2010年04月23日

不思議な可能性の世界

 仕事は無関係に日本語で一番、熱心に読んだのが、第68期名人戦七番勝負第2局だったというのはさすがに冗談がすぎますか。一応、モニターで「米国に力を見せつけた中国の最新鋭潜水艦」(参照)を読み通しましたが、ああ、これだともう米海軍の抑止力は崩壊して台湾海峡の軍事バランスは中国が優勢じゃないかと思いました。ところが、この記事の冒頭で紹介され、最後の部分で分析されているソン級潜水艦の事件がいつなのかが最後まで読んでもまったくわからない。この記事だけを読むと、最近の出来事のように読めますが、記憶がない。まあ、私がうっかりしているだけでしょうと、念のために"song class submarine kitty hawk"で検索してみると、がっかりする結果になりました。予想通りと申しますか、Wikipediaがトップにきて、2006年だそうで。せっかく、潜水艦という地味ではありますが、記事にもある通り、弱者にとっての有力な兵器の分野でなるほどということが書いてあるのに、この事件が2006年だったという記述がないだけで、白けた目で見てしまいます。私が当たり前だと思うことが、しみじみ世間では非常識なんだなあと思うので、たぶん、私が普通だと思うことは普通じゃないのでしょうが、(1)米軍がこの事件をどのように評価したのか、(2)その後、中国の潜水艦の脅威に米軍がどのように対処しているのかという説明がほしい。軍事に関する話は機密が多く、民主主義国でも完全な透明性というのはありえないと思いますが、この2点が抜けてしまうと、いたずらに不安感を煽るか、説得力がないと感じるか、いずれかになってしまうと思うのですが。

 上記の記事では「国際関係は経済だけでは分からない。この記事を機に安全保障にも目を向けていただければ、望外の喜びである」とありますが、国際関係に興味をもつ人が経済だけにのみ関心をもつというのは、ビジネスマン向けのサイトだからつい力まれたのでしょうが、ほとんどありえないと思います。相場一つでも、イラク戦争開戦直前には「地政学的リスク」というのが合言葉になる世界です。淡々と事実を整理して述べてもらうのがベストなんですが。もちろん、そこに多少、感情が交じっていても、書き手が人間である以上、当然だとは思うのですが、やはり冷徹に理に徹してほしい。徴兵制がない時代には、安全保障というのはやはり遠い存在になります。したがって、事実をまず知ってもらうというのが肝心であって、ソン級潜水艦の事件もこの記事で初めて知りましたが、「いつ」という事実の記述の基本中の基本がないだけで価値が下がってしまう。名人戦の棋譜解説と比較するのは無理があるのでしょうが、素人が読んで、少しでも視野が広がれば、それで十分ではないか、そんな印象をもちました。

 そんなわけで、気分としては将棋の名人戦に関心が向くのですが、三浦八段が研究熱心なだけに、素人にはさっぱりわからない手の連続でした。後手三浦八段が28手目で△8六歩と指した時点で、棋譜解説にプロの最新形との趣旨の記述があり、わからなくて当然という感覚に。素人目には△7四歩かなあと思うところですが、この手が成立するなら、先手の7六歩を狙いながら、飛車が縦横無尽に動くのかなあという感じです。あくまで、感じであって、それ以上ではありませんが。その後、31手目、羽生名人の▲3五歩までは△8六歩とした後の展開としては、素人目にもなるほどという感じ。続いて32手目の△8五飛も一貫して、飛車をはたらかせますよという感じでしょうか。プロ棋士がおそろしいと感じるのは、ここで棋譜解説に△8二飛として後手が負けた実戦例がパッとでてくるあたりでしょうか。後手の完敗だったとのことですが、素人目にはここで△8二飛とするのは、28手目で△8六歩と指した手からすると、一貫性がまったくない感じです。しかし、棋譜鑑賞とはいえ、ど素人がよくこんな難しい将棋の感想を書いているなあと自分の面の皮の厚さに恥じ入りますが。

 この後、46手目まで進んで一直線の攻め合いになって1日目が終了。実は、最初に棋譜を見たのが、水曜日の終局直後だったので、勝負の結果は知っていた状態でした。ただ、棋譜を見ていると、悲鳴を上げそうなぐらい直線的な攻め合いになっていてびっくり。封じ手予想は▲3九歩が多数だったようですが、それにしても激しいなあと。二日目の午後で終わりそうな勢いで、びっくりしました。

 この程度で驚いていてはダメで、封じ手は▲5三桂成。水曜日に見た時点では、目がくらみそうになりました。駒の損得よりも速度という点ではもはや終盤という感じでしょうか。もっと目がくらみそうになったのは、棋譜解説で羽生名人、三浦八段ともに意外感なく、この手でしょうねえという会話をしていたようで、この将棋はこの二人しかわからないのではと思うぐらい。実際に指している棋士は、お茶を飲みながらのほほんと棋譜を鑑賞している人間にはまったくわからない、不思議な会話を将棋盤の上でしているのだと実感します。以下、61手目まではなんとなくわからないでもない手の応酬が続くのですが、▲5三歩が不思議でした。最初見たときには、まったくわからなかったです。たぶん、それなりの棋力があったとしても、この局面を与えられて、一生考えても、思いつきそうにないです。解説を見ると、この、一見、ねらいがわからない一手が好手だったとのこと。よく見ると、歩ではとれない。放置もできない。先手の2五の桂馬がよく利いていて、△同玉の一手。ここで先手に手がないと、後手は5筋から4筋をたどって、3八のと金が守っているところまで逃げる道が見えてきます。まあ、素人なので、確実に的外れな感覚でしょうが。で、ぴったりと▲4六銀。

 驚いてばかりですが、やはりびっくりしたのは三浦八段が△同角ととったことでして、パッと見た感じでは、持将棋狙いをするつもりはありませんという強い手を指したことです。鑑賞される側としてはこんなど素人に「寝言」とはいえ、感想を書かれること自体、迷惑でしょうが、この手に関する対局者の感想は載っていません。この手以降は、69手目に羽生名人が▲9八玉と引いて、よくなったという感想が載っているだけです。以降、先手玉は、久保利明二冠の表現では「ゼット」で、駒をいくら渡しても、「絶対に」詰まないようです。自分で読み切ったわけではないので、プロがそういうのなら、そうだろうと。とあれこれ考えていると、64手目の△4六同角は、実質的には三浦八段が首を差し出した形ではないかと思ったりします。このあたりの会話は、素人があれこれ詮索することではないのでしょう。しかし、なにか△4六同角は、想像をかきたてます。「死中に活を求む」というのとは異なる、高い風韻を感じました。将棋ならではでしょうか。現実世界ではもはやこのような感覚を覚える機会がまるでなく、わがブログを見ても、不躾な者が汚らわしい言葉をコメント欄で書き散らした上で、魚拓までとって、いったいなにと戦っているのだろうと首を傾げることもあるのですが、最近は歴史と芸術以外でしか味わえない、人間の尊厳というのを感じる一手でした。この一手は、勝負という点からすれば、あまり意味がないのでしょうが、今、同じ時を生きている方が指されたのだと思うと、結果だけではない、なにか気高さというものを生身で久々に感じました。


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posted by Hache at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言