2009年07月09日

「五者会合」という提案 日米韓の連携強化と米中関係重視の葛藤

 40代が目前になると、体がついてこない一方、責任はそれなりには増えます。まるで売れない「芸人」のようなものですが、それでも仕事は算術級数的に増える一方、能力は低下するばかり(売れる方は仕事が幾何級数的に増えてゆくので、無能であってよかったとホッとします)。いつ暇ができるのかは疑問ですし、率直なところ、国際情勢を見ている方がおもしろくなってしまうときもあるので、本業が疎かにならないように自分用のメモです。

 『世界の論調批評』の「五カ国協議」は(2009年06月26日 参照)これが対北朝鮮外交の基本に据われば理想的だなと感じるよい知らせです。『世界の論調批評』は公表された日付に合わせて投稿日を記されているようなので、私が見たものと日付が異なるのが気になりますが、"No Illusions: Regaining the Strategic Initiative with North Korea"(参照)が該当する文書でよいのかなと。アフガニスタン情勢やイラン情勢がよりプライオリティが高いとは思いますが、既に本業も戦線が伸びきっており、新疆ウィグル地区の問題までくると、ウォッチするだけで無理があるので、情勢が明確になる、あるいは混沌とするまで放置状態です。ちなみに、原文を読んでいないので、いい加減な話ですが、日米韓の同盟関係を基軸に対北朝鮮戦略を構築するという私には最も現実的な選択肢と映る話がでてきてホッとします。

 『世界の論調批評』の要約で気になったのは歴史的対立まで踏み込むのは後回しでよいというあたりでしょうか。これは紛れる可能性があります。五者会合の実現可能性は低いという評価は同感ですが、この戦略の基本は日米韓の連携を対北朝鮮政策の根幹に据えるという点にあると理解しているので、問題は、五者会合が実現するか否か(もちろん実現すればベストですが)という問題よりも、日米韓で戦略が共有できる環境を整えることが最優先だと感じます。日本外交、正確には首相官邸のリーダーシップの欠如が足を引っ張る可能性が高いでしょう。

 率直なところ、古森義久さんのブログで配信されていた「『日本の核武装で東アジアは安定』――アメリカの有力評論家が提言」(参照)を拝読して嫌な気分になりました。メモとはいえ、他人の目に触れますから念のために記しておきますが、古森さんは信頼しているジャーナリストのお一人ですし、この記事のスタンスが気に入らないということではありません。また、核武装自体が生理的に嫌だという問題でもありません。単純に、米国が中国を説得する手段として日本の核武装を持ち出すこと自体、日本人として不快感を感じます。アメリカにとっての極東の戦略環境を操作する変数として日本の核武装を論じるというアメリカの知識人に嫌悪感を覚える部分もあります。そうまでして中国の北朝鮮への影響力を行使させようというのは倒錯した印象すらあります。そこまで日本に対してアメリカが要求するのなら、核兵器製造に要する実証実験の結果を始め、あらゆるノウハウをアメリカ側が提供するのが筋でしょう。そうでなければ、一方的にアメリカの拡大抑止から外されるリスクを負わされる上に、核武装をするか否かという日本人自身が決めるべき安全保障政策の転換までアメリカに指図されるというのは、反米ナショナリストではありませんが、お断りしたいというのが率直な感想です。

 他方、五者会合というアイディアが象徴する日米韓の連携強化も、決して容易ではないでしょう。なにしろ、この国の政治的指導者は日本の役割強化を期待するアメリカ人を失望させる名人ですからね。七夕に掲載された岡崎久彦さんの「正論」にある次の表現を拝読して思わずため息をついてしまいましたから。「私が心配するのは、いつまでもこんなことをやっていると、日米同盟強化(日米関係では正確には日米安保体制から日米同盟の構築でしょうが)のための日米間の戦略的対話ができないということである」。「そこで私が心配するのは、日本が戦略対話の無能力者であるためにせっかくのアメリカ側の好意的姿勢に応えられないことである」。今後、十年間は極東をめぐって日米韓の同盟関係強化と米中関係という二つの基軸をめぐる葛藤が続くのでしょう。


 新疆ウィグル地区における住民反乱のおかげで、とりあえずメモしておこうと考えていたことは後回しになりました。『産経』の宅配を止めてから、自宅では新聞もテレビも見ずに、職場で『日経』を読む以外は(正確には『日経』の記事で不正確な印象を読者に与える記事を探してめしの種の一つにしているのですが)、ネットでちょこちょこ読む程度です。それでも、やはり欧米の景気回復が期待できないので、中国を中心とする新興国の景気回復へ過度に期待がかかっていることが気になります。6月中旬頃でしたか、『日経』の左上ですら、過度の期待を戒める趣旨の連載もありましたが、やはり短期の話がメインで、中国経済の長期的な見通しに関してはあまり読むべきものがなかったと思います。

 あまり自信はありませんが、向こう1年の予想は困難ですが、10年程度ならむしろある程度、大雑把なトレンドは予想できると思います。端的に言えば、非常に大雑把ですが、一人当たりGDPが3000−4000ドル前後が中国経済のピークでその水準から成長するのは難しいのではないかと。世銀データでは購買力平価では既に6000ドルを超えていますので、Atlas methodによる推計値での水準です。ただし、どのあたりで経済成長の壁に直面するのかをモデルにもとづいて計算したわけではありませんので、3000−4000ドルという水準は感覚的で、旧ソ連圏のウクライナあたりが限界かなといういい加減な感覚です。

 古典的な経済成長理論では、経済成長は、(1)労働投入、(2)資本投入、(3)技術進歩などで決まりますが、最近では再生不可能資源の問題なども注目を集めています。中国の成長にとってボトルネックとなるのは、水と食糧だというのが、現段階でのいい加減な判断です。昔、谷口智彦さんが「エクスプロア中国」で上海の水問題と草の根レベルでの改善を取り上げていましたが、その後、改善したという話を聞いたことがなく、さらに水資源の不足している江北ではどうなんだろと。また、『日経ビジネスオンライン』でも注目されていた「悲鳴を上げる中国農業」(参照)を読むと、農業における生産性向上を十分に経験しないまま工業化の段階へ移行し、工業化にともなう環境汚染が農業にも影響を与えている可能性があるのだろうと。十数億の人口が平均的に所得水準の上昇を経験するわけではないのでしょうが、工業化のプロセスは都市化のプロセスという生活様式の変化と切り離せないわけでして、水と農業というのはおそらく中国の経済成長のアキレス腱になるのではないかと。実証的な裏づけが希薄ですので、「寝言」そのものですが、当座はともかく、10年程度で考えると、中国の経済成長へ期待するのは幻想に過ぎないという感覚があります。

 それにしても、最近、信頼していた惣菜屋の素材が徐々に劣化して、これって中国産のシイタケかなと疑惑の目で見ざるをえないものが増えているのが悲しいです。帰宅途中でスーパーに寄ったら、麦茶の煮出し・水出し兼用のパックが52パック入りで98円だったのでびっくりしたら、原産地が中国でした。毎日、飲むものにカネを惜しまない人には30袋で500円でもよいので、国産にしてほしいものですが。話が完全にそれましたが、1日に3.5ℓほど麦茶で水分を補給する身には最近の安ければよいという風潮には勝てず、つらい日々です(伊○園の麦茶は大麦の原産地がカナダで日本国内で焙煎しているようですが裏をとっていないのでちょっと不安なんですよね)。
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