2006年05月16日

日英同盟の形成にみる偶然と必然(4)

 天道是か非か。



 「不規則発言」(2006年5月15日)を拝見しながら、「これを意訳すれば、『エヘヘ、わざとだぴょーん』となる。米中間のコミュニケーションはつくづく高度である」とあって、誠に遺憾ながら、『まーすさいと』を運営されている方から「天罰」はなかったようであります。無念。悔しいことに「エヘヘ、わだとだぴょーん」というくだりで思わず、お茶をキーボードにこぼすという始末。不覚でござる。



 このシリーズを書き始めたときにこんなにとんでもない分量になるとは思いませんでした。つまらない話が続いて恐縮ですが、前回の続きです。まず、民主主義と民族主義、ナショナリズムの高揚は、この後の記事全体で問題になりますので、論点の(2)ヨーロッパ協調から話を始めてまいります。ヨーロッパ協調というのは、ナポレオンの大陸制覇が破れた後の講和会議であるウィーン会議で形成された国際秩序です。ここではウィーン会議の混乱や各国の駆け引きを描写することがありませんので、余計な叙述はすべて省きます。キッシンジャーは、抽象的には「いわゆるヨーロッパ協調とは、互いに競争し合っている諸国が、全般的な安定に関する問題については合意に基づいて事態を解決することを意味した」(『外交』上、102頁)と定義しています。キッシンジャーの分析が冴えるのは、この抽象的な定義の前の叙述です。かなり長い引用になりますが、ヨーロッパ協調の本質をこれほど的確に述べている叙述はありませんので、御容赦ください。



「逆説的ではあるが、この国際秩序は、他のいかなるものよりも公然とバランス・オブ・パワーの名の下につくられたにもかかわらず、力に依存せずに維持されていた。どうしてこういう稀な現象が起こったのかというと、均衡というものがあまりにうまく出来ていたために、これを覆すためには普通では結集できないぐらい大きい力が必要だったからである。しかし、最も重要な理由は、大陸の諸国が同じ価値観を持つという点でお互いに結び付けられていたことである。単に力の均衡があっただけでなく、道徳的な均衡も存在していたのである。バランス・オブ・パワーは武力を用いる機会を減らし、共通の価値観は武力を使おうという意思を減じた。公正であるとみなされない国際秩序は、遅かれ早かれ挑戦を受けるであろう(原文に即して訳文を変えた:引用者)。ある種の国際秩序が正しい(「公正」とした方が妥当か:引用者)ものであるかどうかが判断される場合、その判断の基準となるのは、外交のやり方だけでなく、それぞれの国の国内体制でもある。その意味で、各国の国内政治体制が共存できるものであることは、平和を促進する。皮肉なことに、共通の価値観が国際秩序の前提条件であると言ったという意味で、メッテルニヒはウィルソンの先駆者といえる。だが、メッテルニヒの考えは、二〇世紀にウィルソンが制度化しようとした正義の観念とは一八〇度反対側にあった」(前掲書、96頁)。



 細かいことですが、訳を変えた部分の原文は次の通りです。"An Internatinal order which is not considered just will be challenged sooner or later".邦訳の元の文は次の通りです。「正当と思われない国際秩序が生じても、遅かれ早かれ批判や修正の圧力を受けることとなった」。このように訳してしまうと、「批判や修正の圧力」がウィーン体制の下での事態を指しているように読めてしまいます。細かいことでくだらないとは思いますが、この訳では彼の思考が一貫していることがわかりにくくなります。キッシンジャーのバランス・オブ・パワーの理解は、第1章で示されている通りです。「本来バランス・オブ・パワーのシステムは、この国際システムに参加した国すべてを完全に満足させることが出来ない。すなわち、不満を持つ国が国際秩序を破壊しようとするレベル以下にその不満を抑えることが、バランス・オブ・パワーの最高の機能なのである」(前掲書、8頁)。



 あとでもでてきますが(98??99頁)、第一次大戦後のヴェルサイユ体制と比較してウィーン体制をキッシンジャーが高く評価するのは、ヴェルサイユ体制がバランス・オブ・パワーという点から見たときに、比較的、短期間でナチス・ドイツという挑戦者が出現したことに象徴されるように、ヴェルサイユ体制そのものにバランス・オブ・パワーという点から見て大きな欠陥があったことが大きいと考えます。どんな国際秩序でも不満をもつ国はある。引用文の前には紛争や場合によっては局所的な戦争があることすら、キッシンジャーの「バランス・オブ・パワー」概念のもとでは容認されています。問題は、その不満を国際秩序そのものを破壊する水準に至らないように抑制することです。この点でヴェルサイユ体制は、力の均衡という点でドイツに対して公正であるとはいえない上に、道徳的均衡、あるいは共通の価値という点でも失敗してしまったというキッシンジャーの評価があります。細かいように聞こえますが、私が書き換えた元の訳文は、バランス・オブ・パワーに関するキッシンジャーの理論的・歴史的評価に関するニュアンスを無視しすぎているように感じました。したがって、細かいように見えるかもしれませんが、日本語としてはつたなくても、直訳に近い方が、キッシンジャーの思考が一貫していることを示す上で非常に大切だと思いました。



 ここで問題になるのは、ある国際秩序がバランス・オブ・パワーの観点から見て安定的であるのかどうかという点です。すなわち、国際秩序が、それを構成する国々からみて受容できる程度に不満を抑えることができるのかどうかという点が問題です。ここで、内政と外政の関係が問題になってきます。やや先走りますが、メッテルニヒが、秩序を構成する共通の価値として王朝間の正統性の認識に訴えたことは、凋落傾向にあるハプスブルグ朝の延命を国際秩序の安定に重ね合わせたことを意味します。ウィルソンが、ヴェルサイユ体制の「道徳的均衡」を民主主義や民族自決など、当時の情勢からゆけば、利他的な価値(そして結果的にアメリカのみがそのような理想主義の世界においても安全であるという現実を反映している)においたことと対照的です。



 彼がバランス・オブ・パワーという場合、単に力の均衡だけでなく、道徳の均衡、あるいは価値の共有という点に同じ程度に重きをおいている点が大切です。実は、これは、非常に乱暴に彼の緻密な事実の叙述と分析を省いてしまうと、高校程度の世界史の教科書にでてくるウィーン体制の評価とさほど変わりません。高校程度のテキストではいわゆる「正統主義」をフランス革命に対する、単なる「保守反動」のむすびつきとしてしか見ていませんが、キッシンジャーはこれを「道徳的均衡(moral equilibrium)」として捉えている点だけが異なるといってもよいと思います。問題は、メッテルニヒが民主化のスピードを抑制しようとしたことを、体制の安定化としてキッシンジャーが捉えているということです。現在の高校のテキストはどうかわかりませんが、フランス革命以降の自由と民主主義、民族主義の勃興をある程度まで不可逆的な現象として見ている点では、キッシンジャーも通説とそれほど変わりはないと思います。しかし、メッテルニヒが自身の経験と自国の利益から抑えようとしたことが、ウィーン体制の安定をもたらしたという視点は、第一次大戦にいたるプロセスで世論を説得するのではなく、世論に流される指導者が破滅を招いたという点を考えると、通常の理解とは異なる視野が広がると思います。



 私がキッシンジャーの優れた資質と見るのは、現代人が「民主主義」といえば、それをなんの批判的な吟味もなく、仮に懐疑があったとしてもそれを突き詰めることなく、「善」であるとみて肯定し、それに反する過去の倫理を「悪」としてしまう発想から自由に19世紀を評価しているという点です。私自身は、自由と民主主義は、過去の歴史に照らして、やはりかけがえのない価値であると認めております。しかし、それ以外の伝統的価値を「断罪」するというのは現代人の傲慢でしかないと思います。「思い上がり」の程度がひどくなるほど、その人物がどんなに精密に史料から歴史の描写を行ったところで信頼できないと考えます。傲慢というのは、愚鈍の別称です。私がキッシンジャーの美徳と評価するのは、彼が国際関係を論じる際に倫理を持ち込むというナイーブさを免れていることではなくて、やや美化が入っているかもしれませんが、このような現代人の「思い上がり」から自由であるということです。最初に『外交』に触れたときに、世間一般の評価からかけ離れた彼の精神の自由さに思わず、歴史を楽しむことを教えていただいた気分になりました。彼の問題意識が切実かつ真剣なだけに門外漢には楽しめるということがおもしろいところです。



 既に、続きの記事はできておりますが、一つの記事としてエントリーするにはあまりに長くなったので、続きは次回にエントリーいたします。今回は、中間的なまとめとして次の点を指摘しておきます。



(1)キッシンジャーが唱える「バランス・オブ・パワー」は、単なる力の均衡だけではなく、国際秩序を形成する各国の国内の政治体制を結びつける「道徳的均衡」をも同等の要素として含む。



(2)「民主主義国どうしは戦争をしない」という命題は、「民主主義」以外の価値が安定的な国際秩序を形成する可能性を見落としているという点で、またヴェルサイユ体制が短命であったことを評価できないという点で、一面的である可能性がある。



(3)キッシンジャーの考える「バランス・オブ・パワー」とは、単に戦争がないという意味での均衡ではなく、仮に戦争があったとしても、国際秩序を復元するのに不可能なレベルでなければ、「バランス・オブ・パワー」の破壊とは見なされないという柔軟な概念である。一時的な平和が問題なのではなくて、各国が利害対立や不満を抱えつつも、秩序の破壊をもたらしかねない予測不可能な事態が生じない安定性が重視される概念である。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/1090526
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック