2006年06月29日

伊吹の武士道と矢矧砲撃事件 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ5

 ずいぶん間が開いてしまいましたが、今回は、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』(慶應義塾大学出版会、1998年)の第ニ章「日英連合作戦と日英豪関係」に関するメモです。第二章は、次のような構成になっています。



  第一節 南洋群島の占領
  第二節 南陽群島の占領と英豪の錯誤
  第三節 オーストラリア警備作戦と日豪関係



本章では、いわゆる「南進論」とそれを具体化した南洋群島の占領、さらに南洋群島の占領をめぐる英米豪の思惑と対応に紙幅の多くが割かれています。



 まず本章の概要を述べますと、イギリスと自治領オーストラリア、ニュージーランドは、日本の南進に警戒を示しますが、主としてチャーチル海相の指揮下におけるイギリス海軍の作戦上の錯誤、オーストラリア国防大臣ピアスの重大な錯誤によって日本側の言い分が通ってしまいます。日本海軍による南洋群島の占領によってオーストラリア・ニュージーランドは日本を脅威と感じる傾向を強めました。南洋群島の占領は、結果的に一面では米豪接近、他面ではイギリス海軍の対日警戒感からくる英自治領諸国(カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)の結束を強める結果を招きます。この問題が、第二章の主要なテーマではありますが、次回に検討いたします。



 今回は、オーストラリア警備作戦における、対照的なエピソードを取り上げます。第三節では日本海軍によるオーストラリア警備作戦を前期(対ドイツ東洋艦隊・エムデン作戦:1914年??1915年)と後期(対通商破壊船作戦1916年??1918年)にわけて日本海軍の貢献について述べられています。巡洋戦艦伊吹の武士道的行為は前期に、巡洋艦矢矧の砲撃事件は後期に生じていいます。南洋群島の占領という戦略的な問題に取り組む前に、それぞれのエピソードをとりあげて日本海軍の「苦労」をあらためて理解したいと思います。なお、伊吹と矢矧のエピソードに関しては平間洋一『日英同盟 同盟の選択と国家の盛衰』(PHP新書 2000年)がリアリティに富んでおります。引用に際して平間[1998]と表記している場合には『第一次世界大戦と日本海軍』、平間[2000]と表記している場合には『日英同盟』を指すことをお断りしておきます。



 まず、伊吹の武士道的行為からです。1914年9月頃からドイツ東洋艦隊が活発に活動するようになりました。ドイツ東洋艦隊の主要な戦力は、装甲巡洋艦シャルンホルスト(11,400トン)、グナイゼナウ(11,400トン)でした。これらの主要戦力は、ファンニング島の無線通信所を破壊、タヒチを襲撃するなど、太平洋で海上交通破壊を行います。一方、巡洋艦エムデンは、ベンガル湾に出現して9月21日にはマドラスを砲撃してイギリス海軍の威信を大きく低下させました。「イギリス海軍は伊吹をニュージーランドからケープタウンまでANZAC(Australian and New Zealand Army Corps オーストラリア・ニュージーランド連合軍:引用者)船団の護衛に使用したいと申し出た」(平間[1998]、82頁)。伊吹は、イギリスの巡洋艦ミノトーアとともにNZ陸軍部隊を載せた輸送船をアデンまで護衛する任務を行いました。なお、途中でオーストラリアの巡洋艦シドニー、メルボルンも護衛に参加していますが、最終的に全行程を護衛したのは伊吹のみでした。



 このANZAC船団の護衛中にエムデンがココス島を砲撃してシドニーは隊列を離れました。「しかし、伊吹は通信員が英語がわからなかったために出遅れてしまい終始船団を護衛し、エムデン撃沈の栄誉をシドニーに譲る結果となり、オーストラリア海軍に最初の武勲を飾らせた。そしてこの伊吹の行為が以後、『伊吹の武士道的行為』として礼賛され、日豪和解ムードが生まれると、常に日本海軍のオーストラリア警備作戦の成果・友好のシンボルとして利用されたのである」(平間[2000]、92??93頁)。意図せざる功名ではありますが、各国の軍隊の共同作戦ではこのような「幸運」も、やはり大切なのでしょう。



 オーストラリアのフリーマントル港に入港中の巡洋艦矢矧に砲撃がオーストラリア側から加えられたのは、オーストラリア警備作戦の後期、1917年11月20日でした。簡潔にこの時期のオーストラリア警備作戦における日本海軍の行動について説明いたします。



 まず、ドイツ東洋艦隊が撃滅された後、ドイツは通商破壊船(商船に武装を施した仮装攻撃艦)ウォルフなどをインド洋に進出させてきます。この事態にイギリス海軍は、日本海軍に対して(1)インド洋の警備、(2)オーストラリア??コロンボ間の船舶護衛、(3)オーストラリア東岸・ニュージーランドの警備、(4)モーリシャス方面への進出を依頼します。「これらの依頼に日本海軍は、第一特務艦隊に利根・出雲および駆逐艦四隻を増派し、対馬・新高をモーリシャス方面に進出させ、四月十四日には第三特務艦隊(司令官山路一善少将、巡洋艦筑摩・平戸)を新編し、オーストラリア東岸やニュージーランドの警備に当て、さらに巡洋艦春日・日進を増派し、日進をフリーマントル、春日をコロンボに配備し、インド洋の警備に当てるとともに、四月下旬から六月上旬の間、フリーマントル??コロンボ間の船舶(十六隻)の直接護衛を実施した」(平間[1998]、84頁)。



 このようにイギリスとオーストラリア、ニュージーランドの海上交通の安全に日本海軍は貢献していましたが、現実には日本とオーストラリア、ニュージーランドの間には対立が絶えませんでした。それを象徴する出来事が、矢矧に対する砲撃事件です。



「…日本海軍に大きな衝撃を与えたのが、一九一七年十一月二十日に発生した矢矧砲撃事件である。発射弾数は一発であったが、陸上砲台から発射された砲弾は、フリーマントル入港中の矢矧の煙突をかすめて右舷約三〇〇メートルに落下した。翌二十一日に西オーストラリア地区のクレア大佐から、実弾を発射したのは「規定ノ信号ヲ掲揚セスシテ入港セントスル水先人ニ対シ、単ニ注意ヲ喚起スル為ニ採リタル手段ニ過キス」との弁明があった。
 しかし、前日に電報で入港を通知し、パイロットを乗艦させていたにもかかわらず、実弾が発射された事態を日本海軍は重視した。そのため山路司令官宛に、事件の説明を求める文書を送付する。
 これに対し二十五日にはフリーマントルを訪問中のファーガソン総督が個人的に陳謝し、十八日には海軍委員会議長から『豪州政府ノ為ニ深ク遺憾トス」との、また海軍司令官からは「本件ノ発生ヲ深ク遺憾トシ、此種事件ヲ再発セシメサルヘキ」旨の謝罪電報やパイロットの資格剥奪などもあり、事件は一応収拾された」(平間[2000]、97??98頁)。



 当時は、日本海軍の南洋諸島への進出、日米と自治領オーストラリアの露骨な拡張主義、「白豪主義」に代表される人種差別などの背景もありますが、この事件自体は偶発的なものであったようです。これを現代にあてはめるのは、時代背景があまりにも異なるため、無理がありますが、他国の軍隊の共同作戦は、常に偶発的なよい出来事もあれば悪い出来事もあるという平凡な事実を確認しておきます。ここから教訓を導くことは危険ですが、同盟国やそれに準ずる国との共同作戦は常日頃から行っておくことが、不幸な事故の生じる確率を大幅に下げることは忘れてはならないと思います。第一次世界大戦では、攻守同盟にまで発展した日英同盟ですら、ふだんの共同演習を欠いた状態では混乱に満ちていることをよく示していると思います。



 他方で、伊吹の武士道的行為は、意図せざる結果とはいえ、究極の事態における「評判」の大切さを実感させます。今回、とり上げた二つのエピソードは、けっして日英同盟や英米豪との関係には決定的な役割を果たしたとはいえないでしょう。ただし、私たちがこのような先人の努力を知っておくことは、戦前のこの国を知るうえでも、将来の日米同盟を考える上でも何がしかの補助線になると考えます。



 やや先走りますが、日本が、ヨーロッパ戦線に陸軍を派兵しても、ヨーロッパ戦局を決定づけるような力はなかったでしょう。また、イギリスや他の協商国もそこまでの貢献を期待していたとは思えません。しかし、戦後とは比べものにならないほど、国際政治に影響力を有していた戦前の日本が、口実は同盟の「情誼」でもよいからアングロ諸国との協調という立場から、英米とともに戦うという姿勢を口だけでなく、行動で示したならばと惜しまれます。仮に行動の動機が打算であっても、結果として感情がついてくることは少なくありません。道のりは遠いのですが、後にヨーロッパ派兵をめぐる国内世論の混乱を鑑みると、戦後民主主義がこの問題を解決していないし、解決するにはまだ時間がかかるのかもしれないという感覚をもちます。



(追記) 下線部を原著にしたがって訂正いたしました(2006年6月29日)

この記事へのコメント
 弊サイトに戦艦史を記載中、ANZAC船団に付いて調べたくて、貴HPに辿り着きました。
 伊吹の通信員が英語がわからなかったために出遅れてしまったことが、逆に「武士道精神」に繫がったという新事実に興味をもちました。今後とも参考にさせていただきます、
 尚、「Australian and New Zealand Army Corps オーストラリア・ニュージーランド連合軍」の節を引用させて戴きたいのですが如何でしょうか。
Posted by 鈴木宏一 at 2010年03月30日 00:04
>鈴木宏一様

丁寧なコメントを賜り恐縮です。引用に関しましては、了解いたしました。コメントスパムがひどかった時期にコメント欄を一時的に承認制にしましたのでで、恥ずかしながら気がつかないままになっておりました。リプライが遅くなり、誠に申し訳ありません。
Posted by Hache at 2010年04月09日 21:40
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/1090567
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック