2006年05月18日

日英同盟の形成にみる偶然と必然(6)

 「ほとんど病気」状態の記事が続いております。お付き合いいただいている読者の方にまことに失礼な話なのですが、アクセス数がゼロにならないのが不思議だったりいたします。この記事を読んでお金になるわけでもなく、色気もなく、キッシンジャーの本を読めば済む話がほとんどですから、利巧になるわけでもない。アクセス数を減らしたいわけではないのですが、なぜか一日400アクセス程度(述べ閲覧数であってIPベースではありませんので、読者数とは一致しないと思いますが)はあること自体が、低位安定とはいえ、驚きであります。

 すでに『第一次世界大戦と日本海軍』を読む準備にしては長すぎるのですが、あらためて19世紀ヨーロッパ外交の魅力の虜になってしまいました。前回は、ヨーロッパ協調で示されているキッシンジャーのバランス・オブ・パワーと民主主義の関係を現代との対比で読んでみました。キッシンジャーの分析と私のコメントはずいぶんかけ離れていて、自分でも恥ずかしい部分があります。彼の分析は、おもしろいというよりも刺激的でいろんなことを思いつくままに述べてみました。今回(おそらく次回も)は、バランス・オブ・パワーの典型とされる19世紀のイギリス外交について考えてみます。

 まず、興味深いのは、イギリス人が、おそらく経験的に行ってきた外交政策が「バランス・オブ・パワー」という原則としてイギリス人自身に意識されるようになった頃には、イギリスはヨーロッパのバランサーとしての地位を失っていたことです。キッシンジャーもニコルソンもこの点には何も言及していないのですが、外交政策が原則として意識されるようになるのは、それぐらい難しいことであるということを感じます。ニコルソン自身が指摘していますが、イギリス外交は一面において非常に機会主義的であり、諸外国からは理解しがたいものでした。ニコルソンによれば、フリードリヒ大王は、「イギリス人は何ら方法をもたない」と評したそうです。他方で、ニコルソンもキッシンジャーもイギリスの外交政策が基本的に自由主義的であり、「光栄ある孤立」を捨てた後にもこの特徴に変化がないという点では全く一致しています。日英同盟に直接、関係のない問題も取り上げます。以下では、まず、ニコルソンの『外交』(斎藤眞・深谷満雄訳、東京大学出版会、1968年)の「第六章 ヨーロッパ外交の諸類型」からイギリス外交の特徴を考えてみます。まず、彼のイギリス外交の特徴に関する有名な一節を引用いたします。

「つまり、イギリスの優れた外交官というものは、寛容にして公正である。彼は想像と理性、理想主義と現実主義との間の見事なバランスを保っている。…(中略)彼はとりわけ自国政府の政策を忠誠と常識をもって解釈することが自己の義務であること、そしてすぐれた外交の基礎はすぐれた商売の基礎と同じであること――すなわち、信用、信頼、熟慮、妥協であることを知っている」(ニコルソン『外交』、邦訳書、139頁)。

 ニコルソンは、慎重にイギリス外交の欠点や海外での批判をとり上げて、その批判がある範囲では正当であることを認めた上で自国の外交政策が決して無原則ではないことを主張しています。そのプロセスを忠実に追うのが、ニコルソンの著作を紹介する上では適切だと思います。しかし、ここでの目的は、ニコルソンの著作の紹介ではなく、イギリス外交の理解ですから、結論部分を冒頭に挙げました。ニコルソンは、自国の外交がイギリス特有の傾向を持っていると同時に、外交の普遍的なあり方をもっていることに疑いをもっていないと思います。ニコルソンは、個々のドイツ外交官の優れた資質に讃辞を惜しまないものの、ドイツの外交をイギリス外交と対照して「武人的」であると評しています。イギリス外交を過大評価しているという批判や自国外交の正当化に過ぎないという批判も可能でしょう。しかし、彼が引用部分で述べているイギリス外交の特徴は、例外も決して少なくありませんが、様々な歴史的事実によって裏付けられています。小村寿太郎は、日英同盟を締結するにあたってイギリス外交の特徴を理解したうえでイギリスとの同盟を決定付けた意見書を提出しました。小村寿太郎は、岡崎先生が描いたようにイギリス外交というよりは、国権主義者という点ではドイツ外交に近い感覚の持ち主のように見えますが、その彼がイギリスとの同盟の意義を正確に理解していたという点で感慨をもたざるをえません。

 「すぐれた外交の基礎がすぐれた商売の基礎と同じである」というニコルソンの主張は、今日の外交の世界では常識に属するのかもしれません。前回、日本型エリートの育成について「文武両道」という唐突な主張を申し上げた背景には、このニコルソンの認識があります。外交・安全保障政策では「商人型」が理想である外交と「武人型」が当然である軍事が補完的な関係にあることが理想だと考えます。文民統制という日本語になじまない用語も、このような文脈から理解する必要があると思います。外交に携わる方が、単なる交渉術だけでなく、軍事に関する知見をもつことは当然だと思います。外交交渉で解決ができない場合、最悪の事態に備えることが不可欠だからです。しかし、多くの場合、武力による解決は、最後の手段です。商人気質と武士道は、けっして排他的ではなく補完的であると考えますが、やはり折り合いがつかない問題も多いでしょう。しかし、平時においては商人気質が優先し、自国の安全を守るという点でも、武力衝突を避けることが難しい短期的な状況ではなく、長期で自国の利益を守るためには商人気質が有利だと考えます。

 また、イギリスにはカエサルのような英雄を生み出すことはありませんでした。率直なところ、塩野七生さんの著作の影響も大きいと思いますが、イギリスの歴史には個人としてローマにおけるカエサル、フランスにおけるヴォナパルテ、ドイツにおけるビスマルクのような卓越した人物というのは見当たりません。イギリスの近代史を見ながら驚くことは、傑出した人物が現れないのにもかかわらず、外交政策に関しては一貫性があるということです。この点に関しては後でキッシンジャーのさりげない、しかし示唆に富んだ指摘をとり上げますが、ここでは、党派の対立を超えてイギリスの指導者のもつ貴族的な側面とブルジョア的な、一面において俗物的な側面の見事な調和を指摘しておきます。キッシンジャーによれば、「光栄ある孤立」という表現の生みの親であるソールズベリは、次のような言葉を残しています。「ある時、彼は『我々は魚である』と言ってのけたのである」(キッシンジャー『外交』上、邦訳書、244頁)。イギリス貴族の自己犠牲的精神は、バトル・オブ・ブリテンで他国にも比類ない高貴さを発揮しましたが、イギリスのエリートを見るときに忘れてはならないのは、彼らは高貴な精神とともに俗物的ともいえるぐらい現実的な感覚に富んだ存在だということだと思います。他のヨーロッパ諸国では、このような人物が散発的に出現することはありましたが、継続して現れるということはありませんでした。このことは、イギリス外交に自国の利益を追求するために、他の弱小国との利害を一致させるという政策を一貫して追求させる背景になったと考えます。

「一九〇七年一月一日、当時イギリス外務省の西欧局長であったエア・クロウ卿は内閣のために英独関係に関する秘密覚書を書いた。ドイツの目的についての鋭い分析をあわせ含んでいるその覚書は、イギリスの政策の歴史的原則についての注意深い規定を含んでいる。そのさい、エア・クロウ卿は、イギリスの政策が地理によって決定されるという明白な前提を彼の公理とした。つまり、一方においてヨーロッパの露出した側面に位置する小さな島国がある。他方において全世界にまたがって広がる広大な帝国がある。自己保存の法則は、島の糧食の保持と海外にある帝国属領地との交通の安全の確保を必要とする。この二重の必要性のためには、すべての潜在敵国にたいする海上権の優越を保っておかなければならないことになる。ちなみに、アメリカは潜在敵国ではない」(ニコルソン『外交』128頁)。

 クロウ覚書は、別の機会にキッシンジャーによる分析を紹介いたします。この引用部分は、現状分析とそこからとるべき戦略の見事な関連を示しています。日本との同盟を選んだ国は、ヨーロッパ大陸には他に存在しないといってもよいほど、現状を正確に利益し、自国の守るべき利益とそのための手段に関して見事な現実的感覚をもった国でした。この分析を読むたびに日英同盟があまりに短命で終わったことを惜しまずにはいられません。

「私の現在の論旨に適用されるのはこの命題のコロラリーである。エア・クロウ卿は、もしこの海上の覇権が強引に推し進められるならば、それは全世界に憤怒と猜疑の念を惹き起こすことになるだろうと論じている。したがってそれは、できるだけ他国に恩恵を与えるように、そしてできるだけ他国を挑発しないように行使されなければならない。それは『他の大多数の諸国の基本的死活的利益と一致せしめられ』なければならない。
 では、これらの基本的利益とは何であろうか。第一には独立であり、第二は貿易であった。したがって、イギリスの政策は門戸開放を維持し、同時に、『小国の独立に直接的積極的関心』を示すものでなければならない。かくして、イギリスは、自らを、『小国の独立を脅かすすべての国にたいしてはおのずからなる敵国』とみなさなければならない。この点、『勢力均衡("Balance of Power":引用者)』の理論は、イギリスにとっては独特の形態をとることとなった。つまり、それはイギリスが『いついかなるときでも、最強の一国家あるいは国家群の政治的独裁に反対』しなければならないことを意味した。この反対は、イギリスにとって『一つの自然法である』とエア・クロウ卿はのべている」(前掲書、128−129頁)。

 ニコルソンによれば、イギリス外交の自由主義的傾向、小国、とりわけ低地諸国の独立を重視する理想主義的傾向は、アメリカのように理念から理想主義から生じたプロセスとは異なって、自国の死活的利益を(ハプスブルグやフランスなどの脅威から守る)歴史的プロセスからとの中からうまれたものでありました。イギリス紳士の典型のようなニコルソンは、理想主義的な観点から自国の外交を正当化することには慎重な態度を示しています。「(イギリス外交の前提に懐疑的な歴史家でも)イギリスをして自らを小国の権利の擁護者とみなすようにさせることは、何らかの特別な人間的美徳によるよりも一つの政策上の原則であるという主張は認めるであろう」(前掲書、129頁)。ウィルソンの理念にもとづく理想主義との見事な好対照をここにみることができます。イギリス外交の理想主義が、アメリカのそれと異なって、自己破壊的な要素を抑制することができるのは、このような現実的な外交から派生してきたという事情を理解しておく必要があります。

「イギリスの対外政策を貫く一定不変の動機または原則は、勢力均衡の原則である。その原則は近年になって評判が悪くなり、大いに誤解されてきた。勢力均衡政策とは、その批判者が考えるように、イギリスの政策が、ヨーロッパにおいていついかなる国であれ、その最強国にたいして同盟を組織することを絶えず期していることを意味するものではない。それは、その一般的な政策方向が、自己の力を他のヨーロッパ諸国からその自由またはその独立を奪うために用いようとするかもしれない、ある国家または国家群に反対することにあることを意味している。一八五九年、〔当時イギリス外相であった〕ジョン・ラッセル卿は、『勢力均衡とは、ヨーロッパでは、要するに数ヶ国の独立を意味する』と書いている」(前掲書、130頁)。

 イギリスの外交政策としてのバランス・オブ・パワーの本質が見事に表現されています。メッテルニヒのヨーロッパ協調は、四ヶ国同盟と神聖同盟という力の均衡を保障する同盟と「道徳的均衡」を保障する同盟戦略から成立していました。両者の巧拙の評価は、私の能力を超えますが、メッテルニヒは、自国の安全、体制を脅かしかねない不可逆的な変化に対応するために恒常的に大陸の他の国に深くコミットせざるをえませんでした。当時のイギリスは、そのような手段に訴えなければならないほど、自国の安全と体制は、脅かされていませんでした。しかし、そのような恵まれた条件があるからといって、適切な外交が行われるとは限りません。イギリスの外交は、節度をもって大陸に接するという、一見、容易でありながら、指導者にそれを洞察する能力がなければ実現不可能な政策を追求しました。ただし、ニコルソンも認めるように、イギリス外交には他の国からみて批判の対象となる傾向も同時に生じました。

「勢力均衡の理論が、イギリスの政策に経験主義的、さらには機会主義的ともいえる特殊な性質を課したことは明らかである。イギリスの方法はドイツやイタリアの政策のように何らかの野心的な計画によって支配されておらず、また(フランスの政策が決定される場合のように)伝統的な敵国にたいする執念によって決定されるということもない。つまりそれは、いくつかの事柄の結合によって決められるのである」(前掲書、130−131頁)。

「この機会主義は、イギリス人の性格の島国的気質によって強められ、イギリスの制度の民主的性質によって強められている。過去数百年間、イギリスの政治家が、何らかの計画的もしくは長期的な対外政策をもつことを避け、大陸と密接な掛り合いをもつことをすべてできるだけ回避しようと全力をつくしてきたのはこのゆえである」(前掲書、131頁)。

 ニコルソンの叙述は、冷静に自国の外交がもつ特質を欠点として海外に映ることも意を尽くして述べており、誠実です。注意しなければならないのは、イギリス外交が機会主義的であり、長期的な戦略にもとづくものではないという指摘は、単に自国の外交を正当化しようとする意図からではなく、イギリス外交がある大戦略に基づいて演繹的に実施されているのではなく、イギリス独特の経験主義、懐疑論的な哲学的傾向と結びついていることを示唆していることです。もちろん、知的ではあっても、観念で外交のように現実の営みを論じる傾向は、ニコルソンには無縁です。話がそれますが、最近のこの国の外交・安全保障政策を批判する際に「戦略的思考の欠如」が、表現こそ違え、決まり文句のように散見されます。ニコルソンの描写は、対照的に外交という営みが冷静な現状認識をもとにその場、その場で"decent"な対応をする知恵と工夫と行動であることを示しています。私は、外交・安全保障に戦略が必要なことを否定するつもりはありません。しかし、ニコルソンが描写するイギリス外交の特質というものは無形の知恵と経験の積み重ねだけに、戦略論とは異なり(戦略的アプローチも決して容易ではありませんが)模倣が難しいのですが、イギリスの特質に留まらず、戦略という枠に収まらない外交の実際を適切に描写していると考えます。

「国際問題におけるイギリスの地位をもっともよく評するには『誠実なブローカー』、『最終的調停者』、『世界の調停者』、『漁夫の利を占める者』または『救いの神』などの表現のどれがよいかは個人的見解に属する問題である」(前掲書、133頁)。


 最初に引用した「すぐれた外交の基礎はすぐれた商売の基礎と同じである」というイギリス外交の特質であると同時に外交の普遍的な特質を占める表現は、このようなイギリスの機会主義的な外交の積み重ねから生まれたものです。このようなイギリス外交の伝統がなければ、日英同盟の成立はありえなかったでしょう。日英同盟が成立した背景には、以上で描写したイギリス外交が、それ以前ほど機能しなくなったことがありますが、もし、イギリスがこのような外交の伝統を誇る国でなければ成立しなかったものと思います。

 キッシンジャーのイギリス外交の描写もある一面においてはニコルソンと同じ土壌の上にあります。キッシンジャーは、観念的な議論を好む自身の傾向を抑えて外交史の叙述を通して、理論−経験−歴史に架け橋を設けようとしました。他方で、キッシンジャーは、やはり戦略的思考に偏するところがあり、ときに驚くべき洞察力を発揮しますが、読み手によってはかえって外交という演繹的に説明することが難しい問題が多い対象に図式的な理解を与えてしまう危険があります。イギリス外交と外交のもつ普遍的な性質を理解するには、ニコルソンのあまりに古典的な古典が勝ると思います。

 他方で、キッシンジャーは、ニコルソンにはない洞察を『外交』のなかで示しています。次回は、キッシンジャーの描写によってさらにイギリス外交、そして日英同盟に至るイギリス側の背景を考える予定です。
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