2011年04月26日

カルロス・クライバーの風景

 日曜日に晩ご飯の下ごしらえを終えて、まだ早いなあと。微妙なタイミングですが、カルロス・クライバー指揮、南ドイツ放送交響楽団(現シュトゥットガルト放送交響楽団)のCD(と思い込んでおりました)が手元にあったので、病み付きになったように再生してしまいました。音源としては最悪なのですが、Windows7で再生。びっくりしたのは、DVD再生ソフトが立ち上がって、ありゃまというところでしょうか。曲目はヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲とウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲なのですが、リハーサル光景が始まって、さらにびっくりしました。どうせ消費税率を上げるんでしょと考えると、第一に必要なもの、第二にほしいものと財布の紐が緩んでしまい、碌に中身を考えずに、買いあさった結果ではあるのですが、えらいものを買ってしまったなあと。

 10分ぐらい見入っていたところ、「アットニフティ」を名乗る女から電話があって、イライラしました。最初は、バカ丁寧に「先の東日本大震災でご本人様、ご家族様はご無事でしたでしょうか?」と紋切り型のでだし。適当に、ええまあというところですね。せっかく極上のものを楽しんでいる最中なのに、なんと、バカ丁寧に保険のアドバイスをしてくれるとのことで(自社の利益になる保険商品を紹介するのがミエミエですが)、先物業者並みの「迷惑電話」です。「迷惑電話の撃退法 テクニック集」という「寝言」自体の存在を書いた本人が忘れていたのですが、今になって読み返してみると、よほど腹に据えかねていたのか、声が不細工だったせいか(ルチア・ポップのごときソプラノだったら苛立ちも控えめだったのでしょうが、ガマカエルが轢かれた後のバスのような声では苛立ちも万倍)、何も考えずに反射神経でいきなり「応用編III」を発動。相手がなにか言っているのですが、スピーカーモードにして、「もしもし」を連発して約2分ほど放置。おもむろに受話器を手に持って、「今の時期を考えろ。自粛しろ」と低く抑えた声で話して、通話が途切れない程度までに受話器を親機に近づけて、相手がガチャっという音が聞こえる程度に、ただし親機や受話器が壊れない程度に力を込めて、切りました。これは、相手にこちらが受けた精神的ダメージの1万分の1程度を返して二度とかける気力を失わせるテクニックです。名人戦も速く決着がつきそうですし、メールも@niftyから完全に移転しようかな。って自慢げに書くことではなく、もちろん書いた本人も自爆覚悟で書いておりますが。

 再度かけてこられると、極上の楽しみを邪魔されるのが本当に迷惑なので電話線自体を親機から遮断して防護。そんな話はさておき、映像で見たクライバーは驚きでしたので、このDVDはありがたい限りです。くだらない電話を忘れて(夕食まで放置したのは痛恨でしたが)、「こうもり」序曲だけでリハーサル34分に見入ってしまいました。実際の演奏は8分。「こうもり」序曲の収録が1969年12月から1970年1月、「魔弾の射手」序曲が1970年4月の収録なので、私が生まれたときとほぼ同時期です。カルロス・クライバーが1930年7月3日生まれなので、40歳を迎えようという年齢でしょうか。映像はモノクロなのでもっと古いのかと思いましたが。解説自体は、小冊子がそれなりに詳しいので、あまり興味はありません。金子建志氏の解説の冒頭が次のようにあって、思わずお茶を噴きそうになりました。

 C. クライバーほど指揮ぶりを後ろから見た印象とリハーサルが異なる指揮者はいない。本番での指揮ぶりは、しなやかな曲線の中に、反射神経の塊のような切れ味を織りまぜたようなもので、華麗かつ鮮烈。バレエとフェンシングをミックスしたようなその変幻自在な指揮ぶりは、素人目には適当に恰好をつけて踊っているようにしか見えないようだ。多少とも指揮やオーケストラ経験がある人なら、全く恰好だけの『即興的に、その場のインスピレーションで振る感覚派』といった判断を下しがちだ。しかし、この2曲の練習風景を見れば、そうした見方が全く誤りだったことを思い知らされ、唖然とするに違いない。


 文章そのものは悪くないと思いますが、啓蒙的な話が多すぎて、かえって話の中核に行くにはけだるく感じます。音楽がわかる人ほど、わからない人に無理に伝えようとして、かえってわかりにくくなるのかもしれませんが。録画とはいえ、生の演奏で見せている自由な指揮の背後がこれほど作為的であり、作為的ではなかったとはというのが素人の感想ですね。間違っても、「即興的に、その場のインスピレーションで振る感覚派」という印象をもつことは、私みたいなど素人でもない。あれだけ自由な演奏を観客に魅せ、堪能させることができる背後を見る気分です。

 冒頭から、入り込んでしまいます。「名人芸を見せられるところがあります」と相手もプロだけに、立てながらも、「失敗をおそれずに。勇気をもって」という最初の方で、参ってしまいます。オーボエの奏者にはスタッカートを犠牲にしてでも軽さを要求しているのですが、若干、指示を受けた側はわかったようなわからないような表情のような印象を受けました。再生時間にしてまだ4分ちょっとですが、トロンボーン奏者に対して、寒さで純粋さがでていないようですね(硬いということか)と冗談交じりに語りかけて、「ここでは綱渡りのような危険が伴わなければ、リーダー役は必要ありません」というあたりで、あなたがリードするところですよという指示であるとともに、譜面どおりのあぶなげのない演奏を求めているのではありませんよという強い意思を伝えている印象をもちます。続く音色への説明で思わず他の楽団員も笑顔を見せているのがまた印象的です。最初の数分で、リスクのない演奏を求めていないですよ、もっと不真面目に、譜面どおりではダメですと、シュトゥットガルトを相手になかなかいい度胸だねという感じです。臆面もなく、こんな「寝言」を書いているてめえがいい度胸じゃねえかと言われれば、沈黙あるのみですが。

 それにしても、求めている音感と申しましょうか、音楽が実に磨き上げられたものであることを実感するDVDです。スタッカートを犠牲にしたり、保つように指示したりと実に細かいのですが、既に、8分47秒でオケをとめて、オーケストラ全体に語りかけるあたりで痺れました。

 「待って。ありがとう聞いてください。まず考えてほしいことは皆の演奏が勝って私が無用になる・・・そんな演奏です。時間があるから実現するでしょう」


 この後の語りもユーモラスでありながら、オーケストラをより高い境地に導いていく様子がうかがえて興味深いのですが、くどくなっていますし、著作権にも触れそうですから割愛します。言葉では語りきれない真髄を極めようと言う姿勢が伝わってきます。もちろん、「真髄」といっても、それはあくまでクライバーの考える主観でしかないといえば、そうなのですが、あえて「高い境地」とか臆面もない表現を用いるのは、まさに「天籟」ともいうべき感覚をクライバーがもっていて、それを実現するためにこれほど後で登場する、より専門的な指示を出していることに感服しました。ここまで一貫しているのは、優等生では困りますよという指示でしょうか。この指摘を、シュトゥットガルトを相手にする40歳前のクライバーはすごいの一言につきます。きちんと制約を課しているとはいえ、クラシックの奏法にこだわらずにという指示が既にぶっとんでいるのではありますが。17分すぎで「私の意向を推測するでしょうが、私は何も求めません。皆さんに何かを求めてほしいのです。私は表現の方向性ときっかけを与えるだけにしたい」というあたりも厳しく、しかしオーケストラの力を出し切らせようというすごい指示です。それに続く、「ウソの涙を流すが女性には一種の真実だ。涙は涙なのだから」というあたりで、「天籟」といっても、「為さざるを為す」ということを表現するのがいかに難しいのかを実感するとともに、表現そのものはありきたりかもしれませんが、音楽を表現する際に人間性への感性が最も重要なことなのだということを教えられます(ちょっと『荘子』に偏った評価になっておりますが)。

 20分すぎから、徐々にシュトゥットガルトとの、より専門的な指示が増えてくるのが興味深いです。オーボエ奏者の方が実に重要なのですが、オリジナル通りに1音ずつ切るのは賛成しないが、滑らかすぎず。クラリネットも16分音符の前で一瞬の間をとって」と実に細やかな指示。「『ワグネリアン』になったかのような劇的な表現」というあたりはいろいろな意味で笑える部分もありますが。ちょっと震えるのが、ヴァイオリン奏者に対してトリックが使えますよという指示で、リピート記号の位置を付けて譜面をめくるタイミングをずらすことができると指摘して、実にこまやかです。アバウトな指示が多いように見えますが、音楽の全体像とリズム、ごく細部の響き、もちろんテクニックとノウハウは当然として、なによりも全体のバランスが本当によく見えていると感心します。

 リハーサルの終盤でクライバーの本質の一部が見えてきます。「聞いてください。皆さんは私とは派閥が違いますね。またアカデミックになってしまった」とリズムと響きの違いを指揮棒を叩いて示したうえで、次のように語りかけています。

 「殴り・・・殺して・・・やる」と「殴り殺してやる!」。深い意味はありませんが、バイオリンが指揮者に言いたそうなことだから。私も言われそうだ。私は武器をもっていますよ。


 ユーモラスですが、クライバーの指揮の本質がよくでていると思います。どんな指揮者でもオーケストラと対話をしている。その対話の中で最上の響きで聴衆を魅せるのが演奏だが、それは普通にやったのでは実現しない。クライバーは決して、オーケストラを支配しようとはせずに、相手の最上の音色を引き出すべく、私に喧嘩を売るぐらいの勢いで自己表現をしなさいという形で対話を盛り上げる。それが、ラスト手前の「ニコチンの少ないタバコのように8分音符が物足りない。もう少し毒気がほしい。・・・酔った時を思い出して。歩けなくなるほど飲みすぎないで」という、演奏をとめた小節だけではなく、全体における指示につながる。表現は曖昧で感覚的な印象を与えます。おそらく、それはクライバーの意図するところなのでしょう。問題は8分音符で遊び心がない。私は、こんな音を求めていますが、奏でるのは皆さんですよと語りかけ、演奏者自身の音を引き出そうと対話をしている。

 クライバーの指揮は徹頭徹尾、作為的ですが、作為なくして「為さざるを為す」ことはできない。そして、真・善・美のうち、あえて乱暴に単純化をすれば、「真」は、ある手続きを踏めば、その手続きの煩雑さに根を上げない限りは、ある範囲内で合意に至る。あるいは、生きているものを殺してデスマスクをとるような感じ。「善」は、良き生を送りたいと思わない人は少数でしょうから、多くの人がそれを願い、死んでから確定する。まあ、私のような底辺の人生を送っているものからすれば、死ねばみな仏さんとしないと私自身がアウトですしね。「美」は、生そのものであり、芸術というのは美の表現であり、生そのものを全体として表現する。ヨハン・シュトラウスにワーグナーの劇的な表現をもちこむのも、猥雑さをもちこむのも、それが真であるのか、善であるのかという問題ではなく、生を表現することにある。生がすぐれて個人そのもので以上、それを聴衆にあますことなくさらけ出すためには、それを音楽として表現するには、指揮者とオーケストラがともに生き、楽しまなくてはなくてはならない。クライバーは美しい音楽を奏でる優れたマエストロという程度のイメージでしたが、このDVDのおかげでより深く美を楽しめるようになりました。散々、からかってきた方の術中にはまって、美しい音を聴くだけで鼓膜が痛む通風にならないかとひそかに怯えてはおりますが。

 こんな「寝言」では、カルロス・クライバーの音楽の真髄の表面すらわからないでしょう。是非、クライバーの音楽を深く愛した金子建志氏の解説を片手にこのDVDを味わっていただきたいと思います。パイオニアの回し者ではないので、ご安心のほどを。なんだか「時の最果て」にふさわしくない「寝言」になってしまい気恥ずかしいので、「こうもり」序曲の話で終わりましょう。


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2011年04月25日

震災への地域間の温度差

 東北地方太平洋沖地震から1か月が経過して、震災に関する地域間の温度差が目立ってきているように思います。一例ですが、『時事』が配信した「復興税、賛成57.4%=内閣支持、20.5%−時事世論調査」という記事では、復興に要する財源の創設に賛成が57.4%(「どちらかといえば賛成」)、反対(「どちらかといえば反対」)が38.6%という結果です。

 この調査と単純な比較は困難ですが、フジテレビの「新報道2001」の調査では首都圏の男女500人を対象とした調査で、「東日本大震災の復興財源確保のため、政府・民主党内では、消費税を増税する案が浮上しています。あなたはどう思いますか」という設問に対して、賛成が46.0%に対し、反対が48.6%となっており、わずかではありますが反対が賛成を上回っています。ただし、「新報道2001」の調査の場合、『時事』の調査のように、「どちらかといえば賛成(反対)」という選択肢がないため、全国的な傾向との単純な比較はできないのでしょう。

 『時事』の調査では、菅首相の指導力や東電の対応に関しては賛否がはっきりする傾向にあるのに対し(賛否両論をあわせて95%を超える)、内閣支持率に関しては支持と不支持を合計しても82.1%です。18%程度の人が態度を保留しているのと比較すれば、復興に関する財源については全国的には賛成、あるいはやむをえないという傾向があるといってよいのでしょう。これと比較すると、「新報道2001」の調査では内閣支持率に関しても、「わからない・その他」が6.0%と低く、調査の方法の相違なども考慮すると、やはり単純な比較は困難でしょう。

 もっとも、大雑把な傾向としては、全国的には復興に要する財源として増税も容認する傾向が強いのに対し、首都圏では容認できないとする傾向が容認できるとする傾向と同程度だという程度の相違はあるのでしょう。


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2011年04月24日

ドルの没落?

 JALクラスの規模だと国際線と国内線の運航に関して範囲の経済性があるが、旧JASぐらいの規模だと規模の経済性がはたらくものの、範囲の経済性がはたらくという話を聞きながら、「ほほお、きれいな結果だなあ」と呟いておりました。「でも、アウトプットが単純な運航距離ですから」と返してくるので、「でも、例えが悪いかもしれないけれど、人キロをアウトプットにして東京メトロと名古屋市営地下鉄の生産性を比較したら、前者が高いのは当たり前。だから、"economies of density"と"economies of scale"を区別するんだし、費用関数の推計が需要条件で左右されたら本当はまずいでしょ」と話すと、その辺は当然私より詳しいので、推計結果についてさらに分析をしていて、すっと耳に入りますね。メディアじゃネットじゃなんだかリフレがどうたらこうたらが収まったと思ったら、電力自由化だそうで、最近は、東京方面では積極的に政策を主張する側が懐疑的な立場に反証を求めるのが当たり前らしいようで。もっとも、ノイズはノイズとして放っておけば、実に快適です。人様を耳が痛風呼ばわりしていたら、LPからDATに入れたのをさらにCDに焼いたブラームスの4番とか、2番とか、カルロス・クライバーばかりを聴いて土曜日を過ごしたら、極めて快適でしたが、録音でも十分、耳が痛風になると悲鳴をあげそうになります。モーツァルトの36番はクライバーとウィーンフィルで聴きましたが、極上ですなあ。なんせDVDで見ていると、クライバーの指揮は、実に優雅で官能的ですらあります。同じ方に、ジョージ・セルを聴いてごらんよと勧められていたので、アマゾンで注文したのが届いたのですが、音質があまりに悪くてちとつらいのですが、贅沢をした後は、痛風にならないためにはちょうどよいのかも。

 賃貸の契約更新で東北太平洋沖地震で胸が痛みますという話から始まったのですが、「いやあ、まさかと思いましたが、去年、おっしゃっていたように地震が起きましたね」と言われて、そんな「寝言」をリアルで言っていたかなと。名前を忘れましたが、予言の類はいっさいしないことにしておりますが、確か景気の見通しを尋ねられて、景気と天気は「気のせい」みたいなもので予測はできませんよと前置きをするのが常ですが、ユーロ圏が不気味だけれど、底割れする確率はかなり下がってよいだろうと2010年3月ぐらいには言っていたかなあと。ただ、病み上がりで地震とかの天災があるのが怖いですねぐらいは話しましたかもしれませんねと。なんでこんな話になるんだろうと思っていたら、阪神・淡路大震災をきっかけに地震保険を掛けておいたのですが、意外とあの地震があっても地震保険に入る人が少なくて、今回の震災をきっかけに地震保険が入るとのこと。10年以上も前から万が一を考えて入っていたので、いたく感心されて、こちらが気恥ずかしくなりました。単に、神経質なだけなのですが。

 今の総理はいかがでしょうと尋ねられると、「あかん、というところでしょうかね」と。代わりも碌なのがいないから、当座は首がつながっていればいいんじゃないですかとか、「外道」らしい話へ。冗談とはいえ、あなたが総理大臣だったら、復興はどうしますかと尋ねられて困りましたが、長期的な見通しがほしいなあと。何かと言えば、スマトラ島沖地震のように繰り返すようですと、復興の見通しすら、迂闊に立てると大変ですからとなります。高台に住居を移すのは、津波だけを考えればよいのですが、地形によっては土砂災害にあうリスクもあって、言うだけなら簡単ですが、問題も多いし。業者の方が東京23区内は幸せですなと。計画停電では極力、外される上に、この前、会った都内の人が仮設住宅はきれいですみやすそうねとのたもうていたそうで、さすがにドン引きでした。最近は多少はマシになりましたが、被災した人がいれば、テレビで内装を見れば薄型テレビに冷蔵庫、ガスコンロときれいにそろっているのですが、プレハブをちょっとマシにした程度のつくり。あれはあくまで「仮設」であって、早めにちゃんとした住居がないと大変だと思うのですが、無知な方が幸せなのでしょう。他方、東京本社の大手企業は、いろいろなところで聞いてはいますが、名古屋、大阪、福岡あたりの貸ビルからホテルまでリスク分散を図っていて、電力危機が予想されている中で本社機能を分散しないのは、民間企業の危機管理体制が問われる事態なのでしょう。

 そんな訳で、カルロス・クライバーに四方山話で気が紛れるのですが、重くのしかかるのは、ドルのひ弱さです。Wall Street Journalが2011年4月23日付で配信したTom Lauricellaの"Dollar's Decline Speeds Up, With Risks for U.S."という記事がよくまとまっているのですが、いかんせん、加入者限定もしくは有料記事ですので、メモを作るのもためらいますので、リンクは省かせて頂きます。2007年に12月21日に「グランドデザインのない国際経済」という散漫な「寝言」を書きましたが、その後も一貫してブレトンウッズ体制が維持可能かという点に関心があります。目先の問題としては、ポルトガルとギリシアを抱えるユーロ、震災で打ちのめされた日本円と比較しても、ドルのひ弱さは目立ちます。

 WSJの記事では、主要通貨のバスケットでドルの価値を表したグラフがあります。2008年9月以降の金融危機でむしろドルの価値は上昇に転じているという点で、エコノミスト連中は2008年9月15日で世界が変わったかのように今でも主張していますが(アメリカがダメージを受けたときに、日本が、それ以上のダメージを受けるかもしれないという簡単なことすらわからない人と口をきくのも苦痛なのであっさり縁を切りました)、悲劇の序幕というより、私自身も底割れの恐怖がありましたが、これが底だという見方は甘いのでしょう。このグラフは興味深くて、2008年末にかけてドルの価値が急激に上昇していますが、年明けに急落し、再度、3月末にかけて上昇しています。その後は、大幅にドル価値が減価した後、緩やかに下がり、ユーロ圏におけるPIIGS問題が意識されるようになった2009年末から2010年はじめにかけて2008年末を上回る水準まで上昇した後、ずるずるとドルの減価が進み、ドービル協定のあたりで再度、上昇していますが、その後、低下しています。水準そのものをみれば、2008年のベアスターンズ破綻以前となっており、グラフが2008年以降という中途半端な形ですので、ドルの減価傾向が一時的なものであるのか、より長期的な現象であるのかを判断するにはやや情報が不足していると思います。

 この時期の分析では、まず財政赤字の拡大を取り上げていますが、格付け機関の米国債の弱含み判断があっても、現状では不気味なほど低金利で推移しており、国内問題としてはむしろ州や地方自治体の財政破綻が進行していることが問題なのでしょう。低金利がドル安の原因であるという分析はもっともですが、金融緩和の副作用という側面もあり、評価が難しいところです。他方、低金利が財政規律を弱める側面もあり、実に悩ましい状態であると思います。また、ドル安はグローバルインバランスを解消する方向に左右するというのは理解できるのですが、記事も指摘しているように、国内物価を押し上げるように作用しますし、原油高はアメリカの家計消費を大きく圧迫する可能性が高く、不動産関連が弱い状態では、資産効果も見込めず、景気が急速に悪化する確率は低いのでしょうが、国内経済がはっきりと回復したといえるまではまだ遠いと思います。

 より長期的な問題として、記事では中国が通貨高を容認し、ドルを買うインセンティブが薄れていることが挙げられています。これ自体は、必ずしも懸念すべきこととして決めつけることはできません。米中の通貨問題をめぐるさや当ては見ている方がうんざりする状態でしたが、中国がこの問題に限定すれば、より賢明になったともいえるのでしょう。また、中国と輸出面で競合するアジア諸国がドルに対して自国通貨を強くするインセンティブを与えると指摘しています。他方、現状では、すぐには実現しないでしょうが、アジアにおいてドルに代わる決済通貨として元を位置づける戦略を中国がとった場合、ドル本位制を補完する勢力としてではなく、代替する勢力として長期的にはブレトンウッズ体制の挑戦者となる可能性があると思います。この場合、国際協調がより容易になるのか、困難を増すのかは明確な見通しを立てることが困難ですが、"G-2"が従来と異なった形で出現する可能性があることにも留意が必要でしょう。

 記事は、財政危機を抱えるユーロ圏、震災でうちのめされた日本に対してもドルの減価が進んでいることに懸念を示しています。アメリカ経済がこのまま衰退し、ドルが没落するというのは現状では考えづらいのですが、中国のプレゼンスの増大は、安全保障上の問題と相俟って、長期的には米中関係におけるアメリカの選択肢を狭めるように左右する可能性が高いことに留意が必要でしょう。


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2011年04月23日

ありゃまの瞬間(その2) リビアをめぐる道義と打算

 本来は中東情勢全般に関する「寝言」を書こうと木曜日の晩は意気込んでおりましたが、連日の睡眠不足に加えて、気候の変化に体がついていけないのか、久しぶりに水曜日から38度を超える熱で、さすがに無理です。国内政治の混迷とは無関係に最近とみに感じるのは、無能というのは仕事を減らそうとして増やす管理者でしょうか。一度、システム化され、動き出してしまうと、予算や人員がついているので、削ることができなくなる。仕事が増えすぎて、本来の業務がすかすかになり、クラッシュするまで削減ができず、最悪の場合、どうでもいい仕事が残って、やらなければならない仕事が削られてしまう。民間の組織の場合、ほとんどは競争にさらされていますから、結果的にではありますが、ダメな組織は消えていく。それを進歩と呼ぶのか、変わらぬ光景と呼ぶのかは、主観に属する問題なのでしょう。

 それはともかく、まずはリビア情勢です。2週間ぐらい前でしょうか、リビアで「誤爆」が増えたという報道が米紙で多くありました。「反乱軍」(米紙ではほとんどが"rebels")が戦車を用いるようになってから、誤爆が増えたようです。笑えなかったのは、米軍がいなければ、NATO軍には止まっている拠点を叩く能力はあっても、動く標的を識別して爆撃する能力はないというアナリシスで、遅かれ早かれ、嫌々ながら米軍も引き込まれるのだろうと。結局、この数日でドローンの配備をするという報道が増えており、アメリカ政府は米兵を犠牲にする覚悟がないまま、深入りさせられかねない状況なのでしょう。「好戦派」の一部は、介入の目的はベンガジの虐殺阻止だったと言い訳をしていて(その前にはリビアの民主化というウォルフォヴィッツの無茶苦茶な意見に賛同しているのにもかかわらず)、非常に見苦しいのですが、人道目的の武力介入には他の目的以上に歯止めをかけることが難しく、振り上げた拳の降ろし方を誤れば(現状はアメリカの中東におけるプレゼンスへのダメージを抑えること自体が難しくなりつつあると判断しておりますが)、太平洋における勢力均衡にも影響がおよぶのでしょう。「論語読みの論語知らず」とはいいますが、『孫子』の冒頭部分にある、「兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」は何度も読まれているのにもかかわらず、人類が学習しない典型的な事例なのでしょう。

 2011年3月19日の「寝言」で、「羹に懲りて膾を吹く」と言われて上等と書きましたが、問題はアフガニスタンやイラクで懲りたから、リビアに介入するべきではないということではなく、これ以上、中東で武力介入を行うことは、アメリカの能力の限界を超える(overextend)かもしれないという懸念に留まらず、2011年3月11日の「寝言」(この「寝言」を書いているときには、午後に東北地方太平洋沖地震という悲劇がやってくるとは全く予想しておりませんでしたが)で紹介したハースCFR議長が指摘している通り、人道という誰もが反対できない、もっともらしい理由が利害計算を不透明にしてしまうことでしょう。あらためて、ハースの論考を読み返して思うのですが、飛行禁止区域の設定によってベンガジでの虐殺を予防するという、一見、抑制的であるかのように映る戦争目的ですら、道義と現実政治の奇妙な混ぜ物にすぎず、リビア問題の外交的解決を妨げるという点では、非常に有害であったと思います。

 中東全体について考えるためには、アラブ人とペルシア人の歴史も一から勉強しなおさなくてはならず、当面は宿題状態で終わりそうです。それにしても、アメリカの不興を買ったので、アメリカの歓心をかうべく、陸自のヘリ部隊に無茶苦茶なミッションを課すというのもどうかしていると思うのですが。首相官邸の決断に批判ではなく、評価する向きが多いのにゾッとします。要は、東電を脅すなりして情報を出させて原発そのものを安定化させる方策がなにもないまま、実効性のないことに力を注いでいたということでしかないと思います。今回の事態に、適切かつ迅速に対応するのは非常に難しいとは思いますが、福島県における「計画避難」をめぐる混乱を見ていると、現政権の真の関心が、民生の安定と民心を安堵させることにあるのだろうかと疑念をもちます。もっとも、実情はそれなりに関心はあっても、実行に移す能力がないという点で無能だという評価にしかならないのかもしれませんが。

 話がそれましたが、太平洋の西側に位置する国際秩序に不満を抱き、現状を打破したいと考える勢力にとっては、有利な力関係の変化が生じているのが現状でしょう。現状維持勢力の政治システムがどの程度、壊れているのかを用心深く確認しながら、ことを進めるのなら、応分の「報酬」がえられそうです。名人戦の第2局ではありませんが、力関係がこれ以上、悪化しないためには、気に乗じて勢力打破を目指す勢力が性急に事を進めるという相手の悪手を待たざるをえないというのが実情なのでしょう。


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2011年04月22日

ありゃまの瞬間

 花粉症が世間様を苦しめる時期には、将棋の名人戦が楽しみですが、ありゃまの展開。一日目からずいぶんと直線的だなあと思っておりましたが、帰ってきて棋譜を見ていて、先手の羽生善治名人の45手目は目が点に。一日目からして、見ている分には駒がぶつかって楽しいといえば楽しいのですが、後手の森内俊之九段は4一玉と矢倉のお城に近づいているだけ、わずかですが、安心ですが、羽生名人は居玉。実は、水曜日の晩に封じ手は△7二飛以外にないでしょと思って、棋譜解説を見ながら、ああでもない、こうでもないと考えてみたのですが、居玉では戦えないので、私には見えない必殺の手が羽生名人にあるか、どこかで自陣の整備を行う曲線的な手が出るのかと思ったら、45手目で羽生名人が飛車をとったので、悲鳴を上げそうになりました。これは、ひどいなあと。48手目の森内九段の手が悪いとは思えないのですが、確かに、パッと見は意味が分からないのですが、終盤に受けるための鉄壁となっていて、驚きです。序盤の折衝がすさまじいだけに、まさかの展開でした。録画で木曜日の午後の中継を見始めたら、ほぼ4時半頃には終局で、それになりにあやがあるとはいえ、ど素人にもわかりやすい局面が続いて、全体を通しても、ありゃまという感じでしょうか。第1局が素人には難解すぎるのとは対照的です。羽生名人が調子を取り戻さないと、第4局以降は見ないかもです。BS中継の録画で終局直後の両対局者の表情が写りましたが、森内九段がへとへとになっているのが印象的でした。この将棋をひっくり返されては立ち直れないでしょうから、形勢不明の局面が続いたときよりもプレッシャーがかかったのではないという、「外道」な「寝言」が浮かびます。

 嫌な予感しかしないのが下の動画ですが、周囲に「外道」であることを知らしめるべく、不謹慎なことばかり言っております。古びた○発が「ポポポポ〜ン」とか、シュールすぎてついていけない人が少なくないのですが、なぜかついつい笑ってしまう人が多数になってしまう。開き直れば、過度の緊張感というのは1か月が限界なのである。



 それにしても、2011年4月20日の『日経』一面トップが話題にならないのは、いくらしゃれにならない情勢とはいえ、それもどうかなと。不確かな記憶ですが、2008年頃に堀内光雄氏は「『後期高齢者』は死ねというのか」とかいう作文を『文藝春秋』に寄せたのを読んで、「死ね」じゃなくって、今の医療水準を維持するのにもカネがかかるのだから、昔の革新自治体がバカみたいに高齢者の医療費の無料化を進めた時代とは違うんですよと。いわゆる「団塊の世代」がどうたらこうたら以前に、既に現役世代の負担は過重になっており、左寄りの人のみならず、酷使様たちも口をきわめて罵った長寿医療制度でも現役世代にはあまりに重いという現実を理解していただきたいと思うのですが、無理なんでしょう。乱暴な議論ですが、これだけ男女を問わず高齢化が進んでいるという社会が、「低福祉」というのはありえない話だと思います。まず、「団塊の世代」が年金の満額支給を受けるようになり、後期高齢者へと移行する10年後あたりには、1990年代後半から2000年代に生じた財政の悪化を上回る「セカンドインパクト」がくるのは容易に想像できます。仮に、年金の支給年齢を70歳に引き上げたところで、私の前後の世代(1960年代終わりから1970年代前半生まれ)が年金受給世代になり、医療サービスを利用する頻度が上がる、「サードインパクト」まで、わずか30年間しかありません。堀内光雄氏のように1930年代生まれあたりの世代は、「ノブレスオブリージュ」を上の世代から体感したものの、真っ先に失った世代でもあるのでしょう。彼らの生活は現役世代によって支えられているのにもかかわらず、ご自身が失ったノブレスオブリージュを下の世代には押し付けるという、「ありゃま」という感覚を覚えさせる御仁が目立ちます。現在の震災からの復興は10年がかりでしょうが、ご高説をのたもう人たちが社会保障制度改革の抵抗勢力としてまだ10年近く影響力を残せば、30年たっても、その災厄たるや、甚だしいものとなりかねないでしょう。


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2011年04月20日

カルロス・クライバーによるブラームスの交響曲第4番

 そろそろ「不謹慎な寝言」というカテゴリーが必要なのではと思うのですが、冷静に考えると、不謹慎ではない「寝言」というのが見当たらず、困ったものです。今週で一番、驚いたのニュースといえば、フィラデルフィア管弦楽団の破産だったとは、さすがにクラシック好きの人にも言えない話です。たぶんクラシック音楽を聴く時間が長かったピークの一つは10歳頃から17歳頃だったと思うのですが、安物なりにLPにアンプ、スピーカーを買ってもらったのが中学2年生ぐらい。それも、当時の私の小遣い(月千円也)ではLPレコードを買うのは無理でして、多くはラジオ(自作)でNHKのFMを聴いている状態でした。フィラデルフィアといえば、あまりに古い感覚なのでしょうが、やはりオーマンディ。レスピーギはいろいろな指揮者・オーケストラの演奏を聴きましたが、お気に入りでした。

 ネットでは散々の「団塊の世代」の人たちですが、リアルでは親を除くと、助けて頂くことが多く、クライバーの演奏をライブで聴いたという方から、バイエルン国立管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲33番とブラームスの交響曲4番を録画したDVD(1996年)を渡して頂いて、これをライブで聴いたんだよと。だから、「耳が痛風にry」と言うのを見越してか、先に言われてしまいましたが。ちなみに、NHKのBSプレミアで流れていたそうで、名人戦以外もチェックしなくては。クライバーの演奏は、ベームにはない華がある印象があるのですが、木管の柔らかさも実に心地よいです。報道に接していると、精神的に参りそうなのですが、クライバーとバイエルンのモーツァルトのおかげでホッとしました。昔、グラモフォンに入っていたベームの最晩年の25番の異常なスローもよいのですが、全体として抑制が効いた演奏なのに対し、クライバーは自由だなあと。どちらが好みかと言われると、その日の気分しだいというわけでして、「時の最果て」の中の人はこんなものです。本音を言うと、このあたりを理屈で説明するというのは、胡散臭いと思っていると負け惜しみを書いておきます。

 気分的にはブラームスの4番は重たいのですが、実に20年ぶりぐらいに聴いたので、大雑把な構成すら忘れていたのですが、1回目はなにも考えずに聞き入ってしまいました。第4楽章のフルートが実に美しく、バッハの影が見え隠れする主題もすばらしいのですが、たまらない感じです。まるでバロック期には夢であった自由が実現した後の、自由を求める精神が生きているようで、私自身は、クライバーの演奏ですら、モーツァルトやバッハの方が耳になじむのですが、19世紀以降の西洋音楽の粋だなあなんて平凡な感想をもちながら、あまり考えずに楽しんでしまいした。最後のコーダは明らかに古典派ではないのですが、自由でありながら抑制が効いていて、静かな感動がありました。

 最近は、クラシックすら聴かない日が多いのですが、いつもの癖で最初は目を閉じて聴いていて、本当にいいものを聴いたなあと。2回目は動画を見ながらクライバーの指揮に見とれてしまいました。正確な知識がないので、誤っていると思うのですが、1996年の演奏となると、ほぼ指揮者としては最晩年ではないかと思うのですが、バイエルンとは息があっていることも大きいのでしょうが、最後のコーダのあたりは抑制と解放が実に巧みで、官能的ですらありました。早くブルーレイで聴きたい録音です。


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2011年04月19日

祝!? 「期間限定」消費税率引上げ?

 財務省様は手回しがよいようで。『時事』が配信した記事のタイトルで噴き出しそうになりました。「消費税3%上げ案が浮上 期間限定、復興債償還に 政府」だそうです。「期間限定、絶賛需要吸収祭中!!」という感じでしょうかね。被災地の復旧・復興の目途すら立っていない状態でこの手順はいかがなものかといいますか、終わってる感じ。

 財政をめぐるアメリカの党派間対立は救いがなく、ポルトガルが逝って、ギリシアも再燃してユーロ圏がじわじわときている状態で、将来、3年間にわたってきっちり回収させて頂きますから、借金しますよというシグナルにはため息がでますね。まあ、復興債の償還財源なら選挙をしなくても、やりますよで現与党は済みますし、増税する頃には政権交代もありで、その頃には、「ミンシュガー」となっていそうというわけで、こういうときには「キャッチボール・パーティーズ」というのは便利なのかも。財務省の震災を上手に活用した「焼け太り」能力には心から感服するばかりです。

 若いというのはよきかな。やはり「余震」(あまり口にすべきではないのですがスマトラ島沖地震を考えると現状ですら小休止かもしれないと思ったりしますが)が多いので、次は東海地震か東南海地震かと不安がっていて、私は無言なので、このおっさんは怖いものがないのかという表情をしていて苦笑いをするしかありません。月曜日の話なので、『時事』配信の記事はさすがに知らなかったのですが、今回の震災は消費税率を引き上げるチャンスだねと呟くと、地震よりおびえた表情になるのがかわいいものです。だって、東北の復興を人質に、増税に反対するんですかと言えば、よほどの変わり者以外は空気を読むだろうと。反対する人は空気で押し切ればいい。「予測」は外しましたが、まずは復興を錦の御旗に掲げて、5%ほど引き上げて、何年かかるかわからない状態で消費税率10%が定着すれば、そろそろと年金・医療の財源が足りませんとさらに5%上積み。20年後ぐらいには財政再建でいよいよと20%というのがわかりやすいよねと話すと、いつ起きるのか、わからない地震よりも重苦しい雰囲気で黙ってしまいました。財務省の中の人がどう考えているかはわからないけれど、向こうの立場で考えれば、もっと緻密に練っているだろうけれど、そんなところじゃないという感じ。

 五百旗頭先生なんて知らないだろうななんて、「時の最果て」でコケ下ろしているのは伏せておいて、学生時代に読んだ『米国の日本占領政策』はいい本だったよと煙に巻きつつ、占領期を描いた人が、今度は自ら歴史をつくるとなれば燃えるよねと。学者先生なんて菅や枝野よりもはるかに「神輿は軽くてパーがいい」にぴったりだから、うまいこと財源の問題をいわせたのはさすが財務省だなと話すと、ドン引きされてしまいましたが。

 原発で経済産業省が沈み、行革厨が実質的に発言権がない現状で財務省をさえぎるものはないのですよね。復興再生債を先出しすれば、その後の財源問題でいくら揉めても、選択の余地はないでしょう。サンデル先生が語るように、日本人は従順ですから、どうってことない?

 それにしても「期間限定」という『時事』の見出しのセンスに痺れました。増税なのに、まるでバーゲンセールのような陽気さがありますね。私のあてにならない嗅覚では3年間も消費税率が8%台で定着すれば、後戻りはきかず、財源は後でどうとでもなりますから、ドドーンと復興をしましょうというのは、数年後にはコンセンサスが成立しないかもしれないというギャンブル的な要素があるとはいえ、分のいい賭けでしょう。


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2011年04月18日

困難を極める東北地方の電力問題

 新聞社のサイトで見た覚えがあるのですが、どこの社だったのかは忘れてしまいました。東北電力のサイトに記載があるので、(参考)こちらが正確でしょう。実質的には東北電力と東京電力の合弁会社である常盤共同火力の勿来発電所から調達しても、東北電力が想定する今年の8月の最大電力には到達するわけではなく、あらためて厳しい、綱渡りの状態が続くことを実感します。勿来発電所に関しては検索すれば一発ですが、立地は微妙なところですが、石炭火力の再開発が進んでいることを実感させられます(参考)。2011年3月14日の「寝言」で首都圏の電力問題について書いた者としては、現在の電力問題に関する報道が首都圏のことばかりで異様な印象を受けます。「時の最果て」にはふさわしくない「寝言」ですが、せめて首都の名にふさわしい情報発信をして頂きたいと思います。

 東北地方の電力復興は、被災地の再建を図るうえで不可欠ですが、電力会社の投資が極めて限られている状態では既存設備の活用に限られてしまうのでしょう。首都圏へ必死に電力を供給するべく各電力会社が努力を行っている現状で、首都圏のマスメディアや識者と称する方などから電力会社へのバッシングが続いているのは極めて異様な光景です。下記にもある通り、経済産業省が、東西融通を事業者に促しているのが現状です。

 経済産業省は13日、東京電力と東北電力管内の電力不足を補うため、東日本と西日本で異なる周波数を変換する施設の数を増やしたり、送電の能力を高めたりする方針を固めた。中部電力など他電力からの電力融通を、5年以上かけて現状の数倍の300万〜500万キロワットに増やす。

 電力需要が高まる夏のピークは、東電と東北電を合わせ7500万キロワット。これに対し、両社が今夏までに確保を目指す供給電力は6200万キロワットにとどまる。火力発電所などを増強しても数年は厳しい電力需給が続くとみられ、電力融通の拡大で中長期的な電力不足に対応する。

 現在、東電が中電から受け入れられる電力は100万キロワット。東電と中電の間にある変換施設の能力を増やす。与党内には、政府が施設増に補助金を出すべきだとの意見もある。

 日本は明治時代、東日本の電力が周波数50ヘルツの発電機を導入、西日本は60ヘルツの発電機を導入したことから東西で周波数が異なり、スムーズな電力のやりとりを妨げている。

 また、東電は中電から、東北電は北海道電力から、それぞれの管内に引き込む送電線の本数を増やして容量を増やす。(福田直之)


 もっとも、60Hz地域の電力会社からは冷ややかな話がほとんどです。まず、東京電力の管内は、首都圏を含むとはいえ、日本で販売されてきた総電力の3分の1近くを占めるほど、電力需要が極めて巨大であることです。電気事業連合会HPの電力需要実績に関するデータ(参考)によれば、2010年度上期(2010年4月から9月まで)では、いわゆる全国10社の電力会社の総販売電力量は4,582億5,139万6,000kWhであり、東京電力の販売量は1,506億5,949万5,000kWhと実に10社合計の32.9%を占めます。東北電力は410億9,564万1,000kWhと約9.0%を占めるにすぎません。現在でも、東北地方(茨城など北関東を含むますが)では地震が続いており、仮に、想定されている電力需要を超過する供給能力を確保できたとしても、送電が破壊されるなどのリスクは依然として残っており、安定供給を東北電力が実現するのは、需要規模が小さいからといって容易ではないことを首都圏の識者どもは忘れるべきではないのでしょう。被災地は、茨城や千葉などを除いて、東北地方に集中しているという事情をおいてもです。

 60Hz地域の電力会社が冷ややかなのは、既に書いたように、周波数の変換所に要するコストが巨額であること(だいたい同程度の発電所をつくるのと変わらない)が大きいのですが、周波数の変換が不要な北海道・本州間連系でも60万kwがいいところであって、このケースは送電網を、海底をもぐらせなければならないという特殊な事情が大きいのですが、日本の地理を考えれば、周波数の問題をおいても連系に要する費用が大きくなるという事情を無視している議論を見ると、それが首都圏のことしか考えていないという視野狭窄に陥っているという点を除外しても、うんざりするのが正直なところです。電力会社の方もうんざり気味のようで、各方面から問い合わせが多いとのことですが、現実を見てくれとも言えず、お疲れのご様子。ちなみに、周波数統一の話もしてみましたが、やはり発電所単位で莫大な費用が発生するばかりではなく、最終需要家レベルでインバータをかませなくてはならず、言うは易く行うは難しというところでしょうか。家電はよほど古い冷蔵庫や洗濯機は別として対応ができそうですねと話すと、まあそうですねと。問題は、中小零細の事業所で使われている発動機でしょと話を振ると、そちらにすべてインバータの取り付けをお願いするとなると気が遠くなるとのこと。識者先生方が空理空論を振り回している間に、下記のような危機が既に生じているわけでして、首都圏の先生というのは、一度やったらやめられない、極楽な稼業ですなあ。下記の記事は、60Hz地域でも電力料金の水準が長期にわたって上昇することを予想せざるをえない問題を指摘しています。資源価格も上昇しており、デフレがどうこうという以前に、全般的な物不足が長期化すれば、種々の財貨やサービスの小売段階で価格や料金に転嫁にしても、しないにしても、長期的に復興に伴う税負担に日本経済が耐えるのはかなり厳しい状況となりかねないでしょう。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、電力各社が社債(電力債)を発行できずにいる。東電だけでなく原発を持つほかの電力会社の信用も揺らぎ、金利が上昇しているためだ。4月の電力債の発行は、4年4カ月ぶりにゼロとなる見通しで、混乱が長引けば各社の資金繰りが悪化しかねない。

 社債は、事業会社が金融市場から直接資金調達するために発行する債券。電力会社は例年の4月だと上旬に発行することが多いが、いまは「動きがない状態」(市場関係者)だ。金融情報サービス会社のアイ・エヌ情報センターによると、このまま電力債の発行がなければ、2006年12月以来の事態となる。

 電力10社の電力債発行残高は約13.1兆円。社債市場全体の約2割を占める。とくに東電債は約4.8兆円の残高があり、売買も多いために社債市場の「指標銘柄」とされてきた。

 社債は国債利回りに上乗せする金利が、取引の指標となる。電気料金から安定した収入が見込める東電債は、国債に近い信用があり、上乗せ金利は市場でも最低水準だった。

 発行された社債は、証券会社の店頭(流通市場)で売買され、金利(価格)が上下する。事故以降、東電債の上乗せ金利は急上昇(価格は下落)。直近では事故前の23倍、2.56%幅に高まった。売買はほとんど成立せず、新規発行ができない状態だ。

 金利は、ほかの電力債も上昇している。津波による原発事故は、どの電力会社でも起きうる。自治体は停止した原発の再起動に慎重だ。電力各社は津波対策を求められており、そのための巨額投資で業績が悪化するとの見方が、金利上昇の背景にある。

 数兆円ともみられる東電の賠償金の一部を業界全体で負担するという観測も、金利の押し上げ要因。「電力各社に大きな負担となり、格付けが下がる可能性がある」(アナリスト)。

 東電は毎年5千億円にのぼる社債償還などに備え、事故後に金融機関から2兆円の緊急融資を受けた。ほかの電力各社も社債を発行せずとも、銀行借り入れで資金調達できるが、調達コストは社債より高くつく。

 東日本大震災後、東電債の上乗せ金利上昇を受け、社債市場全体が低迷した。ようやく大手銀行が発行を始め、事業会社にも動きが出てきたが、依然、東電の賠償問題が影を落とす。市場では「政府の東電処理方針が固まるまでは、本格的な発行は難しい」(アナリスト)との見方が強い。(前地昌道)


 現状は東北地方の電力復興に最も高いプライオリティを置くべきだというのが、「時の最果て」にふさわしくない、まじめな「寝言」です。福島第一に足を引っ張られる形で、東電のみならず、東北電力をはじめ各電力会社の資金調達に困難をきたしている状況では、電力会社の自助努力に任せているようでは、それすらも空理空論になりかねない状況です。中東におけるイランとサウジの新しい「冷戦」など考えたいことが山積みですが、日曜日の朝7時からやっていた番組で福島産のイチゴを御厨貴と渡部恒三ほかが食べているのを見ながら、こいつらはなにをやっているのだろうかと休日の早朝から憂鬱になりました。別のところを読みながら、銀座の街を明るくするために東西融通に投資して、それがひるがえって60Hz地域の電力料金にも跳ね返るとなったら、どのように説得するのだろうかと。ちなみに、勤務先以外でも東京方面への出張を控える傾向が強いのですが、理由は簡単です。地震で新幹線をはじめ復路の手段が確保できないリスクがあるから。地震や津波が怖いわけではなく、まして放射能(CSの番組を見ましたが、福島の人を心配しているようには見えませんでしたが)などには無関心というのが実情です。自粛ムードとは無関係です。政治や行政、経済などの中枢が東京に集中しすぎているのが問題でしょう。あと、やはり同じく朝日ニューススターの番組で逆に放射能で発がんリスクが低いという話は結構なのですが、福島第一周辺の方々に避難をお願いしている与党議員がいうことかねえと。ちなみに、1955年から1960年生まれあたりは層が以上に薄い印象です。政治的リーダーシップの担い手も含めた本格的な復興は、わかってもいない理屈を振り回す団塊の世代よりもはるかにたちの悪い連中が隠居してからかなあ。全治20年というところでしょうか。

 まじめにやるつもりでしたが、やはり無理ですね。復興構想会議は復興妄想会議にでも改名してもらって、五百旗(苗字が読めないと復興期に関心がない人にはきわめて評判が悪い)氏に今は亡きMaxisの開発陣とシムシティ4000開発資金を与えて、東北地方太平洋沖地震復興シナリオでもつくればいいのに。増税したら市民が暴動とか西洋的な要素も取り入れて頂くとか、高台に車で5分もあれば漁業ができるという発想がどれだけ現実離れしているのか、実感していただくには、ゲームの開発費用程度なら、実際に適用されるよりもはるかに害が少ないと思います。


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2011年04月13日

分権的な社会の危機

 「苛政は虎よりも猛し」を実感する日々ですが、この国の人はよほどおひとよしが多いのか、不思議に思った時期がありました。いつだっただろうと思って、自分で検索してみると、2010年4月17日の「寝言」でした。

 今後、20年ぐらいのこの国の事情を書き残せば、民主制というのはときとして自殺するというトゥキュディデスの仮説を補強する事例となるのかもしれません。この国の人はお人よしだから「苛政は虎よりも猛し」を実感するのにはもう少し時間がかかるのでしょうが。


 無能な人たちを権力の座につけることは、自殺するのと同じ程度に危険だと思うのですが、私の方が神経質すぎるのでしょうか。あまり自分の判断に信をおかないことにしているのですが、どうにもわからない部分が多いです。なにか自分自身が世間様からあまりにずれていて、「あれれ?」となることが多いです。本題の前に、統一地方選挙の前半戦はあまり興味がなかったのですが、意外と早く、愛知県では地域政党が失速して、大阪府では過半数を制したものの、政令指定都市では第一党とはいえ、「公約」の実現は難しいらしい。橋下氏が独裁者になるのは困るという指摘をする方がいたので、非常事態だったら、それもありではないですかと尋ねると、仮に橋下氏がうまくやったとしても、その後、権力を握る人たちが悪用するかもしれないと言うのを聞きながら、またしても首を傾げてしまいます。小泉純一郎氏は橋下氏よりも独裁に近い権力をもった時期もありましたが、その後、どうなりましたかと尋ねると、絶句してしまうので、こちらが困ってしまう。

 大阪府の話から離れてしまいますし、危険思想の持ち主と思われても仕方がない「寝言」になりますが、非常事態に際しては、意思決定をスムーズに行うために、分権的意思決定の制限というのはやむをえない場合があると私自身は考えています。問題は、集権的な意思決定メカニズムに移行したとしても、それに堪えうる担い手がこの島国では極めて稀であるということでしょう。「政治主導」の名の下に民主党は小泉改革とは別の形で集権的な意思決定を進めようとしたものの、どだい、それに堪えうる人材がおらず、これは私も見通しが甘かったと思うのですが、さしもの官僚機構も機能麻痺に陥ってしまう。「苛政」というのは、いわゆる暴君などに象徴される善悪の次元ではなく、まず、実際に分権的意思決定に代わって的確な指示を出すことができるのかどうかという能力の問題の次元で考えたいというのが、いかれた俗人の考えるところです。現状はと言えば、もちろん、私自身は、集権的な意思決定というのは実に厳しいものだということすら理解できない愚か者どもが進めた結果、現時点は集権的な意思決定が必要な事態なのかもしれないのにもかかわらず、実質的には無政府状態に近く、苛政そのものだとなりますが、同意しない意見にも、それ相応の敬意を払います。

 しかし、民主党ほどの無能集団でも、すべてを壊すほどの力はなく、それなりに公的な発信をしている状態がさらに事態を悪化させているように映ります。昨日、ネットで国際原子力事故評価尺度でレベル7に引き上げるという報道に接したときに、なんともいえない違和感を覚えました。どうも自分でもこの違和感をうまく説明ができず、ハッと思ったのが、こちらの2011年4月13日のコンテンツを読んだときでした。確かに、2009年の「デフレ宣言」とそっくりな部分があるわけでして、デフレですよと菅氏がのたもうて、あのときは日銀に対策と責任を丸投げした格好になりましたが、今回は東電かと。日銀よりは世間的には「悪の巣窟」というイメージもあるのでしょうから、あえて不謹慎な表現をすれば、責任転嫁の対象としては上手ともいえなくはないのですが。枝野氏の天下り発言などを見ると、政治的な責任の問題を回避しようという姿勢がミエミエのようにしか映らないです。ただ、こうやって政治がそれにふさわしい責任を回避する姿勢が続く限り、見えない形で日本というブランドは海外で日に日に低下しているわけでして、被災地のことを考えたいのですが、なんとも重苦しい将来しか思い浮かぶことができないです。

 時間がとれないので、リビア情勢を見ていると、内部分裂が目立つNATOで手に負えるのだろうかと。金融危機のダメージは思ったほどではないという楽観的な見方もあるようですが、ユーロ圏の債務問題としてリスクは既に顕在化していますし、オバマの国内的な政治的指導力・説得力も綱渡り状態でしょう。あまりに粗雑な見方だとは思うのですが、アメリカから見て、アメリカ自身が力の限界に達しつつある上に、東も西も分権的な社会が危機に瀕しているのが現状でしょう。他方、WSJは、2011年4月9日の記事で、中国が元のオフショア市場をシンガポールに拡大して元流通のハブを重層化を図っていることを報じています(有料記事の可能性があるのでリンク等は省かせていただきます)。ただちにと言うわけではないと思いますが、現行の国際秩序に挑戦するであろう勢力にとって極めて有利な状態が、今後も続く確率が極めて高いということを忘れるのは、「寝言」のきわみにすぎないのでしょうが、私にはあまりに危険なことだと思います。


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posted by Hache at 23:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言

2011年04月12日

地方政治における「無縁社会」

 日曜日に肉が食べたくなったので、投票がてら軽い散歩をして、ついでに投票してお昼を食べたという相変わらずのすちゃらなかな感じです。その後、公園まで出かけて、散歩しながら花見をしました。「寝言」というより、単なる日記みたいですが、投票所で困ったのは、誰に入れようかと。貧乏暮らしですので、オートロックには無縁で、郵便受けにもピンクチラシ(不謹慎ですが10年前と比較すると頻度がかなり減りましたが、この半年ぐらい週一ペースで入っていて、震災後も変化がないので私の住んでいる街では景気の落ち込みが緩やかではないかと妄想しておりますが)から候補者のビラまで入っていました。また、駅前ではビラを配っていたので、ふだんの地方選挙よりも積極的に受け取りましたが、今一つ、各候補者の政策や資質がピンと来ない状態でした。結局、候補者というよりも、所属政党で選んだのですが、これでは選ぶ側にも問題があって、いかんなあと思いながら、投票所を後にしました。

 投票を済ませて、いつものお店で焼肉を食べましたが、ガラガラだったので、やはり景気が悪いのかと思いましたが、しばらくしたらいつものように客が入っていたのでホッとしました。店主に「投票しましたか?」と尋ねられたので、しおりを見せると、「えらいなあ」と。今回は、棄権することにしたそうです。「私が投票しないので嫁もそうしようかと迷っていましたが、近所づきあいもあるから、投票するかどうかは別として投票所に行ってます」とのことで、40を過ぎても、いまだに奇特な方に恵まれない私としては耳が痛いのですが、なるほどと。独身で借家住まいですと、つい忘れがちですが、投票所というのは、特定の時期限定ではありますが、コミュニティの構成要素なんだなと思いました。そういえば、冬場は近所でも「火の用心」と声を上げながら回っているので、もう10年近く住んでいても、よそ者の私は浮いているのですが、コミュニティはしっかりしています。

 ただ、選挙前以外は、特定の候補者と接する機会はほとんどないのは、単身か否か、コミュニティに溶け込んでいるか否かとはあまり関係がないようです。東京都知事選挙のような派手なコンテンツもないので、選挙期間中以外の接点がないと、個々の候補者の政策や資質などを見る機会が皆無になってしまいます。これは地方政治における「無縁社会」じゃないのかと感じました。特定の候補の後援会に縛られるのも困り者ですが、まったくどの候補者とも日常的な接点がないというのも、困った話だなあと。地方分権や道州制の議論はけっこうなのですが、地方レベルで政党による組織化が衰退している現状では、地方自治の実を挙げられるのだろうかという「寝言」が浮かびました。


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posted by Hache at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言