2010年01月19日

中国政府はインターネットに関する「戦争」で敗れつつある

 日曜日に服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記(増補版)』(中公新書 2009年)を読み始めました。土日は疲労が厳しくて眠気と脳の働きの低下(元々、低水準ではありますが)に耐えながら、読んでおりましたが、服部氏とルワンダ大統領の会談でスイッチが入って、最初から読み返しました。確か、本石町さんドラめもんさんのところでこの本を知ったのですが、中央銀行の役割から当時の固定為替相場制の問題点などを考えさせられます。まだ、読み切っていないので、落ち着いたところでじっくり読みたいです。日本銀行の職員の身分は公務員ではないのでしょうが、広い意味での公僕(public servant)として、尊敬しながら拝読しておりました。また、途上国の問題を論じるときに、過剰な善意が押し付けがましく、鬱陶しいのですが、そのような善意が適度な水準で日本人も捨てたものではないなあと明るい気分になります。報道を見ると、ただただ徒労感と閉塞感におそわれますので。

 増補された「ルワンダ動乱は正しく伝えられているか」も欧米、とくに米紙の偏向を厳しく指摘する一方で、日本の対応にも驚くほど的確な指摘をされていました。まだ、読み切っていないのに感想を書くのは、憚りがありますが、ルワンダ中央銀行内部における派閥の問題への対処に関する服部氏の描写を見ても、なにか原理原則からかくあるべしとするのではなく、実に細やかに現実を観察し、常識的な判断を下されることに脱帽します。バランス感覚が乏しい私には服部氏の実際的な思考と行動は実に頼もしく感じます。

 前振りが長くなりましたが、どうも私は観念的になりがちで、今回、とりあげるWall Street JournalのLoretta Chao and Jason Dean, "China Is Losing a War Over Internet"(2009年12月31日)の記事も、中国における"Great Firewall"をめぐる攻防を描いた実際的な話ですが、「寝言」に堕してしまう言い訳です。もう一つは、購読者のみが閲覧できる記事ですので、記事の内容をそのまま紹介できないという問題もあるのですが。以下も、観念的な話ですが、考えさせられることが多いので、別途、追記を行う予定です。なお、この記事は、日曜日から月曜日にかけて、WSJのアジア版では最も読まれている記事でした。グーグルをはじめとするICT関連企業と中国政府の攻防の背景を知りたいと思ったのですが、もはや単なる経済・経営の問題ではないなあと実感します。

 第1に、記事の後半部分で詳細に描かれていますが、中国政府の検閲とそれを逃れようとする市民がいたちごっこになっており、ネットの開放性を遮断しようとする共産党の検閲が敗れたわけではないが、敗れつつあるという趣旨です。やはり日本人の感覚では理解できないのですが、インターネット・サービスが本格化する1996年の段階から中国政府がインターネット利用を登録制にしようとしていたことはは驚きです。グラフが曖昧ですので、2005年の上半期でよいのかは疑問ですが、中国国内におけるインターネット利用者が1億人を超える10年近く前から、監督下に置こうとしていたのは、変な表現ですが、共産党の先見性を示しているのでしょう。インターネットは海外の情報へのアクセスの機会を広げると同時に、国内における言論統制を崩す危険を敏感に察知していたというわけです。

 第2に、"fan qiang"という言葉が共産党に反抗的なネット利用者で用いられているそうです。英語では"scall the wall"の意味とのことで、「壁を崩せ!」という感じでしょうか。繰り返しになりますが、中国のネット利用者の大半は中国政府の誘導もあって、他の国と同じく、ゲームや音楽を楽しんだり、「セレブ」のゴシップやスポーツに関する記事を読んだりと民主化とは無縁という表現はやや極端かもしれませんが、民主化を求める動きが燎原のように広がるという状況ではないようです。ちょっと、話が飛躍しますが、「先富論」の負の部分は中国の経済的な格差問題の文脈で捉えられることが多いと思いますが、生活水準の向上とともにコミュニケーションの手段が増えてくると、ただちに民主化までゆかなくても、市民的政治的自由を求める傾向は急激にではないのでしょうが、今後も広がってゆくのでしょう。

 第3に、中国の公安当局が警戒しているサイトが、08憲章に代表される反政府的な運動だけではないということを、興味深く感じました。記事の前半ででてくる官憲の横暴や後半で紹介されているメラミン汚染でこどもが苦しんでいることを告発するサイトなどは中国政府が真実を隠す以外に統治能力を維持することが困難になっていることを実感します。2009年の"Green Dam"はネーミングからして「寝言」、あるいは悪い冗談も顔負けですが、3億人を超えるネットユーザーをコントロールしようという発想が出てくること自体が、民主化以前に共産党の内政における統治能力を維持することが困難になっていることを示唆していると感じました。

 最後に、Chao and Deanは、記事の中間部で検閲は敗れつつあるが、敗れたわけではないと指摘した上で、検閲が失敗しつつあることがただちに共産党の権力を脅かすかどうかは不透明だと主張しています。むしろ、部分的にせよ、ネットを開放することはガス抜きになる結果、共産党の権力保持にプラスにはたらくかもしれないと指摘しています。おそらく、現実的な見方でしょう。ただし、最近のグーグル事件は、市民的政治的自由を強権的に抑圧する傾向の方が強いことを示していると思います。また、2009年7月の新疆ウィグル地区ではウィグル人がHIVを漢民族に感染させようとしているというデマが流れた事例が紹介されています。当局は、地区内でのインターネットを完全に遮断した後に、公的なメディアへのアクセスを認めるという形で検閲を強化しました。この事例は、中国の同化政策が、漢民族の異民族の強圧と隷属への反発にたいする恐怖という点で、完成していないという側面を示すとともに、いとも簡単にデマが流れてしまうという中国社会の成熟度を示しているのでしょう。共産党の一党独裁は、混乱期に入る可能性を秘めながら、同時に、ただちに瓦解するほどの脆弱性を示すにはいたっておらず、市民社会というほどの共通の価値観がないまま、コミュニティとの摩擦を起こしながら、場合によっては徐々に衰える可能性もあるのでしょう。他方、少なくとも一時的には強権的に権力を維持する余地はまだあるのかもしれません。

 私には中国政府、あるいは共産党の行動は理解しがたい面もあります。インターネットの検閲自体は、国内に限定すれば、反発がありながらも、共産党支配を崩すほどのインパクトがあるのかは疑問です。「先富論」で登場した富裕層は共産党支配に組み込まれている、あるいは今後組み込まれてゆく可能性もあるからです。他方、民族問題や経済成長にともなう環境汚染や種々の食品汚染などを考慮すると、一党独裁を肯定する意図はありませんが、統治のコストが上昇していることをWSJの記事は示唆していると思います。インターネットの検閲や中国国外企業の反発は、中国政治にどれほどのインパクトがあるのかはわかりません。中国異質論には問題もありますが、真実を隠そうとすればするほど知りたくなるという、私自身は人間の、一見、どうでもよい欲求が意外と本源的ではないにしても、根強いものだと考えております。中国人はこの欲求をどのように発露するのかは私にはわかりません。ただ、米中関係が安全保障というハードパワーの側面だけではなく、通商や通貨、文化などソフトパワーの側面に広がったときに、単純に民主化という方向性へと進むとは考えておりません。まだ、「寝言」を整理できていないので(整理された「寝言」がありましたかねというツッコミはご容赦)、気が向いたら、追記します。