2008年06月04日

塩野七生「高坂さんは、なぜ衰亡を論じたのか」(1)

 塩野七生「高坂さんは、なぜ衰亡を論じたのか」(高坂正堯著作集刊行会編『高坂正堯著作集 第5巻 文明が衰亡するとき』(都市出版 1999年 723−733頁)は、本文が10頁たらずの解説ですが、読んでいて非常に面白いです。第7巻の解説は中西寛先生ですが、全体像を簡略にわかりやすく示されていて、こちらは門外漢にはありがたいです。

 他方、塩野さんの「解説」は、高坂先生の文章そのものを解説するのは最初から放棄して、とりあえず、高坂先生の文章を読んで考えなさいという感じで、普通の解説を期待している、まともな方にはちょっとお勧めできないかもしれないと思います。内容的にも、ここはどうなんだろうと考え込む部分がありますが。しかし、一見、ある程度までは懐古趣味のように高坂先生との交遊を回顧しながら、専門の政治学者ではなく作家の視点から、『文明が衰亡するとき』を読む上で、知識やなにがしかの「答え」をえるというより、考える世界が広がるという点では興味深く何度も読み返しました。

 ここで私に課されているのは、高坂正堯著の『文明が衰亡するとき』を解説することである。だが著作には、いや文章による作品にかぎらずすべての創造的作品には、解説を必要とするものと必要としない作品のちがいがある。高坂作品の中では、この『文明が衰亡するとき』は後者に当たるものと思う。解説など必要としない理由を一言でまとめれば、解説というフィルターを通すよりも何よりもまず本文を読むことが、彼の考えに肉迫する最良の道であるからだ。
 ただし、ほんの少しの助力なら、あっても悪くはないかもしれない。それで私はここで、高坂氏はなぜ、『文明が衰亡するとき』を書く気になったのかを、私と彼との個人的関係を物語ることを通して、探ってみたいと思う(724頁)。


 冒頭の文章を読んで思わずため息がでました。交遊もあり、また故人に捧げる「ほめ言葉」というのは難しい。一文一文がこれほどクリアーでなおかつ最高の賛辞というのはなかなか出会うことが少ないです。これでおしまいとしたいほどです。しかし、塩野さんは高坂先生がなぜ『文明が衰退するとき』を書いたのかということを、書いた。途中の推論には違和感があるのですが、あらてめて『文明が衰亡するとき』を読み返すときに奥が深くなるのかもしれません。

 さて、高坂さんと塩野さんの友人関係は、高坂先生が「イギリスに留学していた時期」(724頁)にまで遡るとのことですから、1970年代前半あたりからなのでしょう。この時期が「高坂さんと私が精神的に最も近かった」とありますから、歴史、それも西欧史の話題で意気投合していたのでしょう。「その理由を高坂さんは、研究所の同僚たちとのコーヒー・ブレーク(いやイギリスだからティー・ブレイクか)で話される話題が、まったくと言ってよいほどに歴史なんだ、と言っていた」(724頁)というあたりから、私などのような「痴的人種」とはまるで異なる水準だということが窺えます。また、専門的な学問に限らず、およそ知的な営みは対話と切り離すことができないことを実感します。

 時期的には『文明が衰亡するとき』(1981年)よりも後の1980年代のどこかでしょうか。「シチリア島のタオルミーナ」で1週間ほど「言いたいこと聴きたいことを遠慮なくぶつけた」と塩野さんは振り返っています。この時期には塩野さんの当時のフィアンセであるG氏の学会があり、「サン・ドメニコ」で宿泊しながら楽しい対話が続いたとのことです。

 だが、その高坂さんが最も好んだ対話の相手は私ではなく、私の婚約者だったGだった。学会がひとまず散会する夕刻からはじまって夜半すぎまで、刻々に色の変わる南国の空の下での対話は尽きなかったのである。対話は英語で成されたせいもあって、私はもっぱら聴き役だった。高坂さんがGとの話を好んだのは、Gの体内を流れる地中海の「血」にあったのだと思う。ロンドンの戦略研究所の研究者たちも、そして高坂さんも私も地中海文明を愛する想いでは劣りはしなかった。だが、私たちには、南イタリア生まれのGがもつ、「体内の血」はなかったのである(725−726頁)。


 G氏の「体内の血」というのはなかなか表現が難しいです。塩野さんは卒業論文で「レオナルド・ダ・ヴィンチが絵画を未完に終わらせた理由を形而上的(のつもり)に論じた」とのことです。この内容をG氏に話すと、「ボクの考えるには、それは実に簡単な理由によると思う。要するにレオナルドには完成した絵が見えたのだ。見えてしまえば、興味も失われる。それで彼は、画筆を置いてしまったのだと思う」(726頁)。卒業論文の苦労が水泡に帰したものの、やはり「おとなしくはない」のでしょうが、塩野さんもこの見解に認めたようです。このあたりの機微は私にはわかったようでわからない部分がありますが、このあたりは学問的に議論をしても定まった見解をうるのは難しく、「地中海の血」をもった感性で捉えることで「答え」というよりも、レオナルド・ダ・ヴィンチの人間像のすべてなのかいったんなのかはわかりませんが、描くことができるのかもしれません。G氏は、「地中海の血」、地中海文明に関する教養、そして臨床医という日進月歩の知識に接しているにもかかわらず変わらぬ人間と接する職にあったという点で、高坂先生が対話をして様々な感覚をえるのにはよき話し相手であったようです。

 「『体内を流れる血』とは、知識の集積では会得できないものなのである。集積した知識に血を通わせるもの、と言ってもよい(726頁)。

 今回ははじめのほうだけで終わってしまいましたが、途中で塩野さんが自覚しているのかは不明ですが、次回、紹介する部分では自らと高坂先生を対比することで、高坂先生の「体内を流れる血」を間接的な形で示していると思います。むしろ、「体内を流れる血」という自覚がないまま、高坂先生との考え方の捉え方をあれこれと「補助線」をひきながら描いているうちに、はからずしも高坂先生の「体内を流れる血」を描いているように思います。「集積した知識に血を通わせるもの」に「正解」はない。それは人の数だけある。ありきたりのことですが、そんな「寝言」を実感させてくれる文章です。
この記事へのコメント
こんにちは。
高坂先生の「体内を流れる血」ということで言えば、たぶん(いや絶対に)お父さんの高坂正顕氏の存在がキーになると思われるんです。このことは高坂先生の口からは直接は聞いてませんが。
京都学派は近代史における日本の立場を欧米との関係の中で止揚しようとして挫折したわけですが、この挫折感が影響を与えたと思います。世界の中の日本の位置づけということが常に頭にあったわけで、衰亡という考えもそこから来ています。衰亡は成熟の結果ですから、まず日本は成熟せよと。
Posted by M.N.生 at 2008年06月04日 13:39
>M.N.生様

刺激的なコメントを賜り、ありがとうございます。京都学派については西田幾多郎の『善の研究』を左翼の人にこれは読む価値が高いと薦められて、途中で挫折してしまいました。なので、なるほどとしか言いようがないのですが、この点は興味深く拝読いたしました。また、高坂先生の「体内を流れる血」について浅く捉えていたことに気がつきました。

「運命への感覚」というのも「衰亡は成熟の結果ですから、まず日本は成熟せよと」というのは、ああでもない、こうでもないと頭をひねっているところに、高坂先生の「現代的関心」をすっきり説明していただいたように思います。「ある敗戦国の幸福な衰退史」が停滞気味だったので、趣を変えて塩野さんの文章をとりあげましたが、「世界の中の日本の位置づけ」という難問に無闇にかじりついていたことに気がつきました。

ここまで掘り下げたことを書く力量がないのが恥ずかしいのですが、浅薄なままに現段階での私の感覚をつづることになると思います。引き続きご笑覧いただければ、幸いです。
Posted by Hache at 2008年06月05日 00:19
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