2009年09月10日

オバマはアフガンに沈む(続き)

 言い訳から始まる文章はすべてといってよいぐらい悪文です。「オバマはアフガンに沈む」というタイトルに疑問符をつけるか否かでずいぶんと迷いました。無責任な話ですが所詮は「寝言」ですから、たいていはためらわずに疑問符をつけます。あえて断定した形にしたのは、予測や予言のような構えた気分ではなく、Haassがとりあげていた2009年8月17日のオバマの演説を読んでいて、重苦しい気分になったからでした。この演説にいきなり飛びこむのが名文でしょうが、悪文ばかり書く「時の最果て」ですので、まったく関係のないところから考えてみましょう。

 塩野七生さんの『ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV』(新潮社 2005年)には、「カティリーナの陰謀」に関する元老院における討論でのカエサルの弁論が収録されています。「社会の下層に生きる下賤の者ならば、怒りに駆られて行動したとしても許されるだろう。だが、社会の上層に生きる人ならば、自らの行動に弁解は許されない。ゆえに、上にいけばいくほど、行動の自由は制限されることになる。つまり、親切にしすぎてもいけないし憎んでもいけないし、何よりも絶対に憎悪に目がくらんではいけない。普通の人にとっての怒りっぽさは、権力者にとっては傲慢になり残虐になるのである」(119−120頁)などはどこぞの島国の選良に百回ぐらい音読させたいところですが、吹けばとぶような島国は今回の「寝言」の対象ですらありません。有名な部分ですが、意外と読まれていない印象もあるので、やや長めに引用してみます。私よりも2歳ほど下の年齢で人間という不可解な存在にこれほど洞察をもっていた人物は見当たりませんので。

 どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった。だが、権力が、未熟で公正心に欠く人の手中に帰した場合には、良き動機も悪い結果につながるようになる。はじめのうちは罪あること明らかな人たちを処刑していたのが、段々と罪なき人たちまで犠牲者にするようになってくる。
 スパルタ人は、アテネに勝ったとき、アテネ人に三十人の圧制者による政治を強要した。その三十人は、反体制派とされた人々を、裁判もなしに死刑に処した。アテネ市民はそれを見ながら、処刑された者たちは極刑に値したのだと言って歓迎した。ところが、三十人の圧制者たちによる処刑は、少しずつ増長し、罪なき人まで捕われ、裁判もなく処刑されるように変わる。恐怖が市中を満たし、市民たちは自分たちの浅はかさを、奴隷と化した現状でつぐなわされたのであった(121頁)。


 弁論にせよ、学問にせよ、どこかで根本に「嘘」、あるいはより上品な表現をすれば虚構を前提とせざるをえないのでしょう。自分の弁論や文章に嘘があることにどれだけ自覚的に耐えられるのかが、本来の意味での知識人の最低ラインだと思います。進んで、「嘘」を前提にしなければ描くことができない「真実」というものがあるということをどれだけ自覚的な営為としてできるのか。ガリアを征服し、『ガリア戦記』を残した人物を知識人として評価するというのは非礼そのものでしょうが、滅多にお目にかかることができない本物を活字のおかげで、少なくとも残した影だけは追えるというのは幸福な時代だとも思います。もっとも、自らを筆頭に現代では人物が小さくなっていることを実感しなければならないという点では大いに不幸になりますが。

 愚痴にならないうちにオバマの演説に話を戻しましょう。カエサルと対比しようというわけではなく、行動する人として、やはりオバマの演説も毎回、「嘘」が根本にあります。わざわざカエサルの弁論から始めたのは、この国の人の大部分は「嘘」というものの役割にあまりに無頓着で、オバマの演説に「嘘」があるというだけで、ああ、こいつはオバマをうそつき呼ばわりしているのだなという感覚をもつだろうと感じるからです。プラトンが作品で示したように、「嘘」がないところに「真実」などどこにもないという伝統から遠い国ではやむをないのではありますが。ちょっと不謹慎な話ですが、イタリアの首相が「オバマは日焼けをしている」と言ったとき、人種的な偏見がなければ同感だなあと思いました。

 率直なところ、2008年11月に初の黒人大統領誕生といってもピンときませんでした。経歴を見れば見るほど、肌の色が黒いだけで、白人でもおそらく多くは羨むような典型的なエリートとしか映らなかったからです。もちろん、そのような感覚があまりに表層的であることぐらいは理解しておりますが、就任以前は演説を聴いても巧み(やはり頭のできが違う)だなとは思っても、人物としてはどうなのかはわかりませんでした。マケインとの公開討論の第1回だけ聴いて、どちらに転んでも大変だなとは思いましたが。

 就任演説が期待よりもよかったので、ホワイトハウスから届くメールを毎回、目を通しておりました(首相官邸メールマガジンは30秒で斜め読みして削除していた非国民です)。この1ヶ月ぐらいは私がうっかりしているだけかもしれませんが、メールが届かず、国内がゴタゴタしていて目を離していたら、この演説("Remarks by the President at the Vetrans of Foreign Wars Convention" (参照))も見落としていたという状態です。Haassが指摘した部分は下記のとおりです。

  As I said when I announced this strategy, there will be more difficult days ahead. The insurgency in Afghanistan didn't just happen overnight and we won't defeat it overnight. This will not be quick, nor easy. But we must never forget:This is not a war of choice. This is a war of necessity. Those who attacked America on 9/11 are plotting to do so again. If left unchecked, the Taliban insurgency will mean an even larger safe haven from which al Qaeda would plot to kill more Americans. So this is not only a war worth fighting. This is a -- this is fundamental to the defense of our people.


 強調は原文にはなく私がほどこしました。冷戦期から説き起こして6年間、イラク戦争を戦い抜いた人々を讃え、オバマの"strategy"を述べた上で上記の部分がでてきます。戦略といっても、イラクから兵力をアフガニスタンに移してアルカイダとその同盟者を叩くという、これまでも述べられてきた話です。その是非も無視できない、本質的な問題ですが、ポイントは、やはり強調部分です。オバマは明らかに「嘘」を述べていて、それはHaassが述べている意味での倒錯(アフガンでの軍事作戦は"was of necessity"の一つではなく"wars of choice"だという批判)という意味だけではなく(本当は切り離すこと自体無理がありますが)、大統領が"war of necessecity"だとコミットすることによって、賭け金をアメリカの国力全てにまでレイズしてしまったということにあると考えます。Haassの著作を読んでいないのでナイーブにしか読めませんが、これは「勝利」するまでやるということです。しかし、勝利条件がわからない。

 オバマは"This strategy acknowledges that military power alone will not win this war -- that we also need diplomacy and development and good governance. And our new strategy has a clear mission and defined goals: to disrupt, dismantle, and defeat al Qaeda and its extremist allies."と述べていて、軍事だけではなく外交と成長、統治の回復をミックスさせて、アルカイダと過激派の同盟者を打ち負かすと述べているのですが、なんともいえない重苦しさを感じます。

 イラク戦争に対する批判で最も説得力を感じた批判は、戦争前の段階ですが、「出口戦略」がないという批判でした。2007年の秋から冬にかけては自分でも滑稽なぐらい憂鬱になりました。どうにも「出口」が見えない。結果的にPetraeusが軍事作戦で反乱分子を抑え込んで2008年に大きな進展がありました。「イラクの『内戦』の終わり?」という「寝言」(こちらこちら)で雑ですがイラク情勢を見た頃には、ほぼ安定化に成功したと言ってよい状況だったと思います。問題は、Kagan and Kaganが多くの進展を認めた上で、"The war is not ended."と述べており、さらに、イラクの治安部隊が米軍なしでは機能しない現状を指摘していることでした。オバマは"And we will remove all our troops from Iraq by the end of 2011. And for America, the Iraq war will end."と述べており、裏を返せば、イラク戦争がまだ終わっていない状態だと認めています。

 この点に関しては別途、確認する必要がありますが、現状認識そのものは断片的に米紙の報道を追っても、イラクの治安情勢が再び悪化していることは確実であり、その背景にはイラクからの米軍の全面撤退とイラクの治安部隊が独力では機能しないという現実があると推測します。この状況下で、アフガニスタンにおける軍事作戦を"war of necessity"、「選択の余地のない戦争」と宣言することは、事実上、イラクとアフガニスタン(そしてパキスタン)の両面作戦に突入することを意味するでしょう。より露骨に表現すれば、イラクは2008年以前の状態に戻る確率が高いでしょう。これはあまりに危険だというのが率直な実感です。

 そして、アフガニスタンにおける軍事行動が「選択の余地のない戦争」だ定義することは勝つまでやることを意味します。さらに、この演説では以前よりもより明確に、「戦略」すなわちイラクとは地理的にも歴史的な背景も異なるアフガニスタンで同じ手を使うという意思が明確に示されています。おそらく、イラクもアフガニスタンはアメリカのコントロールが全く効かない地域となり、パキスタンは破綻国家になる確率がさらに高くなるでしょう。すなわち、ブッシュ政権が多くの犠牲と悪名によってえた中東への影響力を失うでしょう。これだけでも予想されうる最悪の事態ですが、NATOが初めて発動した集団的自衛が失敗におわるという先例まで付け加わります。アメリカを中心とする秩序の、一時的なのか永続的なのかは留保しますが、事実上の崩壊を意味するでしょう。

 オバマはこの演説ではイラク戦争への価値判断を控えています。当然といえば当然ですが、まず、イラク安定化と同じ手法を用いようというわけですから。そして、なによりも、"This is not a war of choice. This is a war of necessity."というレトリックの裏には暗黙の「嘘」があるのでしょう。すなわち、イラク戦争は"This is not a war of necessity. This is a war of choice."だったという前提です。このような判断に100%の制度で真偽を論じることはできませんが、"wars of necessity"をより粗く「不可避の戦争」、"wars of choice"を「やってもやらなくてもよい戦争」と考えれば、私自身はオバマの暗黙の価値判断に同意するでしょうし、多くの人がそうでしょう。そして、仮にこの判断を肯定したとしても、現在進行しているアフガンでの軍事行動が"wars of necessity"であるという判断にはつながりません。もちろん、9.11直後のアフガニスタン戦争そのものは"wars of necessity"であったと私自身は判断しますし、やはり多くの人がそうであろうと思います。つまりオバマの「嘘」は過去の軍事行動やイラク戦争への判断を援用して現在の軍事行動が「選択の余地のない戦争」だと主張していることに尽きます。ずいぶん、くどいように思われるかもしれませんが、オバマはアフガンにおける賭け金を上げることの意味を理解しており、そうであるがゆえに苦しい「嘘」を用いざるをえなかったのでしょう。

 ここまで書いてきて忸怩たるものがあるのですが、なんとかオバマの主張を理解しようと四苦八苦してみても、どうしても理解できない部分があります。この弁論をした後では、オバマにはもはや「出口」がない。大統領就任以前からアフガン増派の主張をしていたわけですから、言動自体は首尾一貫しているのですが、やはり困惑してしまいます。そうでなくても、既に内政だけで普通の大統領の4年分の仕事を1年目で片付けようという勢いです。力みがオバマの判断力を狂わしているのか、オバマの立場が苦しいとみている私の判断力が曇っているのかすら区別がつかない状態です。この弁論で最後に気になるのは、誰に向かっての演説なのかという点です。アメリカ人だというでは大統領として失格でしょう。目の前にいる聴衆が対象であろうというのも、同じ理由で却下。うがちすぎかもしれませんが、おそらくは、NATO、とりわけアフガニスタンに関する国連での会議を要求しているイギリス、ドイツ、フランスの首脳を説得するためではなかろうかというのが私の推測です。もちろん、「ベトナム化」に怯えるアメリカ人を無視しているというわけではありませんが、アメリカ人(より露骨にいえば政策決定に影響力をもつ人たち限定ですが)であれば、それは他の部分で済む話で、この弁論自体の構成がちょっと変な感じです。

 最初に引用したカエサルならば、読めば自明だと思いますが、弁論の対象は元老院全員ではなく、当時の執政官キケロでしょう。キケロを説得するために向こう見ずといってもよい弁論を行ったがゆえに、後世に残るレベルになっている。実際、カエサルはこの弁論の後、殺されかけているわけですから。命懸けの弁論というのは、多くの場合、激越な表現を避けるものです。演説の名手であるオバマも同様で、カエサルの弁論を読んだ後では物足りないものがありますが、やはり西洋の伝統の中で育ったエリートであることを実感します。ただし、単純な利害計算を欠いており、カエサルならば自らが命を落とすリスクで済む話ですが、オバマの場合、それでは済まないリスクを敢えてとろうとするのかはどうしても理解できない部分があります。9.11の際、テロが歴史を変えた例はなく、意図と反して変化を速めたことはあっても変化の方向を変えることはないと感じましたが、アメリカの政治的指導者層には不可逆的な変化を与えてしまったのでしょうか。

 オバマはこの演説で事実上アフガニスタンに自らの政権の命運をベットする覚悟を示した。おそらく、この賭けは失敗に終わるであろう。なぜなら、イラクからアフガニスタンへ焦点を移しても、イランは反米をやめないであろうし、パキスタンは破綻国家になる確率が高い。イラクからアフガンへの重点の移動によってイラクが不安定になるリスクが高い。さらに、アフガニスタンを安定させるための費用の見積もりがなく、おそらく時間がかかるにつれて8年を超える戦役に疲弊したNATO諸国は名誉ある撤退を望むだろう。不可思議なのは、最も素朴な問いである中東におけるイスラエル以外の同盟者として中東の心臓部に位置するイラクが望ましいのか辺境でしかないアフガニスタンが望ましいのかを考慮した形跡がないことだ。アフガンへの増派の代償としてイラクからの全面撤退はみあわないだろう。元々コントロールができないイランに加えてパキスタンが破綻国家になり、アフガニスタンが混乱し、イラクがイランの浸透を許す事態を想定した方がよい。アメリカの中東への影響力がほぼゼロになれば、それにとどまればまだマシですらあるが、おそらく世界的な無秩序が徐々に広がるリスクがある。「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった」という感覚を西洋文明の後継者がもてないことを悲しむ。 
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