2009年09月28日

白洲正子と青山二郎:参りました

 円高・株安でメディアは騒いでいるようですが、気の利かない連中だなあと。この半年ぐらいは東証一部の時価総額は300兆円を行ったり来たりしていますし、円高ももちろん痛いのですが、問題はドル安でしょう。やはり半年ぐらい、ユーロ、円、ポンドなどの主要通貨に対してドルがあまりに弱い。今のところ、直ちにドルへの信認の問題にはならないのでしょうが、これから10年ぐらいかけて戦後の国際経済体制の土台が揺らぐことも考えておいた方がよいでしょう。要は、予測不能な事態がくることも覚悟しておいた方がよいということです。そんなもの起きなきゃいいのよ。起きたらしゃれにならないから。

 カネの話は政治よりもはるかにムカムカすることが多く、そうでなくても面倒なので避けておりましたが、イライラするのは「デカップリング」論とかいう話ですね。『産経』のこの記事が典型ですが、なぜ「リーマン・ショック」を起点とするべきか、まるで根拠がない。SSECは2007年10月をピークに現状では半値程度です。時価総額自体は増加していますから、日本とは事情が異なりますが、ほぼ日本を除く先進国の株式市場と同じような動きをしている。切り離したくても切り離せないのが相互依存の本質であって、「デカップリング」というだけで、経済を見る目がないとすら思う。今日のように文字通り地球規模で相互依存が進んだ世界にブレトンウッズ体制が適応できるのかが問われているのでしょう。エコノミストという人たちは頭がよすぎて問題を複雑にしすぎる。

 自分で手口を明かす必要もないので黙っているつもりでしたが、いわゆる「G-2」論というのはアメリカが中国に抱きついているようなもの。最初は抱きつかれて中国も嫌な感じはしなかったのでしょうが、これは大変だと気がつきつつあるのが現状でしょう。おまけに間抜けな国が東アジア共同体と称して、大東亜共栄圏構想(なんで「東アジア共同体」ではなく「大東亜共栄圏」と報道しないのかが不思議といいますか、批判している連中の肝の小ささを象徴している印象がありますが)を迫ってきて、言い出した側ではあるものの、知らぬ顔で通すのが当然というもの。中国としては米国とつかず離れずの距離感を維持したいものの、実に難しいということぐらい理解してあげたらと思うのですが。実に気が利かない国ですなあ。

 Bob Woodwardがワシントンポストですっぱ抜き記事を書いたおかげで日本の新聞も騒ぐだけ騒いだようですが(参照)、問題は増派してどのような成果が見込めるかでしょう(リーダーからアクセスしてああやっぱり報告書の内容が漏れちゃってたんだなという感じ。以前、書いた「寝言」でとりあげた記事でカンダハールの現状とマクリスタルの発言の評価がずいぶん食い違っていたので面食らったのだ)。アフガニスタン南部がひどい状況なのはISAFのサイトを見れば、一目瞭然です(参照)。2008年と比較すれば、米軍が増派してから南部がいかに悲惨か。この論評は正論だとは思いますが、間違っても2008年のイラク安定化のような事態は期待しない方がよいでしょう。イラクと異なってNATOも公式に関与している。露骨に言えば、「出口政策」というのはアメリカの「内向きのエゴイズム」をオブラートに包んで、撤退の口実を探ること。なまじ正統性のある戦争の方が「出口」を見つけるのが厄介です。人間の性として「覆水盆に帰らず」と割り切るのが難しいだけに、増派するほど事態が悪化することを覚悟した方がよいでしょう。

 朝はとってもテンションが低いのですが(血圧が90を超えるのがやっと)、ご覧の通り、夕刻をすぎると、ハイテンションになり、腹が膨れるばかりで精神衛生にとっても悪いので、日曜日の朝の続きです。小林秀雄が好きというと、まずは現代文で相性が悪かった人には「論理性がない」と言われて、肚の中で「だったら、『あなたがある』ということを論理的に説明してみなさいよ」とせせら笑いながら、「そうかもしれませんなあ」と苦笑いするしかない。戦争に協力したという悪口には、「戦争について」のどこが悪いと「御本尊」以上に居直る。しかるに、ジィちゃんには参りましたとしか申しようがなく、朝だったので省略しましたが、こんな具合です。私がぐだぐだ書くより引用した方が早いので、まるごと引用です。長くなりますが、雰囲気がよく伝わりますので。以下、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』より。

 戦後まもなく秦秀雄さんが代々木に「梅茶屋」という割烹旅館をひらいた。忽ちそこは「青山学院」のたまり場となり、小林・青山をはじめとする多くの文士が集まって来た。三好達治さんのように長い間居つづけする人もおり、青山さんのようにそこを仕事場にしている人もいた。例によって秦さんの「悪癖」が災いして、わずか数年で潰れたが、私にとっては見るもの聞くものすべてが珍しく、一生のうちであんなに楽しかったことはない。
 夜になるとみんな広間に集まって酒宴がはじまる。多い時はニ、三十人もいて、真中に小林さんと青山さんが並んで座る。「高級漫才」がはじまるのはそういう時で、先にからむのは青山さんの方であった。
 「オイ、小林、お前の文章はダメだぞ。いつもこういう席で喋べってることとは違う。お前は酒を飲むといきり立って、たとえばゴッホを見た喜びを語るだろ。その方が書くものよりずっと面白い。生きてるんだ。文章になるとそうは行かん。
 ハイ、御見物衆、、今度はなにが釣れますか、よォく見てて下さい。ヤ、象です。象がかかりましたゾ。重い。重い。やっとあがりました、あがって行きます、もっとあがります……オットットット……ボッチャーン!
 そこでお前は落っことすのだ、大事なものを。御見物衆は、お前の手つきが面白いから一生懸命見てる。手つきばっかり見て、巧いもんだと感心してるから、獲物を落っことしたことに気がつかない。ダメじゃないか、そんなことじゃ……」
 とまあそういったことをくり返し、執念深くいじめるのだ。はじめのうちは小林さんも、「書くのと喋べるのは違う」とか、「俺が至らないんだナ」とかおとなしく受け答えをしているが、いつもの勢のよさはない。それというのも、あまりにほんとうのことだから、返す言葉もなく、小林さんは黙ってしまう。――ここのところで大岡さんは、「彼の眼(だか頬)に光るものを見た」と書いていたように記憶するが、私は何度も小林さんが涙をこぼすのを見ている。青山さんだけが、小林さんを泣かすことができたのだ(108−109頁)。


 この後、ジィちゃんの文章を引用しながら白洲さんによる「真の友情」についての説明がありますが、「よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ」ほどの深みはないので省略しました。よき批判者ほど深い理解者というものはないことを実感します。109頁からバランスをとるように小林秀雄の「タンカ」を引用しているのがさらに惜しまれます。ジィちゃんの胸のうちなど凡人が忖度するに能わず。されど、何気ない酒席の戯言が小林の「宿命」を諦念と悲しみをもって見つめていたことを感じます。


続きを読む
posted by Hache at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言