2006年05月19日

自国を信じるということ 日英同盟の形成にみる偶然と必然(7)

 一読者として自分のブログを見ると、異様です。なにより、文章がやたらと長い。慌てて、昨日の記事をメモ帳からワードに移しかえたら、A4で5頁超ほどありました。昨日の記事を最後までお読み頂いた方には、心から感謝いたします。ここで現実に戻って小休止と思って辺りを見回すと、同友会の提言とか竹島問題とか食が進まないテーマが多くて、書く気がしないというのが正直なところ。まあ、かんべえ師匠が怒っている珍しい光景を見たのがおもしろいぐらいで、提言そのものを読むと、正直、萎えます。お役所の作文から言質を与えないずるさを除いたら、こんな感じかなと思うぐらいつまらない。という訳で予定通り、続きを書きます。


 まずお断りしなければならないのは、私はイギリスびいきです。キッシンジャーの叙述は、大陸、とりわけオーストリアの立場から19世紀のヨーロッパ外交を見ています。キッシンジャーの分析を読んでいると、彼は正直なあまり、イギリス外交に感嘆しながらも、イギリスへの不満が隠せません。たとえばこんな具合です。

「一八五六年にパーマストンは、国益についてのイギリスの定義を次のように定義した。『何が政策なのかと問われた場合に私が与えられる唯一の答えは、問題が起こるたびに、我が国の利益に照らして一番良いと思われることを行うことである、というものである』。外務大臣エドワード・グレイ卿の言葉にあるように、半世紀たっても、イギリスの公式の外交政策は、別にそれ以上詳細になっていない。『イギリスの外務大臣は将来のことまでは詳しく考えないで、現在イギリスの利益にとって何が必要かということによって導かれている』」(キッシンジャー『外交』、邦訳118頁)。

 これに続けて「他の国ではこんなことを言えば、それは無意味な同義語の繰り返しだといって嘲笑されるであろう」と述べています。これに続く、イギリスの指導者たちは国益を本能的に理解しており、世論もそれについてくることに自信があるから、正式な戦略を必要としないという観察はおもしろいのですが、大陸的なキッシンジャーの限界を感じます。


 イギリス外交を特徴付けるのは、常識ということにつきるのだろうと思います。しかるに、この「常識」なるものを理解し、説明することは非常に難しい。なぜなら、イギリス人たちが膨大な試みの中から良いものを記録して残してゆくプロセスの中からしか生じないからです。イギリスの異常なまでの歴史への愛情は、まさに常識を重んじるというイギリス的気風からしか説明が難しいように思います。いざというときになぜ彼らが判断を誤らないかといえば、それは理性によって説明できることに限界を認め、可能な限り事実を重んじ、空想にふけることを戒めるというごく当たり前の、しかし、外交という極限状態もありうる状況で常識を貫くことができるという驚くべき特質にあるのだろうと考えます。この評価は、イギリスをあまりに美化しているかもしれません。ただ、幣原喜重郎のようにイギリス、そしてアメリカの知日派にも評価された日本人を思い浮かべると、そのように考える方が自然だと思います。


 もし、これだけだったら、イギリス外交について論じるときにキッシンジャーの分析を借りることないでしょう。彼は、イギリスの外交政策の一貫性の源をイギリスの政体に求めています。

「イギリスが危機にあたってかくも一貫性を持ちえた理由の一つは、その政治制度が民主的性格のものであったからである。一七〇〇年以来、世論がイギリスの外交政策において重要な役割を果たしてきた。十八世紀においては、ヨーロッパの他の国では、外交政策において?野党的?立場というものはなかった。イギリスでは、それはシステム自体の中に存在していた。
(中略)
 イギリスの外交政策は公開の討論から生まれたものであるため、イギリス国民は戦争の際は異常なまでの結束力を示した」(前掲書、124−125頁)。

 イギリスの先進性は、産業革命と交易よりも、むしろ、漸進的な民主政治にありました。実際、この政体が成熟するまでイギリスは惨憺たる失敗を何度も重ねています。イギリスの幸運は、他の国の干渉を最小限にして自国の政体をつくりあげる安全保障環境にありました。そして、外交政策においては、与党と野党の違いは程度問題に過ぎないほど、19世紀において強力なコンセンサスを形成していました。皮肉なことに、イギリスは、アメリカから、自らの歴史をまったく別の形で追体験させられるという運命にありました。それが、さらに皮肉なことにイギリスの幸運となるわけで、平凡ですが、禍福はあざなえる縄の如しと思わずにはいられません。


 同じ日本人として感嘆するのは、明治の指導者たちがこの英米の先進性の秘密を理解していたということです。もし、この洞察がなければ、日英同盟は成立しなかったでしょう。『幣原喜重郎とその時代』は岡崎先生の近現代外交史シリーズの中でもっとも好きな著作です。明治の人たちが新しい土地を開拓し、種を蒔き、失敗を重ねながら、苦心惨憺して育てた苗が大正デモクラシーとして花を咲かせる時代でした。ノモンハン以降を「転落の歴史」と見ること自体は誤りではないと思います。ただし、それが民主主義の失敗であること、そして現在でも外交政策において堅固といえるコンセンサスは充分ではないことを忘れてはならないと思います。


 敗戦と占領というプロセスを経たために、日本人はこの国の民主主義の復元力に自信がないところがあります。靖国参拝で国論が割れてしまうのも、自国の復元力に自信がないことの現れでしょう。戦前以来の民主主義は、英米に触発されたとはいえ、日本人自身がときには血を流して自ら獲得したアジアの中でも数少ないものです。「ある敗戦国の幸福な衰退史」というのは、短期では日米同盟の強化への取り組みを悲観的に見る一方で、長期では日本人のもつ復元力への信頼を綴ってゆくためのカテゴリーです。自国を愛するということ以上に、自国を信頼するということは、現代のように物事の変化のスピードが速い上に情報過多の時代には難しくなっているようです。自国を愛することを強調する人たちは増えました。しかし、自国を信頼する人たちはまだ少ないようです。私みたいに市井でのおのおと暮らしている人間に誰も頼みはしないのですが、この国を信じるということについて今後も綴ってまいりたいと存じます。

この記事へのコメント
>お役所の作文から言質を与えないずるさを除いたら、こんな感じかなと

ホントにそうなんだから嫌になります。
Posted by かんべえ at 2006年05月19日 09:30
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/1090529
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック