2006年05月13日

日英同盟の形成にみる偶然と必然(2)

 前回、日英同盟は「幸運」の産物であるという乱暴な見解を示しました。拙文からの引用で恐縮ですが、日本の「幸運」と帝政ドイツの「不運」について次のように述べました。「19世紀末から20世紀の初めに限定すれば、日本の幸運はイギリス側からいろいろ言い逃れの余地がある同盟でも歓迎するほど弱小な国であったことであり、ドイツの不運は言い逃れの余地があることはドイツを軽く見ていると感じるほど強大な国であったということでしょう」。



 この点に関してキッシンジャーは、当時のヨーロッパ情勢から次のように描いています。お断りしなければならないのは、以下、引用する叙述は、『外交』第7章「破滅に至る政治的仕組み」の一部です。



 この章におけるキッシンジャーの関心は、第一次大戦にいたるヨーロッパ外交の事実関係をバランス・オブ・パワーが機能しなくなるプロセスとして描くことにあります。したがって、日英同盟に関する記述は極めて簡潔であり、ドイツ外交の拙劣さと対比し、イギリスがドイツを脅威をみなすに至るプロセスのなかで日英同盟を位置づけています。迂遠ではありますが、まず、19世紀末から20世紀初頭の英独関係に関する叙述から入ります。ドイツの首相ビューロー(前回はビューロワ公と記載しましたが、『外交』での翻訳にならってビューローとします)は、3度目の英独協定を目指します。ドイツ側の提案は、ドイツ海軍の大幅な拡張か独伊墺の三国同盟へのイギリス加入による軍拡の縮小化という選択肢をイギリスに提示します。キッシンジャーは、ビューローの見解とソールズベリのメモを引用してイギリスがこの提案を拒否するプロセスを丁寧に描いています。私から見ると、イギリスと交渉をするのにこれほど拙劣な方法はないだろうと思います。要は、ドイツの武力を背景にイギリスを恫喝しているようなもので、イギリスという国はこのような外交を最も軽蔑するでしょう。当時の英首相ソールズベリの回答は冷静そのもので感情的な表現は見当たりませんが、愚劣であることは感じていたように思います。この英独交渉をキッシンジャーは次のように評価しています。



「要するに、帝政ドイツが渇望した正式の世界的同盟を理由づけるに足る共通の利益を、イギリスとドイツは持っていなかったのである。イギリスは、ドイツがイギリスのドイツの同盟国となるにしても、もし、ドイツの国力がさらに増加すれば、その同盟国はイギリスが歴史を通じて抵抗し続けてきた一種の覇権国になることを恐れていた。一方、ドイツも、たとえばインドに対する脅威のように、ドイツの利益にとっては瑣末な問題だと伝統的に見ていた問題のために、イギリスを援助する役割を与えられることを快く思わなかった。ドイツはつまり、イギリスの中立から引き出せる利益を理解出来ないほど、尊大だったのである」(『外交』上257??258頁)。



 もっと露骨な表現をすれば、ドイツはイギリスに実利を与えることなく、一方的にイギリスとの「同盟」という自国の実利だけを追求したわけです。イギリスが「好意的な中立」を守ることだけでも、当時のイギリスの国力からすれば、歓迎すべきことでしょう。実利には実利をもって報いるイギリス外交の商業的な特質を武断的な外交を好むビスマルク引退後の帝政ドイツには理解することができませんでした。最大の不幸は、ドイツがやがてイギリスが脅威と見做すほど強力になっていた一方、イギリスのように地球的規模で情報を収集し、事態に対処するような情報能力をもっていなかったことでしょう。周囲を見ずに棍棒を振り回しているうちに、危険を感じる国はそっとイギリスに寄り添っていったわけです。これと対照的して日英同盟の締結が紹介されます。



「ランズダウン外務大臣が次にとった施策は、『自国がイギリスにとって不可欠である』というドイツの指導者の確信は、自己の過大評価に過ぎないことを示すものであった。一九〇二年に彼は日本と同盟を結んでヨーロッパを驚かせたが、これは、オットマン・トルコと提携したリシュリュー以来、ヨーロッパの国がヨーロッパの協調の外側の国に援助を求めた最初の例であった。イギリスと日本は、いずれか一方が、中国または朝鮮半島に関して第三の国「一国」と戦争状態に入った時は,他方は中立を守ることに合意した。しかし、一方の締約国が「二ヶ国」の敵から攻撃を受けた場合には、他の締約国は、その同盟国を支援する義務を負うものであった」(前掲書258頁)。



 とくに日英同盟にも(日本自体にも)思い入れがあるとは思えないキッシンジャーの簡潔な評価です。キッシンジャーは触れていませんが、ドイツの「思い上がり」と比較すれば、日本ははるかに「謙虚」であったと思います。もう一つ、興味深いのはビューロー公(ニコルソンは主として不誠実という点から酷評していますが)がイギリスとの協商を実現できなかったのは、国内世論の説得という点でも無能であったという背景があります。海軍の拡張計画を縮小するためには協商の英独提携では世論を説得することができないぐらい、ドイツ国内の世論は強硬になっていました。対照的に、日英同盟の締結が発表されると、ロシアの脅威に怯えていた日本の国内世論は、これを一斉に歓迎しました。ちょっと一息入れて平間洋一『日英同盟』から慶応義塾の教職員、学生が日英同盟を歓迎する行進中、歌った「日英同盟を祝する炬火行列の歌」を引用いたします。



 朝日輝く日の本と 入日を知らぬ英国と
 東と西に別れ立ち 同盟契約成るの日は
 世界平和の旗揚げと 祝ぐ今日の嬉しさよ(43頁)



 日英同盟の締結は、対露戦争の布石であったと学校では習いました。『日英同盟』の第1章でも栗を焼いているロシアに対してでっぷりとしたイギリス人が日本をけしかけ、さらにその後ろに細身のアメリカ人はお手並み拝見とばかりに済ました顔をした風刺画が掲載されています。ロシアの脅威、傍若無人さ、無礼に苦慮していた指導者は別として、一般には臥薪嘗胆の時代をへて、これで日本も英国と対等の立場に立ったという喜びと、これで平和が確保できるという希望が生じたのだろうと思います。日清戦争に勝利したとはいえ、三国干渉でパワー・ポリティクスの深淵を除いた国民は、「臥薪嘗胆」で苦しい生活の中、軍備拡張のための負担をまさに挙国一致で行いました。日英同盟の締結は、当時の一般の国民にとって日本の安全が高まったと素直に歓迎されたものと思います。日英同盟の締結が、次の対露戦争へ必然的につながったかのような描写は、事態のある一面を捉えているのかもしれませんが、あまりに一面的だと思います。日英同盟の締結を背後にロシアとの妥協を探りながら交渉が行き詰まったときの備えを怠らなかった明治の指導者、軍備拡張の「血」と「金」の負担に耐えながら自国をより安全にする同盟締結を心から歓迎した世論。自分でも美化しすぎているとは思いますが、ドイツとは好対照をなす光景に思わず感慨を覚えます。再び、キッシンジャーの冷徹な分析に戻ります。



「この同盟が、このように日本が二ヶ国と戦う場合にのみ発動されるものであったがゆえに、イギリスはついに、他国との関係に巻き込まれる危険を冒すことなく、ロシアの前進を阻む強い意志を持っている日本という同盟国(原文"an ally which was willing, indeed eager, to contain Russia")を発見したのである。しかも、日本は極東に位置しているため、イギリスにとっては、ロシアとドイツの国境地域よりも戦略的利益が大きかった。また、日本の方ではこの同盟のおかげで、ロシアを支援しているという主張を補強しているために戦争に訴えかねないフランスの脅威から保護されることとなった。これ以降、イギリスはドイツを戦略上のパートナーと考える意義を失い、事実、時の流れとともにドイツを地政学的な脅威と見なすに至るのである」(『外交』上 258頁)。



 当時のヨーロッパ諸国の中で唯一イギリスのみが地球的規模で戦略を考える能力であった国であることが、簡潔な叙述の中で示されています。ドイツにとっては、東方・西方の両正面で優位に立つことが焦眉の課題だったのでしょうが、イギリスにとっては極東に手が回らなくなる状況が生じるかもしれないという状況で日本というパートナーは貴重でした。さらに、重大なことは、日英同盟の締結(おそらくその後の日露戦争の勝利も含めて)がイギリス外交にも影響をおよぼしたという点です。もちろん、日英同盟は、日本側からすれば、日本の安全を高めるためのものであって、イギリスの対ヨーロッパ政策を転換させる意図はなかったでしょう。しかし、極東でロシアを「封じ込める」同盟国を発見したことにより、大陸における不安定要因がドイツなのか、フランスと同盟しているロシアなのかという問題にある方向性が生まれる。そして、日露戦争の勝利ともにロシアの脅威は遠のき、日本以上に辛抱強く、イギリスとの盟約を求めていたフランスとの提携に踏み切ってゆきます。もちろん、ドイツとフランスの外交の質を比較した場合、ドイツがいずれにしても、イギリスにとって主たる脅威となったのかもしれません。



 当時の日英の経済力や政治的影響力、そして、その基盤となる軍事力を考えた場合、「月とすっぽん」と日本人自身が揶揄する同盟が、イギリスの外交政策に影響をおよぼすなどというのは、夢想と思えたことでしょう。このキッシンジャーの分析と評価は、通説として確立しているのかどうか、私が確信をもてるほどの知識・見識を残念ながらもっておりません。しかし、キッシンジャーの分析は、地球的規模で戦略を展開しうる国との同盟を結ぶときに、同盟が自国の安全に与える影響と同時に同盟が超大国の対外政策に与える影響もよくよく吟味しておく必要があることを示唆していると考えます。私は、日英同盟はけっして必然の産物ではなかったと考えております。他方で、それがいったん締結され、発効し、日本が実力を発揮すると、イギリスの対外政策に間接的とはいえ、影響を与えるほどの力をもった可能性があることは、後の同盟廃棄に至る過程を考える上でも忘れるべきではないと考えます。



 もう一つ、これは岡崎先生や平間先生がつとに強調されていることですので、いまさら私ごときが繰り返すのが躊躇われることです。岡崎先生は、邦訳の出来を気にされていますが、私自身は、これだけ洗練された訳書が日本人の手でできることに驚きます。ただ、この日英同盟に関する叙述に関してはキッシンジャーの原文の方が簡潔であるとはいえ、同盟の本質をあらためて理解させる表現だと思います。日本は、極東からロシアの影響力を排除することを自ら進んで、いやそれどころか切実に望んでおり、またそのための準備を怠っていなかったという点です。だからこそ、イギリスは日本との同盟を望んだ。自国の安全を守るという当然のことを適切に行っていなければ、仮に脅威が共通していたとしても、同盟など結ぶはずがありません。自国の防衛を真剣にやっていたからこそ、日英同盟が幸運にも成立したのです。自国の防衛もまともにできない国は、同盟国に値しないでしょう。



 日露戦争で日本が払った代償は、カネだけで量れるものではありません。血の犠牲を払って名実ともに列強となり、日英同盟は二度の改訂を経てイギリスの最も重要なパートナーの一人となる地位をえたわけです。自国の防衛と同盟が補完的なものに他ならないことは、「帝国の時代」の指導者には自明のことだったと思います。これを現代のように剥き出しのパワー・ポリティクスがオブラートに包まれている時代に持ち込むのは、いささか牽強付会かもしれません。



 しかし、国家間の関係が最後は力関係で決まること、力関係の基礎は経済力ではなく自国を防衛する能力であることは、国家というものがこの世から消え去らない限り、普遍の真実です。このような主張は、アナクロニズムであり、汚らわしいと感じる方も少なくないと思います。見たくない現実を見るのか、目をつぶるのかは個人の自由に属する問題でしょう。私は、他人に強制するつもりはありません。ただ、明治の指導者は、この国の生存に危機感を覚え、見たくもない現実を直視して対応しました。気概というのは、こういう状況が生み出すのかもしれません。市井の人間が「時の最果て」で「寝言」を書き綴っている訳で世の中には何一つ影響はないと思いますが、一国の指導者たるものは、このような気概を現在の安保環境に即して持って頂きたいと思います。



 次回は、日英同盟と対照的にイギリスとの提携に失敗したドイツ外交をキッシンジャーで読み解きながら、民主主義の初期段階での「失敗」について「寝言」を呟きます(え゛っ、まだ続くの?)。



(「続き」は「バランス・オブ・パワー」に関するちょっとしたネタです。オタクあるいは同じ病気の方興味のある方はお暇つぶしにどうぞ。)



(追記)下線部を加筆しました(2006年5月14日)。

「岡崎:…(前略)これがもう一つ、アメリカの変質と重なります。「九・一一」の前ですが、二〇〇一年にブッシュ政権ができて、その就任演説のなかで、「バランス・オブ・パワー」という言葉を使っています。これは百年間使われなかったんです。セオドア・ルーズベルト以来百年間使われなかった言葉です。百年使わないということを私は知っているんです。というのは、キッシンジャーが私に『バランス・オブ・パワーという言葉は使いたいけれども使えない。アメリカでは評判が悪くて使えないんだ』といいました。だからニクソンのときにも使えなかったんです。それが二〇〇一年になったら、シレッとして「バランス・オブ・パワー」というわけです。Balance of power that favors human freedomといったわけです。これは、たとえば台湾問題だと意味がはっきりしてきますね」(岡崎久彦編『歴史の教訓』PHP研究所 2005年)。



 お読みいただければお分かりかと存じますが、アメリカ政府が「バランス・オブ・パワー」という言葉を公式に使うのにはこれだけの「遍歴」があるということです。キッシンジャーですら、公職にある間は控えざるをえないほど、新大陸では評判が悪い言葉です。「理念国家」アメリカですから、ブッシュ政権の次の政権では「死語」になるかもしれませんが、安全保障を考えるときに、この概念抜きでは戦略も何もありませんから、アメリカ政府が使おうが使おうとしまいが、日本人は自由に使った方がよいだろうと思います。それにしても、自由の国アメリカといえども、大統領をはじめ、政府要人は不自由ですなあ。「寝言」というより「妄言」ですが、アメリカの政権が現実主義者で占められているときが、日米関係が最も良好になるというのは、百年前も今も変わらないことに思わず苦笑してしまいます。

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