2008年12月14日

意地の悪い神様

 土曜日にCATVチューナーに付属のHDDレコーダーを整理しようとつけたら、竜王戦第6局2日目の録画をしていたことに気がつきました。将棋自体は、素人目には大差で渡辺竜王の勝利でした。53手目▲2五飛の時点で例によって2筋が駒柱寸前で、羽生名人の駒の働きが今ひとつな上に、先手陣は飛車を渡すと一気に危ない陣形なのに飛車が質駒というのはあまりにつらい。第4局でも駒柱一歩手前の形を羽生名人が選びましたが、途中が難解なので素人の浅知恵にすぎませんが、どうも駒の働きが悪い形を選択して負けているような。ただ、34手目の△3一玉を見れば、自然と2筋に手を伸ばしたくなるもの。ある程度、そのあたりを渡辺竜王が読んでいたなら、序盤で作戦勝ちなのでしょう。34手目はBSの野月七段の解説では新手とのことで、▲6五歩もあるそうですが、あえて先手に攻めを催促させる感じで、ふてぶてしい感じです。▲2五歩は感想戦の中で羽生名人が自重した感じですねと呟いていたのが印象的でした。先手の攻めが決まらなければカウンターをお見舞いしますよという感じで、その注文どおりの将棋になってしまった感じ。

 将棋自体があまりに早く終わったので、2日目の午後は対局前のインタビューまで紹介していました。渡辺竜王が若いのと性格もあるのか、元気がいいなあという感じでした。羽生名人はいつも通りという表現をいつも通りに使っていて、NHKのアナウンサーが本音がつかめないですねえとぼやいたあたりは、メディアの人とそうじゃない人は違うんだなあと。渡辺竜王の方は第3戦まで3連敗でしたから、生きた心地が無く、ダメモトから2連勝して意欲が復活してきたという感じですが、羽生名人はこんなもんだろうなという感覚でしゃべっている感じで、しいて言えば、少しだるそうな感じ。たぶん、本音を言わないとしたら、風邪か体調が今ひとつだというあたりを話さないところぐらいじゃないかなと。棋譜のコメント欄にも食欲がないことや寒がっていることから、体調を崩しているんじゃないかなと。40も近づいてくると、よくあるのではと思ったりします。ただし、そういうことを言ってしまうと、プロとしては話にならないので、言わないでしょうが。二人とも番外戦術という世代ではないでしょうから、あまり付加読みしない方がとも思ったりしますが。

 『読売』がご丁寧なことに、麻生首相が野党のヤジに皮肉で反撃したと書きながら、また漢字の誤読をご丁寧に報道していて、もし擁護したいのなら、あえて無視した方がよさそうですし、手の込んだ政権攻撃だとしたら、脱帽ですね。最近は、漸く、麻生首相のリーダーシップを損ねることが国益に反すると使命感に燃えている方が記者さんにもいらっしゃるでしょうが、既に時遅し。もともと、2007年の参議院選挙から、衆議院選挙をへずして自公政権内で2回も総理が交代してしまったので、収拾がつかないのが現状でしょう。年下と雑談しているとハッとさせらることが多いのですが、「選挙はいつなんですか?」という質問にはびっくり。失礼な話ですが、20代は選挙に行かないだろうと思っておりましたが、世代間の比較であって、興味を持っている人はもっているのだなあと。ポツリと、「もう麻生さんに事実上、解散権はないかもしれない」と呟くと、今度は向こうがびっくりしていました。

 勢いがあれば、来年9月の任期満了まで引っ張っる構えで、積極財政というよりは金融とセーフティネットの整備を行って解散という手もあるでしょうが、そんな勢いを感じず、今回の税制大綱で内閣がバラバラだというのがはっきりしてしまえば、事実上、死に体でしょう。現状で解散総選挙をやっている場合なのかという感覚もありますが、民主主義といっても、数年に一回、代表者を選ぶだけですが、その機会すらなく、与党の都合で安倍政権から福田政権、福田政権から安倍政権とコロコロ変わっているわけですから、レベルの低い揚げ足取りが増えてくるのも、それなりの理由があることをプロほど忘れがちなのではと思います。小泉政権から安倍政権の場合には、苛烈なまでの結果が参議院選挙で下りましたが、結果として衆議院で与党が3分の2を占めいていることが不幸だったとも見えなくはないですが。要は、いまの衆議院とそこで選出された総理には自分たちの代表者であるという感覚が有権者にないので、ちょっとしたことをきっかけに支持を失ってしまうという事情があることを忘れると、メディアに踊らされる有権者は「愚民」だとしか映らないのでしょう。

 他方、アメリカのビッグ3の救済が目に付きますが、もはや国内の短期金融市場はアメリカと同じく異常な状態で日本政策投資銀行がCPを買い取るという非常事態。細かいことはまるでわからないのですが、日銀が公開市場操作で吸収できないレベルまで来ているわけで、景気対策よりも金融市場の安定化に本腰を入れないと、大変な感じです。グローバル化の次元を大雑把にヒト・モノ・カネでわけてしまえば、私自身は長期で最も厄介なのはヒトだろうと思いますが、カネのグローバル化は範囲が広いだけでなく、ある国での変化が他国へ及ぼす速度が最も高く、アメリカが揺れれば、日本や中国に激震が走る。物事を政治から捉えるヒトにはわからない感覚でしょうが、経済というのはある程度の経済主体の数が参加してしまうと、自然現象のようなもので、政治などとは異なって、感情を排して突き放して見た方がよいと思います。

 なおかつ心得ておくべきは、自然現象、とりわけ物理学や化学のような精度をもって規則性なり法則性が存在するのか自体がかなり曖昧な世界だということでしょうか。あるいは、経済における法則性とはなにかということは相当、曖昧だという感覚が必要だと思います。こんな時期に暇人の「寝言」ですが、喧々諤々のマクロ経済政策論争をやりたい人はいくらでもいるでしょうから、経済における法則性とはいかなるものなのかということを問うとはいかなることなのかということを分析する人がいてもよいだろうと。百年に一回の危機ですから、目先のこと、それとはまるで異なるように見えること、それぞれを考える人がいてもよいだろうと。すぐにタコツボ化して、役に立つとか立たないとか、どちらが高尚かとかタコツボ通しの見苦しい争いが起きるこの国では無理でしょうから、海外からの情報に目が行ってしまうのが率直なところです。

 Hart and Zingalesの論説をとりあげたときに、「市場の失敗」という表現を用いましたが、「市場の欠落」の方がよいのかな。放っておけば、不動産価格の下落によって自発的な再交渉が行われる市場が存在しないわけですから、そのような市場が形成されるように政府がイニシアチブをとる必要があると彼らは論じているわけで、いわゆる「自由放任」ではなく、市場と政府の関係をあらためて見直してゆく流れになるのかもしれません。具体的な問題と抽象的な思考は別の世界だと感じる人は、やはりどちらの問題についても捉えることができないわけでして、現状では先のことを予測できるのかは、水晶玉で占うのと大して変わらない印象です。

 それにしても、2人交互手番ゲームですらこれほど奥が深いんだなあと、竜王戦七番勝負を見てしまいます。後手を引くように見える手が相手の形を決めさせる効果をもつ。将棋の話をそのまま、別のことに持ち込むことはできませんが、これだけ相互依存が多様なレベルで決まる世界では、既にある変化が起きたら、他の状態が既に変化していて、私たちが見ているのはそれが知覚されるプロセスにすぎないという変な感覚をもってしまいます。なんとも、自分でも頭がいかれているなあと思いますが、神が世界をつくり給うたのなら、ずいぶんと意地の悪い神様だったのではと首をひねる毎日です。
posted by Hache at 09:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 気分しだいの寝言
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