2009年09月16日

イラクよりも「出口」が見えないアフガニスタン

 前回、「寝言」を書いたのはいつだろうと思ったら、まだ1週間程度前でした。なんともいえない抑鬱状態です。季節の変わり目ということもあるのでしょうが、アフガニスタン情勢に関する米紙の報道を読んでいると、おそらく私の気性で偏っているのでしょうが、悪い報せが多く、イラク戦争よりも重苦しい気分になります。

 「寝言」ですからあまりこだわること必要もないのでしょうが、この気分は情勢を見る目を曇らせているかもしれません。アフガニスタンといえば、1979年暮れのソ連のアフガニスタン侵攻を思い出します。私個人の経験では戦争の記憶の始まりは、ベトナム戦争ではなく、ソ連のアフガニスタン侵攻です。記憶が間違っているかもしれませんが、珍しく初詣を元旦にという話になって、車中のラジオでアフガン侵攻のニュースが妙に耳に残り、冬の寒さもあって凍りついた気分でした。当時は、それがソ連崩壊の始まりの一つであったとは思いもしませんでしたが。今、重苦しいのは、意図も背景も全く異なるアフガニスタンにおけるアメリカとNATOの軍事行動が30年前と同じく、犠牲が単に大きいだけではなく、失敗に終われば秩序の崩壊の始まりを意味するかもしれないというなんともいえない暗い感覚です。

 小松久男他編『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社 2005年)のアフガニスタン紛争の項目がよくまとまっていたのですが、コピーをとるのを忘れてしまいました。イラクよりも「出口」がないというのは私の気分ですが、イラクの場合なら、まだしもフセインの下でのバース党の一党独裁で統治機構が整備されていたという感覚でしょうか。フセインという重石を取り除いた上でシーア派、スンニ派、クルド人をまとめるのは大変ではありますが、まったく見通しが立たないというわけでもないだろうと。成功した場合の成果は大きく、少なからぬ影響をおよぼした「石油利権」も言わせておけばよいだろうと。イラクの地理的な価値が計りしれないのですから。

 他方、アフガニスタンは事典の簡潔な記述を追うだけで、あらためて30年間、内外の勢力が入り乱れて戦乱が続くアフガニスタンでの軍事行動が困難を極めるのは当然だと感じます。「オバマはアフガンに沈む」という「寝言」の続きですが、戦争の「意図」など忖度するだけむなしい気もしますが、この戦争においては「意図」が大きいと感じます。

 9月11日にヒストリー・チャンネルで9.11関連の番組があるという宣伝を見ましたが、迂闊にも予約を忘れて、自分のあまりの迂闊さに鬱になりました。まあ、よくあることではありますが。代わりというわけではありませんが、9月11日以降の米紙の報道を読むと、オバマのアフガニスタン政策に反対するのが難しい雰囲気と同時に重苦しさを感じとることができます。非常に粗っぽく言えば、9月12日はオバマの演説を受けて戦うべしという、いわば主戦論が強いのですが、それ以降は悲観的な記事が目立ってゆくという展開でした。やはり9.11がアメリカ社会に残した衝撃の大きさを感じると同時に、意図という点では誰もケチのつけようがないアフガニスタンでの軍事行動への失望が広がっていると思いました。

 2009年9月11日にオバマの国防総省における演説が行われました。"war of necessity"のように批判が生じやすいレトリックは用いず、また感情の表出も抑制が利いた演説です。本題から離れますが、2箇所ほど『聖書』からの引用があります。まず、「詩篇」から"dwell in the House of the Lord forever"(「主の家に住まいましょう」)が引用されています(日本語訳は『聖書』(日本聖書刊行会 1970年)による)。英語で『聖書』を通読したことがない程度の教養しかありませんが、ときおり見かける表現で、どこからの引用だったのだろうと「?」が浮かんだときには、便利な世の中になったものよのおとネットのありがたさを実感します。追悼の場において、論理ではなく、情というのも微妙ですが、アフガニスタンにおける軍事行動を正当化しようとする演説は巧みだなと思います。もう1個所が"restore you and make you strong, firm and steadfast"((あなたがたをしばらくの苦しみのあとで)完全にし、堅く立たせ、強くし、不動のものとして下さいます)で、こちらは「ペテロの手紙 第一」からの引用です。こちらが含むところが多いように感じます。アフガニスタンで活動している軍人への鼓舞であると同時に、議会関係者や軍関係者などへの説得となっているあたりが巧みだなと思うところです。

 『聖書』からの引用の後、"In defense of our nation we will never waver; in pursuit of al Qaeda and its extremist allies, we will never falter."(私たちの国を守るという点においてはブレてはなりません。アルカイダと過激派の同盟者を追いつめるという点においては揺らいではなりません)とオバマの「意図」が提示されます。問題は「意図」が実現したといえる状況が曖昧なことであるのが依然として続いていることですが。やりたいことはわかるのですが、それをどのように実現するのか、どこまでやれば実現したと判断するのかがわからない状態が続いていることが、不安の種になるのでしょう。次回とり上げますが、夜明け前の暗さなのか、底なしの暗さなのか、区別が困難なアフガニスタン情勢ですので、演説としては巧みであっても、それ以上ではないと感じます。

 この演説への反応は私の見た範囲では概ね、好意的であったと思います。まず、Wall Street Journalが"The Afghan Waver"と題する社説を掲載しました(参照)。ペロシの発言の「ブレ」を批判しながら、8月17日の演説から"war of necessity"を、9月11日の演説からは "Let us renew our resolve against those who perpetrated this barbaric act and who plot against us still. In defense of our nation, we will never waver."の部分を引用してオバマ擁護をしています。また、8月17日の演説を引用する際に、わざわざよく知られていると述べているあたりは、「意図」の面ではまだ批判が困難な雰囲気があることを強く示唆していると思います。

 Washington Postはやはり9月12日にScott Wilsonの"Attacks Were Defining Moment for Obama"というレポートを配信しました(参照)。WSJほど粗野ではありませんが、やはりオバマに好意的なレポートといってよいと思います。長いので手抜きですが、オバマの安全保障関連のスピーチライターとされているBen Rhodesが"He(Mr. Obama:引用者) believed that 9/11 signaled the beginning of that era and that we, essentially, needed to catch up to it."と述べているのが注目点でしょう。この指摘自体には目新しい点はないのですが、むしろ、実際のオバマの言動がこの指摘から超えるものが見当たらないことに憂鬱になります。アメリカが「テロとの戦い」を主戦場とすれば、国家間の古典的な戦争に割けるリソースは確実に減少するでしょう。単にアフガニスタンでの軍事行動が既に失敗に帰しつつあるという現状だけではなく(もっとも、これだけでも十分、憂鬱になる話ですが)、「テロとの戦い」と古典的な(本当に古典的なのかどうかは実は私は疑問だと思いますが)国家間の戦争とのリソースの配分にあまりに無頓着なオバマの描写を読んでしまうと、来りうる最悪の事態に慄然とします。おそらく、起こりうる最悪の事態は国際的な無秩序、あるいはアナーキーでしょう。もちろん、一年や二年で生じうる事態ではありませんが、アメリカの権威の失墜、アメリカ国内の厭戦気分、中国やインド、ブラジルなどの軍事力の増強などとともに、徐々に無秩序が広がることを恐れています。


 「反オバマ」なのかと問われれば、否定はしませんが、肯定もしません。オバマに対して反感はありませんし、そもそも「反オバマ」かどうかというのは愚問であるとすら感じます。露骨にいえば、アメリカ人ではないのですから、オバマを支持するかしないかなどということ自体はどうでもよろしいとしかいいようがありません。アフガンの落とし所は、イラク戦争の前もある程度、安定化した段階でも、難しい問題でした。冷たいようですが、NATOは肝心のところで機能せず、米軍が「出口」をつくるのにはやはり不可欠なのでしょう。また、2001年9月11日直後は「テロとの戦い」がアメリカにとって"wars of necessity"であったことも事実だと思います。ただし、それは現時点でのアフガニスタンにおける軍事行動を肯定するとは限らないでしょう。戦争で問題なのは、それが善であるのか悪であるのかではなく、(1)目的を実現するためにどのような手段をどのタイミングで実行するかであり、(2)目的が実現し場合に見込める成果であり、(3)不首尾に終わった場合や予期しない事態の出来への"contingency plan"の準備でしょう。現時点ではオバマ政権にはいずれも欠けているように見えるます。

 なによりも、「テロとの戦い」が善意から行う戦争であるがゆえに、歯止めがかからなくなる危険に対して鋭敏でなくてはならないでしょう。より露骨に表現すれば、正義の戦争という感覚は、「新しい脅威」へ多くのリソースを割いてしまえば、従来から存在する脅威へのリソースが減少するというごく当たり前の感覚を麻痺させてしまいます。また、アフガニスタンにおける軍事行動は、イラク戦争後の占領統治と似ているように表面的には映りますが、程度の差でしかないとはいえ、現地の統治機構の麻痺はやはりイラクの比ではありません。さらに、アメリカ国内におけるアルカイダの残党狩りと部分的とはいえ、市民的自由の制限によってテロが抑止されてきたことも留意すべき点でしょう。「テロとの戦い」に関しては、既に、困難とはいえテロをいかに抑止し、抑止に失敗した場合に被害をいかに抑えるかという、より長期的な体制へと移行してゆく段階に移っていると思います。アフガニスタンに存在する"al Qaeda and its extremist allies"を排除することがどの程度、アメリカやNATOなどの同盟国の安全に寄与するのかも冷徹に評価する必要があるでしょう。次回、確認しますが、カンダハールがタリバン勢力の手に落ちつつあるという観測もあります。「テロとの戦い」という点に限定しても危険な状況です。ベトナムともイラクとも異なる結果を招く可能性の高い「オバマの戦争」はやはり善意のなせる業だと感じます。
この記事へのコメント
イラクよりアフガンのほうが、戦略的価値も低くかつ任務としても困難だということに同意します。この件ですが、もう一度基本に立ち返ってなぜこの地域に関与することが重要かと考えるべきです。端的にいうと、それは核武装国でもあり地域の不安定を引き起こす原因になる可能性の高いパキスタンのためではないでしょうか。アルカイダは抜本的に殲滅することが難しいとの割り切りがあれば、むしろそこに固まっていてもらって、出てきたときにすぐ叩きやすいという状況を作るくらいがいいように思えます。

これは英国あたりの見解に近いのですが、日本も近い結論に帰着する可能性は高いと思います。外交的な処理という面で難しさはあるかもしれませんが、そこは建前を押し通して「米国のみならず、アフガンに派兵しているNATO諸国の意見も良く聴いて最終的に判断したい」とでも発言しておけば良いのかと。カナダとか屈折しそうですからデリケートな対応が必要ですが。

給油は現在の所パキスタンの利用が多いようです。その付近を踏まえてより現実に即したパキスタン安定化策への移行として処理するとすれば、現地の反欧米的な勢力の形式的な窓口とか文民警察官の育成、医療支援という事になるでしょうか。距離の取り方は常に難題ですが。ちなみに日本人がアラブを相手にするのは難しく、イランを除けばパキスタンあたりが西方の限界かなあ、と思います。
Posted by カワセミ at 2009年09月18日 00:46
>カワセミ様

ご趣旨は理解できるのですが、アフガニスタン情勢、パキスタン情勢に関して信頼できる情報が少ない現状で政策を論じることに若干ですが、虚しさを感じます。「続き」でカンダハールに絞った記事を読んだ感想を書きましたが、マクリスタルが誠実な人物かどうかも疑わしくさえ感じております。

究極の政策決定者はオバマ大統領ですが、大丈夫かなと不安になる話が多すぎます。まだ任期は3年以上あるわけですから、1年目でふらふらされては大変です。このあたりも不確実性として認識しておく必要があるのでしょう。

パキスタンに関しては外務省が政権交代前の4月に50億ドルを集めた実績がありますから、役所が機能すればパイプはあるのでしょう。問題は、現在のパキスタンの政権にどの程度の統治能力があるのかですが。あと数ヵ月もすれば他国の心配をしている場合ではなくなるのかもしれませんけれども。この地域への関与は他地域以上に、思い通りにならないことがはるかに多いと覚悟するしかなさそうです。
Posted by Hache at 2009年09月19日 00:18
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