2006年05月31日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ2

 今回は『第一次世界大戦と日本海軍』の第一章冒頭部分に関するメモです。平間先生の分析は非常に精緻であります。第一節「参戦と日本海軍」では第一次大戦への参戦にあたって海軍の対応が消極的であったことが描写されています。また、そのような海軍の対応がかならずしも統一的な意図に基づくものではなく、シーメンス事件における海軍の政治的発言力の低下と内閣主導による参戦の決定、その結果と生じる海軍省と軍令部の不一致の描写などリアリティに富んでいる点に特徴があると思います。



 しょっちゅう脱線して恐縮なのですが、戦前の「海軍=善玉、陸軍=悪玉」という図式にどう思いますかと尋ねられて困った覚えがあります。軍の行動は、古来、略奪や暴行など逸脱行為に関していえば、善悪是非の評価の対象になるのでしょう。しかし、軍の行動の評価は、善悪という基準にはあまりなじまないと思います。極論すれば、戦時においては上手に戦ったのか、そうでないのか。すなわち、軍事の巧拙という評価は可能だと思います。また、戦前の軍を善悪の観点から評価したがる傾向には、政治的判断が含まれている場合が少なくないでしょう。これも、私は違和感があります。戦前は、二軍は政治的発言力をもっていましたし、その意味では政治的意思決定におよぼす力があったでしょう。1939年以降は、とくに軍部の政治への影響力は特異なほど高かったかもしれません。これはさらに極論でしょうが、その際、軍部が政治へ影響をもつことが日本にとって利益であったのかどうか、そして、軍の及ぼした影響はやはり巧拙という観点から評価すべきものであって善悪の評価にはなじまないと考えます。脱線が長くなりましたが、戦後史観の偏向は問題だと思いますが、それは、つい歴史や政治的意思決定の評価に巧拙よりも善悪の判断を先においてしまうという人が犯しがちな(私も同様の偏見からけっして自由ではないでしょう)手順前後の一つに過ぎないのではないかと考えております。



 平間先生の叙述に話を戻します。第一次世界大戦は1914年6月28日のサラエヴォ事件にに端を発し、同年8月3日ドイツがフランスに宣戦布告しベルギーの中立を侵すと、8月5日にはイギリスがドイツに宣戦を布告しました。その際、8月3日にイギリスから日英同盟を適用しないという申し出があり、当時の大隈内閣は、4日に中立を宣言しました。この点について「当時の日英同盟は攻守同盟ではあったが、自動的に参戦を義務づけるものでなく、さらに軍事行動の適用範囲がインドを含むアジアに限定されており、日本に参戦の義務はなかった」(17頁)と簡潔に記されています。大戦に参戦するか否かの意思決定は、条約に直接にもとづくものではなく、日本側の自発性の部分が多分に大きいことを確認しておきます。



 また、当時の海軍は、駐日アメリカ海軍武官コッテン少佐の報告から南洋諸島への進出を強く望んでいたことが論じられています。他方で、当時の海軍の実力はトン数では世界第5位ではあったものの、総トン数56万3,000のうち、日露戦争による戦利艦21隻、23万8,000トンを含んだ数字であることが指摘されています。さらに、「…ドレッドノート(Dreadnought)型戦艦の出現により保有艦艇の大半が時代遅れもとなっていた」(19頁)と指摘されています。艦艇を新造することは急務でありました。しかし、いわゆる八八艦隊の構想は、主としてアメリカの脅威から生じたものでした。『国防の研究』では「侮リ難キ武力(特ニ海上武力)ヲ有スル必要」があるという一節が引用されています。



 これは正統かつ簡潔な叙述ですが、不吉なものを感じます。アメリカと敵対関係に入った場合、天文学的ともいえる支出を要する軍備を考えざるをえなくなるということを図らずも示していると思います。現代ならば、核武装も当然、必要になります。戦前の技術水準でも、アメリカとの敵対関係を前提としたときに、途方もない軍備が必要でした。八八艦隊構想を当時の国力から夢想的であると嘲笑うことは容易なことです。しかし、アメリカとの敵対関係の下で自国の安全を図ろうとすれば、八八艦隊が適切な水準であったかどうかは別として、やはり軍事に多くの資源を割かなければならなかったでしょう。適切な水準がどの程度であるのかは、素人の私には見当がつかないのですが、当時の軍の錯誤を嘲笑する前に、その前提となる利害関係を正確に見極める必要があります。翻ってみるに、アメリカとの同盟によって、敗戦というあまりに大きい犠牲を払ったとはいえ、自国の安全が確保されている現状にあらためて幸運を感じずにいられません。



 ついつい脱線が多くなってしまいますが、次回以降は脱線を控えて平間先生の叙述を順を追って考えてまいります。

この記事へのコメント
軍事には諜報の中の情報操作が特に有効で世論を背景にして誘導して行く(マスコミ操作の株の乱高下以上に)危険が多い。しかしそれが起きてる現象を見ててもその渦中でも人々は知らずに過ごす。http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-373.html#comment(草莽堀起)さんが「笑うに笑えない「君が代」の替え歌の広がり 」を書いてる。それにコメントして来ましたが★「いきなり、無防備都市宣言まで住民を纏めるには地下水脈がある!」★地方参政権を外国人にも付与せよと言う動きが沖縄の
竹富町無防備平和条例6月2日に直接請求へ/条例化めざす会 (八重山毎日 06/5/30)まで行うようになってる。
それは替え歌を流行らせる事は江戸時代の幕府が間者喇叭を使い外様藩を取り潰しする手法と酷似してる内容で書いてきました。一揆を扇動させるために使われていた。詳細はクリックして読んでください。売れない絵本も手法を変えて仕掛け絵本にすればベストセラー売り切れと全く同じですよ!
Posted by ようちゃん at 2006年06月01日 04:02
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新愛知新聞の号外を発見(岐阜県関市)
Excerpt:  日本の第一次世界大戦参戦を伝える新愛知新聞(現在の中日新聞)の号外が岐阜県関市の民家で発見された。  号外には大正天皇の「宣戦の詔勅」が掲載されており、中日新聞社にも残っていない貴重な史料だという。..
Weblog: 古今チップス
Tracked: 2006-06-28 13:39