2010年10月31日

老いからは逃れられない

 こんな「寝言」を書いている時点で年をとったなあと。以前は、テンションが高くなると、睡眠と食事と風呂以外は仕事をしていても疲れを感じませんでしたが、フラフラです。本業で英文を読んでも、さほど疲れを感じることはなかったのですが、情けないことに2日連続で100頁を読んだら、ぐったりしてしまいました。やはり若いときのほうが、どの道、頭が悪いとはいえ、定義がすっとなじむものでしたが、久々にハイテンションの日が続いてやっと突破。土地勘がないところを歩くのがだんだんと難しくなっているような感じです。それだけ物事に時間をかける年齢になったというところでしょうか。加齢を真剣に感じるのは、問題を一つクリアーしたら、調子に乗ってぐいぐい進めるという強引さがなくなっているところでしょうか。勢いというのは意外と大切で、これがないとやはりちょっとしたことでも不完全燃焼に終わります。集中力も落ちてはいますが、まあ、他の事に意識しなくても気をとられることが少なくなったという点では改善していることも多いのかなと。

 まったく話が変わりますが、某巨大掲示板で1000以上あるうちに数個しかない棋譜を自分の頭で考えようという変わった人のレスを見ながら、なるほど、85手目の▲8四馬に代えて棋譜解説にもある▲8五馬としても、後手からの細い攻めが続くのだなあと。馬を失って主導権を握るのか、馬を大切にして主導権を渡すのか。この選択は難しいです。この戦型自体が相矢倉でも後手の勝率が上がっているとのことなので、先手が主導権を握り続けるのが難しいのかもしれません。投了図で初手から全く動いていない駒が歩3枚というのが激戦の後を感じます。やはり印象に残ったのが、第21期の第1局で、渡辺竜王が踏み込んで敗れた後、それでも踏み込み続けたことでしょうか。2枚換えで後手がよいというのはちょっと信じられない光景でした。怖さが身に沁みると、踏み込みが悪くなるものですが、そうならないのが渡辺竜王の強さなのでしょう。羽生名人は、正直、この竜王戦に限るとよくわからないです。第1局は50手目の△2三歩はすごい手でしたが(正直なところ、コンピュータ将棋の読みでは指し手の主張がわからないのを夜中で自分の頭で考えている人の読みを見ながら感じました)、しかしながら守りに徹しすぎた感じであったのに対し、第2局は先手であることを意識しすぎているのか、封じ手から進んだ後は、曲線的な指し手が少なく、なんとなくちぐはぐな感じです。今のままだと、終盤でははっきりと渡辺竜王が勝っている印象なので、番勝負そのものには、結果が見えているだけに、興味が薄れそうです。

 先々週ぐらいにいろいろとガタがきていた腕時計がいよいよ使えなくなって、困りました。携帯は持ち歩かない日すらあるので、歩数計についている時計で代わりを。イギリスで売っていたTitanというインドのメーカーの製品なのですが、日にちがわかってデザインがシンプルなので気に入っていました。13年近く時を刻んでくれました。変わりはシチズンにしましたが、時計にもお金をかけるのが面倒なので、定価で5万円、実勢価格が3万5千円程度の製品で十分かなと。それでも、まだ気もちが変わらないのか、機能がとても充実しているのですが、腕がなじまないです。高校生ぐらいのときに祖父の形見だった腕時計のバンドが切れてから、デジタルを使っていましたが、13年前に英国にいる最中に時計が壊れてしまい、やむなく当時、250ポンドほど使って買いました。店に並んでいる腕時計は、高いものはシンプルですが、装飾性があまりに強く、安いものはゴテゴテしすぎていてどうもダメ。海外で日本製を見ると、やはりデザインの点では見劣りがした記憶があります。不思議なもので、アナログの時計に慣れると、デジタル表示された時刻を頭の中で時計針に変換しないとピンと来なくなったりします。せっかく時計を買い換えたのですが、腕がなじまず、胸ポケットにしまって時々、確認する程度です。これも年のせいかなあと。

 ちょっとショックだったのは、仕事でテンションが高くなると、頭の中がそれしかなく、夢を見てもそればっかりだったりでしたが、40歳をすぎて久しぶりに夢を見たら、昔、つきあった女性が次から次へと現れる夢でした。これというほど艶かしいものでもなく、お互いに突然、出会って、言葉も出ないまま、呆然として去っていく。今は、どうしているのだろうという感覚すらなく、本質的に淡白かつ薄情なのだろうと。仕事か家庭かという選択だったら、ためらうことさえなく仕事を選択するというところだけは変わらないようです。単純に酔狂な女などこの世にいるはずもなく、相手がいないからだと思うのですが、やはり幸せな家庭にいる自分というのが想像できず、なんとも似合わないなあと。「ただ、いっさいは過ぎていきます」という太宰治の『人間失格』の一節は、子どものときにはなんとなく怖かったのですが、年をとってしまうと、まあ、そんなものだよなあと。

 生きていることに価値がないのと等しく、死にも価値がない。意味もない。ニヒリズムという洒落た話でもない。ただ、いま「ある」ということを見て、次に「いかにある」に移り、結局、「ある」という地点に戻る。そういう意味での「観察者」は「わたくし」とともにあり、「わたくし」が物理的に消えてしまえば、はい、それまでよ。唯一の自己主張は、「時の最果て」なる仮想点を設けて、「わたくし」を超えた「私」が「わたくし」を見たらどうなるんだろうと。それとて仮想でしかなく、いつかは終わる。ただ、「ある」ということと同時に「ない」ということを見ることができたら、熱中するだろうなあと。戦争ですらたいしたことではないという世界。まして、景気がよい悪いなどほぼ無視できる世界。ただ、こちらはリアルではつぶやくことすらできないので、こういう鄙びたところで「寝言」として記すより、手段が他にないですね。


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2010年10月28日

びっくりすることが多い日々と無神経の効用

 帰宅して竜王戦の棋譜を見てびっくりしました。この段階では勝敗は知らず、棋譜中継のトップにある終局時間が18時54分とあるのを見て、羽生名人がなにかやってしまい、負けたのではと。待望の相矢倉でしたが、プロの知恵がいっぱい詰まっている棋譜なので、眺めただけです。全体の印象は、羽生名人の攻めと受けの手順がなんとなくちぐはぐな感じでしょうか。封じ手から73手目まででは、先手の攻めが決まったというほどではないと見えますが、後手の渡辺竜王の側から見ると、入玉狙いかなあという感じですが、意外と大変そう。上部開拓をするのかなと思ったら、渡辺竜王の74手目は△9六歩。対局者の感想が載る前は、「ええい、ままよ」という開き直った手かなと思いました。棋譜解説では、「驚き」、「ユニーク」とあり、渡辺竜王の感想は「無理筋だけど」となっていました。いつもそうとは限らないのですが、このあたりの渡辺竜王の踏み込みは興味深く、最近の若手棋士(渡辺竜王自身も若手ではありますが)との対局ではこっぴどくやられることもありますが、思い切りがよくておもしろいです。77手目の▲9八香のコメントも興味深いです。検討陣は、▲9八玉。のらりくらりと受ける手で、後手の攻めが細いので、これはありかなと。渡辺竜王がどこまで本音なのかはわからない部分もありますが、▲9八玉ととってくれればまぎれるかなという感想は、やはりこの局面はやや苦しいと見ていたのでしょう。驚いたのは、羽生名人の感想で考えもしなかったと言うあたり。なんとなく形勢を楽観視していたのかなと思います。

 しかし、驚きの一手はやはり85手目の▲8五馬。最初に見たときには、歩をとるつもりが桂馬をとったのかと思いました。羽生名人の判断は、相手が歩切れだから、指せるだろうとのこと。こうなると、楽観していたのか、形勢の善し悪しとは別に、手をつくるのが大変だと感じておられたのか。難しいです。しかし、最先端の矢倉は難しいです。それでも、第1局の横歩取りとは異なって、玉を固めて飛車角銀桂の攻撃形をつくるという基本をプロらしい手順の妙で複雑にしていくあたりが見ごたえがありました。決定打が決まって一気に勝負がつくというタイプの将棋ではないので、押したり引いたりの感覚が楽しめた将棋でした。

 まったく話が変わりますが、ツイッターを見ていたら、「民間企業なら○○氏はできない理由を探している使えない社員だな」(こういう「つぶやき」をする人とはネットですら、かかわりたくもないので、あえて伏字)というツイートをした後で、文献を教えてくれくれとせがむ神経が理解できなかったりします。ちゃんとリツィートで「できない社員に訊いても,意味ないんじゃないですか?」と返されていて、優しいなあと。私だったら、齊藤誠・岩本康志・太田聰一・柴田章久『マクロ経済学』からどうぞとなりそうですな。基礎も碌にできていないのに、最先端の議論を手短に教えろと言う神経が理解できない。あまりよい学生だったとは思いませんが、この文献とこの文献を読みましたが、見解の相違の根拠となる事実、もしくはモデルに関する、より詳細な文献を教えてくださいと言うのが、教官に接する最低限のマナーだと思っておりましたが。大学に入ってから、私より賢い人はとてつもないなあと思うこともありましたが、大半はなんでこんなバカばかりなんだろうと。その意味では、日本の高等教育は数十年にわたって失敗してきたのかも。


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2010年10月26日

イランからのアフガニスタンへの資金供与

 日本語の新聞を読んでいる暇がないので、簡潔に要点だけです。おそらく発端となったのは、New York Timesが2010年10月23日付けで配信したDexter Filinksの"Iran Is Said to Give Top Karzai Aide Cash by the Bagful"という記事でしょう。さらに、10月25日付けでNew York Timesが"Afghan Leader Admits His Office Gets Cash From Iran"という記事を配信しています。BBCをはじめ、英語圏ではあまりに危険でスキャンダラスな出来事として報道されています。当面、更新をしない予定でしたが、内容が内容だけに、Filinksの記事の信憑性が高まったこともありますので、メモだけ残しておきます。

 昨年の8月に、イランのFeda Hussein Maliki大使がカルザイ大統領の側近の一人である Umar Daudzaiに数百万ドルの現金を渡したという出来事です。当然、アフガニスタンの政権中枢でイランの利益を図り、アメリカおよびNATOの影響力を殺ぐことが狙いでしょう。また、カルザイ政権の問題点は腐敗と無能だけではなく、アメリカおよびNATOとイランを天秤にかけるかのような危険性を読みとることは容易です。Filinksの記事では、それにとどまらず、このイランとアフガニスタンのコネクションのさらなる危険性を指摘しています。DaudzaiはHezb-i-Islamiという反共のイスラム教政党に所属した過去があり、タリバンとの関連も指摘されています。Daudzaiはドバイに6件の住宅を所有するなど蓄財にも余念がないようですが、腐敗だけならまだしも、イランの代理人として反米的な傾向の強い人物であることが問題だと思います。

One Afghan official said Mr. Daudzai used his power over Mr. Karzai’s schedule to ensure that Afghans who saw him registered complaints about the American presence in the country and the deaths of Afghan civilians in the war. “This is the strategy,” the Afghan official said.


 カルザイ政権がこのありさまで、ペトレイアスが軍事的成果を挙げても、アフガニスタンの中央政府はもとより、地方政府が治安を担保できるかどうか。「ベトナムより出口が見えない」という形容は、「ブッシュの戦争」よりも、「オバマの戦争」に当てはまるのかもしれません。


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2010年10月22日

ホッとしたこと ガックリしたこと ハートフルボッコだったこと

 なんだか日常に追われて、じっくり考えたいことがいくつかあるのですが、ままならない日々の連続です。「さくらのブログ」のメンテナンスが終了しましたが、管理画面が見やすくなったことやブログの表示画面が多少、変わったぐらいで、なにが変わったのかあまり実感はないです。G20の直前で英字紙を読んでいても、ちょっと手が回らないなあという感じ。アメリカの交通インフラストラクチャーの投資不足とは関係ないのですが、域内バスと都市間バスの費用構造を考えていて、定量的な分析のテクニックの進歩に目を瞠りますが(基本は40年前ぐらいにできていたのではありますが)、基本は変わらない部分が多くて、このあたりを整理したいところです。タレブさんについていけないのは、一方でガウス分布が支配する世界がある一方で、もう一方にベキ分布の世界があるというあたり。マンデルブローの業績を追っていた方に聞くと、そこは大変、気もちが悪い部分があるそうです。

 10月の初めに、久しぶりに挙式に参加しましたが、土曜日だったので仕事と重なっていました。チーフには会って事情を説明して了解をえていましたので、不安なく参加しました。しかるに前日に仕事の方の時間が変更になり、連絡のメールが届いていました。私は、時間が変わっても、参加できないので、文面でも配慮して頂いておりました。式が終わって、翌日、その旨を伝えて、連絡メールの返信で送りました。その後、会議でチームの他のメンバーと話していると、「結婚したの? おめでとう」と言われて、苦笑い。事情を説明すると、「ああ、そういうことだったのね」となって、気まずい雰囲気もありませんでした。一応、まだそういう可能性があるとみられているのかしらとホッとする一方、現実は厳しいというより、だんだん面倒になってきていて、これから若い人の挙式に参加する方が楽しいなあと。一緒に招待された友人が写真を送ってくれて、つかの間の感動を思い出しました。

 お昼に若い人(♂)を誘って四方山話をしていましたが、彼らがニコ動で見ているジャンルにまったくついていけずにガッカリ。「離婚歴疑惑:小 宇宙人疑惑:確 ネカマ疑惑:大」の人と少し下の世代ではないかというところですが、年をとったものだと実感します。ちなみに、タグの「ハートフルボッコ」が意外と面白いなあとネタを振っても、「何それ?」という反応でさらに落ち込みました。

 最近は、帰ってきて、適当に晩御飯を済ませると、9時には強烈に眠くなって、4時ぐらいに目が覚めます。久しぶりにバッハばかり聴いていたら、疲れがとれました。ハイフェッツとヒラリー・ハーンがホッとします。今週も土曜が潰れるのがつらいのですが、なんとか日曜日は、じっくり考える時間をとりたいものです。


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2010年10月20日

2010年半ば時点でドルの代わりになる通貨はない(「『グランドデザイン』のない国際経済」現状編)

 『週刊ダイヤモンド』のインタビュー連載は「デフレ日本長期低迷の検証」ですから、日本国内の問題限定であることに異議を唱えた私は、ちと空気が読めないというより、日本語が不自由なようです。第5回は岩本康志氏で、この連載でもっとも共感するところが多かったです。「前回のデフレ」と「今回のデフレ」はやや図式的な印象もありますが、今回は日本の金融機関が不良債権問題をあまり抱えていないという相違は事実でしょう。他方、「今回のデフレ」で気になるのは、不良債権問題を抱えていないのにもかかわらず、金融仲介機能が低下していることでしょうか。やはり、世界経済の落ち込みと外需の急激な減少による実体経済への影響は、むしろ「今回のデフレ」の深刻さを示しているのかもしれません。

 このインタビューを読みながら、そうしてみると、今回の金融危機は、欧米の金融機関にとっては深い傷を負わせたのだろうと。一時期は、アメリカの金融機関の業績回復とボーナスの異常な高さが叩かれましたが、"foreclosure"の凍結などによる混乱は、金融市場の再構築が、私が当初、考えていたよりも、はるかに時間がかかることを実感させます。根幹にあるモーゲージの問題、それを原資産とする金融商品など、単純化をすれば、1990年代の地価のバブルと似ているとはいえ、複雑な金融システムを再構築するのは容易ではないとあらためて思います。

 そんなわけで、今後、国際経済、とりわけ国際的な通貨制度がどのように変容していくのかを予想するのは私の手に余ります。とりあえず現状を確かめようという安直な発想にもとづいて、簡単なデータを見てみました。まず、外国為替における各通貨の比率はBISの"Triennial Central Bank Survey of Foreign Exchange and Derivatives Market Activity in April 2010"(参考)から入手できます。PDFファイルの表3を見ると、ドルの比率は2001年の約45%から2010年には約42.5%に低下していますが、非常に緩やかなペースです。ユーロが2001年には約19%でしたが、2010年に約19.6%に増加した程度です。元もほとんど無視できる状態。カナダドルやオーストラリアドルが無視できない程度に比率を上昇させていますが、ドルを補完するというほどではありません。やはりドルを補完する通貨はユーロが第1候補ですが、ユーロ圏の脆弱性が解消されたわけではなく、ドルの補完役としても、荷が重いのが現状でしょう。わが日本円の地位低下は目を覆わんばかりです。そうはいっても、2010年には10%近くまで比率が上昇しています。円高といっても、つまるところドル安基調で安全資産の一つとして(日本人からするとピンとこないのですが)円が買われているのが実情なのでしょうが(諭吉様不足で苦しんでいる私にはいくらあってもありがたいのも否定はできませんが)。

 外貨準備を主要通貨別の構成を示したのが下の表です。

表 外貨準備の通貨別構成



      2006年第一四半期   2010年第二四半期

(世界全体)

総額        2,937,019      4,719,498

米ドル        66.5% 62.1%
ポンド 3.9% 4.2%
スイス・フラン 0.2% 0.1%
円 3.3% 3.3%
ユーロ 21.6% 26.5%
その他 1.5% 3.3%

(先進国)

総額 1,836,414 2,565,229

米ドル 69.1% 65.2%
ポンド 2.8% 2.5%
円 4.6% 4.1%
スイス・フラン 0.2% 0.2%
ユーロ 21.5% 24.9%
その他 1.6% 3.1%

(新興国)

総額 1,100,604 2,154,270

米ドル 62.2% 58.4%
ポンド 5.7% 6.2%
円 1.0% 2.3%
スイス・フラン 0.06% 0.04%
ユーロ 29.4% 28.3%
その他 1.4% 4.5%


(出所)IMF, "Currency Composition of Official Foreign Exchange Reserves"(参考).

 総額の単位は百万ドルです。2006年と比較をしておりますが、金融危機が囁かれるようになった2007年の直前を選んだというところです。驚くのは世界経済が拡張期にあった2006年の外貨準備が2兆9,370億19百万ドルであったのが、金融危機を挟んでも、4兆7,194億98100万ドルと大幅に伸びていることです。もっとも、増加率でみれば、2000年から2005年の期間には倍以上に増加してはいるのですが。とりわけ、新興国の外貨準備は1兆1,006億4100万ドルから2兆1,542億70百万ドルへ2倍近くにまでに拡大しました。ただし、2010年第1四半期の新興国の外貨準備は2兆1,667億56百万ドルにのぼっており、第2四半期で減少していることにも注意が必要なのででしょう。外国為替という、いわば国際的な決済手段としては米ドルの比率は4割を超えるぐらいですが、外貨準備のように貯蔵手段としては米ドルのみでも世界全体の6割を超えます。これにユーロを加えると、外貨準備の9割近くを米ドルとユーロが占めているのが現状です。米ドルの比率が4%程度、低下していますが、ユーロがその大半をカバーしています(2006年は合計で97%ですので誤差が利いている可能性が高いです)。世界全体でみた場合、現状では金融危機によってドルの地位が大きく後退したわけではありません。

 外貨準備の増加が著しい新興国では、金融危機の前から、米ドルの比率が先進国と比較してやや低いことにも留意が必要でしょう。現状では、先進国よりも米ドルとユーロの比率が低く、その他の伸びが、若干ではありますが、大きくなっています。国際経済の多極化とともに、ドルの地位が数十年かけて低下していく可能性も無視できません。短期的な金融ショックやドルの減価よりも、国際経済の多極化というはるかに長期的な現象が、現行の国際通貨制度を変容させていくのでしょう。ただし、中国など新興国の金融政策は原始的であり、とても現代の複雑な国際経済における決済手段や貯蔵手段として自国通貨を流通させるためにはあまりの多くの制度改革が必要でしょう。ブラジルの事情はまったくといってよいほどわからないのですが、中国やロシアは旧共産圏であり、インドも社会主義的な経済運営を行っていた時期がありました。中国やインドの経済規模が拡大しても、複雑な市場経済をマネージするにはあまりに歴史が浅く、経済の側面に限定すれば、欧米の地位にとって代わることは、百年単位ならばともかく、私が生きている間には起きないのかもしれません。


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2010年10月18日

「見えざる手」と「見える手」の妙

 まずは事務的な連絡です。更新頻度が低いのであまり影響はないのですが、メンテナンスのため、2010年10月20日(水)14時から10月21日(木)14時の間は更新ができません。「閲覧」には影響がないようです。お読み頂いている方には誠に申し上げにくいのですが、こんな過疎地をご覧頂いて汗顔の至りでして、「閲覧」というより、また中年のオヤジがなんかほざいてるよという感じだと思いますので、微妙に自意識過剰になります(さすがにここまでの厨弐病は無理ですが)。

「さくらのブログ」メンテナンス作業時間変更のお知らせ

http://info.sblo.jp/article/41308235.html

 土曜でたいしたこともしていないのに疲れてしまって、日曜日は作業がはかどりませんでした。公園をぶらぶらするだけで、朝方と夕方は秋らしくなったなあというところでしょうか。お金がない(差し歯でエアコン3台分弱がとびました……)のと人混みが苦手なので、桜と紅葉は誘われない限り、自分からはでかけなかったりします。そんなわけで、一番、金がかからない紙と鉛筆(さすがにシャープペンシル世代ですが)を使って作業をしていたら、17年前か18年前に訳がわからなくなりそうになったあたりが、最新のものを読んでいると、ずいぶん見通しがよくなっているのだなあと感心することしきり。細かい作業はまだ粗いのですが、人間というのは個人単位ではたいしたことはないなあというのが、私自身が基準ですのであてにならない実感ではありますが、積み重ねというのは恐ろしいものだと思ったりします。若いときには見通しが悪くて避けたのですが、数理というのは、ときに理性を欺くことさえありますが、使い方がよくなってくると、本当に見通しがよくなるものだと思います。

 自分のやっていることを他人に説明するときに、正直なところ、相手によってごく表面的にしか話さなかったり、突っ込んだところまで説明したりと変えているのですが、自分でもなんでこんなことをやっているのだろうかと思うこともあります。当然、自分で振り返ってみても、完全にある意図にもとづいて閃光のように筋道がすっきりしているわけではないのですが。簡単に言えば、社会に自然科学と同じ法則性があるのだろうかという素朴な疑問を感じたのが25年ぐらい前で、ポパーが正しければ私の負けというところでしょうか。ときどき異業種の方から羨ましいといわれることもありますが、一生を棒に振る確率が高いですからと話すと、意味が通じなくて、これはさすがにもどかしく感じることが多いです。

 「寝言」にも「タイトル」、あるいはお題があって、今回は「『見える手』と『見えざる手』の妙」とたいそうな話ですが、あまり深入りしません。もし、私が思想家なら失格でしょう。両者の捉え方は5年から10年単位で変化していますから。思想の世界では食っていけそうにない。「変節漢」とか言われそうですし。若いときは、「見える手」が勝ると思っていたのが、幸か不幸か、盲腸よりも役に立つかどうか疑問ではある高等教育なるものを受けたおかげで、「見えざる手」が勝るとおもわざるをえなくなりました。他方、現実には企業内部をはじめ、「見える手」が完全に存在しない世界というのはない。補完的だとこの10年ぐらいは考えてきましたが、ひょっとしたら、極限では両者は大した差がないのかもしれないとも。あるいは、「見える手」をあえて「見えざる手」と区別するほどの強い要素がむしろわからなくなったというところでしょうか。

 私自身は細かい方が好きなようで、大きな見方をするのが苦手なのですが、ツイッターでEcoomist誌のツィートを見ていて、目に留まったのが、"An indigestible problem: Why China needs more expensive burgers"という記事でした。中国の元が過小評価されているというお約束の話ですが、いわゆる「ビッグマック指数」だけでは弱いので、IMFの推計も紹介していますが、ビッグマック指数では4割弱の過小評価というのはやはり大きいなあと。事実上、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国がいつまでも実質的な固定為替レートを維持しようというのは難しいのでしょう。私が中国共産党の友人だったら、国内のショックを吸収しながら、フロート制への移行を提言するのでしょうが、難しいのだろうなと。

 国内の報道各社のヘッドラインを見ると、反日デモが大きく扱われていますが、米紙では主として劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を受けて、「レジームチェンジ」まではいかなくても、中国共産党の基本的人権の感性のなさへの批判と改善を迫る論評が減る感じではありません。中国という異質のプレイヤーに対して、欧米の側が譲歩することがない問題がつよく他の問題にも影響しそうです。

 この点では、元の問題は確かに異常ではありますが、より根本的な問題が見過ごされてしまう可能性もあるのでしょう。やはり主要通貨に対するドル安は円高という文脈のみで捉えるのはあまりに狭いと思います。もちろん、『週刊ダイヤモンド』誌での経済学者の連載は、為替相場への介入の安直さを単に批判するだけではなく、日本経済のあり方全般への問題提起を投げかけていて興味深いと思います。ただし、FRBの金融緩和が、追加的な緩和策を見る必要はありますが、ドル安を招いており、国際的な財の移動だけではなく、資産などの価値を適切に反映するものではなくなっている点にも注意が必要でしょう。

 2009年の日本の対外輸出は50兆8,572億円と大きいのですが、所得収支の黒字は12兆3,254億円と貿易黒字の4兆381億円の約3倍弱、貿易サービス収支黒字の2兆1,249億円の6倍弱にのぼっています。ドル安は国際的な財や資産の取引に価値の単位としての機能に混乱を与え、撹乱要因になるのでしょう。仮に、日本経済が長期均衡の状態にあっても、この撹乱による影響をまたく無視できるのかどうか。現状はドルにとって代わる通貨はないとはいえ、ドル価値が不安定な状態にどのような影響があり、どのように対応していくのか、丁寧に分析をしておかないと、単に為替介入への批判だけでは弱いと思います。

 FRBの金融政策は、「見える手」による調整ですが、為替相場そのものは「見えざる手」によって調整されていくでしょう。国際経済におけるドルの「価値の単位」としての機能が相当の期間、不安定であれば、決済手段としてのドルの地位も低下するのでしょう。9月の為替介入を正当化する意図はまったくありませんが、「見える手」による補完がなければ、「見えざる手」は暴走する。先ほどの、細かいレベルの感覚とは異なりますが、そんな印象をもっています。


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2010年10月16日

自ら渡した主導権は戻らない?

 第23期竜王戦七番勝負第1局は、渡辺明竜王が93手で挑戦者羽生善治名人に勝利しました。ざっとした印象では羽生名人がわたした主導権を手放すことなく、終盤で羽生名人が盛り返したところをほぼ完全に防御したというところでしょう。棋譜や対局の様子などはこちらから。タイトル戦の解説など私の棋力では無理ですし、横歩取りも好きな戦型ではありますが、プロ棋士の研究など知る由もなく、わからないことだらけです。以下、簡単なメモです。

 封じ手となった46手目は△3四同飛。ついで▲5六角。ここまではほぼ必然か。48手目の△5四飛はやや意外。解説にもあるように▲5六香を誘っているんだろうかと。これに対し、渡辺竜王の▲1二角成も、明快な攻撃。香車を手に入れて悪い感じはまったくない。むしろ、攻めが続くので気もち悪いぐらいではないかと思ってしまう。夜中に直接的な手はないのかなと思っていたが、48手目は△2三歩。棋譜コメントでは早咲誠和アマが指摘していたとのこと。確かに△2四歩では▲2三歩が残るので、あまり意味がない。他方、この手はしばらく受け一方に回るので、私の棋力ではまず浮かばない手。おそらく羽生名人はこの局面に誘導することも選択肢の一つだったのだろう。こうなると、単なる手渡しではなく、主導権を先手に渡した上で、攻めが細いのを見越して主導権を取り戻すタイミングを図るのだろうか。渡辺竜王は、この手は見えていなかったと述べている。棋譜では消費時間がわからないが、△2三歩を見て、1時間14分の長考をしているので、実感をそのまま述べたのだろう。

 渡辺竜王の攻めは明快で▲5六香から▲2四歩(感想戦では△4四角の筋を消すためだけの手のようだが)と主導権を握っている間に、後手玉を詰ますところまでいかなくても、細い攻めが途切れず、駒が入れば脅威になる状態にまでもっていけばいいのだろう。その意味で56手目の△2三金は相手の攻めを切らそうという手で羽生名人の手は一貫している。渡辺竜王の△1四香ではやや戦力不足か。ここで、60手目の△1一歩が羽生名人の、この将棋全体の捉え方を示していると思う。検討では、△7六歩が有力とある。この優劣はわからないが、羽生名人としては先手の攻めが遅いのを見越して、先手の攻めを完全に切らしてから、主導権を取り戻すつもりだったのだろうか。しかし、馬を切られて、61手目で渡辺竜王が▲2一金と下段からからんでくると、先手の攻めを振り切るのは容易ではなく、△3五角と先手の5三の成香と2六の飛車の両どりをかけたものの、2一の金で2二の銀をはがして香車が成り、飛車で王手されるようではつらい感じだ。ここまでくると、主導権は完全に渡辺竜王の手にあり、攻め合いを目指すにしても、遅い感じだ。

 中継ブログ(参考)では「「△3五角(62手目)あたりが問題だったかもしれないですが、ちょっとわからなかったです」という羽生名人のコメントが掲載されているが、代わりに指すとしたら、△7六歩あたりか。以下、▲6五桂、△5六歩、▲2二金、△同玉、▲5六歩、△6五飛で形勢は不明だが、本譜よりも紛れそうな気がする。本譜では渡辺竜王が龍をつくり、寄せの態勢が整ってから、ようやく羽生名人が王手をかける状態になってので、主導権を取り戻すことはなかったのだろう。

 主導権を渡して攻めを切らせてから、反撃するという羽生名人の構想自体に無理があったのかはわからない。しかし、主導権を取り戻すタイミングが難しく、結局、構想自体が生きる機会がなかった。対して、渡辺竜王からすれば、相手に誘導されて攻めたとはいえ、明快な攻め(ただし、細い攻めをつなぐ職人的な技も随所にみられる)をして負けることはないというところだろうか。△2三歩は想定外だったかもしれないが、ねらいがはっきりした攻めをつないで、勝利に持ち込んだという印象だ。

 それにしても、投了図が後手玉を慕うようにハート型に見える。疲れているのかしら。


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2010年10月15日

第23期竜王戦七番勝負第1局 なぜ?

 帰宅後、右の一番奥の歯茎がひどく痛みます。月曜から熱が出たり、引いたりしていますが、訳がわからない。12時前に晩御飯を簡単に済ませて、ボーっとした頭で中継サイトを見ていると、なんともいえない違和感。なにか渡辺竜王が好むであろう直線的な展開になるように羽生名人が誘導しているようにも見えますが、先手の攻めが切れそうにない。強いていえば、38手目の△4五角が曲線的な印象ですが、解説にあるように、▲4六歩とつかせて先手玉のコビンを開かせるぐらいだとすると、かなり厳しい印象です。

 封じ手はさすがに△3四飛だろうと。解説にある▲5六角もこのあたりか。飛車が逃げる手はジリ貧というより、攻め合いにすらなりそうにないですねえ。4七の地点の「傷口」に浸透するなら、△2五歩でしょうか。以下、▲3四角△2六歩▲1二角成△2五角ぐらいまでが私の棋力では限界。▲3六香ぐらいで先手が指せそうです。確かに先手の左の壁はリスクが高いのですが、攻め倒せそうな感じ。解説を読んでいると、プロの間では研究が進んでいて先手がよさそうとのことで、タイトル戦ですから、思わぬ一手が羽生名人にあると思いたいですが、具体的な手順がさっぱり浮かばない。なぜ渡辺竜王の直線的な攻めを呼び込んだのか、羽生名人の意図がわからない。なにか成算がなくて指しているとは思えないのですが、このまま押し切られる危険が大きすぎる感じです。




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2010年10月13日

弱りつつある「見えざる手」を「見える手」でいかに補完するか?

 カワセミさんへのリプライを書いておりましたら、長くなってしまいました。論点整理が下手なことに恥じ入るばかりです。

 温かいお言葉、ありがとうございます。とりあえず、歯も含めてわかっている疾患はほぼ治っています。ただ、9月の血液検査の結果を火曜日の診察で知りましたが、白血球数が高い状態が8月頃から続いており、ちょっと微妙な感じです。夏の暑さのダメージから体はだいぶ回復しましたが、ここ数日は頭の方がよろしくないようです。

 コンピュータ将棋そのものには詳しくないのですが、カワセミさんのコメントを拝読してから、検索したら4Gamerで棋譜が出てきました。見た印象は、今回は4つのエンジンの合議制とのことですが、角交換から振り飛車を選択するなど、プロ棋士の対戦データを相当、データベースで読み込んでいる印象がありました。私の印象では、エンジンの読みを外そうとして(例えば25手目の▲9八香や27手目の▲7七角)、清水市代女流王将が序盤から守りが薄い形にしてしまった印象です。

 マイコミジャーナルの解説では、あからの66手目の△5七角が意外な手とあって、▲同銀だと△5五角から王手飛車が見えていますから、とれないようにも見えます。控室のプロ棋士も見えない手だったとのことですから、王手飛車をかけても大したことがなく、私の棋力不足なのかもしれませんが。第59期王将戦第6局でもプロ棋士が気がつかない手順(実戦例があるので新手ではないようですが)をGPS将棋が示しているので、カワセミさんがご指摘の通り、全パターンを読むという評価関数なら、開発者の棋力とは関係なく、性能が向上するので、男性の棋士が敗れる日もそう遠くないのかもしれません。

 Google Booksはよくわからないのですが、「アルゴリズムで形勢判断して手を捨てるのではなく、全てのパターンを力業で処理する方がいいというような方向性」というのは、市場機構をコンピュータで再現しているような印象をもちます。市場機構の本質的な特徴は、人格的な「見える手」による調整よりも、非人格的な「見えざる手」による調整ですから。他方、コンピュータの場合はわからないのですが、このような非人格的な調整が理想的に機能する条件も限られていることは60年近く前から知られていたことではあります。金融危機後の世界は、確かに多くの不確実性を抱えていますが、市場経済を分析する人たちの主たる関心は、非人格的な市場機構のはたらきを人格的な調整によっていかに補完するのかという点に多くが割かれてきたことも事実です。

 「デフレ」の現状認識については、『週刊ダイヤモンド』2010年10月9日号(118頁−120頁)に掲載された齋藤誠先生のインタビューが私には説得的な印象を与えます(120頁の政府の役割は疑問だと思いますが)。通常、デフレは消費者物価指数の動きから判断しますが、「リフレ派」と称する人たちはGDPデフレータをもちだします。この時点でかなり恣意的な印象をもちますが、なぜ、財貨やサービスの価格の変動、それもマイルドな変化でしかありませんが、にこだわるのかが率直なところ、理解できません。

 2002年から2007年の景気回復期には、株価や地価など資産価格の下落が2003年から2005年頃に漸く歯止めがかかり、回復傾向に向かいましたが、地価の場合、主として三大都市圏であり、ある程度、「面」として資産価格の上昇が見られたのは、首都圏というよりも東京都市圏のみです。財貨やサービスなどフローの動きがどうでもいいとはいいませんが、不良債権問題が解決した後も、資産価格の上昇については日本国内でもかなりの差があります。「格差」にしても、主として所得格差ばかりが問題になりますが、不動産などの資産をもっている家計では労働を供給するインセンティブが弱いでしょう。資産市場と実体経済の関係については、私自身、整理できていないのですが、これらを無視した議論はあまりに乱暴だと思います。また、「デフレ回避」で実行されている非伝統的な金融政策に関しても、「リフレ派」の評価はひどく辛い印象があります。あの人たちは本質的に、政府と中央銀行が適切な処置を行っていないと主張しますが、裏を返せば、政府と中央銀行の政策で安定成長が見込めるかのような主張をする点で今日の経済について過度に楽観的な期待をしている印象をもっています。

 「高齢化社会とグローバル化が進んだ成熟社会」への対応と物価が上昇すれば、すべてがうまくいくという立場とはあまり関係がないと思います。既に触れましたが、市場経済の分析を仕事にしている人たちの関心は、50年近く前から非人格的な市場機構と「人為的な調整」の望ましい関係にあったと思います。もちろん、ご指摘の通り、この15年間ぐらいで直面している課題は、先進国にとっても新しい問題でしょう。むしろ、問題は、後者の「グローバル化」への対応が日本のみならず、国際経済の安定性を担保してきたアメリカでも、いわば「グローバル化」の重みに耐えかねていることでしょう。以前、漠然としたことを「『グランドデザイン』のない国際経済」という「寝言」に書きましたが、経済に関する国際協調を維持するためには強力なリーダーシップが必要であるにもかかわらず、3年近くを経過しても、そのようなリーダーシップが機能していないのが現状だと思います。

 高齢化については、現在の民主党政権のひ弱さが幸いするのかもしれません。役所のロボットになって、医療保険における負担増や年金のカットなどを実施すれば、国民生活にはダメージしか与えていない政権ではありますが、それなりに成果が残るのではとすら思います。いまの高齢者には申し訳ないのですが、彼らの生活を支えるためには、彼らが現役時代に蓄えてきた原資では全く足りません。この問題をまともに説得しようとすると、ほとんど不可能に近いので、首が変わろうが無能な政権を官僚主導で3年かけてすりつぶしながら実行するには意外と好機かなとも思ったりします。

 やはり気になるのは、プロテクション・レントの増大でしょうか。中国の脅威も対応しなければなりませんが、日之出郵船の乗っ取りなど、対応すべき問題が拡散する傾向にあります。アメリカの覇権が、一時的なのか永続的なのかはおいて、後退すれば、各国の負担が増加するでしょう。とりわけ、日本は「バターか大砲か」ではなく、民需における資源配分のみに注意を払って、「バターか大砲か」という問題は事実上、昔の「GNP1%枠」などほとんど問わずに避けてきました。カワセミさんの「人為的な調整」から離れてしまい、恐縮ですが、実は、これから日本社会が直面するのは、経済成長率の鈍化や人口の高齢化などによって資源(ヒト・モノ・カネ)の制約がタイトになっていくのにもかかわらず、広い意味での防衛に割かなければならない資源が拡大することでしょう。もちろん、単に予算の問題だけではなく運用の問題も大きいでしょう。ただし、繁栄の基礎となる安全保障の問題こそが、市場では解がえられない、最も慎重かつ効果的な「見える手」が要求される分野だと思います。


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posted by Hache at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | まじめな?寝言

2010年10月12日

「へぼ将棋」と囲碁その他

 8月下旬にダイエットというよりは、散歩がしたくなり、午後4時ぐらいから歩き始めたのですが、たった1時間半でバテるというより、焦げてしまいました。水分補給などは万全だったのですが、単に疲れるだけになって、まったく気分転換になりませんでした。体育の日にあわせた訳ではありませんが、書類の整理を終えて、午後4時ぐらいから久々に長時間の散歩に出かけました。歩いて20分ぐらいの公園ですが、私の住んでいる都市ではかなり大きい公園で、金木犀の香りが秋の雰囲気を醸し出していました。ちょっと気になったのは、自転車専用なのか、敷地内には道路と両脇に歩道があるのですが、歩道をかなりのスピードで走る自転車が目立ちました。なので、森とまではいきませんが、自転車を避けて林に入ると、小一時間でしたが、ちょっとした息抜きになりました。

 帰ってきてから、囲碁の本を読んでいましたが、やさしい死活問題を解くのはできるようになりました。「シチョウ知らずに碁を打つな」のシチョウもなんとか理解できるように。というよりも、中学生のときに将棋だけではと囲碁の本で読んだことをおさらいしているような感じです。問題は、あまりに勉強不足とはいえ、なかなか碁を打つレベルに到達する道のりが見えないことでしょうか。日本棋院でプロを目指していた方にアドバイスを頂いておりますが、実際に碁を打てるようになるまでは、頑張ってくださいというのが基本で、将棋なら基本的なルールとだいたいの戦型、基本的な手筋を覚えて、詰め将棋でも多少とも解いていれば、「へぼ将棋」にもなるのですが、囲碁の場合、その程度では碁にすらならないので、道のりは遠いです。将棋よりも敷居が高い感じでしょうか。

 ネットで見ていたら、清水市代女流王将が「あから2010」というコンピュータ将棋にやられてしまったそうで。棋譜が有料で見ることができないのが残念ですが。素人には、将棋では「女流棋士」という肩書きはあっても、男性と同じ条件でプロ棋士となった女性がいないというのも不思議ではあります。囲碁は、不案内の点が多いので勘違いをしているのかもしれませんが、女性のプロ棋士でも、「女流」という肩書きはあまり見たことがありません。このあたりも囲碁と将棋の違いなのでしょうか。

 囲碁は難しいなあと、久しぶりに詰め将棋を解いていましたが、9手詰めが1分以内に解けなくてちょっとショックでした。そんなわけで勤務先の仕事は、当然ですがこなしていたものの、外部からの依頼を先方との関係を壊さないようにお断りしていましたが、8−9月にかけて歯の治療に気候の厳しさで十分に対応できていなかったので、丁寧に「申し訳ありません」メールを書いていたら、ぐったりしました。おまけに、何度も依頼されて、「曖昧戦略」でのらりくらりかわしていた仕事を引き受けざるをえなくなって、やり始めると、喫煙なしでは集中力が保てず、やむなく断念。これって二次近似だよなあと思う式が出てくるのですが、真剣に数理をやったのが15年以上前なので、テイラー展開がパッとできないという悲惨な状態にため息が出ます。


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posted by Hache at 07:00| Comment(4) | TrackBack(1) | 気分しだいの寝言