2008年10月17日

将来を食いつぶす現在

 今回の金融危機でサブプライムローンの問題が私の頭の中でとてつもなく小さくなっていましたが、この問題をバカにしすぎていたのかもしれないと感じました。まず、いかれた「外道」にとっては投資信託など論外で、中身も知らずに忌み嫌っています。というのも、お金を預かった側は、失礼ながら所詮はサラリーマンで責任の範囲が限られて、どうせ他人のカネなどいい加減に扱うだろうという偏見で凝り固まっている。もっとひどいことを言えば、元本割れした時点で、商品を買ったときの担当者を変えられて、「困りましたね」なんてしたり顔で言いそうだなんてところまで偏見の目で見ております。そんなわけで、サブプライムローン関連の証券に特化した投資信託が販売されていたとはまったく知りませんでした。お昼を食べながら、世間話のついでに出てきたので、与太話のようなものですが、ネットで不特定多数の方が読める状態ですので、あくまで世間話ですとお断りしておきます。


 サブプライムローン関連証券で組成された投資信託の勧誘は、もう4年前から始まっていたそうです。利回りを聞いて吹きそうになりましたが、なんと10%台。勧誘された方は買わなかったので、その方の記憶とその話を伺った私の記憶(これが一番、危ない)が頼りですが、リスク分散がいかに図られているかを示すように、150前後の金融機関・ファンドの名前が記されていたそうです。これなら大丈夫かなと思ったものの、買わなかった理由は、4年も前ですから今日の事態を予想していたということではないそうで、これって為替リスクがあるでしょと尋ねたら、そうですとの話に当時、円ドル相場が不安定だから、くそ忙しいのにいちいち気を揉むのが面倒で止めたとのことで、なんと申しますか、拍子抜けするほど常識的な判断でした。他方で、この種の投信を買ってしまった方もいるそうで、大半が高齢者の方(1500万円で買った商品が100万ちょっとになったという「破壊力」。もっと大きい金額をつぎ込んでしまったという例もあるそうで、もう伺っていて凍るしかありませんでした)。今の時点でも保有していると、元本の10%もあるかどうかで、私の方が逆に今でも元本の10%もあるんですかと聞き返してしまいました。2004年頃といえば、定期預金でも年利で0.1%もあったかどうか。このタイプの投信はちょっと極端な気もしますが、そこそこ資産がある高齢者の方にとっては魅力的だったでしょう。また、販売する側も新しい金融商品に乗ってハイリスクとはいえ、リスク分散もやっているはずだし、なにより顧客を開拓するフロンティア精神をもっていたのかもしれません。

 表現が悪いかもしれませんが、アメリカの住宅価格の下落が生じる手前で漸く日本にもそのおこぼれが回ってきて、邦銀が魅力的な商品を欠いている状態で、全体としてどの程度、このタイプの投資信託を買った方がいるのかはまるでわかりませんが、おカネの出し手と受け手の思惑が一致してしまった(あるいは一致すると両者とも思い込んだ)悲劇でしょう。想像にすぎませんが、この種の投信がすぐに不幸を生んだわけではなく、おそらくは3年近くは高いリターンを吐き出してしまった。高い利子をもたらしてくれる預金の感覚だったのが、実態は賭場のど真ん中におり、しかも取り返しがつかないほど負けが込んでいる状態だと気がついた頃には、既に降りるに降りられなくなって、現在に至ってしまう。不謹慎なことを言えば、特定の人が負けこんでいる状態であればまだしも、賭場がそれ自体の重みで潰れかかっているのが現状でしょう。

 困ったことに、この「賭場」に限っては、無闇な閉鎖の仕方をすると、他の建物までも破壊するようにできており、最終的に「再生」するにせよ、「解体」するにせよ、あまりに払わなくてはならない代償が大きいでしょう。笑ってはいけないのでしょうが、いやまだまだ相場を張れるガッツのある奴がいるはずだとか(羹に懲りて膾を吹くとは言いますが、喉がやけただれている状態で熱湯を飲もうというのは○Mなのか、はたまたド○なのか?)、いやいやカモになっていた連中だってそこそこ潤っていたのだからざまあみろですよとか(あからさますぎる責任転嫁……)、まあまあカモにされていた人たちが困窮するのは地球に優しいことだとか(もはやコメント不能)、まだまだ、この国では痛いと感じる神経が何本も抜けているご様子。上記以外の日本を代表する頭脳はさすがにマシだと信じたいものです。

 実際に対応に追われている当局の動きを見れば、「賭場」のみを切り離して解体することができず、「解体費用」を世界中に分散して痛みを和らげましょうというのが精一杯というところでしょう。「国際協調」で日本もその一翼を担うことが確定したといってよいのでしょう。しかも、「賭場」が勝手に潰れるまで待つよりも、多少マシになるかもしれないという程度にひどい話でしかなく、今後は俺のせいじゃない、負担は嫌だという話がメインになっても不思議ではないでしょう。金融市場の繁栄による恩恵は大半の人にとっては間接的ですが、金融市場の「崩壊」による費用負担は直接的な話なので、やむをえますまい。

 簡単に言えば、金融機関は利益を追求して他の経済主体にも恩恵をもたらしたものの、やりすぎて自壊した。金融市場がまったく崩壊しては経済が回らないので、金融市場を構成する経済主体とは目的が異なる公的部門が介入することで、実際にはボロボロになった金融市場を無理やり機能させているのが現状でしょう。「暴走」するのは軍に限らず、金融機関も同じ。「過ぎたるは及ばざるが如し」とはいうものの、「足るを知る者は富む」を実践するのは本当に難しい。やりすぎた金融機関にかわって政府と中央銀行が事実上、仲介機能を果たしているのが現状でしょう。金融市場はある特定の時点でのという意味で水平的な資源配分の効率にかかわるだけでなく、異時点間の資源配分の効率に関わるだけに、なくしてしまうわけにはゆきません。事実上、この機能を公的部門が肩代わりしている状態は、社会主義と揶揄されようが、代替的な手段はほとんどないでしょう。

 問題は、民間の金融機関がやりすぎたように、中央銀行や政府がやりすぎることがないという保証はどこにもないということでしょう。財政赤字が膨大にふくらむだけでなく、中央銀行のバランスシートも滅茶苦茶になりかねない。今、行われていることは、サブプライムローンと同じ程度に将来を犠牲にして現在で富を食いつぶしていることだということを忘れてはならないでしょう。必要なことは、現時点でできるのは、将来が絶望で覆われる程度を和らげる程度のことであり、その程度でさえ、少しでも軽くすることが現在世代の責務だという覚悟でしょう。
posted by Hache at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 不幸せな寝言
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