2008年11月24日

ボエティウスの「最後の努力」 宗教と科学の関係あるいは無関係

 いつも土日はヨレヨレの状態なのですが、この週末はひどいもので、本を読んでも頭に入らず、ボーっとゲームをやり始めたら、とんでもないミスを連発する始末。世の中は連休のようですが、業界では連休を認めない方向にありがたい指示が間接的に所轄からでているので、なんとか調整をしなくてはなりません。連休中だというのに、銀行のATMでさえお休みでいいご身分だなあと思ったりしますが、まあ、バカな規則ばかりつくってくださるので、ありがたい限り。文句ばかり言っていてもしょうがないので、お仕事、お仕事!


 ルーベンスタイン『中世の覚醒』の第1章を読みながら、この本は外れかなと思っておりました。プラトンは神秘主義者でアリストテレスは師匠の考えを受け継ぎつつも、合理主義的な思想を展開したという時点で、素人にはそんな単純な話かなあと。さらに、プラトン、というより新プラトン主義は神秘主義的であるがゆえに世の中が乱れているときに受け入れやすく、アリストテレスは現世で理性による調和をとくがゆえに比較的、安定した時期に影響力をもつという、アメリカ人の一部の素朴な「合理主義者」の図式は私には難しすぎる。プラトンとアリストテレスが師弟関係にありながら、おおいに相違があるというのはごもっともですが、どちらも普遍への憧れを二人の個性の違いによって表現のスタイルが異なるのでしょう。別に、プラトンが語るソクラテスが始めたわけでもない。ターレスが「万物は水である」と考えたときに、既に普遍への問いが始まっている。この「水」を蛇口からひねる水と考えても間違いではないのですが、世界を包括的に理解しようという問いは古代から始まり、現代でも決着がついたとはいえないのでしょう。

 『中世の覚醒』という翻訳のタイトルで先入観をもってしまいましたが、原著のタイトルである、Aristoteles's Childrenの方が本書の内容にしっくりきます。Rubensteinの射程がいまだにつかみきれないのですが、序章や第1章を読み飛ばせばよかったと、ちと後悔。合理性、あるいは普遍への終わりなき探究は起点を探すのも難しく、アリストテレスを起点とするのも、方便の一つなのでしょう。

 第2章には入ると、本題である「『レディ・フィロソフィ』の殺人――古代の知恵はいかにして失われて、ふたたび見出されたか」よりも、東ゴート王国におけるボエティウスの描写が興味深いです。この時代の全体像は塩野七生『ローマ世界の終焉 ローマ人の物語XV』が読みやすいですが、ボエティウスの描写は淡く、テオドリックとカシオドロスの関係が主旋律になっています。ボエティウスが政務の傍ら、著述に多くを割いた背景の解説が興味深いです。

 かつてローマ帝国の支配下にあった西ヨーロッパの諸地域では、古典の学問は衰退する一方だった。由緒と教養を誇る貴族階級が凋落し、東方ギリシア世界と西方ラテン世界の文化的断絶が広がるにつれて、ボエティウスやカッシオドルスが受けたような教育はほとんど行われなくなっていた。ゴート族は曲がりなりにもラテン語を学んでいたが、ラテン民族はギリシア語を忘れようとしていた。旧来の教育を受けたローマ人は例外なく、プラトンやアリストテレスその他のギリシアの思想家の著作をギリシア語で学んでいたので、従来はこれらの著作をラテン語に翻訳する必要がなかった。それゆえ、ひとたびギリシア語の読み書き能力が失われたら、哲学や数学や医学や工学や科学全般の知識も同時に失われ、西ヨーロッパ社会が壊滅的な打撃を受けることになりかねなかった。さらに、いやしくも教育を受けたエリート層がギリシア語を読めなくなり、ギリシアの古典について何も知らなくなったら、キリスト教思想もまた危うくなるだろう。なぜなら、ほとんどの教父はギリシア語で著述をしており、聖アウグスティヌスを筆頭とするラテン教父たちでさえ、新プラトン主義の思想に啓発されていたからだ。こうした状況に危機感を覚えて、ボエティウスはみずから難事業に取り組むことを決意した。「手に入るかぎりのアリストテレスの著作と、プラトンの対話篇すべてをラテン語に翻訳しよう」と。このほかに新プラトン主義の主要な著作も翻訳して、ギリシアの二大哲学者が根本的な問題の多くについて見解を同じくしていることを示そうと、ボエティウスは心に誓ったのだ(106−107頁)。

 ローマ世界の崩壊がもつ意義は、第一義的には「パクス・ロマーナ」なのでしょうが、統治のあり方と結びついた文化の危機でもあったという叙述です。104頁には「ボエティウスに課された任務の一つは、東ゴート王国政府を『ローマ化』することであった」とあります。統治と文化は、それぞれ独自の論理で動いているのでしょうが、文化は意図せざる結果として統治者を育む役割を果たし、統治はそれ自体が目的ではないにしても、適切に機能すれば、文化を保護する役割を果たすのでしょう。文明を構成する諸要素は多様ですが、ローマ文明の崩壊期を、やや哲学や思想に偏っている印象はありますが、描写することによって、統治と文化の意図せざる関係が描かれている印象をもちました。

 ボエティウスの『哲学の慰め』を読んだことはありませんが、陰謀によって投獄された人物の単なる慨嘆ではないようです。神の摂理として示される決定論と人間の自由意志へ迫った著作のようです。宗教がスコラと揶揄されようと説明を欲するのと裏表に普遍を求める精神も人間の生き死にと切り離すことはできないのでしょう。通常は、そのような関係は極限状態でしか意識されることはないのでしょう。現代のように、科学が生き死にの問題と切り離されていることは、生活水準の向上をはじめ、驚くべき成果をもたらしましたが、誰しもやってくるであろう死の前に私自身、子どものときから、もっと素朴に感じていた問題なのだと想起したような気分です。

 また、興味深いのは、ローマ帝国末期にキリスト教が国教とされた後もギリシア文明との連続性があったという指摘です。「狂信」がギリシア文明の影響を抹殺しようとして起きた「レディ・フィロソフィ」の殺人は瞑目しながら読むしかないのですが、東ゴート王国では、キリスト教ですら、ギリシアの古典なしでは成り立たなかっただろうという指摘は非常に興味深く感じます。三位一体説をめぐる議論は私にはついてゆけないのですが、まだこの時期にはギリシア・ローマ世界の人間中心の文化とキリスト教は完全に分離していなかった部分があるのでしょう。ユスティニアヌスによるイタリア半島征服は宗教的な情熱と征服欲の混合によるものだったのでしょうが、結果として、イタリア半島は安全を完全に失うと同時に、ローマ世界は終焉を迎えたのでした。それはキリスト教による人間中心の文化の一時的な休眠であると同時に、地中海世界が今日まで分裂する始まりとなったのでしょう。 
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