2006年06月09日

『第一次世界大戦と日本海軍』メモ4 ナイーブなアメリカ

 今回は、第三節「参戦と日米関係」です。表現は悪いのですが、アメリカというのはつくづく扱いの難しい国であるということを実感します。もちろん、90年以上前のアメリカと現在のアメリカは対外戦争だけでなく、人種差別など国内的な問題でも異なります。それにしても、これほど世論が大きくブレ、軍、とりわけ海軍が拡張指向のアメリカと対峙しなければならなかった帝国は外交面でも軍事面でも現在では想像がつかないぐらい困難を抱えておりました。



 第一次世界大戦での日米間の緊張の高まりが、ただちに1941年以降の日米戦争に直結するわけではありません。また、現在は日米同盟で結ばれており、少なくとも日本側からアメリカに戦争を行うことはまずありえません。しかし、アメリカ扱いの難しさを知る上では戦前の日米関係ほど格好の材料はないと思います。



 平間先生の叙述に戻ります。南洋諸島への日本海軍の進出はアメリカを刺激するものでした。ただし、これには日米間の緊張とアメリカ海軍の太平洋への進出という背景がありました。日露戦争後、アメリカでは世論レベルでは反日・排日論が、海軍レベルでは太平洋の覇権をめぐって対日戦争への警戒が高まりました。第一次世界大戦の勃発後、駐日アメリカ海軍武官コッテン少佐の帰国報告では、「日本がアメリカに宣戦するのではないかと多数の日本人が考えた」との記述が引用されています。陸軍参謀本部編『秘 大正三年日独戦史』からは「日独開戦ハ延テ米国トノ衝突ヲ来ス虞アリト為シテ非戦論ヲ持シ」という一節が引用され、同戦史に参戦に反対する者もあったという記述の存在が示されています。海軍軍令部では対米戦争の研究が行われ、「対米作戦意見書」が作成されていました。海軍次官の鈴木貫太郎少将は日米戦争になっても「三年以内なら負けない」という強硬論を主張します。この節では、開戦直後の日米戦争論や対米強硬論が高まった背景と日本海軍の対米観の分析が行われています。



 「日露戦争以前にアメリカ海軍には、ロシアの極東進出を押さえるために日英米同盟を主張する意見さえあったが」(38頁)との叙述があり、簡潔ですが、アメリカ海軍内部であくまで軍事的視点から日本を支援するという考え方が存在したことが示されています。しかし、日本海海戦のパーフェクト・ゲームにより、「アメリカの世論やアメリカ海軍の対日観は一転した」。日本海海戦の勝利は、列強に日本の実力を認めさせましたが、ナイーブなアメリカの世論は、一変して対日脅威論、反日論に傾いてしまいます。それは、いわゆる「ハースト系新聞」のように扇動的なメディアだけではなく、議会、司法でも同様な認識を表明するアメリカ人が出現します。



 もう一つ、日米関係を緊張させたのは、移民問題でした。1906年にサンフランシスコで日本人移民学童に隔離教育令が発せられました。この問題は、1907年から翌年にかけて日米紳士協定を締結していったんは沈静化しました。しかし、1911年末のメキシコの内乱が1913年にアメリカとメキシコの紛争に拡大すると、メキシコは日独に行為を示し、ドイツはこれを利用して日米を離反させようと策謀します。現代では想像もつかないのですが、日本とメキシコの同盟であるとか、日本海軍がメキシコ領マグダレナワンを海軍基地として租借するなどという風説が流布されました。1913年、このようなアメリカ国内世論の混乱を背景にカリフォルニア州議会で外国人土地所有禁止法案の審議が始まりました。この法案は日本人を対象としていたために、日本各地で大規模な抗議集会が行われました。遺憾ながら、日本の世論もナイーブで政府や軍の弱腰を非難する声が高まってしまいます。



 1913年に日本政府が強い抗議を行うと、「陸軍や海兵隊は演習を名目にカリフォルニア、ハワイ、フィリピンに警戒態勢を下令し、実際に兵力を展開し、日本軍の来襲に備えるほど日米間は緊迫していたのであった」(41頁)。平間先生は書かれていませんが、なんともナイーブな対応です。誤解のないように申し上げておきますが、アメリカのナイーブさを強調するのは、後の日米戦争で日本側の対応に落ち度がなかったなどと主張するためではありません。戦前のアメリカ扱いの難しさは戦後の比ではなく、しかも、アメリカ世論のブレに日本国内の世論のブレも負けていません。民主主義国どうしは戦争をしないという考え方があるようですが、利害が相反する場合、世論のブレを制御できなければ、やはり戦争は起きる可能性があるということは、留意しておく必要があります。



 日本側の対応について、まず、簡単に見ておきます。1907年の「帝国国防方針」では仮想敵国として第一にロシアを挙げ、アメリカがこれにつぐとされながらも、「『米国ハ我友邦トシテ之ヲ保維スヘキモノナリトイヘドモ、地理、経済、人種及宗教等ノ関係ヨリ観察スレハ、他日激甚ナル衝突ヲ惹起スルコトナキヲ保セス』と、基本的には『米国ハ我友邦トシテ之ヲ保維スヘキモノ』としていた」(42頁)。ここでは1908年の第二次日露協商の成立に関する言及がありません。また、ロシアとは異なり、アメリカとの間で勢力圏をお互いに認め合い、衝突を回避するという外交はほとんど困難だったでしょう。もっとも、ロシアとの妥協が成立したのは日露戦争とヨーロッパでドイツの台頭という背景があってのことで日米関係と比較するのは適切ではない部分があります。アメリカの中国進出、海軍戦力の増強、パナマ運河の開通などにより日本海軍はアメリカを脅威としてより強く認識するに至ります。



 しかし、このような緊張下にありながら、南洋諸島の占領を除くと、日本海軍の対応は比較的、冷静であったと評価できます。まず、参戦にあたって海軍は対米兵力を温存しようとしますが(青島攻略での金剛、比叡の温存)、このような状況下では軍事的には当然だと思います。注目すべきは、海軍がアメリカ世論を注視していたことです。少し長くなりますが、1914年12月に着任した駐米大使館付武官野村吉三郎大佐への訓電を引用いたします。



「其民情、動モスレバ排日ニ傾キ我国運ノ発展ニ対シ大障害ヲ与ヘントスルノ虞アリ、貴官ハ能ク此情勢ニ鑑ミ、常ニ努メテ親善ノ意ヲ表スルト同時ニ、彼ノ真意ヲ探求シ機宜ノ報道ヲ□得ンコトヲ図ルベシ。……同国ノ大事ハ概ネ衆愚ノ与論ニ決セラレ、当局ノ力モ左右スル能ザルモノアリ。甚ダ危険ナル国情ト認メラルルヲ以テ、貴官ハ此際、特ニ各州民ノ趨向ニ注意センコトヲ要ス(引用者傍線)」(再引用に際して傍線を下線にした)(47頁)。



 冷静な情勢判断だと思います。アメリカというのは世論で動く国だ。しかも、世論はぶれやすく、極めてナイーブである。普通は、ここでだからそんなものを読んでもどうせわけがわからないのだから、無視してしまいかねないのですが、この訓電ではだからよくよく注意して観察するよう述べています。これが軍だけでなく、政府全体を挙げてアメリカ・ウォッチに常に配慮し、世論を「衆愚」と見るだけでなく、復元する力も内在していることを理解して情報をとる習慣が制度化されていたならばと思わずにいられません。当時としては、非常に冷静な観察だと思います。外交と軍事が共同して対アメリカ戦略を適切な情報収集のもとに行っていれば、帝国の頓死は避けられたのではないかと、ついつい懐古趣味に走ってしまいます。



 しかしながら、海軍も軍事の論理で動きます。大戦への参戦、ドイツとの交戦中にアメリカの中立義務違反を見逃すなど、アメリカへの軍事的配慮を忘れなかった海軍も、他面で対米戦争への可能性を高める南洋諸島への執着は捨てませんでした。冒頭の鈴木貫太郎の発言は、「海軍のこの対米強硬論は南洋群島の占領が日米戦争へ連なり、敗北するのではないかとの国民の不安を沈静化するためのゼスチャー的発言であったといえよう」と断った上で次のように平間先生は本節を終えています。



「しかし、いずれにせよ、一九一四年十一月には秋山軍務局長が、『米国と云ひ、又独逸と云い我国の相対となるべき国は』と、アメリカを第一の仮想敵国視していることを部外の講演で明言するなど、参戦、そして南洋群島の占領が日米両国の仮想的国視を相互に一歩進めたのであった」(48頁)。

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