2009年09月27日

白洲正子と青山二郎:評価に困る人たち

 政権交代に感想めいたことをちょっとだけ書きましたが、だんだんとどうでもよいかなという感覚になりつつあります。おおざっぱですが、政治的イッシューを大・中・小と分ければ、民主党政権が手をつけているのは、ほとんどが小程度の問題であり、中程度の問題がまばらではありますが、目につくぐらいです。ただ、政権交代後としては思ったよりも悪くはないかなと(マイナス100ぐらいかなと思っていたらマイナス90程度だったてな感じ)。問題は、民主党や連立のパートナーがやりたいことをどう進めるかというよりも、自民党中心の政権であれ、民主党中心の政権であれ、外交・安全保障、経済など想定外の危機にどう対応するのかということだと感じております。未知数ですから、今から予想をしたところで虚しく、とりあえずは政治への期待値を下げ続ける日々になりそうです。古いネタですが、3k産経新聞社会部のTwitterに書きこまれた「産経新聞が初めて下野なう」は噴きました。日本語の政権交代論もそれなりに目を通しましたが、大したものはなく、これが一番、笑えてよかったです。

 将棋の王座戦も観ましたが、羽生王座の強さに山崎隆之七段が踏み込み不足の印象が強く、残念でした。素人の感想ですので、あてになりませんが。昨年の竜王戦では渡辺竜王が思い切りよく踏み込んだのとは対照的で、ひどい目にもあっていますが、ああいう場を踏まないと難しいのだろうと。個性があるので難しいところですが、成績では文句なく好調で伸び盛りの山崎七段にはもっと怖い目にあってほしいと思ったりします。

 漸く本題ですが、連休中にNHKドラマスペシャル『白洲次郎』をまとめて放送するとのことでしたので、とりあえずといってはなんですが、録画しておきました。再生してみて録画しておいてよかったなあと思ったのは、NHKのドラマスペシャルというのは90分途切れることがなくて、録画しておいたおかげで手洗いにたつときに一時停止ができることでしょうか。ちなみに白洲次郎氏のことはなにか著作を一冊程度、読みましたが、あまり印象に残りませんでした。この数年ぐらい、よく話題になるので気にはなっていましたが、このドラマのおかげで主人公ではなく白洲正子さんに興味がむいてしまったという、いかにもちょっと頭のいかれた人らしい方向にゆくのがわれながら悲しいのですが。

 見た印象では、第1回が一番、ドラマらしくてよかったなあと。原田美枝子さん(白洲芳子役)を拝めたのがありがたく、日中戦争突入前の雰囲気や現在のケンブリッジの美しさなどが印象に残ります。イギリスの大学はオックスフォードもそうですが、本当に美しく、外観が問題ではないのですが、ああいう環境というのは日本ではまず見当たらないなあと。白洲次郎が吉田茂邸を訪れたときの雰囲気などもおもしろく、実話かどうかなどという面倒なことも忘れて、ケンブリッジはイギリスの友人が最近は共産主義者とホモセクシャルばかりだと嘆いていたと笑いながら、「君もねらわれたんじゃないの?」というあたりは吉田茂の俗っぽさと軽妙さが見事にでていて楽しいですね(原田芳雄さんはご年齢からして大丈夫でしょうが伊勢谷友介あたりは確かに狙われるかも)。

 うってかわって武相荘はこれまた美しく、お前は演技じゃなくて、そんなところばかり見ていたのかと言われそうですが、穏やかで豊かな雰囲気です。NHKのサイトを見ると、茨城県某所にロケ地を設けたようで、当時の雰囲気とは異なるのでしょうが、よい情景だなあと。岸部一徳さんが(近衛文麿公)大根を食べるシーンも不自然さがなく、フィクションの部分を興味深く見ました。

 番組後半のメインですが、GHQの占領統治と新憲法制定の過程はあまりおもしろく感じませんでした。これはやはり活字が勝るのでしょう。ドラマが悪いというより、五百旗真先生が示したような、占領統治のプロセスは、ルーズヴェルトに代表される日本の無力化という主旋律と知日派による日本の戦前のデモクラシーを認めた上で英米を中心とする秩序への包摂という第2旋律のシンフォニーというのは映像化になじまないからでしょう。このあたりは面倒なので省略します。後半も武相荘の美しさになごみましたが。番組の冒頭と終わりに晩年の白洲次郎が文書や手紙を燃やすシーンが印象的でした。「実話に基づくフィクション」として描く対象としては適切なのでしょう。それにしても、中谷美紀さんが晩年まで演じたのはさすがと申すべきか。お肌がきれいすぎる印象はありましたが。

 旧白洲邸武相荘のサイトを見たら、メールマガジンを発行していました。白洲次郎に関する知識は貧しいのですが、読んでいてなかなか興味深い記述が多く、「武相荘だより 〜白洲邸 折々の記〜」(2008年12月25日 第86号」(参照))の「武相荘のひとりごと」には下記の文章があります。

この頃とても気になることが有ります。

武相荘もお蔭様で開館7年が過ぎ、相変わらず大勢の来館者をお迎えしております。

NHKの次郎と正子のドラマなども制作中であり、それでまたお若い方々にまで関心を持っていただくのは良いのですが、正子は物書きとして世に出たのである程度は致し方ないとして、次郎は一部の雑誌などで、「日本一カッコいい男」とか、「日本で初めてジーンズを履いた男」くらいはご愛嬌としても、「マッカーサーを怒鳴りつけた男」と書かれるに至っては、白洲は筋を通してもそんな失礼な男ではなかったと言いたくなります。

情報化時代とは言え、白洲は自分の身長を公文書に175cmと申告し、正子も彼は6尺豊かな大男とは書いていますが、最近の雑誌では遂に185cmに成長し、ゴルフのハンディキャップも実際は「7」か「8」だったと思いますが、いつの間にかハンディキャップ「2」の名人に成ってしまいました。

このまま後5年もすると、白洲の身長は2mを超え、ゴルフはタイガーウッズより上手くなってしまうのでは・・・と、とても心配です。


 混乱した現代では確かなものを求めていまだに虚像を求めてゆくのでしょう。それは白洲次郎の流儀でもなければ、白洲正子の流儀でもないのにもかかわらず。私自身は、私の生きている間しか経験ができないがゆえに、あえて「混乱した現代」と書きましたが、いつの時代も同じなのかもしれません。


  私は人のいないところで赤面しなくてはならないほど無知なのですが、このドラマのおかげで白洲正子と青山二郎、小林秀雄との交流を知りました。ドラマでは青山二郎が求道者の一面を残しながら、奇矯な人物として描かれているように映りました。能や骨董など私のように無教養な人間には無関係でしたので、白洲正子の著作に触れることもありませんでした。とりあえず、書店で新潮文庫の白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮社 1999年)を買って読み始めましたが、驚きました。以前、「小林秀雄『戦争について』」という「寝言」を書きましたが、本書を読んでからは恥じ入るばかりです。

……私が女々しい(「差別」用語なので不快と感じる方は、こちらでもどうぞ)と感じるのは、新潮文庫の『モオツァルト・無情という事』(不覚にも自宅の「樹海」に埋もれて「現物」は行方不明)の江藤淳氏の手による「解説」で、青山氏(記憶が誤っている可能性が大)にお前は釣る手つきをするばかりを魚を釣ったことがないじゃないかと言われた小林が、思わず涙をもらしたというあたり。

 江藤氏は文学者らしく解釈されていたと記憶しておりますが、小林秀雄の体質からすると、青山氏の言葉で涙したのではなく、戦争に負けて悔しいのだろうと。英米に復讐するとか、いやドイツの二の舞だというややこしい話を抜きにして、単純に戦争に負けたことが悔しかったのだろうと。ただただ、悔しかったのだろうと。ふと、悔しさがこみ上げてきて泣いてしまったのだろうと。現物が手元にないので、いい加減なことを書いておりますが、そんな感覚です(子供っぽさ全開の小林秀雄の言葉にわざわざ「反語」と付け加える江藤淳氏の自殺を責める気にはなれない部分があります。塩野七生さんは好きではあるのですが、江藤氏の自殺を責める文章を拝読すると、他人の「体質」にどこか鈍感な部分を感じてしまいます。江藤氏の場合、自死か狂死しかなかったのではないかと思えてしまいます)。


 本書の106頁から108頁には小林秀雄と青山二郎の酒席での「高級漫才」が描かれていますが、二人は敗戦とかそんなことすらどうでもよいところでやりとりをしていたのだと実感します。小林が青山に泣かされたのを書いたのは大岡昇平さんとのことですが、白洲正子さんは「私は何度も小林さんが涙をこぼすのを見ている。青山さんだけが、小林さんを泣かすことができたのだ」と述懐しています。二人の友情と別れ、そして再会が大きなテーマですが、長くなりそうなので、もう少し白洲さんの文体に慣れてから書くかもしれません。ただ、能と骨董はまったく縁がないので、表面をなぞるのがやっとというところもありますが。

 それにしても、青山二郎に「弟子にしてやろう」と江藤俊哉の演奏会(このあたりのちょっとした描写も冴えている)の後で言われた後の青山の白洲に対する「仕打ち」は……。「三顧の礼」とご本人は描写していますが(「三顧の非礼」と申すべきか。こちらを映像化した方が個人的にはよかったかも)、昔の女性というのは信じがたいほど我慢強いものだと感心します。約束を2度もすっぽぬかされたら、私なら心が折れそうです。おまけに、「青山学院」のおかげで3度も胃潰瘍になり血まで吐いて入院しているところへ、お見舞いに来た「師匠」はウィスキーを持参する始末。政権交代前も後も、今の政治は本当につまらないことばかりやっているように思いますが、国立メディア芸術総合センターのようなつまらないものをつまらないと言っているのは歓迎です。どうしても芸術を育てたいのいうのなら、有望な若手に失敗には少々、目をつぶってカネをひたすら振舞うしかない。そのような鷹揚さを失った社会では無理をしないのが一番でしょう。

 他にも書きたいことが山ほどあるのですが、評価に困ったのは、能の仕舞に関する部分です(第10章)。白洲さんが説明してくれているので言葉ではわかりますが、仕舞自体がわからない。ジィちゃんこと青山二郎さんはこれがいいと言っていたようですが、このことに関する白洲さんの説明にちょっと驚きました。長くなりますが、引用します。

 面・装束をぬいで、裸かになった名人芸がどんなに美しいか、当時実さん(梅若実:引用者)は既に七十歳を超えていたが、粋な若者に見えるほど瑞々しかったのである。見物に能役者であることを忘れさせるもの、能を見ていることさえ意識させないものが、ほんとうの至芸といえるであろう。ある座談会で、ジィちゃんはこういうことをいっている。
「日本ぢやテクニックが九十まで生きるものから生まれて来るんですよ。さういうことは日本の非常に罪深いものだと思ふね。近松でも何でもさうなんだ。その前に精神といふのは要らないんですよ。九十も研いで研ぎ上げると、その小刀に精神が出て来るんですよ。さういふものなんだよ、日本の精神といふのは。」

(中略)

 話はちょっと横道にそれるが、先日私は未知の読者から実にありがたい手紙を頂いた。「よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ」ことについてで、いうまでもなくこれは『徒然草』の一節である。梅若実の手放しの芸とも右のジィちゃんの言とも関係があるので書いておきたいのだが、「鈍き刀」の意味を今まで私はその言葉どおりに受けとって、あまり切れすぎる刀では美しいものは造れないという風に解していた。
 ところがそれでは考えが浅いことを、この投書によって知らされたのである。その手紙の主がいうには、鈍刀といっても、はじめから切れ味の悪い刀では話にならない。総じて刀というものはよく切れるに越したことはないのである。その鋭い刀を何十年も研いで研いで研ぎぬいて、刃が極端に薄くなり、もはや用に立たなくなった頃、はじめてその真価が発揮される。兼好法師はそのことを「鈍き刀」と称したので、「妙観が刀はいたく立たず」といったのは、切れなくなるまでつかいこなした名刀の、何ともいえず柔らかな、吸いつくような手応えをいうのだと知った。そういう経験がなくてはいえる言葉ではない。奥には奥があるものだと私は感嘆した。
 ジィちゃんの言葉を借りていえば、「九十年も研いで研ぎ上げると」幻の如く煙の如く立ちのぼるものがある。そういうものが日本の精神なのであって、兼好は妙観の刀にたとえたのだ。妙観がどんな人物か私は知らないが、その一行だけで日本の文化の真髄を語って余すところがない。兼好の文章も、たしかに鈍き刀を使っていたのである(129−131頁)。

 これは参ったなあと思いました。小林もひねっているとはいえ、どちらかといえば、『徒然草』では通俗的なことを述べていたと思います。「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」(67頁)というのは小林の青山評ですが、この国の、少なくとも戦争前後の文学界における天才というのは、どうやら真っ暗闇を切り裂く閃光のようなものではなく、先に歳を食ってしまった人のことを指すのかもしれない。『徒然草』の解釈として正しいかどうかとか、面倒なことを離れて、考えさせられてしまいました。こうなると、青山二郎という人物、そしてそれに惚れ込んだ白洲正子という人物の評価は私の手に余ります。

 白洲さんは青山との出会いが小林の『モオツァルト』を生んだと書いていて、この部分はわかりやすいのですが、肝心の部分をあえて外しているようにも思え、さらに悩ましいです。この点も書きたかったのですが、なにしろ、『モオツァルト』が文庫・全集ともに手元にないので、無理ですね。もし、白洲正子さんが御存命でお会いするご縁がございましたら、早口で質問を次々にぶつけてしまいそうです。解説も含めて200頁たらずの文庫本ですが、考えさせられることが多く、今年に入ってようやく読書らしい読書をした気分になりました。私自身がそうですが、生きている人間というのはどうしようもないものだと脈絡なく、そんなことが頭に浮かびました。
posted by Hache at 05:59| Comment(2) | TrackBack(0) | まじめな?寝言
この記事へのコメント
 おひさしぶりです。
 白洲次郎の孫にあたる方が、以前、細川総理の秘書官を務められていたと記憶しています。あの辺りの人脈というのは、時が移っても受け継がれるものだと思います、
 さて、私も、遅ればせながら、『青山二郎全文集 上・下』(ちくま学芸文庫)を読み始めました。祖父の世代の日本人ともう少し頻繁に接したかったと思います。白洲次郎、青山二郎…、皆。1900年代生まれです。
Posted by 雪斎 at 2009年09月28日 02:26
>雪斎先生

こちらこそご無沙汰しております。さすがにお手が早いです。他意はありません(笑)。

それにしても、この島国は世代が断絶しているようでそうでない不思議な国です。しかし、90年も生きて漸く形に魂が宿るといわれると、まだ半分もきていないのかとため息が思わずもれます。さかしらな表現ですが、高齢化というのはそう考えると、そう悪いことでもないのかなと思ったりします。

Posted by Hache at 2009年09月28日 22:23
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