2008年06月05日

塩野七生「高坂さんは、なぜ衰亡を論じたのか」(2)

 前回から引き続き、高坂正堯著作集刊行会編『高坂正堯著作集 第5巻 文明が衰亡するとき』(都市出版 1999年)からの引用です。私の要領が悪いので、たった10頁の文章について考えているだけでこんなに長くなってしまうので、面倒な方は読まずに無視していただくのがよいだろうと思います。この「寝言」に限らず、自分用のメモの域を超えるものではありませんので。

 『文明が衰亡するとき』を刊行当初に読んだ私の頭にまず浮かんだのは、これは戦略研究所の同僚たちとの対話にプラス、Gとの対話の所産だということであった。高坂さんはヨーロッパ人との間で話し合ったテーマを、ヨーロッパ人でない日本人に向かって話しているのである。ただし、この場合のヨーロッパ人も日本人も、ある一つのことでは共通している。歴史学を専門にしていない教養人、という一点では共通しているのだ。
 ここでの高坂さんは、学問上の探求はしていない。しかし、対話はしている。そして、プラトンの対話編が実証するように、対話とはソクラテスの昔から、探求の重要な一手段なのであった。高坂さんも、話はしながら、その相手である読者には考えることを求めている。それゆえにこの一冊は、手っとり早く結論を知りたい人には向いていない。ゆっくりとページをめくりながら、ときにはページをくる手を休めながら、考えをめぐらせる人には向いている一冊である(728頁)。


 自分用のメモとはいうものの、やはりお読みいただいている方がいる以上、この「寝言」を書いている私が知りたいことはわかりきった前提としてはダメなのでしょう。「時の最果て」の主要なカテゴリーは「ある敗戦国の幸福な衰退史」という、自分でもまあこんなわけのわからないことを考えるなあという話です。私自身がなんでこんなわけのわからないことを考え始めたのだろうと振り返れば、読んだ当時はそんなことを考えもしませんでしたが、高坂先生の『文明が衰亡するとき』がどこかで記憶の底にあったのだろう。最初に読んだのは高校時代の読書課題の中の一つに『文明が衰亡するとき』が含まれていて、当時はこの書の「バタ臭さ」と福祉国家批判という「現代的関心」(当時は善意による社会進歩を促すことが望ましいという素朴な発想をしておりました)に反発しながらも、根底に流れている「運命への感覚」にどこかで共感を覚えていて、その感覚が年をくったせいか、より強くでてきたのでしょう。引用から話がそれてしまいましたが、塩野さんの、冒頭の最高の賛辞を「転調」したやはり最高の賛辞を読んだおかげで、知識は増えずとも、加齢のせいか、20年以上前よりも素直に読めるようになったのは、この本は読者との「対話」を高坂先生が楽しんでいるのだと気がつかされました。

 この作品が刊行された時期の私は、『海の都の物語』と題したヴェネツィア共和国の通史を執筆中だった。それから十八年が過ぎた今、『ローマ人の物語』と題した古代ローマの通史を、半ばまで書きあげた状態にある。『文明が衰亡するとき』で高坂さんがとりあげたローマ、ヴェネツィア、アメリカのうちの二つまでを私もまたとりあげたことになる。ただし、高坂さんとはちがうやり方で。
 われわれの間に生じたこのちがいは、歴史をとりあげる上での手段の良否ではなく、関心のちがいにすぎない。高坂さんならば墓を前にして、この人はなぜ死んだのか、に関心を寄せるのだろうが、私の場合は、それよりも前に、どのように生れ、どのように成長し、どのように衰えたのかのほうに関心をもつ。死はその結果にすぎないと思うからでもある(728−729頁)。

 塩野さんらしい比喩だなあと苦笑する部分もありますが、やはり違和感があります。『文明が衰亡するとき』を読めば、確かに「この人はなぜ死んだのか」という点に関心が集まっていることは事実でしょうが、古代ローマを論じたところでは、衰退論の様々な「意匠」をとりあげて帝政時代から一路、衰退の道をたどったかのような話はしりぞけられています。また、滅亡の種は絶頂の時期に蒔かれるという『オイディプス』以来、手を変え品を変えくり返し論じられてきた「主題」を、安直な近代の「弁証法」から救い出している印象もあります。簡単にいえば、「高坂さんならば墓を前にして死を起点としながらも、興隆と衰亡の両方に関心を寄せるのだろう」。ただ、塩野さんの意地悪な単純化になぜ違和感を覚えるのかを論理的に説明するのは、なかなか難しいです。

 書き終えたら、例によって長くなってしまいました。失礼ながら、物好きな方だけ「続き」をどうぞ。


 衰亡論への私の関心の薄さは、衰亡とは興隆を成しえた者にのみ許された特権である、と考えていることもある。衰亡を避けたければ、興隆しなければよいのだ。死にたくなければ、生まれなければよいのに似て。トインビーだったか、ローマの衰退は紀元前五〇九年の共和政への移行期からはじまったとする説を読んだときは、言われてみればもっともだとは思ったが、微笑せざるをえなかったのも事実だった。
 高坂さんも『文明が衰亡するとき』の中で幾度も、衰亡は所詮は避けられないと言っている。だから、衰亡を免れるための方策を、自分の作品から求めてはならない、とも。
 そうは言っても、読者の中で少なくない数の人は、衰亡を避ける方策を求めるがゆえに衰亡論を読むのではないだろうか。このような読者が多数である以上、衰亡防止策も提供するのは、書く側の義務の一つであるような気がする(729頁)。

 高坂先生は『文明が衰亡するとき』の「あとがき」で「オムニバス」という映画のような作品を書きたかったことや古代ローマの興亡への知的好奇心などについて率直に書かれていて、「衰亡防止策」を提供するという意図はあまりなかったのではないかと思います。私が学生時代に高坂先生の講義を聴いたときには『文明が衰亡するとき』の著者とは思えないぐらい、毒舌で1980年代末という時期もあるのでしょうが、アメリカに対する思い上がりともとれる発言を連発されていて、幻滅してしまったこともあります。

 高坂先生が、私のような凡人にとっての意味では謙虚な方ではなかったのかもしれません。しかし、学者というのは著作では嘘をつけないものです。年をくってから、『文明が衰亡するとき』を読みながら、あらためて知的謙虚さという点で高坂先生の「対象との距離感」というのはやはり一流の学者のものであることを感じます。「学問上の探求はしていない」著作ほど、書き手の知的謙虚さを映し出す鏡はないのではないかと思います。「衰亡は所詮避けられない」という感覚は、裏を返せば衰亡にいたるプロセスを冷厳と見つめる姿勢にほかならないと思います。それは「衰亡防止策」にはならない。しかし、衰亡論を散歩のように歩きながら楽しむというのは「大人の楽しみ」なのでしょう。それは、文明の興亡と個人の生と死を切り離さない潔い態度だと思います。「奢れる者は久しからず」という諦念とも異なる。もちろん、高坂先生は「個人の生と死」に直接、結びつける叙述はしておりませんが、文明論を通して高坂先生の「個人の生と死」に関する感覚が伝わってくる。そんな印象があります。

 私の考えでは、国家ないし民族は、大別すれば国家ないし民族は、大別すれば二種に分類できるのではないかと思う。
 第一種は、あらゆる手をつくしたにかかわらず、衰退を免れることはできなかった国家。俗に言えば、天寿をまっとうしたと言える国家(レス・プブリカ)である。古代のローマ、中世のヴェネツィアは、私の考えではこの種に属す。
 第二種は、持てる力を活用しきれなかったがゆえに衰退してしまった国家だから、天寿をまっとうしたとは言えない夭折組に属す。その典型は、古代ギリシアのアテネと中世のフィレンツェだろう。
 衰亡論が衰退の防止に役立つのは、この第二種に属す国家の衰退の要因を探求した場合ではないかと思う。なぜなら、古代のアテネも中世のフィレンツェも、歴史叙述の最高傑作を産んでいるからだ。史書の傑作が生まれる条件の一つは、書き手の心中がいきどおりや強烈な怒りで破裂しそうになっていることにある(729−730頁)。


 古代のアテネに関してはトゥキディデスの『歴史』が、中世のフィレンツェに関してはマキアヴェッリの『フィレンツェ史』です。これに続けて、塩野さんは「しかし現実にはアテネやフィレンツェをとりあげた衰亡論はほとんど見られない」(730頁)と述べた上で、「その理由はこの両国の衰退の要因がわれわれの属す国家でも見られるたぐいのものであるがために理解しやすく、それゆえに関心をそそられないからであるかもしれない。人間とは普通、わかりにくいことのほうにより強く興味を感ずるものなのである」と続けて自らかなりの部分を説明しています。ただし、古代ローマの衰亡史が魅力的なのは、まず、その衰亡のプロセスが複雑であり議論の余地が多いことに加えて、やはり大をなした帝国がいかにして滅びたのかという知的好奇心を刺激するものであったと素朴に考えてしまうのですが。単に衰亡を避けるだけならば、「衰亡を避けたければ、興隆しなければよいのだ」ということになりますが、やはり興隆した社会が浮沈を繰り返しながら衰亡するというプロセスは専門家であるか否かを問わず、好奇心を刺激するのではとナイーブに考えております。衰亡論の魅力は、そのような巨大な「作品」を見ることそのものだと思います。

 衰亡論に対する私の関心の薄さには、もう一つの理由がある。それは実に非学問的で非理性的で、生前の高坂さんから、そういうキミだけは理解できない、といつも笑われていたことだ。それは、衰退ばかりとりあげられて、それ以前にあったにちがいない数多の労苦が問題とされないのではあまりにかわいそう、という私の想いである。とはいえ、あまりにもかわいそう、だけでは説得力に欠けるので、こういう私の想いが妥当であるか否かを知るための調査や勉強は怠っていないつもりだが、執筆の動機が「あまりにかわいそう」に発していることは白状するしかない(730頁)。

 このあと、「平俗に言おうが言うまいが、私は単なるヘソ曲がりにすぎないのだ」(731頁)とみんなわかっていてもご本人に聞こえるところでは敢えて口に出さないことをご自身から述べられるあたり、さすがだなと思います。それにしても、実は上の文章を読む限り、塩野さんは「学問」や「理性」も、その営みが素朴な「想い」あるいは「パッション」から切り離されることはないというあたりをどのように理解していたのかがわからない部分はありますが。このあまりに簡潔なやりとりの描写ではわかりませんが、高坂先生が塩野さんに問いかけていたのは、塩野さんの「かわいそう」という想いは、いかに古代ローマ人に想いをよせながらも、決して古代ローマ人にはなれない塩野さんの立脚点はいかなるものですかという問いだったのではないかと愚考するしだいです。
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