2008年03月01日

究極の「ナンバー・ツー」と平凡な市井の人

 いきなり汚い話で恐縮です。火曜の晩に睡眠導入剤を飲んだ直後に強烈な吐き気を催しました。この日はまるで食欲がなく、朝にパンを食べてそれっきりなにも食べる気がしませんでした。薬が中国製というわけでもなく、単に空腹に刺激が強かったのでしょう。そのままダウン。吐瀉物に水と薬しかなく、吐き気だけが強烈でした。うなされたような状態で、眠るわけでもなく、気もちが悪くてただ横になっていました。その後、水も受け付けない状態になって、気分の悪さと寒気(発熱はないのですが)にたえておりました。あとは、げっぷがひどくてまいりました。

 金曜の午後ぐらいから落ち着いてきて、現在は普通に食べられるようになりました。母上に電話しておかゆの作り方を再度、尋ねました(つくり方もなにもないのでしょうが、こういう基本がわからなかったりします)。とりあえず、消化しやすそうなもので済ましております。かぜ自体は治まっていますし、お腹をくだしたというわけでもないので、胃炎か胃潰瘍でしょうか。様子を見て病院に行く予定でおります。

 まるでなにも集中できない状態だったわけですが、金曜の夕方に『大航海時代IV』と「抱き合わせ」で買った『三國志VIII』をやってみました。昨年、ソースネクストからくるメールに2本で2,000円程度で購入したのですが、『大航海時代IV』が本命で『三國志VIII』はしかたなく選んだという感じ。『大航海時代IV』が旧PCでしか動作しなかったので、『三國志VIII』はインストールすらしておりませんでした。『三國志11』を見たせいか、グラフィックが非常にしょぼく、8ビット機の時代とはもちろん比較にならないぐらい進歩はしておりますが、微妙に懐かしく、心地よい感じ。例によって、とりあえず、曹操で君主プレイをするも、董卓が強すぎて30分で嫌になりました。

 初回版から11まで飛躍があるので『三國志』シリーズに詳しくはないのですが、『三國志VIII』は配下武将や在野の士、放浪軍などでプレイできるようなので、へえという感じ。時代には「黄巾の乱と揺らぐ漢朝」を選んでシナリオは184年開始。主人公はまたしても曹操。何進の配下で所属は宛。太守は朱儁。同僚は、孫堅や袁術、程普など7人でした。システムをまるで把握できずに、とりあえず、状況がわからないので諜報を申し出て、あちゃあという感じ。都市の数では何進の勢力が10で張角の7を上回っているものの、兵士は張角がはるかに多く、2倍まではゆきませんが、何進軍約20万弱に対し、張角軍35万弱。漢の命運も見えているのおと体調が悪いせいかもしれませんが、悲観的に。おまけに、朱儁はこちらの得意分野である仕事を命じることはなく、「発明」の特技をもっている曹操に商業ばかり命じてやる気ゼロ。まあ、それでも、「治世の能臣」らしく仕事をこなして毎回、一番できていたりしました。

 孫堅がライバル(好敵手)と見ているようですとのことで、「ふーん」という感じ。漢が滅んでゆく姿を眺めるのも悪くないかと仕事と上司(朱儁)や同僚との会話、鍛錬、見聞で一年があっという間にすぎました。

 考えてみれば、君主の立場でプレイするとけっこう面倒ですが、一配下というのは気楽なもので、言われた仕事のノルマをこなすのは曹操の能力をすると簡単すぎるので(袁術はかわいそうですが)、さくさくと話が進んで、何ターン目かは忘れましたが、七品官(デフォルトは八品官)へ昇進。あのお、漢なのに魏の制度ですかとツッコミを入れそうになりましたが、それはそれ。州の名称が残っていて『三國志』シリーズ初回作の雰囲気が微妙に残っています。昇進した後に孫堅が話しかけてきて、またしても「ふーん」という感じ。俸給が上がるのは嬉しいのですが、たいした金額でもなく、出世競争という発想自体、古臭いよねという印象。まあ、プレイヤーを盛り上げようというわけでしょうが、ちょっとつまらない演出だなあと思いました。当時の孫堅が曹操にライバル心があったかどうか。まあ、どうでもいいので、次の話題へ。

 昇進の先だったか、後だったか忘れましたが、朱儁と仲良くなったところで軍師へ採用されました。「わ、ワシが軍師?」という感じでしょうか。荀ケ(ジュンイク)か郭嘉でしょうとは思うものの、他の武将の知力よりは上なのでしょうがないなあという感じ。しかし、一武将の立場になると、曹操の知力(上限100で96)は高いですな。武力が低く、政治・知力・魅力がすべて90を超えているので、やはり知将タイプでしょうか。軍師ともなると一々、判断をしなくてはならないので、鍛錬で知力を磨いたおかげもあって、ほとんどあたりました。まあ、慎重なだけで、コムの判断にしたがっていただけですが。

 セーブもせずにさっさと進めたので既にうろ覚えですが、無謀にも許昌を攻めると何進様のご意向。やめた方がと思いつつ、声をかけられると参戦する曹操でした。戦闘は、わが謀略のおかげで何進軍は兵数が若干、多いという攻撃側としては劣勢ながらも、敵の武将が混乱しまくって、何進の勝利に。戦闘行為自体には自身がないので、三桁になった部隊を攻撃して敵将を一人捕虜に。張角は兵数ばかりが多くて知将がおらんのおという感じ。許昌攻略は成功に終わりました。戦闘での貢献度は3番目に評価されて、へえという感じ。孫堅はさすがに戦闘に強く、こやつとは喧嘩をすまいと堅く心に誓ったのでありました。

 さて、宛に戻ると、ようやく技術メインで曹操の強みが発揮されます。ガンガン技術が向上して、楽しいなあと思っていたら、新野を攻めろとのこと。まあ、空白地帯を埋めるのも悪くないです。戦闘に参加したはずですが、戦闘画面が表示されず、当然のごとく勝利。朱儁の下で再び、リーマン生活。いやあ、緊張感が皆無ですが、サラリーマンそのものです(業績がトップということを除くと私と同じですな)。海外出張(戦闘)がたまにあるものの、ほとんどは町おこし(商業、技術)担当で、結果は地味。

 ただ、地味な作業をさせても、曹操はさすがでほとんど毎回、業績がトップ。軍師就任以来、責任を感じて知力も鍛錬で99に上昇。董卓がやらかして乱世にと思うほど、暇です。気がつくと、黄巾の族も北方へおいやられて、開始当初のような緊張感はなくなっていました。序盤でコツをつかんだので、まずは、「技術」の場合なら「工房」を「見聞」して民心を掌握してからお仕事です。朱儁と信頼関係が築けると、得意分野を任されるので、コツコツ「見聞」を重ねて民心掌握度を高めると、仕事がはかどります。暇なときは鍛錬、さらに余った時間で同僚と会話したり、他の都市を訪問して知己を広げます。あとで、知己を広げることを怠っていたことが響くのですが。

 途中で名馬「絶影」を購入したら、なんと朱儁が没収。「お前には過ぎたものだな」。さすがにむかつきます。「こら、曹操!反抗しないか」と思っていたら、「功績の報いがこれとは……」。……すっかり角がとれてしまったようで、どうしようもないです。実は、あとで没収されていなかったことに気がついたのですが、朱儁の嫌な面を見せつけられた瞬間でした。

 190年ごろの情勢ですが、何進が司隸と兗州(エンシュウ)など河南を制し、張角亡き後(自然死)の混乱を収めた張宝が河北を制する状態に。単に支配領域の面積でゆけば何進が圧倒的に優位ですが、総兵数ではほぼパリティ。武将の能力では何進が優位と悪くない感じです。そうこうするうちに、転勤があいついで、2人の太守に軍師として仕えて、孫堅が太守をしている襄陽へ赴任。さすがに格の差がついたなあという感じで、孫策にまで目下あつかいの言葉遣いをされてカチンとくるものの、孫堅はさすがで、着任の次の軍議でワシ、もとい曹操を軍師に。こんな生活も悪くないかなと。

 孫堅の統治は穏やかで、配下も孫策をはじめ、黄忠、馬超など優秀な人材が整っていて、すっかり乱世への野望は薄れて、軍師としての生活になじんでしまいました。同僚が同僚だけに会話も楽しいですし(ただし、相性がよくないのでなかなか親密にはなれないのがつらいのですが)。孫堅が太守、軍師が曹操なんて無敵ではないかと思うぐらいですが、2年程度、開発して空白地を埋めるための準備で終わって、例によって上庸を抑えると、転任。なんか空しいなあ。名前は忘れましたが、目つきの嫌な武将配下になって、放浪してやろうかと思いましたが、忍耐。またしても、軍師で主任務は技術と商業。

 次は、柴桑で甘寧が太守でした。甘寧自体は嫌いではないものの、8歳も下の武将に仕えるのかと、さすがにため息。それでも配下に馬超や陶謙、鮑信などが揃っていて、乱世の雰囲気を味わいたかったのですが、ゲーム開始から2時間でやっぱり私の人生はしょせんはサラリーマンという諦念に。こうなると、夢も希望もないですが、仕事をして仲間と楽しめばいいやという気分になります。最前線ではないので、退屈ですが。

 そんなわけで太守にもなれないのかと不満でしたが、軍師として誤った進言を一回もせず、諸葛亮を除けば、最強の軍師でしょう。ただ、賛成した「戦略」がすべて成功しただけで、反対した「戦略」が成功していたかもしれませんが。最前線ではないので、たいした成果はないのですが、輸送の判断は武将の能力によっては失敗するので、迂闊に賛成するのはどうかなと。赴任した都市では内政で貢献しておりますし、まずまずだろうと。しかし、194年には40歳。働き盛りの年齢に最前線ではないのがちょっと残念です。反面、こんな曹操もいいかなと195年を迎えました。

 なんと、この年に何進が死亡。董卓が反乱したわけではなく、自然死でした。この男、そういえば宦官ぎらいだったから、ワシを遠ざけていたのかと思いました。何太后とけしからんことを画策していたようですし。この男め、ワシに相性の悪い武将の登用を命じて何度か失敗したので嫌われていたのかも。それにしても、張角の死後、黄巾賊の勢いが落ちたのと同様、何進の死亡で勢力がバラバラになる恐怖感が生じました。「乱世の姦雄」という気概もなく、この先、どうなるんだと不安になりました。

 驚いたことに、死後、後継者に選ばれたのがワシじゃなかった曹操でした。「ハァ!?」という感じ。軍団長はもちろん、太守も経験していない曹操が、何進の後継者って大丈夫かいなと他人事みたいでした。皇甫嵩や朱儁、盧植など有力武将が、「曹操様なら」と突然の「様」づけ。訳のわからないうちに、後継者に命ぜられて斉王に封ぜられました。霊帝に謁見して、漢室の再興を誓う立場に。実は方針で漢室を再興するか、覇道を進むかの選択ができるのですが、あくまで「らしくない」曹操でゆこうと再興を選んだのでした。幸い、独立する勢力はなく、すべての武将が曹操に忠誠を誓ったのでした。気がついたら、名声・実績・人望で並ぶものがいない状態だったようです。

 しかし、肩書きは「斉王」とはいえ、事実上、黄巾賊を鎮圧するのが主目的で、最前線からすると、柴桑はあまりに遠いです。漢室復興を選んだので、本拠地を許昌にするのも気がひけますので、洛陽を本拠地に。移動してみてびっくり(「平和ボケ」していて敵地の諜報を怠っていたのでした)。てっきり北辺に賊を追い込んで鎮圧まで簡単だろうと思ったら、鄴(ギョウ)、濮陽(ボクヨウ)、北海などはそれなりに兵力が整った状態でしたが、防御や治安が低く、いつ張宝が攻めてくるかわからない状態。おそろしいのは上党で張宝と勢力を接しているだけでなく、ここが落ちると洛陽も危ないのに、兵力が4万未満。

 さらに軍団の編成が滅茶苦茶で、南中制圧と荊州制圧を目的とした軍団こそ編成されていましたが、あとは未編成。最悪なのは、人材でして、軍師として信頼できそうなのが周瑜と荀攸ぐらいで、通常の曹操でプレイしていたら配下になっていたであろう主な武将は未発見か(夏侯惇や夏侯淵、楽進、程c(テイイク)など)敵配下(曹仁や曹休、曹純、張遼、于禁、荀ケ(ジュンイク)、郭嘉など)というあまりに悲惨な状態です。とどめは呂布が敵陣に……。

 人材が乏しかったはずの黄巾賊ですが、曹操が南に行っている間に、曹操配下になるであろう知将をほとんど吸収していて、非常にまずい状態。事実上、孫堅・劉備連合軍を率いて事実上の曹操軍と戦うという状態で、苦戦は必至です。軍団の再編、人材の移動であっという間に時間がすぎてしまいます。ちなみに霊帝から胡姫を迎え入れてくれなんてイベントもあってはじめて結婚。現代ならばともかく、この時代に41歳にして初婚とは……。

 おそろしいことに、半年足らずで、当初の情勢分析どおり、鄴ギョウ→濮陽→上党→北海の順で落とされて、兵力こそ均衡しているものの、敵も人材を当初とは比較にならないぐらい揃えていて「斉王」とはいえ、司隸と兗州(エンシュウ)が危うい状態になりました。その間に敵からの計略で「離間」→「登用」で引抜がすさまじいです。周瑜まで引き抜かれそうになり、慌てて、まともな戦略では無理と196年末に方針を転換。わが配下になるであろう武将が重用されているのをみて、ある策が浮かびました。ヒントをくれたのはコム(com:コンピュータ担当の勢力)の手口。

 太守を引き抜くと、年ごと引抜が可能で、軍団長を引き抜くと、配下にある都市のすべてではありませんが、軍団単位で引抜が可能です。さらに、曹操と相性のよい武将が太守や軍師をしている都市がかなりありました。洛陽と下邳(カヒ)に兵力と兵糧、金を集中。戦略ターンは1年に4回(1月、4月、7月、10月)なので、その間の都市での活動中に張宝配下の都市を巡回して荀ケや郭嘉、張遼、于禁などと親密になって布石です。その間は、まず、戦略ターンで薊を計略で太守を引き抜いて次に北平の太守、張魯を寝返らせて戦わずして勝つを実践。とどめに渤海太守かつ軍団長であった張楊を寝返らして、張宝の力を半減させました。これでも張遼が張宝の勢力にとどまったので、失望しましたが。呂布も同時に引き抜けたので結果オーライでしょうか。

 これで孤立した上党を回復して洛陽は安全になりました。しかし、実際の戦闘は文字通り血で血を洗う激戦でした。戦闘では定石どおり守備側(約6万)の2倍の兵力(約11万)を動員しましたが、それでも曹仁と張遼の活躍が目覚ましく、張梁の「妖術」や賈詡(カク)の「落石」もあって大苦戦でした。洛陽から曹操自身が出陣し、関羽、張飛、馬超、黄忠、呂布を率いるという贅沢さですが、混乱した状態で曹仁と張遼が強力な攻撃をくりだしてあっという間に部隊が削られました(何進のときに功績をもっと積ませていれば、より大兵力で出陣させられたのですが)。曹操は混乱した部隊を「沈静」するので手一杯で戦闘という感じではないです。この戦闘後、献帝から禅譲イベント。実質、皇帝みたいな力をもっているので遠慮したいところですが(成りあがりは謀殺されませんからね)、断る選択肢がないのでやむをえず。とにもかくにも、遼東も計略で抑えて残るは、平原、済南、北海の三都市に。

 ここで驚くことに済南の軍師ではなく太守が荀ケ(ジュンイク)という状態で、ここを計略で集中砲火といっても忠誠を91まで削るのが限界(周瑜が「荀ケは忠臣です」とことごとく計略を否定するぐらいですから困難さを味わってい頂ければ)でして、あとは曹操と荀ケの信頼関係にかけて太守だという打算(最初はこの打算も大きかったのですが)を忘れて人として一緒に来てくれと頭を下げたら、「この日をお待ちしておりました」と言われて、思わず落涙。性的な関係を抜きにすれば、私が惚れるのは女性ではなく、男性ではあります。曹操様とは微妙に異なるタイプ(「英雄色を好む」ではない)ですね。

 北海で孤立した張宝は配下に任せて、あとは夏侯惇や夏侯淵、荀ケ、郭嘉、曹仁といった「身内」と劉備、関羽、張飛、馬超、周瑜などと宴会を催しては四方山話をして親交を深めるのでした。孤立した北海は陥落が目に見えてますから。惜しいことに夏侯惇との親密さが「敬愛」まで達したところで最前線への異動を希望するので泣く泣く了承。気がついたら、夏侯淵と郭嘉と義兄弟に。この手の話は劉備系限定だとおもっておりましたが。

 北海が陥落して、張宝以下、すべての武将を登用。張遼が最後まで屈しなかったのは見事と申すべきか、残念と申すべきか(滅亡時にはすべての敵将が配下に入ります。張遼もわが勢力で活躍してほしかったのですが、機会がなく残念)。これで敵対勢力は消滅したので、南中平定ですが、もう面倒なんで、これまた委任。すべての都市を制覇してクリアーでした。それにしてもスピーディで5時間もかからず終わりました。これはちょっと驚きです。

 野望を捨ててナンバーツーに徹した曹操が、何進の突然の死によって漢の中興の祖となる全く想定外の展開でした。董卓が滅茶苦茶にして雄飛のときを待っていたのですが、途中から「治世の能臣」(まあ、「治世の能吏」の方が実態に近いですけれど)で終わるのも悪くないと諦めましたから。軍団長はおろか、太守さえ経験していない武将が王になるというのはゲームらしい話ではありますが。ゲームの世界にすぎませんが、歴史に名を残す人というのはなにか違うのでしょう。私自身は、英雄的資質はもちろん、軍師タイプでもなさそうです。自分の仕事ができれば満足で、ステップアップへの戦略など考えることもありません。不思議なもので、そんなものがゲームをやると、実際の人生とは異なる経験ができたりするので、笑える部分もありますが、どこかで自己否定をしたい自分がいるのかもしれません。ま、自国はおろか海外の情勢などまるでわかりませんので、のほほんと市井で暮らして、ある日、突然くたばるのでしょう。この3日間ぐらいはくたばったようなものですが。


 病み上がりの状態で、適当にプレイしたので、セーブも途中までせず、うろ覚えですが、王になってからイベントが多かったです。戦略レベルで覚えているのは、次の通り。

(1)霊帝より斉王へ封建

(2)胡姫との婚礼

(3)霊帝崩御 献帝即位

(4)献帝から禅譲(以下、本人は「朕」、臣下から「陛下」)

 胡姫はできすぎた嫁で曹操に「天文」、「威風」、「医術」、「車懸」などの特技を伝授してくれました。ヒヤッとしたのが、于吉仙人があらわれて、最初、斬ってしまったら重病になって慌ててリロード。幸い、皇帝になってからこまめにセーブしていたので助かりました。『三国志』関係の本では必ずといってよいほどでてくる話ですが、忘れておりました。

 ちなみに、戦略レベルでは何進の「大戦略」は、悪くはないかなと。北に黄巾賊を包囲して、南の空白地を埋めるというのは悪くはないです。ただし、涼州や揚州は手薄で、涼州を制覇すると「山岳兵」(騎兵最強?)、揚州を制覇すると「楼船」が勢力全体で利用できるので、単に空白地を埋めるというのは芸がないです。

 致命的なのは人材の確保です。何進死後、引き継いだ人材は決して悪くないのですが、知略・武勇に傑出した人材はデフォルトのみで、あとは落ちる人材がほとんどでした。曹操を予州あたりにおいておけば、最低限、知将最高クラスは揃ったでしょう。周瑜や荀攸は文句なく一線級ですが、数では黄巾賊が上回っていて大変でした。

 細かい点では上党を抑えているのに、洛陽が手薄で増援が難しい状態でした。カヒに兵力を集中させていたようですが、北海への増援としては武将が今一つで、バランスが悪い印象です。さらに、孫堅クラスを空白地を埋める作業に回すなど、人材の配置は最悪ですね。

 全体の印象としては、中原で黄巾賊を抑えて勢力拡大を図るという「大戦略」そのものは悪くないのですが、その「大戦略」を支える個々の「戦略」の組み立てが悪く、全体としては戦略の体をなしていないというところでしょう。結局は、人材の活用ができておらず、黄巾賊と同じく兵の多寡と戦争のみで戦略を推敲しようとする凡将という評価になります。

 ゲームの『三國志』ことばかり書くつもりじゃなかったのですが、国内外の情勢に萎えているので、こんな記事が連続するかもです。かんべえさんが「カオス」を恐れるなというEconomistの記事を紹介されていましたが、恐れるもなにも、とっくに「カオス」ですよとちょっとだけツッコミをいれておきましょうか。それを収拾する「英雄」も、次の時代の「絵」を描く「ナンバーツー」、あるいは「軍師」も欠いた時代が来るんだろうなと傍観者のように見ております。
posted by Hache at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
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