2011年09月06日

過去へ飛んでいく青い鳥

 吉川英治『三国志(八)』(講談社 1989年)の408頁に下記の記述があります。

 魏の成都占領とともに、蜀朝から魏軍のケ艾に引き渡された国財の記録によると、
 領戸二十八万
 男女人口九十四万
 帯甲将士十万二千人
 吏四万人
 米四十四万斛
 金銀二千斤
 錦綺綵絹二十万匹
 ――余物これにかなう。
 とあるからそのほかの財宝も思うべしである。


 小説のあとがき部分に相当しますから、出典がないのはやむをえないのでしょう(陳寿の『三国志』の蜀書あたりであろう気はしますが、原典で確かめていないので不明としておきます)。他方で、蜀の滅亡は263年ですので、時期は明確です(ちと言葉足らず。人口の数字は10年程度のずれはありうる)。他方で、ウィキペディアには、「漢代の地方制度」の項目に後漢期の益州の戸数が1,526,257、口数が7,242,028とありますが、出典および時期は不明です。両者の出典が不明なことや後者の時期も不明な点を考えると、実数を比較するのはかなり危険です。後漢の益州と蜀の支配地が一致している保障もありませんし、なにより、蜀の時代に人口が8分の1近くまで減少したというのも考えにくい部分もあります。ただ、後漢の時期には、一戸当たりの人口が約4.7人だったのが蜀の末期には約3.4人と大幅に減少していることは、将士や吏の数を人口から除いている可能性もあるのですが(人口に将士と吏を加えると一戸当たりの人口は約3.9人)、家族構成を大きく変えてしまうほど、苛政が後漢末から三国鼎立の蜀の時代まで続いていた可能性があるのかもしれません。官渡の戦い前後の曹操の支配地が荒廃していたのは、黄巾の乱や董卓の専横、曹操による略奪などで信憑性が高いのですが、北伐による益州の疲弊も同程度だったかもしれないという妄想をしていたわけです。もっといえば、「出師の表」にある諸葛亮の風韻の高さは疑いようがないのですが、政治的手腕や軍事的能力には疑問に感じる部分が多いので、そのような目で見ているからかもしれないのですが。

 「寝言」なので、上記も数字のお遊びです。しかし、海外の株式市場の浮き沈みを見ても仕方がないと思っておりましたが、DAXの落ち込み方には、NYダウと同じく指標としてはあまりに粗いとはいえ、今後のユーロ圏が浮上してくる時期が見えない印象を受けます。FTSEを使わない理由は、低水準で安定していて安心感があるせいなのですが。クルーグマン先生は雇用統計を受けて"1937"という簡潔なコラムを書いています。原始的なケインジアンに戻るべしというのはやや難しい気もするのですが、緊縮財政をやめよという主張は、現時点では説得力があると思います。まあ、古代中国と比較する気はないのですが、現状で欧米諸国が緊縮財政を続ける、あるいはアメリカの場合、実施することは苛政に等しく、あまりにリスクが大きいのでしょう。私のちゃらんぽらんな経済の感覚では、民間部門が苦しい状態のときに、政府がもっと取り上げて、無駄な使い方をするというシグナルを出すのは危険だということが理由です(古典的なケインジアンには、政府という「見える手」による非効率にあまりに鈍感なのでついていけません)。

 どこぞの島国の財務大臣があまりに軽量級だというので、詳しく調べている方がいて参考になりましたが、ちょっと甘いような。「神輿は軽くてパーがいい」というのは、本来、役人風情が神輿の担ぎ手になるのは越権もいいところでしょうが、民主党中心の連立政権の混乱振りを見れば、傀儡の野田が財務省と相談して増税を実施するための広告塔としてもってきた人事という深読みをしてしまいます。もちろん、「寝言」であり、なんの根拠もありません。ただ、役人が扱いやすい財務大臣というのは、現状では非常に危険でしょう。わざわざ自分で「外道」だとバカ正直に書くのもあれですが、日本人というのは根っからよい人が多くて、震災復興のためなら増税もやむなしという人が多くて、閉口しました(被災地が復興期(おそらくは数十年単位の話)に入る頃に全国が不況に陥っては本末転倒。まだ、震災の衝撃は和らいではいないので、震災の財源という「錦の御旗」で関係のない予算の手当てができてしまう状況ですから)。最悪の時期に最悪の選択をするというのは既に経験済みですし。現政権で歳出削減といっても、せいぜい数兆円単位でしょう。増税は十兆円単位になりかねず、生活水準を2割削減してひもじい思いを抑えるためにはどうしようかという算段をしなければなりません。

 「蒼い鳥」は未来へ向かって歌ってくれそうですが、現実には過去に向けて青い鳥を探す時代に入るのかなあと。どうでもいいのですが、吉川英治氏が北伐が成果を収めなかった一因といして「漢朝復興」が当時の中国人に受け入れられなかったのではないかというあたりで(384頁)、笑うところではないのですが、思わず笑ってしまいました。文庫版の初版が1989年なので、このあたりは学生の頃には読めていなかったか、読んでいなかったのでしょうが、戦前の文学者というのは中々、侮れないなあと。演義ベースで書いた著者の諸葛亮の人柄を偲ぶ「諸葛采」で、これですからねえ。復古ではどうにもならない、しかし未来にも希望がもてない時代を生きている者としては、おかしみを感じつつ、文学者というのは時として本質をえるものだなと感心したりします。


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posted by Hache at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言