2006年06月14日

台湾の戦略的価値(2)

 私はなんと愚かな人間でありましょう。三十数年、自分の頭の悪さにつきあってきましたが、この「病気」だけは治らない。血栓性静脈炎はジムに通ったら退散しましたが、頭の悪さは治しようがない。前回、あんな宣言をしてしまったことを後悔しております。岡崎先生の文章は、曖昧な表現が一切ありません。なのに日本語で自分の言葉にしようとすると、驚くほど時間がかかります。"The Strategic Value of Taiwan"の内容を正確に理解したい方は、原文をかならず読んでください。私の訳を読んでしまうと、原文の意味が正確に伝わらない虞があります。ああ、ブログのサブタイトルが私みたいなおバカさんには高尚すぎますね。次の方がよいかも。



寝言は寝てから言え。訳はできてからエントリーすると言え。



 なお、私は、岡崎研究所の「門前の小僧」を「自称」するかんべえ師匠の弟子を「僭称」しているにすぎませぬ。恥を忍んで第1節の訳をエントリーいたしますが、これは、私の勉強用のメモであって岡崎研究所の方に許諾を頂いておりません。したがって、訳の正確さはすべて私の責任です。この論文の内容を正確に知りたい方は、私の訳ではなく、直接、岡崎先生の論文をお読み頂きますよう、お願いいたします。なお、自分用のメモですので、微妙なニュアンスや種々のコミュニケの背景など、訳に的確に反映してない可能性があります。私の訳を無断引用・転載していただいても構いませんが、その際にはかならず、原文をあたって訳が的確であるかを確認してください。なお、訳文の責任は私一人ですので、訳文に関する批判は当ブログにお寄せください。間違っても、私の訳のみを元に原文を批判することは慎んで頂きますよう、お願い申しげます。



 第1節だけでワードのA4の標準書式(40字×36行)で2頁ほどありますので、「続き」をクリックしてください(本音を言うと、あまりにひどい出来なので本文に掲げるのが恥ずかしいのです)。ああ、第1節を訳すだけでいったい何時間を使ったのか…。自分の英語力の低さは重々承知しているのですが、それ以前の問題が多いことに気がつかされました。



 もう自分で「バカって辛いよね」と慰めるしかありません。トゥキュディデスによれば、ペリクレスは「身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる」と述べたそうですが、私の場合、貧乏な上に「知的レベルの貧困を認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる」という状態です。次回はどうなることやら…。



 くどくど書いておりますが、誤解のないように申し上げます。原文と照らしての訳文の批判は、大歓迎です。当方がご指摘が適切であると判断した場合、訳文を訂正してまいります。できれば、御批判を賜ってよりよい訳文になることを願っております。なお、原文の内容の吟味は、訳が完了してからです。でも、第1節を訳すだけでよれよれになっている現状では、これって言い訳になりかねないなあ…。



(追記)下線部を追加いたしました(2006年5月15日)。

台湾の戦略的価値



岡崎久彦



第1節 戦略とはなにか?



 台湾の戦略的重要性を論じるのは,微妙な作業だ.戦略を公に論じること自体が微妙なことである.戦略は,むきだしの国益の計算に基づいている.そのことは,現代の規範や国際的な行為の倫理,あるいは倫理そのものからすれば不適切である.倫理的ではないとしても,戦略を公に議論することは,不躾かもしれない.「彼は,お金持ちでもないし,前途有望でもないわ.だから,彼との結婚は考えないのよ」.女性はみなそのように考える権利はある.しかし,それをあからさまに口にだしてしまうのは,上品なことではない.



 だが,戦略について論じなくなれば,戦略的思考の大切さを忘れてしまう.日露戦争後,軍事教育において戦略を教えなかった.それは戦略が最高機密であるとみなされたからである.軍事教育では戦場における戦略(battle field strategy)だけであった.しだいに,誰も大戦略(grand strategy)について語らなくなった.軍人は,日英同盟が果たした決定的な役割を忘れてしまった.なおかつ軍人は戦争に勝つのは日本人の,敵を震え上がらせるほどの敢闘精神によるのだと考えた.かくして,軍事的指導者はみな戦略的「白痴」(strategic-idiot)になった.以上は,壊滅的な敗戦後,戦時下の日本の苦い反省である.



 外交も同様である.外交官は,総理や外務大臣に現況を説明するための「型通りの方針書」(position paper)を書くことに労力のほとんどを集中した.同時に,儀礼や世論の反応にも注意を払ったが,その先にあることについて考えることをやめてしまった.



 私は,最近のアメリカの台湾政策も「型通りの方針書」になって形式化しているという印象をもたざるをえない.そのような文書を読んでも,アメリカの台湾政策の根底にある哲学または戦略を理解するための手がかりもえられない.国務省政策企画室長(Director of Policy Planning Staff at the US Department of State)であるリチャード・ハースの最近の声明から引用してみよう.この声明は,とりわけ内容が悪いのではなく,典型的な例なのである.



「合衆国は,長年の台湾関係法にもとづく義務だけでなく,「一つの中国」政策にコミットしている.合衆国は,台湾の独立を支持しない.合衆国は,海峡間の相違の平和的解決に持続的な利益を有している」.



 この見解を中国の戦略的思考から説明はできるが,アメリカの戦略的思考から説明することはできない.むしろ,過去における中国とのアメリカの外交的接触の背景から完全に説明することができる.



 アメリカの立場は,1972年の米中コミュニケによって表明され,過去30年間の両国間で何度も繰り返し確認され,しだいに修正された.その過程で,中国人は自国に有利になるように徐々に表現を修正してきた.合衆国は自国や第三国へ「合衆国が既に言明してきたことから本質的な変化はない」と説明しながら,「ソビエトに対する共通の防衛」や「米中関係の悪化を防ぐこと」,「大統領の訪問を成功させること」などの理由で中国に一方的に譲歩を繰り返した.



 その過程でアメリカは,「合衆国は,台湾海峡の両岸どちらにかかわらず中国人すべてが中国は一つであり台湾は中国の一部であると主張していることを認める」という上海コミュニケの際の状況を客観的に反映した立場から,「アメリカは『一つの中国』を支持し台湾の独立を支持しない」という立場へ変化した.



 これが,「基本的姿勢に変化のないこと」と「中国との不要なあつれきがないこと」の積み重ねの結果である.これはアジアの長期的な平和と安定に対する合衆国の哲学または戦略的思考からは明らかに説明できない.



 戦略は,長期的に考えること,生じうる,ありとあらゆる偶発的な出来事を考慮することを要する.お勧めできるアプローチの一つは,極端なケースをまず想定して次により現実的な状況を想定することだ.直近のことがらから始めてしまうと,長期的な展望をもつことが困難になる.典型的な事例は,戦後の日本の国防に関する論争である.「戦争の場合には」という状況を考えることは,戦略家すべてにとって基本的な想定だ.しかし,戦後の日本では,「平和的解決こそがまず探求されるべきであるとか」,「なぜ最近の国際関係がそんなに危険だと考えるのか?」など様々な議論に圧倒されてきた.(こんなことでは)結局のところ,まず防衛戦略に到達することなどなく,戦略を検討する暇(いとま)すらないだろう.



 戦略家とは,極端な場合を常に考えている人たちであると定義できる.哲学者あるいは宗教家が生と死の問題について日常生活ですら考えているように,戦略家は不必要なまでに常に広く深く考える.



 中国が台湾を手中にし完全に統制するという極端な場合を考えることから始めよう.



 台湾を併合する方法として,軍事力を直接,行使することは排除できるだろう.なぜなら,直接の武力行使は米中間の戦争を意味し,中国による台湾併合が成功しないからである.蓋然性が高いのは,併合が政治的かつ心理的圧力の結果である場合である.確かに,その背後に軍事力の脅威が存在するはずだが,この場合,合衆国は,干渉が必要であると世論を説得することが難しいような形になるであろう.あるいは,最初は直接的な併合の形をとらずに香港型の「一国二制度」の形からしだいに完全な併合へ進むかもしれない.いずれにせよ,中国が台湾を完全に支配下に置くという極端なケースを想定する.

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