2008年06月06日

塩野七生「高坂さんは、なぜ衰亡を論じたのか」(3)

 タオミナールのサン・ドメニコ修道院の夜に交わされた対話の中で、高坂さんがGに、こんなことを質問した。
 「帝政時代のローマはなかなかに良くやったと思うけれど、なぜ欧米人は、共和政時代のローマのほうを高く評価するんでしょうね」
 Gは、例によって迷いもせずに答えた。
 「フランス革命に対する、われわれの劣等感でしょう」(731頁)
 こんな話を高坂先生とご自身のちがいを「解説」している途中で、高坂正堯著作集刊行会編『高坂正堯著作集 第5巻 文明が衰亡するとき』(都市出版 1999年)のなかに忍び込ませてくるので、まったくもって油断がならないです。極論すれば、どの時代にもその時代の「意匠」があり、それを意識するかしないかは別にして、その「意匠」を通してしか世界を見ることができない。現代の「意匠」は「複雑骨折」しているとはいえ、18世紀末に始まりがあったのでしょう。そんな「意匠」を通さずに人間を見ている人を自由人という。ただし、自由の始原は「嘘」にあるわけでして、塩野さんがヴェネツィアや古代ローマに入り浸るという虚構の世界に「嘘」を置いたのに対し、高坂先生は島国に「嘘」を置いた。自由の始原こそ違いはあれども、現代の自由人、あるいは異端者はこの世で永遠に「嘘」を基盤にせざるをえないのでしょう。

 くり返すが、高坂さんと私の歴史に対する姿勢には、高坂さんは「死」から、私は「誕生」から出発するという視点のちがいがある。だがちがいは、もう一つ存在するように思う。それは『文明が衰亡するとき』を最初に読んだ時点で感じた。高坂さんは結局、霧雨の降るロンドンにもどって行った、という想いだった。
 反対に私は、陽光の降りそそぐ地中海に留まったままであったのだ。自分にないものを会得するために、それをもつGと結婚したくらいなのだから徹底している。高坂さんは、ローマもヴェネツィアも、ロンドンから見て書いている。私は、ローマもヴェネツィアも、ローマにいて、ヴェネツィアにいて、書いているのだった。どちらが正しいのかなどは、私には関心はない。ただし、ちがいは明らかだ。そして現在執筆中のローマ通史、それも帝政時代になってからのローマ史は、フランス革命に対する劣等感、と言っても欧米人でない私にはもともとからしてないのだが、欧米人が吹っきれないでいるそれを排した視点から、見ようと努めているのである。つまり、ローマにあってローマ世界を見るという、視点に立って判断したいと思っているのだ。なんのことはなく、私は日本人としてローマ人を書いているのではなく、古代のローマ人になって、古代のローマを書いているのである。この種の姿勢も、理性的でクールで常にすべてからは一定の距離を置いた高坂さんの生き方とは、相容れないものであった(731−732頁)。


 『ローマ人の物語IV ユリウス・カエサル ルビコン以前』(新潮社 1995年)を読みながら、『ガリア戦記』で記されているカエサルの事績を追う塩野さんの姿を本で思い浮かべながら、つい相変わらず無鉄砲だなあと苦笑した覚えがあります。少々、訳がまずくても、当時の地理や部族についての知識が弱くても、『ガリア戦記』を読めば、著者が歴史に名を残す人物であることはほぼ自明でしょう。私程度の知能でも小学生のときに読んで感心するぐらいですから。もっとも、あの書物を解説しようとする塩野さんの勇気には感服しました。正直なところ、『ローマ世界の終焉』の方が退屈しなかったのですが(こんな読み方は浅いと言っておきましょう)。キケロのいう「馬鹿者」となることを覚悟して「心中」を図った塩野さんには敬意あるのみですが。

 なぜ退屈だったかといえば、ブリタニア制服に関する叙述の合間にチャーチルをはじめ、イギリス人がローマと「同化」する第一歩になったことを評価する意見をあまりにシニカルに評価しているからです。確かに、現在のイギリスは古代ローマの辺境であり、今日の文明が古代ローマに直結しているのかは疑問が残ります。しかし、イギリス人が帰るべき「原点」としてローマによる征服を彼らの文明化のはじまりとする感覚は、辺境の地でこそ古代ローマの影響が、仮にその影響が形骸に過ぎないとしても、色濃く残り、それを受容する柔軟さをイギリス人がもっていることを示しているのでしょう。そして、なによりイギリスは島国であるがゆえに、安全保障上の理由もあって、フランス革命から距離を置くことができました。フランス革命に関する英米の研究に触れていないからかもしれませんが、少なくともイギリスの場合、大革命以前に政体を確立することに成功しており、私の知りうる限り、「劣等感」から比較的、自由な印象があります。

 「寝言」に「寝言」を重ねておりますが、高坂先生と塩野さんの「ちがい」はロンドンとローマの距離ではなく、力むことなく高坂先生が日本人として歴史を散歩したことにあるのでしょう。塩野さんは、欧米人と異なって日本人は「フランス革命に対する劣等感」が少ないことは塩野さん自身が指摘していますが、『文明が衰亡するとき』を読めば、そのような「劣等感」がなくとも、日本人が文明を論じることはけっして容易なことではないと実感します。ひねりの利いた文章を味気なくするのは無粋ではありますが、自由人というのはどこまでも孤独なのであって、個の多様性を認めるほど、なにがしかの共通理解を求めずにはいられない存在なのでしょう。高坂先生の文章から京都人らしい洗練されたコモンセンスを感じさせる一方で、どこかで共通理解を求めながら、それが困難であることも承知した上で諦念することなく、力むこともなく、しかし、結論のない世界を散歩する孤独な姿を思い浮かべます。

 本筋から離れますが、戦前の日本人は西洋的な、あるいは近代的な自我の確立がなかったとか、真の自由がなかったというのは自由というものを日本人であるということと切り離して考えるひ弱な知識人が生み出した御伽噺ではないかと疑っておりますが。個と普遍の間はフランス革命から始まったのでもなく、古代から人々を悩ませてきた問題ですから。「寝言」というより「たわごと」でしょうが、どの時代でも個と普遍の間は埋まることがないのでしょう。その間をもにゃもにゃと埋めた戦前の知識人と比べて、現代の知識人は自由であるのか。一度、知識人と目される方たちは疑った方がよいとすら思います。

 それはさておき、塩野さんは高坂先生との対話を続けたかったのでしょう。それは、自由人の孤独を少しでも癒すものであったことだったと思います。また、対話に応えたことで高坂先生もけっして孤独をまぬがれていたのではないのでしょう。常識的に生きるということはけっして容易ではないことを感じます。

 しかし、相容れることと相容れないことの両方があったからこそ、少なくとも私の側からの彼への敬意は三十年の間まったく変わりはなかった。『ローマ人の物語』を書きはじめる前に、会って話したいと願ったのは彼だけである。願いを容れて会ってくれたその席で、高坂さんは言った。
「いつで物語を完結するの?ギボンのように、東ローマ帝国の滅亡まで書くつもり?」
「どこで終えるかまではまだはっきり決めていないけれど、ビザンツ帝国は入らないと思う」
「なぜ?」
「東ローマ帝国はキリスト教徒の帝国だからです。でも、ローマ人がローマ人のスピリットをもっていたとなれば、モムゼンや現代イギリスの多くの学者たちのように、キリスト教公認と同時に筆を置くしかないんですが、その後につづいたキリスト教側の危機意識は面白いから、四世紀から後も書きつづけることにはなるだろうとは思うけれど」(732−733頁)

 この対話には続きがありますが、残りは著作集でお楽しみ下さい。「高坂さんは、なぜ衰亡を論じたのか」という問いに答えるのは私の力量を超えてしまいますが、日本人としての常識を信頼し、疑い、そのような旅に終わりがないことを自ら歩まれたのだと考えております。
この記事へのコメント
 高坂先生もジョージ・ケナンもエドワード・ギボンも、子供の頃は身体が弱く、若き日に大病を患っていました。ケナンは百歳の長命に恵まれましたが、高坂先生とギボンは、六十前後で世を去りました。
 「元々、パワー・ベースのない国が何故、隆盛できて、そして衰えたか」という命題は、こうした人生の原点にある体験が多分に反映されているような気がします。
Posted by 雪斎 at 2008年06月07日 01:05
>雪斎先生

貴重なコメントを賜り、恐縮です。『文明が衰亡するとき』にもギボンの描写がありますが、よく人間が見えていた方だなあと思います。どんなに客観的な立場に立とうと努めても、それは本人にとっての客観であって、そこから離れた客観というのはなんとなく嘘のように感じてしまいます。もちろん、そのような「嘘」がなければ、どの分野でも学問というのは成り立たないのでしょうが。

「元々、パワー・ベースのない国が何故、隆盛できて、そして衰えたか」という問題設定になぜか素人でありながら惹きつけられる私自身も、大病こそはないものの、子どもの頃は風邪ばかりひいて寝込んでいました。正直なところ、子どもの頃にこの年齢まで生き残れるとは想定しておりませんでした。ペシミストの原点は、そんなところにあるのかもしれません。
Posted by Hache at 2008年06月07日 16:55
ケナンは、大学一年の時に熱病に掛かり。一年の長期休業になっています。高坂先生にも、長期療養に追い込まれた時期があったはずです。実は、高坂先生に並ぶ現実主義者であった永井陽之助先生も、結核にかかって戦時中は台湾で療養していたと思います。
 こうして考えると、現実主義に傾倒するタイプには、「力の現実は否定できないけれども、その力も移ろいやすいものだ」ということを実感として判っている人々が多いのではないかと思います。「生きるためには『力』が要る。たたし、その『力』も何時までもあるわけではない…」という感覚です。高坂先生の議論には、やはり先生の人生が反映されていたのだなと思います。
Posted by 雪斎 at 2008年06月07日 23:02
>雪斎先生

 書く側がコメント欄で勉強させていただく珍しいブログになっております。良くも悪くも過疎地ならではの光景なのでしょう。ケナンや高坂先生、永井先生と比較するのはおこがましいですが、学生時代に私も半年近く気管支炎が完治せず、ひどい目にあいました。それがなくても、いつも死の感覚をもっておりましたので、実感としては自分の力を悲観的に見る傾向が強いように思います。専門的なトレーニングをへていないので、現実主義というより、ペシミストです。他人を見るときに、ついつい同じ目で見てはいけないという感覚があるので、自分に関して悲観的でありますが、他人に対してはどこかで楽観的に見るように「眼鏡」をかけて矯正している、そんな感じでしょうか。短期では悲観的に長期では楽観的に物事を見ている感覚がありますが、それすらも、実は短期というのは自分の一生であり、長期では私の生を超えた世代、あるいは人類という種が存続する期間なのかもしれないと思いました。素人があまり深入りするのは危険な気もいたしますが、現在、高坂先生のより専門性の高い著作を拝読しておりますが、永井先生の著作も拝読しなくてはと思いました。

 現実主義の根底にあるのは、「生きるためには『力』が要る。たたし、その『力』も何時までもあるわけではない…」という感覚だというのはさすがだなあと。こういう感覚をずばりと説明できるのは専門家のなせる業だと思いました。私の場合ですと、力は必要だけれども、力を使う者はその限界もわきまえておく必要があるという感じでしょうか。そうした自覚がない者が一時的に権力を振るっても、長続きしないという感覚があります。場合によっては、長続きしないどころか、滅亡を早めたり、悪しき影響を長く残したりとろくでもないことが多いように思います。もっとも、限界が見えすぎてしまうと、なにもできないという危険はありますが。

 しかし、ふと思うと、素人だからお気軽なことを書いておりますが、人間のありとあらゆる面を見なければならないということを考えると、政治というのは奥の深いものであり、その専門的な観察というのも、本当に気力が続くことが肝心だと思いました。私の考えでは体力が気力に優先します。末尾になりましたが、ご自愛ください。
Posted by Hache at 2008年06月09日 01:50
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