2010年01月15日

クルーグマンは保護主義を正当化しているのか?

 えーと、あくまで「寝言」、あるいはたちの悪い冗談として、2010年1月7日に以下の文章を書きました。内閣総理大臣というのはやはり尋常な人物では担えるものではないようで、鳩山総理の「お言葉」にしびれてしまいました。やはり凡人にはまねができないなあと感心します。凡人なので、『寝言@時の最果て』をご覧になってリアル内閣総理大臣の器と凡人の差を見せつけようというわけではないのでしょうが、ついあらぬ妄想をしてしまいそうになります。

 「地球に優しい」という観点からすれば、とりわけ人類などは全滅させるのがよろしかろうと。だいたい、論理的につきつめれば、生命を特別扱いする理由などどこにもなく、なにかの拍子に通常の物質とは異なる形で自己再生産する厄介な物質が生じて、迷惑千万なのではと思います。他方、生命の誕生自体が悪い冗談ならば、これを無闇に殺生する理由もなく、なすがままに任せておけばよいというのが、私の流儀です。


 Wall Street Journalのアジア版社説をとりあげたら、偶然でしょうが、筋が悪いなあと言われたような気分になる記事が『世界の論調批評』に掲載されました。非常にクリアな分析でGoli Ameriの"Europe's Trade with Iran's Butchers"(参照)を読み落としていたのかなと。あらためてプリントアウトすると、読んだ覚えがあって、残念なことに電車の中で立ったまま寝てしまった記憶がよみがえりました。それにしても、しゃれにならない分析をされていて、ヨーロッパが裏切っている状況では、イランの核武装を阻止する手段が実質的にはなく、ついイランの核武装がイスラエルの再度の核武装を招くのではと思うと、ゾッとしました。

 「クルーグマンの中国為替政策批判」(参照)はちょっと微妙な感じです。批評の対象となっているのは、Paul Krugman, "Chinese New Year"(New York Times, January 1, 2010(参照))です。批評では、「第三に、保護主義をあっさりと肯定していることです」とまとめていますが、そうだとすると、かなり破廉恥な主張という気もしますが、原文を読むと微妙な感じです。確かに、クルーグマンの一面として、「政治心理のプロパガンディスト」という評価は妥当だと思います。ただし、"Chinese New Year"では保護主義そのものを肯定しているとはちょっといえないような。クルーグマンのコラムは同意しかねることが多いのですが、保護主義に関しては、そこまで明確に肯定しているわけではないと思います。

 面倒ですが、まずは、サミュエルソンを追悼したクルーグマンのブログの記事("The incomparable economist", 2009年12月15日(参照))では、2010年1月1日のコラムよりも詳しく説明しています。

6. Exchange rates and the balance of payments: A bit of personal storytelling: Most people who work in international trade tend to lose the thread when the discussion turns to exchange rates and the balance of payments; as I’ve sometimes put it, the real trade people regard international macro as voodoo, while the international macro people regard real trade as boring and irrelevant (and when I’m in a sour mood, I suggest that both are right). But I was saved from all that when I read Dornbusch, Fischer and Samuelson 1977 on Ricardian trade, which among other things showed how trade and macro, exchange rates and the balance of payments, the possibility of gains from trade but also the possibility of unemployment, all fit together.

What I learned later was that Samuelson grasped these issues much earlier, although the neatness of the DFS formulation surely helped get them across. Here’s what he wrote in his 1964 paper “Theoretical notes on trade problems”: “With employment less than full and Net National Product suboptimal, all the debunked mercantilist arguments turn out to be valid.” And he went on to mention the appendix to the latest edition of his Economics, “pointing out the genuine problems for free-trade apologetics raised by overvaluation”. The solution, of course, was to end the overvaluation rather than restrict trade; Samuelson understood that good macroeconomic policies are a prerequisite for good microeconomic policies. More on that in a minute.

(訳)
6. 為替レートと国際収支

 ちょっと個人的な話をしよう。貿易論に携わっている大部分の人たちは、為替レートと国際収支の議論をすると、脈絡を見失いがちになる。私が表現してきたように、貿易論畑の人たちは国際マクロ経済学をブードゥー教のようにみなす一方、国際マクロ経済学畑の人たちは貿易論がつまらなく、問題を扱うのに不適切だとみなす(私自身、不機嫌な気分のときには両者とも正しいと思う)。だが、私は、リカード派の貿易に関するドーンブッシュ=フィッシャー=サミュエルソンの1977年の論文を読んで救われた。この論文(引用者注:Dornbusch, Rudiger, Stanley Fischer, and Paul A. Samuelson, 1977, "Comparative Advantage, Trade, and Payments in a Ricardian Model with a Continuum of Goods," American Economic Review 67)は、貿易とマクロ経済学を融合させ、為替レートと国際収支の問題が、貿易の利益の可能性だけではなく、失業の可能性を生むことを示している。

 DFSモデル(引用者注:Dornbusch, Fischer, Samuelson)による精緻化は貿易論と国際マクロ経済学を横断的に理解するのを助けるが、この論文を読んだ後で、サミュエルソンがもっと早くこの問題を理解していたことがわかった。1964年の論文、"Theoretical notes on trade problems"(Review of Economics and Statistics 23)には次のように書かれている。「不完全雇用かつ国民純生産が部分最適になっていない状態では、偽とされた重商主義のあらゆる議論は正しい」。加えて、サミュエルソンは当時における最新版の『経済学』の付録にふれ、「通貨の過剰評価によって生じる自由貿易擁護論にとっての真の問題を指摘」した。解は、もちろん通貨の過大評価をやめることであって、貿易の制限ではない。サミュエルソンは、よいマクロ経済政策がよいミクロ経済政策の基礎であることを理解していた。

 
 というわけで、クルーグマンの論拠になっている論文の現代的な評価は私には手におえませんが、少なくとも、ドルがいわゆる基軸通貨である戦後国際体制を前提にした場合、自由貿易がかならずしも世界全体の厚生を改善しない理論的可能性が存在することがクルーグマンの主張の前提になっています。また、その理論的可能性が現実の経済を描写する上で適切な場合でも、保護貿易ではなく為替レートの調整によって不均衡が解消されるべきだと主張している点で、単純に保護主義を肯定しているとはいえないでしょう。非常に政治色の強いコラムであることは『世界の論調批評』の指摘する通りですが、いくつもの前提に支えられているとはいえ、単なる政治的主張やポジショントークとして片付けるわけにはゆかないと思います(多々、問題は感じますが)。

 このコラムはむしろ、中国の「重商主義的政策」が、中国経済自体を傷つける可能性を示唆していることが興味深いと思います。また、このコラムでは元がドルとペグされていることを問題視していますが、円やユーロはフロート制であることを強調している点も、やや深読みの感は自分自身でもありますが、要注意でしょう。クルーグマンのオバマ政権や為替市場への影響力をはかりかねますが、不用意に円安政策を追求すると、やはり為替操作国として問題視される可能性が存在します。1995年とは状況が異なりますが、アメリカが不況と雇用不安で覆われている状態では、用心深く、保護主義そのものを肯定することは避けてはいるものの、アメリカの通貨政策が他国に不寛容になる傾向があることをクルーグマンのコラムは示唆していると考えます。


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