2006年05月23日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ1

  平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍――外交と軍事の連接』(慶應義塾大学出版会、1998年)は、博士論文です。構成、内容ともに学術的であり、一つの章に150前後の注がついた緻密なものです。これを私が一つ一つ検証をし、確認をするのは煩雑であるだけでなく、専門的なトレーニングを受けていないがためにかえって混乱することになりまねません。瑣末なことで恐縮ですが、このメモで引用した頁以外のことを記さない場合、平間[1998]からの引用であることといたします。他の著書からの引用の場合、著者名、署名、出版社、出版年、引用頁などを記すことといたします。以下では、まず、序章からこの著作の特徴と構成について簡単に整理します。



 まず、この著作の特徴の第1は、海軍の作戦行動に重点がおかれているということです。大戦期の日英関係に関する従来の研究では、軍事的関心が薄く、あっても地理的にも時期的にも限定されたものでした。また、軍事的関心に重点を置いている研究でも主として陸軍に限定されていることがほとんどでした。この著作では、第一次大戦への日本の参戦から大戦後の海軍意思決定や作戦行動に叙述の多くが割かれています。



 第2の特徴は、海軍の作戦行動と外交の関連です。海軍は、開戦直後にドイツの極東拠点である膠州湾を封鎖し、陸軍の青島攻略作戦を支援するなど、陸海共同作戦を展開しました。同時に海軍独自の作戦も実施しました。まず、大戦の前期にはシュペー(中将)艦隊(ドイツ極東艦隊と巡洋艦エムデンを捜索・撃滅させるために戦艦や巡洋艦など十数隻を南米沖のガラパゴス諸島や南太平洋のフィジー諸島からインド洋へ派遣しています。また、戦争中期から後期にはオーストラリアやニュージーランド、ケープタウンへ巡洋艦、地中海に駆逐艦隊を派遣しました。さらに、反日感情の強かったアメリカも日本にハワイに艦船を派遣するよう、要請し、日本海軍はこれに応えて巡洋艦を1隻ですが、派遣しています。これが、外交上の懸案事項を次々に解決する大きな後ろ盾となりました。代表的な事例としてマレー半島における日本人医師の医療活動制限撤廃や、オーストラリア・ニュージーランドの日英通商航海条約への加入、山東半島のドイツ利権の譲渡・南洋群島の領有などが海軍の作戦行動と関連付けられます。



 第3の特徴は、日本の動向が他国に与えた影響を多角的に分析していることです。まず、同盟国イギリスへの影響という点では、陸軍の派兵が実現しなかったこともあり、大戦中の軍事的支援が限定的なものに止まりましたが、それが戦争終結とともにイギリスから高い評価を受けたことが分析されます。また、参戦の前後は、日米関係が極度に緊張し、反日世論が高まったことが描写されています。とくに、開戦直後に海軍は、ドイツ東洋艦隊の撃滅のために遣米支隊をアメリカ西岸に派出しました。この作戦中に巡洋艦浅間が座礁してしまいます。この浅間の座礁事故がアメリカ、メキシコ、ドイツによって利用されてしまいました。「浅間の座礁はメキシコによって対米牽制に利用され、ドイツには日本とメキシコが同盟してアメリカを攻撃するとのツィンメルマン事件を引き起こす遠因を与え、さらに大戦後にはアメリカの軍備拡張主義者に対日脅威を煽りたて、恐日・反日世論を高め海軍力増強の道具として利用されたのであった」(4頁)。



 次回は、大戦への参戦における海軍の対応についてとりあげます。

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