2009年10月26日

大航海時代IV 戦列艦級は最強?

 こちらでは忍者アクセス解析をいれております。なんのためかと言われると、導入当初はさくらインターネット社のアクセス解析では、ココログを利用していたころにくれべて、ページビュー、訪問者数ともに多く出るので、忍者ツールを入れてみたという程度でした。今では「検索フレーズ」を見て、ああ、こんな単語の組み合わせで「時の最果て」というよりも過疎地にお越しになる方がいるのだなあと感心します。最近1ヶ月でも「迷惑電話 撃退」が毎日のように選ばれていて、ダントツで多いのが喜ぶべきか、悲しむべきか難しいところですが。

 マイナーどころでは「女医 触診 ベッド」なんて組み合わせもあって、「意図」はできないこともありませんが、検索されたときの表情を拝見したかったりします。PC関連もAsusのP5Q-E関連の検索が多のですが、「G-Power II Pro」単体でのアクセスも多いです。なにしろCPUファンでも大きいので、マザーボードにケースに装着するときが大変ですが、動作は非常に安定しています。エアーフローも良好で、現在、室温が22度でCPUは25度程度です。ガンガン重たいソフトを使っているときでも、30度程度。CFDのFirestix関連で来られる方もいますが、UMAXなど他のブランドを使ったことがないので、わかりませんが、OCをしなくなったら、まずは安定しています。

 なお、7月から10月の約4ヵ月間でグーグル経由で「自由民主党」単独で50件ものアクセスがあったようで、書いた本人がびっくりです。自分でグーグルで検索してもまるでヒットしないので、どうしてこんな過疎地にアクセスされるのか、見当がつかないです。個人的には獅子咆哮弾でのアクセスが多いのがちょっとだけ嬉しかったりします。あれは、私にとっての「飛竜昇天破」を会得するぐらいの「氷の心」を会得するための試練でした(なんのこっちゃ?)。恥知らずになった私は、その後、「安倍政権 栄光と挫折の軌跡(憂国ノ士ノ閲覧ヲ禁ズ)」という「寝言」をはじめ、「大阿呆峠」などわが身の危険も顧みず、問題作(?)を世に問うてきました。ほとんどコメントがつかないという現状がすべてを物語っているわけですが。

 そんな中でも比較的、検索フレーズで多いのが『三國志11』関連と『大航海時代IV』関連です。ガキの頃に『大航海時代』シリーズをやったことがなかったので、新鮮だった覚えがあります。顔グラをはじめ、糞ゲーの要素をふんだんに盛り込んでいますが、恐ろしいもので、XPのスタートメニューで大航海時代がトップに来ていた時期もありました。やり込んだというほどではありませんが、一応、パワーアップキット版でもすべてのシナリオをクリアーして、アイテムミュージアムもすべて揃っている状態ですので、書き出せばキリがないのですが、まあ、まったりと戦闘の話でも。

 このゲームで気に入ったのは金儲けと戦争という二つのことが同時に楽しめるあたりでしょうか。うっかり本当のことを周囲に漏らしたら、人格を疑われたので、あまり口にすることではないのでしょうが。最近の『信長の野望』や『三國志』シリーズはグラフィックも綺麗になり、街づくりの要素が凝っていますが、だったらシムシティ(これは怖くて最近は買っていません。真面目に体を壊しそうになるぐらいハマりました)でいいよとなりますので、微妙なところ。『大航海時代IV』でも投資の要素はありますが、グラフィックはしょぼくて、発展度と武装度という数値だけという古式ゆかしき光栄の伝統を引き継いでいるので、けっこう好きだったりします。

 ゲームの進め方もシナリオがあるとはいえ、自由度が広く、プレイヤーの好みを反映する点も良評価の要素でしょうか。もっとも、序盤は交易が、中盤以降は戦闘がメインになるというのは、攻略サイトを見ていても変わらないようです。すごい人になると、主人公のレベルが30台でクリアーされているようで、気がつくと、意識いしてレベル上げをしなくても、90を超えているのが当たり前の私はちょっと恥ずかしい気もします。性格でしょうか、じっくりと進めるので、気がつくと、どんどんレベルが上がっていたりします。

 攻略サイトを見ていて意外に思ったのが、砲撃戦が苦手だという方が少なくないことでした。戦列艦級にキャロネードを載せて、武装砲台に航海士をフル装備にすれば、よほどのことがない限り、楽です。PS版でラファエル編の最終盤におけるバルデス軍との戦闘も、ハイレディンが残してくれる軍用戦列艦を旗艦にすれば、楽勝です。白兵戦となりますと、斬込隊長と敵提督との一騎打ちになり、運しだいの部分が増えますが、砲撃船は航海士の能力と船のスペック、水兵の数(これは意外と大事です)などの要素が掛け算で決まるようなもので、戦う前に勝算があるかないかを予測するのは容易です。

 まずはわかりやすい船のスペックからです。私の場合、中盤を金貨100万枚以上の資産と3海域以上で自動移動が可能な状態と勝手に定義しております。まず、この時期に北海へ移動して(自動移動でも手動でもどちらでもよいです)、ロンドンもしくはアムステルダム(北海の都市で造船所がある街ならどこでもよいのですが)あたりでシェアをとっておきます。よほどのことがない限り、武装度・発展度が最高なのはロンドンですので、ここのシェアをとっておきましょう。実は、検証していないので間違っているかもしれませんが、PK版の場合、発展度・武装度がともに7000を超えたあたりで、戦列艦級とバーク級の購入が可能になります(武装度だけでもよいのかも。ちなみに、シップ級は発展度が9000を超えると出現するようです)。

 戦列艦級のスペックですが、標準船体を選択して購入直後のデフォルト状態で海兵詰所が2船倉、武装砲台が3船倉と名前の通り、「戦艦」です。大砲は重カノンでデフォルトですと、船首砲がついていますので、武装砲台1船倉あたり24門の大砲×3=72門に船首砲の6門が追加されて合計78門です。砲撃戦を行うのにはデフォルトでも十分な状態でしょう。以下、デフォルトの内装です(記事のピクセル幅の関係で下に移動しました)。

 これを見れば一目瞭然ですが、実は他の大型船とそれほど船倉の数そのものは変わらないことがわかります。帆も北海や地中海ではごく普通で、メインマストとフォアマストがスクウェア、ミズンマストがラテンという構成です。メインとフォアマストにはトップセイルとステイセイルがはられています。戦闘メインの旗艦ならば、帆はこの状態でよいでしょう。ジガースを船尾砲に変えても6門だけ大砲が増える程度ですので、あまり期待しない方がよいと思います。これは好みの問題ですが、船首砲を見張り台にしておいた方が、戦闘がメインでも見張りが提督をしとめることがありますので、砲撃戦・白兵戦のどちらでもお得感があります。

 次に船倉の構成ですが、追加船倉2箇所は物資船倉に改造するのがよいと思います。できれば、積荷船倉も物資船倉に改造しましょう。艦隊全体の構成にもよりますが、残りをシップ級で固めた場合、シップ級を物資船倉11箇所に増加させておくと、水夫数が必要数でだいたい40日程度の航海が可能です。水夫数が最大ですと、25日程度。戦闘する海域や航海士のレベルにもよりますが、街からすぐでて戦闘になり、長期化した場合、帰りの物資が不足するのがむしろ戦闘に敗北する以上に危険です。物資戦争は最低でも6は確保した方がよいでしょう。船のスペックを生かす条件は、水夫を満載しても20日程度の航海が可能なことです。インド洋あたりでぶよぶよ魔人、もといナガルプル商会と戦闘する場合、カリカット周辺がメインになりますが、ここは北風が強い海域ですので、帰りでインド亜大陸から離れた状態で北上する状態になりますと、水と食料があっという間になくなってゲームオーバーとなります。

 次に大砲ですが、これはつべこべ言わずにキャロネードを搭載するのがよいのでしょう。本当は重カノンよりキャロネードの方が長射程というのは変ですが、ゲームの仕様ですから、逆らわない。改造に要する金額は大砲の数に比例しますので、カネが惜しい人は武装砲台3船倉でも十分ですし、ガンガン戦闘するよという人は、積荷船倉を武装砲台に改造してしまえば、船首砲がなくてもキャロネード96門の重武装になります。スペックだけとれば、これで十分すぎるでしょう。あと、シナリオによっては追加装甲が終盤になる場合もありますが、追加装甲は二つとも装備しましょう。航海士のレベルが低い状態ではスピードが落ちますが、いくらキャロネードを積んでいるとはいえ、風向き次第で敵の射程内に入ることが多いですから、耐久度はマックスの110で。

横のピクセルが記事のスペースを超えていたので、こちらに移動します。


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 白兵戦も砲撃戦もやるよという方は、ハイレディンが残す軍用戦列艦のスペックがお勧めです。海兵詰所が3船倉、武装砲台が4船倉で大砲が102門の戦艦といってよい装備です。もちろん、大砲はカネをけちらず、キャロネードで。どうせ、終盤になったらカネが余ってしょうがないのですから。

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 イメージでは船首像に王者の像を装備しておりますが、白兵戦ですと、戦闘にならないぐらいです。斬込隊長にゲルハルト+ユキヒサでほぼ鎧袖一触です。一騎打ち自体が発生しないぐらいの戦力差になります。敵旗艦と接触→斬込隊長が即敵旗艦を拿捕となって、敵勢力からすると悪夢のような戦闘になります。ただし、砲撃船の場合には、かならずしもこれだけでは十分であるとは限りません。敵もカノン、もしくは重カノンレベルの大砲で軍用ガレオンですと、油断は禁物です。

 これは、白兵戦・砲撃戦を問わず、海戦全般がこのゲームではそうですが、戦闘開始時の船の位置で戦闘の帰趨が大きく左右されます。敵旗艦の拿捕にこだわらない砲撃戦の場合、あるいはだからこそ、追い風の状態で敵艦隊と交戦するのが理想です。しかし、出港時に戦闘が発生する場合には、半ば強制的に主人公のメイン艦隊と敵艦隊が配置されて、気がつくと向かい風で動きがとれないということも珍しくありません。例によってぶよぶよ魔人の根拠地であるカリカットの場合、敵艦隊が北にあるだけで船のスペックの優位を相殺してしまいます。もちろん、位置が悪いから勝てないというわけではありませんが、戦闘は短期間で終了した方が、航海士の疲労度の上昇や水夫の損耗を最小限にできますし、帰路も安心です。迂闊に戦闘が長引くと、勝手も海賊と出くわして、通常なら楽勝のはずが運が悪いとゲームオーバー、よくてもさらに航海日数が長引いて水夫の不満度が高くなってしまいます。出港時の戦闘の場合、航海中の戦闘と異なって、ある程度まで船の配置自体を有利にすることが可能です。カリカットならば、北風が基本ですから、ゴアに向かって自動移動を選択すれば、ほとんどの場合、ぶよぶよ魔人の艦隊に対して北の位置をとれます。これだけでも、船のスペックが戦列艦級ではなくても、非常に有利です。白兵戦を狙う場合でも、砲撃で敵の水夫と提督の負傷を狙えますので、艦隊の位置が有利な状態にあるというだけで、勝率が高くなります。

 逆に、艦隊の位置が悪いと、船のスペックがよくても、航海士のレベルが高くても(200の場合は別格ですが)、ホドラム以外の主人公ならば、ゲルハルトが戦闘の基本を伝授する際にいわゆるT字戦法、あるいは丁字戦法を説明しますが、教科書通りにやってもムダです。この点は、当時の帆船の基本を抑えていると思いますが、大砲は舷側に配備されているので、もちろん、T字戦法は有力ではありますが、砲撃の態勢としてこだわる必要は全くありません。というのは、こちらも損害を受けますが、追い風に乗っている状態の場合、敵艦隊は向かい風を受けながら接近してきますので、射程距離を考慮しながら、舷側を敵艦隊に向けるタイミングがより本質的です。丁字戦法を採用した場合、タイミングが悪いと、風向きが不利な状態になりますので、確実に敵旗艦を傷めつける、可能ならば撃沈しなければ、非常にリスクが高くなります。砲撃の戦術の自由度を高めるためには、なによりも追い風に恵まれるという条件が不可欠です。追い風ならば、二つの艦隊が並走しているだけでも有利になります。移動速度が高いほど、被弾する確率が低下するからです。

 これと並んで重要なのが航海士です。戦闘ならば斬込隊長や砲撃手を配備してあるのは当然ですし、ここに優秀な航海士を配置するのも当然でしょう。しかし、それ以上に、操舵手と操帆手には操船術が高い航海士を配置することが決定的です。戦闘時には帆を半開にしておくのが基本ですが、敵艦隊の動きにあわせて、自由自在に船を操るためには操舵手と操帆手が優秀であることが当然の前提になります。砲撃戦の場合、実際にはジグザグした航行(敵艦隊の動きを睨みながら有利な位置を占めるためです)が増えますので、操舵手と操帆手の腕次第で戦闘が決まると言ってもよいぐらいです。砲撃手はアイテムドーピングでどうとでもなりますから、操舵手と操帆手に優秀な人材を固めるのが最優先になります。白兵戦の場合、より接近するわけですから、同様です。ゲルハルトやユキヒサでも操船がうまくできない状態では、敵の砲撃で負傷でもすれば、確実に負ける確率が上昇します。水夫も確実に削られてしまいますし。大型船で操帆手が足りない状態で戦闘に至るのは、ゲームとはいえ、罪深いとすら思います。

 水夫の数は臨機応変としかいいようがなく、出港時に確実に戦闘になる場合には最大で、そうでなければ、旗艦のみ最大という手もあります。この点で、メイン艦隊を戦列艦級ですべて揃えてしまうのは、個人的には好みません。水夫を必要数で抑えても、航海可能日数が15日前後になり、最大では目も当てられない状態になるからです。また、2番艦以降の4隻にも艦長を指名しないと、船のスペックが生きてきません。旗艦のみ戦列艦級(物資船倉は6は確保)、2番艦以降はシップ級で積荷船倉を11箇所ほど設けておけば、水夫を最大限、乗船させても、航海可能日数は25日程度になります。戦闘で勝ったものの、漂流して全滅というバカげたことはまず起きません。逆に、主人公のメイン艦隊を戦列艦級で固めたところで、水夫の数が必要数で、艦長もいない状態では戦力にはならないです。

 航海士のレベルが高いほど戦闘以外の航行も楽なのは当たり前ですが、旗艦が戦列艦級、2番艦以降がシップ級でまとめた場合、航海士のレベルが全員200ですと、リスボンから喜望峰回りでソファラまで約1ヶ月です。3時間ほど適当に日本列島あたりをうろうろしていれば、航海士のレベルをを全員200にできますので、自動移動が面倒という方にはお勧めです。もちろん、大鷲の像は必須ですが(航海日数には影響しませんが、自動移動を早送りしてくれるので助かります)。

 あとは、他の船との比較ですが、戦艦という点では鉄甲船が比較対象でしょうが、いかんせん、漕ぎ手が必要なので、逆風にある程度、強いとはいえ、日本海をうろちょろするのにはよいのですが、東南アジアまで行くにはきついです。攻略サイトでやり込んでいると思しき方ではジーベックを好む方が多いのですが、うーむ、あの船はなんとなく苦手です。基本的にラテンがメインなのですが、向かい風であまり操作性がよいようには感じません。まあ、ゲームパッドを使いこなせずに、マウス操作で艦隊を動かしているレベルですので、よさがわからないだけかも。中盤以降は、海賊も含め戦闘の可能性があるときには旗艦のみ戦列艦級、そうではないときにはシップ級を好んで使います。PS版の攻略本ではなぜか汎用性の高さで大型ジャンクが一押しとなっていましたが、あれはどうかなあと。改造が前提なら、大型船で船倉の数が変わらなければ、違いは耐久度ぐらいしかなくなります。世界一周も、マリアで達成しましたが、シップ級で積荷船倉を12まで増やしたおかげでした。

 ちなみに、PK版の場合、探検航海中でもサメだの怪魚だのが襲ってきますので、こういう場合には逃げるが勝ち。実生活でもそうですが、戦って勝っても意味がない場合には基本的に逃走しますね。時間のムダだからなあ。このあたりがすちゃらかな性格がよく出ているなあと。よく観察されている人には合理的だと言われるのですが、本人としては褒められているのか、貶されているのか微妙な気もしますが、面倒だと思ったらやらないという選択肢が真っ先に浮かぶだけですねえ。ガキの頃はもう少し負けず嫌いな性格だったと思いますが、30歳を超えてから、なんであんなに力んでいたのだろうと。根本的に治癒の方法がない問題ですので、すぐに忘れてしまいますが。あるいは老化とも表現すべき問題ですが。


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2009年10月24日

かなり憂鬱

 朝、目を覚まして朝食を摂っても目が覚めたという実感がなく、とてつもなく憂鬱です。まあ、仕事がはかどらないからと勤務先のPCに向かっても、うっかり新聞社やニュースのサイトを見ると、これがうつ病なのかしらというぐらい憂鬱になります。元気な方を見ると羨ましくて、「また亀井さんがよい談合とか言っちゃったみたいですよ」と言われても、無反応。たった1ヶ月ですが、別の国に住んでいるようで、悪夢を見ているようです。

 私自身がわけがわからないのですが、前回の「寝言」を書いたときに読んだWashington Postの記事は、水曜日の早朝に配信されたもので、"the Obama administration warned Japan on Wednesday of serious consequences if it backs out of a commitment to allow the relocation of a U.S. airbase on Okinawa"(グーグルの英語版キャッシュには残っていませんが、転載しているサイトには残っておりました)とあったのですが、タイトルも変わってWashington Postの一面に掲載されたようです。TBSのサイトでは紙面そのものを紹介していたので、掲載される段階で"U.S. pressures Japan on military package"というタイトルになり、該当部分も、"the Obama administration warned the Tokyo government Wednesday of serious consequences if it reneges on a military realignment plan formulated to deal with a rising China"と微妙にニュアンスが変わっていました。もともとはHarden単独だったと思うのですが、連名の記事に。こちらは記憶違いの可能性が高いのですが。

 さらに、訳がわからなくなったのは文章そのものが大部分、同じのまま、"Japan: No base decision soon"(参照)という記事がメールで配信されてきて、混乱しました。さらに木曜日の午後にプリントアウトした記事と現在、掲載されている記事の内容が異なります。午後にプリントアウトした時点では後半で鳩山首相以外の民主党議員やカルダーの発言はなく、よくわからない展開です。米紙もあんまり信用しすぎると痛い目にあうのは、以前、グリーンスパンの発言をめぐって米紙の報道が混乱して邦字紙もつられたケースがあるので、今回の場合、大きな変更がないとはいえ、取り扱い要注意の記事なのかもしれません。

 それにしても、"hardest thing right now is not China, it's Japan"の"hardest"をなぜかどの新聞社も「厄介な」と判で押したように同じ訳になるのが不思議です。定訳なんでしょうか。協調性がないせいか、漢字(「厄介な」)かひらがなか(「やっかいな」)という違いこそあれ、まったく同じというのはちょっと気もち悪いです。誤訳かどうかという問題ではなく、ついつい「談合」のにおいを感じたりします。それにしても、WSJなどでは連日、Galleonの問題が記事になるのに、日本では『日経』以外では記事が少ない気もいたします。昨年のような形で不良資産問題が顕在化する可能性は低くなっていますが、万が一、金融問題が起きたときにオバマ政権の選択肢が狭くなっていることは理解しておいた方がよいのではと思ったりします。;

 『世界の論調批評』の「法律家的発想のオバマ・ドクトリン」(参照)はさすがだなあと感心したのですが、余計に抑鬱状態になりました。太平洋の東側を「国際情勢が生きたものであることも知らない、戦略的発想も無い、法律家の素人論」が支配しているとすると、西側は単なる素人集団が内閣を担っているわけでして、まさに不確実性、すなわち何が起きても不思議ではない状態ということになりましょうか。日米安全保障条約の廃棄があっても驚くことではないのでしょう。

 てなわけで、憂鬱ではありますが、徐々に悪い話が出ても、感覚が鈍麻してくるという意味では徐々に「耐性」ができているのかも。新型インフルの話題が多いのですが、以前のまま、うがいと手洗い以外の対策はとっておらず、自分でも大丈夫かなと。お医者さんに相談したところ、輸入ワクチンの相性はわからないので、あたふたしないのが一番ですよとのこと。嫌な時代だなと思うのは、医療機関従事者が最優先というのはおかしいのではないかという主張をする人が周囲でも若干ですが、いることでしょうか。一番、感染リスクが高く、なおかつ倒れては困る方を優先するのは当たり前ではないのかと思うのですが、どうもそういう優先順位をつけること自体がけしからんそうで。私自身が幼いときから協調性がなく、なんだか他人と違うんだろうなあと自意識過剰でしたので、なにが「常識」なんだろう、「常識」を形成する主体はなんだろうと「常識」を「常識」として意識していかなければ生きることに困難を感じる非常識な生活を送る日々です。


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posted by Hache at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 不健康な?寝言

2009年10月21日

不確実な世界を理解するための「確実な世界」

 まずは、お詫びです。先日の「寝言」で仲井眞弘多沖縄県知事のお名前を二度も誤って記載しておりました。私自身が多くの点で沖縄の基地問題を語るのは不適格だと恥じ入るばかりです。

 それにしても、Googleリーダーで配信された英文の記事を読むと、暗澹たる気分になります。Wall Street Journalは日本人記者と思しき方の記事で全体として穏やかな事実関係のみ(Yuka, Hayashi, "U.S., Japan Differ on Military Base"(参照) 。Washington Postが2009年10月21日付けで配信したBlaine Hardenの"In Japan, Gates talks tough on base relocation"(参照)はいきなりオバマ政権が普天間飛行場の問題を再交渉することに言及すれば、"serious consequences"に直面するだろうと警告したという表現が冒頭から登場します。言うまでもなく、"serious consequences"は通常の国家関係なら戦争をも含む厳しい表現ですから、日米安保でそのような選択肢が日米両国から排除されている現状を考えると、記者の主観が入っていることを割り引いても、異常な事態でしょう。もはや、海の向こうのジャーナリズムの、控えめに見積もっても一部では潜在的な反米国家としてみなされていると覚悟した方がよいのかもしれません(Washington Postは政権交代後の社説で最も厳しい論評をしている(参照))。日曜日の『日高義樹のワシントン・リポート』でカート・キャンベル国務次官補のインタビューをやっていましたが、字幕を無視して聴いていると、インタビュー前半では"ally"という表現が多かったのが、後半からはほとんど姿を消して、"relationship"ばかりになったのが印象的でした。まあ、日米同盟というのはもはやお題目になったのでしょう。

 ただし、Washington Postの記事ではアメリカ側の言い分が強く出ているとはいえ、普天間飛行場が人口密集地にあり危険であるという基本的な認識を抑えています。単に、「売り言葉」に「買い言葉」と理解すると、本当に日米離反に進むのでしょう。ゲーツ国防長官が防衛省の夕食の招待を断ったという記述が象徴的です。邦字紙でも報じられているそうですが、あいにく日本語の記事は手抜きの私は気がつきませんでした。米軍再編の戦略共有どころか、邪魔をするようにしか映っていないのかもしれません。普天間飛行場、インド洋給油活動などは濃淡があるのでしょう。アメリカ抜きの「アジア共同体」を推進すれば、アジアにおける潜在的敵国の筆頭は中国ではなく日本になるのかもしれません。

 日本関係の記事は読むと憂鬱になるので、まずは職場でメールの整理。インターネットメールでメールを残しておくとアクセスが便利なのでついつい300通を超えるメールを溜め込んでしまっていました。社内専用の「掲示板」で名指しこそされませんでしたが、特定部署のメール整理してくださいとの通知があり、私が犯人です、すみません。というわけで添付ファイルだけで1MBを超えるメールを150通ほど溜め込んでいたのを添付ファイルのみ保存してすべて削除。その他のメールも削除して、なんとか90通まで減らしました。作業には1時間近くかかってしまいましたが、すっきりして気分がすっかりよくなりました(日米安保の危機というのにわれながらのんきなものだと苦笑しますが)。お調子者ですから、まだ1ヶ月あるとはいえ、苦手な他人の成果への討論を行う予定(今年はこの手の話がいくつもあって抑鬱気味なのですが)を考えるのが苦痛でしたが、一気に視界が晴れて、送られてきた成果物を読みながら、なかなかいい仕事をしているなあとメールを送って改善というほどではなく、どうすれば貢献をよりよくアピールできるのか、アドバイスというのもおこがましいですが、2週間ぐらい手がつかなかった仕事がすいすい進みます。私よりも若い方なので、ちょっと生意気なところがよく、危ないところは用心深く抑制して、思い切りアピールしたらよいだろうと激励するつもり。

 問題は、日本の産業の現状とこれまでの歩みを2万字以内でまとめよというありがたいお仕事の締切が10月末に迫っていることです。しかも、高校卒業程度でもわかるという厳しい制約条件がついているので、この数ヶ月は苦吟の日々です。ただ、初心者向けに説明するというのは書き手自身が勉強になることも多く、主として中村隆英先生の研究から全体像を掴むようにしていますが、前も書いたように一度、読んだはずなのに読めていないところが多いのに気がつかされます。

 最近は「エコノミスト」の書いた文章は一切、読まないことにしています。昨年の金融危機では完全情報の世界を理解しているとは思えない人たちがうんざりするほど「エージェンシー問題」の解説をしたがるのが滑稽でした。どうも、最近は専門家に分類される人たちでも、若い方の多くはやたらと不確実性を強調したがるようです。完全情報でも実はわかっていないことが多く、専門家の多くは見向きもしないようですが(専門家の「ムラ」ではあまり評価されないからでしょう)、実は経済主体が意思決定に必要な情報をそろえていても、意思決定に幅ができてしまうことは決して珍しいことではありません。10年ぐらい前に、不確実性を強調した話をしていたところ、「君は一見、確実なはずの世界がどれほど未知に満ちているか理解しているのかね?」と問われて、ハッとしました。もちろん、不確実性に飛んだ世界を描写することは私たちをより深い洞察に誘うのでしょう。しかし、世界を理解する立場からは情報が完全であっても、意思決定というのは容易ではないという、一見、非現実的で役に立たない作業というのが、実は一番、難しいのかもしれないと私よりもはるかに若いIさんの文章を読みながら感じる日々です。
posted by Hache at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2009年10月19日

public interest?

 評論家というのは専門性の高い分野で抑制された発言をされる方から適当な知識をメディア等を通してまき散らす方まで幅が広いので、一括して論じるのは難しいのでしょう。もう、名指しするのがこちらの「品格」を落とすのでやめますが、八ッ場ダムから羽田空港の「ハブ化」(仁川の下請けを目指すのが現実的ではないかと思いますが)まで"public interest"で押し切ってしまえというのは苦笑するしかありません。羽田の「ハブ化」に至っては「国益」だそうで、実施しない場合と比較してどれほどの利益が見込めるのか、さっぱりわからず、露骨にいえば、政治的にはもとより、経済的にも文化的にも情報という面でも、アジアの中心がもはや東京ではなくなりつつあるという現実を考えれば、そんなにお年寄りがかっかしない方が健康にはよろしいのではと思ったりします。

 「寝言」ですので、とりとめのない話を持ち込みましょう。イギリス人と話をすると、"public"の捉え方の裏には"private"がはっきりしているようです。ただ、私の拙い語学力ではごく一部しか理解できませんでしたが、ある公的地位にある方に言わせると、どうも"public"というのは口をききたくもない連中とも話さなければならないところであり、"private"というのはそういう連中とは口をきかない自由があることだそうです。もちろん、"public"と"private"の関係の捉え方自体は、イギリス人の数だけありそうですが、なるほどと思うところが多いです。

 あるフォーラムに毎年のように参加しておりましたが、『産経』の「正論」の常連で年配の方に話しかけられたので、名刺をお渡ししたところ、所属を見て、他の機関と間違われたのでしょうが、「北朝鮮と関係の深いところか」とひどくいやな目つきで見られたので、そのフォーラムには二度と参加しないことにしております。カネを払ってまで口をききたくもない輩と話すほどの「ど○」ではありませんから。まあ、その意味でもごく小規模な集まりでも、カタカナに直しますがパブリックなんでしょう。

 話を現在の政策決定に戻しますと、八ッ場ダムや羽田の扱いですらたいした優先順位の高い問題ではないでしょう。既に、国内でいくつも報道がありますが、普天間飛行場の移設問題は、国と沖縄県、日本国とアメリカ合衆国という二つのレベルでダムだの空港だのよりもはるかに公共的な問題であり、国家間関係という点でははるかに火種になりそうな様子です。仲井真沖縄県知事は中央政府よりもはるかに現実的で、普天間飛行場がやはり沖縄ではあまりに危険で、日米安保を担保するために沖縄の米軍基地がやむをないのなら、せめてより沖縄県の立場から害が少ないところで手を打ちたいという現実的なスタンスに見えます。これをアメリカ側も国家間の契約を破棄するものではないと見ているようです。

 問題は、日本国政府でしょう。県外移設というのは、それが実現すれば、歴史的に沖縄に負担が集中している現状を改善するのかもしれませんが、現実問題として、移設先すら明らかではない状態では普天間飛行場は現状のままという状態が再び10年単位で続いてしまう可能性もあるでしょう。アメリカも政権交代したからといって既に日本政府と交渉してきた結果を変える用意がないことを明確にしています。政権交代をして対米関係で重大な変化が生じたのは、この数年では2004年のマドリードにおけるテロと当時のアスナール政権の対応の拙さから政権交代が生じ、イラクからの撤退したことぐらいでしょうか。この問題は、評論家のインスタントな議論では到底、割り切れない問題でしょう。

 日米関係がこじれれば、いわゆる「核の傘」の信頼性も難しくなるでしょう。と書いていたら、『東京』の記事では民主党所属議員の6割がアメリカの「核の傘」から脱却することを考えているそうで(「民主6割超が『核の傘脱却』 一部に三原則見直し論 衆院議員調査」、『東京』2009年10月11日(参照))。真面目に海外移住を考えなくてはならない時代に入ったようです。記事には「今後の日米関係に微妙な影響を与える可能性も否定できない」とありますが、日米関係にはもちろん微妙どころではない影響がありそうですし、それ以前に日本という国が国際政治の主体として前提が崩れそうですね。これはすごいなあ(外交で露骨な表現は避けるのが普通ですが、アジア重視と「核の傘」(拡大抑止以前まで戻るのも信じられませんが)の見直しとくれば、「ばあさんはしつこいとか、ばあさんは用済みだ」とかつぶやきたくもなるでしょうなあ)。無能と書きましたが、ひょっとして無脳なんですかね。首から上がない方は存じませんが、それらしきものがついていても、中はからっぽなのかしら。太平洋の東側は控えめに表現しても中国に遠慮していますし、西側はアメリカよりもアジアと一緒になりたいご様子。日米安保はよほどのことがない限り切れないと考えてきましたが、条件がそろいつつあるのでしょう。あとは、さらなる反米的政策(基地の見直し、拡大抑止への「妨害」その他にもありそうで怖すぎる)の推進でアメリカ側に日米安保体制のメンテナンスへのインセンティブを失わせれば、「はずみ」がどこかからくれば終了でしょう。国家間関係の破綻なんて必然性というのはなく、意外と「はずみ」のような偶発性がはるかに大きいような。偶発性そのものはコントロールができないので、「時の最果て」のように「はずみ」で動くのを避けるのが外交と素朴に考えてきましたが、正反対の「外交」を見ておりますと、あまりにも非現実的で自国のこととは思えない部分があります。

 話がそれましたので元に戻します。現政権の課題は、"public"の立場から政策をかなりの強制でもって実行できるか否かではなく、"public"の具体的な内容を国民の大多数が納得できるように提示する能力を獲得することなのでしょう。これが、猿に芸を仕込むよりも難しく(あ、またお猿さんに失礼なことを書いちゃった)、まあ、政治なんて余計なことをしてくれなければよいのにという、いかれた「外道」の目からすると、どこまで害が及ぶのかなというのが主要な関心事です。期待値がマイナスでしたが、ここまでひどいとは思わなかったので、考えるのもバカらしく感じる日々です。

 そうはいっても見ざるをないのは、経済が不安定な状態に安全保障環境まで不安定になると、穏当な表現をすれば予測不可能、わかりやすくいえば、「なにが起こっても不思議ではない」状況になるからです。これが自国の状態だと思うと苦痛でしかありません。これをやると、アメリカ側に日米安全保障条約を死文化するインセンティブが生じるという問題を、既に顕在化している問題だけではなく、これまででは考える必要がなかった範囲まで広げる必要があるのかもしれません。なにしろ、今回の政権交代は「革命的」だそうですから。

【追記】既に加筆・修正を一杯やっておりますが、さらに「改竄」しましょう。Kurt Campbellもアメリカ抜きの大東亜共栄圏もとい東アジア共同体へ懸念を繰り返し表明していますから、民主党様におかれましては、現状のまま政権を4年間続ければ、日米同盟どころか日米安全保障体制を確実に修復不可能なまでに壊していただけるのでしょう。この点に関しましては、方針を転換されてもブレたなどと批判する気はまったくありません。さておき、この小沢さんは愛嬌があって好きだなあ。


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2009年10月17日

中村隆英『現代経済史』が映す難しい時代(続き)

 本題とまったく関係がありませんが、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮文庫 1999年)からの引用です。青山二郎さんのを語ろうとして白洲さんが洲之内徹さんの『セザンヌの塗り残し』から話を起こすところです。

 洲之内さんの文章がまた難物で、勝手にあっちへ行ったり、こっちへ行ったりする。彼がいうには、セザンヌの画面の塗り残しについては、いろいろ難しいことがいわれているが、ほんとうはセザンヌが、どうしたらいいかわからなくて、塗らないままで残しておいたのではないだろうか、凡庸な絵かきというものは、そして批評家も同じだが、いいかげんに辻褄を合せて、苦もなくそこを塗りつぶしたであろうに、それをしなかった、できなかったところに、セザンヌの非凡さがある、と。
 そういうところにはじまって、「絵から何かを感じるということと、絵が見えるということは違う。」絵を見るのには修練がいる。では、眼を鍛えるにはどうすればいいか。「私の場合、それは眼を頭から切り離すことだと思う。批評家に借りた眼鏡を捨てて……自分の裸の眼を使うこと。考えずに見ることに徹すること」――これは青山さんの持論でもあった(16−17頁)。

 この文章が書かれたのは1990年から1991年(雑誌『新潮』平成2年2月号から平成3年2月号および7月号が初出)ですから、ベルリンの壁崩壊後、湾岸戦争のあたりです。日本国内といえば、そろそろバブルの崩壊を多くの人が意識するようになった時期でしょうか。白洲さんによれば、この時期には青山二郎さんへの関心があり、「彼に興味を持っているのは一般世間の人々、それも現代のような複雑な時代に、どう身を処していいか迷っている比較的若い世代に多いように見受けられる」(10頁)とのことです。

 やや懐古趣味ですが、当時、今の年齢の半分以下だった私(体重に関しては約36%増(当社比もとい当時と比較して)は、1992年のソ連崩壊に関しても特に感慨がなく、変な奴と扱われていました。壊れそうだったものが、とうとう壊れたというそれだけの話で、左の人たちが「ゴルバチョフが根性がないからアメリカが先に逝くはずだったのが逆になった」とおっしゃるのを内心で冷笑し、フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」という論考を読みながら、その思い上がりが悲劇を招くのですよとこれまた冷笑するという嫌な奴でした。大学に入るまでは人間の理性による社会進歩というものを追い求めておりましたが、大学の講義を受けるうちにそんなものは空理空論で何の役にも立たず、人間など古代からたいしてかわらないじゃないかという、世間でいうところとは異なる「保守的」な人間に変わりました。法学部を落ちて浪人するのが面倒だったのでたまたま受かっていた経済学部にいったおかげで、経済学というのは世間的な意味では役には立たず、「社会改良」という夢が幻だということを逆説的な意味で教えてくれるという点では私にとっては本当に役に立つ学問だというのが率直な実感でしょうか。

 こんなことばかり書いていると、自意識過剰かもしれませんが寝言ではなく、「寝言」という表現(リーダーで読み込んだブログ記事に「寝言」という嘲笑的な表現を見て過剰反応してしまいましたが)を使われてしまうので、本題に入らなくては。実は昨日には続きを書くつもりはありませんでした。気にはなっても仕事とはあまり関係がない話題ですので。以下は、中村隆英『現代経済史』(岩波書店 1995年)の「第五回 宴のあとの日本と世界」からです。

 この回の最後は、「二〇世紀の歴史を動かしたいちばん大きい事件は、第一次世界大戦と第二次世界大戦だった」という「常識」(246頁)からソ連の誕生と社会主義体制が西側陣営に与えた影響を論じています。前回、とりあげた占領期における「過度経済力集中排除法」にもとづく企業分割への批判的な評価もこの文脈で語られております。他方、経済成長と社会主義陣営への対抗から西側諸国も福祉国家への道へと進んだことを中村先生は肯定的に捉えています。そうした描写を踏まえて、日本の内的な変化として人口の高齢化をとりあげて、まず老齢年金の支給開始年齢の引き上げが不可避であることを指摘されています。また、高齢化の結果として勤労者の税と社会保険料の負担率が上昇するだろうと予想しています。「大蔵省は二〇一〇年には、両者の負担率は三〇%になるだろうという予想をしてます」(250頁)と述べられていますが、財務省の資料(注意:PDFファイルが開きます(参照))では、1995年の段階で国民負担率は36.2%、平成21年の見込みは38.9%となっています。消費税率引き上げ断固阻止の方たちからすれば、財務省が消費税率を引き上げるためにこしらえた数字となるのでしょうが、財政赤字を含めた「潜在的な国民負担率」では1990年代以降、ほぼ40%台で推移しており、『現代経済史』が書かれた時期よりもはるかに厳しいのが現状です。この叙述を読むと、1997年の消費税率引き上げのコンセンサスは主流の経済学者の間ではできていたのかもしれません。

 もっとも、中村隆英先生は不景気な話が続くと、ふっと話を転じたりと軽妙なところもあって全体を貫くトーンは決して重苦しいものではありません。ただ、高齢化の次にくる所得分布の問題ではやや陰影があります。本来ならば、グラフをアップしないとわかりづらいのですが、まあ、自己満足的な「寝言」ですのでご容赦ください。251頁に「図5−11 所得分布の平等度」というグラフがあります。横軸に暦年、縦軸にジニ係数がとられています。グラフでは1963年から1991年の期間で全世帯課税前でジニ係数が0.3を超えているのは、1963年だけです。高度成長後期の1960年代には大幅にジニ係数が低下し、全世帯課税前で約0.26、勤労者世帯課税後では約0.21程度に低下しています。

 1970年代には再びジニ係数が上昇していますが、1975年をピークに全世帯課税前、勤労者世帯課税前、勤労者世帯課税後のいずれも低下する傾向を示しています。興味深いのは、1980年代のジニ係数の動向です。1980年代前半はほぼフラットといってよい状態ですが、1985年の円高不況から再び上昇し、1986年あたりには全世帯課税前では0.28程度まで上昇しています。それが1988年まで低下し、再びバブル期に拡大するという動きです。このグラフを粗く読んだ程度では危険ですが、バブル期の経済成長は高度成長期とは異なって、所得格差を縮小させるようにはたらいたのではなく、拡大させる傾向にあったとも読めます。私自身は、経済成長と所得格差の関係に関する実証分析に不案内ですので自信はありませんが、少なくとも両者の相関は自明ではないのでしょう。所得格差を縮小させるには経済成長がベストだという主張には疑問を感じます。

 252頁には「表5−4 ジニ係数で比較した課税後所得分配の不平等度」が示されています。こちらでは1989年の日本のジニ係数が0.421となっており、同年のアメリカの0.40を上回っています。これは再読して一番、驚いた点ですが、バブル期には所得格差が拡大し、あくまで一推計にすぎませんが、所得という限定されたデータですが、この時期にはアメリカを上回る状態であったということです。以上のデータを踏まえて、中村先生は次のように結んでいます。

 同じような計算(ジニ係数の推計:引用者)をほかの国と比較した数字(表5−4)があります。日本の不平等度は、おそらく先進主要諸国にくらべていちばん低かったのですが、最近では、もはや低いとはいえない結果が出ています。
 一方では、所得税の減税が行なわれ、他方で、消費税の税率をわずかでも引き上げることが起きると、やはり不平等度を高める結果になる。そのへんのことも、長期的な問題としては、頭においておかなければならないでしょう。
 所得分布が平等化することは、社会的な福祉を増進するうえでは、大切なことだったと思います。それも広い意味での高度成長と社会主義諸国を意識した政策対応になっていたかと思うのですが、一面ではむずかしくなってきていることもつけ加えておきたいと思います(252−253頁)。


 経済史、あるいは広く経済学というのは頭を使わないわけにはゆかないのでしょうが、中村隆英先生の、このような淡々とした叙述を拝読しながら、まったく脈絡もなく白洲正子さんが語る洲之内徹さんの『セザンヌの塗り残し』を思い出したしだいです。『現代経済史』全体を貫く、あるいは中村隆英先生の著作全般にいえますが、今日的な問題でも、経済史だけではなく統計の大家としても、データを示しながら経済と政治、そしてより広く社会の描写を行いながら、「こうあるべし」とか「こうすべし」という話は行わずに、データを見ることに徹した中村先生の姿勢に共感を覚えます。私の若い時の志の低さや頭の出来を考えると、この域に達することはないのでしょうが、経済学者やエコノミストの役割というのが、この数年、口角泡を飛ばして、政策論ばかりの状態でうすら寒い状態を経験いたしますと、このようにデータを見ることに徹し、統計に明るいのにもかかわらず、根本の部分で"verbal"な形でしか表現できない、しかし、言語になる前の経済のイメージをしっかりと捉えておられた中村先生は頼もしく感じます。


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2009年10月16日

中村隆英『現代経済史』が映す難しい時代

 ふう。アクセス数が急増するというのはあまり心地よいものではなく、いつ落ち着くのかなと様子を眺めておりましたが、予想よりも早く過疎化が進んでホッとしました。うまく表現できないのですが、火のないところに煙は立たないとはいえ、炎上させようというのはついてゆけないですし、亡くなった方へのお別れを告げるのにあまりに強い自己主張は不要な気もいたします。違和感を覚えることも少なくなかったので、今後は頂いたコメントに御返事をすることに留めます。

 仕事の関係で中村隆英『現代経済史』(岩波書店 1995年)を再読しておりましたが、最初に読んだ段階ではまるで読めていなかったことに気がつきます。味わいの深い本で電車の中でざっと読んで、自宅でじっくり読み込むという感じです。「あとがき」に次のような一節がありますが、1970年代以降の経済の全体像を見事に描かれていて、読めば読むほど、味がでてきます。

 現代の経済については、すでに多くのすぐれた解説書がある。しかし、そのほとんどは、専門的、あるいは短期的、部分的な分析であるために、ごく最近の経済史の全貌を把握することは、必ずしも容易ではないのも事実であろう。本書においては、過去二五年間の経済を、時期を追って、総合的にあとづけてみようと試みたつもりであるが、理解しやすいかどうかの判断は読者に委ねなければならない(256頁)。

 一般向けの著作でこれだけ洞察に富んだ、それでいて才気がほとばしるような筆致ではなく、実に安心して読める著作というのは大家の特権なのでしょう。学生時代にボスが「君たちは本当に物を知らないから、高校生でもわかる本をテキストにする」とあきれながら、中村隆英先生の『昭和経済史』をゼミで扱ったことを思い出します。恥ずかしながら、これが中村先生の著作との出会いの初めてで、実にわかりやすく、なおかつすっと全体像が浮かび上がるので、驚いた覚えがあります(実は飲み会で2年生が次の年からゼミに初めて参加する年度だったので、苦肉の策でやさしすぎるかもしれないが我慢してくれと言われていたので二度、恥ずかしかった覚えがあります)。逆走するように、『日本経済――その成長と構造』あたりから『現代の日本経済』などを読んで、大家というのは若いうちからやはり頭の出来が違うのだと感じたことがあります。

 仕事の関係では産業のところがメインなのですが、これがまた実に淡いタッチながら過不足がなく、もちろん学問的な分析ではあるのですが、もはやこれは技芸の領域でとてもではないですが、まだ若いうちに真似ようとするとえらいことになるのでしょう。仕事で使う話は「時の最果て」ではちょっと厳しいので、既にそうなっていますが、雑感ですね。

 『昭和経済史』が7回のセミナーから構成されているのに対し、『現代経済史』は5回のセミナーで構成されています。本書を読みながら、日本経済の内的な変化と外生変数とするしかない国際経済との関連が截然とわかたれるのではなく、両者の違いを読者に印象付けながら、それが日本経済の動的な変化を一体となって描いているあたりが全体を貫く叙述のスタイルで、既に脱帽です。忙しい人ならば、「第三回 国際化と自由化」からいきなり読み始めてもよいのでしょう。中村隆英先生の著書はもちろん最初から通読するのが楽しいのですが、この回の叙述は本当に惚れ惚れします。私ですと、自由化というのは国際的なヒト・モノ・カネの動きの変化への対応という図式に陥ってしまうのですが、1970年代の国際通貨体制の変容と日本経済、とりわけ財政と金融の変化という条件がからみあって国際化と自由化が進むプロセスがいささかの図式に陥ることなく描かれています。赤字財政による国債市場の成立が債券市場の整備のはじまりとなるあたりは、自由化と債券市場の発達をついバラバラに見てしまうバランスの悪さを自覚させらます。

 さりげない叙述も冴えていて、「特定不況産業安定臨時措置法」に関する部分では長崎の町の描写が入って、産業の保護育成を目的とした政策から不況産業対策への転換が実に鮮やかに描かれています(70−71頁)。また、中曾根内閣のときに防衛費(原著では軍事費となっておりますが)の「GNP1%枠」を超える予算を組むという話も、実は成長率を低く見込んで計算していたので、実際は1%内に収まったというのはさすがです(124頁)。左右からそういう姑息なことをするからダメなのだと批判を浴びそうですが、「したがって、政治的な協調関係が喧伝され、他方経済関係の面は、経済摩擦一色に塗りつぶされた観がありましたが、実際にはそれほど人目につかないところで、日本の資本輸出がアメリカの台所を支えるというメカニズムが日米間に存在していたのです」と結ぶあたりは淡々としていますが、日米関係における「政治と経済の間」の冴えた描写だと思いました。また、『昭和経済史』と比較すると、占領期の民主化、とりわけ「反独占」というマルクス主義の影響の下でのある種の経済統制に批判的な叙述がされているのも目をひきます(246頁)。『昭和経済史』における叙述から意見が変わったというよりも、民主化のプラスの面をマイナスの面を高く評価しつつも、経済思想から行う改革に留保をつけているわけですから、後者の点に力点がおかれているというところでしょう。

 そんな中村先生も1995年の出版時点では、「第五回 宴のあとの日本と世界」ではIMF体制の基軸通貨国であり、唯一の超大国であるアメリカが同時に純債務国であることに懸念を抱きながら、アメリカ中心の国際経済体制を支える国として日本とドイツを挙げながら、ドイツは東西統一後、経常収支赤字を出していることを指摘して、日本がアメリカ中心の国際経済体制を補完しなくてはならないと苦吟しているのが印象的です。資金の面ではアメリカを支える大国であるのにもかかわらず、政治的・軍事的には大国ではないというジレンマに苦しんでいます。20年から30年というスパンで中国がアメリカの地位にとってかわるというあたりはやや疑問ですが、「将来の可能性として、ドイツを中心とするEU、それに日本とアジア諸国が、集団的に国際通貨を支えてゆくことになることが考えられます」(238頁)というあたりは経済畑の人間としては、そんなことは自明ではないのかという気の利かない批判もあるのでしょうが、様々な可能性を考えながら、諸制約を考慮してこのあたりだろうという経済の発想をよく表した、安心できる展望でしょう。

 もちろん、本書が執筆された時点ではアジア通貨危機を予測することは困難であり、後知恵で批判するのは容易でしょうが、再度、アメリカ経済が不安定な現状では、やはりこのような発想が生きてくるわけです。経済の面からみた場合、やはりアメリカ経済が不安定な状態は日本にとって不利益であり、またアメリカの地位を代替するということ自体が非現実的な以上、経済の側面に限定すればアメリカと補完的な関係にあるのが日本経済全体にとってやはり死活の問題であり、相互に反目する外交というのは控え目にいっても、経済的に自滅へ向かう道なのでしょう。


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2009年10月12日

江畑謙介さん

 リーダーでJSFさんの記事で訃報に接しました。ちょっと言葉が出ないです。ありきたりですが、お悔やみ申し上げます。安全保障に強い興味をもったのが、キッシンジャー『外交』を読んだことがきっかけでした。古い時代はともかく、時事的な問題になると現代の兵器に関する知識が貧弱すぎて、困った覚えがあります。とりあえず、大型書店で軍事関係のコーナーで素人でもわかりやすそうな本ということで見て回った上で、某所の方にメールで江畑謙介さんの『兵器の常識・非常識』がよさそうに思えるのですが信用しても大丈夫でしょうかとお尋ねしたところ、「これだからど素人は」という苦笑を抑えているのが文面から伝わってきましたが、良書を選ばれましたねと返信を頂いて、むさぼるように読みました。

 3年ほど前、江畑さんと直接お話できたのは貴重なご縁でした。パーティの際ですので、15分程度だっただろうと思いますが、誰も信じてくれないでしょうが、人見知りが激しいものですから、私もずいぶんあがってしまい、たどたどしく自己紹介をしながら、江畑さんは想像以上に腰の低い方で私の方が気恥ずかしいぐらいでした。台湾海峡の軍事バランスの問題を少し補足していただいた上で、伺いたかったのはロジスティックスの問題でした。私は素人ですし、どちらかというと軍事が民間経済や企業に与えた影響という本当に素人的な話題からお付き合い頂きました。おそらく筋の悪い質問が多くて、江畑さんが一瞬、間を置いてから、実に驚くほどそのまま文章になるぐらい整理されたご返答を頂いて恐縮するばかりでした。

 今でも印象に残っているのは、「あなたは経済畑の方ですから遠慮されているのでしょうが、米軍も民間のロジスティックスを研究しています。もちろん、軍事と経済で目的は異なりますが、不思議と共通する部分も多いのですよ」とおっしゃっていたことでした。江畑さんご自身もSCMなどにも詳しくて驚いた覚えがあります。本当に楽しくてあっという間に時間がすぎてゆく中、岡崎久彦さんが(図々しいデブがアイドルを独占していたのを見かねたのか)ニコニコされながら、続きをしましょうということで台湾海峡の軍事バランスの議論がさらに掘り下げられたことを思い出します。

 『老子』の中でもらしからぬ一節ですが(やや鼻につく)、私自身の軍事への感覚は次の一節が基本でしょうか。「兵は不祥の器にして君子の器に非ず。已むを得ずして之を用うれば恬淡を上と為す。勝ちて美とせず」。「不祥の器」を論じるには高度の常識が必要であって、江畑さんは見事にそれを体現されていたように思います。この島国ではなかなか報われない分野でプロフェッショナルであると同時に常識の士を失いました。心よりお悔やみ申し上げます。


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posted by Hache at 23:03| Comment(4) | TrackBack(1) | まじめな?寝言

2009年10月11日

10年後には別の世界?

 東アジア共同体なるものが英米から見たらどう映るのか。大東亜共栄圏みたいに見えるだろうと。ただ、戦前と異なるといえば、ごく短期間とはいえ、東南アジアから欧米勢力を排除する実力をもっていたのに対し、安全保障の根幹部分をアメリカに依存しているだけに、なんとなく滑稽感があります。ただ、アジアからアメリカを排除しようという動きだと映るのは必定で、鳩山首相の作文が米紙にとりあげられてから、ちょっとは頭を冷やすのかと思ったら、なんとも軽率ですなあ。一番、粗野な反応ですが、naked capitalismの"Greater East Asia Co-Prosperity Sphere Coming?"というエントリーは事実誤認が多いものの、まあ率直な反応だろうと。鳩山外交が最後にあるような利害計算からなされたものかどうかは疑問がありますが、合理的に考えようとするなら、まあそうとれないこともない。あまり反論する気にもなれない気分です。あの御仁は、ご自分でも"alien"と称しているので、日本人でも行動が理解できないとはさすがに言えないですしね("invader"という気もしますが)。

 リーダーで読み込んでオバマ大統領のノーベル平和賞受賞を知りましたが、ため息が出ました。オスロの嫌がらせかと思いきや、授賞理由をざっと見たら、ああ、ブッシュ政権への意趣返しですねという感じでしょうか。なんとも稚拙な受賞理由の作文だ。正直なところ呆れてしまいましたが、オバマは断るだろうと思ったら、受けちゃった。この二つの出来事で日曜日は時事ネタは一切見ないことにしました。

 日本の指導者は反米ととられても不思議ではないことをやっているのに、たぶんそのような意識すらないのでしょう。アメリカの指導者はヨーロッパに振り回されている。このような状況で日米安保が10年後も続いていたら、幸運としかいいようがありません。見てはいけないとは思いつつ、日本の新聞のサイトを見たら、岡田外相がカルザイと会見しているし、もはやカオス。日米の指導者に共通するのは、現状認識がきわめて甘いということでしょうか。土曜に平日に溜めていたアフガン関連の記事に目を通しましたが、すべてムダになってしまいました。平和賞の受賞を受諾してから、オバマがひどく小さく見えてしまう。アフガンの増派でも、どうせ碌な決定にならないだろうという先入観から自由になるのが難しいです。

 経済危機はそれはそれで大変ですが、先進国が既に成長の限界に達しつつあるのかもしれず、控え目にいっても、これ以上の生活水準の向上は技術の進歩があっても、フラットになるのだろうと。しかし、これに政治的な危機が重なると、もはやありとあらゆる可能性が開いてしまう。世界恐慌の後や1970年代とも異なった国際的な無秩序が広がる可能性が増している現状に戦慄を覚えます。
posted by Hache at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言

2009年10月09日

幻に終わった外国為替資金特別会計を利用した米政府系金融機関の救済

 『毎日』が2009年10月6日に配信した「外貨準備:政府が米金融2社救済案 08年8月に支援検討」という記事がネットで話題になっているようです。某巨大掲示板ではこれが福田首相(当時)の辞任の背後にあったという思い込みの下で憶測がとびかっています。私自身は、この種の深読みは苦手です。他方、米紙の配信するアフガニスタン情勢やオバマ政権の意思決定の混迷、パキスタンの不安定化などはるかに憂鬱な話よりも、表現は悪いのですが、お手軽な部分もあるので雑感だけでも書いておきます。

 ふと思い出したのは、まずはいわゆる「埋蔵金」論争でした。率直なところ、高橋洋一氏の著書を一冊も読んだことがないので、この論争自体への当時の関心が低かったことを告白せざるをませんが。本当に「埋蔵金」が存在するのなら、政府債務と相殺するのが筋であって、これを他の使途に活用するというのはつい鼻で笑ってしまいます。『毎日』の記事で話題にならないのが不思議ですが、記事の末尾にある外貨準備の説明です。邦字紙はネットに記事が短期間しか残らないので「時の最果て」ではあまり取り上げる気がしませんが、話題になっている本文よりも、こちらの方が関心をもてます。

【ことば】外貨準備

 為替介入に備えて通貨当局が保有する外貨や金。資金は国債の一種「政府短期証券」を発行して調達しているため、運用損や為替差損が出れば税金で穴埋めする必要がある。日本の外貨準備残高は8月末で1兆423億ドル(約93.5兆円)で、円高により6月末時点で20兆円規模の為替差損がある。日本の外貨準備は87年に西ドイツ(当時)を抜いて世界一になったが、06年に中国に抜かれた。


 この記事で述べられているように、2009年6月末で20兆円程度の為替差損が生じているとしますと、ただちにかどうか、私の理解力を超えますが、2009年6月末のドル円相場はだいたい1ドル96円程度でしたから、現在のように1ドル90円を割る水準では為替差損が拡大しているのでしょう。「埋蔵金」どころか隠れ借金状態ですよというシグナルすら読み取れます。

 なお、財務省HPの「財務省所管 特別会計に関する情報開示」から外国為替資金特別会計の項目では(参照)、概要が示されています。外国為替金特別会計の歳入は3兆4,197億7,600万円、歳出は1兆6,431億6,300万円です。外国為替資金特別会計の目的は、下記の通りです。

 
外国為替資金特別会計は、本邦通貨の外国為替相場の安定を実現するため、政府が実施する外国為替等の売買(為替介入等)等の円滑化に資するため設けられています。


 このあたりは外国為替に疎いので誤解している可能性がありますが、「政府が実施する外国為替等の売買(為替介入)」(下線:引用者)とあるとあることから、為替介入が行われていなくても、外国為替の売買が実施されているとも読めるのでしょう。さらに、外国為替資金特別会計の歳入と歳出の差額は下記のように処理されるとのことです。 

 これら外国為替資金の運営から生じる収入(外貨の利子収入等)・支出(政府短期証券(為券)利払等)については、外国為替資金特別会計の歳入・歳出にて経理されます。また、歳入と歳出の差額である毎年度の利益(決算上剰余金)については、積立金として積み立てる金額を除き、一般会計への繰入れの対象となります。


 平成21年度の予算であれば、歳入と歳出の差は1兆7,766億1,300万円に上ります。決して小さな金額ではありませんが、『毎日』の記事が指摘している外貨準備における為替差損が20兆円の赤字は円安にならない限り、解消しないでしょう。この赤字を年度ごとに処理するのか、また外国為替資金特別会計の決算上剰余金が充当されるのかは不明ですが、為替相場の変動によって運用結果が大きく左右されるという点ではリスクの高い運用をしているようにも見えます。ここでは明確には触れられていませんが、運用による決算剰余金は一般会計への繰入金の対象となるとありますが、対照的に積立金を上回る損失が生じた場合、逆に一般会計からの繰り入れが行われることがあるのかはわかりません。「埋蔵金」論争を知らないので、この積立金が「埋蔵金」に相当すると主張されていたのかは不明ですが、財務省の資料を読む限り、外国為替資金特別会計においては仮に積立金が存在しても、運用の原資となると同時に、損失が発生した場合、極力、一般会計へ負担が生じないためのしくみであるようにも読めます。下記では平成18年(2006年)に以前の特別会計の枠内で改革が進んだという記述がありますが、残念ながらリスク資金の取り扱いについては明確には触れられていないので、私の想像の域を出ないのですが。

 「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律」(平成18年6月2日施行)第39条において、「外国為替資金特別会計において経理される事務については、その執行に要する費用の節減その他の合理化及び効率化を図るものとする。」「外国為替資金特別会計法(昭和26年法律第56号)第13条の規定による一般会計の歳入への繰入れについては、同条に規定する残余のうち相当と認められる金額を繰り入れる措置を講ずるものとする。」とされています。


 いわゆる「埋蔵金」と並んで、「日本版SWF構想」という与太話議論もありましたが、今となってはバカバカしい限りです。この件に関してはこちらの「寝言」でごく表面的にバカにしましたが、いまだにある種のリスクを内包している資金でさらに博打をするという感覚が信じられません。さらに、信じがたいことは、政権交代以前から単に決算剰余金があり、積立金があるというだけでなにか財政余剰が生じているかのような幻想があり、万が一のために備えているとはいえ、財政資金のリスクを減らす方向での改革が十分に検討された痕跡があまりにないことです。

 小泉政権下では特別会計の改革がある程度、進んだようですが、財務省管轄下はともかく、他の省庁などはどこまで進んでいるのか、ウェブで公開すらされていないようです。民主党その他連立政権は特別会計を含む総予算の見直しをなさるそうですが、各種積立金を単に財源としてだけではなく、各種リスクや非効率を減少させるようにセットで改革を行わないと、場合によっては一般会計から特別会計への補てんを行う事態も生じうるのでしょう。まったくバカげた話だと思いますが。


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2009年10月08日

あとで書く?

 うーん、白川日銀が民主党の最大のサポーターだったとは知らなかったです。あるいは、政権交代で生じている、くわえて生じるであろう混乱の政治的責任と非難を日銀がすべて引き受けましょうという金融システムのみならず政治システム安定化策なのか。まあ、単に旧宏池会ですら比較しては失礼なほど、お公家集団ということなんでしょうけれども。それにしても、某ファンドにまで関係の深かった総裁が任期を全うしたことを考えますと、是非、現総裁におかれましては、金融政策の理論的な裏づけ以上にババ抜きのトレーニングに励んでいただきたく(以下、自粛)。

 『世界の論調批評』の「オバマ氏の政治哲学の限界」(2009年09月24日)という記事はさすがという感じでしょうか。早速、ネットで見たら、Schambraの論考とBroderの記事がすぐに出てくるので便利な時代です。Broderの記事はなるほどで、時間がないのでSchambraの論考は斜め読みですが、オバマのわからなかった一面、ただしこれがわからないとオバマの意思決定が理解できないという意味では決定的な一面であろうと。オバマに決定的に欠けているのは、FDR(日米開戦前に注目する方が少なくないようですがヤルタの方がよほど日本に害を与えたと思うのですが)が備えていた独裁者としての気質ですかね(これが大統領就任後という意味で後天的に身につくのかどうかを注視しています)。いろいろ「寝言」(アメリカの地方自治の問題も無視できないよなあとか)が浮かびますが、時間がかかりそうなので、主要な課題だけで3個あり、今まで分散していたのを「各個撃破」に変えて今年中に決着をつけなくてはならないので、しばらくは寝かしておきましょう。どの道、碌な「寝言」にならないでしょうし。

 医師の指示でワーファリンをきってから1ヶ月たちますが、なぜか湿気が高いと左足の膝からふくらはぎにかけてむくみます。毎月の第1週に診断と血液検査、心電図検査を受けていますが、先月の結果ではD-ダイマーの値が5倍ぐらいになっていましたが、気にする必要はないとのこと。ただ、昨年の8月末は再発だったので、3度目はとどめになるかなあとちと不安です。湿度が高いときに5千歩歩いたとき後と1万歩ほど歩いた後のむくみの度合いを比較しましたが、歩数が多いほどむくむので、まだ完治はしていないようです。これがこじれる心配はしていないのですが、あと半年ぐらいは要注意かなと。また、むくみが完全に取れた後、再発するリスクを抑えるにはどうするのかが問題かな。

 もっとも、40歳を過ぎてからの人生設計はまったくないので、40歳になる誕生日のあたりで再度、血栓ができて心臓を直撃で昇天というのが理想ではありますが。長生きをしたいという欲求がまるでないので、間違って40歳を過ぎたらと思うと面倒だなあと思う反面、まあ大したものでもないから好きなようにしていればいいのかなというところでしょうか。


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posted by Hache at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言