2010年06月03日

鳩山首相退陣その他 2010年6月2日は災厄の日?

 最初にお断りしますが、お食事中の方は下記の「寝言」をお読みにならないことを強く推奨します。あるいはそうでなくても、排泄物に関する表現をお読みになって、不快な気分になっても、当方は責任を負いませんので、ご了承ください。

 一国の総理大臣が辞任したことよりも私事を優先させるのは不謹慎かもしれませんが、辞任自体はたいしたことではないでしょう。一番、驚いたのは、勤務先の定期健康診断で、今まで尿検査など気にしたこともなかったのですが、尿潜血と言われたことでした。pHや尿蛋白などは正常値でしたので、あまり気にすること必要もないのですが、この1年ぐらい尿の色、臭いに加齢臭を感じることがあったので、かなり憂鬱になりました。とくに、嫌なのが臭いでして、30代半ばまでは朝一は微妙ですが、日中は完全ではありませんが、無臭に近かったと思います。最近は、微妙に石灰のような、なんとも嫌な臭いがしていて気にはなっていたのですが、尿潜血とは。はじめて経験なので、単に気にしすぎなのかもしれませんが。日々、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人たちに嫌悪感が募っているのですが、その理由は論壇の方たちのような高尚な理由ではなく、例えば勤務先の健康診断の私の結果を知りたがるんですね。なんだろうと思うと、「どうせお前はγ−GTPがとんでもない値だろう」とかね(私は友だちとわいわいやるのは好きですが、一人では飲みませんしね)。そんな値を気にしたこともないので、診断結果を見ると、正常値の下限にほぼ近いのですが、言っても信用しないので、バカバカしいと思いながら、検査結果を記した紙を見せると、失礼なことに首を傾げる。母上とほぼ同世代の方ですが、この人たちが地上からとは言いませんが、早く周囲から消えてほしいとそれだけを願います。

 それにしても、血圧を測る前に看護師さんが配慮してくれて、2回ほど深呼吸をしてから測定してもらったのですが、最高が102、最低が70とやはり高いです。水曜日は睡眠時間不足ではなく眠りが浅いゆえの睡眠不足、立ちくらみ、動悸・息切れで通勤電車でうずくまりそうになり、職場に着くのがやっとでした。血圧が100を恒常的に超えるのは本当につらいです。高いときは、120までゆくので、30代前半まで最高血圧が90台だった私にはとても耐えがたい日常です。

 鳩山氏の辞任の方は『朝日』のHPで知りましたが、感想は「あ、そう」(元首相への嫌味ではありません)。小沢さんを道連れにしたとか、選挙対策ではないかとか色々、憶測が飛び交っているようですが、翌日の準備をくらくらしながら済ませて、帰宅して、なんとかギリギリで久しぶりにNHKの夜9時のニュースを見ましたが、『朝日』や『読売』、『日経』などのサイトでえられる情報以上のものはありませんでした。もともと「寝言」なんて、ネットで読めるようにはしているものの、理解されようとも思っていませんが、その中でもたぶん最も理解されなかったであろう「大阿呆峠 とてつもない国をつくるわよの巻」(参考)で真っ先に麻生首相(当時)が締めるべき相手として挙げた山岡氏が出演していて、嫌になったので消そうかと思いました。そうしたら、小泉さんが講演でチェンジ、チェンジと言ってきたけれど、次の総理で平成になってから16人目の総理大臣だ。これでは政治にならないという趣旨の発言をしていて、しんみりしてしまいました。私の数え間違えかもしれませんが、小泉さんは竹下さんを平成に総理大臣に就任したとカウントしているのでしょうか。平成からの総理は、(以下、敬称略)宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山の14人で、次の総理が15人目のはずだと思いましたが、竹下さんを平成時代の総理に含めれば16人目ということになります。つい細かい話になってしまいましたが、この政治システムの不安定さは目を覆わんばかりです。本当は、小泉さんには、普通の意味とは異なる意味で「お前が言うな」と言いたいのですが。あなたがアンコールに応えていたら、こんな状況は避けられていたのかもしれない。でも、アンコールに応えていたら、小泉純一郎は小泉純一郎でなくなる。きどっていえば、アンビバレントな感情、平たく言えば虫のよいことを考えてしまうわけで、落ち着く先は日本人もときとして卓越した政治的リーダーを生むことができるのだ、という将来への楽観をもつための資産と割り切るしかないのでしょうが。

 この数年、総理の辞め際になんとも言えない苛立ちを覚えるのですが、私の目からすれば、鳩山氏はこの点でも最低です。次の衆議院議員総選挙には立候補されないそうですが、報道によると、それは鳩山氏が勝手に主張していた総理大臣経験者は職を離れるとともに、議員を辞職すべきだという「鳩山原則」にしたがっての行動だそうです。普天間飛行場移設問題では、あまりに問題が多いものの、こちらで書いたように、まったく評価できないというわけではない決断を下されたと思います。しかし、辞職されるまでの鳩山氏の行動は時代の要請と合致しない私情からの行動に貫かれていたというのが現時点での評価です。後で述べるように、国際情勢が2008年9月とは異なる意味で激動している時期に、時代の要請と合致しない私情に衝き動かされた指導者というのは、ご本人は知ったことではありませんが、日本人にとってはあまりに不幸なことでしょう。鳩山氏が私情を挟むことがけしからんと言っているわけではありません。問題は、それが、今、日本人の多数への奉仕につながらないことがあまりに多すぎることです。

 有力な後継者は「菅から眠へ」の方だそうで。率直なところは世も末か。まだ決まっていないとはいえ、後から来る人はもっと背筋が寒くなる人ばかりなので(前原氏とか原口氏も、まして仙石氏など夏日だというのに寒気がする)、鳩山氏のことを散々、批判しても、後先を考えた方がよいのではと留保していたのですが。以前にも書いたかもしれませんが、1990年代の終わりから2000年の初めごろのWBSで竹中平蔵氏が「菅から眠へ」の人と対談をしていて、「焼け野原に戻ったつもりで経済運営をすればいいのですよ」と気もち悪い笑顔で述べていて、竹中氏もわが意をえたりとばかりに頷いているのを見て、ゾッとしました。「菅から眠へ」の方も物心がついた10歳前後の頃の1955年には日本の実質国内総生産は52兆2,710億円に上っており、現在の10分の1程度とはいえ、復興期から高度経済成長への過渡期でした。「焼け野原」の苦労など、実際には知らない世代でしょう。生年を見ると、母親と同じ年ですが、高卒だった両親は安保闘争は知らず、大卒はバカばっかりと言われてきたので、偏見の塊ですが、まだ、日本の政治システムの「底値」が見えないのが現状だと思います。私が忌み嫌っている「菅から眠へ」の人ですら底ではないのかもしれないという恐怖感すらあります。

 ここからは「寝言」というより、単なる独り言ですが、やはり1990年代以降の二大政党制を指向した政治改革は失敗だったと思います。率直なところ、英米の二大政党制というのは、英国と米国ですら隔たりがあり、それぞれの社会における伝統や広い意味での文化、行政に留まらない、立法・行政・司法のチェックス・アンド・バランシスの、意図的な設計のみによらない慣習の積み重ねの成果だったのでしょう。今後、英国では二大政党制そのものが曲がり角を迎えるのかもしれません。わが国の政治風土にとどまらない、社会全体が共有するデモクラシーの積み重ねを軽視した政治改革を指向しなかった1990年代はまさに政治においては「失われた十年」であり、今後もそのような傾向が改まらない限り、個々の有権者が賢明な判断を下したとしても、最悪の結果しか生まれない事態が続くことを懸念しております。

【お知らせ】

2010年5月31日に「さくらのブログ」において障害が発生していたようです。

http://info.sblo.jp/article/38682711.html


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posted by Hache at 07:00| Comment(0) | TrackBack(2) | 気分しだいの寝言

2010年06月02日

寛容であるということ

 「寝言」を書くと、意外と睡眠時間が減ってしまいます。6月から9月末までは暑気負けが一番、怖くて、睡眠時間の確保がすべての問題に優先します。そんなわけで「寝言」を書くよりも、リアルで睡眠を優先です。メキシコ湾の海底油田の事故関連記事を読む量が圧倒的に多いのですが、4月20日の"Deepwater Horizon"という石油掘削施設の爆発から1ヶ月が経過しましたが、石油の流出を食い止めるのは非常に厳しい情勢が続いています。メキシコ湾の海底油田の戦略的な意義をおいても、この数週間のBPの原油流出に関する"containment"の試みと失敗の繰り返しは、事態が事態だけに当然なのかもしれませんが、あれがダメならこれ、これがダメならあれと、思うように成果が出ない状況で努力を尽くす姿を見ながら、昔は日本でもこのような光景があったのかもしれませんが、最近は少なくなったものだと感じたりします。 New York Timesが2010年5月28日に配信したClifford Krauss and Jackie Calmesの"BP Engineers Making Little Headway on Leaking Well"という記事ではオバマ大統領が次のように述べたとされています。

President Obama, who visited the Gulf Coast on Friday, spoke broadly about the government’s response to the environmental disaster, saying that “not every judgment we make will be right the first time out.”

  He also added, seemingly capturing the mood of engineers working to plug the well: "There are going to be a lot of judgment calls here. There are not going to be silver bullets or perfect answers."


 大統領、あるいは政治家としては上記の発言は適切ではないのかもしれない。ただ、現状を冷徹に見るというのは私自身は、為政者として当然のことだと思うので、ベストの解がわからない状態であることを為政者が認識していることを誰もがわかる形で示すことはやむをえないと思う。問題は、米国世論がどこまで寛容になれるかでしょう。原油の流出量だけでも莫大ですし、沿岸地域に与えるダメージは非常に大きい。海底油田の開発を続けるか否かという問題の前に、原油の流出は既に損害を出しているわけですから、仮に流出が抑えられたとしても、原状復帰は決して容易ではありません。オバマ大統領が窮地に追い込まれる可能性も少なくないと思います。

 最近、「寝言」を書かなくなったのは、読み返して自分でも寛容さということを失していると自分の嫌な自画像を見ている気分になることが多いこともあります。開き直るわけではありませんが、自分自身を見て、お世辞にも度量の大きい人間ではなく、そこらへんをほっつき歩いているオヤジにすぎません。「寝言@時の最果て」のサブタイトルには"Aliis licet: tibi non licet."というサブタイトルを開設した初めの頃から掲げています。ラテン語を碌に解さない者がこのようなサブタイトルを掲げること自体、気恥ずかしさはありますが、「他人がそうであっても、お前はそうであってはならない」という箴言は、常に私とは区別される「私」として置いておかねばならぬ。昨今の社会情勢や政治情勢では、しみじみ自分の凡庸さが沁み入ります。塩野七生さんがカエサルを描いたときに、最も印象に残ったのは、キケロにカエサルが送った手紙の次の一節です。カエサルと自分に共通点があるなどというのは、「寝言」そのものですが、「何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである」というカエサルの言に深く共感をしました。もちろん、人物としての比較などはするだけ野暮ですからしませんが、日々、揺れ動く自分を眺めながら、なんと幼稚な人間なんだろうと。実を言えば、私自身も無名の市井の人ですが、ふだんの何気ない会話から、周囲の、失礼ながら、わたしと同じく無名の人がそのような意識をもっていないのにもかかわらず、そのように生きていることに驚きを覚えることが少なくありません。

 「わたしをよく理解してくれているあなたの言うことだから、わたしの振舞いにはあらゆる意味での残忍性が見られないというあなたの言は、信用されてしかるべきだあろう。あのように振舞ったこと自体ですでにわたしは満足しているが、あなたまでがそれに賛意を寄せてくれるとは、満足を越えて喜びを感ずる。
 わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうであって当然と思っている。
 あなたも他の人々もローマに来て、わたしとともにわたしの目指す事業の完成に協力してくれるとしたら、どれほど喜ばしいことか。助言でもよい。忠告でもよい。あなたや他の人々がそれぞれ得意とする分野での協力でもよい。わたしは常に、それが役立つと思えば、誰の提案であろうと受け容れてきた。知識豊かなあなたからのものであれば、その有用性ははかりしれないであろう」

塩野七生『ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマ人の物語
V』、新潮社、1996年、336−337頁。 


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