2006年05月17日

日英同盟の形成にみる偶然と必然(5)

 話が止まらなくなってしまいました。書いている本人は楽しいのですが、過疎ブログで読者無視というのはいかがなものかと。『第一次世界大戦と日本海軍』にいつになったらたどり着けるのだろうと不安になりますが、民主主義の「失敗」と復元力について引き続きキッシンジャーと秘密の会話をしながら、「寝言」を述べさせて頂きます。



「国内の政治制度の性質がその国の対外態度を決定すると考えたのは、ウッドロウ・ウィルソンが最初ではなかった。メッテルニッヒもそう考えたのであるが、それは全く異なる前提の上に立っていた。ウィルソンは、民主主義国はその本来の性質上、平和愛好的で公正妥当であると考えたのに対して、メッテルニッヒは、民主主義国は危険で予測不可能な行動をとると考えた。共和政のフランスがヨーロッパにいかなる苦痛を与えたかを見て知っているメッテルニッヒは、平和とは正統支配のことであると考えた。メッテルニッヒによれば、古来の王朝の君主は平和を維持する者と言えないとしても、少なくとも、国際関係の基本構造を維持するものであった。こうして正統性は国際秩序を固めるセメントとなった。
 国内の正義と国際的秩序に関するウィルソンとメッテルニッヒのアプローチの違いは、アメリカとヨーロッパの対照的なものの考え方を理解するための基本である。ウィルソンは、彼が革命的に新しいものだと考えた原則を唱導した。メッテルニッヒは、彼が古来のものと考えた価値観を制度化しようとした。ウィルソンは、人間に自由を与えるために意識的につくられた国の大統領として、民主主義的な価値観は法制化することが出来、全く新しい世界的な制度として実現させることが出来ると確信していた。メッテルニッヒは、その政治制度がほとんど目に見えないくらいゆっくりと徐々に形成されて来た古来の国家を代表する人間として、正義なるものが法律によってつくられるとは信じていなかった。メッテルニッヒによれば、??正義??とはものごとの中に自然に存在するものである。それが法律や憲法で確認されるかどうかは本質的には技術的な問題であって、自由をもたらすということとは無関係なことである。『当然のこととして認められていることをわざわざ宣言すると、その力を失ってしまう。誤って立法の対象にされてしまったことは、それを否定するとまでは言わないまでも、かえって守ろうとしたものに制約を加えるだけの結果になってしまう」(前掲書、102??103頁)。



 私は、民主政治もその歴史を積み重ねてゆくうちに、引用部分の最後の点以外は、メッテルニヒが懸念した問題をある程度、回避できるものと思います。しかし、英米を除く国では、フランス、ドイツ、日本などが代表ですが、民主主義の初期段階、あるいは成熟段階の以前では、「民主主義国は危険で予測不可能な行動」をとり、なおかつ自国の安全を根底から覆しました。「ある敗戦国の幸福な衰退史」というシリーズの大きなテーマはここにあります。自由と民主主義という価値が、「古来のものと考えた価値観」と人々の大多数に意識されるまでにはまだ時間がかかります。日本の自由と民主主義の伝統は、100年近い歴史を誇りますが、それがさらに成熟するにはさらに100年近い積み重ねが必要かもしれません。もっと、正直に言いましょう。集団的自衛権の行使をめぐる混迷は、日本の民主主義が成熟段階にあるとは到底、評価できないことを示していると思います。自国の安全についてすら、全くとまでは言いませんが、十分なコンセンサスが形成されていない。ただし、この問題に関する私の基本的な態度は、長期では楽観的、短期では悲観的です。キッシンジャーとの相違は、自由と民主主義という価値の存続に関して私は、彼よりも楽観的であるということにつきます。



 念のため、お断りしておきますが、集団的自衛権の行使を中核とする日米同盟の強化がコンセンサスとなることをもってこの国の民主主義の「成熟」と私が表現するのはおかがましいと思います。民主主義の下では異なる意見も尊重しなければなりません。あくまで私の民主主義の「成熟」に関する仮説と考えていただければ、幸いです。



 ただ、引用部分の後半は非常に難しい問題です。メッテルニヒの金言は、現代でも意義を失っていないように感じます。民主主義に懐疑的な人たちではなく、民主主義を信頼している人たちほど、この金言を噛み締めることが大切だと思います。自由と民主主義が基調となる社会では、私人間の関係にせよ、国家間の関係にせよ、それを律する約束事が法や条約といった形で明文化され、人々の共有知識となることが不可欠です。他方で、このような社会では法を形成するプロセスであまりに人間の作為が強く反映してしまう。成熟した民主主義国でも、いや成熟した民主主義国こそ、このような問題に直面します。このような問題に伝統的価値を意識的に残す努力というのは、ソリューションの一つでしょう。私は、そのような解決法を否定するものではありませんが、今日の憲法改正や教育基本法改正に象徴されるように、伝統的価値を意識的に残すには法の制定が不可欠になっています。愛国心教育自体はけっこうなのですが、あまりに作為的になると、かえって言わずもがなのことを「強制」する形になり、うまくゆくのだろうかという疑問があります。自衛権の問題にしても、憲法で明記するよりも、9条2項を削除すれば十分でしょう。ただし、日本の場合、占領統治の下で明治以来、あるいはそれ以前から培ってきた伝統が断絶されてしまったという問題があります。戦時統制による断絶もあります。復古調の主張にはそれなりの根拠があると思います。



 それでもなお、私は、やはり民主政治のもつ復元力というものが大切だと考えております。アメリカの歴史をつまみ食いしながら、アメリカ政治独特の復元力に感嘆するからです。キッシンジャー自身が、この復元力のおかげで実務的には苦労したため、これを過小評価する傾向にあります。私自身は「外道」ですが、政治的な「中道」あるいは中庸というのは、政治体制自身がもつ復元力を重視し、その力をゆきすぎないよう、瀬踏みをしながら、復元力がその価値を発揮する環境を整えることに苦心する立場だと理解しております。戦後民主主義には左右からの批判がありますが、50年近く続いた体制をたえず再構築しながら、日本人自身の運命を自分自身の手に取り戻すことが最も現実的なアプローチだと思います。世論はたえずブレます。そのブレこそが、民主政治における復元力そのものであるという突き放した見方をしております。間接民主制というのは、そのブレが自己破壊的な水準に至らないよう、エリートで補完する知恵なのだと考えております。間接民主制の下では、世論とエリートが補完的であるというのは自明かもしれません。問題は、良質のエリートをたえず生み出してゆく制度が不可欠なのですが、以前、「『転落の歴史に何を見るか』メモ」シリーズでも、私自身は、それに自分自身を納得させる解を見出しておりません。現時点では、この国がその水準に至るまでは、先ほど述べた自国の安全に関するコンセンサス形成を最優先にする必要があるだろうと思います。そのためには、自衛官のような軍事エリートの地位を高めて政治的リーダーとの交流を図るとともに、軍事エリートにも政治的エリートが直面する多様な世論を説得するプロセスの困難さを共有する努力が必要なのだと思います。「文」と「武」が分業関係になるのは、民主政治でなくても、統治機構が複雑になれば生じることです。しかし、「文」と「武」が分離してしまうことは、古代ローマでも衰退の一因となったように良質のエリートを生み出す蓋然性を低下させます。平凡ですが、武士道の復活よりも、より陳腐な「文武両道」を今日の分業が高度に発達した社会で実現する知恵と工夫が必要なのだと考えます。



「メッテルニッヒの遺した金言の中には、新しい世界に適応できないオーストリア帝国の慣行を自己弁護するための理屈もある。しかし、メッテルニヒの考えは、法や正義は自然の中に存在するのであって法制によるものではない、という合理的な考え方をも反映している。彼の思想を形成した経験はフランス革命であり、人間の権利を宣言することから始めて、恐怖政治に終わっている。ウィルソンは、それよりもはるかに恵まれた国家的経験から生まれて来て、しかも、それから十五年後に近代的全体主義が起こる前の人間であり、民衆の意思というものの中に突然変異が起こるなど想像も出来ない時代の人だった」(前掲書、103頁)。



 民主政治が同じ過ちを犯さないかといえば、私には確信はありません。ただし、他の政体と同じく、民主政治は誤りを繰り返す可能性はあるのでしょうが、過ちが社会の構成員の共有知識となる制度設計がしっかりしていれば、他の政体よりもはるかに同じ誤りを繰り返す確率は他の政体よりも低いと考えます。私みたいな低レベルの人間が申し上げるのも衒いがありますが、社会を構成する個人の識見がかならずしも高くなくても、それなりの解をうみだしてしまうという自由と民主主義の驚くべきメカニズムも考慮すると、それほど悲観する必要はないと思います。この点に関する限り、この国の民主主義は、極端な解(日米同盟の廃棄など)をうみだすほど未成熟ではないと思います。反米感情が強かったのは、「反米論」が言論の世界で声高に叫ばれた時期よりも、クリントン政権下での日米構造協議でアメリカが強引な主張をしていたころだと思います。その時期でも、日米同盟を破棄せよという議論は、私の知る限り、よほど特殊な政治的ポジションをとる人たち以外にはほとんどなかったと記憶しております。



 日英同盟からずいぶん遠ざかった話が続いておりますが、『第一次世界大戦と日本海軍』を拝読しながら、年来の疑問がいくつも沸いてきて、平間先生の著作に関するメモの前に、整理しておきたいことをブログで述べております。まだ、続くのかと呆れる方が多いと思いますが、日英同盟以前のイギリス外交とビスマルクによるウィーン体制の「革命」について触れておかなくては、日英同盟の形成における偶然と必然は理解できないと考えております。退屈な記事が連続して恐縮ですが、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。



(追記)下線部を修正し、補足を加筆いたしました(2006年5月17日)。

(補足)本題とかけ離れるので省きましたが、戦後民主主義と日米同盟に関する私見を補足いたします。この問題を正面から論じると、それだけで一つの大きな「枝」になります。ここでは簡単に戦後民主主義の最大の欠陥は、その存続を日米同盟に依存しながら、それを強化する政策に対して否定的な評価を与える傾向が強いということだと思います。岸内閣の下での条約改訂、中曽根内閣の下での防衛力強化、小泉政権の下でのイラクへの自衛隊の派遣など、日本の安全保障にとって重要な意思決定に関してなぜか賛否がわかれてしまいます。



 60年安保改訂に関して高校の先生は熱く語っていましたが、私にはバカバカしく思えました。その後、自分で文献をあたりながら、占領から独立すれば、自国の防衛は自国で行うのが自明であり、アメリカとの関係も庇護から本来の意味での同盟を目指す方向に変化するのが当たり前だと感じました。安保改訂をたとえ善意から批判するにしても、改訂をしない場合、結局はいつまでもアメリカの「善意」と庇護の下に日本の安全を委ねることを結果として意味することを忘れてはならないと思います。



 一昔前の防衛費の「GNP比1%枠」も無茶苦茶な話です。「バターか大砲か」という古典的な問題に照らしても、自国の国力から計算して妥当な水準を求めたのではなくて、一部の世論に迎合する形でわざわざ自国の安全を危険にさらすような話だと思います。もっとも、F15や「イージス艦」、P3Cなど正面装備とそれを運用する人材の育成は行われているわけでそれでもやってこれたではないかという反論も可能でしょう。しかし、ヨーロッパが平和になった現在(一時的な小康状態で終わる可能性もありますが)、ユーラシア大陸で唯一といってよい古典的な抑止が必要な地域は東アジアです。安全を確保するのに必要だから軍備を整えるという当たり前のことを定着させることが肝要です。イデオロギーのようないい加減なものにこの国の安全を委ねるわけにはゆきません。他方で、日米同盟を堅固なものにするためには、同盟をより双務的にする努力と同時に価値を共有していることをたえずお互いに確認することが肝要だと思います。ウィーン体制は、アメリカのような超大国が存在しない下で機能しました。対照的な現在で均衡を保てない状況が生じたら、メッテルニヒは冷笑するでしょう。なんと無能な人たちなんだろうと。



 観念的な平和主義が世論の少なくない部分に見られるのは、私自身は日米同盟の成功の副産物だと考えております。もし、同盟が抑止に失敗していれば、こんなのんきな議論をしている余裕はないでしょうから。日米同盟をえたばかりでなく、それが冷戦の下でアメリカ中心に機能したことはこの国の幸運でした。幸運を活かすための手段は、もうとうに議論しつくされている。あとは、これを世論のコンセンサスとし、政治的意思決定のプロセスにいかに反映させるのかが問題だと考えます。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/1090527
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック