2006年11月27日

種崎浜の悲劇

 ドラマの評価は、こちらをどうぞ。あまりな展開に私も突っ込みのいれようがなくなってまいりました。土佐「平定」のプロセスに詳しくないので、「種崎浜の悲劇」で土佐が治まったのなら、『信長の野望』シリーズでの山内一豊のパラメータは低すぎるのかも。評判の悪いことは、さっさと済ませてしまうに限ります。評判の悪いことをやる覚悟のない為政者ほど迷惑な存在はないでしょう。

 原作では湘南和尚と千代の会話で司馬遼太郎氏は、陰影をつけていますが、種崎事件、あるいは種崎の虐殺は、千代の視点から描かれているので、細かい描写が施されています。司馬氏は、晩年になるほど、この種の愚行に耐えられなくなった印象があります。非難しているわけではなく、統治が「きれいごと」だけでできるのであれば、学者か評論家にでもやらせておけばよい。ただし、評判の悪いことばかりやっていれば、当然ではありますが、統治は長続きしない。このあたりの匙加減を教えてくれないあたりに政治に関する学に少しだけ不満があります。もっとも、このあたりは一般化が難しいことも理解はしております。

 まあ、イラク戦争直前にアメリカによる日本の占領統治、とりわけ言論統制に批判的な方で、イラクの占領統治を危ぶんでおられた方に面と向かってひどいことを言ってしまう、いかれた「外道」なので的外れな話でしょうが。「確かに日本の場合、そこまでする必要はなかったでしょうが、イラクの場合はフセインという重石がとれたら、無茶苦茶になる可能性があるから、言論統制も手段の一つではないでしょうか」。われながら、無神経ぶり、あるいは「外道」さに呆れますが、「アブグレイヴの屈辱」をやっている暇があったら、もっと評判の悪いことをさっさとやっていればよいのにと思ったりします。

 統治を評価するとしたら、うまいか下手か、その中間でどの程度なのかということにつきると思います。 評判の悪いことをやらざるをえない羽目になったら、さっさと済ませて忘れてもらうのも一つのスタイルだろうと。望ましいのは、評判そのものを左右する技量に恵まれた為政者なのでしょうが。まあ、こんな人物はめったにでてこないので、それができないのなら、さっさとやってみんながブーブー言っている間に他のもっと大切なことをやっていれば、みんな飽きてくるでしょう。

 付け足しですが、マニュアル作りがボツになる可能性がでてきて、もはや私の手を離れてしまいました。なんだか気が塞ぐので、「寝言」もサボり気味になると思います。「継続審議」になる可能性もあるので仕上げるしかないのですが、今ひとつ、士気があがらなくなります。別のところに企画を持ち込むという手もありそうなのですが、今週末になってトラブルが発生して、私の手には負えなくなり、上の調整待ちの状態です。私みたいな雑兵にはどうにもならないので、とりあえず仕事を「済ませる」しかしょうがないのですが。

 まあ、そんなこんなで「寝言」も、お湿りがち。時の最果てでの賢者様の「邂逅」も届きましたが、ボツ。それにしても、デフォしちゃった方が楽なんですが、信用に関わるので、これはいくら「外道」でもさすがに。先に書いたことと矛盾するじゃないかと怒られそうですが、普通に市井で暮らしている者がやってはならない話ですので、ご理解のほどを。
posted by Hache at 00:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 気分しだいの寝言
この記事へのコメント
>Hache兄貴、

私は司馬氏の良い読者とは言えませんが、「飛ぶが如く」を読んだとき、薩摩隼人に原日本人的な元気を見出そうとしていたんだろうなぁという前半から、西南戦争での愚かな戦争指導に重点を置いた(少なくとも私はそう読んだ)後半へと読み進めるにつれひどく疲れた思い出があります。そういえばいつか読もうと思っている「ニューヨーク散歩 街道をゆく」は延ばし延ばしにしたまま未だに読めていません。

お仕事の件、どうコメントすれば良いやら。私は毎年改訂の書籍の執筆に参加していたのですが、今年は出版社の倒産と企画の打ち切りとで2つとも無くなってしまいました。本業ではありませんし金銭的にも実害を感じるほどのものではなかったけれど悔しかったですね。知的活動と商業化への見識については私はマルクスよりも孔子の方が好みです。斯に美玉有り匱に韜めて諸を蔵せんか善賈を求めて諸を沽らんか。売る、という選択をする以上は、自分の手に余る状況については開き直って結果を引き受けるしかないのかな、と。

前エントリのコメント欄が盛り上がっていますが兄貴と王子ラヴラヴなのでそっとしておきます。あしたのジョーといえば「撃つべし撃つべしテポドンを撃つべし。日本海をねらい楕円形に弾着するように撃つべし」なる「あしたのジョンイル」という小ネタを持っていたのですが核実験のせいで腐ってしまいました。「我々はあしたのジョーである」と言ってあの国に向かったテロリストもいましたね。
Posted by mitsu at 2006年11月28日 04:25
>mitsu様

司馬さんの作品を評価できるほど、読み込んでいるわけではないのですが、戦国ものでゆくと、小説家として対象に愛がありすぎたのかもしれません。氏の考えたことがすべて活字になっているわけではないのでしょうが、対象を愛するうちに葛藤が生じ、それを率直にあるいは婉曲に表現されるのを魅力的と感じるかどうかで、氏の作品の評価がわかれるのだろうと。

仕事に関しては、ボツも覚悟で進めるしかないかなという感じです。仕事というより、自分の視野を広げるためにやれば、当初ほど苦痛だと感じなくなりました。

王子様の記事からつまみ食いをしているというのが実態でしょうか。mitsu様と王子様の親密さは、麗しきことです。私は、単なる「捨石」でよいのかなと思います。昔から死んで生きるという感覚で生きてきて、歳をとるほど、そのような感覚が強くなってきました。
Posted by Hache at 2006年11月29日 03:10
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