2007年01月25日

安倍政権への不安

 『中央公論』を読みながら、ちょっと違和感を覚えてしまいました。主に御厨先生と雪斎先生の論文なのですが、素人目には誤ったことは書かれていないように思いました。御厨先生は、ばっさり戦後保守政治を素人にもわかりやすく、「無思想」の政治と断じて安倍政権の「異質性」を論じられています。雪斎先生は、安倍総理がタカ派であり、現実政治ではタカ派の信条だけではうまくゆかないから「フクロウ」たるべしと論じられています(乱暴すぎる読み方ではありますが)。「エコノミスト」(あえてかぎかっこをつけるのは、特定の分野のスペシャリストというより情報の「総合商社」というイメージが拭えないからですが)のかんべえさんが経済学に唾をはきかけるのはどうかと思いますが、学者先生がおっしゃっていることは正しいのだけれど、教えてほしいところをなかなか教えてくれない、なんともいえないもどかしさを感じてしまいます。

 簡単に言えば、私が安倍政権に期待しているのは、日米同盟の双務性を高めることと憲法改正です。で、なんでこんなことを期待するのかといえば、安倍総理の「理念」に共鳴するというよりも、露骨に言えば、その方が日本の安全が確実になるという「損得勘定」が理由です。私自身は、理念で政治を論じるほど気高い人間ではないので、ある政策を実施した際にどのような利得、あるいは損失が生じるのかに興味が向いてしまいます。この点では、良くも悪くも、御厨先生のおっしゃるとおり、戦後世代なのかもしれない。私の気になるところは、(1)この利害計算が妥当なのか、(2)利害計算が妥当だとしても実現可能なのかどうかという点にあります。だから、このお二人を批判するつもりはなく、ただ関心があまりに違っていることに驚いてしまう。このあたりは、私がど素人だから、こんな乱暴なことを考えてしまうのでしょうが(念のために申し上げておきますが、かんべえさんよりもプロの怖さを私を存じておりまする。まあ、あれだけいろいろ見えてしまうと、他人がバカに見えてしまうのかなあと思ったりもしますが)。

 実現可能性という点に関して言えば、(3)政策を実現するとしてどのようなリーダーシップが必要なのかという問題があります。これと安倍総理のスタイルが合致しないと、仮に政策が望ましいものであっても、実現可能性には疑問符がついてしまいます。余計な先入観をもたずに、文字通り読んで頂きたいのですが、安倍総理のリーダーシップは私にはよくわかりませんでした。理由は単純で、政権が発足してから半年もたたないので、まるでわからない。この問題で、副会長さんがずばり怖いことを書かれていて、考え込んでしまいました。実は、私は安倍総理は小泉前総理以上に「丸投げ」をするタイプだと思い込んでいましたが、実態はどうも違うらしい。これが実はかなりショックです。これがなぜ「ショック」なのかを説明するには私の能力が追いつかない部分がありますが。

 「丸投げ」というと、どうしても「官製談合」に絡む業界のイメージがあって、よろしくないように響きますが、現行憲法では総理大臣に国務大臣の任命権があるのだから、ある程度までは任してしまって、あとはどのように成果をだすようにインセンティブを与えるのかは、当たり前ではありますが、憲法には書いておらず、総理大臣のパーソナリティによる部分が大なのだろうと思います(素人って言いたい放題でいいご身分だわねと自分でも思いますが)。小泉前総理は、丸投げの名人であったというと、批判のように響くかもしれませんが、私にしてみれば、最高の「賛辞」です。総理が一人でなんでもこなさなければならないのなら、国務大臣を置く意味がない。小泉総理の凄みは、あの麻生さんを総務相として「三位一体改革」で雑巾のように使いこなしてしまった。大元は抑えた上で上手に丸投げをするのが総理の仕事であって、小泉政権での例外は郵政民営化の最終段階と靖国参拝ぐらいでしょう。

 私の不確かな記憶ですが、塩野七生さんが『文藝春秋』で小泉政権発足直後にカエサルとアウグストゥスの対比を使って、小泉前総理はアウグストゥス・タイプのようですねと書かれていたように思います。失礼な話ですが、カエサルの前にはたいていのまともな政治指導者はアウグストゥス・タイプとなるんじゃないかと思うのですが。そうじゃなかったら、愚劣な独裁者で終わるのが関の山という気がします。しっかし、『ローマ人の物語』を書き終えられて、そろそろ弱ってこられたかと思いきや、「高嶺の花」は遠いわねと『文藝春秋』を読みながら、ため息がもれてしまいました。

 …。話がそれましたが、1月21日の『サンデープロジェクト』を見ながらで「かんべえさん、今なんかヤバイことを口にしませんでした?」と思いましたが(元々渋面だった茂木さんの表情がこわばったように見えました)、どうも「ヤバイ」らしい。安倍総理が外遊している間に閣僚から訳のわからん発言が飛び出してくる。現段階では杞憂かもしれませんが、安倍総理が「丸投げ」が上手でないとすると、期待を修正せざるをえないと思います。極論すれば、安倍総理がこれだけは実現したいということ以外は、「真空」でよいというのが今日の「寝言」です。冒頭で「違和感」を表明しながら、実は雪斎先生の記事と同工異曲(ただし替え歌はまだまだ「お試しコース」ですよん)なんですけどね。もちろん、「同工異曲」というのは雪斎先生に失礼千万な話でありまして、「これだけ」というところを明示するより、「これだけ」以外のところを「丸投げ」してしまった方がいいでしょという、粗雑な話なんですが。

 話が急に展開しますが、小渕政権のようなリーダーシップが現況では政策を実行するのに好ましいと思います。小渕政権の政策は、とりわけ経済政策は問題が多かったように思います。2000年頃の好景気を「小春日和」なんて「寝言」をこいていました。しかし、政策を遂行する手法としては優れた面が多い。小渕−野中という組み合わせは、批判も多いでしょうし、私も批判的でしたが、手法としては驚くほど融通無碍でした。小泉政権でも小泉−竹中というラインが存在しました。政権が発足してまだ日は浅いので、あくまで「不安」にすぎませんが、今のままだと、すべてを安倍総理がやらなければならず、やるべきことが山ほどある以上、なにもできずに終わってしまいかねないという危惧を、ちょっとだけですが、もったりします。うまく言えないのですが、生真面目すぎるのが安倍総理の不安材料というのは「寝言」というより「たわごと」かしら。
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