2015年08月20日

天皇機関説

 昔話から始めて恐縮ですが、もともと法学部を第1志望にしていて、入学試験に落ちたので、やむを得ず、滑り止めで受かっていたとある大学のどうしようもない経済学部に進学しました。大学時代に法学でまじめに勉強したのは民法と商法というぐらいでした。というよりも、憲法の講義の水準が、日本史で出てた過去問(出題時期は昭和50年代でしょうか。内閣総理大臣の在任期間を旧憲法と新憲法で比較して、新憲法下で長い理由を説明せよというなかなか歴史を棒暗記と勘違いしているバカを確実にはじく問題が出題されていました)よりも容易だったので、大学以降は憲法学を内心、小馬鹿にしていたのが実情です。

 「天皇機関説」というタイトルは偽りありです。下記の動画を見ていたら、単にひどい事件としてしか見ていなかった美濃部達吉博士の弾圧事件から明治憲法と当時の法学者のレベルが現代では考えられないほど、桁違いに高い水準であったことが少しだけ実感できました。



 実は、故岡崎久彦氏が明治憲法というのは議会制民主主義を排除しない、柔軟な内容ですと主張されていて、疑うというわけではないのですが、そこまで解釈できるんだろうかと首を傾げたままでした。岡崎氏の著作は何度も読み返していたのですが、上記の動画を見ていて、明治憲法と議会制民主主義の問題はまるで読めていなかったなあと気が付きました。上の動画の内容に完全に納得がいっているわけでもないのですが、天皇機関説が大正デモクラシー以降、明治憲法の正当な解釈として定着していたという記述の意味が理解できていなかったことがやっとわかりました。

 生兵法は怪我の元なのですが、あらためて大日本帝国憲法を読んでいると、よく考えたんだなあと。以下、色々と面倒ですので、旧仮名遣いは使用せず、すべて現代仮名遣いに直しております。1条で天皇に統治権があるといってから、3条では神聖にして侵すべからずと書いてあるので、普通は天皇主権で天皇に統治権があると読める。ところが、4条では天皇の地位を国家の元首として規定した上で、「統治権を総攬しこの憲法の条規によりこれを行う」と立憲君主制がこの憲法の定める国体ですよと読めるように書かれている。これはまったく迂闊でした。今、昔、買った六法全書で明治憲法を読んでいるのですが、国会はもっとおそろしい。5条は「天皇は帝国議会の協賛をもって立法権を行う」とあるので、字句通りに読めば、立法権は統治権の一部として天皇が有し、議会の協力と賛同を得て行使すると読むのが普通かなと思いますが、37条で「すべて法律は帝国議会の協賛をへるを要す」とあり、立法権は実質的に議会にあるとも読めます。少なくとも、明治憲法下の天皇といえども、議会を無視して法律を制定したり、施行はできないわけです。勅令もおそろしく制限がかかっていて驚きです(8条)。

 司法権に至っては、57条で「司法権は天皇の名において法律により裁判所これを行う」とあって、現行憲法の象徴天皇制とは異なるとはいえ、天皇の大権といっても、実際には分権が進んでいたことになります。戦前の歴史に興味を持った段階で、ちゃんと明治憲法を読んでおくべきでした。問題は、内閣でありまして、55条1項で「国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず」と定めたため、これも字句通り読めばですが、現行憲法とは比較にならないぐらい、内閣総理大臣の地位と権限への言及がないので、冒頭の入試問題が成立したわけです。小泉政権後の自民党の混迷と政権交代後の民主党政権のおかげで、昔はこんな入試問題がつくれたんだけど、今じゃあねと言っていたら、失礼ながら、全く期待していなかった安倍政権が長く持ったので、憲法だけでは説明がつかない部分もあるのかなと。多分、模範解答は内閣総理大臣の地位と権限に触れた上で、統帥権、さらに軍部大臣現役武官制に触れる必要があったと記憶しております。このあたりは、とりわけ統帥権に関してですが、美濃部博士の解説を読む時間が出来たら、まとめたいところです。

 明治憲法を字句通り読むと、天皇主権説になるというのはまあそうでしょうね。というよりも、それで済むなら、たいした学問ではない感じです。天皇機関説になってくると、これは学がないとわからない。いや、現代の大卒程度では低学歴なので、失礼ながら無理でしょう。正確を期せば、学歴というよりも、真剣に憲法について考え、書物を読まないと無理です。私も、まだ勉強不足なので、あやういところがあります。ただ、昨年、亡くなった岡崎氏が生前、繰り返し指摘されていた明治憲法の柔軟性というのは氏の個人的な見解ではなく、天皇機関説という形で、軍部と右翼を除く知識人層に共有されていたというのはなるほどです。

 しかるに、国体明徴運動ともに、字句通りに憲法を読んでもわかりづらい天皇機関説は軍部や右翼だけではなくメディアと世論から見捨てられてしまう。大筋では帝国の隆盛を支えたのは結局のところ「臣民」であり、帝国を殺したのも「臣民」であったという根底にある歴史観はあまり変わらないです。


続きを読む