2010年03月30日

レガシーコストの増加とプロテクションレントの上昇

 どうでもよいのが国内政治という「寝言」ですべて終わりです。あんなものを真面目に考えようという人が少なくないことに、民度が高いのか、他に楽しいことがないのか、頭を悩ませてしまう程度には「外道」ではありますが。そんな私でも『日経』の一面ぐらいは斜め読みをするわけでして、ああ、やっぱり大変だなあと。まずは、トップの厚生年金基金で想定はしておりましたが、データをどこでとればよいのかわからないので留保付きではありますが、運用収益の悪化で基金の4割程度が積立金を崩すという状態だそうです。

 この手の話はだんだんとバカらしくなって、若者に向かってご高説をのたまう高齢の方から給付の削減もやむなしという主張がまったくといってよいほど見当たらないのが象徴的だろうと。『日経』の記事は「運営経費を賄うため保険料率を上げる基金も出てきそうだ」と結んでいますが、過去に積み立てた分よりも給付が上回る事態もそう遠くはないんだなあと。露骨に言えば、年金改革は給付ができなくなるまで追い込まれない限り、絵に描いた餅にしかならないので、論じるのもバカバカしい。はっきりしているのは、JALの再建をめぐる議論が残してくれた教訓というのは、よほどのことがない限り、年金受給者というのは自らの権利のみを考慮して、その費用にはまったくといってよいほど鈍感だということでしょうか。というわけで企業の事業活動と国と地方の財政が破綻に追い込まれるまで、この国の高齢者は食いつぶして下さるのでしょう。まさに焼け野原が残るというわけです。さすがにタイトルでは控え目に「レガシーコストの増加」としましたが、「孫子の世代にツケを回さない」とかおっしゃるのだったら、さっさと二葉亭四迷(以下略)。

 てなわけで、論じることが難しいので「寝言」なんですが、現行制度の下では、現役世代が自由に使える資源がますます乏しくなる一方でしょう。他方で、政治がこれを変えるという兆しはまったくなく、お金の使い方を知らない、働いていない人たちの生活を賄うために現役世代が働くという状態が10年程度は続くのでしょう。いってみれば、日が照っているのにまったく気温が上がらないような気候でして、これで現役世代がダメだから日本社会はダメになるとか言われるのは笑止千万というところでしょうか。

 そんなわけで年金一つでも動脈硬化が著しい日本社会ですが、それでも外敵への備えがきちんとしていれば、寿命を延ばすことも不可能ではないのでしょう。『日経』の「日米安保50年」という左上の連載を読んでいましたが、副題が「同盟の寿命」とありまして、こちらもそろそろいつ切れてもおかしくないかなと。日英同盟が廃棄されたような形での日米安保廃棄はないだろうと思いますが。周囲が中国を筆頭に軍拡に走る中、防衛費の漸減が続く日本というのは日米安保がなければ、真っ先に攻撃して下さいとお願いしているようなもので、なんとも滑稽ですなあ。自分では血の犠牲は嫌でございます。米軍がなんとかして下さい。でも基地はどこも嫌がりますときますと、専門的な議論などしなくても、日米安全保障条約が紙切れ同然になるのは必然かと。まだ基地問題でアメリカ側が話し合おうという姿勢をもっているのを見ると、アメリカ人というのは辛抱強いものだなあと。確かに、日本は朝鮮半島と台湾海峡という地政学上のリスクを抑えるには適所で米軍がここを捨てることはないといってよいのでしょう。他方で、日本防衛の義務は間違っても口には出さないでしょうが、米軍からするとバカバカしくなってくるかもしれません。糖尿病に心臓発作をしている人が、車にはねられたらどうなるか。健全な状態でも大変ですが、かなりの確率で死ねそうです。

 というわけでとりとめもなく、日本社会が直面し、なんらかの解を見出さない限り、社会の存続が困難になる問題はレガシーコストの増加とプロテクションレントの上昇であろうと。その上で、頓死を避けようとするのなら、やはりプロテクションレントの上昇に対応することに高い優先順位をつけるのが望ましいのでしょう。あまりに大雑把ですがMD関連を含めて防衛費を倍増するには消費税率2%の引き上げで済みます。他方で、消費税率の引き上げ分を防衛費に回すというのは政治的に説得することはほとんど不可能でしょう。北朝鮮がミサイル実験と核開発を行っても、防衛力を高めることがコンセンサスには至りませんでした。単に防衛費だけではなく、ミサイル防衛に関連する集団的自衛権の行使を可能にすること(これは最低のラインでしょう)や防衛というハードとともに中国の台頭へ関与と抑止(要はアメとムチですが)で日米が共同で外交的に対処することなどが含まれるでしょう。

 現政権ではこの問題でも害をなすだけでしょうが、安全保障へのコンセンサスが生まれるための一時的な混乱ならば、耐えられないというほどでもありません。他方、北朝鮮という、中国よりもはるかに軽率な国家の脅威でさえ、コンセンサス形成ができなかったことを考慮すると、民主党中心の政権であろうが、自民党が再生しようが、その他の合従連衡であろうが、安全保障に関する優先順位を高めるコンセンサス形成は非常に困難でしょう。「武備を忘れざる者は良く成るを守る」というのは至言だと思いますが、それを実行するには高い政治的リーダーシップとともに、それを受け入れる被統治者の理解、あるいは諦念が不可欠でしょう。どちらも欠いた国の運命は、偶然に委ねられるだけであろうという「寝言」が浮かびます。


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2010年03月27日

あるということ 生きるということ

 誠に遺憾ながら、木曜日にて禁煙作戦は一時断念です。第2次作戦開始というところです。単に、意志が弱いだけですが、ふと驚きました。ああ、私はあるということに満足することができずに生きようとしていると。病的かもしれませんが、こうも生への執着というものが根強いことに驚きます。正確には生に執着があること自体、ネガティブなことだとは思っておりません。また、普通は「ある」ということと「生きる」ということは切り離すことができないでしょう。禁煙を中断して、吸い終わって、タバコを含めてなにか生きるということがあるということと別のことであり、まるで虹を追っているようなものだと感じました。厭世感というよりも、生きている自分が他人のように思えて不思議なことをしているものだと驚いたしだいです。

 思えば、子どものときから、何事かをなして何事もなかったようにくたばろうと、おそらくは祖母の死後から生への執着が強くなったのでしょう。あるいは、やや鼻につくのはご容赦して頂きたいのですが、自然と同じく人間や社会にも法則(あるいは主観から独立して成立する規則性)があるのだろうかという問いを高校生あたりで疑問に感じてから、これは普通の意味で生きるということは異なることだとは感じておりましたが、やはり生への執着なのであっただろうと。言葉の通じない人にいくら言葉で説明しても無駄だということがわかりましたが、時々、私は死体になるという表現を用いることがあります。無私というと胡散臭いのですが、死体になって世の中を見ていると、ほーと思うことがあります。ところが、その中身を表現しようと思うと、言葉や数式を用いなければならず、死体でいるわけにはゆかない。もっとも、死んだ形式に直すわけですから、ごく普通の感覚では死んでいるのかもしれませんが。

 しかるに、驚いたことに、米中関係を追っているうちに、ふと、生きようとしている自分の執着に気がついて驚きました。予見を排するといっても生きようとしており、事態をありのままに見ようと欲すること自体、生きようとしているのだと。そこになにか、価値を見出そうとしていること自体が生きていることのなのだと。「寝言」そのものですが、ふと、「生きる」こととは別の「ある」ということがあってびっくりしました。極論ですが、自殺すら、「生きる」ということではないかと。なぜなら、死にたいという衝動に駆られたわけではなく、「生きる」ということから「ある」ということがわかれてしまうと、生きようが死のうがあるということにはなんの影響もなく、いわゆる普通の言葉の意味で「生きた肉体」と「死体」の区別など、どちらも「ある」という点では無差別なのですから。自分でも、あらぬことを書いている自覚はあるのですが、驚いたことに「ある」ということの「ない」というのは区別がないようです。あるいはその区別に到達するまでいっていないだけかもしれませんが。

 私自身が整理できないのですが、「生きる」あるいは「死ぬ」ということが「ある」ということの仮の姿というわけでもなく、どっちにしても、「ある」ということにはなんの影響ももたらさないということに驚いています。そのような「ある」を見ている私はなんなのだろうかと。単に頭がおかしいと言われれば、あっさり肯定します。ただただ、「ある」ということに驚いています。

 ふと思うのは、こんな性癖など病気そのもので、生きる上ではやっかいでしかないということですね。妙な感覚を覚えてしまったものでして、世間一般では重要とされる感覚を欠いてしまう。人非人と言われれば、そんな感じ。まあ、何事もなく朝を迎えたわけですが、世間で価値があるものがわからなくなってしまう。面倒なことに、国際関係がどうなろうが、日本政治がどうなろうがそこに善悪是非などの価値などなにもないのですが、あるように振舞うというのは非常に困難であり、今後、一生、そういうふりを続けるのかと思うと、まったくもって「寝言」、あるいは悪い冗談みたいなものだなと。 
posted by Hache at 06:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2010年03月20日

米中経済関係中心の3月20日のリンク集

 ニコチン断ちをして24時間が経過しました。このまま、おさらばできればよいのですが、眠くて眠くてくたばりそうです。一週間ぐらいは頭が使えそうにないので、既読・未読に関係なく米中関係に関する記事を後で自分が確認できるようにリンクを貼っておきます。米中の経済関係を雑に整理しますと、(1)元切上げをめぐる攻防、(2)中国国内における企業と政府の独特の関係に対するアメリカ企業の反発、(3)中国企業の対外直接投資と中国政府の関係となりましょうか。中国は目覚ましい経済成長を遂げているとはいえ、先進国がある程度、共有している市場経済のルールとは馴染まない、異質のプレイヤーであることを私自身が軽視していたと思います。

はあ、それにしても気分は最悪。本当に禁煙なんてできるのかなあ。15年ぐらい前は1ヶ月ぐらいなら簡単に禁煙できたのですが、この眠気は異常ですね。しかし、脱税していた者が首相、頭が悪そうな財務相とくれば、ごくわずかでも政府に徴収される税金を減らそうと必死になりますな。バカと無能にくれてやる金などないのだよ、貧乏人には。思えば、禁煙のインセンティブが生じるので不思議なものです。ああ、しみじみ霞が関の中の人じゃなくってよかった。あんなのが上司かと思うと、ストレスで頭だけじゃなくて体までがおかしくなりそうですな。

(1)元の切り上げをめぐる米中の攻防

(a) Will China Listen?

Editorial, New York Times, March 16, 2010. (リンク先

(b) Senators Introduce China Currency Manipulation Bill

Corey Boles and Shayndi Raice, Wall Street Journal, March 16, 2010.(リンク先

(c) The Yuan Scapegoat

Wall Street Journal(Asia edition), March 18, 2010. (リンク先

(2)中国国内における企業と政府の関係

(a) Business Sours on China

Andrew Browne and Jason Dean, Wall Street Journal, March 17,2010. (リンク先

(b) China Hears Foreign Firm Complaints

Wall Street Journal, March 17, 2010. (リンク先

(c) In China, Google users worry they may lose an engine of progress

John Pomfret, Washington Post, March 20, 2010. (リンク先

(3)中国企業の対外直接投資と中国の外交

(a) 中国企業が作り出す異質の競争環境

『世界の論調批評』(2010年02月24日) (リンク先

(b) Get Ready, Here China Inc. Comes

Michael J. Enright, W. John Hoffmann and Peter Wood, Wall Street Journal(Asia edition), February 24, 2010. (リンク先) ((a)の批評対象になっている元の記事)

(4)その他

(a) メディアが伝えぬ日本捕鯨の内幕 税を投じて友人をなくす

谷口智彦(リンク先

(b) Time to break the fog of Middle East politics

David Ignatius, Washington Post, March 21, 2010. (リンク先

 この程度で昔のPCみたいにヨレヨレですな。てなわけで、ニコチン依存症から解放されたら、更新するかもです。どうせ失敗するんだろうと思っている方は毎日、ご覧いただければ幸いですね。ちなみに、コメントを頂いても、しばらくは返さないので、ほとんどコメントがないのに断る必要がないだろうというツッコミはおいておいて、ご了解ください。これだけでも、一服したくなるぐらい厳しいので。


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posted by Hache at 22:10| なまもの(海外情勢等)

2010年03月18日

日本には政府が必要だ

 リーダーで他ブログの記事や邦字紙のサイトを適当に眺めていると、維新ごっこが流行りのようですね。平和なものですなあ。コーエーのゲームに『維新の嵐』というのがありましたが、カードゲームをやっているような気分でした。なんだか日本政治というのはずいぶんと薄っぺらくなったようです。海外でこんな政治をウォッチしていないだろうと思ったら、Wall Street Journalが2010年3月17日付でJames Simmsによる"Japan Needs A Government"という記事を配信しました。記事のタイトルが真面目なのか、揶揄が入っているのかは私の語学力ではわかりませんでした。

 噴いたのは、冒頭部分で"It's time for the training wheels to come off."と述べていて、そろそろ自転車操業に乗るために、補助輪を外すときだと、ちょっと小バカにしていて、非国民の私には鳩山内閣の成立と支持率低下などの経緯にふれた上で、参議院で民主党が過半数をえていないために、少数党に配慮せざるをえないことを指摘しています。金融制度改革やアメリカとの安全保障問題で連立相手の小政党に振り回されているとも指摘ししています。また、長期的な経済成長と傷んだ社会保障制度を見直していくという公約を果たすのにも少数党との連立が不可欠だと述べています。

 まあ、邦字紙にしても日本語のブログでも、国内政治は上品なものでして退屈なのですが、この記事は辛辣なぐらいです。"Unfortunately, Mr. Hatoyama, the scion of a political dynasty, has proven unable so far to make tough decisions."と述べています。鳩山氏は政治的名門の御曹司ではあるが、不幸なことにタフな決断ができないことがわかってきたと指摘しています(もう少しこなれた日本語訳にすると、「神輿は軽くてパーがいい」という感じかな)。なんとなく思っていても、口にできないところでしょうか(脱税の話が海外で出てなくてよかったですね。普通は政治生命を失う程度に厳しく一発アウトでしょう)。まあ、"incapable"と書かないわけですから、辛辣というほどでもないのかな。興味深いのは、描写ばかりしているわけではなく、次のような分析を行っていることです。

  Part of the problem is that the government lacks a central decision-making body. The administration said it will abolish the Council on Economic and Fiscal Policy, which brought together the prime minister, key cabinet members and the Bank of Japan governor.
  Now dormant, the council at times proved effective in carrying out policy. But Mr. Hatoyama doesn't want something identified with previous structural reforms championed by former Prime Minister Junichiro Koizumi, a popular politician from the rival Liberal Democratic Party.

 問題の一部は、政府が中央の意思決定体を欠いていることだ。政権は、経済財政諮問会議を廃止すると述べた。経済財政諮問会議には首相や主要閣僚、日銀総裁などが参加する。
 今ではこそ、会議は、休眠状態だが、政策を実行するのには有効であった。しかし、鳩山氏は小泉元純一郎総理(自由民主党の人気の高いライバル政治家)が支持した構造改革と同一視されることを欲していない。


 まあ、財務大臣が「デフレ宣言」をして、なにか対策をするのかと思ったら、日銀がなにかやれよというすごい政権ですのでなにかを望むこと自体ムダだというのが非国民である日本人たる私の感覚ですが、政府の意思統一が出来ていないというのは的をえているかなと。また、記者は小泉さんが引退したことを知っているのか、ちょっと疑問に感じますが、海外の日本政治関連では小泉政権の評価が高く、この記事では婉曲的ながらも、小泉改革を評価して、鳩山氏がそれを嫌っているという指摘も興味深いです。小沢氏との二元支配という指摘はやや食傷気味でしょうか。この記事の分析でもでてくるように、前回の総選挙では自民党でなければよいというだけの理由で集団自殺政権交代が起きたわけですから、役者が変わっただけでもインパクトがあり、やっていることは小泉政権と同じでも問題がなかったのでしょう。

 ちょっと先走っている感じもありますが、最後のパラグラフでは「民主党のへまにもかかわらず、だが、それゆえ民主党は次の選挙で負けるだろう。鳩山氏が機会を利用しようとするのなら、最良の行動があっただろう」と結んでいます。官邸主導の政治は小泉政権で、いろいろと不備もありましたが、プロトタイプができました。安倍・福田・麻生政権は、それをメンテナンスすることに失敗しました。失望した国民は、政権を代えましたが、さらに政治的な意思決定プロセスが混迷するでしょう。中国の為替レートに関する米紙の反応がすさまじいので前座として軽く触れるつもりでしたが、意外と長くなったので、次の機会に回します。


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2010年03月16日

カンダハールの憂鬱

 『寝言@時の最果て』を書き始めたのが、2006年の2月13日だったんだなあと。感慨もないのですが、書き始めた頃には4年も続くとは思わなかったです。右サイドバーが異様に長くてみっともないなあと思って整理しました。カテゴリーを整理して減らしたり、過去ログの表示を減らしたりしましたが、意外と不便なので、過去ログだけは元に戻しました。なぜ、2月13日を選んだのかは覚えていないのですが。4年も「寝言」が続いているのも驚きますが、私自身が生きているというのも想定外でして、なんだか面倒くさいなあと。厭世とも異なる感覚でして、大した運動もしていないのにお腹が空いて食べるのも億劫ですし、仕事で目先のことに追われるのもバカバカしい。ただ、高校生時代に人間の営みや社会にも自然科学のような法則性があるのだろうかという疑問をもちつつ、なんの答えもえられないまま、くたばるのでしょう。この程度の見通しなら、確実です。4年前に書いた「寝言」からあまり進歩がないものだと苦笑します。

 国内の話はなんだか興味がわかないです。もう何年かぶりに『痛いニュース』を見ていたら、この記事がなんだか象徴的だなあと。よその都道府県のことと片付けられない光景が日本全体で起きているような感覚ですね。金融機関、とくに地銀は融資先がなくて国債を買っている国では将来はお世辞にも明るいとはいえないのでしょう。

 クルーグマン先生が"Taking On China"というコラムをNew York Timesに掲載しました。コラム自体よりもコメントや海外のブログなどの反応を見ていると、米中関係というのは経済の面でも補完的な関係になるのは非常に難しいのかもしれません。どうも最近、過度に悲観的に物事を見ているような気がしますが、私自身は米中対立というのは日本にとっては避けられるのなら、生じない方がよいだろうという感覚で見ております。米中関係を見るときに、経済では協調、安全保障では対立という図式では整理できず、現状では協調の余地が、少しずつではありますが狭まってきていると思います。"China's Swan Song"をとりあげたのは、一見、政治色が薄い、理屈っぽいコラムでも、元の切り上げという結論がありきになっている側面もあるからです。リベラルにもあこがれることがあるのですが、自分が愚劣だということもあり、世間の人はもっと怜悧なんだろうけれど、同じ程度に愚劣なんだろうなという「寝言」が浮かびますね。

 まあ、そんな「寝言」ばかりが浮かぶ日々ですが、オバマのアフガニスタン増派はなんとも重苦しいものを浮かべます。「オバマはアフガンに沈む」という「寝言」を書いたこともありますが、「イラクよりも『出口』が見えないアフガニスタン(続き)」という「寝言」で書いたカンダハール情勢が気になります。なんとなく憂鬱ですので、自分の思い込みを強化する情報ばかり拾っているのではと自分自身に懐疑的になりますが、Washington Postが2010年3月14日付で配信したKeith B. Richburgの"Kandahar slides into lawlessness as Taliban attacks force government to retreat"という記事を読みながら、重苦しい気分になりました。

 この記事は、Abdul Majid Babaiが2月24日に射殺されるに至った描写がメインになっていますが、以前の「寝言」でメモした"In Kandahar, a Taliban on the Rise"という記事の内容と酷似しており、ヘルマンド州での軍事作戦が開始した後でもカンダハールの治安が悪化していることが、新しいとすらいえると思います。米軍の作戦そのものは成果を挙げていますが、タリバン掃討戦が軍事行動としてどの程度の成果をもたらすのかはわかりません。この記事では、ヘルマンド州はカブール政府のコントロールが及んでいない地域だと指摘されています。対照的に、カンダハール市は、カルザイの甥の影響下にはありますが、治安は米軍の軍事行動の開始とともに悪化の一途をたどっていると指摘しています。イラク安定化に貢献した2008年の作戦は、イランの支援を受けたシーア派勢力を抑えるのに成功する一方、バスラの戦いにおいて"AL Quds"との休戦が成立するなど、武装勢力を単に掃討するだけではなく、妥協も成立しています。現時点ではタリバンは妥協に応じる姿勢を見せておらず、イラク安定化をアフガニスタンで実現するのははるかに困難だと思います。

 この記事で、最も重要な描写は最後のパラグラフです。

  Abdul Satar, a former Taliban minister of refugees and returnees who switched sides a year ago, estimates that there are 3,000 to 4,000 active Taliban fighters in Kandahar province, and he said people assist the Taliban not out of loyalty, but out of fear.

  "The majority of people say they are afraid of the Taliban," said Satar, who works as a paid adviser to the government's reconciliation commission in Kandahar. "But they are better than the government, because the government is so corrupt."


 Abdul Satarは、タリバンからカルザイ政権に立場を移した人物で、カンダハールの調停委員会のアドバイザーを務めているとのこと。彼によれば、カンダハールにおける活発なタリバン戦士は3,000から4,000とのことで、数だけ見れば、タリバン掃討は容易だとすらいえるのでしょう。しかし、Satarによれば、「カンダハールの住民は、タリバンへの忠誠ではなく恐怖からタリバンを支援している」と述べる一方で、「大多数の住民はタリバンを恐れているが、カンダハールの政府があまりに腐敗しているため、タリバンの方がマシだ」とも述べています。

 単に、タリバンを傷めつけるのなら、現状の作戦は成功するかもしれません。問題は、軍事行動がいかなる政治的な目標と合致しているかという点です。タリバンを傷めつけたら、アフガニスタンがどうなろうと撤退というのが米軍にとっては最も犠牲が少ないでしょう。米軍撤退後、アフガニスタンの統治や治安がどうなろうがタリバンさえ叩けば、「テロとの戦い」に、露骨に表現すれば、形づくりができるのでしょう。NATOも解放されます。あとは野となれ山となれというのがオバマによるアフガニスタン戦争のたった一つの「出口」なのかもしれません。なんとも無責任ですが、アメリカにとって最も傷が浅いというの率直な実感です。


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2010年03月13日

中国の白鳥の歌:クルーグマンによるスワン・ダイヤグラムを用いた分析

 クルーグマン先生が3月11日付で"China’s Swan Song"というコラムを書きました。クルーグマン先生は、昨年から中国のドルペグに関する批判を連続して行っています。実は、クルーグマンのアメリカ国内に関するコラムはどうかなと思うことが少なくないのですが、今回の論点自体は興味深いと思います。以前、「寝言」にした"Chinese New Year"は保護主義的な主張ととられてもやむをえない部分が多々ありましたが、やはり鋭いなと思ったのは中国の為替レートが固定されており、資源配分に歪みを与えている可能性を読みとったからです。

 今回は、"Swan Diagram"を用いて、中国経済の大雑把な分析を行っています。やや中国に対して批判的なトーンが強いので、やや警戒して少し眉に唾をつけて読んではおりますが、理論的な可能性にすぎないとはいえ、問題の一面をついているのではないかと考えております。というのは、現代の国際マクロ経済学では固定為替相場制を前提とした分析はあまりないように思います(門外漢なので間違っているでしょう)。しかし、中国の場合、一時期は管理フロート制を採用したものの、実質的にはドルペグを採用しています。

 私自身、"Swan Diagram"という分析手法になじみがありません。ちょっと迂遠ですが、クルーグマンの"Latin America's Swan Song"という論考にスワン・ダイヤグラムの説明があります。スワン・ダイヤグラムは、クルーグマンによると、オーストラリアの経済学者Trevor Swanが、1955年に、国内均衡(完全雇用の実現)と国際均衡(経常収支赤字の抑制)の両立の困難さを示す分析手法として提示したとのことです。"China’s Swan Song"で用いられているグラフと横軸と縦軸が異なる値をとっていますが、まずは"Latin America's Swan Song"で用いられているグラフでこのダイアグラムをつかんでおきましょう。といっても、誰かに説明したくやっているわけではなくて、自分用のメモです。

 まず、スワン・ダイヤグラムで想定しているのは、次のような状況です。

  We imagine a country with a pegged exchange rate and high capital mobility, so that interest rates are determined by the need to avoid rapid depletion of reserves, and in effect monetary policy is removed as a tool of stabilization.

 為替レートが固定されていて資本移動が自由な国を想定しよう。このため、利子率は外貨準備の急激な減少を避けるように決まり、金融政策は事実上、安定化の手段として機能しない。


 ラテンアメリカの通貨危機と関連しているので、外貨準備との関係で利子率が決まると説明されています。中国の場合、これがそのまま当てはまるのかは、ちょっと微妙な感じもします。

  What Swan pointed out was that the nature of the difficulties facing a country depend on where in this space it resides. To see this, we draw two curves. One curve represents conditions under which the country has "internal balance"; as drawn, it is upward-sloping. The reason is that any rise in the country’s relative costs would tend to reduce exports, increase imports, and thus reduce employment; to compensate, to keep employment constant, the country would need to have a fiscal stimulus – a larger budget deficit. At any point to the right or below this internal balance curve, the economy will suffer from too much demand for its goods, and will experience inflationary pressures. At any point above or to the left, it will suffer from unemployment.

  The other curve shows conditions under which the country has "external balance". It slopes downward, because an increase in spending would other things equal increase the current account deficit; to offset this the relative cost of production in this country would have to fall. At any point below or to the left of the external balance curve, the country will have a current account surplus (or at least a deficit below what is really appropriate), at any point above or to the right an unacceptably high current account deficit.

 スワンが指摘したことは、国が直面する困難の本質は、その国の空間に帰するということであった。このことを確認するために2本の曲線を描こう。曲線の一つは、国が国内均衡が実現している状態を表す。この曲線は右上がりで描かれている。これは、国の相対的な費用のいかなる上昇も、輸出を抑制して輸入を増加させる結果、雇用を抑制する傾向があるからだ。 これを相殺するためには、すなわち雇用を一定に保つためには、国は財政面からの景気刺激を必要とするだろう。すなわち、より大きい財政赤字が生じる。国内均衡曲線の右方、もしくは下方は、財への需要が方であることから経済が苦境にあり、インフレ圧力にさらされる状態を示す。

 もうひとつの曲線は、国際均衡が実現していることを表す。この曲線は右下がりだ。なぜなら、他の財に支出することは経常収支赤字を増加させることと同一だからだ。これを相殺するには、生産の相対的な費用が低下しなければならないだろう。国際均衡曲線の下方、もしくは左方は、その国に経常収支余剰が生じている(あるいは少なくとも経常収支赤字が適切な水準を下回っている)。上方、あるいは右方では受容しがたい経常収支赤字が生じている。


 この論考が書かれた時期は明記されていませんが、1998年から1999年でしょう。論考の内容から、まだ、アルゼンチンが債務不履行を宣言する前の時期だと推測します。クルーグマンは、アルゼンチンと同じく、当時のブラジルが、インフレ率こそ低いものの、相対的に高い生産費用によって失業に苦しんでおり、同時に対外債務に不安を抱えていると指摘しています。その上で、政策的には通貨切下げを主張しています。

 それでは中国の場合はどうか。先ほどの論考では横軸は財政赤字の値を表していましたが、こちらでは実質国内需要になっています。若干、微妙な感じもしますが、中国の場合、財政赤字が問題になっていないことや、先の論考では財政支出がメインでしたが国内需要とみなしてもよいのでしょう。このあたりは、スワン・ダイアグラムをより詳しく説明した論文を読む必要がありますが。縦軸に関しては、やや政治的なバイアスも感じます。そうはいっても、さきほどと同じく、実効為替レートが高ければ相対費用が高いとみなすことができろのでしょう。上記のことを踏まえた上で、クルーグマンの中国経済に関する描写を読んでみます。

  There are four “zones of economic unhappiness”; getting out of them requires some combination of exchange rate adjustment and changes in domestic demand.

  So where’s China? It’s clearly in the lower zone: a trade surplus at levels that is raising international tension, plus inflation. It’s actually not clear which way domestic demand should do — but renminbi appreciation is clearly indicated, for China’s own sake, not just to head off the outraged reactions of the rest of the world.

  There are obviously political considerations keeping the Chinese from doing the right thing. But with a little encouragement — say, a Treasury report saying that yes, they do manipulate their currency — things might happen.

 「経済的な不幸の領域」が4つある。そこから脱出するには、為替レートの調整と国内需要の変化を組み合わせる必要がある。

 中国はどの領域に位置するだろうか?明らかに下方の領域である。すなわち貿易黒字は国際的な緊張を惹起しており、インフレーションが生じている。国内需要をどのようにすべきかは明らかではない。しかし、人民元の切上げは、他国の憤慨している反応を避けるためだけではなく、中国自身の利益にかなっていることを示している。

 中国がまっとうなことをしないのは、明白に政治的配慮がある。しかし、しかし、わずかな関与でも、例えば、財務省のレポートが為替を操作していると述べれば、まっとうなことが起きるのかもしれない。


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2010年03月11日

日米関係を漂流させる世論の「民主党化」

 いわゆる「核の密約」自体は大騒ぎするほどのこともないと思います。要は、民主党政権が二度と自民党政権の復権を許さないために、過去をあれこれ穿り返しているだけでしょう。なにより岡田外務大臣は郵政選挙で大敗を喫した当時の民主党代表であり、この問題にかける執念はなみなみならぬものがあるでしょう。小泉首相(当時)は、選挙後、民主党に寛大な態度を示しましたが、そのような寛容は民主党政権においては期待すること自体、どだい無理な話です。

 リーダーで日本語で書かれているものを見ると、ほとんどが非核三原則をどうするのかという問題を論じているようです。まあ、核抑止に関してはアメリカの、いわゆる「核の傘」に依存している以上、理解できないこともないのですが、非常に視野の狭い議論ばかりです。もっとも、某参議院議員をおもちゃ扱いするために国会の議事録を適当に検索するような者に言われたくはないでしょうが。

 例えば、北朝鮮有事の際にどうするのだと問題にする方がいらっしゃいます。これは簡単な話でして、有事ということは抑止が破られた状態、あるいは破られるであろう事態になるわけですから、核戦力よりも通常戦略戦力で北朝鮮の交戦能力を破壊する、あるいはそのような準備をすることになるでしょう。そのような事態を想定すれば、核抑止の問題が決して小さいとは思いませんが、むしろ通常戦力を含めた拡大抑止が保障されることが肝心でしょう(抑止が破られた状態で拡大抑止というのは奇妙に響くかもしれませんが、抑止力というのは、事前の予測が完璧でありえない以上、抑止が破られた際の抵抗する能力でもあります)。日本の安全という、核心とはいえ、極めて狭い日米安保体制の問題に関して、非核三原則の問題を持ち出すのは、現政権が拡大抑止に関するアメリカのコミットメントを弱めるようなことばかりしている現状を覆い隠すことにしかならないでしょう。岡田外相の核の先制攻撃の否定など核抑止の拒絶など、日本の安全にかかわるアメリカのコミットメントを揺るがせかねないことをしていることを無視しているという点で、意図と反して、民主党政権の思い通りでしょう。先日のワシントン・ポスト紙の社説は、あまりに藤田議員の奇矯な議論に紙幅を割きすぎたことに問題があるのでしょう。本質的な問題は、民主党政権が言葉ではなく行動で日米安保体制にコミットしていないことです。

 もう一つ不思議なのは米紙では継続的に報道されているオバマ政権による"Nuclear Posture Review"への懐疑と批判がまったく出てこない点です。もちろん、この問題そのものは、日米関係から生じているわけではありませんが、アメリカの核戦略を考慮せずに、非核三原則が云々というのは政策を議論するための健全な前提を欠いているでしょう。私自身、核抑止の問題に詳しくないので、本業に支障が出ない範囲で整理しておきたいと考えておりますが、アメリカの核戦力の削減はロシアとの関係を中心に中・東欧諸国の懸念を招いています。アジアにおいては中国の核戦力の実相がわからない部分がありますが、米ロ関係よりも深刻な結果を招く可能性が高いでしょう。実態はともかく、少なくとも中国からすればアメリカの核戦略が宥和的であると映れば、核戦力によってアジアにおいて米軍の介入を抑止し、勢力圏としようとするインセンティブを高める可能性が高いからです。

 翻ってみれば、冷戦期以降、1990年代には混乱がありましたが、小泉政権以降、日米同盟は核抑止を中核とする拡大抑止へ発展させる方向が明確になりました。アフガニスタン戦争やイラク戦争があったために、「世界の中の日米同盟」へやや拙速の感もありました。しかし、日本の安全を守るという日米安保体制における日本の国益の核心部分を確実にすることと、極東の安定とが両立するという方向性が明確になった時期でもありました。幸い、普天間基地問題の混迷にもかかわらず、連立与党関係者は絶望的ですが、世論の大半は日米関係の安定を望んでいるとみてよいと思います。本質的なことは、日本の安全を守る拡大抑止が極東を不安定にするのではなく、現状維持にとって不可欠であり、それが翻って日本の安全を確実にするというコミットメントを民主党を中心とする連立政権が揺るがせているということです。今回の「核の密約」に対する反応を見ておりますと、普天間基地問題では当初の私の懸念は幸い、外れましたが、世論の「民主党化」が進むのではと懸念します。

 なお、集団的自衛権を憲法上、行使できないという解釈を変えない限り、あくまで家庭仮定の話にすぎませんが、朝鮮半島有事においては、「米軍の武力行使と一体化しない範囲で」在留邦人を日本へ退避させる程度の役割しか果たせないでしょう。この問題は、現実の問題としては核抑止の問題と無関係ではありませんが、区別して整理しておく必要があると思います。なお、北朝鮮からの核攻撃に関しては、中国に対する核抑止とは異なる側面が大きく、PAC3、可能であればTHAADがより重要でしょう。

(追記)文中に誤りがありましたので、下線を施して訂正いたしました。また、一部、加筆いたしました(3月11日)。


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2010年03月10日

新しいアホの子かわいいよ(ニッポン\(^o^)/オワタ) 藤田幸久参議院議員(民主党国際局長)の場合

 気がついたら、なんとあのニコニコ大百科(仮)に「コミンテルンの陰謀」が登録されているではありませんか(参照)。若い世代を意識して、「ファンファン大佐」ではなく、「岡田真澄」となっているあたり、さすがですね。この説明の「肯定派」によれば、その主張をごくごく大雑把に要約すると、「コミンテルンの陰謀」がルーズベルトを操り、歴史を大きく変えたそうです。否定派に関しては実に元の記事自体が簡潔でして、「この説の同様のものとして『ユダヤの陰謀』『フリーメイソンの陰謀』などがあり、『すべての出来事を説明できるが、なにも解決しない』という点で同一である」、「否定派の間では『キリンレモン』の曲にあわせた調子で『こみん☆てるん』と呼ばれることもある」などと肯定派の「緻密な検証」(笑)を小バカにしたような表記がされています。この件に関する私のスタンスはこちらに書いてから変わりませんね。

 そして、あれから約60年。再び、大いなる幻想が歴史を動かしたとのこと。9/11の「真相」をめぐって参議院で質疑があったとのことは知ってはおりましたが、よもや良識の府でいわゆる「陰謀論」を肯定するものととられても不思議ではない議論が戦わされるはずもなく、私自身はネタだろうと無視をしておりました。発端となったのは、2010年3月8日付のWashington Post紙の社説、"A leading Japanese politician espouses a 9/11 fantasy"でした(参照)。藤田幸久議員は、この記事が不正確だと反論をご自身のHPで掲載されています(ソースは勝手に検索して下さい)。また、公式HPでは1996年から旧民主党から出馬するなど、鳩山総理にも信頼の厚い方であろうと憶測しております。それはさておき、とうとう9/11の「真相」に迫りすぎたのか、はたまた普天間基地移設問題に苛立ちを覚えたのか、私にはわかりません。ワシントン・ポスト紙の記事の内容は棚に上げて、国会会議録検索システムから、2008年1月10日の参議院外交防衛委員会の議事録を拝見しますと、「陰謀論」というレッテルをおそれずに、「タブー」に果敢に挑戦した藤田議員に敬意を表し、安らかに(ry


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2010年03月09日

理解不能な長寿医療制度への反発

 ふわあ。細かい作業の連続で、元々、低い知能指数がゼロの状態です。米中関係が巡回先では話題のようですね。Wall Street Journalが3月8日付で配信した"China Signals Defiance on U.S. Relations"(Andrew Baston, Terence Poon and Shai Oster(参照))が対イラン制裁と為替レートの問題から米中関係の現状を描いています。インフレの進行という内在的な問題から、為替レートの引上げを行うかもしれませんが、木で鼻をくくったような態度が目立ちますね。中国の対米外交の変化については主として意図の側面から分析がされているようですが、私自身は、F-22の生産停止や核戦力の極端な削減が象徴するように、中長期的に米軍の抑止力が低下していくという見通しの下での、台湾海峡の軍事バランスの問題も無視できないだろうと。F-16の売却が実現しなければ、時間が中国を有利にするでしょう。確かに、2008年の経済危機で中国が自国の体制に自信をもったことが大きいのでしょうが、それ以上に、アメリカが台湾への武器供与を除けば、宥和的にふるまっている(あるいは中国側にそのように映っている)ことも無視できないのでしょう。

 国内の問題には興味がわかないのですが、2010年3月8日の『日経』朝刊1面を見てびっくりしました。長寿医療制度に関する記事ですが、サブの見出しに「10年度3000円を超す負担増」とあり、1ヶ月で3000円の負担増は年金以外の所得のない高齢者には厳しいのだろうかとピンとこないまま、記事を読んだら、年間保険料負担の話でびっくりしました。光熱費の増減よりも大したことがないように思うのですが、なんだかとても重い負担増のように読める記事です。

 医療制度全般に詳しくないのですが、『日経』の記事で掲載されている都道府県別の年間保険料で最も金額が大きい東京都で年間8万8439円というのもびっくりです。現役と比較してはいけないのでしょうが、月額で約7400円の保険料が支払うのが厳しいというのが理解できないです。迂闊に書くと、私の年収がばれてしまいますが、給与明細を見ると、私が毎月負担している金額の3分の1程度で、この程度の金額でもそんなに反発するのが率直なところ理解不能です。厚生労働省のプリゼントのやり方と当時の自公連立政権の説明がどうもよろしくなかったのはわからなくもないですが、税から5割、現役世代から4割、高齢者自身の保険料1割で支えるという制度がそんなに悪いのだろうかと。年齢で区切るのがよくないという批判もあるそうですが、1947年生まれあたりの方たちが75歳になるのが2022年ですか。あと12年というとまだ先のようですが、この制度を廃止して新しい制度を構築することなど、普天間基地問題程度で迷走する現政権に期待するのは酷ではないかという「寝言」が浮かびます。


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2010年03月05日

経済危機の後に思うこと

 "Europe's Original Sin"を読みながら、自分の語学力の貧困さを痛感します。この記事は緻密に事実を積み重ねて、意見は控え身という玄人好みの文章ですが、読みこなすのには骨が折れます。悪いことに、自分の下手くそな文章にも手を入れなければならず、この作業が本当につらいです。もう最終の段階ですので、微調整で終わらせなければならないのですが、想定される読者にお出しする順番、イメージの膨らませ方、そして読みやすい文章ということを考えると、すべてをご破算にしたい衝動に駆られますが、何事もなかったように、ちょっとでも拙い文章に直すことに専念しております。私程度ではなかなか日本語と英語の双方の思考を切り替えることができないことにふと気がつきます。まあ、この程度の生産性でやってゆけるのだろうかと不安にもなりますが。

 リーダーで読むべきものが少ないなどと過疎地の「時の最果て」の運営者が嘆くのは気恥ずかしさもありますが、伊藤洋一さんの「韓国企業に学ぶ」という記事は、短いながら、さすがだなあと。五輪が終わっていまだに一部では反韓国感情が強いなかで当然のことを述べられているだけです。しかし、感情論を排して述べるのは決して容易ではないでしょう。「経営判断の素早さ」というのは同感ですが、ちょっと違う角度のことも考えたいものです。

 私自身は出不精で韓国に行ったのは一度きりです。どちらかと言えば、学生時代から留学生との交流が多く、楽しい時間を過ごすことが多かったです。1990年前後には私自身は学部生でしたが、ゼミの合宿で大学院生の方ともご一緒しました。当時のボスがかわいがっていた女性の院生は非常に優秀で、本人から聞いた話では何度もボスに修士課程(現在では前期博士課程と呼ぶことが多いようですが)から博士課程に進んでほしいという希望を伝えられていました。彼女も相当、悩んだようですが、韓国の商社への就職の道を選びました。本人の話では、歴史学研究ではとても先生のようにはなれず、自分は日韓の絆を実務で深めたいとのことでした。まあ、学部時代のボスは、当時の歴史学、あるいは経済史の分野ではやや異端で、とくにお弟子さんは、日本が韓国の植民地時代に韓国経済の高度成長に役割を果たした側面を探求していたようです。ボスは『親日派の弁明』でも紹介されている方です。

 彼女は、過去の歴史でいがみ合うのではなく、将来に向かって韓国が日本の成功に学び、韓国自身がさらに自信をつけ、日本と新しい時代を築きたいという理想を語っていました。個人的な話で恐縮ですが、私は彼女に好意をもっていましたが、私では不釣合いかなとアプローチをしたことがありませんでした。もっとも、彼女の部屋でとんねるずの番組を見ながら二人で楽しむことはありましたが、韓国人女性と性的関係を結ぶことはどのような意味をもつのかということぐらいは理解しておりました。退官記念のパーティで、韓国から参加して当時の同窓生にプレゼントを渡していましたが、他の人とは明らかに異なるプレゼントを頂いてびっくりしました。あとで、先輩に、「お前は本当に鈍いなあ」と言われて、人生でも数回しかない機会を逃したことに気がつきました。

 光景が激変したのは、アジア通貨危機です。当時は、別の留学生も生活に困るほど、ウォン安が進みました。私が接触した範囲ではIMFの強権的な介入に反発を覚えながらも、私たちの国を再建するためには苦い薬を飲まなければならないという苦渋のなかに希望を見出そうとする姿勢に強く印象を受けました。IMFのネポティズムへの批判などはかならずしも的外れではなかったと思いますが、多くの財閥系企業が整理され、それまで裕福だった層が没落するという社会の激変を招きました。しかし、いわゆる「既得権益」を奪われた韓国人ですら、祖国の再生のためにやむをえないことなのだと、新しい国づくりのために運命を甘受するともに、危機において新しい目標をもっている韓国の人たちを見ると、当時、経済的にも政治的にも低迷していただけではなく、単なる不況からの脱出だけではなく、日本とは明らかに異なる積極的な目標が韓国人に共有されていたことが、「経営判断の素早さ」という問題だけでは解決できない韓国企業、経済の強さにつながったと考えております。

 翻ってみれば、1980年代から1990年代に日本経済はピークを迎えましたが、欧米へのキャッチアップという明治以来の目標を、あくまで経済活動に限定した問題ですが、喪失した時期でもあります。「失われた十年」という表現には違和感がありますが、この時期には国内において欧米へのキャッチアップという目標から、グローバル市場における競争へと製造業企業を中心に目標が変質していきました。それは同時により長期的には企業の成長が国民経済の発達と合致するという、高度経済成長期の幸福なコンセンサスが失われる、最終的な段階だったのかもしれません。

 1990年代から2000年代の日本企業は「債務の過剰」、「設備の過剰」、「雇用の過剰」の解消を迫られましたが、そのような後ろ向きの問題だけではなく、海外への進出が進んだ時期でもありました。以前のような欧米へのキャッチアップから欧米企業と競争し、それまでに先進性を発揮する時代に入ったのでしょう。移動体通信では通信規格や端末などで日本の特殊性が強調されますが、トヨタ自動車のプリウスなどに象徴されるように(現在はリコール問題で苦しんでいるとはいえ)、「グローバルプレイヤー」としての性格を強めてゆく傾向は後戻りをしませんでした。2000年代の半ばには製造業の国内回帰の傾向もありましたが、海外売上高比率を2008年度の連結決算で見れば、トヨタ自動車は73.6%、本田技研工業は85.6%、日産自動車は75.8%です。キヤノンは暦年での通期決算ですが、2008年は78.8%です。製造業以外でも、2008年度の決算では海外売上高比率は日本郵船が84.6%、商船三井が89.9%です。企業の活動範囲と国境が一致しない時代を明確に迎えているといってよいでしょう。

 1950−60年代にはアメリカ企業の多国籍化が進み、1980年代から90年代にかけて日米貿易摩擦という不幸な交渉を招く素地をつくりました。日本の場合、日本語の壁もあり、アメリカのようなトップマネジメントレベルでのグローバル化は急速には進展していません。今後、トップマネジメントのグローバル化がどの程度、進むのかは予想できませんが、先ほども述べたように日本の大企業の活動範囲は確実に国境を越える時代です。経済危機の後、大企業の拡大がただちに日本経済の成長を迎える時代は遠い過去になるのかもしれません。韓国はアジア通貨危機で強制的に「開国」を強いられました。韓国から学ぶことは、経済危機の後、個々の企業レベルでの海外進出やトップマネジメントのグローバル化とともに、経済活動が国境で妨げられない時代にふさわしいふさわしい諸制度の準備なのでしょう。


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posted by Hache at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言