2010年01月31日

米中関係を最終的に決定するのはやはり台湾海峡か

 一晩ぐっすり眠ったら、機嫌が直ってオバマの演説を自宅でプリントアウトしました。もう10年近く同じレーザープリンターを使っているので、給紙口でトラブルが増えているのですが。A4で15枚を打ちだそうとすると、いっぺんに4、5枚の用紙を吸い込んでしまうので、トナーの予備が切れたら退役でしょうか。それにしても長いので、辞書を引かずにざっと読んでみると、不思議な演説ですね。ブッシュも話が具体的すぎる印象がありましたが、オバマも同じ。ただ、オバマの方がやはり話がうまいなあと。文脈を読み切れていないので、気になるところはといえば、対中政策ですが、ついつい次のあたりは、基本的には経済に関する言及ではありますが、深読みしたくなります。

  But the truth is, these steps won't make up for the seven million jobs that we've lost over the last two years. The only way to move to full employment is to lay a new foundation for long-term economic growth, and finally address the problems that America's families have confronted for years.
  We can't afford another so-called economic "expansion" like the one from the last decade –- what some call the "lost decade" -– where jobs grew more slowly than during any prior expansion; where the income of the average American household declined while the cost of health care and tuition reached record highs; where prosperity was built on a housing bubble and financial speculation.
  From the day I took office, I've been told that addressing our larger challenges is too ambitious; such an effort would be too contentious. I've been told that our political system is too gridlocked, and that we should just put things on hold for a while.
  For those who make these claims, I have one simple question: How long should we wait? How long should America put its future on hold? (Applause.)
  You see, Washington has been telling us to wait for decades, even as the problems have grown worse. Meanwhile, China is not waiting to revamp its economy. Germany is not waiting. India is not waiting. These nations -- they're not standing still. These nations aren't playing for second place. They're putting more emphasis on math and science. They're rebuilding their infrastructure. They're making serious investments in clean energy because they want those jobs. Well, I do not accept second place for the United States of America. (Applause.)

 乱暴に要約してみましょうか。雇用に関連する法案を数多く通したけれど、この2年間に失った700万の雇用を戻すものではないよ。唯一の方法は長期的な経済成長なんだ。「失われた十年」のように、経済的な「拡大」では意味がない。職に就いてから、散々、野心的すぎると言われたけれど、外野はわあわあ言うだけさ。私は非難に向かってこう尋ねたい。私たちはいつまで待てというのか?アメリカは未来に向かって進むべきではないのか?中国もドイツもインドも待ってはいない。彼らは二番手に甘んじるつもりはない。中国やドイツ、インドは数学や科学に力をいれている。雇用確保の目的でクリーンエネルギーにも投資している。私はアメリカ合衆国が二番手に甘んじることを受け入れない。


 基本的には雇用と経済成長に関することですが、二番手に甘んじるつもりはないよというわけです。これが安全保障の問題として露骨に論じられると、さすがにひきますが。アメリカが「内向き」になるという懸念は常に存在しますが、この演説を読む限り、その心配はなかろうと。外交・安全保障では核拡散の問題で北朝鮮とイランが槍玉にあがっていますが、これとてアメリカ一国では片付く問題ではなく、ブッシュ政権とは異なる多国間アプローチをとらざるをえない以上、目標自体が野心的ではありますが、少なくともオバマ大統領は内向きならないように腐心するでしょう。全体として、この演説の狙いは、目の前にいる上下両院の議院、とりわけ共和党の議員なのでしょう。オバマは主として医療保険制度改革で超党派のコンセンサス形成に失敗しました。中間選挙を前に、超党派のコンセンサスを再度、形成するのは困難でしょうが、説得力は確保しておかなくてはならない。今年はオバマが大統領に"change"できるのかが問われるのでしょう。状況が状況だけにおそらく容易ではないでしょうが。幸運は、少なくとも短期的には極端な景気の落ち込みは想定しなくてすみそうだということでしょうか。これを持続的な経済成長につなげるのは容易ではないでしょう。

 一般教書演説ではテロや核拡散の問題(それ自体は重みを増していることは否定できませんが)に触れる程度で、伝統的な外交や安全保障についてはほとんど無視といってよいぐらい言及がありません。おそらく、述べることができなかった、あるいは避けたのではないかと。オバマがあえて語らなかったことを、Washington Postに2010年1月30日に掲載されたJohn Pomfretが"U.S. sells weapons to Taiwan, angering China"という記事で伝えています。ちょっと面倒ですが、私がプリントアウトして読んだのが、こちらの版です(メールで送られてくるリンク先でした)。ネットではこちらの版もあって、微妙に内容が変わっていますが、論旨は大きくは変わらないので、気にするほどではないのかもしれません。メールで配信されている版は紙媒体に掲載されたもので、ネットにアップする際に書き加えられただけなのでしょう。

 台湾への武器売却(記事ではパトリオットミサイル防衛システムおよびヘリコプター、掃海艇、通信設備)は、当然ではありますが、中国側の反発を招きました。Pomfretの記事では、反発の内容として興味深いのは、中国側の言辞や胡錦濤の訪米中止だけではなく、以前の「寝言」でもふれた、ロビイングの一環として、台湾に友好的な議員の選挙区で中国と取引をしている企業に圧力をかけようというあたりでしょうか。こうしてみると、対中外交では政経分離の原則など踏みにじるためにあるという国が相手なのだと実感します。逆に、中国側からみれば、オバマのように、経済重視の大統領はかえって話が難しいかもしれません。もちろん、米中関係は経済的関係に限定すれば、基本は互恵的な関係だと思うのですが、中国のインターネット事情をとりあげた際にも感じましたが、かつての日米通商摩擦とも異なる政治体制の相違が顕著になってきます(もっとも、日米経済摩擦では日本異質論に代表される体制の相違が問題にならなかったわけではないのですが、米中間の懸隔は比較にならないでしょう)。これらが台湾をめぐる米中の対立とリンクすると、どこかで抜き差しならない敵対的な関係に米中が陥るリスクがあることをPomfretは示唆していると思います。

 Pomfretが台湾海峡問題の周辺として米中の利害が対立する第一に挙げているのは、対イラン制裁です。記事によると、クリントン国務長官は、パリのEcole Militaireにおける発言で、「中国は核武装したイランが湾岸を不安定化することを理解しなければならないだろう。中国は、原油の供給に関して多くの割合をこの地域に依存している」と述べたそうです。パイプラインでどの程度、海上輸送を代替できるのかはわからないのですが、基本的には警告ですが、かなり厳しい指摘でしょう。

 第2に、ロック商務長官は中国の開放性と法の支配に関して警告しています。Pomfretはグーグルの活動についてふれていますが、ここは留意が必要でしょう。前の「寝言」の続きはグーグルになりますが、まだ撤退すると決め打ちはできないと思います。第3に、オバマがダライ・ラマと会見する可能性があることを指摘しています。率直なところ、オバマに失望した大きな理由の一つは、ダライ・ラマとの会見を延期したことでした。延期ですから、どこかで会えば済むといえばそうなのですが、無期延期ではないかと失望していたところで、オバマ政権が水面下で会見を実現しようとしていることがうかがえます。

 上記のことを指摘した上で、Pomfretは台湾が中国にとって最も注意を払っている問題だと述べています。記事で紹介されている「(台湾への武器売却は)内政干渉だ」という中国外務次官の発言は典型でしょう。この記事では、中国の言い分は言い分として紹介した上で、"The United States says weapons sales to Taiwan help to maintain stability in East Asia by making it more difficult for Beijing to bully Taiwan"(「合衆国は台湾への武器売却によって、北京が台湾を弱い者いじめすることをくじくことによって東アジアの安定が維持することに資すると述べている」)と赤裸々といってもよいぐらい台湾海峡をめぐるバランス・オブ・パワーの視点を明確にしています。さらに、"The United States is legally obligated to provide weapons for Taiwan's defense, under the Taiwan Relations Act"と指摘して、台湾への武器援助の根拠となる台湾関係法を指摘して、今回の武器援助が単にブッシュ政権下の決定を実行しているだけでなく、中国の内政干渉だという主張に反駁しています。

 さらに驚くのは、F-16 C/Dの売却に関して、これが現時点で実施されなくとも、老朽化しつつある台湾の航空戦力の近代化をオバマ政権が拒否しているわけではないと指摘していることです。国防省は、F-16の売却を根拠づけるために、中台の制空権に関する分析レポートをまとめていると指摘しています。

 最後に、1989年の天安門事件までアメリカが中国にブラックホークを売却していたことを指摘しています。興味深いことに、四川大地震の後、中国政府はヘリ部品の購入を要請しましたが、アメリカは拒否したと指摘しています。これがブッシュ政権下の話なのか、オバマ政権下の決定なのかははっきりしませんが、台湾海峡が東アジアのバランス・オブ・パワーの中心であることはブッシュ・オバマ両政権で変わらないことを実感します。


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2010年01月29日

話が長いですねえ……

 オバマ大統領の一般教書演説が69分44秒とずいぶん長いなあと。テキストも読みましたが、ありゃまあ、ウォール街に喧嘩を売る気満々だったのねえと。予測通りというより、さすがにマサチューセッツで負けた翌日に規制の提案がでてくるとは思えず、日程的には一般教書演説の布石かなという程度の話ですが、どうなんでしょうね。まあ、金融機関に対する反発が強いこと自体は理解できますが、大統領がそれを煽りますかね。雇用は中国頼み、日本はともかく、他の同盟国にはドイツ以外は言及なしとアフガニスタンではアメリカだけが頑張っているかのようなご様子。たいした中身がないのなら、日本を除く同盟国に感謝してもよかろうと思いますが。それにしても、ムダに長くて、ワードにコピペして普通の文書のように行間を詰めても、A4(40字×36行)で15頁でこの内容だったら、プリントアウトするほどでもないかという感じでしょうか。

 さらにひいたのは、夕刊で日本の施政方針演説全文が載っていましたが、バカみたいに長い。衆議院のネット中継サイトで見たら、なんと56分もパッと見た瞬間に見る気がなくなるような話を聴かされるのかと。おしゃべりをしている暇があったら、借金を減らしたらいかがでしょうと思いますが。国会答弁では「自民党が」を連発しているようですが、この勢いでゆけば、来年度あたりでいよいよ長期金利の上昇を見ることができそうですなあ。

 「君みたいになにも考えずに政権交代だけで民主党に入れる奴が」と年配の方に話しかけられて、「ハァ?」となりました。幸い、機嫌が悪いわけではなく、いろいろドキュメントを印刷している最中だったので、適当に流して聴いておりました。なにをそんなに印刷するのかと尋ねるので、ディスプレイを見せたら、こんなものを読んでいるのかと不思議そうでした。まあ、金融規制の強化自体には反対ではないのですが、当局が金融機関の活動や資産を完全に把握できるわけもなく、機能しそうにない話がでてきてげんなりです。一方で自己資本の増強を求めて、他方で儲けるなというわけですから、株価が下がるのも当然かと。表面的には一般教書演説で超党派の雰囲気をつくりましたが、いよいよ金融規制だけではなく、金融政策にも議会が口を出してきそうで、いやですなあ。

 げんなりするので、勝ち戦の話でも読んだ方が精神衛生によかろうと『戦略の本質』を読んで、気を紛らわすだけです。日露戦争でもよいのですが、やっぱりバトル・オブ・ブリテンがいいですなあ。戦史上はスターリングラードの戦いの方が意義が大きいのでしょうが、ナチスが最強だった時期に島国を守り抜いたチャーチルは、イギリス贔屓ということも大きいのでしょうが、やはりよいなあと。話が長いというのは(「寝言」と同列に扱うのはさすがに遠慮がありますが)、たいてい碌でもないということに気がついたので、簡潔な描写とアナリシスがよいだなあと。それにしても現実には民主主義諸国では「逆転のリーダーシップ」が発揮されることはなさそうで、あまり考えない方が精神衛生によさそうです。すみません、単なる愚痴になってしまいました。
posted by Hache at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言

2010年01月28日

オバマ政権の金融規制の周辺

 嵐の一週間の前の一休みというところでしょうか。疲れがとれにくく、本来の仕事に専念したいのですが、集中力が衰えているなあとしみじみ悲しい気分になります。英字紙を読むときには辞書と首っ引きになるので、けっこう疲れるなあと。大学受験のときからプログレッシブ英和中辞典で済ませてしまうことが多いのですが、大学受験程度で要求される6,400語も頭に入りきっていないのだなあと嘆息します。その程度のボキャブラリーで95%以上の得点がでてしまう昔の共通一次試験は欠陥試験ではないかと疑念をもってみております。英語力を強化しようという改革はいつも提案されていますが、大学入試の難易度を徐々に引き上げるだけでも、ずいぶんにマシになるのではと思ったりします。くだらない「寝言」を書くと、気楽に長い「寝言」が浮かびますなあ。

 さて、月曜日に金融規制改革からオバマ米大統領のリーダーシップを描こうとしましたが、さすがに無理でした。ただ、あの演説を読んで違和感があったのは、Volckerが持ち上げられているので、Geithnerはどういう立ち位置になるのだろうかと。オバマ大統領の提案自体がインセンティブという点ではたして法案が成立したとしても機能するのかどうか、疑問でした。もっとも、自己資本の増強という対策も評価が難しいところでして、金融機関の資本増強が資本市場に圧力をかける側面があります。今回、それを上回る、より直接的な金融機関への規制が提案されたおかげで、金融市場では、表面的な観察にすぎませんが、株式から債券へというよりリスク回避的な行動をとるインセンティブが生じているように見ておりますが。

 マサチューセッツの衝撃の後だっただけに、いろいろとオバマの肚をさぐりたくなるところですが、1月25日の「寝言」では私自身も混乱しておりました。「公表された側としては唐突な印象ですが、オバマ大統領からすれば、多少はサプライズを起こそうという色気があったのかもしませんが、案外、予定通りの行動だったのかもしれません」という一方で、ずいぶんせっかちな案に飛びついたものだなあと。まだ、わからないことだらけですが、Washington Postの2010年1月21日付のDavid Cho and Binyamin Appelbaumによる"Obama's 'Volcker Rule' shifts power away from Geithner"を読むと、事実関係に限定されていますが、オバマ政権の金融規制改革の変化がやや粗い印象もありますが、描かれています。なお、記事の和訳・紹介が目的ではないので、記述の順番とは無関係に引用しているいことをお断りしておきます。

 この記事によると、オバマ政権でボルカーのアイディアが影響力を持ち始めたのは、2009年10月の終わり頃のようです。"lete October"と記されているだけで日付は明らかではありませんが、この時期にオバマが経済のアドバイザーを招集してボルカーから説明を受けたようです(日時にこだわるのが理由があります。後で述べます)。この時期には、ガイトナーが主導した金融規制改革法案が審議されており、12月11日に下院を通過しました。秋頃までは金融規制改革についてはガイトナーがボルカーよりも影響力をもっていたようです。

 ボルカーの案とは対照的に、ガイトナーの自己資本増強はウォール街でも支持されていたようです。ガイトナーの案は、この記事では"the more moderate approach"と形容されています。金融危機の後では、まずシステミックリスクの顕在化を抑えた上で、金融市場における規制を整備すること自体は、アメリカの国内政策にとどまらず、国際的な協調の中心点の一つでしょう。また、適切なルール整備を図らなければ、ブレトン=ウッズ体制そのものの維持可能性にも、間接的でしょうが、支障が生じて聴くるでしょう。ガイトナーの提案は、2010年1月21日にオバマが演説で示した提案よりも、はるかに間接的な規制であると同時に、先進諸国の間である程度、コンセンサスが形成されていたという点でも現実的であったとはいえるでしょう。ただし、実際には自己資本規制は現時点ではアメリカとEUの現状の隔たりが大きく、延期されていますが。

 例によってとりとめがありませんが、2009年の秋頃までは、あえて乱暴に図式化すれば、ガイトナーが主流であり、ボルカーが傍流であったということでしょう。しかし、ボルカーの信念、すなわち、銀証分離を定めたグラス=スティーガル法の枠組みに戻り、商業銀行が「投機的行為」(これ自体をどのように実務的に定義するのかが問題の一つだと思うのですが)を行うことを禁止するという考えは、ジョン・リードやメルヴィン・キング(イングランド銀行総裁)などの支持を集めてゆきました。御高齢にもかかわらず、ボルカーは精力的にアメリカ国内の議員や複数の大陸の年で演説を行い、商業銀行の本業は信用を供与し、消費者や企業、政府などに利便性を提供することであり、ハイリスクの投資を行うべきではないと主張しました。

 私自身は、この主張が現実的かどうかという点で留保をしますが、預金などに関して政府保証がある下で、金融機関がリスクの高い金融商品を取り扱うのは、納税者との関係で利益が相反しますし、過度に自己勘定での取引を行うインセンティブを与えてしまう結果、商業銀行の融資や投資銀行のMA(商業銀行の活動と同等に扱うのは自分でも無理があるとは思いますが)など中核的な業務における収益性が低下しているとはいえ、それらの業務を疎かにしてしまうインセンティブが存在することなどは、古臭い発想だと一蹴するのもあまりに一面的でしょう。

 なお、この記事ではボルカーの主張に対し、ガイトナーは金融機関の特定の活動を禁止することは効果的ではなく、不必要に法律上、問題のない活動まで排除してしまうと述べていたようです。ガイトナーのプランが、"the more moderate approach"と形容されるのは、単に穏健であるというだけではなく、より直接的な規制では金融機関に対して監督当局が金融機関の努力やタイプを完全に把握できない状況において、直接的な規制を強化しても、適切なインセンティブを与える規制手段でなければ、金融機関の経営へディスインセンティブを与え、仮に投機的なタイプの行動をとる金融機関を排除できたとしても、官僚的に預金保険などを頼りに収益性の低いタイプの金融機関が高いタイプよりも優遇されてしまう"adverse selection"の問題を生むリスクを考慮していたのかもしれません。

 ちょっとガイトナーに好意的にすぎるかもしれませんが、規制の問題では、当局と金融機関の間で完全情報であれば、それでも実際には効率的な制度設計を行うのは決して容易ではありませんが、効率的な規制手段を絞り込むことは容易ですが、非対称情報下では、理論的にはかなりの部分が整理されているとはいえ、"moral hazard"と"adverse selection"の双方にトレードオフが生じ、適切な規制手段を絞り込むこと自体が政治的恣意の入り込む余地が生じます(たとえば、公共料金の決定でも次善の料金設定を行うための理論は存在しますが、実際に料金水準と料金体系を設計する際には理論から演繹的には導くことが困難な場合が多く、政治的な思惑が入り込む余地が存在します)。ボルカーのアイディアでは、このようなインセンティブの問題が度外視されている印象をもちます。この問題は、仮に銀証分離を行った場合でも、リスクに対する許容度を考慮する際に無視することはできないでしょう。

 それではガイトナーのプランからボルカーのプランが影響力をもったのはボルカーが単に頑張ったからかといえば、そうではないのでしょう。バイデン副大統領はボルカーの影響力を高めるようにサポートしたようです。しかし、より本質的な問題は、ウォール街に対して敵対的とまではゆかなくても、厳しい態度をとることがオバマにとって政治的には不可欠であったことが背景にあるようです。

  In mid-December, the president formally endorsed Volcker's approach and asked Geithner and Lawrence H. Summers, the director of the National Economic Council, to work closely with the former Fed chairman to develop proposals that could be sent to Capitol Hill. The three men had long discussions about the idea, including a lengthy one-on-one lunch between Geithner and Volcker on Christmas Eve.


 また、サイモン・ジョンソン(MITスローン経営大学院教授)は、オバマの提案を根本的な変化であると論評した上で、この提案が政治的な理由から行われたと指摘しています。また、今回の提案は政治的な圧力による主要な政策変更の兆候だと指摘しています(ただし、以上の観察に加えて、今回の政策の変化そのものに関しては、"but in a new and much more sensible direction"と肯定的に評価しています)。

 2009年10月の時点ではなお、ボルカーの信念とそれがオバマ政権では受容されていないことを指摘している記事があります。New York Timesに2009年10月21日に掲載されたLouis Uchitelleの"Volcker Fails to Sell a Bank Strategy"という記事です。今回のオバマ大統領の演説に唐突な印象を私がもったのは、10月の時点ではボルカーの影響力は非常に低かったからです。私自身が、つまみ食いですので、ひょっとしたら金融規制改革の変化に関する報道を見落としていただけかもしれません。

 この記事ではボルカーの思想がより明確に述べられています。下記の部分が、わかりやすいと思います。

  The only viable solution, in the Volcker view, is to break up the giants. JPMorgan Chase would have to give up the trading operations acquired from Bear Stearns. Bank of America and Merrill Lynch would go back to being separate companies. Goldman Sachs could no longer be a bank holding company. It’s a tall order, and to achieve it Congress would have to enact a modern-day version of the 1933 Glass-Steagall Act, which mandated separation.


 「ボルカー・ビュー」では金融危機のプロセスで巨大化した金融機関を分割するという厳格な規制を行うべしということです。JPモルガン・チェースはベア・スターンズとの合併によって取得したトレーディング業務を切り離すべきであり、バンカメとメリルリンチは別会社に分離されるべきであり、ゴールドマンサックスは銀行持株会社であるべきではない。これはグラス=スティーガル法にあたる現代版の法を制定することになります。また、商業銀行は有価証券の取引自体を禁じられ、預金を集め、決済システムを担い、適切な貸し出しを行う、金融システムの公共性の高い分野に特化することになります。「ボルカー・ビュー」にはスティグリッツが賛同していると記事は報じています。グリーンスパンはグラス=スティーガル法の時代には戻れないと捉えているようです。

 また、記事ではガイトナーやサマーズが投資銀行業務に携わる金融関係者の懸念を理解していると報じる一方で、ボルカー自身はガイトナーが主張する自己資本増強には賛成していると述べています。その意味では、"Volcker Rule"は、ガイトナーのプランを代替するというよりも、それをさらに強化するという位置づけになるのでしょう。ガイトナーやサマーズがボルカーのアイディアに懐疑的であったものの、最終的には認識を共有したのは、金融危機後の規制強化という点ではコンセンサスがあるということを反映しているのでしょう。

 金融は門外漢ですので、金融危機後の制度設計はかくあるべしという明確なビジョンはありません。素人的には、市場経済における信用は中央銀行がすべて行うわけではなく、民間部門である銀行が供与し、中央銀行をハブとして決済システムを市中銀行が構成するという、いわば私企業が公共性を担わざるをえないという問題がまずあるのでしょう。同時に、金融機関が公共性が高いとしても私企業である以上、収益性を追求することを制限することがトレードオフの関係にあると断言するのは困難だということでしょうか。

 もはやサブプライムローンという言葉を邦字紙でもお目にかかる機会が少なくなりましたが、2007年頃には明らかに略奪的と批判されてもやむをない貸出が行われていました。しかし、初期においては低所得者層に住宅購入を可能にするという点で、グリーンスパンの発言は金融危機後には揶揄の対象になっていますが、当初から投機だったとは断言できない部分もあるのでしょう。

 さらに、金融危機の進化で、それ以前からの地価の低下が大きいとはいえ、モーギッジも不安定の種となりました。CDOが投機目的で活用されたことも事実でしょうが、当初は金融機関の資金調達を助け、融資を活発化した側面もあるのでしょう。投機と投資はことなると主張するのは容易ですが、両者を実務的に峻別するのは困難な側面があると思います。平凡ですが、過ぎたるは及ばざるがごとしというところなのでしょう。問題は、ある行為がやりすぎだという明確な指標を立てることが困難な今日の金融システムの複雑さに対応しない金融規制は機能しないということだと思います。

 1997年以降の日本の金融危機は、決済システムをボルカーの主張するように商業銀行のみで構成することが、仮に理想的ではあっても、実現できるのかという問題を示唆していると思います。発端は、コール市場において三洋証券が焦げ付きをだしたことでした。日本の金融システムはアメリカのそれよりもはるかに単純でしたが、その国でさえ、銀行間市場から証券会社を排除することが可能かどうか。

 金融危機後、ドバイショックがあったとはいえ、金融システムは以前ほどの動揺を示すことはありません。金融規制改革、あるいは制度設計にはまだ時間があると思います。現代の市場経済では公的信用のみでは決済システムが機能しないこと、コール市場から、アメリカ独特の概念ですが、商業銀行以外の金融機関を排除することは困難であることを考慮して、適切とまではゆかなくても、概ね妥当な範囲で行うことにははるかに熟慮が必要なのでしょう。

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2010年01月25日

民主主義諸国におけるリーダーシップの麻痺

 管理画面で記事一覧を見ると、「寝言」の割にずいぶんと壮大なタイトルをつけているなあと。だからこそ「寝言」にしかならないのかもしれませんが。メディアの遠回しの表現というのも大したもので、宇宙人との説明では説得力に欠くとか、言葉が軽いとか、定型的ではありますが、ボキャブラリーが乏しい私には参考になりますな。リアルですと、政権発足当初から鳩山政権について尋ねられると、「アホ、バカ、死ね」(発言なので伏字にできませんし、録画しているわけではないので音を隠すわけにもゆきません)という三語に要約できるので、観察の対象にもなっていません。まだ、低能とはいえ、麻生政権の方がネタにするぐらいの、末路特有の華やかさがありました。ただ、政権交代にもかかわらず、政治的リーダーシップの欠如という根本的な問題は解決していないように映ります。

 他方、日本よりも早く政権交代を実現したアメリカのオバマ政権も苦悩の最中のようです。最近では金融改革に関するオバマの演説に端を発する金融制度改革、あるいは金融規制強化が『日経』では連日、とりあげられていますが、単なるポピュリズムとしては片付けられないのでしょう。確かに、マサチューセッツ・ショックがあり、New York Timesは、オバマ大統領が民主党に対するリーダーシップの強化を図っていると報道しています(参照)。以前、「"Yes We Can"は変わらないことを演出できるのか?」という「寝言」を書きましたが、オバマに対する期待値が高い上に、経済状況は最悪という下では、成果を急ぐのが一番、危険だろうと。大統領選挙中、オバマ対マケインの討論の第1回を見て驚きました。ブッシュ前大統領は不評のなかでも、内心は穏やかではなかったのでしょうが、やはり米大統領にふさわしい忍耐強さを発揮したと感じておりました。討論を見た印象は、オバマはせっかちだなあと。もっと、ちゃんとした観察をされている方、それを読まれている方にはあまりにナイーブな感覚でしょうが、オバマは、アメリカ人、あるいは政治に限らないリーダーにある美点でもありますが、せっかちで、ちょっと危なっかしいというのが率直な印象でした。マケインの意地の悪い煽りにつられてしまうあたりはちょっと嫌だなと。話が完全に本題からそれていますが、どうも今回の金融規制の強化は、演説を読んでもロジックが整理できているという印象がなく、とにかく成果を出さなくてはという焦りを感じます。あくまで、「感じ」であり、したがって「寝言」でしかないのですが。

 先ほどのNew York TimesのJeffF Zeleny and Peter Bakerによる
"Obama Moves to Centralize Control Over Party Strategy" を読んで、記事の本旨とは関係がないのですが、ははんと思ったのが、今週の水曜日に一般教書演説(State of the Union address)が予定されているということでした。アメリカの日付で1月21日に"Remarks by the President on Financial Reform"が公表されたタイミングが気になっていました。内容がもちろん問題なのですが、やはり唐突な印象がありましたが、こちらは焦りというよりは、一般教書演説に向けてオバマが準備をしているのだろうと。公表された側としては唐突な印象ですが、オバマ大統領からすれば、多少はサプライズを起こそうという色気があったのかもしませんが、案外、予定通りの行動だったのかもしれません。

 ただ、演説の内容たるや、やはり首をかしげてしまいます。規制の眼目は、(1)"private equity funds"やヘッジファンドへの商業銀行の出資を禁止すること、(2)金融機関の合併などによる集中を抑止することです。確かにヘッジファンドなどへの出資ではレバレッジがあまりに高くて、信用収縮期には"deleveraging"をもたらしました。ちゃんとしたデータをもとにしていませんが、ヘッジファンドなど多くのファンドは解散に追い込まれました。次の「バブル」が発生する前に予防措置として最も強力な手段を選ぼうということなのでしょうが、はたしてバブルを防ぐことが現状の金融において課題なのかどうか。レバレッジを規制することが目的ならば、他に手段はなかったのか。演説では"Economic Recovery Advisory Board"のメンバーとしてポール・ボルカーの名前が入っており、オバマ自身はファンドへの出資規制を"Volcker Rule"と呼んでいますが、実質的に投資銀行が消滅した現在では、再び銀証分離を定めたグラス=スティーガル法を復活させた上で、商業銀行には厳しい規制をかけようという意図が現実と一致しているのだろうかと。

 また、金融機関の集中規制ですが、不思議なことに競争(competition)の欠如という点への言及がありません。JPモルガンチェースがベアスターンズを合併した際には救済という側面が強かったと思いますが、この種の合併も禁止されるのでしょうか。演説では原則とその説明にとどまっているので、これから具体的なルールが策定されるのでしょうが、2008年以降の金融機関の合併のプロセス自体を暗に批判しているようにも読めます。また、このタイミングではバーナンキの再任にも影響がでる可能性もあるでしょう。報道ではファンドへの出資規制の方が注目されているようですが、オバマの演説を読んでいると、ブッシュ政権下の金融危機への対応に対する暗黙の批判を行っているように映ります。演説の順番とは逆ですが、"too big to fail"という理由から金融機関を救済したことがアメリカの納税者に負担をかけたというロジックから金融危機における批判を導くのは違和感を覚えますが、この演説では金融機関の規模が小さい方が金融システムが安定化するということが前提になっているようですが、まるで理解できないです。さらに、このロジックでは、報道でしか確認しておりませんが、GMの実質国有化は正当化できないでしょう。事業会社と金融機関とでは異なるという反論はできそうですが、ブッシュ政権はオバマの要請を受けて、私自身は問題が多かったと思いますが、GMACへのTARP資金投入でGMの処理をせずにオバマ政権に引き継ぎを図りました。GMの実質国有化は"too big to fail"そのものではないのかと思いますが、オバマはそうは捉えていないようです。なおかつ、金融機関への公的資金の投入は、納税者には評判が悪いですが、システミックリスクが沈静化すれば、返済される確率が事業会社よりも高いでしょう。どうもこのあたりの説明をオバマは逃げているようにも映ります。

 話があちらこちらに飛びますが、New York Timesの記事では、次のような指摘があります。

  The long and messy legislative fight over health care is a leading example of how Mr. Obama has failed to connect with voters, advisers say, because he appeared to do whatever it would take to get a bill rather than explain how people could benefit.


 「説明責任」という言葉をどこぞの島国で聞くと寝言は寝てから言え(コメント欄では私以外はNGワードです)と感じることが多いのですが、ある政策を実施する際に、法案の成立自体が自己目的化して、世論に対してどのような利益があるのかを説明して説得し、誘導するということがオバマは苦手なようです。アメリカの国内政治で最大の争点は医療保険制度改革でしょうが、そこに金融規制強化などが加われば、政策の実施にあたって人々にどのような利益があり、説得し行動を誘導するという民主政治におけるリーダーシップという点で、オバマ大統領に最も重要な資質が決定的に欠けるという評価になるのかもしれません。また、ブッシュのように批判にじっと耐えるという資質もオバマには現時点では感じないです。ブッシュ政権下ではイラク攻撃を代表に党派性が強く出る決定が行われましたが、不思議なことに党派間の殺伐とした党争にもかかわらず、ブッシュの言い分の多くが通りました。しかも、任期後半は議会は民主党が多数であった時期が続いたのにもかかわらず。ブッシュとオバマの個人的資質の相違について論じることができるほど、アメリカ政治を観察しているわけではないので不思議でしかないのですが。

 ただし、ブッシュ政権のパフォーマンス(成果)の評価は微妙です。経済政策では減税によってクリントン政権下の果実を放出しすぎた感もありますし、対外政策では任期後半の対北朝鮮政策の混乱や対中国政策も安全保障などハードパワーの側面では大きな問題はなかったと思いますが、通商政策ではアメリカ国内の保護主義を抑制する中国との対話を成立させるには至らず、2008年のイラクの安定化という成果にもかかわらず、全体として機能不全も目立ちました。

 「時の最果て」らしくとりとめもなく書いてみましたが、どうも、戦後、民主主義諸国として先進国では、主として経済的パフォーマンスの低下が注目されますが、むしろこれから問題になってくるのは政治的リーダーシップの欠如かもしれません。どこぞの島国はその意味では世界の最先端なのかも。本当に宇宙人だったら、よその星にお帰り頂くか、宇宙塵として永遠に空間をさまよっていただく(以下略)。

えっ、最後のさぶいギャグが書きたくてこんな長々と「寝言」を書いたんだろうって?

訴追の虞はございませんが、黙秘いたします。


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posted by Hache at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言

2010年01月23日

こども手当の「正しい」給付方法

20年物国債で当該金額を給付する。これで財源がないという鬱陶しい野党の批判はかわせる。手当特別債として朝令暮改朝三暮四の四文字を記しておく(参照)。
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2010年01月21日

中国共産党の米議会への「長い手」

 1月19日の「寝言」の続きを書こうと思いましたが、あまりにとりとめがなくなります。あの「寝言」を書きながら感じたのは、主として政治と経済の関係を考える際に、パワーポリティクスや経済を論じる際に抜け落ちてしまう問題をこれまで私があまりに度外視してきたことでした。まだ、米中関係の現状と今後について考え、もとい「寝言」を整理できる段階ではないので、米中関係を考える上で古典的な発想にもとづいている観察についてメモをしておきます。

 対象は、Washington Post紙に2010年1月9日付けで掲載され、ネットでも配信された、John Pomfretの"China's lobbying efforts yield new influence, openness on Capitol Hill"という記事です。この記事が「古典的な発想」にもとづいているというのは、中国のロビイングの強化が直接的には台湾海峡におけるアメリカのコミットメントを不確実にするリスクを指摘するとともに、中国政府がアメリカ政治の力学を学習して英国やドイツ、フランス、日本などの同盟国のように議会への影響力を確保しようとキャッチアップを図ろうとしていると鋭い洞察をしているからです。しばしばアメリカの対中政策は、"G-2"論に象徴される経済的相互依存による「米中融合」という方向性と外交・安全保障政策における対立や人権問題に代表される価値観の相違などによる「米中対立」に単純化されがちです。両極端の議論は論外としても、両者を総合的に叙述している書籍ですら、どちらの傾向が強くなるのかという筆者の予見にもとづいて事実を整理しがちです。Pomfretは、台湾海峡問題や同盟諸国との関係を視野に入れながら、アメリカ議会への中国の影響力が強まっていることを様々なインタビューや事実の指摘にもとづいて、丁寧に整理しているので、興味深く読みました。

 冒頭部分では、10年前には中国遠洋運輸がカリフォルニアのロングビーチでスパイ活動をしていたことを非難していたと指摘しています。しかるに、2009年にはジョン・ケリーが中国の国有会社である同社に対してアラスカ沖で海洋の浄化をしていることに感謝する決議を発案するといった具合に中国に対して友好的な雰囲気に大きく転換したことを指摘しています。また、下院ではステファン・リンチがボストンの港からヨーロッパの海運会社が撤退した後、中国遠洋運輸のトップを「人民の大使」と歓迎したことを指摘しています。この件では、中国企業の参入が数千の雇用を生み出したという指摘もしています。オレゴン州選出の下院議員のEarl Blumenauerは「中国人は共産主義者ではなく、中国人は中国人だ」と語ったと述べています。Pomfretは用心深くオレゴン州の輸出市場はカナダから中国へ移ったことを指摘しています。匿名の7期目を務める議員は、「中国をもはや無視することができない」と語ったと叙述しています。

 書き出すと長くなりますので、以下は箇条書きでメモを記しておきます。論旨を損なう虞のある個人的なのメモですので、興味をもたれた方は原文を読まれることをお勧めします。

●中国が経済成長を続けていたが、最近までアメリカ議会には無策であった。だが、現在では数百万ドルを使って、影響力では天敵である台湾をしのぐようになった(台湾関係法にはふれていないが、アメリカのコミットメントが不確実になる危険な兆候だろう)。

●10年前には党派に関係なくアメリカ議会は中国に攻撃的であったが、昨年10月に下院で孔子の生誕2,560年を祝う決議が認められた。

●カリフォルニア選出の上院議員Diannne Feinsteinは1979年にサンフランシスコ市長であり、最初に訪中した市長である。彼女は、中国は依然として社会主義国家であるが、いっそう資本主義的になると述べている。

●中国は対米貿易で巨額の貿易黒字を計上しているが、各議員の選挙区には対中貿易に依存する大企業及び中小企業を存在する。これらの議員には北京が反発する法案を葬り去る、あるいは骨抜きにするインセンティブが存在する。また、2008年には各選挙区の85%で対中輸出が伸びている。米議員は中国のCEOからロビングを受けている。

●中国のZhou Wenzhongは精力的に100年前後の議員を訪問している。彼によると、単に中国のイメージアップだけではなく、(通商上の)戦略を米議員と共有している。

●1990年代後半まで、中国大使館はアメリカ議会対策の職員を1名しか配属しておらず、その地位はきわめて低かった。また、米商工会議所は2001年の中国のWTO加盟から中国企業を潜在的な競争相手とみなし、中国離れが進んだ。さらに、1990年代半ばには台湾のロビイングは大きな成功を収めた。李登輝総統のコーネル大学訪問と演説は中国を激怒させた。これは、台湾海峡危機を促す効果をもった。2005年には中国海洋石油総公司によるユノカル買収が圧力を受け、シェブロンが買収した。この際、中国はロビー活動に400万ドルを費やした。

●2009年にはワシントンに200万ドルを投じて大使館を建設した。そこでは議会対策に少なくとも10名の、英語に堪能でアメリカの流儀を熟知した職員が勤務している。

●中国のロビイングは陰に隠れてきたが、表に出ると、手口が巧妙化している。2005年にシューマー=グラハム法が提出された(引用者:私自身はアメリカ議会の破廉恥な行為だと思うが)。これは中国が通貨切上げを行わなければ、中国製品に27.5%の関税をかけるという内容であった。これを機に中国は人民日報で激しくアメリカを非難する方法からシューマーを中国に招き、とりこむことによってご無体な法案を葬り去ることに成功した。

●2005年から2009年にかけて中国ははじめてアメリカの政治家を台湾よりも数多く国内に招待した。台湾とは対照的に、ロビイング企業にそれまでの3倍もの支出を行った。

●ワシントンには二種類の「中国の人たち("China people")」がいる。一方は中国が支持する「レッドチーム」であり、他方は台湾が後ろ盾になっている「ブルーチーム」である。今日では中国の影響力の上昇はレッドチームの士気をあげることに成功している。

●ナンシー・ペロシは1991年に訪中し、天安門事件広場で1989年の犠牲者への追悼の幕を掲げた。中国の人権問題を提起しているものの、2009年の訪中の際には、気候変動をはるかに重視した。議会のスタッフによると、「(彼女は)言動に注意している」。

●Del. Eni F.H. Faleomavaegaは下院外交委員会のアジア小委員会の長であり、台湾の強固な支持者であった。しかし、昨年、民主党議員は台湾への好意的な法案や決議を葬り去るか、骨抜きにした。

 ブッシュ政権下でも既に行政府レベルで中国への配慮から台湾への援助にブレが見られました。台湾関係法は、米中国交正常化にともなって議会が手当てしたものですから、議会の動向がアメリカの行政府の対台湾政策にも大きな影響を与えるでしょう。議会で親中派が増えると、アメリカの台湾海峡へのコミットメントは信頼性が低下するリスクがあるのでしょう。

 また、興味深いのは、中国のロビイングの強化が私が思っていたほど、戦略的ではないということです。1990年代にはずいぶん乱暴にアメリカを突っついて反発が強く、クリントンに「三つのノー」を言わせたものの、立法府は反発しました。そのような失敗は描かれていませんが、試行錯誤をしながら、中国が経済的利益とともに、三権分立というアメリカ政治の基本を抑えてロビイングを強化していることは注目に値します。中国が単にアメリカの政治システムを研究した結果ではなく、様々な失敗を重ねるうちに、金融危機後のアメリカの威信の低下にもかかわらず(あるいはそこにつけこんで)アメリカの議会がアメリカだけではなく、世界の世論の独裁者であることに気がつき、この数年でロビイングを強化していることは、台湾の運命だけではなく、アメリカと同盟関係にある民主主義国にも影響することにも、よほどの注意を払う必要があることを実感します。

 グーグル事件によって経済や市民的自由に関する米中の対立が注目されています。また、中国国内でも、チベット問題や新疆ウィグル地区の問題だけではなく、一般のネット利用者にも共産党の独裁体制への抵抗があることが表にでてきています。ただし、これらの動きを過大評価するのは危険でしょう。現状では、ただちに共産党の一党独裁が打倒され、民主化に向かうという状況ではないと思います。中国共産党は統治に要する費用の増大に苦しむでしょうが、民主化に幻想を抱くのは危険でしょう。また、仮に民主化が実現したとしても、台湾海峡を中心とする中国のナショナリズムが変化するという保証はないことにも留意が必要だと考えます。


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2010年01月19日

中国政府はインターネットに関する「戦争」で敗れつつある

 日曜日に服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記(増補版)』(中公新書 2009年)を読み始めました。土日は疲労が厳しくて眠気と脳の働きの低下(元々、低水準ではありますが)に耐えながら、読んでおりましたが、服部氏とルワンダ大統領の会談でスイッチが入って、最初から読み返しました。確か、本石町さんドラめもんさんのところでこの本を知ったのですが、中央銀行の役割から当時の固定為替相場制の問題点などを考えさせられます。まだ、読み切っていないので、落ち着いたところでじっくり読みたいです。日本銀行の職員の身分は公務員ではないのでしょうが、広い意味での公僕(public servant)として、尊敬しながら拝読しておりました。また、途上国の問題を論じるときに、過剰な善意が押し付けがましく、鬱陶しいのですが、そのような善意が適度な水準で日本人も捨てたものではないなあと明るい気分になります。報道を見ると、ただただ徒労感と閉塞感におそわれますので。

 増補された「ルワンダ動乱は正しく伝えられているか」も欧米、とくに米紙の偏向を厳しく指摘する一方で、日本の対応にも驚くほど的確な指摘をされていました。まだ、読み切っていないのに感想を書くのは、憚りがありますが、ルワンダ中央銀行内部における派閥の問題への対処に関する服部氏の描写を見ても、なにか原理原則からかくあるべしとするのではなく、実に細やかに現実を観察し、常識的な判断を下されることに脱帽します。バランス感覚が乏しい私には服部氏の実際的な思考と行動は実に頼もしく感じます。

 前振りが長くなりましたが、どうも私は観念的になりがちで、今回、とりあげるWall Street JournalのLoretta Chao and Jason Dean, "China Is Losing a War Over Internet"(2009年12月31日)の記事も、中国における"Great Firewall"をめぐる攻防を描いた実際的な話ですが、「寝言」に堕してしまう言い訳です。もう一つは、購読者のみが閲覧できる記事ですので、記事の内容をそのまま紹介できないという問題もあるのですが。以下も、観念的な話ですが、考えさせられることが多いので、別途、追記を行う予定です。なお、この記事は、日曜日から月曜日にかけて、WSJのアジア版では最も読まれている記事でした。グーグルをはじめとするICT関連企業と中国政府の攻防の背景を知りたいと思ったのですが、もはや単なる経済・経営の問題ではないなあと実感します。

 第1に、記事の後半部分で詳細に描かれていますが、中国政府の検閲とそれを逃れようとする市民がいたちごっこになっており、ネットの開放性を遮断しようとする共産党の検閲が敗れたわけではないが、敗れつつあるという趣旨です。やはり日本人の感覚では理解できないのですが、インターネット・サービスが本格化する1996年の段階から中国政府がインターネット利用を登録制にしようとしていたことはは驚きです。グラフが曖昧ですので、2005年の上半期でよいのかは疑問ですが、中国国内におけるインターネット利用者が1億人を超える10年近く前から、監督下に置こうとしていたのは、変な表現ですが、共産党の先見性を示しているのでしょう。インターネットは海外の情報へのアクセスの機会を広げると同時に、国内における言論統制を崩す危険を敏感に察知していたというわけです。

 第2に、"fan qiang"という言葉が共産党に反抗的なネット利用者で用いられているそうです。英語では"scall the wall"の意味とのことで、「壁を崩せ!」という感じでしょうか。繰り返しになりますが、中国のネット利用者の大半は中国政府の誘導もあって、他の国と同じく、ゲームや音楽を楽しんだり、「セレブ」のゴシップやスポーツに関する記事を読んだりと民主化とは無縁という表現はやや極端かもしれませんが、民主化を求める動きが燎原のように広がるという状況ではないようです。ちょっと、話が飛躍しますが、「先富論」の負の部分は中国の経済的な格差問題の文脈で捉えられることが多いと思いますが、生活水準の向上とともにコミュニケーションの手段が増えてくると、ただちに民主化までゆかなくても、市民的政治的自由を求める傾向は急激にではないのでしょうが、今後も広がってゆくのでしょう。

 第3に、中国の公安当局が警戒しているサイトが、08憲章に代表される反政府的な運動だけではないということを、興味深く感じました。記事の前半ででてくる官憲の横暴や後半で紹介されているメラミン汚染でこどもが苦しんでいることを告発するサイトなどは中国政府が真実を隠す以外に統治能力を維持することが困難になっていることを実感します。2009年の"Green Dam"はネーミングからして「寝言」、あるいは悪い冗談も顔負けですが、3億人を超えるネットユーザーをコントロールしようという発想が出てくること自体が、民主化以前に共産党の内政における統治能力を維持することが困難になっていることを示唆していると感じました。

 最後に、Chao and Deanは、記事の中間部で検閲は敗れつつあるが、敗れたわけではないと指摘した上で、検閲が失敗しつつあることがただちに共産党の権力を脅かすかどうかは不透明だと主張しています。むしろ、部分的にせよ、ネットを開放することはガス抜きになる結果、共産党の権力保持にプラスにはたらくかもしれないと指摘しています。おそらく、現実的な見方でしょう。ただし、最近のグーグル事件は、市民的政治的自由を強権的に抑圧する傾向の方が強いことを示していると思います。また、2009年7月の新疆ウィグル地区ではウィグル人がHIVを漢民族に感染させようとしているというデマが流れた事例が紹介されています。当局は、地区内でのインターネットを完全に遮断した後に、公的なメディアへのアクセスを認めるという形で検閲を強化しました。この事例は、中国の同化政策が、漢民族の異民族の強圧と隷属への反発にたいする恐怖という点で、完成していないという側面を示すとともに、いとも簡単にデマが流れてしまうという中国社会の成熟度を示しているのでしょう。共産党の一党独裁は、混乱期に入る可能性を秘めながら、同時に、ただちに瓦解するほどの脆弱性を示すにはいたっておらず、市民社会というほどの共通の価値観がないまま、コミュニティとの摩擦を起こしながら、場合によっては徐々に衰える可能性もあるのでしょう。他方、少なくとも一時的には強権的に権力を維持する余地はまだあるのかもしれません。

 私には中国政府、あるいは共産党の行動は理解しがたい面もあります。インターネットの検閲自体は、国内に限定すれば、反発がありながらも、共産党支配を崩すほどのインパクトがあるのかは疑問です。「先富論」で登場した富裕層は共産党支配に組み込まれている、あるいは今後組み込まれてゆく可能性もあるからです。他方、民族問題や経済成長にともなう環境汚染や種々の食品汚染などを考慮すると、一党独裁を肯定する意図はありませんが、統治のコストが上昇していることをWSJの記事は示唆していると思います。インターネットの検閲や中国国外企業の反発は、中国政治にどれほどのインパクトがあるのかはわかりません。中国異質論には問題もありますが、真実を隠そうとすればするほど知りたくなるという、私自身は人間の、一見、どうでもよい欲求が意外と本源的ではないにしても、根強いものだと考えております。中国人はこの欲求をどのように発露するのかは私にはわかりません。ただ、米中関係が安全保障というハードパワーの側面だけではなく、通商や通貨、文化などソフトパワーの側面に広がったときに、単純に民主化という方向性へと進むとは考えておりません。まだ、「寝言」を整理できていないので(整理された「寝言」がありましたかねというツッコミはご容赦)、気が向いたら、追記します。

2010年01月15日

クルーグマンは保護主義を正当化しているのか?

 えーと、あくまで「寝言」、あるいはたちの悪い冗談として、2010年1月7日に以下の文章を書きました。内閣総理大臣というのはやはり尋常な人物では担えるものではないようで、鳩山総理の「お言葉」にしびれてしまいました。やはり凡人にはまねができないなあと感心します。凡人なので、『寝言@時の最果て』をご覧になってリアル内閣総理大臣の器と凡人の差を見せつけようというわけではないのでしょうが、ついあらぬ妄想をしてしまいそうになります。

 「地球に優しい」という観点からすれば、とりわけ人類などは全滅させるのがよろしかろうと。だいたい、論理的につきつめれば、生命を特別扱いする理由などどこにもなく、なにかの拍子に通常の物質とは異なる形で自己再生産する厄介な物質が生じて、迷惑千万なのではと思います。他方、生命の誕生自体が悪い冗談ならば、これを無闇に殺生する理由もなく、なすがままに任せておけばよいというのが、私の流儀です。


 Wall Street Journalのアジア版社説をとりあげたら、偶然でしょうが、筋が悪いなあと言われたような気分になる記事が『世界の論調批評』に掲載されました。非常にクリアな分析でGoli Ameriの"Europe's Trade with Iran's Butchers"(参照)を読み落としていたのかなと。あらためてプリントアウトすると、読んだ覚えがあって、残念なことに電車の中で立ったまま寝てしまった記憶がよみがえりました。それにしても、しゃれにならない分析をされていて、ヨーロッパが裏切っている状況では、イランの核武装を阻止する手段が実質的にはなく、ついイランの核武装がイスラエルの再度の核武装を招くのではと思うと、ゾッとしました。

 「クルーグマンの中国為替政策批判」(参照)はちょっと微妙な感じです。批評の対象となっているのは、Paul Krugman, "Chinese New Year"(New York Times, January 1, 2010(参照))です。批評では、「第三に、保護主義をあっさりと肯定していることです」とまとめていますが、そうだとすると、かなり破廉恥な主張という気もしますが、原文を読むと微妙な感じです。確かに、クルーグマンの一面として、「政治心理のプロパガンディスト」という評価は妥当だと思います。ただし、"Chinese New Year"では保護主義そのものを肯定しているとはちょっといえないような。クルーグマンのコラムは同意しかねることが多いのですが、保護主義に関しては、そこまで明確に肯定しているわけではないと思います。

 面倒ですが、まずは、サミュエルソンを追悼したクルーグマンのブログの記事("The incomparable economist", 2009年12月15日(参照))では、2010年1月1日のコラムよりも詳しく説明しています。

6. Exchange rates and the balance of payments: A bit of personal storytelling: Most people who work in international trade tend to lose the thread when the discussion turns to exchange rates and the balance of payments; as I’ve sometimes put it, the real trade people regard international macro as voodoo, while the international macro people regard real trade as boring and irrelevant (and when I’m in a sour mood, I suggest that both are right). But I was saved from all that when I read Dornbusch, Fischer and Samuelson 1977 on Ricardian trade, which among other things showed how trade and macro, exchange rates and the balance of payments, the possibility of gains from trade but also the possibility of unemployment, all fit together.

What I learned later was that Samuelson grasped these issues much earlier, although the neatness of the DFS formulation surely helped get them across. Here’s what he wrote in his 1964 paper “Theoretical notes on trade problems”: “With employment less than full and Net National Product suboptimal, all the debunked mercantilist arguments turn out to be valid.” And he went on to mention the appendix to the latest edition of his Economics, “pointing out the genuine problems for free-trade apologetics raised by overvaluation”. The solution, of course, was to end the overvaluation rather than restrict trade; Samuelson understood that good macroeconomic policies are a prerequisite for good microeconomic policies. More on that in a minute.

(訳)
6. 為替レートと国際収支

 ちょっと個人的な話をしよう。貿易論に携わっている大部分の人たちは、為替レートと国際収支の議論をすると、脈絡を見失いがちになる。私が表現してきたように、貿易論畑の人たちは国際マクロ経済学をブードゥー教のようにみなす一方、国際マクロ経済学畑の人たちは貿易論がつまらなく、問題を扱うのに不適切だとみなす(私自身、不機嫌な気分のときには両者とも正しいと思う)。だが、私は、リカード派の貿易に関するドーンブッシュ=フィッシャー=サミュエルソンの1977年の論文を読んで救われた。この論文(引用者注:Dornbusch, Rudiger, Stanley Fischer, and Paul A. Samuelson, 1977, "Comparative Advantage, Trade, and Payments in a Ricardian Model with a Continuum of Goods," American Economic Review 67)は、貿易とマクロ経済学を融合させ、為替レートと国際収支の問題が、貿易の利益の可能性だけではなく、失業の可能性を生むことを示している。

 DFSモデル(引用者注:Dornbusch, Fischer, Samuelson)による精緻化は貿易論と国際マクロ経済学を横断的に理解するのを助けるが、この論文を読んだ後で、サミュエルソンがもっと早くこの問題を理解していたことがわかった。1964年の論文、"Theoretical notes on trade problems"(Review of Economics and Statistics 23)には次のように書かれている。「不完全雇用かつ国民純生産が部分最適になっていない状態では、偽とされた重商主義のあらゆる議論は正しい」。加えて、サミュエルソンは当時における最新版の『経済学』の付録にふれ、「通貨の過剰評価によって生じる自由貿易擁護論にとっての真の問題を指摘」した。解は、もちろん通貨の過大評価をやめることであって、貿易の制限ではない。サミュエルソンは、よいマクロ経済政策がよいミクロ経済政策の基礎であることを理解していた。

 
 というわけで、クルーグマンの論拠になっている論文の現代的な評価は私には手におえませんが、少なくとも、ドルがいわゆる基軸通貨である戦後国際体制を前提にした場合、自由貿易がかならずしも世界全体の厚生を改善しない理論的可能性が存在することがクルーグマンの主張の前提になっています。また、その理論的可能性が現実の経済を描写する上で適切な場合でも、保護貿易ではなく為替レートの調整によって不均衡が解消されるべきだと主張している点で、単純に保護主義を肯定しているとはいえないでしょう。非常に政治色の強いコラムであることは『世界の論調批評』の指摘する通りですが、いくつもの前提に支えられているとはいえ、単なる政治的主張やポジショントークとして片付けるわけにはゆかないと思います(多々、問題は感じますが)。

 このコラムはむしろ、中国の「重商主義的政策」が、中国経済自体を傷つける可能性を示唆していることが興味深いと思います。また、このコラムでは元がドルとペグされていることを問題視していますが、円やユーロはフロート制であることを強調している点も、やや深読みの感は自分自身でもありますが、要注意でしょう。クルーグマンのオバマ政権や為替市場への影響力をはかりかねますが、不用意に円安政策を追求すると、やはり為替操作国として問題視される可能性が存在します。1995年とは状況が異なりますが、アメリカが不況と雇用不安で覆われている状態では、用心深く、保護主義そのものを肯定することは避けてはいるものの、アメリカの通貨政策が他国に不寛容になる傾向があることをクルーグマンのコラムは示唆していると考えます。


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2010年01月14日

中国とイランの枢軸?

 時間がとれません。左下肢が日・月とそれぞれ1万歩程度、歩いてから痛みます。1ヶ月に一度の診断では、むくみではないだろうと。ベテランの先生による触診ですので、信頼しているのですが、血管がぴくぴくするので気もち悪いです。2ヶ月前からワーファリンの投与を中止しているので、いつでも再発するリスクがありますし。ちょっと立ち止まって考えたいことが山ほどあるのですが、私の能力の低さと不安のせいで、落ち着かない日々が続いております。

 それにしても、財務省というのは世間では評判が悪いのですが、大したものだなあと。ほとんど整合性のないマニフェストを税制改正の方向性としてロジックをたてるのは並大抵ではない苦痛でしょう。時間がとれたら、こちらも考えてみたいと思います。小沢氏のゴタゴタでさらに民主党離れが進むでしょうが、この数年間は混乱するにしても、なにも生まなかったでは日本社会が内外の問題に対応する能力を失うでしょう。個人的な趣味では、消費税増税のような大きな話(税率を上げるべきだ下げるべきだという床屋談義にはいま一つ興味がわかないというひねくれ者ですが)よりも、租税特別措置に興味が向きます。

 世の中を捨てるほどの胆力もなく、英字紙を読みながら、向こう10年ぐらいは大変だろうなあと。2010年1月11日のWall Street Journal(Asia edition)の社説、"China and the Islamic Republic"(参照)はコンパクトですが、興味深いです。プリントアウトすると、左上のタイトルが"The Beijing-Tehran Axis"となっていて、こちらが本音なのでしょう。この社説の主張をごく簡潔に要約すると、中国は国内体制を維持するために非民主主義国家を支援しているということです。この判断が妥当かどうか、私自身は材料と力量が乏しいので断言はできませんが、中国脅威論としては読んでおいた方がよいと思いましたので、以下、自分用のメモです。


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2010年01月12日

成人の日によせて(旬のすぎた「寝言」)

 ふと帰りの電車で和服姿の若い女性が目について成人の日なんだなあと実感しました。荒れる成人式とかその手の話がいつだったか盛んでしたが、若いんだからバカの一つも今のうちに済ませておけというところでしょうか。最近はその手の話も減って、おとなしくなったのか、メディアがどうでもよくなったのか、年金を支える「生贄」が減ることが心配なのかはわかりませんが、報道がめっきり減りました。唯一、違和感を感じたのは、私自身は静岡市で成人式を迎えましたが、つまらない話に耐えられる人は会場内へ、そうじゃない人は式典の途中から参加していました。偉い人の話はつまらないというのは相場が決まっていますから、その程度のことも当時の成人の一部はわからないんだなあというのが率直な実感です。

 もっとも、私が学生の時代にもイライラすることは多くて、講義の最後の時間は試験の説明を行う先生が多かったのですが、とにかく、うるさい。大学の講義に出ていて呆れたのは、講義中に私語をするバカが多いことでした。まあ、学力が足りなくて碌でもない大学に進学したので、こんなもんだろうなとは思いましたが。その意味では、今の20代が特別、劣化したというわけでもなかろうと。ただ、後で述べますが、世代内格差は広がる一方になるのかもしれないという懸念はもっておりますが。

 成人式をとっくに終えた20代前半の人と話していてちょっとひいてしまうのは、新聞に今年の秋ぐらいには失業率が10%を超えるかもしれないという数字が出ていましたと話しかけられたときでした。ちょっと虫の居所が悪いので、マスメディアでも民主党バッシングが広がっているが、現状で失業率が5%台なのに、そんなに急速に悪化するわけないだろうと一蹴してしまいました。総務省の「労働力調査」(2009年11月)では労働力人口が6,591万人ですから、現状から5%も失業率が上昇するとなると、330万人程度の失業者が生じる勘定になります。大雑把に言えば、建設業の4分の3程度の雇用が失われる計算です。若いということは、物事を抽象的に考える傾向が強いという側面があります。これは私自身も若いときには同じでしたし、現在でも抽象的な思考と具体的な問題への対処が分離する傾向があります。話がそれますが、元々、観念的な傾向が強いドイツの学が戦前にあまりに表層的に輸入されたために、今でも英米の学を吸収できずにいるのが実態ではと感じることもあります。レインズの『イギリス保険史』をいまだに読みこなせないので、このことに関してはあまり強いことは言えないのですが。

 新卒者の就職内定率が急速に悪化しているために、高等学校・大学などでキャリア教育を重視せよという意見もあるようです。それはそれで傾聴に値するのですが、現在、提案されている内容を見る限りは、一見、長期的に若年層の未来を確保する意図にもとづいているようですが、短期的にはそのような教育を受けていない層への配慮がない上に、長期的にも効果が見込めないというのが素朴な実感です。端的に言えば、学生から人気の高い大企業ですら、業績の浮き沈みが激しいために若手を育てる余裕がなくなってきているのが1990年代以降の状況でしょう。単に、就職するだけならば、就職先を選ばなければ、口がないわけではない。他方、企業は社内で人を育てる余地が狭くなっているため、いわゆる「厳選採用」になってしまい、雇用のミスマッチが生じてしまいます。さらに、就職しても、新人がスキルを育てるのには余裕がない。キャリア教育の必要性を否定するものではありませんが、教育機関に社内教育の代替ができるとは思えないのです。教育や労働市場、教育政策、労働政策に疎いので、まさに「寝言」ですが、現状は労働サービスの担い手は人間であるという基本を忘れた雇用流動化ばかりを追いかける風潮と、市場経済で生きる以上、労働市場においても競争がなければ市場が機能しないということを忘れた人たちがタコツボで自己満足に陥っているのが現状だと思います。


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posted by Hache at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言