2010年07月27日

地方自治と「サービス・スタンダード」

 なんだか暑いというより溶けそうな感じで「寝言」も浮かばず、「充実」した日々です。土日がなくって週明け早々、「コンプライアンス」担当みたいなところのボスに呼ばれて、冷や汗。そうではなくてもハンカチは手放さないのですが、今回は目から出てくる水を吸わせなくてはいけないのかな(ひょっとしたら、向こうがそっとハンカチをだしてくれるのかなと思ったり)と思ったら、内容は迂闊には書けないぐらい、ややこしく、「いろいろご負担をおかけしますが、ご配慮ください」と頭を下げられて、こちらが恐縮ですねえ。私が担当者じゃなくってよかったとしみじみ思います。直接、当事者ではないので、かえって気を遣います。昔だったら、あっさりした解決法があったような気もしますが、いろいろ難しいみたい。

 昼に混んでいる電車に乗ると、大変ですなあ。20分という微妙な乗車時間だったので、始発で座席はガラガラでした。とりあえず座る。3駅ぐらいすぎると、隣に女性が座って、実に鬱陶しい。バッグの中をしきりに探っているのですが、そのたびに肘をこちらの腕にぶつけては、触れるたびに睨んでくる。こちらは『孫子』(岩波ワイド版はこういうときにちょうどいい感じ)を読んでいるので、睨みつけられるたびにため息をつくばかり。ちらっと見えたのが化粧道具だったので化粧でもしていたようですが、車内は冷えているとはいえ、触れられるたびに実に不快です。あまり書くべきことではないのですが、電車の中で化粧を治していたりしている人ほど、○細工に見えるのが通常で、横で男なら痴漢扱いされてもしょうがないことをしている者の顔を想像するだけで寒くなったので、究極の冷房でしょうか(メタボになったおかげで今は大丈夫ですが、20歳前後はお尻を触られて、びっくりすると、女性だったなんてことは時々ですがありました。高校まで陸上をやっていたおかげで当時はお尻がキュッとしまっていて、思わず触りたくなるそうで)。ストレスの溜まる冷房で、あまり効率がよろしくないのが難点ですが。

 ボーっとリーダーで読んでいたら、ニューケインジアンのモデルではセー法則が成り立つというあたりを力まないように述べられているのを読んで、ああ、今でも抵抗があるんだろうなと。2000年ぐらい前にこの手の話を適当に式だけ追っていたらびっくりして、「ケインジアンのモデルでいいんですか?」と尋ねると、「景気循環を説明する際に物価の硬直性は活かしたい。でも、異時点間の資源配分の描写をするには、有効需要の問題はいったん脇に置かないと無理」と言われて、納得したような、わからないような。私の理解力不足でしょうけれど、岩本先生の説明はなるほどという感じ。古い論点ではありますが、隠れた含意を引き出したhimaginaryさんの議論も鋭いというところでしょう。他のところで、方程式の両辺をゼロで割るという初歩的なミスをしているのを見ながら、なんとなくこういうミスをするというのは、やはり気もちが悪いからなんだろうなあと。一時的な生産性の低下ではなく、持続的な生産性上昇率の低下がデフレ環境を生むというのは、確かに直感的には見通しが悪いのかもと。この点に関しては、まだ検証の余地はありそうですから、「コンセンサス」というやや曖昧な表現(反証があれば覆る余地はある)あたりが妥当なのでしょう。

 しかし、マクロはよくわからないので(例えば、岩本先生の「成長戦略」の説明は納得するのですが、具体的な政策が思い浮かばない)、個人的にはミクロの分析でなおかつ地味な対象が好きだったりします。いろいろ無理を重ねて先週、勉強会に参加しましたが、1960年代末にアメリカに留学されて、1970年には公益事業分野で競争が問題になるという提起をされた先生のお話を伺いました。1960年代までの分析が制度論や歴史的なアプローチに偏っている傾向に警鐘を鳴らして、積極的に理論分析や仮説−検証のアプローチを採用するよう、後進の育成にも力を入れてこられました。その方が、これからは制度論や歴史的アプローチが必要だとおっしゃるので意外感がありました。「僕はひねくれ者だから、若い人が計量分析ばかりやっているのを見ると、違うことをやれる人がでてほしくなるんだよ」とちょっと不思議な笑みを浮かべながら、語られていました。もちろん、定量的な分析を否定されているわけではなく、モデルでは描写できない部分をロジカルにつめる人が補完する必要があるということだろうと思いますが。

 興味深かったのは、「サービス・スタンダード」の概念を確立する必要があるという指摘でした。講演中に挙げられていた事例は、「ゆうパック」の遅延の問題でしたが、勉強会が終わった後、お話を伺うと、交通の分野が一番、遅れているという認識を語っておられました。暴投気味の発言でも上手にフォローしてくださる方でしたので、ついつい甘えて「昔、国有だった鉄道会社は東では豚でも運ぶようにラッシュ時には人を動かそうとするし、西では人を殺しても物足りないのか、自社の車両の衝突実験までやりますからね」と発言した後で自分自身がこれはひどいかなと思ったら、さすがに苦笑されて流していただきました。下水に関しては民主党政権で補助金が導入されたようで、肯定的に評価されていました。「役所は便益で外部性とかわかっているようでわかっていませんからね」とまたまた暴投しましたが、こちらはその通りとのことでした。

 ここから「寝言」の本題ですが、昔から違和感を覚えることの一つは霞ヶ関の役人は優秀だけれども、意外と視野が狭いなあと。例えば、地方の方が勉強会で足回りの確保としてバスの活用と不採算路線における補助金を前提とした競争入札制度に関して説明すると、決まり文句のように「首都圏では輸送力増強が課題です」で一蹴するのを見て、まるで役人の方が田舎者のように見えました。地方都市に住んでいる者として一言で終わらせるのですが、「首都圏は3,000万人しか住んでいないのですよ。残り1億人前後は、首都圏以外に住んでいます。輸送力増強なんて首都圏のわずか3,000万人の問題に高い優先順位を置く方が異常でしょう」と発言すると、役人は黙るしかなく、その後は呼ばれなくなります。民主党政権ができるときに、ある法学の先生が霞ヶ関の役人がなんとかコントロールするから大丈夫だと主張されていて(ご本人はアメリカ民主党の支持者であって日本の「似非」民主党はお嫌いのようでしたが)、専門ではとてつもなく頭の回転が素早いのに、専門外だと意外と甘いんだなあと思いましたが、ご覧の有様です。国会議員は論外ですし、霞ヶ関も、中の人が無能になったという問題ではないと思いますが、機能不全が目立ってきていて、内政ではやはり地方分権を進めるのが望ましいだろうと。

 その際、必要になってくるのは、アメリカの連邦制度はまねが出来ないと思いますが、地方政府が公共サービスの水準を独自に定めて財源を確保する能力が最低の条件になると思います。さきほどの「サービス・スタンダード」の設定は、例外も少なくないのでしょうが、地方ごとに自主的に判断する必要が既に生じているでしょうし、それに見あう地方政府を育てていかなければ、単に「霞ヶ関支配」批判というマスメディアレベルの扇情的なレベルに終わるでしょう。「地域主権」という問題設定には違和感がありますが、霞ヶ関が地域の特性を考慮して統一の「サービス・スタンダード」をつくる時代が終わっているのに、それにふさわしい「身体」づくりが進んでいないというのが私の現状認識です。このあたりまでくると、完全に私の能力を超えてしまうのですが、『日経』など、いわゆる「全国紙」の論説では、消費税増税のために政策連合をとか、永田町と霞ヶ関の発想から一歩もでることがないのが実情だと感じます。

 間接税中心の税制改革が必要となっているのは、むしろ地方財政ではないか。私自身、地方財政に無知ですから的外れだと思うのですが、法人税率を引き下げてなんとか直接税中心でもやっていけるのは東京都ぐらいでその他の府県は厳しいでしょう。他方、民主党政権のおかげで、中央政府の方針を受けて自治体の事務作業は増える一方です。内政に関しては、地方に委ね、外政や地域レベルでは対応できない大規模な災害などに対応する能力を中央政府が維持するためにも地方自治とサービス・スタンダードを地方に委ね、市民の地方政治への参画を促す改革を10−20年単位で構想しないと、いつまでたっても、中央が号令をかけ、地方の実情にあわない政策が実施され、結果として、首都圏をはじめとする大都市圏の不公平感やルーラル地域の疲弊などに歯止めがかからない状態が続くと思います。


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posted by Hache at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言