういう席で喋べってることとは違う。お前は酒を飲むといきり立って、たとえばゴッホを見た喜びを語るだろ。その方が書くものよりずっと面白い。生きてるんだ。文章になるとそうは行かん。
 ハイ、御見物衆、、今度はなにが釣れますか、よォく見てて下さい。ヤ、象です。象がかかりましたゾ。重い。重い。やっとあがりました、あがって行きます、もっとあがります……オットットット……ボッチャーン!
 そこでお前は落っことすのだ、大事なものを。御見物衆は、お前の手つきが面白いから一生懸命見てる。手つきばっかり見て、巧いもんだと感心してるから、獲物を落っことしたことに気がつかない。ダメじゃないか、そんなことじゃ……」
 とまあそういったことをくり返し、執念深くいじめるのだ。はじめのうちは小林さんも、「書くのと喋べるのは違う」とか、「俺が至らないんだナ」とかおとなしく受け答えをしているが、いつもの勢のよさはない。それというのも、あまりにほんとうのことだから、返す言葉もなく、小林さんは黙ってしまう。――ここのところで大岡さんは、「彼の眼(だか頬)に光るものを見た」と書いていたように記憶するが、私は何度も小林さんが涙をこぼすのを見ている。青山さんだけが、小林さんを泣かすことができたのだ(108−109頁)。


 この後、ジィちゃんの文章を引用しながら白洲さんによる「真の友情」についての説明がありますが、「よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ」ほどの深みはないので省略しました。よき批判者ほど深い理解者というものはないことを実感します。109頁からバランスをとるように小林秀雄の「タンカ」を引用しているのがさらに惜しまれます。ジィちゃんの胸のうちなど凡人が忖度するに能わず。されど、何気ない酒席の戯言が小林の「宿命」を諦念と悲しみをもって見つめていたことを感じます。


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2009年09月27日

白洲正子と青山二郎:評価に困る人たち

 政権交代に感想めいたことをちょっとだけ書きましたが、だんだんとどうでもよいかなという感覚になりつつあります。おおざっぱですが、政治的イッシューを大・中・小と分ければ、民主党政権が手をつけているのは、ほとんどが小程度の問題であり、中程度の問題がまばらではありますが、目につくぐらいです。ただ、政権交代後としては思ったよりも悪くはないかなと(マイナス100ぐらいかなと思っていたらマイナス90程度だったてな感じ)。問題は、民主党や連立のパートナーがやりたいことをどう進めるかというよりも、自民党中心の政権であれ、民主党中心の政権であれ、外交・安全保障、経済など想定外の危機にどう対応するのかということだと感じております。未知数ですから、今から予想をしたところで虚しく、とりあえずは政治への期待値を下げ続ける日々になりそうです。古いネタですが、3k産経新聞社会部のTwitterに書きこまれた「産経新聞が初めて下野なう」は噴きました。日本語の政権交代論もそれなりに目を通しましたが、大したものはなく、これが一番、笑えてよかったです。

 将棋の王座戦も観ましたが、羽生王座の強さに山崎隆之七段が踏み込み不足の印象が強く、残念でした。素人の感想ですので、あてになりませんが。昨年の竜王戦では渡辺竜王が思い切りよく踏み込んだのとは対照的で、ひどい目にもあっていますが、ああいう場を踏まないと難しいのだろうと。個性があるので難しいところですが、成績では文句なく好調で伸び盛りの山崎七段にはもっと怖い目にあってほしいと思ったりします。

 漸く本題ですが、連休中にNHKドラマスペシャル『白洲次郎』をまとめて放送するとのことでしたので、とりあえずといってはなんですが、録画しておきました。再生してみて録画しておいてよかったなあと思ったのは、NHKのドラマスペシャルというのは90分途切れることがなくて、録画しておいたおかげで手洗いにたつときに一時停止ができることでしょうか。ちなみに白洲次郎氏のことはなにか著作を一冊程度、読みましたが、あまり印象に残りませんでした。この数年ぐらい、よく話題になるので気にはなっていましたが、このドラマのおかげで主人公ではなく白洲正子さんに興味がむいてしまったという、いかにもちょっと頭のいかれた人らしい方向にゆくのがわれながら悲しいのですが。

 見た印象では、第1回が一番、ドラマらしくてよかったなあと。原田美枝子さん(白洲芳子役)を拝めたのがありがたく、日中戦争突入前の雰囲気や現在のケンブリッジの美しさなどが印象に残ります。イギリスの大学はオックスフォードもそうですが、本当に美しく、外観が問題ではないのですが、ああいう環境というのは日本ではまず見当たらないなあと。白洲次郎が吉田茂邸を訪れたときの雰囲気などもおもしろく、実話かどうかなどという面倒なことも忘れて、ケンブリッジはイギリスの友人が最近は共産主義者とホモセクシャルばかりだと嘆いていたと笑いながら、「君もねらわれたんじゃないの?」というあたりは吉田茂の俗っぽさと軽妙さが見事にでていて楽しいですね(原田芳雄さんはご年齢からして大丈夫でしょうが伊勢谷友介あたりは確かに狙われるかも)。

 うってかわって武相荘はこれまた美しく、お前は演技じゃなくて、そんなところばかり見ていたのかと言われそうですが、穏やかで豊かな雰囲気です。NHKのサイトを見ると、茨城県某所にロケ地を設けたようで、当時の雰囲気とは異なるのでしょうが、よい情景だなあと。岸部一徳さんが(近衛文麿公)大根を食べるシーンも不自然さがなく、フィクションの部分を興味深く見ました。

 番組後半のメインですが、GHQの占領統治と新憲法制定の過程はあまりおもしろく感じませんでした。これはやはり活字が勝るのでしょう。ドラマが悪いというより、五百旗真先生が示したような、占領統治のプロセスは、ルーズヴェルトに代表される日本の無力化という主旋律と知日派による日本の戦前のデモクラシーを認めた上で英米を中心とする秩序への包摂という第2旋律のシンフォニーというのは映像化になじまないからでしょう。このあたりは面倒なので省略します。後半も武相荘の美しさになごみましたが。番組の冒頭と終わりに晩年の白洲次郎が文書や手紙を燃やすシーンが印象的でした。「実話に基づくフィクション」として描く対象としては適切なのでしょう。それにしても、中谷美紀さんが晩年まで演じたのはさすがと申すべきか。お肌がきれいすぎる印象はありましたが。

 旧白洲邸武相荘のサイトを見たら、メールマガジンを発行していました。白洲次郎に関する知識は貧しいのですが、読んでいてなかなか興味深い記述が多く、「武相荘だより 〜白洲邸 折々の記〜」(2008年12月25日 第86号」(参照))の「武相荘のひとりごと」には下記の文章があります。

この頃とても気になることが有ります。

武相荘もお蔭様で開館7年が過ぎ、相変わらず大勢の来館者をお迎えしております。

NHKの次郎と正子のドラマなども制作中であり、それでまたお若い方々にまで関心を持っていただくのは良いのですが、正子は物書きとして世に出たのである程度は致し方ないとして、次郎は一部の雑誌などで、「日本一カッコいい男」とか、「日本で初めてジーンズを履いた男」くらいはご愛嬌としても、「マッカーサーを怒鳴りつけた男」と書かれるに至っては、白洲は筋を通してもそんな失礼な男ではなかったと言いたくなります。

情報化時代とは言え、白洲は自分の身長を公文書に175cmと申告し、正子も彼は6尺豊かな大男とは書いていますが、最近の雑誌では遂に185cmに成長し、ゴルフのハンディキャップも実際は「7」か「8」だったと思いますが、いつの間にかハンディキャップ「2」の名人に成ってしまいました。

このまま後5年もすると、白洲の身長は2mを超え、ゴルフはタイガーウッズより上手くなってしまうのでは・・・と、とても心配です。


 混乱した現代では確かなものを求めていまだに虚像を求めてゆくのでしょう。それは白洲次郎の流儀でもなければ、白洲正子の流儀でもないのにもかかわらず。私自身は、私の生きている間しか経験ができないがゆえに、あえて「混乱した現代」と書きましたが、いつの時代も同じなのかもしれません。


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2009年09月21日

ワシントン−モスクワ バザール商人 ウラジミール・プーチン

 オバマ大統領の演説にJoe Wilson下院議員が"You lie!"と野次を飛ばしたのにはひきました。しっかし、外野から"Racism!"とカーター元大統領が火事場にガソリンを注いで激萎えですなあ(頭の悪い味方は始末に負えない)。結局、オバマがそういう問題じゃないと引き取って収めたわけですが、これはなんとも損な役回り。分断された、殺伐とした雰囲気を感じます。

 中東と言いますと、イメージとしては、脳内妄想平和主義の日本人はお断りだよ(カネはよろしく)、こちらはリアルドンパチなんて怖くないからというところですが、さすがにイランの核武装はおっかないです。オバマも窮したかと思いきや、Wasington Postが2009年9月18日付でMichael D. Shear and Ann Scott Tysonの"Obama Shifts Focus Of Missile Shield"という記事を配信していて、ちょっと驚きました。2006年にブッシュ政権が推進していたポーランドとチェコでの地上配備型MDを2011年までに地中海東部にイージス艦に配備したSM-3で置き換えるとのことで、第2段階は2015年までに地上配備型SM-3の展開、第3段階は2018年までにはICBMにも対応とのこと。ブッシュ政権が予定していた陸上配備型MDよりも費用対効果がよいとか枕詞はありますが、サブタイトルにもあるようにイランを睨んでの話であるのは明白です。いかれた「外道」からすれば、核開発してもドンドン無効化するよという意外とお気に入りの発想ですが、微妙なのはこれだけですと、イランが核開発を実施することが前提になってしまうあたりでしょうか。このあたりが神経戦の「主戦場」ですが、それは後回しにします。

 記事ではイランの100発前後の短距離ミサイルに対抗しうる戦力が必要とのことで、ICBMよりもイランのミサイル、そして核武装に対抗する戦力を優先する方針のようです。ゲーツ国防長官の発言は、イランのShahab-3などの短距離および中距離弾道ミサイルの脅威がブッシュ政権下での計画よりもより差し迫った問題だと指摘しています。Shahab-3の射程距離が約1,280kmとされているので(参照)、東欧にとっての差し迫った脅威というのはレトリックでしょうが、地中海東部に目をつけたのは興味深いです。この海域ならば米海軍が政治的な摩擦も少なく、ほぼ安全に展開できるでしょうから、現実的ではあります。もっとも、マケインまでこの問題では東欧の安全を見捨てるものだと反対していて、ブッシュ後も党派間対立の収拾ができないオバマ政権の現状をよく表しています。イランがICBMを既にもっている、あるいは公開されたオバマ政権のMD配備よりもイランのICBMの開発が進んだ場合は的外れとは断言できない部分はありますが。

 この記事は、今回の東欧におけるMD配備計画の変更は、ロシアの反発を抑えるだけではなく、イランの核開発でロシアがアメリカと協調することを促すものだと指摘しています。ロシア外務省報道官のAndrei Nesterenkoは"So far, I can say that a possible review of the U.S. position on missile defense would be a positive signal"と発言したとされており、この記事では概ね好意的な反応だとされています。わざわざ裏取引はないと断りをいれるあたりがお茶目で、いつもはやっているんでしょうねとツッコミをいれたくなるところですが。


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2009年09月18日

イラクよりも「出口」が見えないアフガニスタン(続き)

 ブログの管理画面で直接、入力していたら、別のタブを閉じるつもりが間違えておりました。ほぼ、完成した状態だったので、「寝言」とはいえ、忌々しく、放置して寝てしまいました。仕事でも、「寝言」でも同じことを2度も書くのは苦痛ですが、淡々と話を進めてゆきます。操作ミスの元ですし、面倒なので、以下、元記事に直接リンクします。

 米紙の流れを見ていると、9月11日直後はアフガニスタンでの軍事行動を支持する記事が多いのですが、日が経つにつれて、懐疑的な論評や邦字紙ではあまり報道されない悲惨な現状の報告が増えてゆきます。今回、とり上げる中では最も新しいもので、New York Timesが9月15日に配信した"Obama Rejects Afghanistan-Vietnam Comparison"ではオバマがリンドン・ジョンソンになるのではという質問にオバマが答えています(参照)。まあ、この類の質問にはアフガニスタンとベトナムは異なるとしか答えようがないのでしょうが、それに続けてオバマが加えた言葉ががっくりきます。

  But, he added, “The dangers of overreach and not having clear goals and not having strong support from the American people, those are all issues that I think about all the time.”


 いやあ、(1)やりすぎる危険、(2)明確な目標がないこと、(3)アメリカ人の強い支持がないことを他人事のように挙げるとは……。なにをやりたいのかははっきりしているけれど、どうすればよいのかはまるでわからないと率直に言われたような気分で、正直なところ、沈みこみました。この状態はかなり厳しいでしょう。問題点なら概ね大統領が理解していることは伝わるのですが、私でもすぐに列挙できそうな点ばかりで、なおかつあなたが最高司令官ではないですかと言いたくなります。具体的な話がつまる前にこのような発言が出ること自体がちょっと信じがたいです。

 Washington Postは9月14日に"The 'Forgotten War'"という社説を配信しました。イラクの選挙をとりあげている以外は、昨年にイラクから全面撤退しアフガニスタンへ増派するという方針が表明されて以来、繰り返し出てきている懸念ですが、イラクとアフガニスタンに全てのエネルギーを集中しても、遺憾ながら両方とも思い通りにはならないだろうと。いくら経済的に裕福で軍事力があっても、力の使い方を知らない国は軽侮の対象になります。新しいアフガニスタン戦争が失敗に帰せば、テロ以来の軍事行動はすべて無に帰すでしょう。ひどい話ですが、アフマディネジャドあたりは笑いを噛み殺しながらオバマは御しやすいと見ているのではないかと。核を開発してイスラエルを睨みながら、イラクへ浸透するのも容易です。パキスタンは破綻国家になって核の流出が生じるリスクが高いでしょう。アメリカの権威が落ちたときに、インドは今よりもはるかに機会主義的に振舞うでしょう。元々、アメリカの影響力が及びにくい中東・南アジアといった地域が元に戻るだけだとも捉えられないこともないのでしょうが、それに留まれば、まだマシでしょう。


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2009年09月16日

イラクよりも「出口」が見えないアフガニスタン

 前回、「寝言」を書いたのはいつだろうと思ったら、まだ1週間程度前でした。なんともいえない抑鬱状態です。季節の変わり目ということもあるのでしょうが、アフガニスタン情勢に関する米紙の報道を読んでいると、おそらく私の気性で偏っているのでしょうが、悪い報せが多く、イラク戦争よりも重苦しい気分になります。

 「寝言」ですからあまりこだわること必要もないのでしょうが、この気分は情勢を見る目を曇らせているかもしれません。アフガニスタンといえば、1979年暮れのソ連のアフガニスタン侵攻を思い出します。私個人の経験では戦争の記憶の始まりは、ベトナム戦争ではなく、ソ連のアフガニスタン侵攻です。記憶が間違っているかもしれませんが、珍しく初詣を元旦にという話になって、車中のラジオでアフガン侵攻のニュースが妙に耳に残り、冬の寒さもあって凍りついた気分でした。当時は、それがソ連崩壊の始まりの一つであったとは思いもしませんでしたが。今、重苦しいのは、意図も背景も全く異なるアフガニスタンにおけるアメリカとNATOの軍事行動が30年前と同じく、犠牲が単に大きいだけではなく、失敗に終われば秩序の崩壊の始まりを意味するかもしれないというなんともいえない暗い感覚です。

 小松久男他編『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社 2005年)のアフガニスタン紛争の項目がよくまとまっていたのですが、コピーをとるのを忘れてしまいました。イラクよりも「出口」がないというのは私の気分ですが、イラクの場合なら、まだしもフセインの下でのバース党の一党独裁で統治機構が整備されていたという感覚でしょうか。フセインという重石を取り除いた上でシーア派、スンニ派、クルド人をまとめるのは大変ではありますが、まったく見通しが立たないというわけでもないだろうと。成功した場合の成果は大きく、少なからぬ影響をおよぼした「石油利権」も言わせておけばよいだろうと。イラクの地理的な価値が計りしれないのですから。

 他方、アフガニスタンは事典の簡潔な記述を追うだけで、あらためて30年間、内外の勢力が入り乱れて戦乱が続くアフガニスタンでの軍事行動が困難を極めるのは当然だと感じます。「オバマはアフガンに沈む」という「寝言」の続きですが、戦争の「意図」など忖度するだけむなしい気もしますが、この戦争においては「意図」が大きいと感じます。

 9月11日にヒストリー・チャンネルで9.11関連の番組があるという宣伝を見ましたが、迂闊にも予約を忘れて、自分のあまりの迂闊さに鬱になりました。まあ、よくあることではありますが。代わりというわけではありませんが、9月11日以降の米紙の報道を読むと、オバマのアフガニスタン政策に反対するのが難しい雰囲気と同時に重苦しさを感じとることができます。非常に粗っぽく言えば、9月12日はオバマの演説を受けて戦うべしという、いわば主戦論が強いのですが、それ以降は悲観的な記事が目立ってゆくという展開でした。やはり9.11がアメリカ社会に残した衝撃の大きさを感じると同時に、意図という点では誰もケチのつけようがないアフガニスタンでの軍事行動への失望が広がっていると思いました。

 2009年9月11日にオバマの国防総省における演説が行われました。"war of necessity"のように批判が生じやすいレトリックは用いず、また感情の表出も抑制が利いた演説です。本題から離れますが、2箇所ほど『聖書』からの引用があります。まず、「詩篇」から"dwell in the House of the Lord forever"(「主の家に住まいましょう」)が引用されています(日本語訳は『聖書』(日本聖書刊行会 1970年)による)。英語で『聖書』を通読したことがない程度の教養しかありませんが、ときおり見かける表現で、どこからの引用だったのだろうと「?」が浮かんだときには、便利な世の中になったものよのおとネットのありがたさを実感します。追悼の場において、論理ではなく、情というのも微妙ですが、アフガニスタンにおける軍事行動を正当化しようとする演説は巧みだなと思います。もう1個所が"restore you and make you strong, firm and steadfast"((あなたがたをしばらくの苦しみのあとで)完全にし、堅く立たせ、強くし、不動のものとして下さいます)で、こちらは「ペテロの手紙 第一」からの引用です。こちらが含むところが多いように感じます。アフガニスタンで活動している軍人への鼓舞であると同時に、議会関係者や軍関係者などへの説得となっているあたりが巧みだなと思うところです。

 『聖書』からの引用の後、"In defense of our nation we will never waver; in pursuit of al Qaeda and its extremist allies, we will never falter."(私たちの国を守るという点においてはブレてはなりません。アルカイダと過激派の同盟者を追いつめるという点においては揺らいではなりません)とオバマの「意図」が提示されます。問題は「意図」が実現したといえる状況が曖昧なことであるのが依然として続いていることですが。やりたいことはわかるのですが、それをどのように実現するのか、どこまでやれば実現したと判断するのかがわからない状態が続いていることが、不安の種になるのでしょう。次回とり上げますが、夜明け前の暗さなのか、底なしの暗さなのか、区別が困難なアフガニスタン情勢ですので、演説としては巧みであっても、それ以上ではないと感じます。

 この演説への反応は私の見た範囲では概ね、好意的であったと思います。まず、Wall Street Journalが"The Afghan Waver"と題する社説を掲載しました(参照)。ペロシの発言の「ブレ」を批判しながら、8月17日の演説から"war of necessity"を、9月11日の演説からは "Let us renew our resolve against those who perpetrated this barbaric act and who plot against us still. In defense of our nation, we will never waver."の部分を引用してオバマ擁護をしています。また、8月17日の演説を引用する際に、わざわざよく知られていると述べているあたりは、「意図」の面ではまだ批判が困難な雰囲気があることを強く示唆していると思います。

 Washington Postはやはり9月12日にScott Wilsonの"Attacks Were Defining Moment for Obama"というレポートを配信しました(参照)。WSJほど粗野ではありませんが、やはりオバマに好意的なレポートといってよいと思います。長いので手抜きですが、オバマの安全保障関連のスピーチライターとされているBen Rhodesが"He(Mr. Obama:引用者) believed that 9/11 signaled the beginning of that era and that we, essentially, needed to catch up to it."と述べているのが注目点でしょう。この指摘自体には目新しい点はないのですが、むしろ、実際のオバマの言動がこの指摘から超えるものが見当たらないことに憂鬱になります。アメリカが「テロとの戦い」を主戦場とすれば、国家間の古典的な戦争に割けるリソースは確実に減少するでしょう。単にアフガニスタンでの軍事行動が既に失敗に帰しつつあるという現状だけではなく(もっとも、これだけでも十分、憂鬱になる話ですが)、「テロとの戦い」と古典的な(本当に古典的なのかどうかは実は私は疑問だと思いますが)国家間の戦争とのリソースの配分にあまりに無頓着なオバマの描写を読んでしまうと、来りうる最悪の事態に慄然とします。おそらく、起こりうる最悪の事態は国際的な無秩序、あるいはアナーキーでしょう。もちろん、一年や二年で生じうる事態ではありませんが、アメリカの権威の失墜、アメリカ国内の厭戦気分、中国やインド、ブラジルなどの軍事力の増強などとともに、徐々に無秩序が広がることを恐れています。


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2009年09月11日

やる麻生とやらない細田で振り返る自民惨敗

 無責任な大減税に戦争を二つもやって、財政赤字に経常収支赤字が拡大した後始末をするのは大変ですよ。バーナンキがうまくやったかどうかはわかりませんが、国際通貨体制が崩壊してもおかしくないぐらいのインパクトはありましたからねえ。外野が悪口を言うのは簡単ですわね。

 アメリカ政治も段々と"Japanization"が進むのでしょうか。それとも、オバマが止められるのか。なんとなく傍観者の気分ですなあ。こうなったら終了よという記事がでて、目新しい感じはなく、まあ、そうでしょうねと。このあたりはしびれました。

「ゲームオーバーだな。しかし自民党の基盤である地方組織が残っている。これをきっちりと強化していかなきゃならん。総裁選でも、地方組織をかませていく必要がある」

 麻生は河村と細田にこう語った。総裁選は特別国会後に行い、首班指名では自民党議員に「麻生」と書かせる算段だった。そして、二人を唖然とさせたのが、麻生の次の一言だった。

「総裁選に手を挙げる者がいなければ、俺が立候補してもいいぞ」

漢字だけではない。最後の最後まで、麻生は空気が読めなかった。


 空気が読めないというよりも、状況が読めない、理解できないというのは先の大戦とそっくりですな。負け戦の典型でしょう。

 それにしても、麻生政権が終わるというのは、なんとも悲しく、今の新政権づくりを見ておりますると、なんとも殺伐とした世の中になりそうですなあ(遠い目)。新政権発足まで一週間を切った状況では、お笑い「麻生劇場」を最後まで楽しまずにはいられないです。元ネタは、「やる麻生スレ」で適当にググってください。


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posted by Hache at 12:48| Comment(2) | TrackBack(0) | ふまじめな寝言

2009年09月10日

オバマはアフガンに沈む(続き)

 言い訳から始まる文章はすべてといってよいぐらい悪文です。「オバマはアフガンに沈む」というタイトルに疑問符をつけるか否かでずいぶんと迷いました。無責任な話ですが所詮は「寝言」ですから、たいていはためらわずに疑問符をつけます。あえて断定した形にしたのは、予測や予言のような構えた気分ではなく、Haassがとりあげていた2009年8月17日のオバマの演説を読んでいて、重苦しい気分になったからでした。この演説にいきなり飛びこむのが名文でしょうが、悪文ばかり書く「時の最果て」ですので、まったく関係のないところから考えてみましょう。

 塩野七生さんの『ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV』(新潮社 2005年)には、「カティリーナの陰謀」に関する元老院における討論でのカエサルの弁論が収録されています。「社会の下層に生きる下賤の者ならば、怒りに駆られて行動したとしても許されるだろう。だが、社会の上層に生きる人ならば、自らの行動に弁解は許されない。ゆえに、上にいけばいくほど、行動の自由は制限されることになる。つまり、親切にしすぎてもいけないし憎んでもいけないし、何よりも絶対に憎悪に目がくらんではいけない。普通の人にとっての怒りっぽさは、権力者にとっては傲慢になり残虐になるのである」(119−120頁)などはどこぞの島国の選良に百回ぐらい音読させたいところですが、吹けばとぶような島国は今回の「寝言」の対象ですらありません。有名な部分ですが、意外と読まれていない印象もあるので、やや長めに引用してみます。私よりも2歳ほど下の年齢で人間という不可解な存在にこれほど洞察をもっていた人物は見当たりませんので。

 どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった。だが、権力が、未熟で公正心に欠く人の手中に帰した場合には、良き動機も悪い結果につながるようになる。はじめのうちは罪あること明らかな人たちを処刑していたのが、段々と罪なき人たちまで犠牲者にするようになってくる。
 スパルタ人は、アテネに勝ったとき、アテネ人に三十人の圧制者による政治を強要した。その三十人は、反体制派とされた人々を、裁判もなしに死刑に処した。アテネ市民はそれを見ながら、処刑された者たちは極刑に値したのだと言って歓迎した。ところが、三十人の圧制者たちによる処刑は、少しずつ増長し、罪なき人まで捕われ、裁判もなく処刑されるように変わる。恐怖が市中を満たし、市民たちは自分たちの浅はかさを、奴隷と化した現状でつぐなわされたのであった(121頁)。


 弁論にせよ、学問にせよ、どこかで根本に「嘘」、あるいはより上品な表現をすれば虚構を前提とせざるをえないのでしょう。自分の弁論や文章に嘘があることにどれだけ自覚的に耐えられるのかが、本来の意味での知識人の最低ラインだと思います。進んで、「嘘」を前提にしなければ描くことができない「真実」というものがあるということをどれだけ自覚的な営為としてできるのか。ガリアを征服し、『ガリア戦記』を残した人物を知識人として評価するというのは非礼そのものでしょうが、滅多にお目にかかることができない本物を活字のおかげで、少なくとも残した影だけは追えるというのは幸福な時代だとも思います。もっとも、自らを筆頭に現代では人物が小さくなっていることを実感しなければならないという点では大いに不幸になりますが。

 愚痴にならないうちにオバマの演説に話を戻しましょう。カエサルと対比しようというわけではなく、行動する人として、やはりオバマの演説も毎回、「嘘」が根本にあります。わざわざカエサルの弁論から始めたのは、この国の人の大部分は「嘘」というものの役割にあまりに無頓着で、オバマの演説に「嘘」があるというだけで、ああ、こいつはオバマをうそつき呼ばわりしているのだなという感覚をもつだろうと感じるからです。プラトンが作品で示したように、「嘘」がないところに「真実」などどこにもないという伝統から遠い国ではやむをないのではありますが。ちょっと不謹慎な話ですが、イタリアの首相が「オバマは日焼けをしている」と言ったとき、人種的な偏見がなければ同感だなあと思いました。

 率直なところ、2008年11月に初の黒人大統領誕生といってもピンときませんでした。経歴を見れば見るほど、肌の色が黒いだけで、白人でもおそらく多くは羨むような典型的なエリートとしか映らなかったからです。もちろん、そのような感覚があまりに表層的であることぐらいは理解しておりますが、就任以前は演説を聴いても巧み(やはり頭のできが違う)だなとは思っても、人物としてはどうなのかはわかりませんでした。マケインとの公開討論の第1回だけ聴いて、どちらに転んでも大変だなとは思いましたが。

 就任演説が期待よりもよかったので、ホワイトハウスから届くメールを毎回、目を通しておりました(首相官邸メールマガジンは30秒で斜め読みして削除していた非国民です)。この1ヶ月ぐらいは私がうっかりしているだけかもしれませんが、メールが届かず、国内がゴタゴタしていて目を離していたら、この演説("Remarks by the President at the Vetrans of Foreign Wars Convention" (参照))も見落としていたという状態です。Haassが指摘した部分は下記のとおりです。

  As I said when I announced this strategy, there will be more difficult days ahead. The insurgency in Afghanistan didn't just happen overnight and we won't defeat it overnight. This will not be quick, nor easy. But we must never forget:This is not a war of choice. This is a war of necessity. Those who attacked America on 9/11 are plotting to do so again. If left unchecked, the Taliban insurgency will mean an even larger safe haven from which al Qaeda would plot to kill more Americans. So this is not only a war worth fighting. This is a -- this is fundamental to the defense of our people.


 強調は原文にはなく私がほどこしました。冷戦期から説き起こして6年間、イラク戦争を戦い抜いた人々を讃え、オバマの"strategy"を述べた上で上記の部分がでてきます。戦略といっても、イラクから兵力をアフガニスタンに移してアルカイダとその同盟者を叩くという、これまでも述べられてきた話です。その是非も無視できない、本質的な問題ですが、ポイントは、やはり強調部分です。オバマは明らかに「嘘」を述べていて、それはHaassが述べている意味での倒錯(アフガンでの軍事作戦は"was of necessity"の一つではなく"wars of choice"だという批判)という意味だけではなく(本当は切り離すこと自体無理がありますが)、大統領が"war of necessecity"だとコミットすることによって、賭け金をアメリカの国力全てにまでレイズしてしまったということにあると考えます。Haassの著作を読んでいないのでナイーブにしか読めませんが、これは「勝利」するまでやるということです。しかし、勝利条件がわからない。

 オバマは"This strategy acknowledges that military power alone will not win this war -- that we also need diplomacy and development and good governance. And our new strategy has a clear mission and defined goals: to disrupt, dismantle, and defeat al Qaeda and its extremist allies."と述べていて、軍事だけではなく外交と成長、統治の回復をミックスさせて、アルカイダと過激派の同盟者を打ち負かすと述べているのですが、なんともいえない重苦しさを感じます。

 イラク戦争に対する批判で最も説得力を感じた批判は、戦争前の段階ですが、「出口戦略」がないという批判でした。2007年の秋から冬にかけては自分でも滑稽なぐらい憂鬱になりました。どうにも「出口」が見えない。結果的にPetraeusが軍事作戦で反乱分子を抑え込んで2008年に大きな進展がありました。「イラクの『内戦』の終わり?」という「寝言」(こちらこちら)で雑ですがイラク情勢を見た頃には、ほぼ安定化に成功したと言ってよい状況だったと思います。問題は、Kagan and Kaganが多くの進展を認めた上で、"The war is not ended."と述べており、さらに、イラクの治安部隊が米軍なしでは機能しない現状を指摘していることでした。オバマは"And we will remove all our troops from Iraq by the end of 2011. And for America, the Iraq war will end."と述べており、裏を返せば、イラク戦争がまだ終わっていない状態だと認めています。

 この点に関しては別途、確認する必要がありますが、現状認識そのものは断片的に米紙の報道を追っても、イラクの治安情勢が再び悪化していることは確実であり、その背景にはイラクからの米軍の全面撤退とイラクの治安部隊が独力では機能しないという現実があると推測します。この状況下で、アフガニスタンにおける軍事作戦を"war of necessity"、「選択の余地のない戦争」と宣言することは、事実上、イラクとアフガニスタン(そしてパキスタン)の両面作戦に突入することを意味するでしょう。より露骨に表現すれば、イラクは2008年以前の状態に戻る確率が高いでしょう。これはあまりに危険だというのが率直な実感です。

 そして、アフガニスタンにおける軍事行動が「選択の余地のない戦争」だ定義することは勝つまでやることを意味します。さらに、この演説では以前よりもより明確に、「戦略」すなわちイラクとは地理的にも歴史的な背景も異なるアフガニスタンで同じ手を使うという意思が明確に示されています。おそらく、イラクもアフガニスタンはアメリカのコントロールが全く効かない地域となり、パキスタンは破綻国家になる確率がさらに高くなるでしょう。すなわち、ブッシュ政権が多くの犠牲と悪名によってえた中東への影響力を失うでしょう。これだけでも予想されうる最悪の事態ですが、NATOが初めて発動した集団的自衛が失敗におわるという先例まで付け加わります。アメリカを中心とする秩序の、一時的なのか永続的なのかは留保しますが、事実上の崩壊を意味するでしょう。

 オバマはこの演説ではイラク戦争への価値判断を控えています。当然といえば当然ですが、まず、イラク安定化と同じ手法を用いようというわけですから。そして、なによりも、"This is not a war of choice. This is a war of necessity."というレトリックの裏には暗黙の「嘘」があるのでしょう。すなわち、イラク戦争は"This is not a war of necessity. This is a war of choice."だったという前提です。このような判断に100%の制度で真偽を論じることはできませんが、"wars of necessity"をより粗く「不可避の戦争」、"wars of choice"を「やってもやらなくてもよい戦争」と考えれば、私自身はオバマの暗黙の価値判断に同意するでしょうし、多くの人がそうでしょう。そして、仮にこの判断を肯定したとしても、現在進行しているアフガンでの軍事行動が"wars of necessity"であるという判断にはつながりません。もちろん、9.11直後のアフガニスタン戦争そのものは"wars of necessity"であったと私自身は判断しますし、やはり多くの人がそうであろうと思います。つまりオバマの「嘘」は過去の軍事行動やイラク戦争への判断を援用して現在の軍事行動が「選択の余地のない戦争」だと主張していることに尽きます。ずいぶん、くどいように思われるかもしれませんが、オバマはアフガンにおける賭け金を上げることの意味を理解しており、そうであるがゆえに苦しい「嘘」を用いざるをえなかったのでしょう。

 ここまで書いてきて忸怩たるものがあるのですが、なんとかオバマの主張を理解しようと四苦八苦してみても、どうしても理解できない部分があります。この弁論をした後では、オバマにはもはや「出口」がない。大統領就任以前からアフガン増派の主張をしていたわけですから、言動自体は首尾一貫しているのですが、やはり困惑してしまいます。そうでなくても、既に内政だけで普通の大統領の4年分の仕事を1年目で片付けようという勢いです。力みがオバマの判断力を狂わしているのか、オバマの立場が苦しいとみている私の判断力が曇っているのかすら区別がつかない状態です。この弁論で最後に気になるのは、誰に向かっての演説なのかという点です。アメリカ人だというでは大統領として失格でしょう。目の前にいる聴衆が対象であろうというのも、同じ理由で却下。うがちすぎかもしれませんが、おそらくは、NATO、とりわけアフガニスタンに関する国連での会議を要求しているイギリス、ドイツ、フランスの首脳を説得するためではなかろうかというのが私の推測です。もちろん、「ベトナム化」に怯えるアメリカ人を無視しているというわけではありませんが、アメリカ人(より露骨にいえば政策決定に影響力をもつ人たち限定ですが)であれば、それは他の部分で済む話で、この弁論自体の構成がちょっと変な感じです。

 最初に引用したカエサルならば、読めば自明だと思いますが、弁論の対象は元老院全員ではなく、当時の執政官キケロでしょう。キケロを説得するために向こう見ずといってもよい弁論を行ったがゆえに、後世に残るレベルになっている。実際、カエサルはこの弁論の後、殺されかけているわけですから。命懸けの弁論というのは、多くの場合、激越な表現を避けるものです。演説の名手であるオバマも同様で、カエサルの弁論を読んだ後では物足りないものがありますが、やはり西洋の伝統の中で育ったエリートであることを実感します。ただし、単純な利害計算を欠いており、カエサルならば自らが命を落とすリスクで済む話ですが、オバマの場合、それでは済まないリスクを敢えてとろうとするのかはどうしても理解できない部分があります。9.11の際、テロが歴史を変えた例はなく、意図と反して変化を速めたことはあっても変化の方向を変えることはないと感じましたが、アメリカの政治的指導者層には不可逆的な変化を与えてしまったのでしょうか。

 オバマはこの演説で事実上アフガニスタンに自らの政権の命運をベットする覚悟を示した。おそらく、この賭けは失敗に終わるであろう。なぜなら、イラクからアフガニスタンへ焦点を移しても、イランは反米をやめないであろうし、パキスタンは破綻国家になる確率が高い。イラクからアフガンへの重点の移動によってイラクが不安定になるリスクが高い。さらに、アフガニスタンを安定させるための費用の見積もりがなく、おそらく時間がかかるにつれて8年を超える戦役に疲弊したNATO諸国は名誉ある撤退を望むだろう。不可思議なのは、最も素朴な問いである中東におけるイスラエル以外の同盟者として中東の心臓部に位置するイラクが望ましいのか辺境でしかないアフガニスタンが望ましいのかを考慮した形跡がないことだ。アフガンへの増派の代償としてイラクからの全面撤退はみあわないだろう。元々コントロールができないイランに加えてパキスタンが破綻国家になり、アフガニスタンが混乱し、イラクがイランの浸透を許す事態を想定した方がよい。アメリカの中東への影響力がほぼゼロになれば、それにとどまればまだマシですらあるが、おそらく世界的な無秩序が徐々に広がるリスクがある。「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった」という感覚を西洋文明の後継者がもてないことを悲しむ。 

2009年09月08日

オバマはアフガンに沈む

 「時の最果て」なので本題から離れた話が続きますが、G-20の声明やコミュニケを読みながら(参照)、複雑な心境になりましたが、日本語でロイターだったかな、出口戦略を模索みたいな記事があってびっくり(原文を読んだのですが、そのような記述が見当たらないので、よほど私の読解力が足りないのかと読み直しました)。コミュニケを読むと、金融機関の従業員の報酬の抑制や自己資本規制などが金融規制の中心のようですが、機能する感じがしないです。さらに、財政拡張で政策協調というより政策カルテルというのは限界がどこかでくるのでしょう。おそらく、そのような国際協調、あるいはカルテルとは無関係に無責任に借金を増やしている島国があったような記憶がありましたが、忘れてしまいましたあ。

 それにしても、Obama-sanはカネのかかる政策がお好きなようですなあ。医療保険制度改革がメインになっていますが、「グリーン・ニューディール」に教育制度の改革も加わって、私みたいな外人の目にはアフガニスタンで軍事作戦なんてできるのだろうかと。中東の現状はどこぞの島国の政権交代(それにしても自民党さんも「政治空白をつくらない」が口癖だったと思いますが、ずいぶん変わりはりましたなあ)の混乱も所詮はままごとだと実感させてくれますねえ。まず、New York Timesの"Nuclear Agency Said to Be in ‘Stalemate’ With Iran"という記事でObama-sanの対話路線はイランに核開発の猶予を与えているだけだなあと。もちろん、難しい問題ですから、批判というよりも、民主主義国のリーダーとして普通の対応をしていたら、相手はそうではなく御しやすい相手と見ていたのでしょう。もう既にイランが核武装をした場合の対応策を考えておいた方がよいのかもしれません。パキスタン情勢は適当にチェックしておいた記事を読むと、破綻国家寸前といった状況で、アメリカにどのような選択肢があるのかさえ整理できない状態です。

 とどめは、例によって『世界の論調批評』の「アフガン戦争は選択による戦争」という記事です(参照)。紹介されているRichard N. Haassの"In Afghanistan, the Choice Is Ours"とあわせて読むと(参照)、あまりにも的確な指摘が多く、付け加えることがあまりありませんが、ちょっとだけ「寝言」をつぶやいてみましょう。Haassが「選択の余地がない戦争」("wars of necessity")と条件として挙げているのは、明快です。第1に国益にとって致命的であること、第2に軍事力の行使によってしか国益を守ることができないことの2点だけです。

  Wars of necessity must meet two tests. They involve, first, vital national interests and, second, a lack of viable alternatives to the use of military force to protect those interests. World War II was a war of necessity, as were the Korean War and the Persian Gulf war.


 この点で、Haassも9/11の直後のアフガニスタン戦争は「選択の余地のない戦争」として認めています。批判の対象となっているのは、オバマ政権が実施しようとしているアフガニスタンでの軍事行動です。"however, with a friendly government in Kabul, is our military presence still a necessity?"と述べた上で、オバマの2009年8月17日の演説における"This is not a war of choice. This is a war of necessity."という表現を批判しています。まず、カブールを中心としたアフガニスタン政府の安定化に成功しても、テロ勢力は別のところに居場所を見出すだけであろう。また、テロ勢力を掃討しなくても、アフガニスタン政府の警察と軍を訓練することでもある程度、代替できるだろう。さらに過激な発想をすれば、アフガニスタンから全面撤退した上で米本土防衛を徹底すれば国益を守ることができよう。(「選択の余地のない戦争」というのは私自身、よい訳とは思えないのですが、"wars of choice"との対比で述べられているので「必要な戦争」というのも微妙ですし「必然性のある戦争」というのもミスリードになりそうです。このあたりはHaassの原著を読んでおりませんので理解が浅いと私自身感じていることをお断りします。)

 Haassの批判を読みながら鋭いなあと思ったのは、次の引用部分です。「選択の余地のない戦争」と「選択の余地がある戦争」の区別は一見、抽象的で神学論争のようにも見えますが、オバマ政権のアフガニスタン政策がなぜ泥沼になりかねないのかをよく示していると思います。

  Afghanistan is thus a war of choice — Mr. Obama’s war of choice. In this way, Afghanistan is analogous to Vietnam, Bosnia, Kosovo and today’s Iraq. Wars of choice are not inherently good or bad. It depends on whether military involvement would probably accomplish more than it would cost and whether employing force is more promising than the alternatives.(強調は引用者による)


 「選択の余地がある戦争」はそれ自体、善悪の問題ではないという指摘が肝要でしょう。イラク戦争は大量破壊兵器の問題からイラクの「民主化」という大義名分(私みたいないかれた「外道」(単なるド外道という気もしますが)など所詮、口実であったり言い訳にすぎないとすら思います。ある戦争の本質などそもそも"tangible"なものかどうか疑問がありますが、イラク戦争の本質の、欠かせない側面はイラクという中東の要衝に米軍が存在することでした。中東というアメリカから見て最もコントロールが難しい地域の要衝を米軍が実質的に支配することで当該地域における紛争への抑止につながるものでした。したがって、イラク戦争がアメリカの自衛の範囲を超えるという批判はそれ自体として間違っているとは思いませんが、あまり意味がないと思います。中東に秩序を築くための代替的な方策がない限りにおいてですが。

 公平を期せば、オバマはイラク戦争が悪であり、アフガニスタンにおける軍事行動が善であるというナイーブな発想をしているわけではありません。ただし、アフガニスタンにおける軍事行動を正当化するレトリックには「テロとの戦い」への価値判断が暗黙の前提にあり、Haassが指摘するように軍事力の行使以外の代替案が検討されておらず、下品な表現をすれば、軍事力の行使の費用便益分析が欠如していることに問題点がつきるのでしょう。

 しかし、批判ばかりでは公正さに欠くでしょう。オバマの言い分も検討の余地があるのかもしれません。既に長くなりましたので、次回はこの点を考えてみます(いつになるのかは本人も知りませんが(無責任))。

【追記】

 国内情勢に関する「寝言」から切り離しました。それに伴い、部分的に下線で示した個所を加筆・修正を致しました(2009年9月8日)。

環境共産主義への道

【注記】この「寝言」は「オバマはアフガンに沈む」から国内政治に関するものを切り離して独立させたものです。追記した部分以外は公開当初の「寝言」に手を加えておりません。

 日曜日は平和そのものです。まあ、こういうお方が「勝ち組」という気もしますが。統治機構の頂上の壊れ方は正視にたえないので、「菊地美絵子」でググったり(IME2007は「ググる」とか、こういうのは一発で変換できるので驚きますが)、新しい与党はぶたれて喜んだり、ぶって快感を覚える(石川2区で新与党の候補に票を投じた方々は意図せざる結果として女王様を国会に送り出すという快挙をなしたのかも)と変わった趣味の人がいるんだなあと他人事状態です。そんな堕落した状態で月曜の朝を迎えて、つい神保哲生さんの「鳩山外交論文の謎:危惧される情報管理の甘さ」(参照)を読んでしまって、月曜早々、抑鬱気味ですね。強いて「異論」を唱えるのなら、「対等な日米関係を標榜し日米地位協定や普天間移転の見直しを公約に掲げて選挙に勝利した党の党首の外交デビューの場としては、少なからず違和感を覚えた人もいたに違いない」というあたりかな。報道では鳩山氏が共和党から民主党への政権交代、オバマ大統領の誕生が日本国民に勇気を与えたと発言したとのこと。ほお、ならばNew York Timesでは"risk-free"と形容された「補給支援活動」をやめてもらって結構。おたくのネクスト幹事長が『世界』で書いていた陸自の派遣をお願いできますかと尋ねたくなりますな。つい辛辣になってしまいますが、一国の総理大臣がここまでアメリカにへつらう必要はないでしょう。

 頭が痛いのは、仕事ではちょっとした予想外のことが徐々に増えていることでしょうか。一つ一つの出来事は騒ぐほどではないのですが、なにかがおかしいというシグナルを感じたりします。頭を整理しようとしても、脈絡があるようにも思えず、しかし、ごく少数の例外的なことがこれだけ起きること自体、ちょっと変な感じもします。メールをチェックしていたら、アンケートが来ていたので答えました。露出趣味はないのでアンケート元は伏せますが、「市場原理」という意味がわからない言葉からなにをイメージするかと問われてもなあと。「頭が悪いんじゃないの?」という選択肢がないので、穏当な答え。心が折れそうになったのは「小さな政府」と「大きな政府」からどのようなイメージを受けるかという質問で、こういう頭の悪そうなアンケートをつくったのは誰なのかを真面目に知りたいです。大した時間を使わなかったのですが、精神的に疲労しました。


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posted by Hache at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言