2008年07月13日

人間は自然 私は天然?

 まだお盆まで1ヶ月ありますが、頭の状態は「夏休み」状態です。「寝言」どころじゃないという感じですので、更新がなかったら、へばっているんだなと思っていただければ、幸いです。言い訳になりますが、コメントを頂いても、反応が鈍くなると思います。カワセミさんから頂いたコメントで引用されていたサイトをすぐに覗いて勉強になりましたが、思考をまとめるのがつらい状態です。もっとも、PCを自作することを考えること自体は楽しく、初めてですから、あまり気合を入れずに遊びながら進めてゆきたいです。

 サミットとは直接の関連はありませんが、サミットそのものを論じた文章で失礼ながら関心が持てる論考が少ないなかで、雪斎先生の文章がさすがという感じでした。技術的には難しい印象ですが、原油価格の高騰や地球温暖化問題を島国の視点から捉えるというのは大切だなと思います。ツバルは他人事ではないかもしれないのですから。人間の進化と進歩をあえて区別するなら、やはり進歩の源泉は人間が自然を変えてゆく能力が発達することにあるのでしょう。都市部では人間の作為の結果ではない自然というのは限られた部分になってきています。他方で、進歩という人間の歩みにも限りがあることを意識するのが21世紀なのかもしれません。

 スケールが途端に落ちるのですが、最近、会社でも若い人が会社に適応できなくて安直にうつ病の診断書をほしがるそうです。他方で、深刻な人もいてうっかり「適応障害」と書いてしまうと、蚕の間接的な理由になりかねない場合もあってお医者さんも大変だなあと。前者はある意味、つわものでして、カウンセリングをしていると、「患者」の口が滑らかになると会社の悪口がどんどんでてくるそうです。先生とはいえ人間ですから、そんなに嫌ならやめてしまえと言いたいところのようですが、抑えて話を聞いてあげて診断書を出して休める状態になると、ケロッと「回復」するようです。しかし、「悪口」の内容を聞いていると、その程度のことも会社のなかで解決できないようでは失礼ながら先が見えてしまうなあと思いました。

 最近、感じるのは、世の中なんて自分の思い通りにならないし、それ以前に自分自身が自分の思ったとおりに動かすことが難しいと感じる方がマイノリティなのかもしれないということです。ちょっとあぶない「寝言」を口走ると、人間そのものが自然であり、極論すれば自分自身が自然だということです。他人を変えることはもちろん、自分自身を変えてゆくこと自体があらかじめ設定した意図どおりにゆくことなど、凡人からすれば稀なことです。こんなことを考えたところで利巧になるわけではありませんが、少なくとも、幸運に恵まれる準備にはなるのかもしれません。もちろん、幸運が一生、訪れない確率がはるかに高いのでしょうが。

 世の中が便利になりすぎたせいか、「かくありたい」ということと現実との乖離にだんだんと付き合うのが現代人にとっては難しくなっているような印象があります。20世紀はイデオロギーがそのような乖離と付き合うための便法をあたえるかに見えましたが、失敗に終わったのは今では明白でしょう。「水からの伝言」が話題になったときに感じたのは、子どもたちに法では律しきれない倫理なり規範を大人が設定することが難しくなっているんだなということでした。「人間も自然だ」というのではなにか行動を律することは難しいでしょうが、少なくとも、その時々にあわせて常識を積み重ねてゆく基本になるのではないかと。

そんなことを仕事の合間に考えている私は単なる天然?
posted by Hache at 03:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
この記事へのコメント
こんばんは。
拙論の意図を汲み取り頂き恐縮です。
そもそも、「海」を通じて物資が当たり前に入ってくるという想定が、危ういような気がします。
相変わらず「福田擁護」の文章としか読まない御仁がいますけれども…(苦笑)。
尚、最近は、老荘の世界に段々、入り込んでいます。「所詮。気張っても仕方がない」と思えば、世の中の事がかなり違った風景として見えてきます。「鬱」というのは、「無用に頑張る心理」の反映ではないかと思います。
Posted by 雪斎 at 2008年07月14日 01:39
>雪斎先生

「正論」の他の論稿がつまらないというわけではないのですが、海洋国家という視点から、原油価格の高騰や温暖化問題への提起として知的な刺激を頂きました。海洋国家としてのこの国の存立という正統の発想と時代に応じた問題提起という点で、「雪斎節」を堪能させていただきました。福田政権擁護というのは思いつかず、どこをどう読めばそう読めるのかはちょっと想像できないのですが。

『老子』や『荘子』は神秘主義と読むことも可能なのかもしれませんが、「弱者」の立場から不条理だらけの世に処する現実性と為政者に謙抑を求めるという点では理想性をもっていると思います。素人なのでいい加減な解釈ですが、人間も社会も自然のようなものだから、そこを出発点にして後はあなたなりに生きなさいとちゃらんぽらんな解釈をしております。

やはり私が好きな一節は「足るを知ものは富む」でしょうか。『道徳経』は今日の道徳とは異なる次元だと思いますが、道徳の基礎を見失った現代人は大変だなと思います。話がそれますが、人間が意図的に設計する自然の加工物や社会制度は脳の産物であることは間違いないと思いますが、その脳自体は人間の意図の産物ではないというあまりに当たり前のことを自覚させてくれると思います。
Posted by Hache at 2008年07月14日 03:40
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