2006年06月08日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ3

 今回は、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』の第一章「参戦と日英米関係」の第二節「参戦・戦域制限をめぐる日英交渉」に関するメモです。



「加藤外相の強硬な参戦要求にイギリス政府は、オーストラリアやニュージーランド自治領政府の反対、対米関係の悪化などを憂慮し、日本政府に参戦の一時中止を、そして、それが不成功に終わると作戦海域を中国周辺海域に限るとの戦域制限を要求した。日本はこれらイギリスの要求にいかに応じたのであろうか。また、なぜ戦域制限要求がうやむやのうちに消えてしまったのであろうか」(29頁)。



 簡潔に著者の問題意識が整理されています。この問題に対し、平間先生は戦域制限要求交渉でイギリス側にイギリス海軍と外務省との間で混乱が生じたこと、「この混乱を日本海軍がどのようにして利用して戦域制限を有名無実化し、南島群島の占領に結び付けていった」ことを指摘されています。この結論を導くためにイギリス海軍と外務省、日本海軍と外務省の4者を対比しながら、結論にいたるプロセスを整理されています。イギリス海軍は、極東における日本海軍のプレゼンス、作戦遂行能力から積極的に日本海軍の協力を求めました。他方、イギリス外務省は、自治領オーストラリアやニュージーランド、アメリカなどとの関係を考慮して日本の参戦に慎重な態度をとります。しかし、イギリス海軍が8月13日に北米沿岸警護のため、巡洋艦出雲の派遣を求めたり、8月21日には香港以北の航路の安全を日本海軍に要求しました。このような、イギリス海軍と外務省の間での意思疎通の不備や意見の混乱に乗じて戦域制限を事実上、なすくずし的に無意味なものとし、日本海軍は南洋諸島に進出します。最終的に日本側の言い分が通ったのは、イギリスが東洋で既に海軍力でドイツに単独ではできないという軍事バランスの現実を反映していました。



 興味深いのは、「イギリスでは日本海軍が第二艦隊を佐世保に集結させたとの通報を受けると、チャーチル海相はグレー外相を通じて日本海軍の謝意を表したが、六日には日本が参戦すれば中国への影響力が強化されるので、山東半島攻略やドイツ領南洋群島占領を避けるため、日本に一定の戦域制限を課するべきであるとの覚書をグレー外相に送った」(33頁)という叙述です。当初、チャーチルは日本海軍の力を抑制的に評価していたことがわかります。しかし、11日には、グレー外相が日本海軍の戦域を太平洋に拡大しないという条件で日本の参戦を認めた通知をチャーチルに送ります。これにたいし、チャーチルは、一変して、「日本が参戦を申し出たのだから戦友として認めるべきである」との覚書をグレー外相に送ります。チャーチルの「豹変」の背景は、イギリス海軍の戦力不足により、日本海軍の協力を不可欠とする戦局に直面していたことが指摘されています。



 グレー外相はオーストラリアやニュージーランドなどへの配慮から慎重に戦域制限を残そうとします。しかし、日本側は領土的野心がないことを米仏露蘭などの駐日大使に通告し、大隈首相の演説で領土の拡張の意図や戦闘行為が帝国の「自衛」の範囲を超えないと言明することなどを通して各国の猜疑を和らげる努力を行います。これを受けてグレー外相は、妥協に踏み切りますが、それでも、海軍の戦域拡大や南洋諸島占領を牽制し続けます。グレーの判断は穏健ではありますが、当時の軍事バランスを考えた場合、彼の調整努力には限界がありました。



 また、チャーチルの対応の混乱やグレーの必死の調整のプロセスに関する平間先生の叙述を拝見すると、日英同盟が攻守同盟へと変化したとはいえ、現実に同盟を適用する事態に直面したときに、日英両国で十分な事前の協力体制が整っていなかったことが理解できます。このことから、同盟の「空洞化」の問題を読みとることもできるのでしょうが、むしろ、想定外の事態に直面した際に同盟を機能させる場合にトップレベルの調整によるしかないことを痛感させます。チャーチルやグレーの混乱を機会主義的対応として批判的に見ることもできるのでしょうが、イギリスには日本海軍の協力が必要だったとはいえ、オーストラリアやニュージーランドの意向を無視することもできませんでした。最も、重大なことは、日本側に肩入れするあまりにアメリカが敵対的になってしまうことを避ける必要がありました。もちろん、戦域制限交渉に見るイギリス外交は、混乱しています。しかし、それは日米豪などとの関係を調整するにはやむをえない試行錯誤だったのでしょう。



 日本側については次のように平間先生は簡潔に整理されています。



「…この機会に中国問題を解決したい加藤外相は参戦には積極的であったが、日米・日英関係の悪化を恐れ戦域制限には消極的であった。これに対し海軍は参戦には消極的であったが、南洋諸島の占領意図は強く、戦域制限撤廃には極めて積極的であった」(37頁)。



日本側も、イギリスと同じく、指導部内で一糸乱れぬ戦略があったわけではないことがわかります。のちに、戦域制限どころか日英同盟の適用範囲を超える欧州への海軍・陸軍の派遣がイギリスから要求さましたが、この時点では外務省も海軍もそのような事態を想定していなかったでしょう。8月7日の閣議で加藤外相が「一は英国の依頼に基づく同盟の情誼と、一は帝国がこの機会に独逸の根拠地を東洋から一掃して国際上に一段と地位を高める利益」を説いて、参戦を協力に主張しました。第一次大戦の開戦当初、政府部内に考え方の相違はあるものの、参戦は基本的に帝国の利益に基づいたものであることがわかります。また、同盟上の義務ではなく「同盟上の情誼」とすることは、条約上の問題を回避するだけでなく、自国の利益を図るための自発的な参戦であったことと評価いたします。



 私は、参戦の決定や戦域制限撤廃交渉をめぐる日本側の立場を視野が狭いとは思いません。問題は、大戦の長期化とともに、英国との「同盟の情誼」を深めることが長期的に日本の利益にかなうという戦略的な判断がなされなかったことでしょう。ただし、この問題も単純には割り切ることができません。のちに見るように、欧州への派兵は国内世論の支持をえることが難しく、さらにアメリカという日本側から制御することができない大きな不確定要因がありました。次回は、第三節「参戦と日米関係」の内容を検討しながら、日米対立が日本外交、海軍の行動に与えた影響について考えてまいります。

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