2006年07月07日

イギリスの錯誤 オーストラリアの強欲 『第一次世界大戦と日本海軍』メモ7

 今回は、平間洋一『第一次世界大戦と日本海軍』第ニ章に関するメモの最終回です。日本海軍による南洋群島の占領の背景を英米豪との関係から考察されています。第1にイギリス海軍の苦戦と対英豪関係の好転、第2に日本の参戦後アメリカの対日感情の好転、第3に英豪の錯誤が挙げられます。



 まず、第1の点ですが、1914年9月20日に巡洋艦ペガサスがドイツの巡洋艦ケーニヒスベルグに撃沈され、21日にはにマドラスがエムデンの砲撃にさらされてしまいます。さらに同月23日には、タヒチが巡洋戦艦シャルンホスルスト、グナイゼナウに砲撃され、ドイツ東洋艦隊による攻撃が活発になります。



イギリスは日本にオーストラリア艦隊への協力を求め、それに応えて9月21日に戦艦薩摩、巡洋艦平戸・矢矧をオーストラリア艦隊との共同作戦へ派遣しました。伊吹にいたってはANZAC軍の護衛のために遠くアデンまで派遣されます。「…日本海軍は、ドイツ東洋艦隊を包囲するためイギリス海軍の要請に応じ、戦艦薩摩、巡洋戦艦鞍馬・筑波、巡洋戦艦浅間・平戸・矢矧・日進・春日・出雲、駆逐艦山風・海風を遠くカナダから太平洋に派出し、さらにエムデンの対処にインド洋に巡洋戦艦伊吹、巡洋艦筑摩と日進を送った」(平間[1998]、63頁)。



 チャーチルは、次のように評したそうです。「太平洋及印度洋上の護送警備は大部分日本の旗を掲げる軍艦に託されることになった」(63頁)。イギリス海軍は兵力不足から日本海軍にドイツ東洋艦隊の撃滅とオーストラリア・ニュージーランドのシーレーンを依存せざるをえない状況でした。また、日本海軍も、これに応えました。チャーチルは、いくつもの謝電を日本海軍に送りました。平間先生は、日本海軍の協力意欲の低下を恐れたという現実的な評価をしています。また、日本海軍の協力を考えれば、当然ともいえるでしょう。太平洋とインド洋で日本海軍は大きな貢献をしていました。英豪に日本海軍への依存に恐怖心がなかったわけではないでしょうが、利には利によって報いるというイギリス人の性向からすれば、英豪の対日感情が好転したのは当然であると思います。



 第2の点に関しては、アメリカ世論の移ろいの儚さを感じます。日本が最後通牒を発した8月15日にはニューヨーク・タイムズ紙が「日本の参戦は日英同盟に基づいたものとは認めがたい、『寧ロ日本政府ノ欲望ニ出デタルモノト云フヲベシ』と報じ」(64頁)ました。余計ですが、同盟に基づいた参戦であっても、自国の国益を守るための行為であることは変わらないと思うのですが。同盟に基づく軍事行動が一見、利他的であっても、それが同盟の締結国の利益から行われるのは当然でしょう。同盟を理解することが難しいことをあらためて実感します。



 それはさておき、結局、アメリカの世論は沈静化してゆき、9月2日の山東半島上陸についても「自国の軍備が弱小ならば他国の侵略を妨ぐことはできない。武力弱小の点で中国に似ているアメリカは、平時より兵力を充実する必要がある。しかし、日本の中国領への上陸はドイツのベルギーの中立侵害とは意味が違う」(65頁)と報じるまで沈静化してゆきました。表現が悪いかもしれませんが、アメリカの世論は大きくスウィングしますが、大局的にはまともな解をだしてゆきます。悪い方に振れたときに、あまり反発せずに冷静に対応すれば、自分で修正する力をもっていることを記憶しておくことが大切だと思います。



 第3の点に関しては、イギリス海軍レベルと政府レベルの誤りに区別されています。海軍レベルでは、「チャーチル海相の香港集中命令、ジェラム長官のドイツ東洋艦隊がインド洋に向かったとの誤判断、イギリスの艦隊撃破第一主義、さらにはオーストラリアやニュージーランド自治領政府の部隊運用の不適切が兵力分散を招き、ドイツ東洋戦隊に行動の自由を与え、戦域制限を有名無実化し日本海軍に占領の口実を与えてしまったのであった」(74頁)とまとめられています。とくに重視すべき点は、イギリス海軍の戦略思想が、島嶼など領土の占領よりも艦艇の撃破を重視することでしょう(74頁)。同様の錯誤は、後に自ら海戦の戦略を変えてしまった日本自身が別の形で経験することとなりました。



 政府レベルでの錯誤は、主として自治領オーストラリアのピアス国防相によるものです。南洋群島の領有にかられたピアス国防相は、ハーコート英植民地相がヤップ島の占領を日本から引き継ぐとした電文中の"Yap and others"(ヤップ島及びその属島)を「ヤップ島及びその他、太平洋の独領諸島の全部」と誤解し、公表してしまいます(76??77頁)。その後、日英間の交渉で日本側の立ち回りの巧みさ、グリーン駐日英大使の不注意もあって、グリーン大使は「日本国民ハ赤道以北ノ独領諸島全部ノ領有ヲ主張スベキニ付キ英国政府ノ指示期望ノ件」という口上書を書かされてしまいました(78頁)。当時の戦況を考えると、この一件がなくても、南洋群島の占領は、戦後、既成事実化が図られた可能性が高いと思いますが、オーストラリアの強欲、イギリスの不注意は、海軍の南洋群島占領を正当化する助けとなったのでありました。



 冷静に見て、太平洋、インド洋ではイギリス海軍は日本海軍の南洋群島占領を阻止する力はありませんでした。また、それに見合うだけの貢献を日本海軍は行っていました。粗雑な評価かもしれませんが、南洋群島の占領は、長期的に日米の対立を増大させる可能性を高めるものでしたが、英米豪への日本海軍の貢献を考えれば、相応の対価であったともいえましょう。後に日英同盟廃棄にいたるプロセスで確認いたしますが、軍事的貢献ほど同盟を強化するものはありません。また、文中でも申し上げましたが、同盟に基づく軍事行動も自国の利益からなされるものであって、完全に利他的な行動というのはありえないことです。軍人を他国のために死なせるということは、よほど愚かな国でない限りありえないでしょう。同盟の本質は、互恵的であり、軍事的な共同行動にあるという平凡な事実を確認して今回のメモを終えます。

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