2006年06月13日

台湾の戦略的価値(1)

【ありふれた話】
 あまり気が進まないのですが、W杯予選。観戦前に昨日の記事をエントリーしながら、あの日と同じ発作に襲われました。そう、悪夢の4月23日、千葉7区補選。発作は鬱。私が応援しようが、される側には何の影響がないことは、頭ではわかります。しかし、振り返るに、私が応援したチーム、候補者は落選する確率が1ではないにしても、0.9に近いというのは、われながら空恐ろしいものがあります。神様ジーコですら、逆神Hacheに勝てないとは…。やはり私の応援は究極のネガティブ・キャンペーンなのでしょうか。



【台湾の戦略的価値】
 本題に移ります。佐藤空将のブログを拝見しながら、深く感じ入りました。あらためて中台「統一」が他人事ではないことを考えるために文献を調べておりましたが、けっきょく、Okazaki, H., 2003, "Strategic Value of Taiwan"(Prepared for The US-Japan-Taiwan Trilateral Strategic Dialogue, Tokyo Round)がベストであるとあらためて思いました。検索してみましたが、日本語に訳されていないようです。今後、3回程度にわけてこの論文を自分用のメモに訳してまいります。



 
 翻訳に入る前に、台湾の戦略的価値について核心部分を述べている書籍を紹介いたします。谷口智彦さんの『タテ読みヨコ読み世界時評』(日本経済新聞社、2004年)です。とくに「『中国軍白書』は経済人も必読」(98??102頁)や第4章「『ネオコンの親玉』に会った」にある台湾関係の評論は必読です。重要なポイントのみを引用させて頂きます。



「中国人民解放軍は、『党の』軍事組織であって、その忠誠の対象は党のみである。強大な割に、透明度とアカウンタビリティーの著しく低い組織だ。
 軍事と経済は別物と考える人は、やはり多いのだろうか。筆者はいつも関連させあって見なければならないと思ってきた。
 台湾が中国のものになると、シーレーンはすべて中国の池になる。戦後日本は『アメリカ海上保険会社』から保険を買ってきた。シーレーンが中国の池になるようになるなら、保険を中国から買わなければならなくなる」(101??102頁)。



「以前の稿で、台湾が中国のものとなったら海上火災保険を(米国でなく)中国から買わなければならなくなると記した。
 東シナ海、南シナ海はともに、極めて浅い海である。水深は百メートルか、二百メートル。こういう浅海域では潜水艦を動き回らせることができない。簡単に補足されてしまうからである。
 ところが台湾東海岸は、一気に千メートルから三千メートルの深海に連なる。もしここを潜水艦基地とすることができれば、中国海軍はアジア全域と西太平洋を掌握することができるようになる。
 シーレーンは、中国の池になる。だからその通行の安全は、米国ではなく中国に頼むほかなくなる。
 台湾が日本にとって戦略的に重要だとしたら、右の一点に集約される」(235??236頁)。



 上で引用した文章はいずれも「谷口智彦の On the Globe 『地球鳥瞰』」のコラムの後記として『タテ読みヨコ読み世界時評』に書かれたものです。非常にシャープに中台「統一」が日本に及ぼす影響を短い文章ですが、的確に述べられていると思います。台湾が「中国の潜水艦基地」になってしまえば、アメリカの空母機動部隊は、中国の「内海」となった西太平洋での行動を制約されてしまいます。台湾がそのような状態になる頃には同時に東シナ海、南シナ海も中国の「内海」でしょう。そうなったときには、日本は「水槽」のなかに閉じ込められてしまいます。魚も陸上に打ち上げられてしまえば、料理するのは容易です。私は、台湾が好きだから、守るべきだと主張するものではありません。日本の安全にとって致命的だから、独立を支持するだけです。



 経済的繁栄は、国防の選択肢を増やします。しかし、経済的繁栄の基礎は、安全です。このことは、むしろ近代以前の商人の方が、はるかに敏感だったように思います。戦後日本が、このことに鈍感であったとまでは思いませんが、安全のために経済的繁栄の成果を割くことには臆病でした。台湾海峡の問題をストレートに議論している文献が少ないことは、その現れの一つなのかもしれません。もっとあけすけにいえば、敗戦国であることが、卑屈さと甘えを生んだのでしょう。五百旗頭真先生の『日米戦争と戦後日本』は素人にもわかりやすい、すぐれた著書だと思います。しかし、いつまでも壷つくりに甘んじる奴隷、ヘロデに甘んじる国は、長期では奴隷の地位すら維持できないでしょう。余談ですが、岡崎久彦編『歴史の教訓』の元となったシンポジウムで吉田茂論で厳しく岡崎先生の見解を質された五百旗先生が、シンポジウム後、岡崎先生にポツリともはや安全保障政策を見直す時期でしょうなと漏らされていたのが印象的でした。



 私自身は、台湾海峡で危機が生じることが好ましいことだとは考えておりません。それを避けることが外交の基本であります。しかし、中国の意図と能力は明白であり、それが現在、台湾に集中しているという非常に素人にもわかりやすい状況では、日本が動かすことができる変数を最大限活用することは、国として当然のことです。争いは望むものではありません。しかし、反乱には断固として鎮圧する意図と能力をアメリカと共有していることを明確にすることが、反乱を未然に防止することができるし、万が一、相手が計算を間違えた場合にも抵抗する力となります。私は、アメリカとともに戦い、自らと同盟国、そして利害を共通する独立諸国と血を流して安全を確保することによって敗戦国の汚名を返上することが真の戦後の終わりだと考えております。しかし、そのような機会が、訪れないことの方が、はるかに望ましいでしょう。



 とりとめがなくなってまいりました。次回以降は、血も涙もない、しかし、ユーモアと夢のあるOkazaki[2003]を自分のメモ用に訳してまいります。訳の過程で質の劣化は避けられませんが、岡崎先生、岡崎研究所の方々、岡崎先生のファンの方々におかれましては、お許しのほどを。

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