2008年06月23日

イラクの「内戦」の終わり?(続き)

 土日はイラクも北朝鮮も邪険に払いのけて、ひたすら寝る、寝る、寝るという私の根源的な欲求を追求しました。この二日間で睡眠時間は20時間を越えているでしょう。要は、自堕落な生活をしていたわけで、「寝言」を書くよりも、睡眠をとって正真正銘の寝言を言っている方が楽しいのだと思います。

 そんな自堕落な生活をしているうちに、ニューヨークタイムズ紙にも"Big Gains for Iraq Security, but Questions Linger"という記事が2008年6月21日に掲載されました。日本の報道は絶望的ですが、アメリカの主要紙で濃淡はありますが、イラク情勢が好転しているという認識が共有されていると感じます。土日で眠りすぎたこともあるので、睡眠時間を削ってKagan and Kagan "How Prime Minister Maliki Pacified Iraq"に関する「寝言」を簡潔に書いておきます。なお、以下では、Kagan and Kaganの叙述にしたがって、(1)モスル(Mosul)、(2)バスラ(Basra)、(3)サドルシティ(Sadr City)に関する治安情勢を簡単にまとめておきます。

(1)モスル

 モスルは主としてアルカイダとバース党の反乱分子を抑えることが問題となっています。Kagan and Kaganは、これらの残党がイラク中央から追い出されて北部のモスルに拠点を見出したと指摘しています。モスルは、反乱分子を援助する金融ネットワークが存在するとともに、シリアから外国の戦士が浸透する中継点であると指摘されています。また、アルカイダが利用した民族分離の断層線が存在すると指摘しています。

 2008年のはじめ、イラク政府は、"Ninewah Operations Command"を作成して、モスル周辺に軍を集中し、主要な掃討作戦を準備しました。2月にはアルカイダの安全な「避難所」であったパレスチナとシュメール(Sumer)近郊を掃討しました。アメリカ軍はテロリストのネットワークを攻撃しました。5月10日にはイラク治安部隊(Iraq Security Force: ISF)は"Lion's Roar"作戦に着手し、14日のマリキ首相がモスル訪問後、"Mother of Two Springs"作戦を始めました。その結果、モスルにおいて5月の最初の週には一日あたり平均で40件程度だった攻撃が2週間で4件から6件までに減少しました。

 モスルに関する描写で興味深いのは、マリキ首相が1億ドルの再興資金を提供したということ以上に、脱バース党政策の改正の一環として旧イラク軍の兵士の登録によって安全の確保の前進が可能になったという指摘です。イラクの「民主化」とバース党の解体が同義であると捉える傾向がイラク占領を困難にした要因の一つだったと考えております。フセインによるバース党独裁は善悪をおいてみれば、イラクの「近代化」の過程を担ったという指摘もあります。あまりに遅かったとはいえ、イラクの旧体制を新体制に取り込むようになったこと自体、治安情勢以上の進歩だと感じます。

(2)バスラ

 バスラの戦いについては「イラクの新たな『内戦』」という「寝言」で触れましたので、重複する部分については割愛いたします。3月末時点での成果のみを確認すると、"Knight's Charge"作戦の結果、イラク軍は港を制圧し、AL Qudsとの交渉によって30日に休戦が成立しました。なお、この作戦では1000人のISFの兵士が任務放棄や戦闘を拒否するなど困難を極めました。このこともあって、バスラの戦いについては悲観的な見方が3月時点では強かったのでしょう。

 Kagan and Kaganによると、作戦はこの後も続行され、この約2週間後の4月12日には米軍の助言と航空支援はあったものの、米軍の(陸上)戦闘部隊の助けを借りることなく、ISFはバスラ近郊における掃討作戦を遂行しました。5月中旬にはISFがバスラ近郊を制圧し、マフディ軍や特殊戦闘集団はバスラの南北に逃れたため、追撃しているとのことです。

 Kagan and Kaganは2500人の当地の志願兵募集を認め、部族のリーダーとの交渉を始めたと指摘しています。著者がイラク政府のバスラ制圧の象徴として挙げている成果よりも、英軍の撤退により情勢が複雑化したイラク南部でイラク政府による治安の組織が始まっていることが注目に値するでしょう。以前の「寝言」では民生の安定を治安の確保と切り離してしまうように読めることを書いておりましたが、イラク南部でISFに現地の志願兵を吸収できれば、イラクが国家としての統一性を高めることになるでしょう。この動きは注目に値すると思います。

(3)サドルシティ

 2008年1月に特殊戦闘部隊は武器の備蓄や兵力をたくわえて攻勢に出ようとしていました。マリキ首相がバスラに移動したために、彼らは時期尚早の攻勢に出ました。特殊戦闘部隊は、重火器や迫撃砲などによって"Green Zone"を攻撃しました。バスラに兵力が集中している間に攻撃を行ったわけですが、米軍とイラク軍の首脳部にサドルシティを掃討する必要をあらためて痛感させる結果になりました。5月20日には、ISFは、米軍の航空戦力と助言者の協力をえながら、攻撃を行いました。5月の終わりには、ISFは敵の「司令部」を破壊し、サドル派の強硬な兵士を殺し、また捕虜としたり、追い払いました。

 Kagan and Kaganは以上の3方面の分析から、現時点で、次の指摘を行っています(1)アルカイダはニナワ県やスンニ派の反乱分子の残党が残っている地域にわずかに残っている。(2)イランの支援を受けた特殊武装集団はイランに逃走した。(3)筋金入りのサドル派の残党はマイサーン県(県都アマーラ)に逃げ落ちた。Kagan and Kaganは、"All of Iraq's other major population centers are controlled by the ISF, which can now move freely throughout the country as never before."と宣言しています。

 ただし、このパラグラフに続けて、はっきりと"The War is not ended."と述べています。現状ではISFが独り立ちできない現実を指摘しています。「連合軍」が今後も決定的な役割を担うと断定しています。それは掃討された地域の安定と安全を維持する役割であるとともに、イラクの諸集団が和解に向けって取り組む際の誠実なブローカーとしての役割です。アメリカにとってあまりに重い負担でしたが、このプロセスでイラクが中東におけるアメリカの新しい同盟国として再建される可能性もあるのでしょう。結論では、"But success is in sight."と述べていますが、成果を成果として認めつつ、イラクが新しい国家として力をもつための道のりは長く、現時点での状況を将来への楽観を込めつつも、冷静に叙述した記事だと感じました。


 以下は蛇足です。フセイン体制を妥当してイラクの「民主化」を図るという思考の背後には、民主国家は侵略的な国家とならないという思考があったのでしょう。また、中東にアラブ人の民主的国家を建設することによって民主主義的政体が普遍的であることを主張するだけでなく、実証しようとする思考があったのかもしれません。この5年間は、そのような主張があまりにもイラクのみならず、中東情勢を無視した乱暴な発想であったことを示していると思います。他方で、「泥沼」と幾度となく形容されたイラクの占領統治のプロセスの一局面にすぎないとはいえ、Kagan and Kaganの記事は、国内体制の相違にもかかわらず、直接はイラクですが、中東自体がアメリカ中心の秩序に順応してゆく可能性をもっていることを示していると思います。民主化はそれ自体が目標なのではなく、やはりアメリカの軍事的プレゼンスを中核とするアメリカ中心の秩序のなかでアラブの人たちが自らの意思で自らにふさわしい政体を築きあげてゆくものなのだろうという「寝言」が浮かびました。
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