2010年01月28日

オバマ政権の金融規制の周辺

 嵐の一週間の前の一休みというところでしょうか。疲れがとれにくく、本来の仕事に専念したいのですが、集中力が衰えているなあとしみじみ悲しい気分になります。英字紙を読むときには辞書と首っ引きになるので、けっこう疲れるなあと。大学受験のときからプログレッシブ英和中辞典で済ませてしまうことが多いのですが、大学受験程度で要求される6,400語も頭に入りきっていないのだなあと嘆息します。その程度のボキャブラリーで95%以上の得点がでてしまう昔の共通一次試験は欠陥試験ではないかと疑念をもってみております。英語力を強化しようという改革はいつも提案されていますが、大学入試の難易度を徐々に引き上げるだけでも、ずいぶんにマシになるのではと思ったりします。くだらない「寝言」を書くと、気楽に長い「寝言」が浮かびますなあ。

 さて、月曜日に金融規制改革からオバマ米大統領のリーダーシップを描こうとしましたが、さすがに無理でした。ただ、あの演説を読んで違和感があったのは、Volckerが持ち上げられているので、Geithnerはどういう立ち位置になるのだろうかと。オバマ大統領の提案自体がインセンティブという点ではたして法案が成立したとしても機能するのかどうか、疑問でした。もっとも、自己資本の増強という対策も評価が難しいところでして、金融機関の資本増強が資本市場に圧力をかける側面があります。今回、それを上回る、より直接的な金融機関への規制が提案されたおかげで、金融市場では、表面的な観察にすぎませんが、株式から債券へというよりリスク回避的な行動をとるインセンティブが生じているように見ておりますが。

 マサチューセッツの衝撃の後だっただけに、いろいろとオバマの肚をさぐりたくなるところですが、1月25日の「寝言」では私自身も混乱しておりました。「公表された側としては唐突な印象ですが、オバマ大統領からすれば、多少はサプライズを起こそうという色気があったのかもしませんが、案外、予定通りの行動だったのかもしれません」という一方で、ずいぶんせっかちな案に飛びついたものだなあと。まだ、わからないことだらけですが、Washington Postの2010年1月21日付のDavid Cho and Binyamin Appelbaumによる"Obama's 'Volcker Rule' shifts power away from Geithner"を読むと、事実関係に限定されていますが、オバマ政権の金融規制改革の変化がやや粗い印象もありますが、描かれています。なお、記事の和訳・紹介が目的ではないので、記述の順番とは無関係に引用しているいことをお断りしておきます。

 この記事によると、オバマ政権でボルカーのアイディアが影響力を持ち始めたのは、2009年10月の終わり頃のようです。"lete October"と記されているだけで日付は明らかではありませんが、この時期にオバマが経済のアドバイザーを招集してボルカーから説明を受けたようです(日時にこだわるのが理由があります。後で述べます)。この時期には、ガイトナーが主導した金融規制改革法案が審議されており、12月11日に下院を通過しました。秋頃までは金融規制改革についてはガイトナーがボルカーよりも影響力をもっていたようです。

 ボルカーの案とは対照的に、ガイトナーの自己資本増強はウォール街でも支持されていたようです。ガイトナーの案は、この記事では"the more moderate approach"と形容されています。金融危機の後では、まずシステミックリスクの顕在化を抑えた上で、金融市場における規制を整備すること自体は、アメリカの国内政策にとどまらず、国際的な協調の中心点の一つでしょう。また、適切なルール整備を図らなければ、ブレトン=ウッズ体制そのものの維持可能性にも、間接的でしょうが、支障が生じて聴くるでしょう。ガイトナーの提案は、2010年1月21日にオバマが演説で示した提案よりも、はるかに間接的な規制であると同時に、先進諸国の間である程度、コンセンサスが形成されていたという点でも現実的であったとはいえるでしょう。ただし、実際には自己資本規制は現時点ではアメリカとEUの現状の隔たりが大きく、延期されていますが。

 例によってとりとめがありませんが、2009年の秋頃までは、あえて乱暴に図式化すれば、ガイトナーが主流であり、ボルカーが傍流であったということでしょう。しかし、ボルカーの信念、すなわち、銀証分離を定めたグラス=スティーガル法の枠組みに戻り、商業銀行が「投機的行為」(これ自体をどのように実務的に定義するのかが問題の一つだと思うのですが)を行うことを禁止するという考えは、ジョン・リードやメルヴィン・キング(イングランド銀行総裁)などの支持を集めてゆきました。御高齢にもかかわらず、ボルカーは精力的にアメリカ国内の議員や複数の大陸の年で演説を行い、商業銀行の本業は信用を供与し、消費者や企業、政府などに利便性を提供することであり、ハイリスクの投資を行うべきではないと主張しました。

 私自身は、この主張が現実的かどうかという点で留保をしますが、預金などに関して政府保証がある下で、金融機関がリスクの高い金融商品を取り扱うのは、納税者との関係で利益が相反しますし、過度に自己勘定での取引を行うインセンティブを与えてしまう結果、商業銀行の融資や投資銀行のMA(商業銀行の活動と同等に扱うのは自分でも無理があるとは思いますが)など中核的な業務における収益性が低下しているとはいえ、それらの業務を疎かにしてしまうインセンティブが存在することなどは、古臭い発想だと一蹴するのもあまりに一面的でしょう。

 なお、この記事ではボルカーの主張に対し、ガイトナーは金融機関の特定の活動を禁止することは効果的ではなく、不必要に法律上、問題のない活動まで排除してしまうと述べていたようです。ガイトナーのプランが、"the more moderate approach"と形容されるのは、単に穏健であるというだけではなく、より直接的な規制では金融機関に対して監督当局が金融機関の努力やタイプを完全に把握できない状況において、直接的な規制を強化しても、適切なインセンティブを与える規制手段でなければ、金融機関の経営へディスインセンティブを与え、仮に投機的なタイプの行動をとる金融機関を排除できたとしても、官僚的に預金保険などを頼りに収益性の低いタイプの金融機関が高いタイプよりも優遇されてしまう"adverse selection"の問題を生むリスクを考慮していたのかもしれません。

 ちょっとガイトナーに好意的にすぎるかもしれませんが、規制の問題では、当局と金融機関の間で完全情報であれば、それでも実際には効率的な制度設計を行うのは決して容易ではありませんが、効率的な規制手段を絞り込むことは容易ですが、非対称情報下では、理論的にはかなりの部分が整理されているとはいえ、"moral hazard"と"adverse selection"の双方にトレードオフが生じ、適切な規制手段を絞り込むこと自体が政治的恣意の入り込む余地が生じます(たとえば、公共料金の決定でも次善の料金設定を行うための理論は存在しますが、実際に料金水準と料金体系を設計する際には理論から演繹的には導くことが困難な場合が多く、政治的な思惑が入り込む余地が存在します)。ボルカーのアイディアでは、このようなインセンティブの問題が度外視されている印象をもちます。この問題は、仮に銀証分離を行った場合でも、リスクに対する許容度を考慮する際に無視することはできないでしょう。

 それではガイトナーのプランからボルカーのプランが影響力をもったのはボルカーが単に頑張ったからかといえば、そうではないのでしょう。バイデン副大統領はボルカーの影響力を高めるようにサポートしたようです。しかし、より本質的な問題は、ウォール街に対して敵対的とまではゆかなくても、厳しい態度をとることがオバマにとって政治的には不可欠であったことが背景にあるようです。

  In mid-December, the president formally endorsed Volcker's approach and asked Geithner and Lawrence H. Summers, the director of the National Economic Council, to work closely with the former Fed chairman to develop proposals that could be sent to Capitol Hill. The three men had long discussions about the idea, including a lengthy one-on-one lunch between Geithner and Volcker on Christmas Eve.


 また、サイモン・ジョンソン(MITスローン経営大学院教授)は、オバマの提案を根本的な変化であると論評した上で、この提案が政治的な理由から行われたと指摘しています。また、今回の提案は政治的な圧力による主要な政策変更の兆候だと指摘しています(ただし、以上の観察に加えて、今回の政策の変化そのものに関しては、"but in a new and much more sensible direction"と肯定的に評価しています)。

 2009年10月の時点ではなお、ボルカーの信念とそれがオバマ政権では受容されていないことを指摘している記事があります。New York Timesに2009年10月21日に掲載されたLouis Uchitelleの"Volcker Fails to Sell a Bank Strategy"という記事です。今回のオバマ大統領の演説に唐突な印象を私がもったのは、10月の時点ではボルカーの影響力は非常に低かったからです。私自身が、つまみ食いですので、ひょっとしたら金融規制改革の変化に関する報道を見落としていただけかもしれません。

 この記事ではボルカーの思想がより明確に述べられています。下記の部分が、わかりやすいと思います。

  The only viable solution, in the Volcker view, is to break up the giants. JPMorgan Chase would have to give up the trading operations acquired from Bear Stearns. Bank of America and Merrill Lynch would go back to being separate companies. Goldman Sachs could no longer be a bank holding company. It’s a tall order, and to achieve it Congress would have to enact a modern-day version of the 1933 Glass-Steagall Act, which mandated separation.


 「ボルカー・ビュー」では金融危機のプロセスで巨大化した金融機関を分割するという厳格な規制を行うべしということです。JPモルガン・チェースはベア・スターンズとの合併によって取得したトレーディング業務を切り離すべきであり、バンカメとメリルリンチは別会社に分離されるべきであり、ゴールドマンサックスは銀行持株会社であるべきではない。これはグラス=スティーガル法にあたる現代版の法を制定することになります。また、商業銀行は有価証券の取引自体を禁じられ、預金を集め、決済システムを担い、適切な貸し出しを行う、金融システムの公共性の高い分野に特化することになります。「ボルカー・ビュー」にはスティグリッツが賛同していると記事は報じています。グリーンスパンはグラス=スティーガル法の時代には戻れないと捉えているようです。

 また、記事ではガイトナーやサマーズが投資銀行業務に携わる金融関係者の懸念を理解していると報じる一方で、ボルカー自身はガイトナーが主張する自己資本増強には賛成していると述べています。その意味では、"Volcker Rule"は、ガイトナーのプランを代替するというよりも、それをさらに強化するという位置づけになるのでしょう。ガイトナーやサマーズがボルカーのアイディアに懐疑的であったものの、最終的には認識を共有したのは、金融危機後の規制強化という点ではコンセンサスがあるということを反映しているのでしょう。

 金融は門外漢ですので、金融危機後の制度設計はかくあるべしという明確なビジョンはありません。素人的には、市場経済における信用は中央銀行がすべて行うわけではなく、民間部門である銀行が供与し、中央銀行をハブとして決済システムを市中銀行が構成するという、いわば私企業が公共性を担わざるをえないという問題がまずあるのでしょう。同時に、金融機関が公共性が高いとしても私企業である以上、収益性を追求することを制限することがトレードオフの関係にあると断言するのは困難だということでしょうか。

 もはやサブプライムローンという言葉を邦字紙でもお目にかかる機会が少なくなりましたが、2007年頃には明らかに略奪的と批判されてもやむをない貸出が行われていました。しかし、初期においては低所得者層に住宅購入を可能にするという点で、グリーンスパンの発言は金融危機後には揶揄の対象になっていますが、当初から投機だったとは断言できない部分もあるのでしょう。

 さらに、金融危機の進化で、それ以前からの地価の低下が大きいとはいえ、モーギッジも不安定の種となりました。CDOが投機目的で活用されたことも事実でしょうが、当初は金融機関の資金調達を助け、融資を活発化した側面もあるのでしょう。投機と投資はことなると主張するのは容易ですが、両者を実務的に峻別するのは困難な側面があると思います。平凡ですが、過ぎたるは及ばざるがごとしというところなのでしょう。問題は、ある行為がやりすぎだという明確な指標を立てることが困難な今日の金融システムの複雑さに対応しない金融規制は機能しないということだと思います。

 1997年以降の日本の金融危機は、決済システムをボルカーの主張するように商業銀行のみで構成することが、仮に理想的ではあっても、実現できるのかという問題を示唆していると思います。発端は、コール市場において三洋証券が焦げ付きをだしたことでした。日本の金融システムはアメリカのそれよりもはるかに単純でしたが、その国でさえ、銀行間市場から証券会社を排除することが可能かどうか。

 金融危機後、ドバイショックがあったとはいえ、金融システムは以前ほどの動揺を示すことはありません。金融規制改革、あるいは制度設計にはまだ時間があると思います。現代の市場経済では公的信用のみでは決済システムが機能しないこと、コール市場から、アメリカ独特の概念ですが、商業銀行以外の金融機関を排除することは困難であることを考慮して、適切とまではゆかなくても、概ね妥当な範囲で行うことにははるかに熟慮が必要なのでしょう。

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